縹トヲル

絵描き、たまに字書き。創作BL、和系近代ファンタジー等で活動。現在「イツマデモ君トコノ星ヲ」という共同原案の小説をブログ連載&冊子で頒布しています。

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投稿日:2017年04月25日 19:52    文字数:12,833

第一章 ヒトツボシ 後編

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※後編です。
自ブログ(http://kimihoshi2010.blog.fc2.com/)に掲載・連載しているものですが、こちらで読んで下さる方も居るかも…と思いまして、試しに第一章のみ置いてみます。(ブログ掲載時稿になります)
反応次第で次章以降も転載しようかと思います。まだR展開のない序章ですが、よろしければ是非。(次章よりR18を含みます)
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一緒?何を言っているのかよく分からなかった。

あんたには、ちゃんと弟がいるだろう?そう言うと、光一郎は首を横に振った。
「俺はね、ホントは宮城家の実の息子じゃないんだよ。養子なの」
「…そう…なのか?」
「うん。驚いた?」
それに答えず、俺はまじまじと光一郎の顔を見ただけだった。
本当に、驚かされてばかりだ。

「といっても、大分小さい頃からお世話になってるから、鞍君とは状況が違うかも知れないけど…」
くすっと笑って、光一郎は続けた。
「もちろん、最初は慣れなかったよ?突然新しい家族が出来た、って言われてもね。けど、和が懐いてくれてね…」

里親が見付かってその家に貰われていく子供は、俺の在籍していた施設にも当然いた。
とはいえ所詮は血のつながりの無い親子…ましてその家に「実の子」がすでにいる場合特に…親密な関係を築くには相当の時間がかかるのではないだろうか。
今の光一郎に、そんな鬱屈は微塵も見えない。俺がまだ、こいつの表面的な部分しか知らないからかもだが。
反面、あの夜の和宏の態度…ほぼためらいもなく俺を家に入れ、馴れ馴れしすぎるほど話し掛けてきた…を思い返すと、貰われ子という意識が柔和させられるのもさもありなん、とも思える。

「でも…あんた達、すっげぇ仲良いみたいだったし…」
「徐々にだよ。初めからああじゃなかった」
そう言う光一郎の瞳の中に、ほんの僅かに寂しげな色が滲んだ気がした。…気がしただけかもしれない。

「鞍君見てるとさ、あの頃の俺をちょっと思い出すんだよね」
瞳の気配はすぐにかき消え、光一郎はまたにっこりと笑った。
その頃のこいつの状態など、こうして見る限り想像も付かない。

もしも幼いときに、俺に引き取り手が見付かって、同じようにどこかの家族の一員となる、なんてことがあったら。
現在のように、他人を拒み続けたりはしなかっただろうか。
…いや、それも今となっては考えられない。
俺は施設でも浮いた存在だったのだ。環境が変わっても、心の奥の虚無感はそう簡単に消え去ったりしないはずだ。

…だとしたら。もしかしてこいつも…
そんな妄想が頭を過ぎりかけたので、慌てて自身で否定する。
そこまで目の前の人間を詮索する趣味は無い。

らしくもない思案を打ち消すように、光一郎の言葉にも異議を唱える。
「まさか。同じ孤児だったからって…気のせいだろ?」
「ふふ…そうかもね」

からかわれているのかとも思った。
が、少しだけ…この軽そうでへらへらした男が、見た目とは裏腹に色々なものを背負ってるのかも知れない…そんな思いが脳裏を掠め始めた。

急に黙りこくって俯いた俺を、光一郎は一瞥すると
「…笑うこと…忘れちゃってるんだね、鞍君は」
ぼそり、と呟く。

独り言だろうかと思ったが、たとえ俺に投げかけたものだとしても、どう返答して良いか見当も付かなかった。
…忘れているのだろうか。それとも最初から、笑うことなど知らないのだろうか。
自分でも分からない。
楽しいとか嬉しいと思った記憶がまるで無い。ただ、気付けば歳を重ね、何となくここに生きてる。
それだけの認識しか無かった。

俺は返事に完全に詰まったまま。…しばしの静寂が流れる。

「クレープ食べるの、付き合ってくれてありがと」
ベンチから唐突に立ち上がり、光一郎が言った。まるで今までの話など無かったように。
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「あ…いや。美味かった、よ」
なんでまたこいつと関わらなきゃならないのかと、あんなに思っていたのに…。
すんなりとそう返していた自分に、自分でも驚いた。

更に驚いたことに、俺の言葉に光一郎は、この上ない程喜ばしい事があったような笑みを浮かべる。

「よかった…また鞍君に会えて。一緒にクレープも食べられて…」
その様相が心の底から嬉しそうなので、俺は逆に不審さえ感じる。

なんで光一郎は、俺と再会したことをこんなに喜ぶのか。
巻き添えを食って怪我までして、その上大した礼もせず、にべも無い態度をとった相手に対して。

そうだ、本来ならば御馳走でもしなければならないのはこちらの方なのだ。
何か要求しても然るべき…なのに、たったこれだけのことで…。

何故か、空恐ろしさを感じる。
無論光一郎に、ではない。自分自身の心理に…だ。

他者と打ち解けず、他者を受け入れず、俺は独りなのだと突っぱねてきた。
社会にとっても、誰かにとっても、自分は「必要の無いもの」なのだからと。
生まれた直後に、顔も名も知らぬ親に捨てられた時から…否、もっとずっと前から…。
「存在していてもなんの意義も無い存在」
単にそれに嘆く価値も、認めて自身で始末をつける意気地もないだけの。

そんな俺と出逢えたことを、再会したことを、光一郎は喜んだ。
何も出来ない、してもいない…それどころか迷惑のみをかけられた奴を。
訳知り顔で擦り寄ってくるのは、何かしらの利得を見越しているからだ…それも痛いほど身に沁みていた。

けれど…それでも…

「ねぇ、鞍君」
光一郎はおずおずと、声と手を同時に出す。
大して歳など違わないはずなのに、やけに大きく思える掌が、俺の髪をふわりと撫でた。

「また家においでよ。一緒にご飯でも食べよ?」
「なにそれ。同情かよ」
「違うよ。俺がそうしたいの。鞍君さえ嫌じゃなければ…ね?」
顔を上げると、光一郎はやはりバカみたいな笑顔でそこに立っていた。
…それを見て…ふと泣きたいような気分になっている事に気付いて、酷く動揺した。

「俺さ、一目惚れしちゃったんだよね、鞍君に。だから…笑うの思い出す手伝い、したいな」
「…は?」
何言ってんだ、男だぞ、俺は。そう反論するのさえ、どうしてか阻まれた。胸が痛んだ。
「…うん…」
苦しいような切ないような…今まであまり感じたことのない心の動きだった。
何故頷いたのか、自分でも理解できない。

送るよ、という光一郎の申し出を断り、そのまま公園で別れた。
やたらと己が情けなく、みすぼらしく感じた。

こんな、生きている意味さえ掴めず、ただあやふやに生きている俺を気にかけて貰うなど、畏れ多いような歯痒いような、そんな思いだった。
ただの気紛れかもしれないし、冗談かも知れない。社交辞令、ちょっとした同情…。
とにかく、真に受けていいわけがない。
にも関わらず、あの手の温もりに縋り付きたくなっている自分が確かに居る。

求めては、いけない。求めれば馬鹿を見るのは自分だ。
わかっているはずなのに、どんなことよりも「それ」を求めてやまないのも自分ではないか、と思う。
それが無性に腹立たしく…腹立たしいと感じていることもまた嫌悪した。

辺りはすっかり夕闇に包まれ、木々の輪郭は曖昧に背景と溶け込んでいる。
クレープ屋のワゴンもいつの間にか姿を消していた。
自分が今、どんな顔をしているのかさっぱり分からぬまま、惰性のように寺に向かって歩き出した。
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◇◆◇

冬晴れの日が続いていた。
陽がある場所は暖かく感じるものの、時折身を切るような冷たい風が吹く。
春の訪れを感じるには、もう少々時間がかかるだろう。…特に、人間には。

この寺の「住職」という立場におさまって、早どれほどの年月が過ぎたのか。あっという間だった気もするし、
記憶を巡らすのも億劫なほど永い気もする。

慈光院の前住職は夫婦でここに住んでいたが(現代では妻帯する僧侶も少なくないらしい)、後継者に恵まれず、本山から、という名目で俺が住まう事となった。
特に厳重な縁起がある寺では無いが、数百年程前から此処に存在していることは確かだ。たとえ管理者の役割だけでも、受け継ぐ者は必要ではあっただろう。
もちろん疑われる事も考慮し、それなりに下調べも手回しもしてきたが、既に伴侶に先立たれていた住職は気の良い人物で、ほとんど何も訊かず俺を受け入れてくれた。
その住職が身罷り、事実上俺が役目を引き継いだ。

我々妖は、野生動物と同じようなものだ。人間達の開発が進めば、住む場所を追われる。
天狗の山は何とか結界を張り、人間の入り込めない領域を確保しているところも多いが、それでも昔に比べれば実に細々としている。
だから、ある程度の力を有する妖は、人間に化け、同化し、彼等の生活する下界で暮らしている。人間達はそれを知らないだけだ。

…もっとも。
俺が下界に下りているのには別に理由がある。かつて、死なせてしまった愛する者を保護する為に、だ。

あいつと初めて会ったのは、今よりずっと遠い昔…あいつがまだ、「烏天狗」と呼ばれるモノ、だった頃のこと。
大山である高尾の長、高尾坊とは古い付き合いだが、その高尾坊が山中散策の折、偶々拾ったと俺に紹介したのがそもそもの出会いだ。
その時はまだ子烏で、人間に化けるのも不完全な状態だった。しかし子供ながらに努力家で、真摯に修行に励んでいた。

とはいえ長自らが子烏一匹にかまけている余裕は無い。
他の天狗共に贔屓目していると思われても厄介だろう。
高尾坊は、腹心の稲城にあいつを預け、見守るだけに留め置いた。

…だが、人の世と同じく、集団においての風聞はどこからともなく漏れ聞こえてしまう。
高尾坊は無論特別扱いなど一切していないが、あいつが元来熱心で、術などの上達も早かったのが却って裏目に出た。
小さな烏は、境遇を妬まれ影ながら折檻を受けていた。

それでもあいつは泣き言ひとつ言わなかった。
ただひたすら「立派な天狗になる」という希望だけを懐いて。
山神を守護する役目もある天狗は、あいつにしてみれば憧れだったのだろう。
ところが…とある事件を切欠に、あいつはその幻想を打ち砕かれることになる。
そして掟を破り、山を出た。

暫く後に再会したあいつは、生きる目的をすっかり失くしきっていた。
人間達の動乱の裏で、妖達もまたその頃戦禍となり…死に場所を求めたあいつもそれに飛び込んだ俺も深手を負った。
それも沈静し、ささやかでも生きる道標を与えられたらと迦葉へ連れ帰ったのだが……まさかあんなことになろうとは。

当然だが、当時のあいつと今現在を生きるあいつの意識は最早別物だ。
従って今更、俺に何が出来るという訳でもないが。
だとしても、転生してまで不遇の目に会わせるのは忍びない。せめて、それなりに幸せになって貰いたい、とは願う。
迦葉の長である中峰は未だにそれさえも忌々しく思っているようだが、元はといえばその中峰が蒔いた種だ。少しくらいは大目に見て貰う権利がある。
無事、あいつの行く末を見届けられたら…今度こそ、山に戻り罪を償う覚悟もしていた。

果たしてあいつ…鞍は、未だ迷走の最中にいた。
生まれ変わっても尚自らの存在意義を見失い、周囲を全く信用することが出来ず、ただ漠然と日々を過ごしている。
取り敢えずこの寺に引き取り共に暮らしてはいるが、今も感情の動きすら多く表さない。
相手を拒否し、意味もなく敵意のみを向ける。
無気力ながらも生活の為に働くことはしているが、必要以上の人間関係は持たないらしい。

─この現代社会は、それでも成り立ってしまうのだからな。
今まで鞍の面倒を見てきた稲城も嘆息していたが、俺自身、正直どうしたら鞍が変われるのか…愛情というものを覚えてくれるのか見当も付かず、甚だ困惑してもいた。

…ま、焦っても仕方ねぇか。
そう思い、半年ほど同居を続けていた。
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◇◆◇

陽は未だ短い。午後には最早翳っているようにも見える。
年越しの際…とまでは言わずとも、法事でもあれば多少人の出入りはあるものの、通常寺を訪れる者は少ない。
昼過ぎとなれば余計だ。
寒さのせいでことさら閑散さが際立つ境内を、俺は細かな枯れ葉をかき集めるようにして掃き清めていた。

すると、門柱の辺りからこちらを伺っている気配に気付く。
自分がここの住人となってから、一応寺の周囲に簡単な結界は張っている。
だが、視線の主はそんなものがなくても即刻気付く…物の怪はもとより、人間の生業で言うところの刑事や調査員といったものでさえあり得ない…謂わば、ただの「子供のかくれんぼ」のようなものだった。

野鼠のような丸い瞳が、きょろ、と動く。何か…誰かを探しているようだ。
「…鞍なら、バイトでいねぇぜ?」
我知らずくす、と忍び笑いが漏れ、隠れていた野鼠に声をかける。

可愛らしい来客は、気付かれていないと思ったのだろう…遠目からも判る程びくり、と肩を跳ね上がらせた。
「…あ。ごめんなさい…」

恐縮して姿を見せたのは、先日鞍を送ってきた兄弟の弟の方だ。
それこそ、子鼠か子兎のような愛くるしい顔つきをしている。
…まぁかつての自分ならば、すぐにでも目を付けただろうな。そんなことを自虐的に思う。

「あいつに何か用か?」
「あ、いえ!怪我、どうしたかなと思って…。それと…」
そこで口ごもり、やや目を逸らす。

「それと、何だ?」
「…なんでもないです。…あ、これ、俺のバイト先のケーキ。よかったら鞍に、って思って」
恐る恐る言って、小さな箱を差し出した。

おそらく、あいつが素っ気ない態度を取ったので自らに非があるとでも思ったのだろう。
その詫び、というところか。鞍の態度だけ見ていれば、そう取っても無理はない。

「そうか、ありがとな?渡しておくよ」
両手で箱を受け取る。
手数をかけたのはむしろこちらの方なのだが。

「ま、茶でも淹れるから少し上がってけよ。今日はまだ明るいしな?」
「…え」
「縁側に腰掛けるくれぇなら問題ねぇだろ?ちょっと待ってな」
そう言い、座るよう促す。

急須と湯呑みを縁側まで運び、茶を淹れてやる。
野鼠のような少年は、こくり、と美味そうに啜った。
「はぁ…」
「悪ぃな。別にあいつぁ、お前等を避けたわけでも迷惑がったわけでもねぇとは思うんだが」
自分の非力もあって、たまたま関わり合った少年にまで気を遣わせてしまった事が何だか申し訳なく、ついそんなことを溢した。
「え。ああ、うん…大丈夫」
にこり、と笑いつつ野鼠が返す。

野鼠、というのも失礼か。それにしても近くで接すると、実に変わった気を持っている事が分かる。
これでも長いこと妖として生きてきた身、下界慣れしてしまったとはいえ、今を生きる人間の前世や持っている気質などは大体判断出来る。当然、人間に化けた妖などはすぐに見分けられる。
見てくれは非常に愛らしいが、至って平凡な性質であろうこの少年の奥底に、微かではっきりとは分からないがとにかく若干異質な気が潜んでいるのに気付いた。
…聖職、に近い。僧侶か、神主か、巫女か。

「どうかした?」
「あぁ、いや。…宮城、と言ったな。下の名前は?」
「和宏。兄貴の方は光一郎」
話す様子も、この現代で今まで俺が目にした十代の少年と何ら変わるところはない。
故に、その僅かに感じる気は、少なからず違和感を伴った。
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「…なぁ…鞍って、全然笑わねぇのな。いつもああなの?」
「ん?まぁ…な。お前達みてぇに、仲の良い兄弟でもいりゃあ違ったのかもしれねぇけどな?」
「ふうん…。なんかさ、あいつ見てると、兄貴がうちに来た頃思い出すんだよな…周囲に馴染めない、っていうかさ」
「家に来た…頃?あの兄ちゃんはお前の本当の兄貴じゃないのか?」

少し、意外な気がした。それにしては随分と仲が良さそうだったが。
「うん、うちの母さんが連れてきたんだ。兄貴のほんとの両親は、事故で亡くなったって…」
過去を懐かしむように遠くを見つめ、和宏が言う。
「初めてうちへ来た頃はさ、笑い方もぎこちなくて…俺は兄貴が出来たのすっげぇ嬉しくて、いっつもくっついて歩いてたけど、兄貴は鬱陶しかったんじゃないかな」

成る程。それならば兄の方は、鞍と境遇が似ているのかも知れない。

「兄貴は今となってはあの通りで、逆にうざいくらいだけど」
苦笑しながら、はにかんだように言う。
「だから鞍とも出来れば仲良くなりたい、って思ったんだよな。そんなふうに相手を拒否って生きてたら楽しくねぇだろ?…鞍にしてみれば余計なお世話かもしれないけど」
「…いや…そいつぁ有難ぇな…」
思わず、感謝の言葉が口を吐く。
もしかしたら…この兄弟との出会いは、あいつの現状を打破する大きな切欠となり得るのかも知れない。そんな予感を懐かせた。

…と同時に、俺自身がこの和宏という少年に興味を持った。
昔の血が騒いだというわけでも無いだろうが、何か…無意識のうちに渇望して止まなかったものを、この少年が裡に持ち合わせているような気がした。
それが、彼の根底にある異質な気と関わりがあるのか無いのか、この時はまだ良く分からなかったが。

「そういう訳だからさ、俺がまた会いたがってたって伝えてよ。ウチの両親今海外にいて、俺と兄貴の二人だけだからいつ遊びに来てくれてもいいって。あ、俺がまたここに来てもいいけど」
「ああ、分かった。…ってか、そういう事なら是非俺とも仲良くして欲しいもんだな。可愛い子はこっちも何時でも大歓迎だ」

茶化すように言うと、和宏は面白いほどみるみる頬を紅潮させた。
「なっ、何言ってんだよ!俺男だし、別に可愛くなんかねぇっての!!…まぁ、鞍と一緒にいるんだから親しくしてやんなくもないけど…」
つい、と怒ったようにそっぽを向く。その様子すら可愛らしい。
和宏ほどの容姿なら、決して言われ慣れぬことでは無いだろうに。

「とにかく!家族や兄弟がいないなら俺達がなってやる、そう言っといてよ。俺は、鞍みたいな兄貴欲しいからって」
赤くなったのが照れくさいのか、こちらを見ずに和宏は言いながら立ち上がった。
友達を通り越して兄貴とは…随分と思い切った事を言うものだな、と思いつつも、
「必ず伝えるよ」
すでに歩き出した背に返した。

「お茶、ごちそうさま!」
返事の代わりに言い残した後、和宏は小走りに境内を横切っていった。
後ろ姿を見送りつつ、少年の持つ気の実体を改めて考慮する。

…或いは…光、か。
妖という存在が運命のように抱え持つ闇でさえも、照らし出す光。
鞍の事だ、もしかしたらその眩さに最初は目を背けるかも知れない。だが…俺では与えられなかった何かを…その光がもたらすこともあるだろう。

そして同時に、俺自身の闇をも…もしかしたら。
ふと、そんな夢想をした。

まさか、な。
自分が持つ闇は、鞍が過去から引きずっているものなどとは格が違う。それよりも遙かに根深く、濃い。深い地中のような闇だ。そこに届く光など…

しかし。
手探りさえままならぬどんよりとした澱みに、淡い灯明が差し込んだ、そんな思いが、した。
まるで黒色の夜空に、ただ一つの星が煌めいたかの如く…。
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「だ、そうだ」
ケーキを突きながら、苦笑混じりに慈玄が言う。
「……馬鹿馬鹿しい」
どうやら俺の居ない間に、弟の方がわざわざここを訪ねて来たらしい。
全く、本当にお節介な奴等だ。

和宏のようなタイプなら、学校にも友人が沢山いるだろう。
俺みたいな捻くれ者を構う理由など無いはずだ。
ましてや、兄弟になる、だと?
冗談も大概にして欲しい。そんな事を言い出したら、孤児は皆兄弟にしなくてはならない。

「そうか?ありゃあ結構本気に見えたぜ?ま、俺も正直驚いたが…」
和宏が持ってきたケーキは、しかし美味いと思った。
微かにオレンジの香るココアシフォンケーキだった。甘さもくどくない。
フォークを押しつけてもふんわり押し返される弾力は、こっちがいくら突き放しても付きまとってくる兄弟の様子を思わせる。
しかもそれに、心地よささえ感じてしまうのがまた癪に障る。

「せめて、もう一度くれぇ会って話してみたらどうだ?兄弟は行きすぎにしても、友達くれぇにはなれるかもしれねぇぜ?」
友達?そんなもの、欲しいと思った事はない。
他人と必要以上に関わり合うのは面倒なだけだ。大体において、たまたま出会って興味を抱いたとしても、それは持続するものではない。
…飽きれば、あっという間に離れてしまう。そんな関係など、いくら築いても空しさしか残らない。

けれど。
光一郎に会って同じような話をされた事は、慈玄には打ち明けられずにいた。

…こいつは一体、俺がどうなれば満足するというのだろう。

「な、鞍…」
そんなことをつらつらと考えていると、普段より低い声で、慈玄が切り出した。
こいつがこういう声で話すときは、大抵下らない説教だ。
うんざりしながら、黙ってケーキを口へ運ぶ。
「無理に誰かと関われ、とは言わない。だが、接してみねぇと分からない事だって結構あると思うぜ?お前が自分の考えを改めなくても、それごと受け入れてくれる奴だって中には居るかもしれねぇ。…俺は、そうしたいつもりだったけどな?」
ふ、と妙に寂しそうな顔をする。こいつのこんな表情は本当に卑怯だ。
「じゃあそれでいいじゃねぇか。別に俺は、ここを出るつもりはねぇよ、…今は」
「いや…むしろ、出てってくれても構わねぇんだぜ?」

そう言われて、少し驚く。…なんだ…結局こいつも俺に愛想が尽きたのか。
「いいか鞍、別にお前を見捨ててこういう事を言うんじゃない。だがな、お前がこの寺に来てくれたのだって、ひとつの可能性だったわけだろ?ならば、その可能性を広げる事だって出来るはずだ。お前はここへ来て、俺のことを知った。だったら他の奴のことを知れば、別の何かだって見えるかもしれねぇ…違うか?」
そう言ってくしゃりと髪を撫でる。ガキじゃあるまいし止めろというのに、時々慈玄はこんな風に俺の頭を撫でた。

…はからずも、光一郎の手を思い出す。
「もし、何も見えなかったら…何時でもここに戻ってくればいい。そんで、何回でもやり直してみりゃいいんだ」
慈玄の言葉に、俺は何の反応も出来ずにいた。

分かっては、いた。
慈玄も、稲城も、光一郎も、和宏も…いや、これまでに出会ったあらゆる相手の中にも…こうして俺を気遣い、優しい言葉をかけてくれる人は、いた。
しかし、受け入れるのが怖かった。受け入れた途端、それを手放せなくなりそうな自分にも気付いていたから…そんなことをしたら…もう二度と、一人で歩くなど出来そうにない事も知っていたから。

情けない。酷い臆病者だ。

「とにかく、もう一回会ってみろよ。俺も伝えると約束した手前、無反応って訳にもいかねぇだろ?」
「…ごちそうさま」
空になった自分の皿を持ち、何も答えられないまま俺は居間を出た。慈玄の軽い溜息がかすかに聞こえた。
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バイトの帰り道、再び桜街の学校前を通る。
何かを期待した訳ではない。単に、通勤路だっただけだ。

先日と何ら変わることなく、生徒達が通り過ぎる。…そう、何が変わるわけではない。
アパートでの一人暮らしから生活費の節約のために慈玄の寺へ転がり込んだが、俺の日常は何一つ変わっていない。
ただ漠然と働き、食事をし、眠り、また朝が来る。
何日何ヶ月何年経とうと…きっと同じ事の繰り返しなのだ。

…それでいいではないか。
嬉しくも楽しくも無い代わりに、辛くも悲しくもない。
他人との関わりなど持たなければ、余計な感情に振り回される事もない。
今のままで十分だ。改めて、そう思い直そうとした。

一月の寒風は、冬が永遠に続くのではないかという錯覚を抱かせる。
マフラーを巻き直し、歩き出す。

学校からひとしきり往くと、木々が延々と立ち並ぶ公園の柵沿いに出る。
そこがかの「桜公園」だということは、何度か通ううちに知った。
春になれば陽を遮るほど花開き、葉が茂るであろう枝々も、今は骸骨みたいな細い茶色が格子状に重なっているだけだ。
底冷えするこの時期は、人影も少ない。

公園の脇には、洒落た店舗が連なっている。
暖かくなれば女性やカップルで賑わうであろう、雑貨屋やレストランやカフェ…。

…かたん。
というささやかな音を立て、一軒のカフェの看板が強風に倒れた。
何気なく拾い、イーゼルに戻す…と、そこに書かれた文字に目が行った。

『季節のケーキ・オレンジココアシフォン』

「あー!すみません!!…あれ…」
音に気付いたのだろう、ギャルソン姿の大きな瞳の少年がドアを開け、こちらを見た。

「鞍…?」
和宏がバイトしている店というのはここだったのか。我ながら面倒なことをしてしまった、と思った。
奴は満面の笑みを浮かべ駆け寄り、すっと俺の手を取る。
「それ、こないだ俺が持って行ったケーキだよ。慈玄からちゃんと渡った?」
「あ…あぁ。美味かった」
「そう!よかった!!」
自分が手作りしたもののように、嬉しそうにそう言う。
「うん…」
一応頭を下げると、更に花がほころんだような笑顔を見せた。
…どうしてこいつは、些細なことでこんなにも笑えるんだろう?

「な、折角来たんだし、ちょっと寄ってかねぇ?他のケーキも美味いぜ、ここの」
「…いや…」
「いいじゃん。時間あるならさ、お茶くらいなら奢るし。な?」
握ったままの手を離さず、店の中へ連れ込もうとする和宏。実際今日はもう寺へ帰るだけの俺は、抵抗のしようもない。嘘を吐いて逃れる暇もなかった。


ガラス扉の上方についたベルがカラン、と乾いた音色で鳴る。
中に入り、まず目に飛び込んできたのはショーケース。
…そこだけ、春が先回りしたかのような。
色とりどりの果物で飾られたケーキの横列は、まるでガラスで仕切られた世界に広がる花畑だ。
ブラウンのグラデーションも一角に陣取っていて、そういえば来月はバレンタインという日もあったなと思い出す。

普段ならば気にもかけない色彩に目を奪われている余裕もなく、和宏は俺を奥へと導く。
フローリングの空間に、ゆったりした間隔でテーブルと椅子が並べられているカフェスペースだ。
冷気に強ばった身体が、暖房のぬくもりで弛緩する。
ガラス張りの外の景色は、くすんだ曇り空だったが。

「外、寒かっただろ?ここ座って、少しあったまれよ!」
そこでやっと手を離した和宏が言った。
強引なところは血の繋がりは無くとも、兄弟そっくりだな…
ぼんやりとそんなことを考え、言われるがままに席に着く。

周囲を見回してみる。客は疎らだったが、数人の店員がくるくると働いていた。
何故か、やたら楽しそうに。
「コーヒーでいい?それとも紅茶?」
「…あ、コーヒーで…」
和宏もまた、軽やかにホールを駆け回っている。
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やがて、目の前にコーヒーと…ケーキが運ばれてきた。

「…あ、俺ケーキは…」
「コーヒーは俺の奢り。そっちは…先輩が持っていけってさ」
目の前の相手が首を回して、送った視線をつられて追う。その先に見えた厨房スペースのハッチに顔を覗かせていた、光一郎と同い歳くらいのややがっしりとした男性と目が合った。にこりと笑って軽く会釈する。
こいつの級友か何かだと思われたのだろうか、と思うと変に気まずい。

決まりが悪くなってすぐに目を逸らし、ケーキにフォークを入れる。
たっぷりと苺が載った、見た目も鮮やかなベリータルトだ。
赤い宝石のようにコーティングされた苺が綺麗だった。

「…うん…美味い…」
「だろ?」
和宏は向かいの椅子に腰掛けると、切り取った一片を口に運ぶ俺を見ていた。
そんな様子も、兄弟そっくりだ。

「いいのかよ。仕事中だろ?」
「ここはそーゆうこと煩く言わないんだ。客も少ないし、少し話してきていいってさ」
ずいぶんと緩い職場があったもんだな。ついそんな皮肉が漏れる。

「な、俺もうすぐ上がるし、家で夕飯食ってけよ。兄貴もすげぇ喜ぶ」
「…いいよ、別に…」
「そう言うなって。慈玄言わなかった?俺、鞍みたいな兄貴欲しいしさ。あの兄貴だけじゃ頼りなくって」
本気なのか冗談なのか、くすくす笑いながらそんなことを和宏が言う。
「馬鹿言うなよ。兄貴とか…そんな簡単なもんじゃねぇだろ?」
「そりゃあ、正式な事を考えたら簡単じゃないよ。けど、俺が兄貴だって思えば、鞍だって兄貴同然だよ」
言ってる事が無茶苦茶だ、そう窘める。しかし和宏は全く臆さず
「俺、結構頑固だからさ、決めたら実行しないと気が済まないんだよね」
どういう自信なんだかきっぱりとした口調で告げて、また笑う。
…やっぱり無茶苦茶だ。

「…な、ごっこだっていいじゃん。俺は、鞍のこともっと知りたい。そんで、仲良くなりたいんだ」
「……は?」
「鞍、このケーキ美味いって思ったんだろ?だったら何も感じない訳じゃない…美味いもの食って美味いって思うだけで、なんか嬉しくねぇ?」
そんなん当たり前だろ?…言い返そうと思ったが、何故か言葉には出来なかった。
そんな当たり前のことが、当たり前に出来ていない自分に気付いた。…一体いつから、自分はそうだったんだろう。

何の反論も出来ず、タルトの苺を弄んでいると、やたらと騒がしい客が入って来た。
「和ー、今日もケーキ食べに来たよー!…って、あれ、鞍君?」
「兄貴食い過ぎだから!マジで太っても知らねぇぞ?」
「えー!俺にも苺タルトー!」
「今日はダメ!」

兄弟の会話は店中に響き渡った。はた迷惑な、と感じたのはどうも俺だけらしい。
店員も客も、ただ微笑ましそうに眺めているだけだ。

「いつもの事だからな?」
俺の気持ちを読んだように、先程の男性店員がいつの間にかテーブル脇に来て言い、コーヒーをサーバーから注ぎ足してくれていた。
落ち着いた時間を過ごしたいカフェで、常にこんな感じなのは困るだろうに…と苦言を呈したい気分だったが、どうしても言うに言えない。

「和宏、今日はもういいから上がれ。飯、作るんだろ?」
店員は和宏に近づくと、そう言いながら頭に手を置き、微笑んだ。
「はい!ありがとうございます先輩!!」
「釈君ー、俺のケーキは?」
「和宏にダメだって言われたろ?」
「ええっ?!」

彼等のやりとりを眺めつつ、どうにも自分が今まで生きてきた場所とは別世界に迷い込んでしまったような、そんな錯覚を覚えた。
些細な事で笑っているのは、和宏だけでは無かった。光一郎も、この店の店員達も、ごく自然に笑い合う。
…いや、もしかしたら俺が気付かなかっただけで、慈玄も稲城も…施設の連中もそうだったのかも知れない。

「…俺は…俺も、この中に入れるんだろうか…」
そんな独り言が唐突に口から溢れ、言った自分が何より驚いた。
「入れるに決まってるでしょ?…鞍君は、感情を持ってないわけじゃないんだから」
そしてその独り言を、光一郎が拾った。

─可能性なら、広げられるだろ?

慈玄の言葉が頭を掠める。
今はまだ…異空間のように感じるこの場所が…俺にとっても「当たり前」となり得るのだろうか?
その「可能性」に、身を任せてみてもいいのだろうか?

苺にフォークを刺し、口に転がす。
甘酸っぱい果実は、やがて訪れる春を教えてくれる気がした。

立ち枯れているように見える桜も、幹の中で芽吹く準備をしている。
何かが少しずつ、俺自身も気付かぬ程度に動き出していた。
それは、季節が移り変わっていくように…。

(完)
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第一章 ヒトツボシ 後編
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一緒?何を言っているのかよく分からなかった。

あんたには、ちゃんと弟がいるだろう?そう言うと、光一郎は首を横に振った。
「俺はね、ホントは宮城家の実の息子じゃないんだよ。養子なの」
「…そう…なのか?」
「うん。驚いた?」
それに答えず、俺はまじまじと光一郎の顔を見ただけだった。
本当に、驚かされてばかりだ。

「といっても、大分小さい頃からお世話になってるから、鞍君とは状況が違うかも知れないけど…」
くすっと笑って、光一郎は続けた。
「もちろん、最初は慣れなかったよ?突然新しい家族が出来た、って言われてもね。けど、和が懐いてくれてね…」

里親が見付かってその家に貰われていく子供は、俺の在籍していた施設にも当然いた。
とはいえ所詮は血のつながりの無い親子…ましてその家に「実の子」がすでにいる場合特に…親密な関係を築くには相当の時間がかかるのではないだろうか。
今の光一郎に、そんな鬱屈は微塵も見えない。俺がまだ、こいつの表面的な部分しか知らないからかもだが。
反面、あの夜の和宏の態度…ほぼためらいもなく俺を家に入れ、馴れ馴れしすぎるほど話し掛けてきた…を思い返すと、貰われ子という意識が柔和させられるのもさもありなん、とも思える。

「でも…あんた達、すっげぇ仲良いみたいだったし…」
「徐々にだよ。初めからああじゃなかった」
そう言う光一郎の瞳の中に、ほんの僅かに寂しげな色が滲んだ気がした。…気がしただけかもしれない。

「鞍君見てるとさ、あの頃の俺をちょっと思い出すんだよね」
瞳の気配はすぐにかき消え、光一郎はまたにっこりと笑った。
その頃のこいつの状態など、こうして見る限り想像も付かない。

もしも幼いときに、俺に引き取り手が見付かって、同じようにどこかの家族の一員となる、なんてことがあったら。
現在のように、他人を拒み続けたりはしなかっただろうか。
…いや、それも今となっては考えられない。
俺は施設でも浮いた存在だったのだ。環境が変わっても、心の奥の虚無感はそう簡単に消え去ったりしないはずだ。

…だとしたら。もしかしてこいつも…
そんな妄想が頭を過ぎりかけたので、慌てて自身で否定する。
そこまで目の前の人間を詮索する趣味は無い。

らしくもない思案を打ち消すように、光一郎の言葉にも異議を唱える。
「まさか。同じ孤児だったからって…気のせいだろ?」
「ふふ…そうかもね」

からかわれているのかとも思った。
が、少しだけ…この軽そうでへらへらした男が、見た目とは裏腹に色々なものを背負ってるのかも知れない…そんな思いが脳裏を掠め始めた。

急に黙りこくって俯いた俺を、光一郎は一瞥すると
「…笑うこと…忘れちゃってるんだね、鞍君は」
ぼそり、と呟く。

独り言だろうかと思ったが、たとえ俺に投げかけたものだとしても、どう返答して良いか見当も付かなかった。
…忘れているのだろうか。それとも最初から、笑うことなど知らないのだろうか。
自分でも分からない。
楽しいとか嬉しいと思った記憶がまるで無い。ただ、気付けば歳を重ね、何となくここに生きてる。
それだけの認識しか無かった。

俺は返事に完全に詰まったまま。…しばしの静寂が流れる。

「クレープ食べるの、付き合ってくれてありがと」
ベンチから唐突に立ち上がり、光一郎が言った。まるで今までの話など無かったように。
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「あ…いや。美味かった、よ」
なんでまたこいつと関わらなきゃならないのかと、あんなに思っていたのに…。
すんなりとそう返していた自分に、自分でも驚いた。

更に驚いたことに、俺の言葉に光一郎は、この上ない程喜ばしい事があったような笑みを浮かべる。

「よかった…また鞍君に会えて。一緒にクレープも食べられて…」
その様相が心の底から嬉しそうなので、俺は逆に不審さえ感じる。

なんで光一郎は、俺と再会したことをこんなに喜ぶのか。
巻き添えを食って怪我までして、その上大した礼もせず、にべも無い態度をとった相手に対して。

そうだ、本来ならば御馳走でもしなければならないのはこちらの方なのだ。
何か要求しても然るべき…なのに、たったこれだけのことで…。

何故か、空恐ろしさを感じる。
無論光一郎に、ではない。自分自身の心理に…だ。

他者と打ち解けず、他者を受け入れず、俺は独りなのだと突っぱねてきた。
社会にとっても、誰かにとっても、自分は「必要の無いもの」なのだからと。
生まれた直後に、顔も名も知らぬ親に捨てられた時から…否、もっとずっと前から…。
「存在していてもなんの意義も無い存在」
単にそれに嘆く価値も、認めて自身で始末をつける意気地もないだけの。

そんな俺と出逢えたことを、再会したことを、光一郎は喜んだ。
何も出来ない、してもいない…それどころか迷惑のみをかけられた奴を。
訳知り顔で擦り寄ってくるのは、何かしらの利得を見越しているからだ…それも痛いほど身に沁みていた。

けれど…それでも…

「ねぇ、鞍君」
光一郎はおずおずと、声と手を同時に出す。
大して歳など違わないはずなのに、やけに大きく思える掌が、俺の髪をふわりと撫でた。

「また家においでよ。一緒にご飯でも食べよ?」
「なにそれ。同情かよ」
「違うよ。俺がそうしたいの。鞍君さえ嫌じゃなければ…ね?」
顔を上げると、光一郎はやはりバカみたいな笑顔でそこに立っていた。
…それを見て…ふと泣きたいような気分になっている事に気付いて、酷く動揺した。

「俺さ、一目惚れしちゃったんだよね、鞍君に。だから…笑うの思い出す手伝い、したいな」
「…は?」
何言ってんだ、男だぞ、俺は。そう反論するのさえ、どうしてか阻まれた。胸が痛んだ。
「…うん…」
苦しいような切ないような…今まであまり感じたことのない心の動きだった。
何故頷いたのか、自分でも理解できない。

送るよ、という光一郎の申し出を断り、そのまま公園で別れた。
やたらと己が情けなく、みすぼらしく感じた。

こんな、生きている意味さえ掴めず、ただあやふやに生きている俺を気にかけて貰うなど、畏れ多いような歯痒いような、そんな思いだった。
ただの気紛れかもしれないし、冗談かも知れない。社交辞令、ちょっとした同情…。
とにかく、真に受けていいわけがない。
にも関わらず、あの手の温もりに縋り付きたくなっている自分が確かに居る。

求めては、いけない。求めれば馬鹿を見るのは自分だ。
わかっているはずなのに、どんなことよりも「それ」を求めてやまないのも自分ではないか、と思う。
それが無性に腹立たしく…腹立たしいと感じていることもまた嫌悪した。

辺りはすっかり夕闇に包まれ、木々の輪郭は曖昧に背景と溶け込んでいる。
クレープ屋のワゴンもいつの間にか姿を消していた。
自分が今、どんな顔をしているのかさっぱり分からぬまま、惰性のように寺に向かって歩き出した。
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◇◆◇

冬晴れの日が続いていた。
陽がある場所は暖かく感じるものの、時折身を切るような冷たい風が吹く。
春の訪れを感じるには、もう少々時間がかかるだろう。…特に、人間には。

この寺の「住職」という立場におさまって、早どれほどの年月が過ぎたのか。あっという間だった気もするし、
記憶を巡らすのも億劫なほど永い気もする。

慈光院の前住職は夫婦でここに住んでいたが(現代では妻帯する僧侶も少なくないらしい)、後継者に恵まれず、本山から、という名目で俺が住まう事となった。
特に厳重な縁起がある寺では無いが、数百年程前から此処に存在していることは確かだ。たとえ管理者の役割だけでも、受け継ぐ者は必要ではあっただろう。
もちろん疑われる事も考慮し、それなりに下調べも手回しもしてきたが、既に伴侶に先立たれていた住職は気の良い人物で、ほとんど何も訊かず俺を受け入れてくれた。
その住職が身罷り、事実上俺が役目を引き継いだ。

我々妖は、野生動物と同じようなものだ。人間達の開発が進めば、住む場所を追われる。
天狗の山は何とか結界を張り、人間の入り込めない領域を確保しているところも多いが、それでも昔に比べれば実に細々としている。
だから、ある程度の力を有する妖は、人間に化け、同化し、彼等の生活する下界で暮らしている。人間達はそれを知らないだけだ。

…もっとも。
俺が下界に下りているのには別に理由がある。かつて、死なせてしまった愛する者を保護する為に、だ。

あいつと初めて会ったのは、今よりずっと遠い昔…あいつがまだ、「烏天狗」と呼ばれるモノ、だった頃のこと。
大山である高尾の長、高尾坊とは古い付き合いだが、その高尾坊が山中散策の折、偶々拾ったと俺に紹介したのがそもそもの出会いだ。
その時はまだ子烏で、人間に化けるのも不完全な状態だった。しかし子供ながらに努力家で、真摯に修行に励んでいた。

とはいえ長自らが子烏一匹にかまけている余裕は無い。
他の天狗共に贔屓目していると思われても厄介だろう。
高尾坊は、腹心の稲城にあいつを預け、見守るだけに留め置いた。

…だが、人の世と同じく、集団においての風聞はどこからともなく漏れ聞こえてしまう。
高尾坊は無論特別扱いなど一切していないが、あいつが元来熱心で、術などの上達も早かったのが却って裏目に出た。
小さな烏は、境遇を妬まれ影ながら折檻を受けていた。

それでもあいつは泣き言ひとつ言わなかった。
ただひたすら「立派な天狗になる」という希望だけを懐いて。
山神を守護する役目もある天狗は、あいつにしてみれば憧れだったのだろう。
ところが…とある事件を切欠に、あいつはその幻想を打ち砕かれることになる。
そして掟を破り、山を出た。

暫く後に再会したあいつは、生きる目的をすっかり失くしきっていた。
人間達の動乱の裏で、妖達もまたその頃戦禍となり…死に場所を求めたあいつもそれに飛び込んだ俺も深手を負った。
それも沈静し、ささやかでも生きる道標を与えられたらと迦葉へ連れ帰ったのだが……まさかあんなことになろうとは。

当然だが、当時のあいつと今現在を生きるあいつの意識は最早別物だ。
従って今更、俺に何が出来るという訳でもないが。
だとしても、転生してまで不遇の目に会わせるのは忍びない。せめて、それなりに幸せになって貰いたい、とは願う。
迦葉の長である中峰は未だにそれさえも忌々しく思っているようだが、元はといえばその中峰が蒔いた種だ。少しくらいは大目に見て貰う権利がある。
無事、あいつの行く末を見届けられたら…今度こそ、山に戻り罪を償う覚悟もしていた。

果たしてあいつ…鞍は、未だ迷走の最中にいた。
生まれ変わっても尚自らの存在意義を見失い、周囲を全く信用することが出来ず、ただ漠然と日々を過ごしている。
取り敢えずこの寺に引き取り共に暮らしてはいるが、今も感情の動きすら多く表さない。
相手を拒否し、意味もなく敵意のみを向ける。
無気力ながらも生活の為に働くことはしているが、必要以上の人間関係は持たないらしい。

─この現代社会は、それでも成り立ってしまうのだからな。
今まで鞍の面倒を見てきた稲城も嘆息していたが、俺自身、正直どうしたら鞍が変われるのか…愛情というものを覚えてくれるのか見当も付かず、甚だ困惑してもいた。

…ま、焦っても仕方ねぇか。
そう思い、半年ほど同居を続けていた。
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◇◆◇

陽は未だ短い。午後には最早翳っているようにも見える。
年越しの際…とまでは言わずとも、法事でもあれば多少人の出入りはあるものの、通常寺を訪れる者は少ない。
昼過ぎとなれば余計だ。
寒さのせいでことさら閑散さが際立つ境内を、俺は細かな枯れ葉をかき集めるようにして掃き清めていた。

すると、門柱の辺りからこちらを伺っている気配に気付く。
自分がここの住人となってから、一応寺の周囲に簡単な結界は張っている。
だが、視線の主はそんなものがなくても即刻気付く…物の怪はもとより、人間の生業で言うところの刑事や調査員といったものでさえあり得ない…謂わば、ただの「子供のかくれんぼ」のようなものだった。

野鼠のような丸い瞳が、きょろ、と動く。何か…誰かを探しているようだ。
「…鞍なら、バイトでいねぇぜ?」
我知らずくす、と忍び笑いが漏れ、隠れていた野鼠に声をかける。

可愛らしい来客は、気付かれていないと思ったのだろう…遠目からも判る程びくり、と肩を跳ね上がらせた。
「…あ。ごめんなさい…」

恐縮して姿を見せたのは、先日鞍を送ってきた兄弟の弟の方だ。
それこそ、子鼠か子兎のような愛くるしい顔つきをしている。
…まぁかつての自分ならば、すぐにでも目を付けただろうな。そんなことを自虐的に思う。

「あいつに何か用か?」
「あ、いえ!怪我、どうしたかなと思って…。それと…」
そこで口ごもり、やや目を逸らす。

「それと、何だ?」
「…なんでもないです。…あ、これ、俺のバイト先のケーキ。よかったら鞍に、って思って」
恐る恐る言って、小さな箱を差し出した。

おそらく、あいつが素っ気ない態度を取ったので自らに非があるとでも思ったのだろう。
その詫び、というところか。鞍の態度だけ見ていれば、そう取っても無理はない。

「そうか、ありがとな?渡しておくよ」
両手で箱を受け取る。
手数をかけたのはむしろこちらの方なのだが。

「ま、茶でも淹れるから少し上がってけよ。今日はまだ明るいしな?」
「…え」
「縁側に腰掛けるくれぇなら問題ねぇだろ?ちょっと待ってな」
そう言い、座るよう促す。

急須と湯呑みを縁側まで運び、茶を淹れてやる。
野鼠のような少年は、こくり、と美味そうに啜った。
「はぁ…」
「悪ぃな。別にあいつぁ、お前等を避けたわけでも迷惑がったわけでもねぇとは思うんだが」
自分の非力もあって、たまたま関わり合った少年にまで気を遣わせてしまった事が何だか申し訳なく、ついそんなことを溢した。
「え。ああ、うん…大丈夫」
にこり、と笑いつつ野鼠が返す。

野鼠、というのも失礼か。それにしても近くで接すると、実に変わった気を持っている事が分かる。
これでも長いこと妖として生きてきた身、下界慣れしてしまったとはいえ、今を生きる人間の前世や持っている気質などは大体判断出来る。当然、人間に化けた妖などはすぐに見分けられる。
見てくれは非常に愛らしいが、至って平凡な性質であろうこの少年の奥底に、微かではっきりとは分からないがとにかく若干異質な気が潜んでいるのに気付いた。
…聖職、に近い。僧侶か、神主か、巫女か。

「どうかした?」
「あぁ、いや。…宮城、と言ったな。下の名前は?」
「和宏。兄貴の方は光一郎」
話す様子も、この現代で今まで俺が目にした十代の少年と何ら変わるところはない。
故に、その僅かに感じる気は、少なからず違和感を伴った。
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「…なぁ…鞍って、全然笑わねぇのな。いつもああなの?」
「ん?まぁ…な。お前達みてぇに、仲の良い兄弟でもいりゃあ違ったのかもしれねぇけどな?」
「ふうん…。なんかさ、あいつ見てると、兄貴がうちに来た頃思い出すんだよな…周囲に馴染めない、っていうかさ」
「家に来た…頃?あの兄ちゃんはお前の本当の兄貴じゃないのか?」

少し、意外な気がした。それにしては随分と仲が良さそうだったが。
「うん、うちの母さんが連れてきたんだ。兄貴のほんとの両親は、事故で亡くなったって…」
過去を懐かしむように遠くを見つめ、和宏が言う。
「初めてうちへ来た頃はさ、笑い方もぎこちなくて…俺は兄貴が出来たのすっげぇ嬉しくて、いっつもくっついて歩いてたけど、兄貴は鬱陶しかったんじゃないかな」

成る程。それならば兄の方は、鞍と境遇が似ているのかも知れない。

「兄貴は今となってはあの通りで、逆にうざいくらいだけど」
苦笑しながら、はにかんだように言う。
「だから鞍とも出来れば仲良くなりたい、って思ったんだよな。そんなふうに相手を拒否って生きてたら楽しくねぇだろ?…鞍にしてみれば余計なお世話かもしれないけど」
「…いや…そいつぁ有難ぇな…」
思わず、感謝の言葉が口を吐く。
もしかしたら…この兄弟との出会いは、あいつの現状を打破する大きな切欠となり得るのかも知れない。そんな予感を懐かせた。

…と同時に、俺自身がこの和宏という少年に興味を持った。
昔の血が騒いだというわけでも無いだろうが、何か…無意識のうちに渇望して止まなかったものを、この少年が裡に持ち合わせているような気がした。
それが、彼の根底にある異質な気と関わりがあるのか無いのか、この時はまだ良く分からなかったが。

「そういう訳だからさ、俺がまた会いたがってたって伝えてよ。ウチの両親今海外にいて、俺と兄貴の二人だけだからいつ遊びに来てくれてもいいって。あ、俺がまたここに来てもいいけど」
「ああ、分かった。…ってか、そういう事なら是非俺とも仲良くして欲しいもんだな。可愛い子はこっちも何時でも大歓迎だ」

茶化すように言うと、和宏は面白いほどみるみる頬を紅潮させた。
「なっ、何言ってんだよ!俺男だし、別に可愛くなんかねぇっての!!…まぁ、鞍と一緒にいるんだから親しくしてやんなくもないけど…」
つい、と怒ったようにそっぽを向く。その様子すら可愛らしい。
和宏ほどの容姿なら、決して言われ慣れぬことでは無いだろうに。

「とにかく!家族や兄弟がいないなら俺達がなってやる、そう言っといてよ。俺は、鞍みたいな兄貴欲しいからって」
赤くなったのが照れくさいのか、こちらを見ずに和宏は言いながら立ち上がった。
友達を通り越して兄貴とは…随分と思い切った事を言うものだな、と思いつつも、
「必ず伝えるよ」
すでに歩き出した背に返した。

「お茶、ごちそうさま!」
返事の代わりに言い残した後、和宏は小走りに境内を横切っていった。
後ろ姿を見送りつつ、少年の持つ気の実体を改めて考慮する。

…或いは…光、か。
妖という存在が運命のように抱え持つ闇でさえも、照らし出す光。
鞍の事だ、もしかしたらその眩さに最初は目を背けるかも知れない。だが…俺では与えられなかった何かを…その光がもたらすこともあるだろう。

そして同時に、俺自身の闇をも…もしかしたら。
ふと、そんな夢想をした。

まさか、な。
自分が持つ闇は、鞍が過去から引きずっているものなどとは格が違う。それよりも遙かに根深く、濃い。深い地中のような闇だ。そこに届く光など…

しかし。
手探りさえままならぬどんよりとした澱みに、淡い灯明が差し込んだ、そんな思いが、した。
まるで黒色の夜空に、ただ一つの星が煌めいたかの如く…。
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◆◇◆

「だ、そうだ」
ケーキを突きながら、苦笑混じりに慈玄が言う。
「……馬鹿馬鹿しい」
どうやら俺の居ない間に、弟の方がわざわざここを訪ねて来たらしい。
全く、本当にお節介な奴等だ。

和宏のようなタイプなら、学校にも友人が沢山いるだろう。
俺みたいな捻くれ者を構う理由など無いはずだ。
ましてや、兄弟になる、だと?
冗談も大概にして欲しい。そんな事を言い出したら、孤児は皆兄弟にしなくてはならない。

「そうか?ありゃあ結構本気に見えたぜ?ま、俺も正直驚いたが…」
和宏が持ってきたケーキは、しかし美味いと思った。
微かにオレンジの香るココアシフォンケーキだった。甘さもくどくない。
フォークを押しつけてもふんわり押し返される弾力は、こっちがいくら突き放しても付きまとってくる兄弟の様子を思わせる。
しかもそれに、心地よささえ感じてしまうのがまた癪に障る。

「せめて、もう一度くれぇ会って話してみたらどうだ?兄弟は行きすぎにしても、友達くれぇにはなれるかもしれねぇぜ?」
友達?そんなもの、欲しいと思った事はない。
他人と必要以上に関わり合うのは面倒なだけだ。大体において、たまたま出会って興味を抱いたとしても、それは持続するものではない。
…飽きれば、あっという間に離れてしまう。そんな関係など、いくら築いても空しさしか残らない。

けれど。
光一郎に会って同じような話をされた事は、慈玄には打ち明けられずにいた。

…こいつは一体、俺がどうなれば満足するというのだろう。

「な、鞍…」
そんなことをつらつらと考えていると、普段より低い声で、慈玄が切り出した。
こいつがこういう声で話すときは、大抵下らない説教だ。
うんざりしながら、黙ってケーキを口へ運ぶ。
「無理に誰かと関われ、とは言わない。だが、接してみねぇと分からない事だって結構あると思うぜ?お前が自分の考えを改めなくても、それごと受け入れてくれる奴だって中には居るかもしれねぇ。…俺は、そうしたいつもりだったけどな?」
ふ、と妙に寂しそうな顔をする。こいつのこんな表情は本当に卑怯だ。
「じゃあそれでいいじゃねぇか。別に俺は、ここを出るつもりはねぇよ、…今は」
「いや…むしろ、出てってくれても構わねぇんだぜ?」

そう言われて、少し驚く。…なんだ…結局こいつも俺に愛想が尽きたのか。
「いいか鞍、別にお前を見捨ててこういう事を言うんじゃない。だがな、お前がこの寺に来てくれたのだって、ひとつの可能性だったわけだろ?ならば、その可能性を広げる事だって出来るはずだ。お前はここへ来て、俺のことを知った。だったら他の奴のことを知れば、別の何かだって見えるかもしれねぇ…違うか?」
そう言ってくしゃりと髪を撫でる。ガキじゃあるまいし止めろというのに、時々慈玄はこんな風に俺の頭を撫でた。

…はからずも、光一郎の手を思い出す。
「もし、何も見えなかったら…何時でもここに戻ってくればいい。そんで、何回でもやり直してみりゃいいんだ」
慈玄の言葉に、俺は何の反応も出来ずにいた。

分かっては、いた。
慈玄も、稲城も、光一郎も、和宏も…いや、これまでに出会ったあらゆる相手の中にも…こうして俺を気遣い、優しい言葉をかけてくれる人は、いた。
しかし、受け入れるのが怖かった。受け入れた途端、それを手放せなくなりそうな自分にも気付いていたから…そんなことをしたら…もう二度と、一人で歩くなど出来そうにない事も知っていたから。

情けない。酷い臆病者だ。

「とにかく、もう一回会ってみろよ。俺も伝えると約束した手前、無反応って訳にもいかねぇだろ?」
「…ごちそうさま」
空になった自分の皿を持ち、何も答えられないまま俺は居間を出た。慈玄の軽い溜息がかすかに聞こえた。
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◆◇◆

バイトの帰り道、再び桜街の学校前を通る。
何かを期待した訳ではない。単に、通勤路だっただけだ。

先日と何ら変わることなく、生徒達が通り過ぎる。…そう、何が変わるわけではない。
アパートでの一人暮らしから生活費の節約のために慈玄の寺へ転がり込んだが、俺の日常は何一つ変わっていない。
ただ漠然と働き、食事をし、眠り、また朝が来る。
何日何ヶ月何年経とうと…きっと同じ事の繰り返しなのだ。

…それでいいではないか。
嬉しくも楽しくも無い代わりに、辛くも悲しくもない。
他人との関わりなど持たなければ、余計な感情に振り回される事もない。
今のままで十分だ。改めて、そう思い直そうとした。

一月の寒風は、冬が永遠に続くのではないかという錯覚を抱かせる。
マフラーを巻き直し、歩き出す。

学校からひとしきり往くと、木々が延々と立ち並ぶ公園の柵沿いに出る。
そこがかの「桜公園」だということは、何度か通ううちに知った。
春になれば陽を遮るほど花開き、葉が茂るであろう枝々も、今は骸骨みたいな細い茶色が格子状に重なっているだけだ。
底冷えするこの時期は、人影も少ない。

公園の脇には、洒落た店舗が連なっている。
暖かくなれば女性やカップルで賑わうであろう、雑貨屋やレストランやカフェ…。

…かたん。
というささやかな音を立て、一軒のカフェの看板が強風に倒れた。
何気なく拾い、イーゼルに戻す…と、そこに書かれた文字に目が行った。

『季節のケーキ・オレンジココアシフォン』

「あー!すみません!!…あれ…」
音に気付いたのだろう、ギャルソン姿の大きな瞳の少年がドアを開け、こちらを見た。

「鞍…?」
和宏がバイトしている店というのはここだったのか。我ながら面倒なことをしてしまった、と思った。
奴は満面の笑みを浮かべ駆け寄り、すっと俺の手を取る。
「それ、こないだ俺が持って行ったケーキだよ。慈玄からちゃんと渡った?」
「あ…あぁ。美味かった」
「そう!よかった!!」
自分が手作りしたもののように、嬉しそうにそう言う。
「うん…」
一応頭を下げると、更に花がほころんだような笑顔を見せた。
…どうしてこいつは、些細なことでこんなにも笑えるんだろう?

「な、折角来たんだし、ちょっと寄ってかねぇ?他のケーキも美味いぜ、ここの」
「…いや…」
「いいじゃん。時間あるならさ、お茶くらいなら奢るし。な?」
握ったままの手を離さず、店の中へ連れ込もうとする和宏。実際今日はもう寺へ帰るだけの俺は、抵抗のしようもない。嘘を吐いて逃れる暇もなかった。


ガラス扉の上方についたベルがカラン、と乾いた音色で鳴る。
中に入り、まず目に飛び込んできたのはショーケース。
…そこだけ、春が先回りしたかのような。
色とりどりの果物で飾られたケーキの横列は、まるでガラスで仕切られた世界に広がる花畑だ。
ブラウンのグラデーションも一角に陣取っていて、そういえば来月はバレンタインという日もあったなと思い出す。

普段ならば気にもかけない色彩に目を奪われている余裕もなく、和宏は俺を奥へと導く。
フローリングの空間に、ゆったりした間隔でテーブルと椅子が並べられているカフェスペースだ。
冷気に強ばった身体が、暖房のぬくもりで弛緩する。
ガラス張りの外の景色は、くすんだ曇り空だったが。

「外、寒かっただろ?ここ座って、少しあったまれよ!」
そこでやっと手を離した和宏が言った。
強引なところは血の繋がりは無くとも、兄弟そっくりだな…
ぼんやりとそんなことを考え、言われるがままに席に着く。

周囲を見回してみる。客は疎らだったが、数人の店員がくるくると働いていた。
何故か、やたら楽しそうに。
「コーヒーでいい?それとも紅茶?」
「…あ、コーヒーで…」
和宏もまた、軽やかにホールを駆け回っている。
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やがて、目の前にコーヒーと…ケーキが運ばれてきた。

「…あ、俺ケーキは…」
「コーヒーは俺の奢り。そっちは…先輩が持っていけってさ」
目の前の相手が首を回して、送った視線をつられて追う。その先に見えた厨房スペースのハッチに顔を覗かせていた、光一郎と同い歳くらいのややがっしりとした男性と目が合った。にこりと笑って軽く会釈する。
こいつの級友か何かだと思われたのだろうか、と思うと変に気まずい。

決まりが悪くなってすぐに目を逸らし、ケーキにフォークを入れる。
たっぷりと苺が載った、見た目も鮮やかなベリータルトだ。
赤い宝石のようにコーティングされた苺が綺麗だった。

「…うん…美味い…」
「だろ?」
和宏は向かいの椅子に腰掛けると、切り取った一片を口に運ぶ俺を見ていた。
そんな様子も、兄弟そっくりだ。

「いいのかよ。仕事中だろ?」
「ここはそーゆうこと煩く言わないんだ。客も少ないし、少し話してきていいってさ」
ずいぶんと緩い職場があったもんだな。ついそんな皮肉が漏れる。

「な、俺もうすぐ上がるし、家で夕飯食ってけよ。兄貴もすげぇ喜ぶ」
「…いいよ、別に…」
「そう言うなって。慈玄言わなかった?俺、鞍みたいな兄貴欲しいしさ。あの兄貴だけじゃ頼りなくって」
本気なのか冗談なのか、くすくす笑いながらそんなことを和宏が言う。
「馬鹿言うなよ。兄貴とか…そんな簡単なもんじゃねぇだろ?」
「そりゃあ、正式な事を考えたら簡単じゃないよ。けど、俺が兄貴だって思えば、鞍だって兄貴同然だよ」
言ってる事が無茶苦茶だ、そう窘める。しかし和宏は全く臆さず
「俺、結構頑固だからさ、決めたら実行しないと気が済まないんだよね」
どういう自信なんだかきっぱりとした口調で告げて、また笑う。
…やっぱり無茶苦茶だ。

「…な、ごっこだっていいじゃん。俺は、鞍のこともっと知りたい。そんで、仲良くなりたいんだ」
「……は?」
「鞍、このケーキ美味いって思ったんだろ?だったら何も感じない訳じゃない…美味いもの食って美味いって思うだけで、なんか嬉しくねぇ?」
そんなん当たり前だろ?…言い返そうと思ったが、何故か言葉には出来なかった。
そんな当たり前のことが、当たり前に出来ていない自分に気付いた。…一体いつから、自分はそうだったんだろう。

何の反論も出来ず、タルトの苺を弄んでいると、やたらと騒がしい客が入って来た。
「和ー、今日もケーキ食べに来たよー!…って、あれ、鞍君?」
「兄貴食い過ぎだから!マジで太っても知らねぇぞ?」
「えー!俺にも苺タルトー!」
「今日はダメ!」

兄弟の会話は店中に響き渡った。はた迷惑な、と感じたのはどうも俺だけらしい。
店員も客も、ただ微笑ましそうに眺めているだけだ。

「いつもの事だからな?」
俺の気持ちを読んだように、先程の男性店員がいつの間にかテーブル脇に来て言い、コーヒーをサーバーから注ぎ足してくれていた。
落ち着いた時間を過ごしたいカフェで、常にこんな感じなのは困るだろうに…と苦言を呈したい気分だったが、どうしても言うに言えない。

「和宏、今日はもういいから上がれ。飯、作るんだろ?」
店員は和宏に近づくと、そう言いながら頭に手を置き、微笑んだ。
「はい!ありがとうございます先輩!!」
「釈君ー、俺のケーキは?」
「和宏にダメだって言われたろ?」
「ええっ?!」

彼等のやりとりを眺めつつ、どうにも自分が今まで生きてきた場所とは別世界に迷い込んでしまったような、そんな錯覚を覚えた。
些細な事で笑っているのは、和宏だけでは無かった。光一郎も、この店の店員達も、ごく自然に笑い合う。
…いや、もしかしたら俺が気付かなかっただけで、慈玄も稲城も…施設の連中もそうだったのかも知れない。

「…俺は…俺も、この中に入れるんだろうか…」
そんな独り言が唐突に口から溢れ、言った自分が何より驚いた。
「入れるに決まってるでしょ?…鞍君は、感情を持ってないわけじゃないんだから」
そしてその独り言を、光一郎が拾った。

─可能性なら、広げられるだろ?

慈玄の言葉が頭を掠める。
今はまだ…異空間のように感じるこの場所が…俺にとっても「当たり前」となり得るのだろうか?
その「可能性」に、身を任せてみてもいいのだろうか?

苺にフォークを刺し、口に転がす。
甘酸っぱい果実は、やがて訪れる春を教えてくれる気がした。

立ち枯れているように見える桜も、幹の中で芽吹く準備をしている。
何かが少しずつ、俺自身も気付かぬ程度に動き出していた。
それは、季節が移り変わっていくように…。

(完)
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