縹トヲル

絵描き、たまに字書き。創作BL、和系近代ファンタジー等で活動。現在「イツマデモ君トコノ星ヲ」という共同原案の小説をブログ連載&冊子で頒布しています。

プロフィールタグ

投稿日:2017年04月26日 20:37    文字数:8,791

第二章 彗星 #1

ステキ数は非公開です
コメントを送りました
ステキ!を送りました
ステキ!を取り消しました
ブックマークに登録しました
ブックマークから削除しました
コメントはあなたと作品投稿者のみに名前と内容が表示されます
※こちらは試し読み公開になります。
第二章は全文無料公開を終了しました。ありがとうございました!
こちらの続きは「第一巻」に収録されております。
冊子通販 → https://kimihoshi2010.booth.pm/items/452019
電子書籍 → https://r18.bookwalker.jp/de9f32cf1f-50c4-472a-b351-d72c557de7df/
1 / 5
◆◇◆

桜街を通り過ぎる木枯らしには、まだ春の気配は無い。
ぶる、と身体を震えさせ、玄関を入る。

「ただいま」
こうしてこの家に帰るようになって、ひと月ほどが経つ。
最初は酷く違和感を感じたが、それも今ではやや薄れつつある。
習慣とは恐ろしいものだ。もっとも、慈玄の寺に住み始めた当初も同じ様な違和感はあった。
誰かと生活を共にする…そのこと自体が、最初は異様に感じるだけかも知れない。

「おかえり!」
そのひと月で何度もそうしていたように、光一郎が返す。
俺のバイトはこの頃午後から夜にかけてが多いので、大抵先に兄弟が帰っている。
まれに、弟の和宏がバイトの遅番で俺より帰りが遅いこともあるが、日数としては圧倒的に少ない。
…だがその日は、リビングに顔を覗かせても、和宏の姿は見えなかった。

「…あれ…和は?」
「バイトが終わったら友達のところへ寄ってくるって。遅くなるみたいだよ?」
ふぅん、と気のない返事をし、キッチンにスーパーの袋を置く。
「飯は?」
「まだ。鞍君の帰り待ってたからね」
軽く溜息を吐いて、準備を始める。あまり遅い時間の夕食はいいとは思えないが、何故か二人共俺に合わせる。
何度も先に食ってくれと言ったのだが、改善するつもりは無いようだ。



あれから後…
時折、俺は宮城家で兄弟と夕食を共にした。
一度くらいならいいだろうと何時かの誘いに乗った形だが、その後も光一郎や和宏は、バイト帰りの俺を捕まえたり、慈玄の携帯に電話やメールを入れては俺に声を掛けてきた。
俺は二人に携帯電話の番号もメールアドレスも教えていなかったのだが、慈玄はいつの間にか交換していたらしい。どこか嬉しそうに兄弟が誘っていたと俺に伝える慈玄が、なんだかやけに鬱陶しく思えた。

しつこい招きに根負けし、仕方なく何度かそれに応えていたある日、和宏が唐突に切り出した。
「鞍、バイト先ここの方が近いだろ?こっちに住めばいいじゃん」
「え?」
「だって今、慈玄とこにも生活費入れてるんだろ?だったら条件一緒だよ」

正直、戸惑った。確かに下宿先など何処でも構わない。
しかし、いくら「兄弟ごっこ」しているとはいえ、両親不在の家に転がり込むのはどうかと思った。
「俺は嬉しいけどね。賑やかになるし…それに、俺は成人してるから問題無いんじゃない?」
光一郎まで追い打ちをかける。
成人しているのなら俺も同じだ。だからといって居候を決め込む理由にはならない。

「…ちょっと、慈玄に聞いてみる」
保護者でも何でもない慈玄に伺いを立てるとは、我ながらおかしな話だとは思ったが、この場はそれで切り抜けるしかなかった。
何時か、和宏は「自分がこうと決めたらやらないと気が済まない」と言って笑ったが、こうして執拗に食事に誘ってくる様子でもそれは見て取れる。
なぜそこまで俺に構うのかは相変わらず全く理解出来なかったが、俺の言い逃れを露ほども疑わない和宏は
「うん、わかった」と、男でも見とれるような愛らしい笑顔を浮かべて頷いた。

慈玄にその旨を伝えると、案に相違して妙に浮かれてこう言った。
「良かったじゃねぇか。で、いつからだ?俺は明日からでも構わねぇぜ?」
少しは寂しがるのかと思いきや、あっさりしたものだ。
こんな風に言われると、やはり俺を追い出したかったのではないかと訝しく思う。
ならば、出て行ってやろうではないか。やけくそ半分の想いが過ぎる。
見透かしたように、慈玄は続けた。
「…もし馴染めねぇと思ったら、いつでも帰って来い。ここもすでにお前の家だ。ちゃんと待っててやっから」

いざ快諾されると引くに引けず、結局兄弟の家へ住み込むこととなった。

大して多くない稼ぎでは外食ばかりもしていられないので、一人暮らしの頃から俺は自炊をしていた。
寺での食事の準備は、慈玄と交代での当番制だった。
だから、特に得意なわけでも好きなわけでもないが、料理は必要最低限には覚えていた。調理師免許も持ってはいるけど、あくまでバイト面接で余計な質問を避けるためのもの。資格があれば志望の口実に出来るからで、実務経験は乏しく大した技が使えるはずもない。

ところが、和宏は嬉しい、という。

宮城家の家事全般は和宏がほとんど一人で行っていた。しかし本人は全く苦にしておらず、むしろ楽しんでいた節がある。
特に料理は趣味のようで、自己流だ、と照れながらも結構手の込んだものをよく作った。
味も、そんじょそこらの店のものよりよほど美味かった。
とはいえ、さすがに居候の俺が全く何もしないのには引け目を感じる。たまにはやらせてくれと言ったら、どういうわけか和宏はこれ以上はない、というほどに喜んだ。

「鞍、料理できるのか!じゃあさ、今度は一緒に作ろう?誰かと料理するなんてあんまり無かったからすっげー嬉しい!!」
なんだかこちらが面食らうほどに、はしゃいだ声を上げた。曖昧に頷くと、更に嬉しそうに笑った。

いままで、自分一人が腹を満たせればいい、と思って作っていた俺の料理を、嫌味に聞こえるほど美味い、と言って二人は食べた。
どうしようもなく気恥ずかしいような居たたまれないような、そんな気がした。
1 / 5
2 / 5

◆◇◆

奇妙な「兄弟ごっこ」の日々が続いていた。

近くで見ていても光一郎と和宏は仲が良い…というより、和宏がとてもしっかりしていて、時々悪態をつきながらも兄を気遣っているのが分かった。光一郎はにこにこしながら相槌を打ち、それを受け止めている。
血が繋がっていないなど嘘のようだ。

他にも、気付いたことがいくつもあった。
和宏は出逢った時の印象そのままに、快活で、友人も多い。男女ともに慕われているらしく、近所でも評判の「優等生」らしい。
光一郎は光一郎で、見た目は疑ったがやはり「教師」だった。
時々いつもの態度に似合わぬ真剣な表情で、テストの採点や事務処理を、家に持ち帰ってまでやっている事がある。

そして。
こんなに仲の良い兄弟に挟まれても、意外にも俺が疎外感を感じることはなかった。
意識してるのかも知れないが、和宏はことある毎に一緒に買い物をしようだの共にキッチンに立とうだのとせがみ、光一郎は暇潰しに借りた本について話したり教えてくれたりし、ゲームなども一緒にやろうと俺に声を掛けた。
今に至るまで和宏は俺に、同年代の友達に対するような話し方をし、逆に光一郎は「君」付けで俺を呼んだが、それもだんだん気にならなくなってきていた。

通常の兄弟仲がどれほどのものなのか、家族も兄弟も居なかった俺には想像が付かない。
どこもこの二人のようなのかも知れないし、そうではないのかも知れない。
けれど、いつの間にかこういった関係がごく当たり前のような気もし出し、流されるままに宮城家での生活を続けていた。

一人でいた頃は出来合の総菜なども時折買ってきていたが、和宏はすべて自ら調理するので、少し影響されて俺も副菜などを作るようになった。
鍋の蓋を開けると、和宏が作った煮物がある。簡単に魚を焼きサラダを作り、煮物と共に今夜の夕食とした。

「はぁ、やっぱり鞍君の料理は美味しいねぇ」
こんな簡単なものでさえ、光一郎はそう言って食べる。言葉に違わず、実に美味そうに。
「和が作ったもんの方が美味いだろ?現に煮物は和のだしな」
黙々と口に運ぶ俺とは裏腹に、光一郎は過剰なまでに褒める。
「和のご飯は確かに美味しいけど、鞍君のだって全然負けてないよ」
今日は魚を焼いただけだけど。そう反論するが一向にお構いなしだ。
こいつの味覚は大丈夫なんだろうか、という気さえしてくる。

「…御馳走様」
早々に平らげ、すぐに立ち上がり食器を洗う。
サラダは余分に作ったから、和宏が戻ったら魚だけ焼けばいいだろう…。
つらつらと考えていると、後から光一郎がシンクに空いた食器を運んできた。

「…和、遅いな」
ふと、口を突いた言葉。
「心配?」
「まさか。小さな子供じゃあるまいし、女ならともかく高校生にもなった男が一晩二晩留守にしたって別に気にすることでもねぇだろ?」

事実、俺も学生の頃は施設に帰らず、コンビニで立ち読みしたりゲームセンターで何をするでもなくぼんやりしたり、そんな外泊をすることも多かった。なんとなく帰りづらかったのだ。歳を負う毎に、「養護施設」は最早自分の居るべきところではない気がして。

身分は学生だったから、補導されたこともあった。
稲城は「程々にしろ」と嘆息はしたが、別段心配された覚えはない。

所詮は他人同士だ。和宏のことも…その場凌ぎに出たものでしかない。
「…そう」
軽く苦笑したものの、光一郎がそれ以上言葉を繋げることは無かった。
2 / 5
3 / 5

二人して順に風呂を済ませても、和宏が帰宅する気配は未だ無い。

「ね、ちょっとゲームでもしない?」
コーヒーを淹れてリビングに戻ると、光一郎が言った。
「和からまだ連絡無いし、明日は土曜日だからちょっと付き合ってよ」
客商売のバイトをしていると忘れがちになるが、言われてみれば翌日は学校は休みだ。
和宏もそれを承知で遅くまで出歩いているのかも知れない。
うん、と生返事を返す。弟が戻らないのが不安なのだろうか。

光一郎は時々、酷く怯えたような、寂しげな様子を瞳に覗かせる。無論、表情にまでそんな様子を滲ませる事は少なかったが…おそらく、元々孤児であるが故に一人になるのが怖いのだ…と、思う。

俺のように、最初から親の顔さえ覚えていないなら話は別だが、光一郎は違う。
幼い時分に、事故で両親を亡くした、と聞いた。
いつも傍にいた人間が突如消え失せる恐怖は、十分トラウマとなり得るだろう。
いや、稲城の施設にもそういう境遇の子供はいたが、事故や災害孤児の皆が皆、こんなふうに一人を恐れるものでもない。

だが、こいつのような眼をした者も、何度も見掛けたことはある。
小さな頃はそのまま年長の誰かに甘えたり、泣き言を言うのだが…成長するにつれ、忘れるか、押し殺すかするようになる。
そうやって皆生きているのだろう。

俺は、ずっと一人だった。しかしだからこそ…一度でも誰かが共に居ることに慣れたくはない、とも思っていたが。

今現在この場に居るのは、俺と光一郎の二人だけなのだ。気を紛らわせるのも居候の役目か。
…これもまた「兄弟ごっこ」なら。少しはその想いに応えてやってもいいかも知れない。
らしくもない考えが頭を掠める。

「あ、でも俺、ゲームあんまりやったことねぇし下手糞だけど…」
「いいよ、付き合って貰うだけでいいんだから」
先刻、瞳に映った影を隠すように目を細め、光一郎が笑う。

…そういえば。俺は光一郎をきちんと呼んだことがない。
「弟」である和宏は、光一郎と合わせて「和」と呼ぶことに慣れたが、こいつの事はどうにも呼びづらかった。
「兄さん」や「兄貴」と呼ぶのにも若干抵抗があったし、呼び捨てにするのもなんだかおこがましい気がした。
結果、「おい」とか「なぁ」とかで、いままで適当にやり過ごしていた。

「…な、今更だけど…。俺、あんたのことどう呼んだらいいかな」
カーレースゲームのモニター画面にじっと視線を注ぎ、手元でかちゃかちゃとコントローラーを弄りつつ問う。
「え?和と同じでいいんじゃない?兄貴とか、光兄ぃとか、さ」
同じ方向を見ながら、光一郎が答える。
今の今まで悩んでいたけれど、面と向かって訊くのもなんだか気まずかった。
こうしてゲームでもしながらさらりと解決できれば、都合が良いように思えた。
「和も俺の事は流石に兄、とは言わねぇし、俺もなんだか言いづらくてさ…」
「じゃあ呼び捨てで良いよ。光一郎でも、光でも…鞍君の呼びやすいように」

…光、光…か。それなら気軽かもしれない。
「……ん、分かった。…光」
「…何、鞍?」
突然、画面の車がスピンし、激しくクラッシュした。

「………?!」
ふ、と耳元で呼吸を感じる。
背中に体温と…五月蠅い程の鼓動。
それは光一郎のものなのか、俺のなのか。すでに判然としないほど混ざり合う。
「…少し、こうさせてくれないかな?」
後ろから腕を回され、ぎゅ、と抱きつかれたまま俺は身動きが取れなくなった。
画面の車も、いつの間にか止まっていた。

─ただの「兄弟ごっこ」のはずが、この日を境に少しずつ変化し始めていた。
3 / 5
4 / 5

◇◆◇

暦の上では春も間近。ではあるが、時折身を切るように吹き付ける強風は相変わらず冷たい。
夜ともなれば尚更だ。

本堂はともかく、居住部分はそこそこ新しいように思っていたが、人間の感覚からするともう相当古い部類になるらしい。カタカタと窓が揺れ、隙間風が入る。

俺は以前と同じように僧侶としての仕事をこなし、平々凡々と過ごしている。

前住職が亡くなったのはとうに十数年以上前になるから、鞍がやって来るまで、俺はここに一人で暮らしていた。
つまり、寺での居住期間は、あいつが転がり込むより前の方がずっと長いことになる。
だから今更、一人で住むには広すぎるだの、なんだか寂しく思うだの、そんなことは感じなかった。
先代がよくよく俺を紹介してくれたお陰で、檀家衆もこんな風貌の男を後継と認めてくれている。
葬祭の相談は元より、暇を持て余して雑談をしに来る老人達もいた。数こそ多くないが、孤独と言うにはほど遠い。

鞍があの兄弟の家へ行って、一月余り。
最初の頃は落ち着かなかったのか、あいつはバイトの休日にふらりと顔を見せる事があった。
少しは俺の様子も気に掛けてくれているのか、と自惚れたりもしたが、日に日にそれは少なくなり、今ではほとんどこちらに来ることはない。

結構なことだ、と思う。
一時はそれなりに執着もし、俺の手元に置いて、俺が何とか幸せに生きる道を拓いてやろうと意気込んではいたが、あの宮城兄弟を見ていて、少し考えを改めた。
思えば、転生した鞍は過去のあいつとは別だ。魂そのものは同じであったとしても、この現代を生きるあいつは過去の意識とは違う。もし、俺以外の誰かがあいつの手を握ってやるならば、それで構わない。
─むしろ。いずれは迦葉に帰らねばならぬ俺より、他に一緒に居てくれる相手が見付かるのであればその方が良いような気もする。

…やや、限界を感じていたのかも知れない。
そもそも、過去の鞍にさえ俺は、恋情を懐いていたのか、それとも子に対するような愛情だったのか、今ひとつ判然としない。
護りたい、とは思っていたが、気持ちを確認する前に鞍は消えてしまったし…俺自身の感情を思い起こすにも、永すぎる年月が経ってしまった。

とにかく、しばし様子を見ようと思った。
今更焦ることはない。これまでも山に駄々を捏ね続け、今に至っているのだから。

◇◆◇

来訪者は、実に唐突にやってきた。

寺という場所柄、早朝に訪れる客は居ても、夜ではそれは珍しい。
すでに午後九時を回っている。

「こんばんは!」
軽やかな声が響く。返事をして玄関を覗くと、いつぞやの野鼠が白い息を弾ませていた。
「どうした、こんな時間に」
「あ、俺バイトの帰りで。…煮物、作ったんだ。慈玄、食べるかなって思って」
この歳の男子としては特に低すぎる背丈ではないのだろうが、上がりかまちに立った俺からすれば少年のどんぐり眼はかなり見下ろす位置にある。
その瞳をことさら上目遣いにし、捧げ物のように風呂敷包みを俺に差し出す。

タッパーに詰められたそれは、彩りもよく味の沁みていそうな良い色をしていた。
「お前が作ったのか、これ?」
「うん、…嫌いなら別にいいんだけど」
宮城和宏は苦笑混じりに言った。元来世話焼きなのだろう。
率直に、気遣いを嬉しく感じた。
「とんでもねぇ、すげぇ美味そうじゃねぇか」
「そ、そう?よかった。…ほら、なんか俺達が無理矢理鞍を家に引っ張ってっちゃったからさ…慈玄、ちょっと寂しいんじゃないか、って」
後ろめたそうにやや俯きながら、そんなことを洩らす。

初めに鞍と共に此処へ来た和宏は、今時珍しく礼儀正しい奴なのかと思っていたが、気が付けば俺に対してもずいぶんと砕けた話し方をする。
いつぞやケーキを運んできた時にもその片鱗は見えたが、鞍を夕飯に誘うための電話やメールを、俺に何度かよこすうちに尚顕著になった。
鞍がまだ顔を出していた頃、自分の事を同世代としか思ってないようだと愚痴っていたが、おそらく無意識のうちにこの様な言葉遣いになっているのだろう。
或いは…よほどの相手でない限り、誰とでも分け隔てなく親しくできるタイプなのかも知れない。
鞍とは別の意味で、まだ子供なのだろうかとも思う。
4 / 5
5 / 5

それはいいとして。
特に寂しい、とも感じていなかった俺だが、この素直で真面目な相手に、少しばかり意地悪を言ってみたくなった。
「そう、だな…。確かに一人で飯を食うのはちょっと味気ねぇな。何なら、お前が付き合ってくれてもいいんだが」
くす、と笑って和宏の顔を見ると、更に申し訳なさそうに下を向く。
「…夕飯付き合うくらい構わない、けど…」
「じゃあ決まりだ。俺も今日は仕事があってまだ夕飯食ってねぇんだ。飯は炊いてあっから、一緒に食わねぇか?」
笑いかけつつ、提案してみた。

和宏は僅かに躊躇したらしい表情を見せたが、顔を上げると意を決したように言葉を発した。

「…わかった。俺用意するよ。キッチンってどこ?」
おそらくこいつは、大した用も無いのに遅い時間に他人の家に上がり込むのをあまり良しとしていないのだ。
いつか、茶を勧めても室内まで来なかった事でも察しが付く。
それでも俺の誘いを承知したのは、俺から鞍を奪ったかもしれない、という気持ちに相当苛まれていたためだろう。

少し、弱みにつけ込んでしまったか、とも思う。
とはいえ。一人の食事が少々侘びしかったのは確かで、…それに、やはりこの和宏という少年の事は、どういうわけか少なからず興味を惹かれていた。
鞍に対するような、曖昧な感情とは少し違う。というより「護りたい」鞍と違い、俺の方が縋り付きたいような、そんな気さえ懐かせる。

ここでの飯は釜炊きしていた。現代で暮らすにあたって電化製品に慣れないわけでは無かったが、どうしても飯だけは竈を使うのに慣れていたし、圧倒的にこの方が美味いと思っていたからだ。
その竈を、和宏は物珍しそうに眺めた。それはそうだろう。ここの竈は昔からあったものではない。前住職が逝去した後、俺がわざわざ依頼し取り付けさせたものなのだから。
業者を見付けるのも苦労したほどだ。勝手口を広げ設置された竈は、古いといっても築数十年程度のこの家屋には、結構場違いに見える。

「ご飯、これに炊いてあるの?」
「あぁ、美味いぜ?」
釜の蓋を開けてやると、少年は幼子のような瞳を輝かせた。
「うわ、すっげぇ良い匂い…」
純粋な反応を微笑ましく思い、その後の支度を甘える。

台所の入り口に立ち、しばらく動作を眺めていたが、和宏は実に楽しそうに、かつ手際よく盛りつけていた。
両親が不在だと言っていたから、通常自宅でも炊事はこいつの仕事なのだろう。
だとしても感嘆に値するくらい、非常に手慣れていた。

気が付けば、持ってきた煮物以外にも数点の副菜が添えられた夕飯となっていた。
煮物は最初の見た目以上に、その他の総菜もとても十代の少年が作ったものとは思えぬ味だった。
俺も鞍もある程度料理はする方だったが、和宏のは少し頭抜けている。好きでやっているのが分かる。

「いや、ほんと美味ぇな。…御馳走様」
綺麗に平らげて箸を置くと、照れ臭そうに和宏は微笑んだ。
「お粗末様でした。美味しいって言って貰えてよかったよ。それにご飯、すっごい美味しかった」
さも嬉しげに言い、そのまま食器を片付け始める。
「これ片付けて、茶を淹れたら俺、帰るから…」
そそくさと台所に向かう後ろ姿を見送りながら、先程からぼんやりと浮かぶ感情に思いを馳せる。

いままで、余り感じたことのない種類のものだ。ずっと忘れていた、憧憬のような…。
初めて顔を合わせた時から可愛らしいとは思っていたし、ケーキを持ってきて少々縁側で雑談した時も、印象は悪くなかった。
しかし、こうして近くで接すればするほど、何故か手を伸ばし、捕まえたくなる。
…やはり、根底に流れる気の為、だろうか…。

やがて、茶の準備をして戻った和宏に、ふいにこんなことを投げかけたのも、もう…悪戯心だけではなかったのかも知れない。
「明日は学校休みだろ。泊まって行きゃあいい」

言ってから、自分でもこころなし動揺した。いくら鞍が自らの手元を離れたからとて、別の誰かにこんなことを思うのはいささか早急ではないかと。

かつての己の所業を浅ましく、恥ずべきことと認識し、以来、急激な情念に左右されぬよう自律していた。そう考えていたはずだ。
鞍に関しては、過去の想いも、俺が近くに居ながら命を失わせてしまった悔恨の意識もある。
だから情欲とは別に、愛情という形であいつのことを見てきた。だがこの少年は…

そんな自分に対する言い訳など何の意味も持たないと嘲笑うかのように、感情はただこいつを帰したくない、引き止めておきたいという衝動に突き動かされていた。

相手の戸惑う瞳を覗いている時間が、とてつもなく永いように感じた。
5 / 5
コメントを送りました
ステキ!を送りました
ステキ!を取り消しました
ブックマークに登録しました
ブックマークから削除しました

コメント

ログインするとコメントを投稿できます

是非、コメントを投稿しましょう
ほとんどの作者の方は、「萌えた」の一言でも、好意的なコメントがあれば次作品への意欲や、モチベーションの向上につながります。
コメントは作品投稿者とあなたにしかコメントの内容が表示されず、文字制限は140文字までとなりますので、あまり長いコメントを考える必要はありません。
是非、コメントを投稿して頂き、皆様と共にBLを愛する場所としてpictBLandを盛り上げていければと思います。

この作品に関連のあるpictSQUAREのイベント

    • 2026年07月12日 11:00〜翌10:50
      受付中
    手帳・文房具系即売会「もっと!もにゃ文具パーティ」
    一次創作 当日不在OK 既刊のみOK グッズのみOK ネップリOK 展示のみOK 文房具 オリジナル オールジャンル
     サークル参加受付期間
    4 / 24sp

    10月05日 10:50 〜 06月30日 21:00
    • 2026年10月21日 00:00〜22:00
      受付中
    [ルナ冴webオンリー26] 月冴ゆる日君を想い出す
    ブルーロック lnse ルナ冴  レオナルド・ルナ  糸師冴  女体化有り  2次創作
     サークル参加受付期間
    0 / 10sp

    04月01日 00:00 〜 10月09日 20:00

閲覧制限が掛かった作品です

この作品は投稿者から閲覧制限が掛けられています。性的な描写やグロテスクな表現などがある可能性がありますが閲覧しますか?

閲覧する際は、キーワードタグや作品の説明をよくご確認頂き、閲覧して下さい。

第二章 彗星 #1

キーワードタグ 創作  創作BL  キミホシ  R18 
作品の説明 ※こちらは試し読み公開になります。
第二章は全文無料公開を終了しました。ありがとうございました!
こちらの続きは「第一巻」に収録されております。
冊子通販 → https://kimihoshi2010.booth.pm/items/452019
電子書籍 → https://r18.bookwalker.jp/de9f32cf1f-50c4-472a-b351-d72c557de7df/
第二章 彗星 #1
1 / 5
◆◇◆

桜街を通り過ぎる木枯らしには、まだ春の気配は無い。
ぶる、と身体を震えさせ、玄関を入る。

「ただいま」
こうしてこの家に帰るようになって、ひと月ほどが経つ。
最初は酷く違和感を感じたが、それも今ではやや薄れつつある。
習慣とは恐ろしいものだ。もっとも、慈玄の寺に住み始めた当初も同じ様な違和感はあった。
誰かと生活を共にする…そのこと自体が、最初は異様に感じるだけかも知れない。

「おかえり!」
そのひと月で何度もそうしていたように、光一郎が返す。
俺のバイトはこの頃午後から夜にかけてが多いので、大抵先に兄弟が帰っている。
まれに、弟の和宏がバイトの遅番で俺より帰りが遅いこともあるが、日数としては圧倒的に少ない。
…だがその日は、リビングに顔を覗かせても、和宏の姿は見えなかった。

「…あれ…和は?」
「バイトが終わったら友達のところへ寄ってくるって。遅くなるみたいだよ?」
ふぅん、と気のない返事をし、キッチンにスーパーの袋を置く。
「飯は?」
「まだ。鞍君の帰り待ってたからね」
軽く溜息を吐いて、準備を始める。あまり遅い時間の夕食はいいとは思えないが、何故か二人共俺に合わせる。
何度も先に食ってくれと言ったのだが、改善するつもりは無いようだ。



あれから後…
時折、俺は宮城家で兄弟と夕食を共にした。
一度くらいならいいだろうと何時かの誘いに乗った形だが、その後も光一郎や和宏は、バイト帰りの俺を捕まえたり、慈玄の携帯に電話やメールを入れては俺に声を掛けてきた。
俺は二人に携帯電話の番号もメールアドレスも教えていなかったのだが、慈玄はいつの間にか交換していたらしい。どこか嬉しそうに兄弟が誘っていたと俺に伝える慈玄が、なんだかやけに鬱陶しく思えた。

しつこい招きに根負けし、仕方なく何度かそれに応えていたある日、和宏が唐突に切り出した。
「鞍、バイト先ここの方が近いだろ?こっちに住めばいいじゃん」
「え?」
「だって今、慈玄とこにも生活費入れてるんだろ?だったら条件一緒だよ」

正直、戸惑った。確かに下宿先など何処でも構わない。
しかし、いくら「兄弟ごっこ」しているとはいえ、両親不在の家に転がり込むのはどうかと思った。
「俺は嬉しいけどね。賑やかになるし…それに、俺は成人してるから問題無いんじゃない?」
光一郎まで追い打ちをかける。
成人しているのなら俺も同じだ。だからといって居候を決め込む理由にはならない。

「…ちょっと、慈玄に聞いてみる」
保護者でも何でもない慈玄に伺いを立てるとは、我ながらおかしな話だとは思ったが、この場はそれで切り抜けるしかなかった。
何時か、和宏は「自分がこうと決めたらやらないと気が済まない」と言って笑ったが、こうして執拗に食事に誘ってくる様子でもそれは見て取れる。
なぜそこまで俺に構うのかは相変わらず全く理解出来なかったが、俺の言い逃れを露ほども疑わない和宏は
「うん、わかった」と、男でも見とれるような愛らしい笑顔を浮かべて頷いた。

慈玄にその旨を伝えると、案に相違して妙に浮かれてこう言った。
「良かったじゃねぇか。で、いつからだ?俺は明日からでも構わねぇぜ?」
少しは寂しがるのかと思いきや、あっさりしたものだ。
こんな風に言われると、やはり俺を追い出したかったのではないかと訝しく思う。
ならば、出て行ってやろうではないか。やけくそ半分の想いが過ぎる。
見透かしたように、慈玄は続けた。
「…もし馴染めねぇと思ったら、いつでも帰って来い。ここもすでにお前の家だ。ちゃんと待っててやっから」

いざ快諾されると引くに引けず、結局兄弟の家へ住み込むこととなった。

大して多くない稼ぎでは外食ばかりもしていられないので、一人暮らしの頃から俺は自炊をしていた。
寺での食事の準備は、慈玄と交代での当番制だった。
だから、特に得意なわけでも好きなわけでもないが、料理は必要最低限には覚えていた。調理師免許も持ってはいるけど、あくまでバイト面接で余計な質問を避けるためのもの。資格があれば志望の口実に出来るからで、実務経験は乏しく大した技が使えるはずもない。

ところが、和宏は嬉しい、という。

宮城家の家事全般は和宏がほとんど一人で行っていた。しかし本人は全く苦にしておらず、むしろ楽しんでいた節がある。
特に料理は趣味のようで、自己流だ、と照れながらも結構手の込んだものをよく作った。
味も、そんじょそこらの店のものよりよほど美味かった。
とはいえ、さすがに居候の俺が全く何もしないのには引け目を感じる。たまにはやらせてくれと言ったら、どういうわけか和宏はこれ以上はない、というほどに喜んだ。

「鞍、料理できるのか!じゃあさ、今度は一緒に作ろう?誰かと料理するなんてあんまり無かったからすっげー嬉しい!!」
なんだかこちらが面食らうほどに、はしゃいだ声を上げた。曖昧に頷くと、更に嬉しそうに笑った。

いままで、自分一人が腹を満たせればいい、と思って作っていた俺の料理を、嫌味に聞こえるほど美味い、と言って二人は食べた。
どうしようもなく気恥ずかしいような居たたまれないような、そんな気がした。
1 / 5
2 / 5

◆◇◆

奇妙な「兄弟ごっこ」の日々が続いていた。

近くで見ていても光一郎と和宏は仲が良い…というより、和宏がとてもしっかりしていて、時々悪態をつきながらも兄を気遣っているのが分かった。光一郎はにこにこしながら相槌を打ち、それを受け止めている。
血が繋がっていないなど嘘のようだ。

他にも、気付いたことがいくつもあった。
和宏は出逢った時の印象そのままに、快活で、友人も多い。男女ともに慕われているらしく、近所でも評判の「優等生」らしい。
光一郎は光一郎で、見た目は疑ったがやはり「教師」だった。
時々いつもの態度に似合わぬ真剣な表情で、テストの採点や事務処理を、家に持ち帰ってまでやっている事がある。

そして。
こんなに仲の良い兄弟に挟まれても、意外にも俺が疎外感を感じることはなかった。
意識してるのかも知れないが、和宏はことある毎に一緒に買い物をしようだの共にキッチンに立とうだのとせがみ、光一郎は暇潰しに借りた本について話したり教えてくれたりし、ゲームなども一緒にやろうと俺に声を掛けた。
今に至るまで和宏は俺に、同年代の友達に対するような話し方をし、逆に光一郎は「君」付けで俺を呼んだが、それもだんだん気にならなくなってきていた。

通常の兄弟仲がどれほどのものなのか、家族も兄弟も居なかった俺には想像が付かない。
どこもこの二人のようなのかも知れないし、そうではないのかも知れない。
けれど、いつの間にかこういった関係がごく当たり前のような気もし出し、流されるままに宮城家での生活を続けていた。

一人でいた頃は出来合の総菜なども時折買ってきていたが、和宏はすべて自ら調理するので、少し影響されて俺も副菜などを作るようになった。
鍋の蓋を開けると、和宏が作った煮物がある。簡単に魚を焼きサラダを作り、煮物と共に今夜の夕食とした。

「はぁ、やっぱり鞍君の料理は美味しいねぇ」
こんな簡単なものでさえ、光一郎はそう言って食べる。言葉に違わず、実に美味そうに。
「和が作ったもんの方が美味いだろ?現に煮物は和のだしな」
黙々と口に運ぶ俺とは裏腹に、光一郎は過剰なまでに褒める。
「和のご飯は確かに美味しいけど、鞍君のだって全然負けてないよ」
今日は魚を焼いただけだけど。そう反論するが一向にお構いなしだ。
こいつの味覚は大丈夫なんだろうか、という気さえしてくる。

「…御馳走様」
早々に平らげ、すぐに立ち上がり食器を洗う。
サラダは余分に作ったから、和宏が戻ったら魚だけ焼けばいいだろう…。
つらつらと考えていると、後から光一郎がシンクに空いた食器を運んできた。

「…和、遅いな」
ふと、口を突いた言葉。
「心配?」
「まさか。小さな子供じゃあるまいし、女ならともかく高校生にもなった男が一晩二晩留守にしたって別に気にすることでもねぇだろ?」

事実、俺も学生の頃は施設に帰らず、コンビニで立ち読みしたりゲームセンターで何をするでもなくぼんやりしたり、そんな外泊をすることも多かった。なんとなく帰りづらかったのだ。歳を負う毎に、「養護施設」は最早自分の居るべきところではない気がして。

身分は学生だったから、補導されたこともあった。
稲城は「程々にしろ」と嘆息はしたが、別段心配された覚えはない。

所詮は他人同士だ。和宏のことも…その場凌ぎに出たものでしかない。
「…そう」
軽く苦笑したものの、光一郎がそれ以上言葉を繋げることは無かった。
2 / 5
3 / 5

二人して順に風呂を済ませても、和宏が帰宅する気配は未だ無い。

「ね、ちょっとゲームでもしない?」
コーヒーを淹れてリビングに戻ると、光一郎が言った。
「和からまだ連絡無いし、明日は土曜日だからちょっと付き合ってよ」
客商売のバイトをしていると忘れがちになるが、言われてみれば翌日は学校は休みだ。
和宏もそれを承知で遅くまで出歩いているのかも知れない。
うん、と生返事を返す。弟が戻らないのが不安なのだろうか。

光一郎は時々、酷く怯えたような、寂しげな様子を瞳に覗かせる。無論、表情にまでそんな様子を滲ませる事は少なかったが…おそらく、元々孤児であるが故に一人になるのが怖いのだ…と、思う。

俺のように、最初から親の顔さえ覚えていないなら話は別だが、光一郎は違う。
幼い時分に、事故で両親を亡くした、と聞いた。
いつも傍にいた人間が突如消え失せる恐怖は、十分トラウマとなり得るだろう。
いや、稲城の施設にもそういう境遇の子供はいたが、事故や災害孤児の皆が皆、こんなふうに一人を恐れるものでもない。

だが、こいつのような眼をした者も、何度も見掛けたことはある。
小さな頃はそのまま年長の誰かに甘えたり、泣き言を言うのだが…成長するにつれ、忘れるか、押し殺すかするようになる。
そうやって皆生きているのだろう。

俺は、ずっと一人だった。しかしだからこそ…一度でも誰かが共に居ることに慣れたくはない、とも思っていたが。

今現在この場に居るのは、俺と光一郎の二人だけなのだ。気を紛らわせるのも居候の役目か。
…これもまた「兄弟ごっこ」なら。少しはその想いに応えてやってもいいかも知れない。
らしくもない考えが頭を掠める。

「あ、でも俺、ゲームあんまりやったことねぇし下手糞だけど…」
「いいよ、付き合って貰うだけでいいんだから」
先刻、瞳に映った影を隠すように目を細め、光一郎が笑う。

…そういえば。俺は光一郎をきちんと呼んだことがない。
「弟」である和宏は、光一郎と合わせて「和」と呼ぶことに慣れたが、こいつの事はどうにも呼びづらかった。
「兄さん」や「兄貴」と呼ぶのにも若干抵抗があったし、呼び捨てにするのもなんだかおこがましい気がした。
結果、「おい」とか「なぁ」とかで、いままで適当にやり過ごしていた。

「…な、今更だけど…。俺、あんたのことどう呼んだらいいかな」
カーレースゲームのモニター画面にじっと視線を注ぎ、手元でかちゃかちゃとコントローラーを弄りつつ問う。
「え?和と同じでいいんじゃない?兄貴とか、光兄ぃとか、さ」
同じ方向を見ながら、光一郎が答える。
今の今まで悩んでいたけれど、面と向かって訊くのもなんだか気まずかった。
こうしてゲームでもしながらさらりと解決できれば、都合が良いように思えた。
「和も俺の事は流石に兄、とは言わねぇし、俺もなんだか言いづらくてさ…」
「じゃあ呼び捨てで良いよ。光一郎でも、光でも…鞍君の呼びやすいように」

…光、光…か。それなら気軽かもしれない。
「……ん、分かった。…光」
「…何、鞍?」
突然、画面の車がスピンし、激しくクラッシュした。

「………?!」
ふ、と耳元で呼吸を感じる。
背中に体温と…五月蠅い程の鼓動。
それは光一郎のものなのか、俺のなのか。すでに判然としないほど混ざり合う。
「…少し、こうさせてくれないかな?」
後ろから腕を回され、ぎゅ、と抱きつかれたまま俺は身動きが取れなくなった。
画面の車も、いつの間にか止まっていた。

─ただの「兄弟ごっこ」のはずが、この日を境に少しずつ変化し始めていた。
3 / 5
4 / 5

◇◆◇

暦の上では春も間近。ではあるが、時折身を切るように吹き付ける強風は相変わらず冷たい。
夜ともなれば尚更だ。

本堂はともかく、居住部分はそこそこ新しいように思っていたが、人間の感覚からするともう相当古い部類になるらしい。カタカタと窓が揺れ、隙間風が入る。

俺は以前と同じように僧侶としての仕事をこなし、平々凡々と過ごしている。

前住職が亡くなったのはとうに十数年以上前になるから、鞍がやって来るまで、俺はここに一人で暮らしていた。
つまり、寺での居住期間は、あいつが転がり込むより前の方がずっと長いことになる。
だから今更、一人で住むには広すぎるだの、なんだか寂しく思うだの、そんなことは感じなかった。
先代がよくよく俺を紹介してくれたお陰で、檀家衆もこんな風貌の男を後継と認めてくれている。
葬祭の相談は元より、暇を持て余して雑談をしに来る老人達もいた。数こそ多くないが、孤独と言うにはほど遠い。

鞍があの兄弟の家へ行って、一月余り。
最初の頃は落ち着かなかったのか、あいつはバイトの休日にふらりと顔を見せる事があった。
少しは俺の様子も気に掛けてくれているのか、と自惚れたりもしたが、日に日にそれは少なくなり、今ではほとんどこちらに来ることはない。

結構なことだ、と思う。
一時はそれなりに執着もし、俺の手元に置いて、俺が何とか幸せに生きる道を拓いてやろうと意気込んではいたが、あの宮城兄弟を見ていて、少し考えを改めた。
思えば、転生した鞍は過去のあいつとは別だ。魂そのものは同じであったとしても、この現代を生きるあいつは過去の意識とは違う。もし、俺以外の誰かがあいつの手を握ってやるならば、それで構わない。
─むしろ。いずれは迦葉に帰らねばならぬ俺より、他に一緒に居てくれる相手が見付かるのであればその方が良いような気もする。

…やや、限界を感じていたのかも知れない。
そもそも、過去の鞍にさえ俺は、恋情を懐いていたのか、それとも子に対するような愛情だったのか、今ひとつ判然としない。
護りたい、とは思っていたが、気持ちを確認する前に鞍は消えてしまったし…俺自身の感情を思い起こすにも、永すぎる年月が経ってしまった。

とにかく、しばし様子を見ようと思った。
今更焦ることはない。これまでも山に駄々を捏ね続け、今に至っているのだから。

◇◆◇

来訪者は、実に唐突にやってきた。

寺という場所柄、早朝に訪れる客は居ても、夜ではそれは珍しい。
すでに午後九時を回っている。

「こんばんは!」
軽やかな声が響く。返事をして玄関を覗くと、いつぞやの野鼠が白い息を弾ませていた。
「どうした、こんな時間に」
「あ、俺バイトの帰りで。…煮物、作ったんだ。慈玄、食べるかなって思って」
この歳の男子としては特に低すぎる背丈ではないのだろうが、上がりかまちに立った俺からすれば少年のどんぐり眼はかなり見下ろす位置にある。
その瞳をことさら上目遣いにし、捧げ物のように風呂敷包みを俺に差し出す。

タッパーに詰められたそれは、彩りもよく味の沁みていそうな良い色をしていた。
「お前が作ったのか、これ?」
「うん、…嫌いなら別にいいんだけど」
宮城和宏は苦笑混じりに言った。元来世話焼きなのだろう。
率直に、気遣いを嬉しく感じた。
「とんでもねぇ、すげぇ美味そうじゃねぇか」
「そ、そう?よかった。…ほら、なんか俺達が無理矢理鞍を家に引っ張ってっちゃったからさ…慈玄、ちょっと寂しいんじゃないか、って」
後ろめたそうにやや俯きながら、そんなことを洩らす。

初めに鞍と共に此処へ来た和宏は、今時珍しく礼儀正しい奴なのかと思っていたが、気が付けば俺に対してもずいぶんと砕けた話し方をする。
いつぞやケーキを運んできた時にもその片鱗は見えたが、鞍を夕飯に誘うための電話やメールを、俺に何度かよこすうちに尚顕著になった。
鞍がまだ顔を出していた頃、自分の事を同世代としか思ってないようだと愚痴っていたが、おそらく無意識のうちにこの様な言葉遣いになっているのだろう。
或いは…よほどの相手でない限り、誰とでも分け隔てなく親しくできるタイプなのかも知れない。
鞍とは別の意味で、まだ子供なのだろうかとも思う。
4 / 5
5 / 5

それはいいとして。
特に寂しい、とも感じていなかった俺だが、この素直で真面目な相手に、少しばかり意地悪を言ってみたくなった。
「そう、だな…。確かに一人で飯を食うのはちょっと味気ねぇな。何なら、お前が付き合ってくれてもいいんだが」
くす、と笑って和宏の顔を見ると、更に申し訳なさそうに下を向く。
「…夕飯付き合うくらい構わない、けど…」
「じゃあ決まりだ。俺も今日は仕事があってまだ夕飯食ってねぇんだ。飯は炊いてあっから、一緒に食わねぇか?」
笑いかけつつ、提案してみた。

和宏は僅かに躊躇したらしい表情を見せたが、顔を上げると意を決したように言葉を発した。

「…わかった。俺用意するよ。キッチンってどこ?」
おそらくこいつは、大した用も無いのに遅い時間に他人の家に上がり込むのをあまり良しとしていないのだ。
いつか、茶を勧めても室内まで来なかった事でも察しが付く。
それでも俺の誘いを承知したのは、俺から鞍を奪ったかもしれない、という気持ちに相当苛まれていたためだろう。

少し、弱みにつけ込んでしまったか、とも思う。
とはいえ。一人の食事が少々侘びしかったのは確かで、…それに、やはりこの和宏という少年の事は、どういうわけか少なからず興味を惹かれていた。
鞍に対するような、曖昧な感情とは少し違う。というより「護りたい」鞍と違い、俺の方が縋り付きたいような、そんな気さえ懐かせる。

ここでの飯は釜炊きしていた。現代で暮らすにあたって電化製品に慣れないわけでは無かったが、どうしても飯だけは竈を使うのに慣れていたし、圧倒的にこの方が美味いと思っていたからだ。
その竈を、和宏は物珍しそうに眺めた。それはそうだろう。ここの竈は昔からあったものではない。前住職が逝去した後、俺がわざわざ依頼し取り付けさせたものなのだから。
業者を見付けるのも苦労したほどだ。勝手口を広げ設置された竈は、古いといっても築数十年程度のこの家屋には、結構場違いに見える。

「ご飯、これに炊いてあるの?」
「あぁ、美味いぜ?」
釜の蓋を開けてやると、少年は幼子のような瞳を輝かせた。
「うわ、すっげぇ良い匂い…」
純粋な反応を微笑ましく思い、その後の支度を甘える。

台所の入り口に立ち、しばらく動作を眺めていたが、和宏は実に楽しそうに、かつ手際よく盛りつけていた。
両親が不在だと言っていたから、通常自宅でも炊事はこいつの仕事なのだろう。
だとしても感嘆に値するくらい、非常に手慣れていた。

気が付けば、持ってきた煮物以外にも数点の副菜が添えられた夕飯となっていた。
煮物は最初の見た目以上に、その他の総菜もとても十代の少年が作ったものとは思えぬ味だった。
俺も鞍もある程度料理はする方だったが、和宏のは少し頭抜けている。好きでやっているのが分かる。

「いや、ほんと美味ぇな。…御馳走様」
綺麗に平らげて箸を置くと、照れ臭そうに和宏は微笑んだ。
「お粗末様でした。美味しいって言って貰えてよかったよ。それにご飯、すっごい美味しかった」
さも嬉しげに言い、そのまま食器を片付け始める。
「これ片付けて、茶を淹れたら俺、帰るから…」
そそくさと台所に向かう後ろ姿を見送りながら、先程からぼんやりと浮かぶ感情に思いを馳せる。

いままで、余り感じたことのない種類のものだ。ずっと忘れていた、憧憬のような…。
初めて顔を合わせた時から可愛らしいとは思っていたし、ケーキを持ってきて少々縁側で雑談した時も、印象は悪くなかった。
しかし、こうして近くで接すればするほど、何故か手を伸ばし、捕まえたくなる。
…やはり、根底に流れる気の為、だろうか…。

やがて、茶の準備をして戻った和宏に、ふいにこんなことを投げかけたのも、もう…悪戯心だけではなかったのかも知れない。
「明日は学校休みだろ。泊まって行きゃあいい」

言ってから、自分でもこころなし動揺した。いくら鞍が自らの手元を離れたからとて、別の誰かにこんなことを思うのはいささか早急ではないかと。

かつての己の所業を浅ましく、恥ずべきことと認識し、以来、急激な情念に左右されぬよう自律していた。そう考えていたはずだ。
鞍に関しては、過去の想いも、俺が近くに居ながら命を失わせてしまった悔恨の意識もある。
だから情欲とは別に、愛情という形であいつのことを見てきた。だがこの少年は…

そんな自分に対する言い訳など何の意味も持たないと嘲笑うかのように、感情はただこいつを帰したくない、引き止めておきたいという衝動に突き動かされていた。

相手の戸惑う瞳を覗いている時間が、とてつもなく永いように感じた。
5 / 5
ステキ!を送ってみましょう!
ステキ!を送ることで、作品への共感や作者様への敬意を伝えることができます。
また、そのステキ!が作者様の背中を押し、次の作品へと繋がっていくかもしれません。
ステキ!は匿名非公開で送ることもできますので、少しでもいいなと思ったら是非、ステキ!を送ってみましょう!

PAGE TOP