投稿日:2017年05月08日 21:29 文字数:7,051
第三章 北極星(ポラリス) #1
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◆◇◆
海を、見ていた。
浜辺が人でごった返すのにはまだ早い季節、初夏の緩やかな風に水面が凪いでいる。
その時期になってもここは穴場で、芋洗う、みたいにはならないけどね、と光は笑ったが。
ゴールデンウイーク明けのこの日、光から旅行に行ってみないかと誘われたのは割と突然だった。
「釈君がね、バイク貸してくれるんだって。折角だから海にでも行ってみない?」
大型連休中は、カフェ「Sweet Smack」でのバイトも書き入れ時だ。
春の桜以外には取り立てて観光名所があるわけではない桜街だが、それでも休暇の一日を公園やカフェでゆったりと過ごす客は多い。
連日満席状態の時間帯も多く、まだ新米の域を出ない俺もほぼフル出勤で働いた。
とはいえ。
他人様が休日の最中、自分が働いていることに別段不満があったわけではない。
というより、旅行、などというものをどんな時期だろうとしたいと思ったことが無かった。
子供の頃からそうだった。レジャーとして何処かへ行きたい、という欲求を覚えたことがない。
それどころか、集団行動そのものが苦痛だった俺は、学校行事などでさえ極力参加を拒んだ。
小、中学校の修学旅行は何かと理由をつけてバスや宿に居残り、高校では仮病を押し通して欠席した。
皆で風呂に入ったり就寝したり…が億劫で、宿泊先での時間もじっと身を潜めるようにして過ごしていた、と思う。既によく覚えてはいないが。
周囲は訝しみもしたけれど、最終的に「あいつは孤児だから」の一言で片付けられた。
それは都合良くもあり、「所詮そんなもんだ」という諦めも生じさせた。
多分…「どこへ行こうが何も変わらない」と思っていたのだ。
…そんな俺に、旅行へ行こうと誘う、光。
なりゆきから始めた「兄弟ごっこ」における兄、であり、今は…「俺を俺として」見てくれる、相手。
◆◇◆
和がこの家を出て、慈玄の寺で居候を始めてから一ヶ月余りが経つ。
俺と光の関係を目撃して…結果的に、とはいえ長年共に暮らしてきた兄を「奪う」ようなことをしてしまったのに、荷物を取りに一旦帰宅した和の目には、戸惑いも侮蔑もなかった。逆に、凛とした決意さえ見えた。
暫く寺で過ごせば良い、というのが慈玄の入れ知恵であることは明らかだが、最早自分で決めたこととして受け入れているようだった。
「偶には帰ってくるし。俺の家には変わりないもんな!」
決して強がりなど滲ませていない明るい声。うんうん、と頷く光を後目に、俺はなんだかこの「弟」が空恐ろしくなった。
いつかは…兄であった存在は妻を娶り、子を為し、「兄弟」とは別の家族を築くことは覚悟していただろう。
しかし、俺は「男」であり、その上和当人が「兄」としてこの家に招き入れた存在だ。
血は繋がらずとも、心で信頼関係を積み重ねてきた「長兄」を、同じ様に受け入れようとした「次兄」に盗られ、自分の知らない秘密を作られ…。
和の想いは、多いに踏みにじられたはずだ。
おまけに、正式な「宮城家の嫡男」である和が、結局ひとり家を出る羽目になっている。
こんなに躊躇せず、顔を合わせられるものだろうか?何の罵倒も厭味もなく、言葉を交わせるものだろうか?
慈玄と和の間に、どんなやりとりがあったかは知らない。
が、出会ってからですらまだ半年足らず、数度行き来をしていたとはいえ、それだけの関係である慈玄に、和が完全に心を開いているとは考えにくい。
いくら俺よりずっと、順応性が高いであろうことは分かっていても。
身寄りもちゃんとした家もなかった俺とは違う。
ただ単に、「俺達を気遣って」和は子供の頃から慣れ親しんだこの家を去ったのだ。それも、快く。
俺には全く理解が出来ない。「お前なんか出て行け」と一喝された方が余程腑に落ちる。
これも、和が光を信用しているから…と言われればそうかも知れない。
だとしても…負の感情が微塵も見えない和は、自分とは全く別の世界の人間に思えた。
海を、見ていた。
浜辺が人でごった返すのにはまだ早い季節、初夏の緩やかな風に水面が凪いでいる。
その時期になってもここは穴場で、芋洗う、みたいにはならないけどね、と光は笑ったが。
ゴールデンウイーク明けのこの日、光から旅行に行ってみないかと誘われたのは割と突然だった。
「釈君がね、バイク貸してくれるんだって。折角だから海にでも行ってみない?」
大型連休中は、カフェ「Sweet Smack」でのバイトも書き入れ時だ。
春の桜以外には取り立てて観光名所があるわけではない桜街だが、それでも休暇の一日を公園やカフェでゆったりと過ごす客は多い。
連日満席状態の時間帯も多く、まだ新米の域を出ない俺もほぼフル出勤で働いた。
とはいえ。
他人様が休日の最中、自分が働いていることに別段不満があったわけではない。
というより、旅行、などというものをどんな時期だろうとしたいと思ったことが無かった。
子供の頃からそうだった。レジャーとして何処かへ行きたい、という欲求を覚えたことがない。
それどころか、集団行動そのものが苦痛だった俺は、学校行事などでさえ極力参加を拒んだ。
小、中学校の修学旅行は何かと理由をつけてバスや宿に居残り、高校では仮病を押し通して欠席した。
皆で風呂に入ったり就寝したり…が億劫で、宿泊先での時間もじっと身を潜めるようにして過ごしていた、と思う。既によく覚えてはいないが。
周囲は訝しみもしたけれど、最終的に「あいつは孤児だから」の一言で片付けられた。
それは都合良くもあり、「所詮そんなもんだ」という諦めも生じさせた。
多分…「どこへ行こうが何も変わらない」と思っていたのだ。
…そんな俺に、旅行へ行こうと誘う、光。
なりゆきから始めた「兄弟ごっこ」における兄、であり、今は…「俺を俺として」見てくれる、相手。
◆◇◆
和がこの家を出て、慈玄の寺で居候を始めてから一ヶ月余りが経つ。
俺と光の関係を目撃して…結果的に、とはいえ長年共に暮らしてきた兄を「奪う」ようなことをしてしまったのに、荷物を取りに一旦帰宅した和の目には、戸惑いも侮蔑もなかった。逆に、凛とした決意さえ見えた。
暫く寺で過ごせば良い、というのが慈玄の入れ知恵であることは明らかだが、最早自分で決めたこととして受け入れているようだった。
「偶には帰ってくるし。俺の家には変わりないもんな!」
決して強がりなど滲ませていない明るい声。うんうん、と頷く光を後目に、俺はなんだかこの「弟」が空恐ろしくなった。
いつかは…兄であった存在は妻を娶り、子を為し、「兄弟」とは別の家族を築くことは覚悟していただろう。
しかし、俺は「男」であり、その上和当人が「兄」としてこの家に招き入れた存在だ。
血は繋がらずとも、心で信頼関係を積み重ねてきた「長兄」を、同じ様に受け入れようとした「次兄」に盗られ、自分の知らない秘密を作られ…。
和の想いは、多いに踏みにじられたはずだ。
おまけに、正式な「宮城家の嫡男」である和が、結局ひとり家を出る羽目になっている。
こんなに躊躇せず、顔を合わせられるものだろうか?何の罵倒も厭味もなく、言葉を交わせるものだろうか?
慈玄と和の間に、どんなやりとりがあったかは知らない。
が、出会ってからですらまだ半年足らず、数度行き来をしていたとはいえ、それだけの関係である慈玄に、和が完全に心を開いているとは考えにくい。
いくら俺よりずっと、順応性が高いであろうことは分かっていても。
身寄りもちゃんとした家もなかった俺とは違う。
ただ単に、「俺達を気遣って」和は子供の頃から慣れ親しんだこの家を去ったのだ。それも、快く。
俺には全く理解が出来ない。「お前なんか出て行け」と一喝された方が余程腑に落ちる。
これも、和が光を信用しているから…と言われればそうかも知れない。
だとしても…負の感情が微塵も見えない和は、自分とは全く別の世界の人間に思えた。
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そして…俺と光は二人の生活を始めることになった。
それまで、和の存在があったことで保たれていた自制は、簡単に失せた。
請われれば押し切られるままに身体を許し、リビングだろうが風呂場だろうが、ところ構わず行為に至る。
「………っく、ぅ、ふぁ、ぁあっっ!!」
声は必死で堪えても、漏れ聞こえる淫靡な水音は耳に届く。
壁に押しつけられ、片足を高く持ち上げられた状態で、恥部の奥に熱く滾った肉棒を突き入れられる。
最初は痛みを伴ったが、回数を重ねる毎にそれも快感へと変わった。
同性間のセックスは、光も初めてでは無かったようだ。
何度か肌を重ねると、俺が「感受しやすい」場所を探り当てた。
ソコを重点的に責められるようになると、体幹から全ての力が抜け落ちてしまうような気がした。
羞恥や自己嫌悪は相変わらずだったが、頭に渦巻く思考はお構いなしに、身体はよがり、やがて絶頂を迎える。
己自身の先端からだらしなく粘液が零れ落ちるのが、薄く開いた視界に飛び込む。
……爛れている、とはこういうことかもしれない。
俺達はそれぞれの中にある空虚な部分を埋めるように、獣みたいに交わった。
こうなったら和の事も、今置かれている状況も、何もかも吹き飛んでしまえばいい…そうとすら、俺は思った。
吐き出される精と一緒に、現実感が抜け落ちていく感覚。
男同士での情交自体も異常なら、いままで存在そのものが希薄だった俺が、こんなふうに誰かに貪欲に求められることも異常だ。
……だとしたら。
この瞬間そのものも、夢か幻なのだろうか。それならそれで良い。
延々と重ねていた唇を解いて、覗き込む瞳。いつか見た翳りが見える。
離れないで、傍に居てと、言葉でもその視線でも繰り返される。
足元も覚束ないようなふわふわした意識の中で、光の懇願ともとれる「想い」だけが、苦痛を抑える麻薬のように…また反対に身体を蝕むウィルスのようにじわじわと染み渡る。
そうしてより甘美な堕落の中に、なされるがまま沈み込んでいった。
…これを「恋人同士の関係」、と呼べるのかどうかは俺にも良く分からない。
学生の頃、たった一度だけ「女性」と交際したことがある。
その相手こそが、俺にとって生まれて初めて「好きだ」と言われた相手なのだが。
但し、「彼女」の言葉は、その実何の重みすら無かった事が判明した。
…いや、本当はあったのかもしれない。が、付き合っている間も別れて後も、俺にそれが伝わることはなかった。
そもそも告白を率直に喜べたわけではない。何より困惑の方が大きかった。
会話もろくに交わしたことのない相手だった。
しかし…当時の俺はまだ、他人の言動と思惑の落差を推し量る余裕も無かったのだと思う。
まったく聞き慣れぬ「好き」という言葉に、押し流されてしまったのかも知れない。
それから間もなく、身体の関係を持った。
しかし愛情、と呼べそうな感情も、今光と交わすような…求め合う渇望感も、自らの思考をぶち壊す程の痛覚も、ましてやろくに快楽も無い。
そこにあったのは、ただ「動物としての性交」、触覚による反射的な身体の対応。
たった一度のセックスで、その技術でも、日常の会話や行動でも俺が自分を満足させる事は無いと、彼女は即時に判断した。
「付き合った」、と呼べるかどうかも分からないほどの短い交際期間はそのまま終わりを告げることになる。
後に。
喧嘩ばかりしていた俺が「不良」として、女性関係にも経験豊富なのではないかと踏んでいたこと、誰ともつるまなかった俺を「手なずける」ことで周囲から一目置かれたかったのだということ…その娘がそれらの「打算」を懐いて自分に好意を告げたらしい、そう小耳に挟んだ。
…のだが、自分自身でも呆れるほど、何の憤慨も、軽蔑も覚えなかった。
彼女を責める義理など、俺には全く無い。自分だって、流されるままに受け止めただけで似たようなものだったのだから。
……どこかで、他人とは…特に「女」とは、そういうものなのだろう…と、当たり前の様に認識していた節、もある。
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とにかく。
その謂わば「普通の男女交際」での経験は、今に至っても何の知識にもなっていない。
その上、光との普段の生活は…ひとり足りなくなった、というだけで和が居たときと何も変わっていなかった。
出来る範囲で家事をこなし、食事を用意し、一緒に飯を食い、稀に他愛の無い言葉を交わす。
こんな日常が続いていたので、身体を交えているとき以外は…これが「恋人同士」の関係なのか「兄弟」のままなのか、俺には判然としがたい。
抱きついてきたり帰宅後頬にキスしようとしたり…は、和だろうが俺だろうが、光は冗談半分でずっとやっていたのだし。
そういう状態だったから、「二人で」旅行をしようだとか、何処かに遊びに行こうだとか…そんな考えは微塵も浮かんでこなかった、と言って良い。
俺が光の申し出を唐突に思えたのは、そういう背景があってのこともある。
けれど、光の方は案外そうでもなかったようだ。
事前に釈七さんからバイクを借りる手筈を整え、ホテルを探して部屋の空き状況も常時調べていた、という。
「鞍と、一緒に行きたいんだ。…駄目?」
そんな準備を着々と進めていた光に驚きながらも、風を切って走るバイクに乗って、この相手と二人でだだっ広い海を眺めるのは、何故かそう悪くない提案に思えてきた。
「う、うん…別にいい、けど…」
ゆる、と顎を下げて承諾すると、いつものへらへらとした感じとは少し違う…何かがぱぁっと弾けたような笑顔を、光は浮かべた。
◆◇◆
綺麗に磨かれたバイクが、車体を陽の光に反射させている。
見るからに手入れが行き届いた中型二輪は、確かにがっしりした体格の釈七さんには良く似合う、ような気がした。
つまり、光には逆に不釣り合いにも見える。
「失礼な。俺だって免許はちゃんとあるし、運転だって上手いんだから」
そう言って、苦笑する光。
フルフェイスのヘルメットを被り、跨がってハンドルを握ると、なるほどそれなりに様になる。
…流石は元モデル、というべきか…。
光のその経歴を知ったのさえ、ごく最近のことだ。
いつか、顔を殴られたのが「転職後で良かった」とぼやいていたのはそういう理由だった。
モデル、という職業だったのならば、こいつの少々ちゃらちゃらした外見にも納得ができる。
…教師になって尚こんな見た目なのは、ちょっと問題なのではないかとも思うのだが。
と、思いながらも…俺は学校での光のことは何一つ知らない。
だからそのことを口に出して指摘する道理もない。
まだ、光のことなど俺は大して知りもしないのだ。
他人の詮索など趣味ではないが…その自分の「無知」が、どうしてか微かに悔しい。
そんな感情、今までの俺には決して無かったものだったように思う。
「鞍も早く乗りなよ」
笑んだ目元だけが覗く光に倣って、自分もヘルメットを被り、後部に乗り込む。
二人乗りも楽に出来るシートだった。
…釈七さんが普段から彼女でも乗せているのかも知れない…そんなことが漠然と頭を過ぎる。
「んじゃ、しっかり捕まってね。ぎゅーっと抱きついてくれればいいから」
「…………ばーか」
溜息交じりに言いつつ、ぱっと見の印象よりずっと広い背中にしがみつく。
冴え渡る五月の青空と、香るような緑の風。
ほんの少し前ならば、気にも留めなかった季節の息吹に、いままで感じた事の無い高揚感が僅かに宿る。
ブォン、とひとついななきを上げて、鉄の馬は走り出した。
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◆◇◆
せり出した岩場に、波がぶつかり飛沫を散らす。
ガラスが細かく砕けるのに少し、似ている。
防波堤を境に、やや入り込んだ地形。
砂浜はそう広くはなく、数十メートルほど歩くと岩に行く手を阻まれる。
泳げなくはないだろうが、監視などの目が無いので「公的な」遊泳区域では無いらしい。
「穴場」というのは、それが所以と思われた。
海岸沿いにはぽつぽつと店舗などもあったが、そぞろ歩く人の姿は多くない。
週末ではあったけれど、連休明けで既に体力も金も使い果たした、という感じか。
それともやがて来る夏を待つように、今は眠りの期間なのか。
◆◇◆
若干老朽した建物ではあったが、ホテルの部屋からは海が一望できた。
海水浴客で賑わう頃は、まだまだ現役なのだろう。
お洒落なリゾートホテル、とはいかなかったけど…と光は残念そうに洩らしたが、ベッドの二つ並んだツインルームは、シンプルながらも小綺麗ではあった。
何より、「日常生活とは違う場所」にやってきたのだ、ということが眼前に広がる景色によって思い知らされる。
生まれてこの方、そんな機会もあるにはあったが、目を逸らし決して意識することのなかった情景。
高みから見下ろす水平線は、地球が丸いことを実感させる、緩やかな曲線を描いていた。
彼方には、船影も見えた。海面が、その上に金や銀の紙を細かく千切って、ひとつひとつ丁寧に貼り付けたみたいにキラキラと午後の太陽に乱反射する。
「うわ………ぁ………」
思わず声を上げる。
いままで俺が見る景色に、色は無かった。あったとしてもどれもこれも、まるでスモッグの中みたいに、澱んだ灰色のフィルターがかかっていた。
それが、この数ヶ月で少しずつ変わって来た。
桜の花が白では無く、淡い紅色をしているのだと知った。
あれは…俺のバイト上がりを待って一緒に帰路に就いた光が、満開の枝を指し示したからではなかったか。
無色透明に光るガラスが、元々好きだった。
その破片が散らばっているかのように見える夜景を見せてくれたのも光だ。
街の灯りは、温かな暖色を帯びて輝いていた。
白い瞬きばかりだと思っていた星にも、色があることを教えてくれた。
自分の世界で唯一、色彩を意識していた赤ワインも、その種類によって濃淡が違うと理解したのも最近の事。
それも偶々立ち寄ったコンビニに並んでいるのを見て、光が口にした話であったように思う。
概念としては、無論それらが単色でないことは知っている。
けれど、俺の目を通して見れば、重いペンキでべたりと塗りつぶしたようだったのだ。
それが「なんということはない、他愛ない会話」で、筆に含ませた水彩絵の具よろしく、ひとつひとつ色を落としていく。
慈玄とも世間話をしないわけではなかったが、こんな風に感じた事は殆ど無い。
おそらくは、あのときから……「ここにいる自分」を真っ直ぐ見つめてくれる視線に出会ってから、それは始まったのだ。
今、その相手と並んで眺める先に広がるのは、青、そして蒼。
もう暫く時が過ぎれば更に色鮮やかになるのだろうが、まだ淡さも伴った…。
「きれい、だな…」
その言葉を口に出すようになったのは、いつからか。
つい口から溢れてしまうものではあったが、明らかに「隣に居る誰か」に同意を求める響きを含んだのは。
しかし肯定の返事は無く、そのままぐい、と肩を引き寄せられた。
眼前の青色は途絶え、代わりに見えたのは閉じられる寸前の青味がかった瞳。
それも一瞬のうちに遮られ、直後に息が止まる。
距離を置いて聞こえるさざなみをかき消したのは、くちゅり、と粘り気のある水音。
「……そんなに可愛く喜ばれたら、耐えられなくなっちゃうよ?」
呼吸を繋いだ口端から、一筋溢れた唾液を舐め取って、光が囁く。
自分では全く意識しなかったのだが、俺はそんなに嬉しそうだったのだろうか?
その疑問を投げかける暇も無く、再度唇を重ねられる。
「ん………っく…っ」
執拗に絡みつく舌が、喉を塞ぐ。乱れた吐息は相手も同じ。ねっとりと互いに混じり合う。
それでも離れることは無く、熱を感じ始め汗で湿った肌の上を、何時の間にかシャツの下に侵入した指先が滑る。
「………っ、ちょ……っ!!」
辛うじて身を捩り、貼り付いた胸を押しのけた。
やっと表情を確認出来る位置まで離れたその顔は、拒否された不満を目一杯浮かべている。
ゴールデンレトリバーの毛並みにも似た金髪に、しゅんと垂れ下がった耳でも付いているかに見えた。
「………嫌?」
「っ、ま、まだ明るいだろ?!着いたばっかだし!!」
犬の耳が、ぴくんと跳ね上がったようにさえ感じた。
俺の拒絶が、行為そのものにされたものではないと悟ったらしい。
丸く見開いた目はすぐに細められ、くす、と含み笑いに変わる。
「それもそう…か。うん、ちょっと海辺に行ってみようか」
先に背を向けドアへ向かう背中を見ながら、深く息を吐く。
すっかり上昇してしまった体温は、落ち着く気配が無い。
「ほら、行こう?」
扉を開け、振り返った無邪気な笑顔に、恨みがましい一瞥を返す。
「出先で浮かれてるからって、簡単に盛るな、バカ」
睨み付けた視線とボソッと投げた呟きは全く届いていないらしい。
それらを向けた相手は、主人に散歩を促す大型犬さながらに、尻尾を振って俺が来るのを待っている。
もう一度嘆息してから、後を追った。
火照った身体を潮風が宥めてくれるのを期待しながら。
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海を、見ていた。
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「偶には帰ってくるし。俺の家には変わりないもんな!」
決して強がりなど滲ませていない明るい声。うんうん、と頷く光を後目に、俺はなんだかこの「弟」が空恐ろしくなった。
いつかは…兄であった存在は妻を娶り、子を為し、「兄弟」とは別の家族を築くことは覚悟していただろう。
しかし、俺は「男」であり、その上和当人が「兄」としてこの家に招き入れた存在だ。
血は繋がらずとも、心で信頼関係を積み重ねてきた「長兄」を、同じ様に受け入れようとした「次兄」に盗られ、自分の知らない秘密を作られ…。
和の想いは、多いに踏みにじられたはずだ。
おまけに、正式な「宮城家の嫡男」である和が、結局ひとり家を出る羽目になっている。
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が、出会ってからですらまだ半年足らず、数度行き来をしていたとはいえ、それだけの関係である慈玄に、和が完全に心を開いているとは考えにくい。
いくら俺よりずっと、順応性が高いであろうことは分かっていても。
身寄りもちゃんとした家もなかった俺とは違う。
ただ単に、「俺達を気遣って」和は子供の頃から慣れ親しんだこの家を去ったのだ。それも、快く。
俺には全く理解が出来ない。「お前なんか出て行け」と一喝された方が余程腑に落ちる。
これも、和が光を信用しているから…と言われればそうかも知れない。
だとしても…負の感情が微塵も見えない和は、自分とは全く別の世界の人間に思えた。
海を、見ていた。
浜辺が人でごった返すのにはまだ早い季節、初夏の緩やかな風に水面が凪いでいる。
その時期になってもここは穴場で、芋洗う、みたいにはならないけどね、と光は笑ったが。
ゴールデンウイーク明けのこの日、光から旅行に行ってみないかと誘われたのは割と突然だった。
「釈君がね、バイク貸してくれるんだって。折角だから海にでも行ってみない?」
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春の桜以外には取り立てて観光名所があるわけではない桜街だが、それでも休暇の一日を公園やカフェでゆったりと過ごす客は多い。
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とはいえ。
他人様が休日の最中、自分が働いていることに別段不満があったわけではない。
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子供の頃からそうだった。レジャーとして何処かへ行きたい、という欲求を覚えたことがない。
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小、中学校の修学旅行は何かと理由をつけてバスや宿に居残り、高校では仮病を押し通して欠席した。
皆で風呂に入ったり就寝したり…が億劫で、宿泊先での時間もじっと身を潜めるようにして過ごしていた、と思う。既によく覚えてはいないが。
周囲は訝しみもしたけれど、最終的に「あいつは孤児だから」の一言で片付けられた。
それは都合良くもあり、「所詮そんなもんだ」という諦めも生じさせた。
多分…「どこへ行こうが何も変わらない」と思っていたのだ。
…そんな俺に、旅行へ行こうと誘う、光。
なりゆきから始めた「兄弟ごっこ」における兄、であり、今は…「俺を俺として」見てくれる、相手。
◆◇◆
和がこの家を出て、慈玄の寺で居候を始めてから一ヶ月余りが経つ。
俺と光の関係を目撃して…結果的に、とはいえ長年共に暮らしてきた兄を「奪う」ようなことをしてしまったのに、荷物を取りに一旦帰宅した和の目には、戸惑いも侮蔑もなかった。逆に、凛とした決意さえ見えた。
暫く寺で過ごせば良い、というのが慈玄の入れ知恵であることは明らかだが、最早自分で決めたこととして受け入れているようだった。
「偶には帰ってくるし。俺の家には変わりないもんな!」
決して強がりなど滲ませていない明るい声。うんうん、と頷く光を後目に、俺はなんだかこの「弟」が空恐ろしくなった。
いつかは…兄であった存在は妻を娶り、子を為し、「兄弟」とは別の家族を築くことは覚悟していただろう。
しかし、俺は「男」であり、その上和当人が「兄」としてこの家に招き入れた存在だ。
血は繋がらずとも、心で信頼関係を積み重ねてきた「長兄」を、同じ様に受け入れようとした「次兄」に盗られ、自分の知らない秘密を作られ…。
和の想いは、多いに踏みにじられたはずだ。
おまけに、正式な「宮城家の嫡男」である和が、結局ひとり家を出る羽目になっている。
こんなに躊躇せず、顔を合わせられるものだろうか?何の罵倒も厭味もなく、言葉を交わせるものだろうか?
慈玄と和の間に、どんなやりとりがあったかは知らない。
が、出会ってからですらまだ半年足らず、数度行き来をしていたとはいえ、それだけの関係である慈玄に、和が完全に心を開いているとは考えにくい。
いくら俺よりずっと、順応性が高いであろうことは分かっていても。
身寄りもちゃんとした家もなかった俺とは違う。
ただ単に、「俺達を気遣って」和は子供の頃から慣れ親しんだこの家を去ったのだ。それも、快く。
俺には全く理解が出来ない。「お前なんか出て行け」と一喝された方が余程腑に落ちる。
これも、和が光を信用しているから…と言われればそうかも知れない。
だとしても…負の感情が微塵も見えない和は、自分とは全く別の世界の人間に思えた。
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そして…俺と光は二人の生活を始めることになった。
それまで、和の存在があったことで保たれていた自制は、簡単に失せた。
請われれば押し切られるままに身体を許し、リビングだろうが風呂場だろうが、ところ構わず行為に至る。
「………っく、ぅ、ふぁ、ぁあっっ!!」
声は必死で堪えても、漏れ聞こえる淫靡な水音は耳に届く。
壁に押しつけられ、片足を高く持ち上げられた状態で、恥部の奥に熱く滾った肉棒を突き入れられる。
最初は痛みを伴ったが、回数を重ねる毎にそれも快感へと変わった。
同性間のセックスは、光も初めてでは無かったようだ。
何度か肌を重ねると、俺が「感受しやすい」場所を探り当てた。
ソコを重点的に責められるようになると、体幹から全ての力が抜け落ちてしまうような気がした。
羞恥や自己嫌悪は相変わらずだったが、頭に渦巻く思考はお構いなしに、身体はよがり、やがて絶頂を迎える。
己自身の先端からだらしなく粘液が零れ落ちるのが、薄く開いた視界に飛び込む。
……爛れている、とはこういうことかもしれない。
俺達はそれぞれの中にある空虚な部分を埋めるように、獣みたいに交わった。
こうなったら和の事も、今置かれている状況も、何もかも吹き飛んでしまえばいい…そうとすら、俺は思った。
吐き出される精と一緒に、現実感が抜け落ちていく感覚。
男同士での情交自体も異常なら、いままで存在そのものが希薄だった俺が、こんなふうに誰かに貪欲に求められることも異常だ。
……だとしたら。
この瞬間そのものも、夢か幻なのだろうか。それならそれで良い。
延々と重ねていた唇を解いて、覗き込む瞳。いつか見た翳りが見える。
離れないで、傍に居てと、言葉でもその視線でも繰り返される。
足元も覚束ないようなふわふわした意識の中で、光の懇願ともとれる「想い」だけが、苦痛を抑える麻薬のように…また反対に身体を蝕むウィルスのようにじわじわと染み渡る。
そうしてより甘美な堕落の中に、なされるがまま沈み込んでいった。
…これを「恋人同士の関係」、と呼べるのかどうかは俺にも良く分からない。
学生の頃、たった一度だけ「女性」と交際したことがある。
その相手こそが、俺にとって生まれて初めて「好きだ」と言われた相手なのだが。
但し、「彼女」の言葉は、その実何の重みすら無かった事が判明した。
…いや、本当はあったのかもしれない。が、付き合っている間も別れて後も、俺にそれが伝わることはなかった。
そもそも告白を率直に喜べたわけではない。何より困惑の方が大きかった。
会話もろくに交わしたことのない相手だった。
しかし…当時の俺はまだ、他人の言動と思惑の落差を推し量る余裕も無かったのだと思う。
まったく聞き慣れぬ「好き」という言葉に、押し流されてしまったのかも知れない。
それから間もなく、身体の関係を持った。
しかし愛情、と呼べそうな感情も、今光と交わすような…求め合う渇望感も、自らの思考をぶち壊す程の痛覚も、ましてやろくに快楽も無い。
そこにあったのは、ただ「動物としての性交」、触覚による反射的な身体の対応。
たった一度のセックスで、その技術でも、日常の会話や行動でも俺が自分を満足させる事は無いと、彼女は即時に判断した。
「付き合った」、と呼べるかどうかも分からないほどの短い交際期間はそのまま終わりを告げることになる。
後に。
喧嘩ばかりしていた俺が「不良」として、女性関係にも経験豊富なのではないかと踏んでいたこと、誰ともつるまなかった俺を「手なずける」ことで周囲から一目置かれたかったのだということ…その娘がそれらの「打算」を懐いて自分に好意を告げたらしい、そう小耳に挟んだ。
…のだが、自分自身でも呆れるほど、何の憤慨も、軽蔑も覚えなかった。
彼女を責める義理など、俺には全く無い。自分だって、流されるままに受け止めただけで似たようなものだったのだから。
……どこかで、他人とは…特に「女」とは、そういうものなのだろう…と、当たり前の様に認識していた節、もある。
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とにかく。
その謂わば「普通の男女交際」での経験は、今に至っても何の知識にもなっていない。
その上、光との普段の生活は…ひとり足りなくなった、というだけで和が居たときと何も変わっていなかった。
出来る範囲で家事をこなし、食事を用意し、一緒に飯を食い、稀に他愛の無い言葉を交わす。
こんな日常が続いていたので、身体を交えているとき以外は…これが「恋人同士」の関係なのか「兄弟」のままなのか、俺には判然としがたい。
抱きついてきたり帰宅後頬にキスしようとしたり…は、和だろうが俺だろうが、光は冗談半分でずっとやっていたのだし。
そういう状態だったから、「二人で」旅行をしようだとか、何処かに遊びに行こうだとか…そんな考えは微塵も浮かんでこなかった、と言って良い。
俺が光の申し出を唐突に思えたのは、そういう背景があってのこともある。
けれど、光の方は案外そうでもなかったようだ。
事前に釈七さんからバイクを借りる手筈を整え、ホテルを探して部屋の空き状況も常時調べていた、という。
「鞍と、一緒に行きたいんだ。…駄目?」
そんな準備を着々と進めていた光に驚きながらも、風を切って走るバイクに乗って、この相手と二人でだだっ広い海を眺めるのは、何故かそう悪くない提案に思えてきた。
「う、うん…別にいい、けど…」
ゆる、と顎を下げて承諾すると、いつものへらへらとした感じとは少し違う…何かがぱぁっと弾けたような笑顔を、光は浮かべた。
◆◇◆
綺麗に磨かれたバイクが、車体を陽の光に反射させている。
見るからに手入れが行き届いた中型二輪は、確かにがっしりした体格の釈七さんには良く似合う、ような気がした。
つまり、光には逆に不釣り合いにも見える。
「失礼な。俺だって免許はちゃんとあるし、運転だって上手いんだから」
そう言って、苦笑する光。
フルフェイスのヘルメットを被り、跨がってハンドルを握ると、なるほどそれなりに様になる。
…流石は元モデル、というべきか…。
光のその経歴を知ったのさえ、ごく最近のことだ。
いつか、顔を殴られたのが「転職後で良かった」とぼやいていたのはそういう理由だった。
モデル、という職業だったのならば、こいつの少々ちゃらちゃらした外見にも納得ができる。
…教師になって尚こんな見た目なのは、ちょっと問題なのではないかとも思うのだが。
と、思いながらも…俺は学校での光のことは何一つ知らない。
だからそのことを口に出して指摘する道理もない。
まだ、光のことなど俺は大して知りもしないのだ。
他人の詮索など趣味ではないが…その自分の「無知」が、どうしてか微かに悔しい。
そんな感情、今までの俺には決して無かったものだったように思う。
「鞍も早く乗りなよ」
笑んだ目元だけが覗く光に倣って、自分もヘルメットを被り、後部に乗り込む。
二人乗りも楽に出来るシートだった。
…釈七さんが普段から彼女でも乗せているのかも知れない…そんなことが漠然と頭を過ぎる。
「んじゃ、しっかり捕まってね。ぎゅーっと抱きついてくれればいいから」
「…………ばーか」
溜息交じりに言いつつ、ぱっと見の印象よりずっと広い背中にしがみつく。
冴え渡る五月の青空と、香るような緑の風。
ほんの少し前ならば、気にも留めなかった季節の息吹に、いままで感じた事の無い高揚感が僅かに宿る。
ブォン、とひとついななきを上げて、鉄の馬は走り出した。
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◆◇◆
せり出した岩場に、波がぶつかり飛沫を散らす。
ガラスが細かく砕けるのに少し、似ている。
防波堤を境に、やや入り込んだ地形。
砂浜はそう広くはなく、数十メートルほど歩くと岩に行く手を阻まれる。
泳げなくはないだろうが、監視などの目が無いので「公的な」遊泳区域では無いらしい。
「穴場」というのは、それが所以と思われた。
海岸沿いにはぽつぽつと店舗などもあったが、そぞろ歩く人の姿は多くない。
週末ではあったけれど、連休明けで既に体力も金も使い果たした、という感じか。
それともやがて来る夏を待つように、今は眠りの期間なのか。
◆◇◆
若干老朽した建物ではあったが、ホテルの部屋からは海が一望できた。
海水浴客で賑わう頃は、まだまだ現役なのだろう。
お洒落なリゾートホテル、とはいかなかったけど…と光は残念そうに洩らしたが、ベッドの二つ並んだツインルームは、シンプルながらも小綺麗ではあった。
何より、「日常生活とは違う場所」にやってきたのだ、ということが眼前に広がる景色によって思い知らされる。
生まれてこの方、そんな機会もあるにはあったが、目を逸らし決して意識することのなかった情景。
高みから見下ろす水平線は、地球が丸いことを実感させる、緩やかな曲線を描いていた。
彼方には、船影も見えた。海面が、その上に金や銀の紙を細かく千切って、ひとつひとつ丁寧に貼り付けたみたいにキラキラと午後の太陽に乱反射する。
「うわ………ぁ………」
思わず声を上げる。
いままで俺が見る景色に、色は無かった。あったとしてもどれもこれも、まるでスモッグの中みたいに、澱んだ灰色のフィルターがかかっていた。
それが、この数ヶ月で少しずつ変わって来た。
桜の花が白では無く、淡い紅色をしているのだと知った。
あれは…俺のバイト上がりを待って一緒に帰路に就いた光が、満開の枝を指し示したからではなかったか。
無色透明に光るガラスが、元々好きだった。
その破片が散らばっているかのように見える夜景を見せてくれたのも光だ。
街の灯りは、温かな暖色を帯びて輝いていた。
白い瞬きばかりだと思っていた星にも、色があることを教えてくれた。
自分の世界で唯一、色彩を意識していた赤ワインも、その種類によって濃淡が違うと理解したのも最近の事。
それも偶々立ち寄ったコンビニに並んでいるのを見て、光が口にした話であったように思う。
概念としては、無論それらが単色でないことは知っている。
けれど、俺の目を通して見れば、重いペンキでべたりと塗りつぶしたようだったのだ。
それが「なんということはない、他愛ない会話」で、筆に含ませた水彩絵の具よろしく、ひとつひとつ色を落としていく。
慈玄とも世間話をしないわけではなかったが、こんな風に感じた事は殆ど無い。
おそらくは、あのときから……「ここにいる自分」を真っ直ぐ見つめてくれる視線に出会ってから、それは始まったのだ。
今、その相手と並んで眺める先に広がるのは、青、そして蒼。
もう暫く時が過ぎれば更に色鮮やかになるのだろうが、まだ淡さも伴った…。
「きれい、だな…」
その言葉を口に出すようになったのは、いつからか。
つい口から溢れてしまうものではあったが、明らかに「隣に居る誰か」に同意を求める響きを含んだのは。
しかし肯定の返事は無く、そのままぐい、と肩を引き寄せられた。
眼前の青色は途絶え、代わりに見えたのは閉じられる寸前の青味がかった瞳。
それも一瞬のうちに遮られ、直後に息が止まる。
距離を置いて聞こえるさざなみをかき消したのは、くちゅり、と粘り気のある水音。
「……そんなに可愛く喜ばれたら、耐えられなくなっちゃうよ?」
呼吸を繋いだ口端から、一筋溢れた唾液を舐め取って、光が囁く。
自分では全く意識しなかったのだが、俺はそんなに嬉しそうだったのだろうか?
その疑問を投げかける暇も無く、再度唇を重ねられる。
「ん………っく…っ」
執拗に絡みつく舌が、喉を塞ぐ。乱れた吐息は相手も同じ。ねっとりと互いに混じり合う。
それでも離れることは無く、熱を感じ始め汗で湿った肌の上を、何時の間にかシャツの下に侵入した指先が滑る。
「………っ、ちょ……っ!!」
辛うじて身を捩り、貼り付いた胸を押しのけた。
やっと表情を確認出来る位置まで離れたその顔は、拒否された不満を目一杯浮かべている。
ゴールデンレトリバーの毛並みにも似た金髪に、しゅんと垂れ下がった耳でも付いているかに見えた。
「………嫌?」
「っ、ま、まだ明るいだろ?!着いたばっかだし!!」
犬の耳が、ぴくんと跳ね上がったようにさえ感じた。
俺の拒絶が、行為そのものにされたものではないと悟ったらしい。
丸く見開いた目はすぐに細められ、くす、と含み笑いに変わる。
「それもそう…か。うん、ちょっと海辺に行ってみようか」
先に背を向けドアへ向かう背中を見ながら、深く息を吐く。
すっかり上昇してしまった体温は、落ち着く気配が無い。
「ほら、行こう?」
扉を開け、振り返った無邪気な笑顔に、恨みがましい一瞥を返す。
「出先で浮かれてるからって、簡単に盛るな、バカ」
睨み付けた視線とボソッと投げた呟きは全く届いていないらしい。
それらを向けた相手は、主人に散歩を促す大型犬さながらに、尻尾を振って俺が来るのを待っている。
もう一度嘆息してから、後を追った。
火照った身体を潮風が宥めてくれるのを期待しながら。
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