ひだかみゆき

超次元サッカーの元陸上部大好きマンです。

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投稿日:2016年06月01日 16:20    文字数:15,468

HOPE:2 ふたりの距離

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サイトから再掲。
そうだ、デートに行こう!https://pictbland.net/items/detail/162856の続きです。
豪風キス話。風丸さん視点です。
以下は当時のあとがき。

やったね! とりあえずキスで始まってキスで終わりましたよ。
それにしても円堂に傾いてる風丸さんを無理矢理豪炎寺に向かせるには、大変苦労するってことが分かりました。
風丸さんは色々考え過ぎだ。でもまあ一杯悩むといいよ!
豪炎寺はもっとがんばれよぅ!
……と言うわけでまだ続きがあるんですが、10月2日豪風の日までは無理っぽいので、いずれなんとかしようと思います。
<2009/09/30 脱稿>
1 / 3
 みんな必死だった。闇雲でも走り続けて、もがき続けていた。
 それでもどうしようもないくらい、圧倒的な力の差。
 俺もまともな試合なんか初めてだったから、それこそ必死だし、あいつらは終いには円堂一人を攻撃するから、体を張ってでも護るしかなかった。
 けれどもたかが1週間程度の練習じゃ、追い縋るどころじゃなかった。
 でもそこへ現れたのは、それこそ救世主と言うべきものかもしれない。円堂があれほど肩入れしてたワケだ。
(あいつのシュートさ、凄いんだぜ! 風丸も一辺見たらすぐに、俺の気持ちが分かるって!)
 そう言って顔をほころばせた円堂。
 一体どんな奴なんだ。お前をそこまで喜ばせる奴なんて──。
 正直嫉妬した。俺じゃ、ダメなのか。
 ……いや、ダメなんだろうな。俺は元々陸上部だし、円堂には精々サッカーの練習に付き合ってあげてた程度だ。
 でも結局、円堂の言う“そいつ”は円堂と同じクラスに転校したものの、サッカー部には寄らず終いで、どういう格好の奴なのか、どんなプレースタイルなのか、どんな性格の奴なのか……は、全く分からないままだった。
 円堂には悪いが、所詮その程度の奴だったんじゃないか。俺はそう思ってた。でも。
 宙を舞うあいつ。
 紅蓮の軌道を描いて、帝国のゴールポストを直撃するシュートを放ったあいつ。
 ──ああ、正直に言うよ。
 そのシュートに俺は、見蕩れてしまった。
 初めて感じたサッカーの熱さ。それ、そのもの。
 たった1本のシュートがみんなの気持ちさえ変えてしまえるだなんて。
 俺の胸にずっとそれは、微熱のように刻まれてしまった。


ふたりの距離


 俺たち雷門中サッカー部は、ついこの間、元帝国学園の鬼道が入ってきたかと思えば、更に今度はアメリカからやって来たという──しかも、土門とマネージャーの木野とは幼馴染みらしい──一之瀬が入部してきたものだから、いつの間にか全部で15人という部活動としてはまずまずの人数になっていた。
 陸上部で俺が円堂とサッカーの練習に付き合ってやってた頃はまだ7人だったから、倍以上になり、円堂もよっぽど嬉しいのか、このところ毎日すこぶる元気だ。
「よーし! 今日も練習、頑張ろうぜ!」
「ああ。俺と土門とお前の必殺技、もっとパーフェクトにしたいしね!」
「円堂、次の試合のフォーメーションなんだが」
「円堂、練習メニューの件だけど」
「円堂くん。タオル洗濯終わったからベンチに運んでいいかな?」
 最近、円堂の周りにはしょっちゅう誰かが側にいる状態になり、円堂自身もそれを気にする事なく、精力的に日々を過ごしている。
 いつの間にやら、俺はそれを遠巻きに見るようになっていた。
「風丸さん。ランニングの先導お願いします」
 円堂を遠くから眺めていた俺に、1年たちが頭を下げてきた。
「ああ……。分かった、今行く」
 俺は円堂のそばに行くと、ランニングを始めると声をかけたが、鬼道と何やら相談してるらしくて、他の2年たちを促すと俺に、
「悪い、風丸。作戦会議中だからさ。他のみんなを頼むぜ」
と、両手を合わせて謝るポーズを取った。
 俺は肩を竦めて了解すると、円堂はニッと笑って俺を見送った。
 ランニングは、校庭と学校の外周を2周。俺が先導して音頭をとる。途中、ベンチの辺りで鬼道と会話してる円堂を見たら、何だか胸の辺りがもやもやした。
 いつもの通りにやったはずなのに、ランニングが終わった途端に、1年たちがバテたのかグラウンドにへばり込んだ。
「……今日のランニング、キツいッスよ~!」
「そうでやんす。ちょっとピッチが速かったんじゃないでやんすか、風丸さん」
「えっ」
 俺は思わず、息を切らせて座り込んでいる1年たちを見下ろした。ちくりと胸が痛む。
「だらしねえぞ、1年。次の試合は準決勝だし、もっと練習量上げないと勝てるもんも勝てねぇだろ。それでランニングのピッチも速くした。そうだろ? 風丸」
 腰に手を当てて染岡が俺に言う。
「あ、ああ……」
 頷いたが、それは嘘だ。本当は……二人だけで話し合う円堂と鬼道を見て、思わず足を速めてしまった。後ろめたさが俺の胸に忍び込んだ。
「あのさー、ちょっと訊きたいんだけど」
 いつの間にか俺の足元にマックスがしゃがみ込んで、じっと真下を覗き込んでいる。
「な、何だよ?」
「風丸が足につけてるミサンガ、豪炎寺のとおそろい、だよね?」
「えっ!?」
 俺だけでなく、周りの皆が反応した。それぞれ俺の足首と豪炎寺の手首を見比べる。
「あ、ホントだ」
「柄だけ同じの色違いですねー」
「ってか、ペアなんじゃね?」
 興味津々で俺と豪炎寺を見るみんなの視線が居たたまれなくて、俺は慌てて首を振った。
「あ、いや。同じ店で買ったし。って言うか、俺のは貰いもので豪炎寺のはあげたんだけど……。いやいや、円堂も同じのしてるから別にペアってワケじゃ……!」
 しどろもどろになって俺は訳を言う。その間、豪炎寺は黙ってそっぽを向いていた。
「なんだ。円堂も同じのしてるのか」
「グローブで見えなかったでやんすねー」
「いいなぁ。3人でおそろい、いいなぁ……」
 羨ましげな顔のみんなを見て、俺はうんざりと汗ばんだ額にかかる前髪を払いのけた。
「そんなに欲しいんなら、お前らにもやるよ。但し、明日のランニングはもっと速いピッチでいくからな!」
「うへぇ……」
「貰えるのはいいんですけど」
「風丸さん、マジパネェっす!」
「分かったら、次はストレッチと腹筋始めるぞ!」
 居たたまれなさと恥ずかしさ、そんなものを吹き飛ばすように、俺は練習メニューの開始を指図する。胸のもやもやはまだ晴れない。



 その日の練習が終わり、汗でぐしょぐしょのユニフォームから制服に着替える。窓から見える空は茜色に染まり、妙な寂しさに包まれる。円堂が部活日誌を片付けると、大きく欠伸をした。
「腹減ったー。ああ。これからみんなで雷雷軒行かないか!?」
「いいねぇ!」
 土門と一之瀬が即座に同意した。他の何人かも同意して、円堂の周りを囲んでいた。
「風丸。お前も行くよな?」
 円堂が当然のように俺に呼びかけてきた。何人もが取り囲む中から俺に向ける笑顔。
「あ……、いや。今日はよしとく」
「なんでだ?」
 きょとんとした顔で俺を見る。
「あんまり腹へってないんだ」
「え~? あんなに練習したのに?」
 円堂は俺に近寄ると、いきなり額に手を当ててきた。
「うわ。何するんだよ?」
「いや、熱でもあるのかな、って思って」
 正直見透かされている気がした。
「何ともないさ。ただ、今ラーメン食うと、晩飯食べられなくなるから……」
「そっか?」
 俺は頷く。円堂は本気で心配してるらしい。俺の顔色を伺って、何処か体が悪いのかと疑っているようだ。
「ああ。……俺が小食な事くらい知ってるだろ」
「そっか。じゃあまた今度な」
 円堂がそう言ったので、俺は肩かけ鞄を背負うと片手を上げて、背を向けた。
「また明日な」
 部室のドアを開けると、急いで校庭に飛び出した。小走りで校門に向かう。走りながら、俺は自分自身を何度も罵った。
 バカ。……バカ、バカ、バカ、バカ……!
 くたびれた体で通学路を通り、ふと目を上げると、茜混じりの群青色の空に黄色い稲妻のシンボルマークをつけた鉄塔が浮かんでいた。



 いつの間にか足は鉄塔広場に向かっていた。誰も居ないベンチ。円堂が特訓の為に木に括りつけた大きな古タイヤが風に揺れている。
 俺は古タイヤにそっと指を触れてみた。誰も居ないし、それに触った形跡もないから、古タイヤ特有のゴム臭い匂いがするだけだ。
 手のひらで撫でて、少し押してみる。括りつけた荒縄がきりりと鳴ってゆっくりと揺れた。
 誰も居ない……。
 俺と円堂の距離がどんどん遠くなっていくのが分かる。サッカー部が部活としてきちんと活動してなかった、その頃よりもずっと。
 俺の元に返ってきた古タイヤを、今度は思い切り押してみる。荒縄はぎりりと鳴る。タイヤが大きく揺れる。
 勢い良くタイヤは俺の元に返って来るけど、円堂は……俺の側に戻ってきてくれるのだろうか……?
 そんな想いに暮れていた時、不意に俺の肩が誰かに掴まれた。
 思わず振り向くとそこに居たのは、見慣れたツンツン頭だった。
「……豪炎寺?」
 俺の肩を掴んだまま、豪炎寺は黙っている。
「何だよ、みんなとラーメン食いに行ってたんじゃないのか?」
「……途中まで行ってやめた」
 ぶっきらぼうにそう答える。
 何だ、そりゃ。そう言おうかと思ったが、それきり黙ってしまった豪炎寺に、俺も無言で返すしかなかった。
 正直に言うと、豪炎寺が目の前に居ると俺は気後れする。豪炎寺は黙っていても男らしさが全身から漂っている奴だ。外見とか髪型とか、そんなものじゃない。俺が懸命に男らしく振る舞おうとしているのに、あいつはそんなものを気にも留めずに乗り越えてく。
「で、何か用か?」
 訪れた沈黙に耐えられなくて、俺はあいつに尋ねる。
「いや、別に……」
 たいした用はなさそうなのに、視線は俺に向けたまま。何か俺に言いにくい事でもあるのか?
 陽は落ちきって、群青色の空がどんどん濃さを増してゆく。一番星が輝く。宵の明星。俺はあいつの視線を無視して、空にぽつんと光る星を眺めた。
「風丸」
 いきなり俺の名を呼ぶ。木からぶら下がった古タイヤに左手を凭れていた俺は、でも、それを無視した。
 古タイヤに触れていた左手を掴まれた。学ランの袖から赤いミサンガが覗く。俺があげて、縛ってやったものだ。それについ、目を留めているとぐっと体が引き寄せられて、気がついたら豪炎寺の顔が俺に迫っていた。そして。
 俺の唇はあいつに奪われていた。
 重なる、唇と唇。触れ合う、呼吸。心臓がどきんと鳴った。キスされてると分かった瞬間、頬がかっと熱くなった。
「……あっ!」
 思わず豪炎寺の体を押しのける。一歩後ずさって、体を構えた。
「……風丸」
 俺の名を呼ぶ。けれども、俺は上擦った声をあげるのが精一杯で、豪炎寺の顔がまともに見られない。踵を返すと、俺は一目散に走り出した。

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 豪炎寺にキスされたその日、鉄塔広場から走って逃げた俺は、家に着くと懸命に忘れようと努めた。けれども、夕飯はまともに喉を通らず、宿題を片付けても、豪炎寺が俺の唇に残した感触が鮮やかに蘇ってはその度に胸を焦がす。
 唇に指を当ててみる。そっと触れたあいつの唇。感じた吐息。そんなものが俺の記憶を占領してしまい、宿題もまともにやれやしない。
 さっさと風呂を浴びて、そのままベッドの布団に潜り込んだ。いつも寝る前はストレッチをするのが習慣だったが、それすらもキスの記憶が邪魔をしそうだったので、止めてしまった。



 翌日、まんじりともしない朝を向かえた。朝陽は明るく、天気が良かったけれど、俺の胸はもやもやとしたもので充満されていて、気分はあまり良くない。
 いつも通りに登校し、授業を受けたけれど、今日は豪炎寺の顔がまともに見れないだろうな、とずっと考えていた。
 今日は部活を休んでしまおうか。こんな事で休むのは癪だったけれど、だけど、こんな状態でサッカーの練習がやれるとは到底思えなかった。
 練習中はどうしてもあいつと顔を合わせる。ランニングや基礎トレーニングの時はなるべく見ないようにすればいいけれど、あいつとの必殺シュートの練習の際には……。
 豪炎寺とはクラスが違った事に、俺はほっとする。授業中まで一緒だったら、俺は羞恥でまともに過せなかったに違いない。授業の最中でさえも、昨日の唇の感触の記憶は衰えるどころか、どんどん増してゆく。
 俺は時々唇に指を当ててみる。意外な程に柔らかかった……。触れられた唇は温かかった……。自分の指先が酷く冷たく感じる程に。その事に気付く度に、何故俺はこんな事で心が一杯になってしまっているのだろうと、悔やむ。
 俺の思いとは裏腹に、その日の授業は無事に終わった。
 やっぱり今日は休もう。そう思って、ホームルームもそこそこに円堂のクラスに行った。
 階段の陰に隠れてそっと伺ってると、先に豪炎寺が通った。心臓がどきんと鳴る。身を隠して豪炎寺が行ってしまうのをやり過ごすと、円堂を捜した。
「あ、円堂」
 円堂はまだ教室に残っていた。ゴミ箱を片付けていたから、掃除当番だったに違いない。
「どうした? 風丸」
 両手で持っていたゴミ箱を床に置くと、円堂が笑いかけてくる。その笑顔が俺にはとても眩しい。
「……あ、あのさ。ちょっと家で用事があって、悪いけど、今日の部活は……」
「休むのか、風丸」
 円堂のちょっとがっかりした顔。後ろめたさが俺を襲った。
「う、うん……」
「そうかー。1年のやつら、残念がるだろうな。お前のこと慕ってるからさ。ま、家の用事じゃ仕方ないよな」
 肩を竦めると、円堂は再びゴミ箱を持って焼却炉へ向かおうとする。俺を見送ろうと手を振ってきた。
「じゃ、おばさんによろしくなー!」
 俺はむりやり笑顔を作って手を振り返すと、階段を下りた。本校舎の玄関を抜けて正門へと向かう。胸に澱んだもやもやが渦巻いて胸焼けがした。溜め息をついて正門をくぐろうとしたら、後ろから腕を掴まれた。
「あっ!」
 部室に行ったはずの豪炎寺が、俺を追いかけてきたのだ。学ランのボタンが全部外れている所から見ると、着替えてる途中で俺がいない事に気がついたらしい。息を切らせた豪炎寺が俺に訊く。
「帰るのか、風丸?」
 俺は答えずにそっぽを向く。出来れば顔は見たくなかったのに。
「俺の所為か? 俺が昨日お前に……」
「こんな所で言うな!」
 下校しようとしている他の生徒たちが、荒げた俺の声を聞いてびっくりしたのか、こちらをちらちらと伺った。俺は舌打ちして辺りを見回す。どうしたらいいんだ。
「分かった」
 豪炎寺が俺の腕を引っ張る。人気のない所へ行こうとしてるのか。むりやり引っ張られる所為か、掴まれた箇所が痛い。
「やめろ、豪炎寺。離せって!」
 学校の裏手側、あまり人が通らない道まで来ると、やっと豪炎寺が掴んでいた俺の腕を緩める。急いであいつの手から逃れた。
「痛いだろうが!」
 掴まれた腕を空いた手で隠すように、俺は身を縮める。上目遣いで豪炎寺を睨んだ。
「サッカー部には出ないのか?」
 俺は黙って豪炎寺を睨むだけだ。
「俺が昨日お前にキスした所為か?」
 単刀直入過ぎる。頬がさっと熱くなる。
「……なんであんな事をした?」
 それだけ言うのがやっとだった。
「それは、お前が……」
 視線を宙に泳がせ、俺に何か言おうとした豪炎寺が突然はっと口を開けた。顔色が変わった豪炎寺の様子に、俺は戸惑う。そこへ背後から数人の野次のようなものが飛んできた。
「おやおやおや。これは雷門中サッカー部のエースストライカーさんじゃね~?」
「準決勝の試合までそれ程日がないのに、こんな所でサボってるとはよ・ゆ・う? みたいな?」
「誰だ?」
 振り向くと、他校の制服を着た同じくらいの年の生徒が3人、俺たちを見ている。よく見ると、3人とも同じような色付きの眼鏡をかけて、似た顔立ちををしている。そいつらは豪炎寺を見て、にやにや笑っているのだ。
 豪炎寺を見ると、下を向いてそいつらとは視線を合わせないようにしている。知り合いなんだろうか?
「誰? と言われても」
「中学でサッカーやってて、俺たちを知らない奴がいるなんて、マジかよ?」
「仕方ねぇなー。あんたは確か……途中からサッカー部に転向したとか雑誌で読みましたけどー、みたいな?」
 俺の顔も知っているらしい? 彼らの口ぶりだと中学のサッカー部員なのか。
「勿体ぶってないで、きちんと名乗ったらどうなんだ?」
 俺は彼らの口調に苛つくものを感じながら尋ねる。
「オッケー。そんなに訊きたいのならお答えしてあげるじゃん。俺たちは木戸川清修中のエースストライカー……、武方3兄弟次男、武方努!」
「俺は武方3兄弟三男、武方友!」
「そしてこの俺が武方3兄弟を取り仕切る長男、武方勝! みたいな?」
 木戸川清修中……奴らの言う、フットボールフロンティア準決勝で俺たちと当たる相手か。どうやら3人は雷門中へ偵察にきたのだと、俺は気付いた。
「それにしても、こんな道ばたで豪炎寺、お前に会えるとは思わなかったかもー。今頃は必死こいて練習中だと思ってたからねー、みたいな?」
 そう言って豪炎寺を指差す。当の豪炎寺は押し黙ったままだ。
「俺たちのいる木戸川清修中から、勝手に雷門中に転校したと思ったらなぁるほど。まさかこっちで交際相手とラヴラヴしながらサッカーとはお気楽なものでいらっしゃる……みたいな?」
「えっ?」
 武方3兄弟とか名乗った奴らが、俺を見てにやにやした笑いを顔に貼付けている。
「ど、どういう意味だ!?」
「おやおや。そこのツンツン頭くんが、君とチュッチュした~って言ってたのはちゃーんとこの耳で聞いちゃったっしょ?」
 そう言っていやらしい笑いを立てる。さっきの豪炎寺との会話を聞いていたのか。俺の顔が紅くなった。
「女みたいな顔で豪炎寺を誘ったんだろー?」
「なっ!」
 一番年が低そうな奴が、侮辱するのに思わず腹が立って怒鳴ろうとすると、後ろから豪炎寺が俺を制した。
「行くぞ、風丸。こいつらに構うことはない」
 俺の手を引いてこの場を去ろうとする豪炎寺に、武方3兄弟が野次を飛ばす。
「自分の不都合となると、そういう態度ですか~?」
「ま~た、逃げるのかよ。みたいな?」
「全くトンデモないチキン野郎じゃん!」
 だが、彼らの言葉には全く耳を貸さずに、豪炎寺は俺の手を引いて、河川敷へ向かう通りへと歩き出した。
「何なんだよ、あいつらは?」
 河川敷まで辿り着くと、やっと豪炎寺は俺の手を離した。俺は即座に尋ねる。だが、豪炎寺は目を伏せると、俺に頭を下げる。
「すまない」
「あいつら、木戸川清修の奴らって言ってたよな。もしかしてお前の元チームメイトなんじゃないのか? あんな態度だったけど」
 俺がそう尋ねても、豪炎寺は曖昧に頷くだけだ。それが逆に俺を苛々させた。
「俺のことはどう言われても良い。だが……」
「だが、なんだよ?」
「お前が侮辱されたのだけは我慢ならなかった。それだけだ」
 俺の胸が妙に熱くなる。俺を……庇ったのか?
「あ……、ご、豪炎寺。お前さ……」
 俺の問いに、ただ目線だけで返してきた。
「何で、昨日……俺にキスしたんだよ」
 胸の中でぐるぐる渦巻く熱く重苦しいもの。それを追い払いたくて、俺は再度豪炎寺に尋ねる。豪炎寺は顎を引き締めると、俺にまっすぐ顔を向けた。凄く真剣な顔。俺はその顔から目を背けられない。
「お前にキスしたら悪いのか?」
「……えっ。そ、それは」
 今度は俺が俯く番だった。
「だ、だって……、俺たちは男同士だぞ」
「それが何故いけないんだ?」
「何故って……」
「好きな相手にキスする事が悪いのか?」
 ずきんと、俺の胸がひび割れる。そこからじわりと熱いものが体中を駆け巡る。頭の芯がくらくらした。
「す、好きって、何言って……。お、可笑しいだろ? だって俺たち」
「好きになるのに、理由なんかない」
 豪炎寺が手を伸ばして、俺の両肩を掴む。俺は逃げ場を失ってしまい、豪炎寺の視線から逃れられない。俺をまっすぐ見ている。真剣な目。
 そのまま、俺は豪炎寺に捕らえられてしまいそうな気がした。河川敷に居た俺たちを見つけた宍戸が叫ぶ、声を聞くまでは。
「豪炎寺さん、風丸さーん!」
 血相を変えた宍戸が俺たちに走り寄ってきた。流石に豪炎寺が俺の両肩から手を離した。
「どうした、宍戸?」
 訝しげな顔で聞く豪炎寺に、宍戸はハァハァと息を切らせながらも俺たちに訴えた。
「……よ、良かった。豪炎寺さんに、おまけに風丸さんもいるなんて。大変なんです! キャプテンが……」
 宍戸の口から飛び出した言葉に、俺は我を失った。思わず宍戸に掴みかかる。
「円堂がどうしたっ!?」
「あ、あの! 3人組、3人組の奴らがキャプテンに、キャプテンに……!」
 しどろもどろで要領を得ない宍戸に、俺は奴のユニフォームを破らんばかりに引っ張った。それを咎めるように、豪炎寺は俺と宍戸の腕を掴んだ。
「落ち着け、2人とも。宍戸、分かるように喋ってくれ」
「あ……はい。俺たちがグラウンドで練習しようとしてたら、突然、木戸川清修から来たって奴らがキャプテンに挑戦してきたんです。3人がかりのシュートを受けたキャプテンは……」
 宍戸は一旦ごくんと唾を飲み込むと、青ざめた顔で言葉を続ける。
「ゴールで倒れたまま動かなくなって、今……保健室に!」
「何だと!?」
 一瞬、俺の目の前が真っ暗になる。俺が部活を休もうとした時に、そんな事が起きるなんて!
 気がついたら俺は雷門中へ向かう道を走っていた。背後から俺を呼ぶ豪炎寺と宍戸の声が聞こえる。でも、俺の頭には2人の声は届かなかった。
 まだ部活中だったから、校庭や校舎にはまばらに生徒たちが残っている。俺はそいつらを突き飛ばす勢いで、保健室へ走る。辿り着くや否や、ドアをがらりと開けて円堂が寝かされているベッドへ走り寄った。
「円堂っ!」
 大声で円堂に呼びかける俺を、保険医の白鳥先生が口に人差し指を当てて制した。
「しーっ。ダメよ。まだ眠ってるんだから」
 俺はやっと心を落ち着かせる。側にあった丸椅子にがくりと腰を下ろすと、眼を閉じたままの円堂の顔を覗き込んだ。少し頬に土ぼこりがついている。俺は震える手で、それを拭った。
 俺が部活をサボろうとした所為だ。こんな事になったのは。たかが豪炎寺のキス一つくらいで、あんなに動揺して、心を乱されて、冷静になれなかった俺の所為だ。俺が側についてさえいれば、円堂がこんな目に遭わずに済んだんじゃないのか。
 円堂を襲った3人組とは、先程俺と豪炎寺に絡んできた奴らなんだろう。よく考えれば、奴らが雷門に偵察に来た事くらい、すぐに分かっていた。せめて、その時点で円堂たちに伝えれば良かったのだ。
 円堂が寝かされたベッドの横で項垂れている俺の所に、豪炎寺と宍戸、そして他のサッカー部員たちもやって来た。
「あれ? 風丸。お前、用事があったんじゃなかったっけ?」
 半田が不思議そうな顔をした。その後ろで栗松と壁山ががっくりと俯いている。
「あ……、ああ」
 俺が半田にどう言い訳をしようか考えていると、円堂が呻き声を上げて目を覚ました。
「円堂っ」
 ぼんやりと瞼をあげた円堂に俺は呼びかける。俺の姿を認めると苦笑いして上半身を起こす。思わず俺は円堂の肩にしがみついた。
「何だよ……風丸」
「円堂。円堂っ……俺」
 円堂がそっと俺の背中を擦る。どう考えても、倒れた円堂の方が辛いはずなのに、そんな素振りは見せなかった。
「はは。何だよ、大げさだな。俺なら大丈夫だって。大したケガじゃないしさ。てかお前、家の用事はどうした?」
 俺は円堂の顔を見上げる。嘘をついて部活を休もうとした俺は、見透かされている気がした。
「俺のことはいいからさ。ちゃんと家に帰れよ、風丸。な?」
「……う、うん」
「ホラ! お前らも、俺は大丈夫なんだから練習に戻れよ!」
 保健室にぞろぞろと雁首揃えている、他の部員たちにも円堂は発破をかけた。俺は漸く立ち上がると、円堂に軽く手を振る。
「じゃあ。ちゃんと養生しろよ、円堂」
「だからぁ、大したことないって。また明日な!」
 ニッと笑うと、円堂は俺に手を挙げて見送った。豪炎寺の横を通り過ぎようとすると、俺の顔をじっと見つめてくる。でも俺はその視線から目を逸らすと、保健室を後にした。



 覚束ない足取りで、俺は正門へと歩く。円堂の体は大丈夫そうだったが、俺にとっては世界が暗闇に覆われてしまいそうな気がした。そこへ栗松と壁山が俺を追いかけてきた。
「風丸さん」
「何だ……、お前ら?」
「あの、俺たち。さっきキャプテンが倒されちゃってから、考えたッスけど……」
「なんか……俺たち自信なくしちゃったでやんすよ。アレ見たら」
 暗い顔で2人は訴えてくる。俺は思わず立ち止まった。
「何故だ?」
「だって、あんなシュート見せられたらもう勝てる気がしないッス」
「そうでやんすよ。相手は準決勝校でやんすからね。俺たちの力じゃ、ここまで来るのが精一杯ってことだったでやんす……」
「そんなに凄いシュートだったのか?」
 2人はこくんと頷く。俺は2人にかけられる言葉を見つけられずに、俯いた。とりあえず言えたのは練習に戻るように、とだけだった。
 2人をグラウンドに追い返すと、俺は再び正門へと歩き出した。俺だけでなく、みんなの前にも暗い壁が立ちはだかっている。何でこんな事になっちまったんだ? 何で……。
 そもそも俺は、何故サッカーをやり始めたんだっけ。円堂の夢を叶えてあげたい、それだけなのか? それなのに今は、円堂と距離が出来てしまった事に腹を立てている。円堂と一緒に、いつも側に居たい、それだけだったのに。俺はサッカーを続ける事に、意味が見いだせなくなってしまった。
 俯いて正門を抜けて、横断歩道の信号が赤から青に変わるのを待った。「止まれ」と浮かび上がった赤い光。このまま信号は青に変わらないんじゃないか。そんな予感さえ感じさせた。
 その時、横断歩道の向こうから1人の大人の男性が俺に手を振ってきた。
「おお~~い。君、そこで信号待ってる君!」
「えっ?」
 俺は顔を上げる。見た覚えのない人だ。
「君! 雷門中のサッカー部の子だろう? ええと……名前は」
 信号が青に変わると同時に、その人は俺に駆け寄ってくる。俺は訝しげにその人を見る。顎にはうっすらと髭が生えていたが、それ程怪しい人物ではなさそうだった。
「風丸です」
「そう、風丸くんだ。君、すごく足速いよね」
「はぁ……」
 俺が生返事をすると、その人は「ああ」と照れ笑いをした。
「ごめんごめん。こちらから名乗るべきだったね。俺は木戸川清修中のサッカー部の監督をやっている、二階堂って者だ」
 木戸川清修……今日はやたらにその名前に縁がある。俺は思わず溜め息をついた。
「それで、木戸川の監督さんが何か用ですか?」
「うん……。今日はうちの部員たちがそちらに迷惑を掛けて済まなかったね」
「その話でしたら、うちの学校の部室か職員室でお願いできませんか」
 俺は何だか、うんざりして二階堂と名乗った人に対して懇願した。すると彼は「いやいや」と手を横に振る。
「違うんだ。君に聞きたいのはそれじゃない」
「何でしょうか?」
「うん。君のチームの豪炎寺、……くんに関してなんだが」
「豪炎寺?」
 そういえば木戸川清修は雷門に転校して来る前に、豪炎寺が通ってたと聞いていた。
「でしたら直接、豪炎寺に」
「いや」
 今はあまり他人と話したくない俺に、彼はしつこく縋ってくる。何故だ? ましてや豪炎寺が話題では……。
「出来れば君に話を聞きたい。ちょっと時間をくれないかな?」
 二階堂監督の目が真剣な表情を帯びている。俺はその真摯な瞳に、俺は断りの言葉を失っていた。

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「悪いね。出来れば何処か喫茶店ででも話をしたいんだが、流石に下校中の中学生を誘うのは色々とマズいもんでね」
 二階堂監督は河川敷の広場まで俺を誘うと、ジュースの自販機を指差した。
「奢るよ。風丸くんはどれがいい?」
「じゃあ、紅茶で」
 彼は百円玉を二枚入れると、選択ボタンに指を走らせる。レモンティーの上で指を止めたが、俺は
「あ。それ苦手なんで、ストレートの方でお願いします」
と、訂正させてもらった。
「悪い悪い」
「いえ……」
 ごとんと音を立てて、ストレートティーの缶が出口に落ちてきたのを取り出すと、二階堂監督は俺に手渡した。にこりと俺に笑いかけると、自分の分のスポーツドリンクを購入した。
 手渡された缶はキンキンに冷えて、俺の掌が凍り付いてしまうかと思ってしまった。でもじきに冷たいスチール缶は体温で温もり、冷えきった感覚も消えてしまう。
「そこ、座って」
 二階堂監督は近くのベンチを指差す。俺が腰掛けて肩かけ鞄をベンチに乗せると、隣にごくりと喉を鳴らしながら二階堂監督も座る。俺は缶のプルタブをあげて、スチール缶に口をつけた。苦く茶色に透き通った紅茶が俺の喉を潤す。
「それで、俺に話とは?」
 監督は神妙な顔をすると、両手でドリンクの缶をもてあそびながらぽつりぽつりと話し始めた。
「どうかな? 豪炎寺は雷門中で上手くやってる?」
「はい。……まあ」
『豪炎寺』の名が出ると、俺の胸はどきんと杭を打たれたように跳ね上がる。それを懸命に悟られないようにしながら、俺は答えた。
「サッカー部の仲間からは一目置かれてますよ。俺も……、彼のシュート力は凄いと思います」
「そういえば、君、この間の試合では豪炎寺と一緒に」
 炎の風見鶏の事を言っているらしい。という事は俺たちの試合を直に見たんだろうか。
「はい。ご覧になったんですか?」
「うん。彼と息を合わせるのは難しかったんじゃないかな?」
「そうですね。……でもあいつがリードしてくれましたから」
「へぇ! そうか。……豪炎寺が」
 二階堂監督は目を細めて遠くを見ている。何だかほっとしたような笑みを浮かべていた。
「実を言うとね。木戸川ではあまり他の部員とはそりが合わなかったようなんで、心配していたのさ。一時期はサッカーを止めてしまうと危惧してたんでね。……妹さんがあんな事になるとは、彼自身も思ってなかったようだからな……」
 豪炎寺の妹が事故にあって、稲妻病院で療養中なのは知っている。眠ったままで一向に目を覚ます気配のない、彼の妹。気の毒だとは思う。でもあいつは普段、そんなことをおくびにも出さないし、他のみんなも半ば忘れているようだった。
「うちのキャプテンはサッカーバカですから。あいつの熱意のお陰で……っていうか、あいつのバカが豪炎寺にも伝染っちゃったのかも」
「ははは。なんだい、それは?」
「そういう奴なんです。うちのキャプテンの円堂は」
 安心させようと、俺がちょっとおどけた言い方をすると、二階堂監督はにやりと笑いかけてきた。
「君も?」
「え……」
 どぎまぎと俺は焦りだした。呼吸が乱れて、うまく冷静さを保てない。
「ええ、まあ……。はい」
 頬が熱くなるのを隠そうと、俺は下を向く。だが二階堂監督はそんな事には気にも止めてなかったようだ。
「なるほど。それは良かった。意外と寂しがり屋だからね、彼は」
「え?」
「彼は片親だし、彼のお父さんは外科医って仕事柄、とても忙しいそうだからね。おまけに妹さんはあの通り。いつもひとりでいる所為か、色々と苦しい事なんか自分の中にしまい込んでしまうからなぁ……」
 片親? そんな事初めて聞いた。大体豪炎寺が、自らの家庭の事情を他人に話すことなんかない。二階堂監督の言葉は、俺の胸に次々と突き刺さる。
「……あっ。もしかして君、知らなかったのかい? まずいな。うっかりしてしまったよ」
 俺が一瞬ぽかんとしてたのを、二階堂監督は見逃さなかった。後頭部を掻きむしって、困ったように首を振る。
「すまないが、豪炎寺には黙っておいてもらえるかな? 彼、傷つくと思うんだ……」
「は、はい……」
 俺は息を吐くように返事をする。彼の言葉が突き刺さった胸にはぽかりと穴が空いてしまった気がした。
「あー、兎も角。君に話が聞けて良かったよ。豪炎寺が雷門中でまたサッカーをやり始めたと知って、どうなったのかと気を揉んでいたんだが。君のお仲間はいい人たちみたいだね」
「ええ」
「君自身もね」
「そんな事……ないです」
「これからも、豪炎寺と仲良くしてやって欲しい。出来れば一生の友人に」
「え……」
 二階堂監督の言葉が俺の心を揺らした。
「厚かましいお願いとは思うんだが、やっぱり同い年くらいの子が彼には必要だと思うのでね」
「それは……」
 豪炎寺は昨日、俺にキスをした。その感触は今でも唇に残っている。そして今日は俺に好きだと言った。好きになるのに、理由なんかない……と。そんなあいつと一生の友人だなんて。
 俺の心がぐらぐらと揺れだす。川面へと視線を投げると、そのまま流れに飲み込まれてしまいそうだ。俺は唇に指を当てて、川の流れを見つめていた。
「それは豪炎寺次第、……なんじゃないでしょうか?」
「……うん。まあ、その通りなんだけどね。君なら彼と上手くやっていけるような気がしたんだ」
「俺と……?」
「どうかな?」
 真摯に俺を見つめる二階堂監督。俺はその視線を受け止めきれずに、俯いた。
「あー、やっぱり厚かましかったかな。うん。おいおい考えておいてくれよ。じゃあ、今日はこれで。今度は試合の日にまた会おう」
 差し出された手を、俺はそっと握る。ぎゅっと握り返された手はとても温かった。



 二階堂監督が去ってしまっても、俺は河川敷で川の流れをぼんやりと見つめていた。手にしていた紅茶の缶が、空っぽだったことに気付いて、自販機の側にあった空き缶入れめがけて右脚で蹴った。放射線を描いて飛んでいった空き缶は、穴から逸れて地面に落ちる。俺は苦く笑って空き缶を入れ直そうとした。指が戻そうとした右の足首に引っかかる。
「あっ?」
 指に絡まったのは、水色のミサンガだ。願いをそっと込めて結んだ組紐。俺の、願いは叶いそうにない……。
 それでもそのミサンガを引き千切りはしない。絡まった指を外すと、俺はそっと地面に転がった空き缶を拾い、手で空き缶入れに放り込む。がらんと音を立てて、空き缶は箱の中に収まった。
 今、俺はもの凄く後悔している。木戸川の監督の話を聞くんじゃなかった……。
 うっかりだと言う、彼の言葉は未だに俺の心に突き刺さったまま。思い出せば豪炎寺はいつも練習の時は黙々としている。何処か他人を寄せ付けない雰囲気を醸し出している。それでもお節介というか、屈託のない円堂のお陰で、他の部員たちとはそれなりにやっていけてる。
 家に父親しかしないと言うのは、初耳だった。あいつの妹が入院中なのは知っていたし、毎日の様に見舞いには行っているらしかったが、それ以上の、学校以外での豪炎寺は何ひとつ知らない。……いや。この間、円堂と一緒にスポーツショップに行ったっけ。でも、それは実を言うと円堂と2人っきりになるのが、妙に気恥ずかしくて誰か他の奴と一緒の方が良いだろうと……、それがたまたま豪炎寺なだけであって……。
 たまたま、なのか?
 あの日の事を思い返してみる。別に他の奴でも良かったのに。いや。そういえば、円堂とスポーツショップへ買い物に行く約束をしていた時、ちょうど俺たちの側にあいつが居たんだ。
 ──あ。
 駅前で待ち合わせしていて、うざったい奴らから逃れる為に恋人の振りをしようとしたあいつ。俺に絡んできた2人組を見て、血相を変えてとんできたあいつ。その行動の意味って……。
 俺は円堂が来るまでの間、あいつと手を握っちまった。
「お前にキスしたら悪いのか?」
「好きになるのに、理由なんかない」
 豪炎寺の言葉が俺の心の中でぐるぐると回りだす。
「意外と寂しがり屋だからね、彼は」
「苦しい事なんか自分の中にしまい込んでしまうからなぁ……」
 二階堂監督の言葉がそれに混じりあって、俺の心を揺さぶる。俺は胸が苦しくなって、荒く息を吐き出した。
 なぜ? 何故、俺は豪炎寺の事で胸の中が一杯になってしまっているのだろう。
 昨日のキス。
 その時から俺の心はあいつに揺さぶられ、振り回され、流されようとしている。
 唇に指を当てる。
 昨日から、無意識にそれを繰り返している。豪炎寺の唇の感触。それが俺をずっと支配しているんだ。
 その事に気付いて顔を上げた時、河川敷に沿う通りを豪炎寺が歩いてる姿が目に映った。サッカー部の練習は終わったんだろうか。学ラン姿で、俺と同じ学校指定の肩かけ鞄を下げている。
 ヤバい!
 ここから逃げてしまおうか、どうしようかと迷っていると、豪炎寺も俺が居るのに気付いたらしい。まっすぐ俺の方へ向かってくる。
 眼を閉じて、溜息をついた。今逃げたって明日になれば、同じ事の繰り返しだ。俺は腹を据えて、豪炎寺が来るのを待った。
「風丸」
 俺を呼ぶ、あいつの声。俺は一瞬黙り込んだが、すぐに顔を上げて豪炎寺の顔を見上げた。
「さっき、木戸川清修のサッカー部の監督に会ったぜ」
「二階堂監督に?」
 俺は頷く。豪炎寺は曖昧というか困惑そうな顔をした。
「お前の事、ずいぶん気にしてたみたいだ」
「……そうか」
 そう言ったきり、豪炎寺は黙って俺の顔を見つめるままだ。
 唇がむずむずする。きっとそれは目の前の豪炎寺の所為。まるで痺れるように俺の唇は体と分離しちまって、そこだけ別のものになってしまったようだ。
 悔しい。
 何故、俺はこいつのキスの所為でこんなに心を乱されなきゃいけないんだ?
 何故俺だけが、こんなに苦しまなきゃならないんだ?
 どうして……。
 俺はこの苦しみから逃れたかった。この悔しさから解放されたかった。だから、俺は……。
 俺はまっすぐ豪炎寺を見据えると、一歩近寄った。少し薄めの、しっかりと結ばれたあいつの唇。
 それを確認すると豪炎寺の薄い唇に、俺の、唇を重ねてやった。
 はっと豪炎寺が息を呑む音が聞こえる。とくとくと鼓動が鳴っているのを感じる。俺の苦しみも悔しさも全てこいつに伝染してしまえばいい!
 一瞬だったはずなのに、それはまるで永遠に続くように感じられた。俺は豪炎寺から離れると止めた呼吸をやっと取り戻す。
「昨日のおかえしだ」
 それだけ言うと俺は踵を返して河川敷から、豪炎寺の側から走り出した。走って、誰にも追いつけないくらい走って、斜面の階段を駆け上がって通りへ上る。
 豪炎寺が俺の名前を叫んでいる。でも俺は振り返らない。
 走って、走り抜けて、駆け抜けた先は、昨日の鉄塔広場だった。俺は木からぶら下がった古タイヤにしがみついて、息を整えた。
 西の空が茜色に染まり、広場から見える町全体が陽の光で輝いている。
 俺は。俺は……。
 しがみついた古タイヤは円堂のもの。なのに、俺と円堂の距離は随分遠くなってしまっている。その代わりに得たのは、その分縮まったのは、俺と豪炎寺との距離だった。
 唇に指を当てた。さっきのキスの感触がまだ俺の唇に残っている。妙に熱い……。
 西の空に広がる茜色。それは、初めて見たあいつのシュートと同じ色だった。

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HOPE:2 ふたりの距離
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 みんな必死だった。闇雲でも走り続けて、もがき続けていた。
 それでもどうしようもないくらい、圧倒的な力の差。
 俺もまともな試合なんか初めてだったから、それこそ必死だし、あいつらは終いには円堂一人を攻撃するから、体を張ってでも護るしかなかった。
 けれどもたかが1週間程度の練習じゃ、追い縋るどころじゃなかった。
 でもそこへ現れたのは、それこそ救世主と言うべきものかもしれない。円堂があれほど肩入れしてたワケだ。
(あいつのシュートさ、凄いんだぜ! 風丸も一辺見たらすぐに、俺の気持ちが分かるって!)
 そう言って顔をほころばせた円堂。
 一体どんな奴なんだ。お前をそこまで喜ばせる奴なんて──。
 正直嫉妬した。俺じゃ、ダメなのか。
 ……いや、ダメなんだろうな。俺は元々陸上部だし、円堂には精々サッカーの練習に付き合ってあげてた程度だ。
 でも結局、円堂の言う“そいつ”は円堂と同じクラスに転校したものの、サッカー部には寄らず終いで、どういう格好の奴なのか、どんなプレースタイルなのか、どんな性格の奴なのか……は、全く分からないままだった。
 円堂には悪いが、所詮その程度の奴だったんじゃないか。俺はそう思ってた。でも。
 宙を舞うあいつ。
 紅蓮の軌道を描いて、帝国のゴールポストを直撃するシュートを放ったあいつ。
 ──ああ、正直に言うよ。
 そのシュートに俺は、見蕩れてしまった。
 初めて感じたサッカーの熱さ。それ、そのもの。
 たった1本のシュートがみんなの気持ちさえ変えてしまえるだなんて。
 俺の胸にずっとそれは、微熱のように刻まれてしまった。


ふたりの距離


 俺たち雷門中サッカー部は、ついこの間、元帝国学園の鬼道が入ってきたかと思えば、更に今度はアメリカからやって来たという──しかも、土門とマネージャーの木野とは幼馴染みらしい──一之瀬が入部してきたものだから、いつの間にか全部で15人という部活動としてはまずまずの人数になっていた。
 陸上部で俺が円堂とサッカーの練習に付き合ってやってた頃はまだ7人だったから、倍以上になり、円堂もよっぽど嬉しいのか、このところ毎日すこぶる元気だ。
「よーし! 今日も練習、頑張ろうぜ!」
「ああ。俺と土門とお前の必殺技、もっとパーフェクトにしたいしね!」
「円堂、次の試合のフォーメーションなんだが」
「円堂、練習メニューの件だけど」
「円堂くん。タオル洗濯終わったからベンチに運んでいいかな?」
 最近、円堂の周りにはしょっちゅう誰かが側にいる状態になり、円堂自身もそれを気にする事なく、精力的に日々を過ごしている。
 いつの間にやら、俺はそれを遠巻きに見るようになっていた。
「風丸さん。ランニングの先導お願いします」
 円堂を遠くから眺めていた俺に、1年たちが頭を下げてきた。
「ああ……。分かった、今行く」
 俺は円堂のそばに行くと、ランニングを始めると声をかけたが、鬼道と何やら相談してるらしくて、他の2年たちを促すと俺に、
「悪い、風丸。作戦会議中だからさ。他のみんなを頼むぜ」
と、両手を合わせて謝るポーズを取った。
 俺は肩を竦めて了解すると、円堂はニッと笑って俺を見送った。
 ランニングは、校庭と学校の外周を2周。俺が先導して音頭をとる。途中、ベンチの辺りで鬼道と会話してる円堂を見たら、何だか胸の辺りがもやもやした。
 いつもの通りにやったはずなのに、ランニングが終わった途端に、1年たちがバテたのかグラウンドにへばり込んだ。
「……今日のランニング、キツいッスよ~!」
「そうでやんす。ちょっとピッチが速かったんじゃないでやんすか、風丸さん」
「えっ」
 俺は思わず、息を切らせて座り込んでいる1年たちを見下ろした。ちくりと胸が痛む。
「だらしねえぞ、1年。次の試合は準決勝だし、もっと練習量上げないと勝てるもんも勝てねぇだろ。それでランニングのピッチも速くした。そうだろ? 風丸」
 腰に手を当てて染岡が俺に言う。
「あ、ああ……」
 頷いたが、それは嘘だ。本当は……二人だけで話し合う円堂と鬼道を見て、思わず足を速めてしまった。後ろめたさが俺の胸に忍び込んだ。
「あのさー、ちょっと訊きたいんだけど」
 いつの間にか俺の足元にマックスがしゃがみ込んで、じっと真下を覗き込んでいる。
「な、何だよ?」
「風丸が足につけてるミサンガ、豪炎寺のとおそろい、だよね?」
「えっ!?」
 俺だけでなく、周りの皆が反応した。それぞれ俺の足首と豪炎寺の手首を見比べる。
「あ、ホントだ」
「柄だけ同じの色違いですねー」
「ってか、ペアなんじゃね?」
 興味津々で俺と豪炎寺を見るみんなの視線が居たたまれなくて、俺は慌てて首を振った。
「あ、いや。同じ店で買ったし。って言うか、俺のは貰いもので豪炎寺のはあげたんだけど……。いやいや、円堂も同じのしてるから別にペアってワケじゃ……!」
 しどろもどろになって俺は訳を言う。その間、豪炎寺は黙ってそっぽを向いていた。
「なんだ。円堂も同じのしてるのか」
「グローブで見えなかったでやんすねー」
「いいなぁ。3人でおそろい、いいなぁ……」
 羨ましげな顔のみんなを見て、俺はうんざりと汗ばんだ額にかかる前髪を払いのけた。
「そんなに欲しいんなら、お前らにもやるよ。但し、明日のランニングはもっと速いピッチでいくからな!」
「うへぇ……」
「貰えるのはいいんですけど」
「風丸さん、マジパネェっす!」
「分かったら、次はストレッチと腹筋始めるぞ!」
 居たたまれなさと恥ずかしさ、そんなものを吹き飛ばすように、俺は練習メニューの開始を指図する。胸のもやもやはまだ晴れない。



 その日の練習が終わり、汗でぐしょぐしょのユニフォームから制服に着替える。窓から見える空は茜色に染まり、妙な寂しさに包まれる。円堂が部活日誌を片付けると、大きく欠伸をした。
「腹減ったー。ああ。これからみんなで雷雷軒行かないか!?」
「いいねぇ!」
 土門と一之瀬が即座に同意した。他の何人かも同意して、円堂の周りを囲んでいた。
「風丸。お前も行くよな?」
 円堂が当然のように俺に呼びかけてきた。何人もが取り囲む中から俺に向ける笑顔。
「あ……、いや。今日はよしとく」
「なんでだ?」
 きょとんとした顔で俺を見る。
「あんまり腹へってないんだ」
「え~? あんなに練習したのに?」
 円堂は俺に近寄ると、いきなり額に手を当ててきた。
「うわ。何するんだよ?」
「いや、熱でもあるのかな、って思って」
 正直見透かされている気がした。
「何ともないさ。ただ、今ラーメン食うと、晩飯食べられなくなるから……」
「そっか?」
 俺は頷く。円堂は本気で心配してるらしい。俺の顔色を伺って、何処か体が悪いのかと疑っているようだ。
「ああ。……俺が小食な事くらい知ってるだろ」
「そっか。じゃあまた今度な」
 円堂がそう言ったので、俺は肩かけ鞄を背負うと片手を上げて、背を向けた。
「また明日な」
 部室のドアを開けると、急いで校庭に飛び出した。小走りで校門に向かう。走りながら、俺は自分自身を何度も罵った。
 バカ。……バカ、バカ、バカ、バカ……!
 くたびれた体で通学路を通り、ふと目を上げると、茜混じりの群青色の空に黄色い稲妻のシンボルマークをつけた鉄塔が浮かんでいた。



 いつの間にか足は鉄塔広場に向かっていた。誰も居ないベンチ。円堂が特訓の為に木に括りつけた大きな古タイヤが風に揺れている。
 俺は古タイヤにそっと指を触れてみた。誰も居ないし、それに触った形跡もないから、古タイヤ特有のゴム臭い匂いがするだけだ。
 手のひらで撫でて、少し押してみる。括りつけた荒縄がきりりと鳴ってゆっくりと揺れた。
 誰も居ない……。
 俺と円堂の距離がどんどん遠くなっていくのが分かる。サッカー部が部活としてきちんと活動してなかった、その頃よりもずっと。
 俺の元に返ってきた古タイヤを、今度は思い切り押してみる。荒縄はぎりりと鳴る。タイヤが大きく揺れる。
 勢い良くタイヤは俺の元に返って来るけど、円堂は……俺の側に戻ってきてくれるのだろうか……?
 そんな想いに暮れていた時、不意に俺の肩が誰かに掴まれた。
 思わず振り向くとそこに居たのは、見慣れたツンツン頭だった。
「……豪炎寺?」
 俺の肩を掴んだまま、豪炎寺は黙っている。
「何だよ、みんなとラーメン食いに行ってたんじゃないのか?」
「……途中まで行ってやめた」
 ぶっきらぼうにそう答える。
 何だ、そりゃ。そう言おうかと思ったが、それきり黙ってしまった豪炎寺に、俺も無言で返すしかなかった。
 正直に言うと、豪炎寺が目の前に居ると俺は気後れする。豪炎寺は黙っていても男らしさが全身から漂っている奴だ。外見とか髪型とか、そんなものじゃない。俺が懸命に男らしく振る舞おうとしているのに、あいつはそんなものを気にも留めずに乗り越えてく。
「で、何か用か?」
 訪れた沈黙に耐えられなくて、俺はあいつに尋ねる。
「いや、別に……」
 たいした用はなさそうなのに、視線は俺に向けたまま。何か俺に言いにくい事でもあるのか?
 陽は落ちきって、群青色の空がどんどん濃さを増してゆく。一番星が輝く。宵の明星。俺はあいつの視線を無視して、空にぽつんと光る星を眺めた。
「風丸」
 いきなり俺の名を呼ぶ。木からぶら下がった古タイヤに左手を凭れていた俺は、でも、それを無視した。
 古タイヤに触れていた左手を掴まれた。学ランの袖から赤いミサンガが覗く。俺があげて、縛ってやったものだ。それについ、目を留めているとぐっと体が引き寄せられて、気がついたら豪炎寺の顔が俺に迫っていた。そして。
 俺の唇はあいつに奪われていた。
 重なる、唇と唇。触れ合う、呼吸。心臓がどきんと鳴った。キスされてると分かった瞬間、頬がかっと熱くなった。
「……あっ!」
 思わず豪炎寺の体を押しのける。一歩後ずさって、体を構えた。
「……風丸」
 俺の名を呼ぶ。けれども、俺は上擦った声をあげるのが精一杯で、豪炎寺の顔がまともに見られない。踵を返すと、俺は一目散に走り出した。

1 / 3
2 / 3


 豪炎寺にキスされたその日、鉄塔広場から走って逃げた俺は、家に着くと懸命に忘れようと努めた。けれども、夕飯はまともに喉を通らず、宿題を片付けても、豪炎寺が俺の唇に残した感触が鮮やかに蘇ってはその度に胸を焦がす。
 唇に指を当ててみる。そっと触れたあいつの唇。感じた吐息。そんなものが俺の記憶を占領してしまい、宿題もまともにやれやしない。
 さっさと風呂を浴びて、そのままベッドの布団に潜り込んだ。いつも寝る前はストレッチをするのが習慣だったが、それすらもキスの記憶が邪魔をしそうだったので、止めてしまった。



 翌日、まんじりともしない朝を向かえた。朝陽は明るく、天気が良かったけれど、俺の胸はもやもやとしたもので充満されていて、気分はあまり良くない。
 いつも通りに登校し、授業を受けたけれど、今日は豪炎寺の顔がまともに見れないだろうな、とずっと考えていた。
 今日は部活を休んでしまおうか。こんな事で休むのは癪だったけれど、だけど、こんな状態でサッカーの練習がやれるとは到底思えなかった。
 練習中はどうしてもあいつと顔を合わせる。ランニングや基礎トレーニングの時はなるべく見ないようにすればいいけれど、あいつとの必殺シュートの練習の際には……。
 豪炎寺とはクラスが違った事に、俺はほっとする。授業中まで一緒だったら、俺は羞恥でまともに過せなかったに違いない。授業の最中でさえも、昨日の唇の感触の記憶は衰えるどころか、どんどん増してゆく。
 俺は時々唇に指を当ててみる。意外な程に柔らかかった……。触れられた唇は温かかった……。自分の指先が酷く冷たく感じる程に。その事に気付く度に、何故俺はこんな事で心が一杯になってしまっているのだろうと、悔やむ。
 俺の思いとは裏腹に、その日の授業は無事に終わった。
 やっぱり今日は休もう。そう思って、ホームルームもそこそこに円堂のクラスに行った。
 階段の陰に隠れてそっと伺ってると、先に豪炎寺が通った。心臓がどきんと鳴る。身を隠して豪炎寺が行ってしまうのをやり過ごすと、円堂を捜した。
「あ、円堂」
 円堂はまだ教室に残っていた。ゴミ箱を片付けていたから、掃除当番だったに違いない。
「どうした? 風丸」
 両手で持っていたゴミ箱を床に置くと、円堂が笑いかけてくる。その笑顔が俺にはとても眩しい。
「……あ、あのさ。ちょっと家で用事があって、悪いけど、今日の部活は……」
「休むのか、風丸」
 円堂のちょっとがっかりした顔。後ろめたさが俺を襲った。
「う、うん……」
「そうかー。1年のやつら、残念がるだろうな。お前のこと慕ってるからさ。ま、家の用事じゃ仕方ないよな」
 肩を竦めると、円堂は再びゴミ箱を持って焼却炉へ向かおうとする。俺を見送ろうと手を振ってきた。
「じゃ、おばさんによろしくなー!」
 俺はむりやり笑顔を作って手を振り返すと、階段を下りた。本校舎の玄関を抜けて正門へと向かう。胸に澱んだもやもやが渦巻いて胸焼けがした。溜め息をついて正門をくぐろうとしたら、後ろから腕を掴まれた。
「あっ!」
 部室に行ったはずの豪炎寺が、俺を追いかけてきたのだ。学ランのボタンが全部外れている所から見ると、着替えてる途中で俺がいない事に気がついたらしい。息を切らせた豪炎寺が俺に訊く。
「帰るのか、風丸?」
 俺は答えずにそっぽを向く。出来れば顔は見たくなかったのに。
「俺の所為か? 俺が昨日お前に……」
「こんな所で言うな!」
 下校しようとしている他の生徒たちが、荒げた俺の声を聞いてびっくりしたのか、こちらをちらちらと伺った。俺は舌打ちして辺りを見回す。どうしたらいいんだ。
「分かった」
 豪炎寺が俺の腕を引っ張る。人気のない所へ行こうとしてるのか。むりやり引っ張られる所為か、掴まれた箇所が痛い。
「やめろ、豪炎寺。離せって!」
 学校の裏手側、あまり人が通らない道まで来ると、やっと豪炎寺が掴んでいた俺の腕を緩める。急いであいつの手から逃れた。
「痛いだろうが!」
 掴まれた腕を空いた手で隠すように、俺は身を縮める。上目遣いで豪炎寺を睨んだ。
「サッカー部には出ないのか?」
 俺は黙って豪炎寺を睨むだけだ。
「俺が昨日お前にキスした所為か?」
 単刀直入過ぎる。頬がさっと熱くなる。
「……なんであんな事をした?」
 それだけ言うのがやっとだった。
「それは、お前が……」
 視線を宙に泳がせ、俺に何か言おうとした豪炎寺が突然はっと口を開けた。顔色が変わった豪炎寺の様子に、俺は戸惑う。そこへ背後から数人の野次のようなものが飛んできた。
「おやおやおや。これは雷門中サッカー部のエースストライカーさんじゃね~?」
「準決勝の試合までそれ程日がないのに、こんな所でサボってるとはよ・ゆ・う? みたいな?」
「誰だ?」
 振り向くと、他校の制服を着た同じくらいの年の生徒が3人、俺たちを見ている。よく見ると、3人とも同じような色付きの眼鏡をかけて、似た顔立ちををしている。そいつらは豪炎寺を見て、にやにや笑っているのだ。
 豪炎寺を見ると、下を向いてそいつらとは視線を合わせないようにしている。知り合いなんだろうか?
「誰? と言われても」
「中学でサッカーやってて、俺たちを知らない奴がいるなんて、マジかよ?」
「仕方ねぇなー。あんたは確か……途中からサッカー部に転向したとか雑誌で読みましたけどー、みたいな?」
 俺の顔も知っているらしい? 彼らの口ぶりだと中学のサッカー部員なのか。
「勿体ぶってないで、きちんと名乗ったらどうなんだ?」
 俺は彼らの口調に苛つくものを感じながら尋ねる。
「オッケー。そんなに訊きたいのならお答えしてあげるじゃん。俺たちは木戸川清修中のエースストライカー……、武方3兄弟次男、武方努!」
「俺は武方3兄弟三男、武方友!」
「そしてこの俺が武方3兄弟を取り仕切る長男、武方勝! みたいな?」
 木戸川清修中……奴らの言う、フットボールフロンティア準決勝で俺たちと当たる相手か。どうやら3人は雷門中へ偵察にきたのだと、俺は気付いた。
「それにしても、こんな道ばたで豪炎寺、お前に会えるとは思わなかったかもー。今頃は必死こいて練習中だと思ってたからねー、みたいな?」
 そう言って豪炎寺を指差す。当の豪炎寺は押し黙ったままだ。
「俺たちのいる木戸川清修中から、勝手に雷門中に転校したと思ったらなぁるほど。まさかこっちで交際相手とラヴラヴしながらサッカーとはお気楽なものでいらっしゃる……みたいな?」
「えっ?」
 武方3兄弟とか名乗った奴らが、俺を見てにやにやした笑いを顔に貼付けている。
「ど、どういう意味だ!?」
「おやおや。そこのツンツン頭くんが、君とチュッチュした~って言ってたのはちゃーんとこの耳で聞いちゃったっしょ?」
 そう言っていやらしい笑いを立てる。さっきの豪炎寺との会話を聞いていたのか。俺の顔が紅くなった。
「女みたいな顔で豪炎寺を誘ったんだろー?」
「なっ!」
 一番年が低そうな奴が、侮辱するのに思わず腹が立って怒鳴ろうとすると、後ろから豪炎寺が俺を制した。
「行くぞ、風丸。こいつらに構うことはない」
 俺の手を引いてこの場を去ろうとする豪炎寺に、武方3兄弟が野次を飛ばす。
「自分の不都合となると、そういう態度ですか~?」
「ま~た、逃げるのかよ。みたいな?」
「全くトンデモないチキン野郎じゃん!」
 だが、彼らの言葉には全く耳を貸さずに、豪炎寺は俺の手を引いて、河川敷へ向かう通りへと歩き出した。
「何なんだよ、あいつらは?」
 河川敷まで辿り着くと、やっと豪炎寺は俺の手を離した。俺は即座に尋ねる。だが、豪炎寺は目を伏せると、俺に頭を下げる。
「すまない」
「あいつら、木戸川清修の奴らって言ってたよな。もしかしてお前の元チームメイトなんじゃないのか? あんな態度だったけど」
 俺がそう尋ねても、豪炎寺は曖昧に頷くだけだ。それが逆に俺を苛々させた。
「俺のことはどう言われても良い。だが……」
「だが、なんだよ?」
「お前が侮辱されたのだけは我慢ならなかった。それだけだ」
 俺の胸が妙に熱くなる。俺を……庇ったのか?
「あ……、ご、豪炎寺。お前さ……」
 俺の問いに、ただ目線だけで返してきた。
「何で、昨日……俺にキスしたんだよ」
 胸の中でぐるぐる渦巻く熱く重苦しいもの。それを追い払いたくて、俺は再度豪炎寺に尋ねる。豪炎寺は顎を引き締めると、俺にまっすぐ顔を向けた。凄く真剣な顔。俺はその顔から目を背けられない。
「お前にキスしたら悪いのか?」
「……えっ。そ、それは」
 今度は俺が俯く番だった。
「だ、だって……、俺たちは男同士だぞ」
「それが何故いけないんだ?」
「何故って……」
「好きな相手にキスする事が悪いのか?」
 ずきんと、俺の胸がひび割れる。そこからじわりと熱いものが体中を駆け巡る。頭の芯がくらくらした。
「す、好きって、何言って……。お、可笑しいだろ? だって俺たち」
「好きになるのに、理由なんかない」
 豪炎寺が手を伸ばして、俺の両肩を掴む。俺は逃げ場を失ってしまい、豪炎寺の視線から逃れられない。俺をまっすぐ見ている。真剣な目。
 そのまま、俺は豪炎寺に捕らえられてしまいそうな気がした。河川敷に居た俺たちを見つけた宍戸が叫ぶ、声を聞くまでは。
「豪炎寺さん、風丸さーん!」
 血相を変えた宍戸が俺たちに走り寄ってきた。流石に豪炎寺が俺の両肩から手を離した。
「どうした、宍戸?」
 訝しげな顔で聞く豪炎寺に、宍戸はハァハァと息を切らせながらも俺たちに訴えた。
「……よ、良かった。豪炎寺さんに、おまけに風丸さんもいるなんて。大変なんです! キャプテンが……」
 宍戸の口から飛び出した言葉に、俺は我を失った。思わず宍戸に掴みかかる。
「円堂がどうしたっ!?」
「あ、あの! 3人組、3人組の奴らがキャプテンに、キャプテンに……!」
 しどろもどろで要領を得ない宍戸に、俺は奴のユニフォームを破らんばかりに引っ張った。それを咎めるように、豪炎寺は俺と宍戸の腕を掴んだ。
「落ち着け、2人とも。宍戸、分かるように喋ってくれ」
「あ……はい。俺たちがグラウンドで練習しようとしてたら、突然、木戸川清修から来たって奴らがキャプテンに挑戦してきたんです。3人がかりのシュートを受けたキャプテンは……」
 宍戸は一旦ごくんと唾を飲み込むと、青ざめた顔で言葉を続ける。
「ゴールで倒れたまま動かなくなって、今……保健室に!」
「何だと!?」
 一瞬、俺の目の前が真っ暗になる。俺が部活を休もうとした時に、そんな事が起きるなんて!
 気がついたら俺は雷門中へ向かう道を走っていた。背後から俺を呼ぶ豪炎寺と宍戸の声が聞こえる。でも、俺の頭には2人の声は届かなかった。
 まだ部活中だったから、校庭や校舎にはまばらに生徒たちが残っている。俺はそいつらを突き飛ばす勢いで、保健室へ走る。辿り着くや否や、ドアをがらりと開けて円堂が寝かされているベッドへ走り寄った。
「円堂っ!」
 大声で円堂に呼びかける俺を、保険医の白鳥先生が口に人差し指を当てて制した。
「しーっ。ダメよ。まだ眠ってるんだから」
 俺はやっと心を落ち着かせる。側にあった丸椅子にがくりと腰を下ろすと、眼を閉じたままの円堂の顔を覗き込んだ。少し頬に土ぼこりがついている。俺は震える手で、それを拭った。
 俺が部活をサボろうとした所為だ。こんな事になったのは。たかが豪炎寺のキス一つくらいで、あんなに動揺して、心を乱されて、冷静になれなかった俺の所為だ。俺が側についてさえいれば、円堂がこんな目に遭わずに済んだんじゃないのか。
 円堂を襲った3人組とは、先程俺と豪炎寺に絡んできた奴らなんだろう。よく考えれば、奴らが雷門に偵察に来た事くらい、すぐに分かっていた。せめて、その時点で円堂たちに伝えれば良かったのだ。
 円堂が寝かされたベッドの横で項垂れている俺の所に、豪炎寺と宍戸、そして他のサッカー部員たちもやって来た。
「あれ? 風丸。お前、用事があったんじゃなかったっけ?」
 半田が不思議そうな顔をした。その後ろで栗松と壁山ががっくりと俯いている。
「あ……、ああ」
 俺が半田にどう言い訳をしようか考えていると、円堂が呻き声を上げて目を覚ました。
「円堂っ」
 ぼんやりと瞼をあげた円堂に俺は呼びかける。俺の姿を認めると苦笑いして上半身を起こす。思わず俺は円堂の肩にしがみついた。
「何だよ……風丸」
「円堂。円堂っ……俺」
 円堂がそっと俺の背中を擦る。どう考えても、倒れた円堂の方が辛いはずなのに、そんな素振りは見せなかった。
「はは。何だよ、大げさだな。俺なら大丈夫だって。大したケガじゃないしさ。てかお前、家の用事はどうした?」
 俺は円堂の顔を見上げる。嘘をついて部活を休もうとした俺は、見透かされている気がした。
「俺のことはいいからさ。ちゃんと家に帰れよ、風丸。な?」
「……う、うん」
「ホラ! お前らも、俺は大丈夫なんだから練習に戻れよ!」
 保健室にぞろぞろと雁首揃えている、他の部員たちにも円堂は発破をかけた。俺は漸く立ち上がると、円堂に軽く手を振る。
「じゃあ。ちゃんと養生しろよ、円堂」
「だからぁ、大したことないって。また明日な!」
 ニッと笑うと、円堂は俺に手を挙げて見送った。豪炎寺の横を通り過ぎようとすると、俺の顔をじっと見つめてくる。でも俺はその視線から目を逸らすと、保健室を後にした。



 覚束ない足取りで、俺は正門へと歩く。円堂の体は大丈夫そうだったが、俺にとっては世界が暗闇に覆われてしまいそうな気がした。そこへ栗松と壁山が俺を追いかけてきた。
「風丸さん」
「何だ……、お前ら?」
「あの、俺たち。さっきキャプテンが倒されちゃってから、考えたッスけど……」
「なんか……俺たち自信なくしちゃったでやんすよ。アレ見たら」
 暗い顔で2人は訴えてくる。俺は思わず立ち止まった。
「何故だ?」
「だって、あんなシュート見せられたらもう勝てる気がしないッス」
「そうでやんすよ。相手は準決勝校でやんすからね。俺たちの力じゃ、ここまで来るのが精一杯ってことだったでやんす……」
「そんなに凄いシュートだったのか?」
 2人はこくんと頷く。俺は2人にかけられる言葉を見つけられずに、俯いた。とりあえず言えたのは練習に戻るように、とだけだった。
 2人をグラウンドに追い返すと、俺は再び正門へと歩き出した。俺だけでなく、みんなの前にも暗い壁が立ちはだかっている。何でこんな事になっちまったんだ? 何で……。
 そもそも俺は、何故サッカーをやり始めたんだっけ。円堂の夢を叶えてあげたい、それだけなのか? それなのに今は、円堂と距離が出来てしまった事に腹を立てている。円堂と一緒に、いつも側に居たい、それだけだったのに。俺はサッカーを続ける事に、意味が見いだせなくなってしまった。
 俯いて正門を抜けて、横断歩道の信号が赤から青に変わるのを待った。「止まれ」と浮かび上がった赤い光。このまま信号は青に変わらないんじゃないか。そんな予感さえ感じさせた。
 その時、横断歩道の向こうから1人の大人の男性が俺に手を振ってきた。
「おお~~い。君、そこで信号待ってる君!」
「えっ?」
 俺は顔を上げる。見た覚えのない人だ。
「君! 雷門中のサッカー部の子だろう? ええと……名前は」
 信号が青に変わると同時に、その人は俺に駆け寄ってくる。俺は訝しげにその人を見る。顎にはうっすらと髭が生えていたが、それ程怪しい人物ではなさそうだった。
「風丸です」
「そう、風丸くんだ。君、すごく足速いよね」
「はぁ……」
 俺が生返事をすると、その人は「ああ」と照れ笑いをした。
「ごめんごめん。こちらから名乗るべきだったね。俺は木戸川清修中のサッカー部の監督をやっている、二階堂って者だ」
 木戸川清修……今日はやたらにその名前に縁がある。俺は思わず溜め息をついた。
「それで、木戸川の監督さんが何か用ですか?」
「うん……。今日はうちの部員たちがそちらに迷惑を掛けて済まなかったね」
「その話でしたら、うちの学校の部室か職員室でお願いできませんか」
 俺は何だか、うんざりして二階堂と名乗った人に対して懇願した。すると彼は「いやいや」と手を横に振る。
「違うんだ。君に聞きたいのはそれじゃない」
「何でしょうか?」
「うん。君のチームの豪炎寺、……くんに関してなんだが」
「豪炎寺?」
 そういえば木戸川清修は雷門に転校して来る前に、豪炎寺が通ってたと聞いていた。
「でしたら直接、豪炎寺に」
「いや」
 今はあまり他人と話したくない俺に、彼はしつこく縋ってくる。何故だ? ましてや豪炎寺が話題では……。
「出来れば君に話を聞きたい。ちょっと時間をくれないかな?」
 二階堂監督の目が真剣な表情を帯びている。俺はその真摯な瞳に、俺は断りの言葉を失っていた。

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「悪いね。出来れば何処か喫茶店ででも話をしたいんだが、流石に下校中の中学生を誘うのは色々とマズいもんでね」
 二階堂監督は河川敷の広場まで俺を誘うと、ジュースの自販機を指差した。
「奢るよ。風丸くんはどれがいい?」
「じゃあ、紅茶で」
 彼は百円玉を二枚入れると、選択ボタンに指を走らせる。レモンティーの上で指を止めたが、俺は
「あ。それ苦手なんで、ストレートの方でお願いします」
と、訂正させてもらった。
「悪い悪い」
「いえ……」
 ごとんと音を立てて、ストレートティーの缶が出口に落ちてきたのを取り出すと、二階堂監督は俺に手渡した。にこりと俺に笑いかけると、自分の分のスポーツドリンクを購入した。
 手渡された缶はキンキンに冷えて、俺の掌が凍り付いてしまうかと思ってしまった。でもじきに冷たいスチール缶は体温で温もり、冷えきった感覚も消えてしまう。
「そこ、座って」
 二階堂監督は近くのベンチを指差す。俺が腰掛けて肩かけ鞄をベンチに乗せると、隣にごくりと喉を鳴らしながら二階堂監督も座る。俺は缶のプルタブをあげて、スチール缶に口をつけた。苦く茶色に透き通った紅茶が俺の喉を潤す。
「それで、俺に話とは?」
 監督は神妙な顔をすると、両手でドリンクの缶をもてあそびながらぽつりぽつりと話し始めた。
「どうかな? 豪炎寺は雷門中で上手くやってる?」
「はい。……まあ」
『豪炎寺』の名が出ると、俺の胸はどきんと杭を打たれたように跳ね上がる。それを懸命に悟られないようにしながら、俺は答えた。
「サッカー部の仲間からは一目置かれてますよ。俺も……、彼のシュート力は凄いと思います」
「そういえば、君、この間の試合では豪炎寺と一緒に」
 炎の風見鶏の事を言っているらしい。という事は俺たちの試合を直に見たんだろうか。
「はい。ご覧になったんですか?」
「うん。彼と息を合わせるのは難しかったんじゃないかな?」
「そうですね。……でもあいつがリードしてくれましたから」
「へぇ! そうか。……豪炎寺が」
 二階堂監督は目を細めて遠くを見ている。何だかほっとしたような笑みを浮かべていた。
「実を言うとね。木戸川ではあまり他の部員とはそりが合わなかったようなんで、心配していたのさ。一時期はサッカーを止めてしまうと危惧してたんでね。……妹さんがあんな事になるとは、彼自身も思ってなかったようだからな……」
 豪炎寺の妹が事故にあって、稲妻病院で療養中なのは知っている。眠ったままで一向に目を覚ます気配のない、彼の妹。気の毒だとは思う。でもあいつは普段、そんなことをおくびにも出さないし、他のみんなも半ば忘れているようだった。
「うちのキャプテンはサッカーバカですから。あいつの熱意のお陰で……っていうか、あいつのバカが豪炎寺にも伝染っちゃったのかも」
「ははは。なんだい、それは?」
「そういう奴なんです。うちのキャプテンの円堂は」
 安心させようと、俺がちょっとおどけた言い方をすると、二階堂監督はにやりと笑いかけてきた。
「君も?」
「え……」
 どぎまぎと俺は焦りだした。呼吸が乱れて、うまく冷静さを保てない。
「ええ、まあ……。はい」
 頬が熱くなるのを隠そうと、俺は下を向く。だが二階堂監督はそんな事には気にも止めてなかったようだ。
「なるほど。それは良かった。意外と寂しがり屋だからね、彼は」
「え?」
「彼は片親だし、彼のお父さんは外科医って仕事柄、とても忙しいそうだからね。おまけに妹さんはあの通り。いつもひとりでいる所為か、色々と苦しい事なんか自分の中にしまい込んでしまうからなぁ……」
 片親? そんな事初めて聞いた。大体豪炎寺が、自らの家庭の事情を他人に話すことなんかない。二階堂監督の言葉は、俺の胸に次々と突き刺さる。
「……あっ。もしかして君、知らなかったのかい? まずいな。うっかりしてしまったよ」
 俺が一瞬ぽかんとしてたのを、二階堂監督は見逃さなかった。後頭部を掻きむしって、困ったように首を振る。
「すまないが、豪炎寺には黙っておいてもらえるかな? 彼、傷つくと思うんだ……」
「は、はい……」
 俺は息を吐くように返事をする。彼の言葉が突き刺さった胸にはぽかりと穴が空いてしまった気がした。
「あー、兎も角。君に話が聞けて良かったよ。豪炎寺が雷門中でまたサッカーをやり始めたと知って、どうなったのかと気を揉んでいたんだが。君のお仲間はいい人たちみたいだね」
「ええ」
「君自身もね」
「そんな事……ないです」
「これからも、豪炎寺と仲良くしてやって欲しい。出来れば一生の友人に」
「え……」
 二階堂監督の言葉が俺の心を揺らした。
「厚かましいお願いとは思うんだが、やっぱり同い年くらいの子が彼には必要だと思うのでね」
「それは……」
 豪炎寺は昨日、俺にキスをした。その感触は今でも唇に残っている。そして今日は俺に好きだと言った。好きになるのに、理由なんかない……と。そんなあいつと一生の友人だなんて。
 俺の心がぐらぐらと揺れだす。川面へと視線を投げると、そのまま流れに飲み込まれてしまいそうだ。俺は唇に指を当てて、川の流れを見つめていた。
「それは豪炎寺次第、……なんじゃないでしょうか?」
「……うん。まあ、その通りなんだけどね。君なら彼と上手くやっていけるような気がしたんだ」
「俺と……?」
「どうかな?」
 真摯に俺を見つめる二階堂監督。俺はその視線を受け止めきれずに、俯いた。
「あー、やっぱり厚かましかったかな。うん。おいおい考えておいてくれよ。じゃあ、今日はこれで。今度は試合の日にまた会おう」
 差し出された手を、俺はそっと握る。ぎゅっと握り返された手はとても温かった。



 二階堂監督が去ってしまっても、俺は河川敷で川の流れをぼんやりと見つめていた。手にしていた紅茶の缶が、空っぽだったことに気付いて、自販機の側にあった空き缶入れめがけて右脚で蹴った。放射線を描いて飛んでいった空き缶は、穴から逸れて地面に落ちる。俺は苦く笑って空き缶を入れ直そうとした。指が戻そうとした右の足首に引っかかる。
「あっ?」
 指に絡まったのは、水色のミサンガだ。願いをそっと込めて結んだ組紐。俺の、願いは叶いそうにない……。
 それでもそのミサンガを引き千切りはしない。絡まった指を外すと、俺はそっと地面に転がった空き缶を拾い、手で空き缶入れに放り込む。がらんと音を立てて、空き缶は箱の中に収まった。
 今、俺はもの凄く後悔している。木戸川の監督の話を聞くんじゃなかった……。
 うっかりだと言う、彼の言葉は未だに俺の心に突き刺さったまま。思い出せば豪炎寺はいつも練習の時は黙々としている。何処か他人を寄せ付けない雰囲気を醸し出している。それでもお節介というか、屈託のない円堂のお陰で、他の部員たちとはそれなりにやっていけてる。
 家に父親しかしないと言うのは、初耳だった。あいつの妹が入院中なのは知っていたし、毎日の様に見舞いには行っているらしかったが、それ以上の、学校以外での豪炎寺は何ひとつ知らない。……いや。この間、円堂と一緒にスポーツショップに行ったっけ。でも、それは実を言うと円堂と2人っきりになるのが、妙に気恥ずかしくて誰か他の奴と一緒の方が良いだろうと……、それがたまたま豪炎寺なだけであって……。
 たまたま、なのか?
 あの日の事を思い返してみる。別に他の奴でも良かったのに。いや。そういえば、円堂とスポーツショップへ買い物に行く約束をしていた時、ちょうど俺たちの側にあいつが居たんだ。
 ──あ。
 駅前で待ち合わせしていて、うざったい奴らから逃れる為に恋人の振りをしようとしたあいつ。俺に絡んできた2人組を見て、血相を変えてとんできたあいつ。その行動の意味って……。
 俺は円堂が来るまでの間、あいつと手を握っちまった。
「お前にキスしたら悪いのか?」
「好きになるのに、理由なんかない」
 豪炎寺の言葉が俺の心の中でぐるぐると回りだす。
「意外と寂しがり屋だからね、彼は」
「苦しい事なんか自分の中にしまい込んでしまうからなぁ……」
 二階堂監督の言葉がそれに混じりあって、俺の心を揺さぶる。俺は胸が苦しくなって、荒く息を吐き出した。
 なぜ? 何故、俺は豪炎寺の事で胸の中が一杯になってしまっているのだろう。
 昨日のキス。
 その時から俺の心はあいつに揺さぶられ、振り回され、流されようとしている。
 唇に指を当てる。
 昨日から、無意識にそれを繰り返している。豪炎寺の唇の感触。それが俺をずっと支配しているんだ。
 その事に気付いて顔を上げた時、河川敷に沿う通りを豪炎寺が歩いてる姿が目に映った。サッカー部の練習は終わったんだろうか。学ラン姿で、俺と同じ学校指定の肩かけ鞄を下げている。
 ヤバい!
 ここから逃げてしまおうか、どうしようかと迷っていると、豪炎寺も俺が居るのに気付いたらしい。まっすぐ俺の方へ向かってくる。
 眼を閉じて、溜息をついた。今逃げたって明日になれば、同じ事の繰り返しだ。俺は腹を据えて、豪炎寺が来るのを待った。
「風丸」
 俺を呼ぶ、あいつの声。俺は一瞬黙り込んだが、すぐに顔を上げて豪炎寺の顔を見上げた。
「さっき、木戸川清修のサッカー部の監督に会ったぜ」
「二階堂監督に?」
 俺は頷く。豪炎寺は曖昧というか困惑そうな顔をした。
「お前の事、ずいぶん気にしてたみたいだ」
「……そうか」
 そう言ったきり、豪炎寺は黙って俺の顔を見つめるままだ。
 唇がむずむずする。きっとそれは目の前の豪炎寺の所為。まるで痺れるように俺の唇は体と分離しちまって、そこだけ別のものになってしまったようだ。
 悔しい。
 何故、俺はこいつのキスの所為でこんなに心を乱されなきゃいけないんだ?
 何故俺だけが、こんなに苦しまなきゃならないんだ?
 どうして……。
 俺はこの苦しみから逃れたかった。この悔しさから解放されたかった。だから、俺は……。
 俺はまっすぐ豪炎寺を見据えると、一歩近寄った。少し薄めの、しっかりと結ばれたあいつの唇。
 それを確認すると豪炎寺の薄い唇に、俺の、唇を重ねてやった。
 はっと豪炎寺が息を呑む音が聞こえる。とくとくと鼓動が鳴っているのを感じる。俺の苦しみも悔しさも全てこいつに伝染してしまえばいい!
 一瞬だったはずなのに、それはまるで永遠に続くように感じられた。俺は豪炎寺から離れると止めた呼吸をやっと取り戻す。
「昨日のおかえしだ」
 それだけ言うと俺は踵を返して河川敷から、豪炎寺の側から走り出した。走って、誰にも追いつけないくらい走って、斜面の階段を駆け上がって通りへ上る。
 豪炎寺が俺の名前を叫んでいる。でも俺は振り返らない。
 走って、走り抜けて、駆け抜けた先は、昨日の鉄塔広場だった。俺は木からぶら下がった古タイヤにしがみついて、息を整えた。
 西の空が茜色に染まり、広場から見える町全体が陽の光で輝いている。
 俺は。俺は……。
 しがみついた古タイヤは円堂のもの。なのに、俺と円堂の距離は随分遠くなってしまっている。その代わりに得たのは、その分縮まったのは、俺と豪炎寺との距離だった。
 唇に指を当てた。さっきのキスの感触がまだ俺の唇に残っている。妙に熱い……。
 西の空に広がる茜色。それは、初めて見たあいつのシュートと同じ色だった。

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