高原 風音

ふんわりいちゃ甘な創作BL小説をメインで活動しています!
基本的にはハピエン厨というより、ハッピーに始まりハッピーに進んでハッピーに終わる、一言で言うと“始終ハッピー主義”。
主にPixivで作品を発表しており、こちらには順次再掲を行っております。現在執筆中のシリーズは3人組のゆるふわいちゃあまラブ『僕+君→Waltz!』(R-18あり)。完結済みのシリーズには、自由奔放な少年がハッピーエンドを迎えるまでのお話『初恋みたいなキスをして』(R-18)があります。
そのほか、ちまちまと短編BLを書いたりしています。
また、ここでは紹介しませんが、ファンタジー?ふうのシリーズ『碧色の軌跡』(完結済み・恋愛要素なし)やオリジナル短編などもあったりしますので、興味がありましたらぜひ。
二次創作もぼちぼちやっております。

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投稿日:2024年05月27日 23:05    文字数:12,431

53こ目;夏の日差しと砂の影~前編~

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穏やかなばかりだと思って入ったサークルだが、
部員を増やしたい先輩たちの思惑は蒼生たちの理想から外れていき…。

46こ目『やさしい円の中』( https://pictbland.net/items/detail/2222996 )の続きのようなもの。
さらに、続きます。

↑初公開時キャプション↑
2022/05/27初公開
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
1 / 1

 広い窓を埋め尽くすような、鮮やかな緑色が眩しい。教室の窓は読書の邪魔にならない程度に幾つか開けられていて、そこから爽やかな風が入ってきていた。
 机の上に置いておいたしおりがひらりと膝に落ちる。集中が途切れた蒼生は、しおりを拾って、追っていた活字から目を離した。
 教室にまばらに座っているのは、サークルのメンバーだ。それぞれが手元の本に夢中になっていて、風の音しか聞こえない。中には何かを話して笑いあっている姿も見えるが、風に乗ってしまっているのか、その声は耳にまで届かなかった。
 蒼生は顔を伏せる。思わず緩んだ頬を、誰かに見られてしまいそうだったからだ。こんな静かで穏やかな空間の、左隣には分厚い本を読む冬矢がいて、右隣には教科書と格闘する健太がいる。自分が好きなことをしている、そのそばにいてくれる。それを意識してしまうと、存在がたまらなく愛おしくなる。
「どうかした? 蒼生」
 冬矢がすぐ蒼生の様子に気が付いて、こっそりと声をかけてきた。
「ううん。一緒にいてくれて嬉しいなって、胸がいっぱいになっちゃっただけ」
「ずっと一緒にいるじゃないか」
「そのはずなのにね。でも、たまに、ぎゅーって嬉しくなるんだ」
「……うん。わかるよ」
 そう言った冬矢の、優しくて暖かい笑顔。蒼生にしか向けない顔だ。思わずあたりを見渡し、誰も見ていないことを確認してほっとする。
 そこに、健太が手を伸ばす。膝の上に置いた手を、上から包み込んでくれる。
「オレもわかる」
 周りには見えないように、少し控えめに触れるだけだけれど、それはとても高い温度で胸を熱くする。
「……困ったなあ。もっと嬉しくなっちゃった」
 ふたりの笑顔に抱き締められているようだ、と思う。人前であることがなんともじれったい。家に帰ったらまずは本当に抱き締めてもらおう、いや、それまでもつだろうか、どこか人目につかない場所はあるだろうか。家までの経路を巻き戻すように再生していると、教壇に上がる人の姿が見えた。
「ちょっとすいませーん。夢中なとこごめんね、活動記録撮らしてー。一応サークルのサイトに載っけるから、顔出しNGの人いたら申告よろー」
 携帯を振りながらのセリフに、教室内から笑いが起こる。
「顔出しNGって、なにやらかしちゃった奴だよ」
「え、逃走犯ってこと?」
「これでアリバイ崩れちゃうとか?」
「逆に立証できちゃうかもよ!」
 わいわいと話が飛躍していくメンバーに笑いを返しながら、彼は携帯を構える。
「ちょこっとページに写真が載るくらいならどうにもならんだろ。はいはい、撮ってくから自然体で。さっきみたいに楽しそうに読んで読んで」
「おっ、やらせじゃねーか!」
「やらせじゃねーわ!」
 さらにどっと盛り上がる。
 楽し気な空気の中、浮かない顔をしている蒼生に、また冬矢が気付く。
「蒼生。俺たちは映り込み程度にしてもらおうな」
「う、うん」
 蒼生は目立つのが嫌いだ。それは冬矢も同じだからその気持ちはよくわかる。だが、自分は拒否出来る自信があるが、優しすぎる蒼生は押し切られる可能性が高い。冬矢にしてみれば、不特定の人間が見られるウェブ上に自分たちの写真が載るのは出来るならば避けたいという思いがあった。特に、蒼生の姿は、本当なら可能な限り隠しておきたい。どんな人間に興味を持たれるか、わかったものではないからだ。ならばせめて、単独で目立たせないほうがいい。
 やがて、カメラが3人のほうに近付いてきた。
「んじゃ撮るぞー」
 ふたりの話を聞いていた健太が、ぐいっと前に出る。
「あ、先輩、オレら、出来るだけちっちゃくして! 背景の一部かよ?ってくらい!」
「えー? なんでだよ、もったいねえな」
「いや、そのー、……ほら、昔のカノジョとかに凸られたら困るし!」
「……あー、おまえらそういう……。はは、わかったわかった、ちょっと遠目な、それならいい?」
「遠くね!」
「へいへい」
 彼は何度も「もったいない」を繰り返していたが、きちんと窓際まで下がってからシャッターを切った。


 もともとさほど広くもない部室は、本棚と保存ケースに占領されていてかなり狭い。事務机と椅子は置かれているが、そこに座ると後ろを通るのが難しくなるほどだ。そこに、部長と副部長2人、さらにサボりに来ていた男子学生3人が詰め込まれている。
「なんか、むさくるしいです」
 図らずも紅一点になっていた副部長の白幡が、不機嫌を隠さずにばさりと書類を机に置いた。一応端のほうで静かに身を寄せ合ってコンピュータを弄っていた3人が、ぎくりと体を小さくする。まあまあ、と部長の細谷が白幡をなだめる。
「広報がいないうちの部で、サイト管理とか手伝ってくれてるんだから」
「それはそうだと思いますけど。問題は、そっちじゃないです。部室の狭さのほうです。あの使ってない、いつの物だかわからない粗大ごみに溢れた資料室、明け渡してもらえないんですか」
「あはは。うーん、もう少し大きなサークルで、発言権があれば考えてくれるかもしれないけどねえ……」
「そうですね、1年生がもう少し入ってくれないと」
 副部長の片割れである神崎は、雑に置かれて乱れた書類に目を通していたが、ヒートアップしてきた白幡を遮るように書類を掲げる。
「うん、報告書、これで大丈夫だろうね。提出してこようか」
「……いえ、私が行きます。外の空気を吸ってきたいので」
 神崎の手から書類を奪うように受け取ると、白幡は勢いよくドアを開けて部室を出ていった。残されたのは男子ばかり5人。奥で作業をしていた学生がはあっと息を吐く。
「でもまー、白幡ちゃんの気持ちもわかるよ。執行にかかわってくれる女子部員が他にいないもんな。やっぱ部員は必要だよ。女子! 女子女子! もっと女の子を!」
「だよなー。出来れば可愛い子に入ってほしい。そしてあわよくば恋が始まってほしい」
「そういう目的のサークルじゃないんだけど……」
「細谷はマジで本が目的だもんな。でもさー、せっかくのキャンパスライフだぜ? モテたいじゃん! 謳歌したいじゃん! かといってイケイケなサークルに入っても絶対負けるのは目に見えてるし……。だから願わくは本が好きなおとなしい女子と甘い恋がしたいんよ!」
 必死な様子に、神崎が笑う。
「入会してくれた子もいたじゃないか」
「ああ、それな。大々的な勧誘できる期間に男子4人しか集まんなかった時には地獄かと思ったぜ……。この写真のおかげで1年女子が3人来てくれたのはホント、ありがたいけど、ちょっと複雑……。しょせん顔か……」
 全員で画面を覗き込む。そこには先日の活動の際に撮影した写真が並んでいる。静かに本を読むメンバー、楽しそうに同じ本を覗き込んで何か話をしているメンバー、そのタイル状に並べられた最後に、蒼生たち3人の写真があった。本人たちの要望を無視して辞められても困るので、人物の比率は低い。が、それがかえって良い雰囲気を醸し出していた。ぼやけた教室の明るい壁を背景に、小さく、だがくっきりと鮮やかに映った人の姿。全員手元の本に目を落としているが、穏やかで優しい空気が伝わってくる。
「これ撮った時さ、俺プロかな? って思ったもんよ」
「被写体の効果なんだろーなー、くっそ。こういう顔面で生まれたら人生イージーモードだったはずなのに……」
「彼女とかいんのかな」
「いないわけねえだろ。元カノに凸られて困るってのは、今カノがいるってことじゃん」
「だよなー。やっぱ入れ食い状態なのかね。あんまり明るいイメージのないサークルの、誰が見んだよって活動報告のページ見て寄ってくる女子がいるんだからなあ」
「でも入ってきてくれればこっちのもんじゃない? あいつらが全員に手ぇ出すような奴らだったらともかく、少なくとも同じ場所にいりゃこっち見てくれる可能性はあるだろって」
「それには、やっぱ数足んないだろ。細谷、イベントやろイベント。そだ、合宿もやって、明るい感じの写真もっと載っけてさ、明るいサークルアピールしてイベントやれば人集まるんじゃないかな」
 途中からほぼ聞いていなかった細谷が顔を上げる。
「だからうちはそういう」
「親睦! サークルメンバー同士の親睦!」
 狭い部屋で詰め寄られ、細谷は困って神崎を見た。対する神崎は涼しい顔だ。
「そうだね。初々しくて可愛い1年生と仲良くなるいい機会じゃないか」
「また適当な……」
 細谷はさらに困った顔をするが、向こうの3人はすっかり乗り気で、合宿先の候補と思しき観光地を検索し始めていた。


 直接話したいことがあるから、という細谷のメッセージに呼び出された蒼生たちは、昼休み早々に管理棟の食堂に顔を出した。すると、入り口近くの席に座っていた細谷と神崎が同時に手を挙げた。2人の前には、空の食器が置いてある。どうやら前の授業はなかったらしい。
「ごめんね、急に呼び出して。ああ、みんなは今日お弁当なんだ。そこのコンビニのか」
「食堂が混んでいたら遅れてしまうと思ったので、先に買っておいたんですが、大丈夫そうでしたね」
 冬矢がそう言いながら、3人分の弁当が入った袋を机に置く。それから中央の席にいる細谷の前に座った。健太が神崎の前に座り、冬矢を挟んで蒼生が座る。蒼生だけが「あれ?」と思っていた。自分を真ん中にしないとは珍しい。
「それで、何かご用事でしたか」
「そうそう。3人とも、この前やったサークル外向けのイベント欠席したでしょ」
「ああ、すみません。全員バイトが入っていて」
「いやいや、それはいいんだ、参加は任意だし。じゃなくてね、その時に他のメンバーには告知したんだけど。これ」
 細谷が鞄の中を探り、フォルダに挟んだ書類を取り出した。
「っと、1枚しかなかったか……」
「大丈夫です、1枚あれば」
「そう? ごめんね」
 差し出された紙を3人で覗き込む。そこには、夏合宿、という文字があった。来たか、と思う冬矢だ。この前の活動日、男子の先輩たちが活動中に盛り上がっているのを横目で見ていたのだが、あれはこれのことだったか。なんとなく事情は推察できる。どうせ自分たちはダシだろう。
「海、ですか」
 そこには、サークルの活動内容からは想像も出来ない、よく聞く海水浴場の名前が書いてあった。
「実はね、ここ、現代文学の父と言われる加藤近衛と殿城壮情の出身地なんだ。ここに加藤近衛資料館があって、期間限定で肉筆の手記が公開されるんだそうだよ。さらにこの近くにある殿城記念館で、彼の親族で同じく作家をしている殿城ミナトが講演をするんだ。問い合わせたら、読書サークルのみなさんならぜひって仰っていただけて、参加者全員分の席を用意してくれるんだって」
 早口で細谷がまくしたてる。正直、健太は何を言っているかわからなかった。冬矢でさえ文学史で聞いたことのある名前だな、と思う程度だ。この場でただひとり、細谷のテンションについて行っているのが蒼生だ。
「『白波のたつ浜辺の鳥』……ですね」
「そう! 次回の文学賞では大賞だろうって言われてるよね。いい機会だし、ぜひ3人にも参加してほしいんだ。どうかな?」
「…………」
 蒼生は冬矢の前に置かれたプリントをじっと眺める。
 ずいぶん長く間を取っている蒼生に、健太と冬矢はすぐ「あ、行きたくないんだな」と思う。細谷の話すポイントは、明らかに蒼生のツボをついていた。作家に詳しくない冬矢でも資料館や記念館といった施設には興味がある。それなのにここまで蒼生を戸惑わせているのは、おそらくそこに書かれた内容だ。2泊3日で組まれたスケジュールには、施設に訪れるほかに「親睦会」「海でのレクリエーション」の文字が見える。蒼生ができれば避けたいと思うだろうな、という言葉だ。
 そこに、ずっと黙っていた神崎が身を乗り出してくる。
「急にイベントをやることになってばたばたしたせいで、まだ3人の歓迎会をやってないだろ? 同じく新人の木之下くんと、この前入ってくれた女の子たちもね。それを兼ねて、1年生にはみんな参加してほしいと思ってるんだ。これだけ先の予定だ、バイトのシフトも調整できるよね?」
 まっすぐに蒼生を見て、にこにこと話す神崎に、健太がわずかな警戒の目を向ける。が、神崎は気にも留めない。もう一度「ね?」と笑いかけられ、蒼生は一度息を飲んでから、
「……はい」
 と頷いた。
 ほっと息を吐いたのは細谷だ。
「ああ、よかった。新入生みんなに楽しんでもらいたくていろいろ考えてたんだ。きっと野木沢くん、講演会を喜んでくれるなと思ってね! もちろん、寺田くんと笹原くんにも」
 まるきり裏のなさそうな無邪気な言葉に、防御態勢が崩されそうになった健太は思わず腰を引く。踏みとどまった冬矢が姿勢を正した。
「部屋は大部屋ですか、個室ですか」
「え? ああ、ホテルだからそんなに大きな部屋はないみたいで、4人部屋を人数分で仮押さえしてある。だよね、神崎」
「そう。それで親睦を深めるために、学年もバラバラのランダムに割り振ろうと」
「学年ごとでお願いできませんか」
「……へえ。どうして?」
「他学年との親睦は他の機会でも出来ると思います。いきなり先輩と同じ部屋になるような緊張状態は、サークルの趣旨から外れるのではないでしょうか。少なくとも1年同士を離すには、早急すぎるような気がします」
「ふーん……」
 すうっと目を細める神崎だが、隣の細谷はうんうんと頷く。
「なるほど、そうだね。まだ木之下くんともあんまり話したことないよね? 今後のこともあるし、まずは横の繋がりが大事かな。もちろん、我々とも仲良くしてほしいけど」
「それはもちろんです。意見を聞いてくださってありがとうございます」
「ううん、はっきり自分の意見を言ってくれる子、助かるよ。じゃあそうするね。で、3人とも出席ってことでいいのかな?」
「はい」
「ありがとう。これで全員分の出欠が出揃った。この件に関しては、またミーティングしよう。じゃ、今日のところはこれで。行こう、神崎」
「ああ。……楽しみにしてるよ」
 まだ何か含みのありそうな神崎を引き連れ、細谷は食器を持っていない手を振りながら席を立った。
 2人の姿が食堂から消えるまでを眺め、最後に会釈をしてから、ようやく3人は顔を見合わせる。
「なんつーかあの人ら、白と黒みたいな組み合わせだな」
「優しい言い方をするじゃないか」
「あー……まだどういう人かわかんねえからな。飴と鞭くらいは言ってもいいかもしんねえけど」
 蒼生だけはいまいちピンと来ていないように首を傾げる。
「ふたりとも、神崎先輩には厳しい見方するよね」
「んー。なんか、蒼生に近付こうとしてる気配を感じるっつーか、やな予感がするっつーか……。そんな気にすることでもないんだけど……。オレの勘でしかないしさ」
「ただ、健太の勘は軽く見ないほうがいいと俺は思ってる」
「そっか。僕はいい人だなって思うけど、……ふたりがそう言うなら気を付ける」
「用心に越したことはないからね」
「うん」
 健太にせよ冬矢にせよ、蒼生の交友関係を狭める気はさほどない。とはいえ、まるきり無防備では困る。大きな問題は、どの方向から現れるかわかったものではないのだから、注意する姿勢はいつでもあったほうがいい。
 はっと時計を見た健太が、机の袋をがさがさと探る。
「やっべ、時間あんまりないじゃん。ごはん食べよ」
「わ、大変だ」
 一応レンジにかけてきた弁当は、まだほんのりと温かい。
「袋の中におにぎりも入ってる。どうせ健太は足りないだろうから」
「お、サンキュ。あと席替わって」
「はいはい」
 笑って、蒼生と冬矢が入れ替わる。やはりこうでないと落ち着かない。それでも横並びなのは、ふたりとも蒼生の隣になりたかったのだろう。
 蒼生は初めてそこで気が付いた。先程のフォーメーションは、神崎を警戒してのものだったのだ。どちらか片方が言ったことでももちろんちゃんと聞くが、ふたりがふたり共そこまで気にするのなら、たしかに油断しないほうがよさそうだ。
「いただきまーす」
 3人できちんと手を合わせる。
「それにしてもなー、海かー。オレはいいんだけどなあ」
 まずはおにぎりから頬張りながら、健太が呟く。それだ。蒼生もエビフライを咥えて唸る。
「半分は、すっごく興味があるのに。残り半分は、あんまり好きじゃないやつ……。冬矢は断るかと思ってた」
「蒼生が半分すごく興味があるのがわかったからだよ。気になるのは俺もわかる。まあ、蒼生が思っている通り、俺自身も苦手な分野だ。だからこそ、そこに蒼生をひとりで置いてはおけないよ」
「またオレを数に入れてねえな」
 それを無視して、冬矢はペットボトルの蓋を捻る。
「どちらにせよ、行くからには準備はしないといけないな。まだ日にちはあるけど」
「そうだな。ふたりは水着あんの?」
「持ってきていない」
「僕も」
「んじゃ、買いに行くか」
 蒼生の言う「残り半分」のほうが得意な健太は、そこだけ楽しそうに言って唐揚げを口に放り込む。蒼生と冬矢は顔を見合わせた。


 インドア派とアウトドア派では、ずいぶん大きな隔たりがあるようだ。そのための装備を整えるだけでも腰が重くなるのがインドア派の特徴なのだろうか。普段の買い物にはフットワークの軽い蒼生も冬矢も、この誘いにはなかなか乗ってこなかった。だいぶ日程が近付いてきてもまだ抵抗があるらしい。しびれを切らした健太は、とうとう強硬手段に出た。
「蒼生! この前雑誌に載ってた、なかなか予約取れないっていうあの洋菓子屋、予約取った! ケーキ奢るから、水着買いに行こ!」
 ぴく、と蒼生が肩を揺らす。
「……で、でも……、奢りなんて悪いし……」
「お土産にクッキーもつける」
「うぅ……」
「手繋ぎオプションあり」
「行く」
 健太は満足げに頷く。渋る蒼生には甘いもの、だ。
 蒼生が行くと決めれば、当然冬矢もついてくる。それでも足が進まないふたりを引っ張って、なんとか店まで辿り着いた。店頭のビーチを模したディスプレイには華やかな水着をまとった男女のマネキンが並んでいて、蒼生と冬矢が尻込みをしているのがはっきりわかる。
「ふたりとも、なんでそんな苦手なんだ?」
 海だプールだ水着だ、なんて、どう考えてもテンションの上がる取り合わせにしか思えない健太が首を捻る。冬矢はモデルらしき女の子がポーズを取るポスターを見て眉をひそめた。
「もともと屋外は苦手なんだ。周りがはしゃいでいると気分が下がるほうだったしな。しかも、こういう格好をしていると、解放的になる人間が増えるだろう。日陰に避難していると、次から次へ声をかけられるんだ。あれが鬱陶しくて仕方がない」
 ああ、と健太と蒼生は深く頷いた。たしかにビーチパラソルの下に、このビジュアルで物憂げにしている少年がいたら、その場のノリで話しかけてしまうかもしれない。あるいは遠巻きに眺めてしまうか。
「蒼生は?」
「うーん、純粋に蒸し暑いのが嫌い……。日焼けするとすぐ赤くなっちゃって後が大変なのも嫌だし、海は塩水だから後でべたべたするのが嫌だし、水着の中で砂がざらざらするのも嫌だし、遊ばなきゃいけないって無理にアクティブさを求められるのも嫌い」
「え、マジで? そんなの初めて聞いた」
「僕も、初めて言った気がする」
 少し困ったように蒼生が笑った。
 海水浴なんて、寺田野木沢両家でほぼ毎年のように行っていた。健太が本格的に受験に取り組みたいからと言って断って以降なんとなく海には行かなくなったから、最後はおそらく中学2年の時だ。思い返しても、遊ぶのが楽しかったせいで、蒼生に関する記憶はほとんどない。だが、覚えている限り、蒼生はそばにいたり少し離れていたり距離に違いはあったものの、ずっとにこにこ笑っていた。そのはずだ。
「……気付かなかった、ごめん」
「ううん。家族に嫌な思いさせちゃいけないからさ。健ちゃんが楽しそうだったから、それでいいと思ってたし。気付かれないように黙ってたんだから、気付かなくていいんだよ」
「けど」
 蒼生はすっと手を伸ばして、健太の両頬を強めに包み込む。
「ただ、いっこだけ文句言わせて。健ちゃん、みんなと遊びだすと僕のこと置いていっちゃうでしょ。それがいっちばん嫌だったんだから。夢中になるのはいいけど、ほったらかしにしちゃやだからね」
「蒼生」
 手を離し、ぷいっと蒼生が背を向ける。
「それさえなきゃ、……苦手だけど頑張るよ。健ちゃんと冬矢と一緒なら、どこへでも行けるから」
 後ろからわずかに見えた耳が赤い。冬矢がその髪をくしゃりと撫でる。
「……ちゃんと自分の思っていることが言えるようになってきたね」
「わがまま言ってる自分が嫌でもあるんだけど……」
「隠されるよりいいよ。うん、そういうことなら、俺も前向きに頑張ろう。基本的に、合宿中は出来るだけ離れないようにしよう。周りに、入り込む隙がないな、と思わせるくらいでいい」
「なるほど、蒼生といちゃいちゃしてりゃいいんだな?」
「い、いちゃいちゃ」
「とはいっても程度があるよ。他人に蒼生のえっちな顔見せたくないだろ」
「えっちな顔させない程度のいちゃいちゃか、結構難しいな」
 歩き始めたふたりに、蒼生は取り残されかけて慌ててそのあとを追う。
「ま、待って、今の会話なんなの」
「そのままの意味だよ」
「蒼生、すぐめろめろになっちゃうからなあ」
「僕、そんなに簡単……?」
 もっと反論したかったが、少し考えると思い当たる節がないともいえない。けれど、好きな人に触れられて、嬉しくならないわけがないのだ。だとすれば、一様に自分のせいだけとは思えないのだが。それを言ってもいいのかどうか迷った末、先程の冬矢の言葉を思い出して足を踏み出す。
「っ、それ、ふたりがえっちな気分で僕に触るからだと思う」
「……あはは、バレた?」
「しょーがねえじゃん、いつだってそういう気分でべたべたしたいんだよ」
 蒼生は、ふっと心が軽くなるのを感じる。それがどうしてなのか理由はわからなかったが、きっと全部なのだろう。健太に隠していた気持ちを吐き出せたことも、言い返したことを受け止めてもらえたことも、そういう気持ちで触れられていたと知ったことも。そうか、これでよかったのか。
 3人で入った男性用の水着のコーナーは、通路を挟んで反対側にある女性用とさほど変わらないくらいカラフルで眩しかった。鮮やかな色合いのハーフパンツタイプがどうやらこの店の一押しらしい。頑張ると公言した蒼生だが、やはり気後れしてしまう。
「オレも新調すっかなー」
 などと健太が物色しているラックからそっと離れ、奥のほうに向かう。どうせ誰が見るわけでもないのだ、適当で目立たなければ何でもいい。なんなら昔学校で指定されていたような裾の短いもののほうが慣れていていいのかもしれない。
 その蒼生の腕をがっと掴む者がいる。
「どこに行くのかなー?」
 振り向くと、健太がにっこりと笑いながらも不穏な空気を醸し出していた。
「け、健ちゃん。いや、あっちの……」
「ダメだろ、あんな足がいっぱい出るようなのとか体のラインがはっきり見えるようなのは」
「でも授業とかああいうのだったし。僕のことなんて誰も見ないよ」
「オレが見るだろ! ってか、オレ以外に見せちゃダメでしょ。オレが一緒に買いに来たかったのは、蒼生と一緒の海が楽しみで、綺麗な蒼生に似合う水着を選びたかったのもあるけど、出来るだけ肌を露出させないように気をつけなきゃと思ったからでもあるんだよ。それに、こんなぴっちりしたのとか、もう、裸みたいなもんじゃん。蒼生わりとそういうの無頓着だから……! 世界中に自慢したいけど誰にも見せたくない、この複雑な気持ちわかってください……」
「う、うん」
 勢いに押されて蒼生は頷く。そのまま物理的にも押し出されて、また通路近くに戻される。そこでは冬矢が長袖の上着のようなものを手に取って眺めていた。
「連行してきた」
「ご苦労」
 あれこれ見ては戻されていくそれは、少しつるりとした見た目だ。
「それは何?」
「ラッシュガード。日焼けするの嫌だろ」
「うん。……え? 僕?」
 驚いてハンガーラックを見る。プレートにははっきり、メンズラッシュガードと書かれていた。
「こういうの、男でも着ていいの?」
「へ? なんで?」
「いや、だって、男が水着の時に上半身隠すのはおかしいってお母さんが」
 健太と冬矢が顔を見合わせる。蒼生は少し難しい顔をして片手で口元を覆った。
「……もしかして、変じゃないんだ。僕の認識がやっぱりずれてる?」
「あー、まあ、その、なんだ。日焼けしたほうが健康的に見えるとか、日の光浴びると体内でなんかの栄養素を作れるとか、そういうのは聞いたことあるな。だけど最近はそうでもないんじゃないかって、なあ、冬矢」
「そう。むしろ日焼けのし過ぎはリスクがあるって言われるようになってきたね。最近だと屋外プールで授業のある学校は、男女とも着ることもあるみたいだよ。だから男性用の物もこうやって増えてきてるんじゃないかな」
「そ、そっか」
 蒼生がほっと息を吐く。
 ぽんと肩を叩いて冬矢が笑う。
「俺も後のケアが大変だし、日焼けはしたくないから買うつもり。健太も買うだろ」
「おお、もしかしたらクーラーの効いたとこに入るかもしんないからな。羽織もんがわりにもいいよな」
「そっか、うん、そっか」
 納得したらしい蒼生に、畳みかけるように健太がその顔を覗き込む。
「それに、さっきも言ったろ。大事な恋人の肌を、できるだけ他人の目に晒したくねえの」
「けど」
「普段おまえ、その可愛い乳首、オレたちにどう扱われてるか思い出してごらん」
「!」
「オレたちだけの場所にしたいの、わかるだろ」
 かあっと頬を染めた蒼生が、今度はしっかり理解したように何度も首を縦に振った。
「よし。じゃ、蒼生のやつから選んでこ」
「そうだね」
「せめて派手じゃないのにして……」
「あのな蒼生。もしちょっとはぐれちゃったりした時に、すぐにどこにいるかわかるようにしたらいいと思わん?」
「……今日の健ちゃん、説得力がすごいのなんでぇ……?」
 にやりと笑うと、健太は手に取ったラッシュガードを蒼生に差し出す。受け取った蒼生が、水色から青のグラデーションが綺麗なそれをそっと自分に合わせて見せると、ふたりは満足そうに頷いた。

 見事なバランスで積み上げられた桃がこんもりと乗るタルトを前に、蒼生は息を飲んだ。
「すっごい……。綺麗だし美味しそう」
 今日は顔が見たい、という主張で正面に座った健太が、嬉しそうに片手を差し伸べる。
「どうぞ、召し上がれ」
「いただきまーす。わ、崩れる崩れる」
 冬矢も、楽しげにフォークを沈めていく姿を隣で見つめている。果物を避けながら丁寧に底の生地までを割り、落とさないように口に運び、すぐにぱっと顔を輝かせる蒼生は、見ているだけでも幸せな気分を味わえる。
「美味しい。桃、あっまい。みずみずしくて、全力で主張してくる感じがする。下のとこもクリームチーズがきいてて、桃の味をちゃんと支えてる。美味しい」
「それはよかった」
「健ちゃん、連れてきてくれてありがとう」
「どういたしまして」
 温かい気持ちでその笑顔を眺めながら、ふたりは自分たちの目の前に置かれたリンゴのムースとココアプリンを蒼生の口に放り込む想像をしていた。もちろん食べたいものを選んだつもりだが、なにより蒼生の喜ぶ顔が見たいという気持ちのほうが強い。
「これで合宿の準備は完了かな」
 何気なくそう健太が口にすると、ぴた、と蒼生の手が止まった。怪訝に思って冬矢が首を傾げてみせると、蒼生は少し不安そうな顔をする。
「……健ちゃんと冬矢と一緒の部屋なのは嬉しいんだけど……。木之下くんに申し訳ない気がして」
 同じ1年で、蒼生と同じ学部だというが、今まで意識してこなかったために同じ授業を受けているかどうかも知らない。そもそも彼がサークルに入ったのは蒼生たちよりだいぶ遅く、参加頻度の兼ね合いもあって、まだ数えるほどしか顔を合わせていないのだ。会話となるとさらに少ない。
「んー。まあ、カップル部屋にいさせんのはあれだな。居心地悪いかもな」
「……他人のことまで心配するなんて、蒼生は優しすぎるよ」
「だって、僕なら気にしちゃうと思うし……」
 健太は笑って、蒼生の口にココアプリンを押し込んだ。
「んむ……っ。おいひぃ」
「大丈夫だって。オレらがカップルなのバレなきゃいいんだろ? そんで、普通にそいつとも仲良くなりゃいいんだからさ。とりあえずやってみてから悩もうぜ。知らない同士なんだし、イチから始めりゃいいんだよ」
「そっかあ」
 冬矢も息を吐き、蒼生にムースを差し出す。蒼生はつられて口を開ける。
「あ。こっちも美味しい。爽やか」
「そうだな……うまくやっていくしかないな」
「なんとかなるって。そういう外との関係はオレがちゃんと表に立ってやるからさ。人と仲良くなるの得意だし。だから、目の前のことを楽しんでこ」
 眩しいものを見るように、蒼生は健太をまっすぐ見つめ返した。
「頼りにしてます」
「うん」
 にいっと笑い、健太が隣の椅子に置いた袋をぽんぽんと叩く。
「まずは蒼生の水着姿、楽しみだな」
「えー……」
 話の流れがおかしい方向に進みそうな気がして、思わず蒼生は身構える。
「高校の時は水泳の授業なかったからね」
「ほんっと、あれは、残念だったような運がよかったような……。付き合う前はなんとか普通に見てたけど、ああいうなまめかしい姿見ちゃってから水泳なんかあった日にゃあ、たぶんオレ人前に出らんないことになってただろうからな」
「俺は中学の頃から意識してたから、正直、半裸の蒼生の隣にいるのは苦労した」
「あー」
「……えぇ……」
 やはり、どう反応していいか迷う話題になってきた。困った蒼生は、桃をひとかけら口に入れる。果汁が口いっぱいに広がり、なんとか冷静を保てる気がする。が。
「たしかになー、クラスの中でもひときわ綺麗だったもんなあ」
 それを聞いて自信がなくなる。
「……昔の健ちゃん、水泳の時やたらひっついてきてたけど……」
「なんか、あの格好で蒼生が他の奴と喋ってんの見てたらすっげぇ腹が立って」
「そう考えると、他の誰かのものになる前に付き合えて本当によかったと思うよ。そんなことになったら、俺たちは……まともではいられなかったんじゃないか」
「わかる」
 真剣に頷き合うふたりに、蒼生がぽつりとぼやく。
「……どう転んでも他の人のものになるつもりなんてなかったけどさぁ……」
 それを聞いた健太と冬矢はぴたりと止まる。それから、その言葉を反芻するように目の前のスイーツを頬張った。

 楽しみと修行の予感の割合が半々でせめぎ合う夏合宿まで、あとわずか1週間足らずだ。

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53こ目;夏の日差しと砂の影~前編~
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 広い窓を埋め尽くすような、鮮やかな緑色が眩しい。教室の窓は読書の邪魔にならない程度に幾つか開けられていて、そこから爽やかな風が入ってきていた。
 机の上に置いておいたしおりがひらりと膝に落ちる。集中が途切れた蒼生は、しおりを拾って、追っていた活字から目を離した。
 教室にまばらに座っているのは、サークルのメンバーだ。それぞれが手元の本に夢中になっていて、風の音しか聞こえない。中には何かを話して笑いあっている姿も見えるが、風に乗ってしまっているのか、その声は耳にまで届かなかった。
 蒼生は顔を伏せる。思わず緩んだ頬を、誰かに見られてしまいそうだったからだ。こんな静かで穏やかな空間の、左隣には分厚い本を読む冬矢がいて、右隣には教科書と格闘する健太がいる。自分が好きなことをしている、そのそばにいてくれる。それを意識してしまうと、存在がたまらなく愛おしくなる。
「どうかした? 蒼生」
 冬矢がすぐ蒼生の様子に気が付いて、こっそりと声をかけてきた。
「ううん。一緒にいてくれて嬉しいなって、胸がいっぱいになっちゃっただけ」
「ずっと一緒にいるじゃないか」
「そのはずなのにね。でも、たまに、ぎゅーって嬉しくなるんだ」
「……うん。わかるよ」
 そう言った冬矢の、優しくて暖かい笑顔。蒼生にしか向けない顔だ。思わずあたりを見渡し、誰も見ていないことを確認してほっとする。
 そこに、健太が手を伸ばす。膝の上に置いた手を、上から包み込んでくれる。
「オレもわかる」
 周りには見えないように、少し控えめに触れるだけだけれど、それはとても高い温度で胸を熱くする。
「……困ったなあ。もっと嬉しくなっちゃった」
 ふたりの笑顔に抱き締められているようだ、と思う。人前であることがなんともじれったい。家に帰ったらまずは本当に抱き締めてもらおう、いや、それまでもつだろうか、どこか人目につかない場所はあるだろうか。家までの経路を巻き戻すように再生していると、教壇に上がる人の姿が見えた。
「ちょっとすいませーん。夢中なとこごめんね、活動記録撮らしてー。一応サークルのサイトに載っけるから、顔出しNGの人いたら申告よろー」
 携帯を振りながらのセリフに、教室内から笑いが起こる。
「顔出しNGって、なにやらかしちゃった奴だよ」
「え、逃走犯ってこと?」
「これでアリバイ崩れちゃうとか?」
「逆に立証できちゃうかもよ!」
 わいわいと話が飛躍していくメンバーに笑いを返しながら、彼は携帯を構える。
「ちょこっとページに写真が載るくらいならどうにもならんだろ。はいはい、撮ってくから自然体で。さっきみたいに楽しそうに読んで読んで」
「おっ、やらせじゃねーか!」
「やらせじゃねーわ!」
 さらにどっと盛り上がる。
 楽し気な空気の中、浮かない顔をしている蒼生に、また冬矢が気付く。
「蒼生。俺たちは映り込み程度にしてもらおうな」
「う、うん」
 蒼生は目立つのが嫌いだ。それは冬矢も同じだからその気持ちはよくわかる。だが、自分は拒否出来る自信があるが、優しすぎる蒼生は押し切られる可能性が高い。冬矢にしてみれば、不特定の人間が見られるウェブ上に自分たちの写真が載るのは出来るならば避けたいという思いがあった。特に、蒼生の姿は、本当なら可能な限り隠しておきたい。どんな人間に興味を持たれるか、わかったものではないからだ。ならばせめて、単独で目立たせないほうがいい。
 やがて、カメラが3人のほうに近付いてきた。
「んじゃ撮るぞー」
 ふたりの話を聞いていた健太が、ぐいっと前に出る。
「あ、先輩、オレら、出来るだけちっちゃくして! 背景の一部かよ?ってくらい!」
「えー? なんでだよ、もったいねえな」
「いや、そのー、……ほら、昔のカノジョとかに凸られたら困るし!」
「……あー、おまえらそういう……。はは、わかったわかった、ちょっと遠目な、それならいい?」
「遠くね!」
「へいへい」
 彼は何度も「もったいない」を繰り返していたが、きちんと窓際まで下がってからシャッターを切った。


 もともとさほど広くもない部室は、本棚と保存ケースに占領されていてかなり狭い。事務机と椅子は置かれているが、そこに座ると後ろを通るのが難しくなるほどだ。そこに、部長と副部長2人、さらにサボりに来ていた男子学生3人が詰め込まれている。
「なんか、むさくるしいです」
 図らずも紅一点になっていた副部長の白幡が、不機嫌を隠さずにばさりと書類を机に置いた。一応端のほうで静かに身を寄せ合ってコンピュータを弄っていた3人が、ぎくりと体を小さくする。まあまあ、と部長の細谷が白幡をなだめる。
「広報がいないうちの部で、サイト管理とか手伝ってくれてるんだから」
「それはそうだと思いますけど。問題は、そっちじゃないです。部室の狭さのほうです。あの使ってない、いつの物だかわからない粗大ごみに溢れた資料室、明け渡してもらえないんですか」
「あはは。うーん、もう少し大きなサークルで、発言権があれば考えてくれるかもしれないけどねえ……」
「そうですね、1年生がもう少し入ってくれないと」
 副部長の片割れである神崎は、雑に置かれて乱れた書類に目を通していたが、ヒートアップしてきた白幡を遮るように書類を掲げる。
「うん、報告書、これで大丈夫だろうね。提出してこようか」
「……いえ、私が行きます。外の空気を吸ってきたいので」
 神崎の手から書類を奪うように受け取ると、白幡は勢いよくドアを開けて部室を出ていった。残されたのは男子ばかり5人。奥で作業をしていた学生がはあっと息を吐く。
「でもまー、白幡ちゃんの気持ちもわかるよ。執行にかかわってくれる女子部員が他にいないもんな。やっぱ部員は必要だよ。女子! 女子女子! もっと女の子を!」
「だよなー。出来れば可愛い子に入ってほしい。そしてあわよくば恋が始まってほしい」
「そういう目的のサークルじゃないんだけど……」
「細谷はマジで本が目的だもんな。でもさー、せっかくのキャンパスライフだぜ? モテたいじゃん! 謳歌したいじゃん! かといってイケイケなサークルに入っても絶対負けるのは目に見えてるし……。だから願わくは本が好きなおとなしい女子と甘い恋がしたいんよ!」
 必死な様子に、神崎が笑う。
「入会してくれた子もいたじゃないか」
「ああ、それな。大々的な勧誘できる期間に男子4人しか集まんなかった時には地獄かと思ったぜ……。この写真のおかげで1年女子が3人来てくれたのはホント、ありがたいけど、ちょっと複雑……。しょせん顔か……」
 全員で画面を覗き込む。そこには先日の活動の際に撮影した写真が並んでいる。静かに本を読むメンバー、楽しそうに同じ本を覗き込んで何か話をしているメンバー、そのタイル状に並べられた最後に、蒼生たち3人の写真があった。本人たちの要望を無視して辞められても困るので、人物の比率は低い。が、それがかえって良い雰囲気を醸し出していた。ぼやけた教室の明るい壁を背景に、小さく、だがくっきりと鮮やかに映った人の姿。全員手元の本に目を落としているが、穏やかで優しい空気が伝わってくる。
「これ撮った時さ、俺プロかな? って思ったもんよ」
「被写体の効果なんだろーなー、くっそ。こういう顔面で生まれたら人生イージーモードだったはずなのに……」
「彼女とかいんのかな」
「いないわけねえだろ。元カノに凸られて困るってのは、今カノがいるってことじゃん」
「だよなー。やっぱ入れ食い状態なのかね。あんまり明るいイメージのないサークルの、誰が見んだよって活動報告のページ見て寄ってくる女子がいるんだからなあ」
「でも入ってきてくれればこっちのもんじゃない? あいつらが全員に手ぇ出すような奴らだったらともかく、少なくとも同じ場所にいりゃこっち見てくれる可能性はあるだろって」
「それには、やっぱ数足んないだろ。細谷、イベントやろイベント。そだ、合宿もやって、明るい感じの写真もっと載っけてさ、明るいサークルアピールしてイベントやれば人集まるんじゃないかな」
 途中からほぼ聞いていなかった細谷が顔を上げる。
「だからうちはそういう」
「親睦! サークルメンバー同士の親睦!」
 狭い部屋で詰め寄られ、細谷は困って神崎を見た。対する神崎は涼しい顔だ。
「そうだね。初々しくて可愛い1年生と仲良くなるいい機会じゃないか」
「また適当な……」
 細谷はさらに困った顔をするが、向こうの3人はすっかり乗り気で、合宿先の候補と思しき観光地を検索し始めていた。


 直接話したいことがあるから、という細谷のメッセージに呼び出された蒼生たちは、昼休み早々に管理棟の食堂に顔を出した。すると、入り口近くの席に座っていた細谷と神崎が同時に手を挙げた。2人の前には、空の食器が置いてある。どうやら前の授業はなかったらしい。
「ごめんね、急に呼び出して。ああ、みんなは今日お弁当なんだ。そこのコンビニのか」
「食堂が混んでいたら遅れてしまうと思ったので、先に買っておいたんですが、大丈夫そうでしたね」
 冬矢がそう言いながら、3人分の弁当が入った袋を机に置く。それから中央の席にいる細谷の前に座った。健太が神崎の前に座り、冬矢を挟んで蒼生が座る。蒼生だけが「あれ?」と思っていた。自分を真ん中にしないとは珍しい。
「それで、何かご用事でしたか」
「そうそう。3人とも、この前やったサークル外向けのイベント欠席したでしょ」
「ああ、すみません。全員バイトが入っていて」
「いやいや、それはいいんだ、参加は任意だし。じゃなくてね、その時に他のメンバーには告知したんだけど。これ」
 細谷が鞄の中を探り、フォルダに挟んだ書類を取り出した。
「っと、1枚しかなかったか……」
「大丈夫です、1枚あれば」
「そう? ごめんね」
 差し出された紙を3人で覗き込む。そこには、夏合宿、という文字があった。来たか、と思う冬矢だ。この前の活動日、男子の先輩たちが活動中に盛り上がっているのを横目で見ていたのだが、あれはこれのことだったか。なんとなく事情は推察できる。どうせ自分たちはダシだろう。
「海、ですか」
 そこには、サークルの活動内容からは想像も出来ない、よく聞く海水浴場の名前が書いてあった。
「実はね、ここ、現代文学の父と言われる加藤近衛と殿城壮情の出身地なんだ。ここに加藤近衛資料館があって、期間限定で肉筆の手記が公開されるんだそうだよ。さらにこの近くにある殿城記念館で、彼の親族で同じく作家をしている殿城ミナトが講演をするんだ。問い合わせたら、読書サークルのみなさんならぜひって仰っていただけて、参加者全員分の席を用意してくれるんだって」
 早口で細谷がまくしたてる。正直、健太は何を言っているかわからなかった。冬矢でさえ文学史で聞いたことのある名前だな、と思う程度だ。この場でただひとり、細谷のテンションについて行っているのが蒼生だ。
「『白波のたつ浜辺の鳥』……ですね」
「そう! 次回の文学賞では大賞だろうって言われてるよね。いい機会だし、ぜひ3人にも参加してほしいんだ。どうかな?」
「…………」
 蒼生は冬矢の前に置かれたプリントをじっと眺める。
 ずいぶん長く間を取っている蒼生に、健太と冬矢はすぐ「あ、行きたくないんだな」と思う。細谷の話すポイントは、明らかに蒼生のツボをついていた。作家に詳しくない冬矢でも資料館や記念館といった施設には興味がある。それなのにここまで蒼生を戸惑わせているのは、おそらくそこに書かれた内容だ。2泊3日で組まれたスケジュールには、施設に訪れるほかに「親睦会」「海でのレクリエーション」の文字が見える。蒼生ができれば避けたいと思うだろうな、という言葉だ。
 そこに、ずっと黙っていた神崎が身を乗り出してくる。
「急にイベントをやることになってばたばたしたせいで、まだ3人の歓迎会をやってないだろ? 同じく新人の木之下くんと、この前入ってくれた女の子たちもね。それを兼ねて、1年生にはみんな参加してほしいと思ってるんだ。これだけ先の予定だ、バイトのシフトも調整できるよね?」
 まっすぐに蒼生を見て、にこにこと話す神崎に、健太がわずかな警戒の目を向ける。が、神崎は気にも留めない。もう一度「ね?」と笑いかけられ、蒼生は一度息を飲んでから、
「……はい」
 と頷いた。
 ほっと息を吐いたのは細谷だ。
「ああ、よかった。新入生みんなに楽しんでもらいたくていろいろ考えてたんだ。きっと野木沢くん、講演会を喜んでくれるなと思ってね! もちろん、寺田くんと笹原くんにも」
 まるきり裏のなさそうな無邪気な言葉に、防御態勢が崩されそうになった健太は思わず腰を引く。踏みとどまった冬矢が姿勢を正した。
「部屋は大部屋ですか、個室ですか」
「え? ああ、ホテルだからそんなに大きな部屋はないみたいで、4人部屋を人数分で仮押さえしてある。だよね、神崎」
「そう。それで親睦を深めるために、学年もバラバラのランダムに割り振ろうと」
「学年ごとでお願いできませんか」
「……へえ。どうして?」
「他学年との親睦は他の機会でも出来ると思います。いきなり先輩と同じ部屋になるような緊張状態は、サークルの趣旨から外れるのではないでしょうか。少なくとも1年同士を離すには、早急すぎるような気がします」
「ふーん……」
 すうっと目を細める神崎だが、隣の細谷はうんうんと頷く。
「なるほど、そうだね。まだ木之下くんともあんまり話したことないよね? 今後のこともあるし、まずは横の繋がりが大事かな。もちろん、我々とも仲良くしてほしいけど」
「それはもちろんです。意見を聞いてくださってありがとうございます」
「ううん、はっきり自分の意見を言ってくれる子、助かるよ。じゃあそうするね。で、3人とも出席ってことでいいのかな?」
「はい」
「ありがとう。これで全員分の出欠が出揃った。この件に関しては、またミーティングしよう。じゃ、今日のところはこれで。行こう、神崎」
「ああ。……楽しみにしてるよ」
 まだ何か含みのありそうな神崎を引き連れ、細谷は食器を持っていない手を振りながら席を立った。
 2人の姿が食堂から消えるまでを眺め、最後に会釈をしてから、ようやく3人は顔を見合わせる。
「なんつーかあの人ら、白と黒みたいな組み合わせだな」
「優しい言い方をするじゃないか」
「あー……まだどういう人かわかんねえからな。飴と鞭くらいは言ってもいいかもしんねえけど」
 蒼生だけはいまいちピンと来ていないように首を傾げる。
「ふたりとも、神崎先輩には厳しい見方するよね」
「んー。なんか、蒼生に近付こうとしてる気配を感じるっつーか、やな予感がするっつーか……。そんな気にすることでもないんだけど……。オレの勘でしかないしさ」
「ただ、健太の勘は軽く見ないほうがいいと俺は思ってる」
「そっか。僕はいい人だなって思うけど、……ふたりがそう言うなら気を付ける」
「用心に越したことはないからね」
「うん」
 健太にせよ冬矢にせよ、蒼生の交友関係を狭める気はさほどない。とはいえ、まるきり無防備では困る。大きな問題は、どの方向から現れるかわかったものではないのだから、注意する姿勢はいつでもあったほうがいい。
 はっと時計を見た健太が、机の袋をがさがさと探る。
「やっべ、時間あんまりないじゃん。ごはん食べよ」
「わ、大変だ」
 一応レンジにかけてきた弁当は、まだほんのりと温かい。
「袋の中におにぎりも入ってる。どうせ健太は足りないだろうから」
「お、サンキュ。あと席替わって」
「はいはい」
 笑って、蒼生と冬矢が入れ替わる。やはりこうでないと落ち着かない。それでも横並びなのは、ふたりとも蒼生の隣になりたかったのだろう。
 蒼生は初めてそこで気が付いた。先程のフォーメーションは、神崎を警戒してのものだったのだ。どちらか片方が言ったことでももちろんちゃんと聞くが、ふたりがふたり共そこまで気にするのなら、たしかに油断しないほうがよさそうだ。
「いただきまーす」
 3人できちんと手を合わせる。
「それにしてもなー、海かー。オレはいいんだけどなあ」
 まずはおにぎりから頬張りながら、健太が呟く。それだ。蒼生もエビフライを咥えて唸る。
「半分は、すっごく興味があるのに。残り半分は、あんまり好きじゃないやつ……。冬矢は断るかと思ってた」
「蒼生が半分すごく興味があるのがわかったからだよ。気になるのは俺もわかる。まあ、蒼生が思っている通り、俺自身も苦手な分野だ。だからこそ、そこに蒼生をひとりで置いてはおけないよ」
「またオレを数に入れてねえな」
 それを無視して、冬矢はペットボトルの蓋を捻る。
「どちらにせよ、行くからには準備はしないといけないな。まだ日にちはあるけど」
「そうだな。ふたりは水着あんの?」
「持ってきていない」
「僕も」
「んじゃ、買いに行くか」
 蒼生の言う「残り半分」のほうが得意な健太は、そこだけ楽しそうに言って唐揚げを口に放り込む。蒼生と冬矢は顔を見合わせた。


 インドア派とアウトドア派では、ずいぶん大きな隔たりがあるようだ。そのための装備を整えるだけでも腰が重くなるのがインドア派の特徴なのだろうか。普段の買い物にはフットワークの軽い蒼生も冬矢も、この誘いにはなかなか乗ってこなかった。だいぶ日程が近付いてきてもまだ抵抗があるらしい。しびれを切らした健太は、とうとう強硬手段に出た。
「蒼生! この前雑誌に載ってた、なかなか予約取れないっていうあの洋菓子屋、予約取った! ケーキ奢るから、水着買いに行こ!」
 ぴく、と蒼生が肩を揺らす。
「……で、でも……、奢りなんて悪いし……」
「お土産にクッキーもつける」
「うぅ……」
「手繋ぎオプションあり」
「行く」
 健太は満足げに頷く。渋る蒼生には甘いもの、だ。
 蒼生が行くと決めれば、当然冬矢もついてくる。それでも足が進まないふたりを引っ張って、なんとか店まで辿り着いた。店頭のビーチを模したディスプレイには華やかな水着をまとった男女のマネキンが並んでいて、蒼生と冬矢が尻込みをしているのがはっきりわかる。
「ふたりとも、なんでそんな苦手なんだ?」
 海だプールだ水着だ、なんて、どう考えてもテンションの上がる取り合わせにしか思えない健太が首を捻る。冬矢はモデルらしき女の子がポーズを取るポスターを見て眉をひそめた。
「もともと屋外は苦手なんだ。周りがはしゃいでいると気分が下がるほうだったしな。しかも、こういう格好をしていると、解放的になる人間が増えるだろう。日陰に避難していると、次から次へ声をかけられるんだ。あれが鬱陶しくて仕方がない」
 ああ、と健太と蒼生は深く頷いた。たしかにビーチパラソルの下に、このビジュアルで物憂げにしている少年がいたら、その場のノリで話しかけてしまうかもしれない。あるいは遠巻きに眺めてしまうか。
「蒼生は?」
「うーん、純粋に蒸し暑いのが嫌い……。日焼けするとすぐ赤くなっちゃって後が大変なのも嫌だし、海は塩水だから後でべたべたするのが嫌だし、水着の中で砂がざらざらするのも嫌だし、遊ばなきゃいけないって無理にアクティブさを求められるのも嫌い」
「え、マジで? そんなの初めて聞いた」
「僕も、初めて言った気がする」
 少し困ったように蒼生が笑った。
 海水浴なんて、寺田野木沢両家でほぼ毎年のように行っていた。健太が本格的に受験に取り組みたいからと言って断って以降なんとなく海には行かなくなったから、最後はおそらく中学2年の時だ。思い返しても、遊ぶのが楽しかったせいで、蒼生に関する記憶はほとんどない。だが、覚えている限り、蒼生はそばにいたり少し離れていたり距離に違いはあったものの、ずっとにこにこ笑っていた。そのはずだ。
「……気付かなかった、ごめん」
「ううん。家族に嫌な思いさせちゃいけないからさ。健ちゃんが楽しそうだったから、それでいいと思ってたし。気付かれないように黙ってたんだから、気付かなくていいんだよ」
「けど」
 蒼生はすっと手を伸ばして、健太の両頬を強めに包み込む。
「ただ、いっこだけ文句言わせて。健ちゃん、みんなと遊びだすと僕のこと置いていっちゃうでしょ。それがいっちばん嫌だったんだから。夢中になるのはいいけど、ほったらかしにしちゃやだからね」
「蒼生」
 手を離し、ぷいっと蒼生が背を向ける。
「それさえなきゃ、……苦手だけど頑張るよ。健ちゃんと冬矢と一緒なら、どこへでも行けるから」
 後ろからわずかに見えた耳が赤い。冬矢がその髪をくしゃりと撫でる。
「……ちゃんと自分の思っていることが言えるようになってきたね」
「わがまま言ってる自分が嫌でもあるんだけど……」
「隠されるよりいいよ。うん、そういうことなら、俺も前向きに頑張ろう。基本的に、合宿中は出来るだけ離れないようにしよう。周りに、入り込む隙がないな、と思わせるくらいでいい」
「なるほど、蒼生といちゃいちゃしてりゃいいんだな?」
「い、いちゃいちゃ」
「とはいっても程度があるよ。他人に蒼生のえっちな顔見せたくないだろ」
「えっちな顔させない程度のいちゃいちゃか、結構難しいな」
 歩き始めたふたりに、蒼生は取り残されかけて慌ててそのあとを追う。
「ま、待って、今の会話なんなの」
「そのままの意味だよ」
「蒼生、すぐめろめろになっちゃうからなあ」
「僕、そんなに簡単……?」
 もっと反論したかったが、少し考えると思い当たる節がないともいえない。けれど、好きな人に触れられて、嬉しくならないわけがないのだ。だとすれば、一様に自分のせいだけとは思えないのだが。それを言ってもいいのかどうか迷った末、先程の冬矢の言葉を思い出して足を踏み出す。
「っ、それ、ふたりがえっちな気分で僕に触るからだと思う」
「……あはは、バレた?」
「しょーがねえじゃん、いつだってそういう気分でべたべたしたいんだよ」
 蒼生は、ふっと心が軽くなるのを感じる。それがどうしてなのか理由はわからなかったが、きっと全部なのだろう。健太に隠していた気持ちを吐き出せたことも、言い返したことを受け止めてもらえたことも、そういう気持ちで触れられていたと知ったことも。そうか、これでよかったのか。
 3人で入った男性用の水着のコーナーは、通路を挟んで反対側にある女性用とさほど変わらないくらいカラフルで眩しかった。鮮やかな色合いのハーフパンツタイプがどうやらこの店の一押しらしい。頑張ると公言した蒼生だが、やはり気後れしてしまう。
「オレも新調すっかなー」
 などと健太が物色しているラックからそっと離れ、奥のほうに向かう。どうせ誰が見るわけでもないのだ、適当で目立たなければ何でもいい。なんなら昔学校で指定されていたような裾の短いもののほうが慣れていていいのかもしれない。
 その蒼生の腕をがっと掴む者がいる。
「どこに行くのかなー?」
 振り向くと、健太がにっこりと笑いながらも不穏な空気を醸し出していた。
「け、健ちゃん。いや、あっちの……」
「ダメだろ、あんな足がいっぱい出るようなのとか体のラインがはっきり見えるようなのは」
「でも授業とかああいうのだったし。僕のことなんて誰も見ないよ」
「オレが見るだろ! ってか、オレ以外に見せちゃダメでしょ。オレが一緒に買いに来たかったのは、蒼生と一緒の海が楽しみで、綺麗な蒼生に似合う水着を選びたかったのもあるけど、出来るだけ肌を露出させないように気をつけなきゃと思ったからでもあるんだよ。それに、こんなぴっちりしたのとか、もう、裸みたいなもんじゃん。蒼生わりとそういうの無頓着だから……! 世界中に自慢したいけど誰にも見せたくない、この複雑な気持ちわかってください……」
「う、うん」
 勢いに押されて蒼生は頷く。そのまま物理的にも押し出されて、また通路近くに戻される。そこでは冬矢が長袖の上着のようなものを手に取って眺めていた。
「連行してきた」
「ご苦労」
 あれこれ見ては戻されていくそれは、少しつるりとした見た目だ。
「それは何?」
「ラッシュガード。日焼けするの嫌だろ」
「うん。……え? 僕?」
 驚いてハンガーラックを見る。プレートにははっきり、メンズラッシュガードと書かれていた。
「こういうの、男でも着ていいの?」
「へ? なんで?」
「いや、だって、男が水着の時に上半身隠すのはおかしいってお母さんが」
 健太と冬矢が顔を見合わせる。蒼生は少し難しい顔をして片手で口元を覆った。
「……もしかして、変じゃないんだ。僕の認識がやっぱりずれてる?」
「あー、まあ、その、なんだ。日焼けしたほうが健康的に見えるとか、日の光浴びると体内でなんかの栄養素を作れるとか、そういうのは聞いたことあるな。だけど最近はそうでもないんじゃないかって、なあ、冬矢」
「そう。むしろ日焼けのし過ぎはリスクがあるって言われるようになってきたね。最近だと屋外プールで授業のある学校は、男女とも着ることもあるみたいだよ。だから男性用の物もこうやって増えてきてるんじゃないかな」
「そ、そっか」
 蒼生がほっと息を吐く。
 ぽんと肩を叩いて冬矢が笑う。
「俺も後のケアが大変だし、日焼けはしたくないから買うつもり。健太も買うだろ」
「おお、もしかしたらクーラーの効いたとこに入るかもしんないからな。羽織もんがわりにもいいよな」
「そっか、うん、そっか」
 納得したらしい蒼生に、畳みかけるように健太がその顔を覗き込む。
「それに、さっきも言ったろ。大事な恋人の肌を、できるだけ他人の目に晒したくねえの」
「けど」
「普段おまえ、その可愛い乳首、オレたちにどう扱われてるか思い出してごらん」
「!」
「オレたちだけの場所にしたいの、わかるだろ」
 かあっと頬を染めた蒼生が、今度はしっかり理解したように何度も首を縦に振った。
「よし。じゃ、蒼生のやつから選んでこ」
「そうだね」
「せめて派手じゃないのにして……」
「あのな蒼生。もしちょっとはぐれちゃったりした時に、すぐにどこにいるかわかるようにしたらいいと思わん?」
「……今日の健ちゃん、説得力がすごいのなんでぇ……?」
 にやりと笑うと、健太は手に取ったラッシュガードを蒼生に差し出す。受け取った蒼生が、水色から青のグラデーションが綺麗なそれをそっと自分に合わせて見せると、ふたりは満足そうに頷いた。

 見事なバランスで積み上げられた桃がこんもりと乗るタルトを前に、蒼生は息を飲んだ。
「すっごい……。綺麗だし美味しそう」
 今日は顔が見たい、という主張で正面に座った健太が、嬉しそうに片手を差し伸べる。
「どうぞ、召し上がれ」
「いただきまーす。わ、崩れる崩れる」
 冬矢も、楽しげにフォークを沈めていく姿を隣で見つめている。果物を避けながら丁寧に底の生地までを割り、落とさないように口に運び、すぐにぱっと顔を輝かせる蒼生は、見ているだけでも幸せな気分を味わえる。
「美味しい。桃、あっまい。みずみずしくて、全力で主張してくる感じがする。下のとこもクリームチーズがきいてて、桃の味をちゃんと支えてる。美味しい」
「それはよかった」
「健ちゃん、連れてきてくれてありがとう」
「どういたしまして」
 温かい気持ちでその笑顔を眺めながら、ふたりは自分たちの目の前に置かれたリンゴのムースとココアプリンを蒼生の口に放り込む想像をしていた。もちろん食べたいものを選んだつもりだが、なにより蒼生の喜ぶ顔が見たいという気持ちのほうが強い。
「これで合宿の準備は完了かな」
 何気なくそう健太が口にすると、ぴた、と蒼生の手が止まった。怪訝に思って冬矢が首を傾げてみせると、蒼生は少し不安そうな顔をする。
「……健ちゃんと冬矢と一緒の部屋なのは嬉しいんだけど……。木之下くんに申し訳ない気がして」
 同じ1年で、蒼生と同じ学部だというが、今まで意識してこなかったために同じ授業を受けているかどうかも知らない。そもそも彼がサークルに入ったのは蒼生たちよりだいぶ遅く、参加頻度の兼ね合いもあって、まだ数えるほどしか顔を合わせていないのだ。会話となるとさらに少ない。
「んー。まあ、カップル部屋にいさせんのはあれだな。居心地悪いかもな」
「……他人のことまで心配するなんて、蒼生は優しすぎるよ」
「だって、僕なら気にしちゃうと思うし……」
 健太は笑って、蒼生の口にココアプリンを押し込んだ。
「んむ……っ。おいひぃ」
「大丈夫だって。オレらがカップルなのバレなきゃいいんだろ? そんで、普通にそいつとも仲良くなりゃいいんだからさ。とりあえずやってみてから悩もうぜ。知らない同士なんだし、イチから始めりゃいいんだよ」
「そっかあ」
 冬矢も息を吐き、蒼生にムースを差し出す。蒼生はつられて口を開ける。
「あ。こっちも美味しい。爽やか」
「そうだな……うまくやっていくしかないな」
「なんとかなるって。そういう外との関係はオレがちゃんと表に立ってやるからさ。人と仲良くなるの得意だし。だから、目の前のことを楽しんでこ」
 眩しいものを見るように、蒼生は健太をまっすぐ見つめ返した。
「頼りにしてます」
「うん」
 にいっと笑い、健太が隣の椅子に置いた袋をぽんぽんと叩く。
「まずは蒼生の水着姿、楽しみだな」
「えー……」
 話の流れがおかしい方向に進みそうな気がして、思わず蒼生は身構える。
「高校の時は水泳の授業なかったからね」
「ほんっと、あれは、残念だったような運がよかったような……。付き合う前はなんとか普通に見てたけど、ああいうなまめかしい姿見ちゃってから水泳なんかあった日にゃあ、たぶんオレ人前に出らんないことになってただろうからな」
「俺は中学の頃から意識してたから、正直、半裸の蒼生の隣にいるのは苦労した」
「あー」
「……えぇ……」
 やはり、どう反応していいか迷う話題になってきた。困った蒼生は、桃をひとかけら口に入れる。果汁が口いっぱいに広がり、なんとか冷静を保てる気がする。が。
「たしかになー、クラスの中でもひときわ綺麗だったもんなあ」
 それを聞いて自信がなくなる。
「……昔の健ちゃん、水泳の時やたらひっついてきてたけど……」
「なんか、あの格好で蒼生が他の奴と喋ってんの見てたらすっげぇ腹が立って」
「そう考えると、他の誰かのものになる前に付き合えて本当によかったと思うよ。そんなことになったら、俺たちは……まともではいられなかったんじゃないか」
「わかる」
 真剣に頷き合うふたりに、蒼生がぽつりとぼやく。
「……どう転んでも他の人のものになるつもりなんてなかったけどさぁ……」
 それを聞いた健太と冬矢はぴたりと止まる。それから、その言葉を反芻するように目の前のスイーツを頬張った。

 楽しみと修行の予感の割合が半々でせめぎ合う夏合宿まで、あとわずか1週間足らずだ。

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