66こ目;if+if~さかさまに満ちた月のゆくえ 後編~
(1作目:if~今宵、月はさかさまに満ちて~ https://pictbland.net/items/detail/2297821 )
(2作目:if+if~さかさまに満ちた月のゆくえ 前編~ https://pictbland.net/items/detail/2302084 )
長い夢の果てで、冬矢が選んだ結末とは。
ご安心ください、最後はきちんと目が覚めます。
↑初公開時キャプション↑
2022/09/22初公開
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
この話に対するアンサーはあるのですが、2年が経過した今もまだ形にしておりません。
そろそろかな…。
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野木沢といると、自分の気持ちがよくわからなくなってくる。俺は一体何がしたい? 何を望んでいるんだ?
それに加えて、野木沢の気持ちもわからない。いや、野木沢については、理論的にはわかる気がする。俺に心酔して、ひたすら尽くしてくれる彼女もいた、それに似ているような感じがするからだ。だが、顔を見てしまうと、信じてくれているような、でも諦めきってもいるような反応に、どうしても混乱してしまう。計算出来ない。わからない。
わからないなら理解する必要はない、と今までならば思っていたはずだ。なのに。
考えても答えが出ないので、気晴らしに外へ出る。会社からは遠いと野木沢はぼやいていたが、郊外に近いからこそ大型の店舗があって、買い物には便利だ。これまで同年代がわんさかいるような人混みに慣れさせられていたが、こういった街も落ち着いた雰囲気があっていいじゃないか。
大きなショッピングモールには、家電量販店の有名店も、よく名前を聞く家具店も入っている。何が必要だろう。炊飯器だろ、テレビ、洗濯機、掃除機……。冷蔵庫が小さいのも不満だ。小物を入れる棚もない。エアコンだってあれ一台じゃ足りない。ベッドだって、あんなに狭くてはいつ野木沢を落とすかわからない。寝ているだけでも俺は何度か落ちかけた。そうだな、まずベッドだ。とはいえ、さすがにそこは野木沢に無断なのは良くない気がする。いっそ今ある僅かな家具ごと全部買い換えてやって、はいどうぞ、とやったほうが過去との決別が出来ていいかもしれないと最初は思った。が、逆に自分が選んだものは不要だったのかと思い悩まれても困る。考えすぎかもしれないけれど、あの野木沢だ、万が一がある。本人に選ばせてやったほうがいい。
そう思って、ふと考える。スーツか部屋着の二択しかない野木沢は、休日に買い物に出るのを渋る気がする。
本当に、面倒な男だ。
「ただいま」
家にはもう電気がついていたので、そう声を掛けて入る。すると、リビングのドアが開いて野木沢が血相を変えて飛び出してきた。
「あ、おかえりなさい」
「? どうした?」
俺を見て野木沢は大きく息を吐く。
「あー……うん? どうもしないんだけど。ごはん、どうしたかなと思って。帰ってきても笹原くんいなかったから」
「俺こそ、もう少し遅いと思って油断してた。遅くなってごめん。まだ食べてないよ」
「よかった、今日は最後にお得意先の飲食店に寄ったから、そこで買ってきたんだ。……あ、そっか連絡入れたらよかったんだ」
そうだな、俺たちはお互いの連絡先を知っているんだ。予定が変わったら連絡すればいい。長いことそういう作業を行っていなかったから、俺の頭からもすっかり抜けていた。今まで夕飯がダブらなかったのは奇跡だったんだな。
ああ、そうだ。
「野木沢、これ」
「え……なに? 袋? ……服、だねえ」
「明日、家具や家電を少し見に行かないか。休みだろ?」
「え? 休み、だけど、え……服?」
「おまえ、買い物に出るような服持ってないじゃないか。服も買い足そう」
「……笹原くんが、僕に?」
「まあ……おまえの金だけどな」
「そんなのはどうでもいい。ありがとう……」
袋から引っ張り出した服を、野木沢は呆然とした顔で、けれど目だけは真剣にじいっといつまでも眺め続けている。むずむずする。なんだろう、この気持ちは。
翌日目を覚ますと、いつの間に起きたのだろう、野木沢は俺が買ってきた服を着ていた。
「おはよう。うん、似合うな」
「えっ、そんなこと……ううん、ありがと、おはよう」
ちょっと戸惑ったように、ブルーのパーカーの紐を引く。
「なんかシャツもズボンも、サイズ、ぴったり」
「そりゃあ、毎晩抱き締めているんだから、サイズくらいはわかるさ」
「っ……。で、でもパーカーはちょっと大きいよ」
「オーバーサイズってやつ。シルエットが柔らかくなるだろ。ふんわりとして、可愛いよ」
「かわ……っ!?」
びっくりした顔。仕方ないだろう。そう思ったんだ。照れたように、その紐を引いてくるくる指に巻いて弄る仕草……自分ではわかっていないかもしれないが、相当可愛いからな。
「ちなみに、野木沢、貯金はいくらくらいある?」
「えっとね、…………このくらい」
「へえ。結構溜め込んでいるんだな」
「だって必要経費以外に使う用途ないんだもん」
そうだろうな。ただ最低限生きるだけのことしかしていないから。俺でさえゲームに費やす時間があるというのに、こいつは何もしない時間が多すぎる。
「野木沢は趣味ってないのか」
「さあ……。昔は本を読むのが好きだったけど。引っ越す時に全部手放しちゃった。文字を追う気力もなくなっちゃって」
ああ、もう。
本棚が必要だ。本も増やしていこう。
まったく、手間がかかる……。
支度を終えると、俺はまだ戸惑っている野木沢の手を引いてショッピングセンターに連れて行く。こうでもしないと、ぱっと逃げ出してしまいそうだから、仕方ない。
「野木沢。ジャケット、こっちとこっちだったらどっちが好きだ?」
「えっ……あの」
「直感でいい」
「でも……どう着ていいかわかんないし」
「そんなものは俺がどうにかしてやる。ほら、好きなのはどっちだ」
「う、う……右っ」
何度か選ばせているうちにわかった。無頓着だから物が買えないというのもあるが、本質的な問題はそこではない。そもそも野木沢は酷く優柔不断だ、ということだ。
「炊飯器の大きさはこのくらいでいいだろうな。あとは味の差か。どちらがいいかな」
「笹原くんは?」
「俺は野木沢に聞いているんだよ」
「うー……」
「わかった、さっぱりしているのと甘いの、どっちが好きだ?」
「あ、甘いの」
「じゃあこっちだな」
いちいち、これを買ったらその後どうする、という先の心配をする。悪いことではないが、その適用範囲が細かすぎる。間食ひとつにしたってそうだ。普通のプリンと紅茶のプリンなんて、今食べたいほうを選べばいいじゃないか。近所なのだから、次に来た時に違うほうを頼めばいいだけの話だ。
「……すみません、この贅沢卵プリンと紅茶のプリンをひとつずつください」
「え」
「ほら、これで半分ずつにすれば両方食べられるだろ」
「う、うん。ありがとう」
……でも。
そうやって。
俺が。
ひとつずつ、選ばせていくたびに。
野木沢は、笑う。
なんだ?
ふんわりとした笑顔。
空っぽだったそれが、少しずつ、水が溜まっていくように、満ちていく。
……もしかして、嬉しいのだろうか。
俺が、おまえに対して何かをすることが。
…………そう、なのか?
そんなふうに色々選ばせて買い込んだ家具や家電が家に届いたのは、翌週の半ばのことだった。
もしかして、の考えは日に日に強くなっている。
うん、試してみるか。
「ただいまぁ……。あれ? いいにおい」
「おかえり。もうすぐ夕飯出来るから、待っててね」
「え……」
野木沢が、呆然とした顔でキッチンに入ってくる。それから俺の手元を覗き込んだ。
「ごはん……?」
深めの鍋の中で、間もなく焼き上がるチキンステーキがパチパチと油の音を立てる。その隣では、付け合わせのジャガイモとインゲンが片手鍋の中に出来上がっていて、奥にはスープもいい具合に温まっている。鍋だのフライパンだの、家電が届くのに合わせて追加購入したものだ。炊飯器は、さっき炊き上がったチャイムを鳴らしていた。
「……料理、出来るの?」
「実はね。さあ、早く着替えておいで」
もともと家に両親がいないことが多かったから、基礎は出来るほうだ。それに飲食店でのバイト経験もある。別に料理が好きな訳ではなかったが、彼女を繋ぎ止めるには有効だったから、ある程度レシピ数にも自信がある。
安物だが一応ちゃんとしたダイニングテーブルの上に、出来た食事を並べていく。久し振りだったけれど、なかなかうまくいったな。長袖のTシャツに着替えてきた野木沢が、ふらふらとやってくる。俺は、椅子を引いた。
「さ、座って」
ぽかんとして俺が促すまま座り、ぱちぱちと目を瞬かせながら、野木沢はテーブルの上を眺めた。
「すごい。……いただきます」
さあ、どういう反応をしてくれるかな。
ナイフで切ったチキンを、一口。
「……柔らかい。美味しい!」
ぱっと。
顔が輝いた。
「美味しい! 皮パリパリ! 美味しい! 中もじゅわってしてる! すごい! わー、たきたてごはん美味しいね、炊飯器ってやっぱり必要だったんだあ。このくらいの柔らかさ、すごく食べやすい。きっと笹原くんの水加減が上手だったんだろうな。……え、スープもすごい、これ、にんじん? すごい。綺麗だし、美味しい。にんじんの甘さがすごく上品で、塩気のバランスがすごくいいね。あ、じゃがいも、バターきいてる……ほくほくで美味しい」
どうしようかな。
……嬉しいな。
そんな顔、初めて見せてくれるじゃないか。
ふ、ふふ。
そうか、君を慰めるには、食事だったか。
ずいぶん意外だったよ。
「誰かの作ったごはんを、その人と一緒に食べるなんて……。いつぶりだろう。美味しい。嬉しい。ありがとう、笹原くん」
嬉しそうに、野木沢は笑う。
それ以来、急速に雰囲気が柔らかくなった気がする。落ち込むことはあるけれど、ひとりで勝手に落ち込むのではなく、吐き出して前に進むための行動になってきた。
それから、よく笑うようになった。俺がテレビを設置するのを不思議そうに見ていた野木沢は、俺がそこにゲーム機を繋げ始めたのを見て弾かれたように笑っていた。
「だからテレビが必要だったんだね」
だろうな、世の中の流れを知っておくことも大事だ、と言って買わせたんだから。
自分の金を使われていてもこうなんだから、俺が自分で稼いだ金で何かしてあげたら、どんな顔をするだろう。そう思って、日中はバイトに出ることにした。どうせゲームくらいしかすることはないんだ。暇を潰すにはちょうどいい。それに、ゲームは野木沢が見ている前でやりたい。今までは誰も関心を持ってくれなかったが、野木沢は後ろで見ながら「あっ」だの「わっ」だの大騒ぎする。ギャラリーがいるほうがやりがいがあるからな。
そうだ、もうひとつ変化があった。
「ただいま」
「おかえり」
帰ってきた野木沢に、そう言って腕を広げてみたことがあった。すると、野木沢は、困った顔をしてきょろきょろとあたりを窺った後、おずおずと俺の腕の中に入ってきた。可愛いよな。周りなんて何もないのに。何を気にしているんだか。
その反応が楽しくて、たまにこれをやる。そのたびに野木沢が飛び込んでくるスピードが速くなってきている気がして、面白い。今では、俺が腕を広げるよりも早く、にこにこしながら寄ってくるようになった。
……可愛い。
そう思う間隔が、少しずつ短くなってきている。
だって、仕方がないだろう。
外ではまだ薄っぺらく笑う野木沢が。
俺の前ではこんなふうに笑っている。
嬉しそうに。
にこにこと。
可愛く見えないはずがない。
もっと、もっと可愛くしたい。
世界中の宝石で飾りたい。
けれどバイトの身でそんなことは出来ないから、俺は最初のバイト代で、羽根がデザインされた白い石つきのイヤーカフを買った。
「野木沢、ちょっといいか」
すっかり着慣れた部屋着姿の野木沢が不思議そうな顔をして、ローテーブルに座る俺の向かい側にちょこんと座った。その目の前に、借りていた財布を渡す。
「……え?」
野木沢の表情がぴたりと止まる。
「これ、返すね。だいぶ自分で使ってしまった分も少しずつ返すから」
それに触れる指が、わずかに震えていた。
「あっ、……もう、いらない?」
「うん。野木沢がいない時間でバイトを始めたから、もう大丈夫だよ」
「そっ……か、……あ、の、……出て行く、準備、かな」
言って、不安そうな顔をしながらも、なんとか笑おうとする。……可愛い顔。俺も相当意地が悪いな。でもこれ以上、怖がらせるわけにもいかない。
「違うよ。日中暇だから、体力作りもかねて少し体を動かそうと思っただけだ。そうじゃないと、野木沢を一晩中可愛がってやれないだろ?」
「…………! あ、そうかぁ……」
緊張した面持ちが、一瞬にしてふんわりと笑顔になった。可愛い。俺が出て行かないと告げたことで、そんなにほっとするんだ。
「あと、それから、これ」
俺はそっと机の上にイヤーカフを置いた。
「おもちゃみたいなものだけど。バイト代で最初に買うのは、野木沢のものだって決めていたんだ。いや、全額きっかり返せって話なんだけどな。……でも、どうしても、渡したくて」
驚いた顔。それが、ゆるやかに柔らかくなっていく。
「……嬉しい。ありがとう」
「もっとちゃんとしたプレゼントは、いずれ渡すから」
「えっ?」
あれ。
俺、今、何を。
勝手に口から出た言葉だ、野木沢と一緒に疑問符が頭に浮かぶ。
いや、それは後で考えよう。
涙ぐんだ野木沢の顔が、可愛くて、どうしようもないんだ。
俺は野木沢の頬に触れた。
「……抱きたい」
野木沢は、目を細めて頷いた。
可愛い。
寝室のベッドは、ふたりが寝ても十分な大きさのあるベッド。ああ、これもバイト代で自分で買うべきだった。野木沢を抱くためのベッドなんだから。
そこに座るなり、自らシャツを脱ごうとした手を押しとどめ、そっとキスをする。その戸惑った手をシーツに押しつけてから、静かに離す。そのままじっとしている野木沢の、柔らかなシャツの中に手を入れる。ぴくりと反応が返る。暖かい肌を撫でて、指に吸い付く感触を楽しみ、それからシャツを脱がせる。
「んっ……」
可愛い乳首を小さく弾くと、噛んだ唇の間から声が漏れた。
そのまま吸い付いて、片手で野木沢の手を捕まえる。手。指を絡めるとおろおろと泳ぐ指。残りの手で下半身をまさぐると、そこは既に熱を持っている。
「もう、感じて来ちゃった?」
「ん、ぅん……」
そうだね。体はいつも素直な反応をしてくれる。
どこに触れても、嬉しそうに、もどかしそうに体をよじる。
これだけは、最初の頃からそうだった。
体は素直なのに、心はこっちを向いてくれない。
不思議な子だと思った。
でも、それが可愛い。
「一緒に擦るの、気持ちいい?」
「……ふっ、うん」
「じゃあもう挿入れてもいいかな……」
「ぅん、うん」
「準備出来るよね」
「……ん」
素直だ。
けど。
野木沢は、両手で丁寧に、俺のペニスにゴムを巻き下ろしてくる。
とても優しい指。
「自分で乗っかれるかな」
「ぁい……」
ゆるりと俺の腰に跨がる。
それから、慎重に腰を落としていく。
先端が熱い場所に触れて、そして、ゆっくりと、もっと熱い場所に導かれていく。
「ちゃんと入ったね」
「ん、ぅ、……っ、はい……ぅ」
可愛い野木沢。
俺の言う通りに動く野木沢。
…………。
なあ。
もっとして欲しいことはないの?
望むことはないの?
俺は、ゆるゆると動く野木沢の腰を、両手で掴む。
「……さ、さはぁ、くん……?」
動きを止められた野木沢が、俺を不思議そうに見下ろす。
俺が何かをすることを喜んでくれる君は。
俺が何をすれば一番喜んでくれるんだろう。
本当は何を望んでいるんだろう。
まだ俺のことを、通り過ぎていくだけの存在だと思っているのだろうか。
一過性の関係だと、割り切れなくなったのは、俺だけ?
「……野木沢は、俺に何も望まないよね」
「ぅ……? 笹原くん、っ、が、そう言ったから……」
「どうして、俺の言うことを全部聞いてくれるの?」
挿入っている場所がもどかしいだろうに、野木沢はぴくりとも動かず、俺の目をまっすぐに見ている。
「……だっ……て。そのほうが気持ちいいんでしょう……? 僕は、笹原くんが気持ちいいなら、それでいい。僕は都合のいいオモチャなんだから」
ぎぃ、と、胸の奥が軋んだ。
どうして、そこまで。
でも、だから、突破口はある。
「じゃあ、これから俺が言うことも聞いてくれるね」
「うん。いいよ。なんでも」
薄い笑顔。
執着心を捨てた君。
なんでもいい、どうでもいいと笑う君。
だけど本当は、すべてを捨てきれずに、縋ろうとする姿を知っている。
見て。
こっちを見て。
視線だけじゃない、ちゃんと見て。
そして、
「……野木沢が、本当にしてほしいこと、言って」
「え……?」
あきらかにその目が動揺する。
突然階段を踏み外したような、そんな顔。
「で、でも」
「俺の言うこと聞けるんだよね? 言ってごらん。ほら」
「だけど、そんな、わがまま言ったら、」
「大丈夫。何を聞いても、離れて行ったりしないよ。ねえ。聞かせて」
視線が揺れる。
浅い呼吸。
唇が小さく動く。
次第に、俺の腹の上に乗せた手が、ぷるぷると震えだす。
それを見ていると、あっという間に、見開かれた目に、涙がみるみる溜まっていく。
「……あのね」
震えた声。
「うん」
「た……、たくさん、ぎゅって、して、欲しい。キスもいっぱい、して」
愛されたかった、君。
それが本当の願いなんだね。
ばたばたと、綺麗な目から、涙が溢れた。
それを俺は、とても愛おしいと思った。
そうだ。
ここまで来たら、いくらなんでも誤魔化せない。
好きだ。
君が好きだ。
「野木沢」
「っあ」
俺は体を起こし、その勢いで野木沢の体をベッドに倒す。背中に手を回してぎゅっと力を籠めると、俺の背にも遠慮がちに指がかかる。わずかに離れて顔を見れば、眉根を寄せ唇を噛んで、これ以上泣かないように、必死でこらえているのがわかる。その表情すら可愛い。
その唇を、割り開くように舌を差し入れる。同時に腰を動かしてやれば、わずかに口が開くから、その隙を狙って。
「はっ、……ぅ、ん、ぐ……」
キスを求める仕草、けれど、すぐに閉じてしまうのは、……ああ。
そういうことか。
「ごめんね。もう、声、我慢しなくていいよ」
「で、も、……っん、やだ、って」
「もういい。野木沢の、声、聴きたくなったんだ。聴きたい。お願い……聴かせて」
そう伝えながら、ナカをえぐる。
「……っあ!」
好きなところだよね。ここを叩いてあげると、いつも喜んでくれる。
「あ、そ、そこぉ……っ」
「気持ちいいね」
「うん、……っぅん、きもち、ぃ……あ、ぁあっ、う」
耳元で、甘い吐息ととろけた声。
これを封じていたなんて、俺はなんてもったいないことをしていたんだろう。
「声……可愛い」
「や、そん、な、こと……っ、ん、ふぅっ、……っは、あ」
「可愛いよ……」
髪を撫でて。
腰を引き寄せて。
何度もキスを交わして。
腕の中に感じるぬくもりが、愛しい。
「……っあ、あん、っあ、さ、笹原……っく……」
「冬矢」
「んぅ……?」
澄んだ瞳を覗き込めば、きらきらと潤んで、ちゃんと視線を返してくれる。
「冬矢。俺の、名前。名前で呼んで」
野木沢は、少しびっくりした顔で。
それから。
笑った。
ふんわりと、とても綺麗な笑顔で。
「……とぉや」
ああ。
俺の名前は、こんなに美しい響きだったんだな。
泣きそうになる。
愛しい、愛おしい、俺の……。
「あおい……」
「…………っ!」
びくびく、と腕の中で震える。
熱い迸りが、白い肌の上でよりいっそう白く、胸の上下に合わせて揺れていた。
「ああ……。イッちゃったね……」
「び、びっくりした、から……? な、まえ……」
「俺も名前で呼びたい。いい?」
「……ん、うん。うん……嬉しい、……冬矢」
可愛い。
笑って頬にこぼれた涙を、俺は舌で拭う。
くすぐったそうに、さらに笑うから、その頬を捕まえて深いキスを重ねる。
「ぁおい……蒼生……」
「ん、はあっ、あ、うん、……っあ、ぁ」
「蒼生……」
「冬矢……ぁ」
融けそうだ。
気持ちいい。
頭の中までとろけていく。
このまま、すべて絡み合って、ひとつになってしまいたい。
愛おしいとはこういうことか。
腕に抱くとは、愛おしさを伝えることなのか。
俺は、初めて知った気がした。
カーテンの隙間から、柔らかな光が部屋に忍び込んでくる。もう、こんな時間か。野木沢……蒼生は、腕の中で眠そうに重い瞼をぱたぱたと瞬かせる。何度も肌を重ねたけれど、抱き締められた体勢のままでいるのを初めて見た。俺が、終わったらすぐ離してしまうせいだったのだろうか。いつもは壁際で小さくなる蒼生。それが今日は、胸元に擦り寄るようにすっぽりと収まっている。
「眠たいなら寝てもいいよ。土曜日なんだし」
ふるふる、と頭を振ると、柔らかい髪が俺の肩をくすぐった。
「寝られない。目が覚めてひとりだったら怖いから」
「考えすぎだよ」
腕を伸ばして、髪を撫でる。気持ちよさそうに仰のくのが可愛い。抱き締めるのと、キスが好きなんだったよな。ということは、触れられるのが好きなのかな。
「蒼生」
名を呼ぶと、ぱっと顔を上げる。
「何? と、冬矢」
そう言って恥ずかしそうに笑い、頬を染める。
可愛いな……。
「俺たち、毎日一緒に寝て、起きて、食事をして、また一緒に寝ているよね。えっちなこともするけど、それだけじゃなくて。一緒に買い物も行くし、ごはんも食べに行く」
「うん」
「そうやって暮らして、何か月になるかな。もう名前で呼び合う仲になったし」
「そうだね。えっと、冬矢が来たの、あれは何月だったっけ」
「……これってさ。セフレじゃなくて、恋人同士の生活なんじゃないか?」
え、と蒼生が呟く。
それから不思議そうに首を傾げた。
「僕は、冬矢のオモチャなんじゃないの?」
「……正直、最初はそう思っていた。本当にごめん」
「僕のこと、好きなの?」
まっすぐで、曇りのない目が、至近距離から俺を見上げてくる。
「好きだよ」
再び、瞬きの数が多くなる。
戸惑っているというより、心底意外だという顔だった。
きっと蒼生ならそういう反応をするだろうなと思っていた。
だから、畳みかける。
「蒼生は? 俺のこと好き?」
「僕……僕は……どうなんだろう。唯一のものをなくしちゃった僕には……そんな感情残ってるのかな……?」
そっと肩を抱く手に力を込める。
「たとえば、蒼生は最近、俺が両手を広げていると、飛び込んできてくれるだろ。あの時、何を考えてる?」
「何を……。えっと、……あー抱き締めてくれるんだぁ、嬉しいなーって」
ふっ。
無意識かもしれないが、俺の腕の中を、嬉しい場所だともう認識しているじゃないか。
「たぶん、蒼生は俺のことが好きだよ」
「……これ……好きって気持ち?」
「そう」
「そっか……」
すとんと納得したような顔。また、優しい目に涙が浮かぶ。
傷付いて泣いていた時とは違う涙。
本当の君は、こんなに泣き虫だ。
「僕、僕にもまだ、誰かを好きだって思う気持ちがあったんだ」
「誰か、じゃない。俺だよ」
「冬矢……うん、うん」
それが“誰か”であってたまるか。俺の蒼生。俺だけの蒼生だ。
「……僕……こんな僕を、好きになってくれる人がいるなんて、思ったこともなかった」
「そんな蒼生だから好きになったんだよ。それに、蒼生が好かれてるだけじゃない」
「え……」
「蒼生が俺を好きで、俺も蒼生が好きで、……両想いなんだよ」
「りょう、おもい」
「そう」
ぼろぼろ、我慢していただろうに、とうとう涙がこぼれ落ちるのが見えた。蒼生はぱっと両手で顔を覆う。
「も、もういっぱい泣いたから、絶対泣かないと思ってたのに」
俺はそっとその手を外す。子供のように泣きじゃくる、君がとても可愛いと思う。愛おしいと思う。
「大好きだよ、蒼生」
「ありが、と……っ。僕も、僕も好き……大好き……」
もう離さない。
朝方のニュースで見た天気予報は外れたようだ。1日中暖かく穏やかな日になるとの予報だったが、昼過ぎから風が強くなってきて、日が落ちると凍えるほど寒くなった。今日は予定を変えて、シチューにしよう。蒼生が好きな鶏団子を入れるかな。ああ、チーズを多めにしよう。パンは柔らかめの甘いのにしようか、塩気の効いた硬いパンにしようか。そうだ、どちらも買って分ければいい。いただきものの白ワインがあるから、あれを開けるのもいいな。
俺のほうが早く帰るから、今日の夕食は俺が作るよ、と言った時の蒼生は嬉しそうだったな。ここのところ忙しくて、お互い一緒の夕飯を取れない日が続いていたから。それでも、ちゃんと朝は一緒に食べるようにしていた。蒼生の顔を見ながら食べる食事が最低でも1日1回はないと、出せる力が半減してしまう。蒼生もそうだと笑ってくれた。
ああ、あとどれくらいで帰ってくるかな。帰宅までに食事の支度は済むだろうか。本当は今すぐにでも帰ってきてほしい。顔が見たい。まっすぐに俺だけを見て笑ってほしい。
後はパンを温めれば完成というところで、蒼生は帰ってきた。玄関の鍵を開ける音。
「冬矢ぁ、ただいまっ!」
ふにゃりととろけた可愛い顔。
朝、玄関先で分かれたところで止まっていた時間が動き出す。
「おかえり、蒼生。ごはん出来てるよ」
「わ、シチューだ。嬉しい。いい匂い、美味しそう!」
横目に鍋を眺めながら、蒼生は迷わず俺の元に早足でやってきた。走ると危ないからね。そして広げた腕を見ると、可愛い顔をいっそう輝かせて飛び込んできた。ふふ。お互いに深呼吸する。お互いの匂いで、肺の中を満たしていく。
「今日もお疲れ様」
「冬矢もお疲れ様。お仕事、慣れた?」
「もともとバイトで入っていたところだからね。正社員と言ってもまだまだだよ」
「ううん、すごいと思う。頑張ってる冬矢かっこいい」
「そうか、蒼生に言われると素直に嬉しいな」
「へへ」
にこにこの顔が、こんなに近くにある。幸せだと感じる。
「あ。そうだ、冬矢、忘れ物」
「ふ、いけないいけない。大事なことだったね。おかえりのキス」
笑って、ほんの少しだけ背伸びした蒼生に口づける。
角度を変えて、もう一度。
「それから、ただいまのキス」
「ん」
今度は、蒼生から、俺に。
嬉しい顔が、俺も嬉しい。
せっかくだから早く食べて貰いたい。俺は蒼生に着替えるよう促すと、最後の仕上げにかかった。そして出来た端からテーブルの上に並べていく。蒼生は自分も手伝うつもりだったのだろう、慌てて部屋から出てきて、きちんと仕上がったテーブルを見て口を尖らせた。
「あー、手を出す暇なかったぁ」
「あはは。じゃあ、洗い物はやってもらおうかな」
「え、ひとりで?」
「ううん。ふたりで、一緒に」
「……うん」
一緒。蒼生はそれを喜んでくれる。
そして今日のメニューも、蒼生は美味しそうに頬張った。
「んー、美味しいっ。すごいね、チーズの味がすっごく濃くて、僕の好きな味。しょっぱいパンだときりっとしてパンチがあるし、甘いパンだと後からふんわり甘さが来るのが美味しい。ああ、どっちも好き。うー、それに、冬矢の鶏団子っていつも思うけど、絶妙……。滑らか……美味しい……。またこの味がワインに合う……」
この顔を見るの、好きだな。
にこにこ嬉しそうに。
頬をいっぱいに膨らませて。
ああ、嬉しい。
蒼生、大好き。
俺がそうやってじっと眺めていることに気付いたのか、蒼生が首を傾げる。
「なぁに?」
「いや。……蒼生が、何の疑問も抱かず、俺が作って出したものを食べてる。信頼されてるんだなって思うよ」
「ん?」
「だって、俺がおかしなものを入れている可能性だってあるわけだろ」
「おかしなもの?」
「たとえば……そうだな、毒薬とか」
蒼生はきょとんとする。
俺の口からそんな単語が出てくるとは、心底思わなかったような顔。
けれど、すぐに蒼生は笑った。
噴き出すとか、馬鹿にするとか、そういう笑い方じゃなくて。
ふわっと、微笑むように。
「……その時は、最後まで抱き締めててね」
あ。
俺は、言葉を失った。
それは、……許容だ。
全面的な許容だ。
最後まで、俺といてくれる……そこまでの。
蒼生。
やっぱり、俺だけの蒼生だ。
俺だけの。
どうしたら、蒼生は俺だけを見てくれるかな。外には、蒼生の目が映す世界が広がっている。同様に、蒼生を見る目も。
世界に、俺と蒼生だけであればいいのに。
どうして他人が存在しているんだろう。
独り占めしたい。
他の誰にも見せたくない。
俺のためだけに笑っていてほしい。
……そんなことは出来ないとわかっているけれど。
そう、それに、蒼生がとろけた甘い顔を見せてくれるのは、俺だけだ。
この世界に俺だけしかいない。
とても贅沢なことだ。
これ以上を望むのはさすがにお互いにとってもよくないだろう。
「冬矢」
軽やかな足音をさせて、蒼生がキッチンにやってきた。ペールグリーンのセーターがよく似合っている。優しい雰囲気の蒼生には、綺麗な色がとてもよく合うからな。
頬に手を添えて、反対側の頬にキスすると、引き寄せられるように抱きついてきた。背中に回された指の感触が心地いい。
「どうしたの。出かける?」
「うん。文庫の新刊が出る日で、その」
ちらりと蒼生の目が鍋を見る。可愛い。なるほどね。
「ちょうどよかった。鶏肉を煮ているんだけど、あとは火を止めて余熱で仕上げるところだったんだ。よければ一緒に行ってもいいかな」
「! 一緒に行ってくれるの?」
「もちろんだよ」
顔を輝かせて、蒼生は俺の肩に額を擦り付けた。そんなに嬉しいのか。
「蒼生はあまえんぼうだね」
「……うん。そうなの。寂しがりだから」
「ふふ、知ってる」
思いもよらぬデートのお誘いだな。欲しい本はなんだろう。最近よく読んでいる小説の新作かな。それとも話題のあの本だろうか。すぐになくなるものでもないし、買いに行くのが1日2日遅くなっても問題はないはずだ。会社帰りに本屋に寄ることだってできるだろうから。もちろん、一刻も早く読みたいという気持ちもあるかもしれない。だがおそらく、そうではない。蒼生は、俺と出かける口実が欲しかったんだ。
コートを羽織る俺に、蒼生が首を傾げる。
「冬矢のコート、薄いよね。寒くないの?」
「大丈夫だよ」
「だけど風邪ひいちゃいけないから……」
蒼生は、いったん部屋に戻ると、深緑の包みを持ってきた。なんだろうと見ていると、中から薄い緑の……マフラー? それを、ふわっと俺の首に巻いた。
「えっ、これ……。まさか、俺の?」
「いつも隣を歩いてて、首元寒そうだなーって思ってたんだ。……それから、僕のセーターと、色がそっくりだなって思ったら、その時にはもう買っちゃってた」
気付いた時には、抱き締めていた。
「あ、えっと、冬矢? め、迷惑だったり……」
「しないよ。するもんか。ありがとう、蒼生、あったかいよ」
好きだ。大好きだ。こんなに愛おしい存在が、この手の中にあるなんて。
ほっとして微笑む蒼生を、このままずっと抱き締めていたい。だけど、そうしたら出かけられないね。俺は離れがたい気持ちを何とか抑え、ゆっくりと体を離した。
外に出ると、風が冷たい。でも俺には、蒼生からもらったマフラーがある。
「新刊って、何?」
「ほら、この前映画化した探偵のお話あるでしょ。あれの続編だよ」
「映画化……ああ、うん。例の分厚い小説か」
「そう。面白いけど、重い」
「ははは、たしかに重かったな。読み終わったら俺にも読ませてね」
「うん!」
駅へと向かういつもの道。隣を歩く人がいれば、その道のりは一瞬だ。いつものショッピングセンターだって、最高のデートスポットになる。ああ、幸せだ。
お目当ての新刊と、そのほかにも気になる小説を見つけた蒼生は、にこにこ顔で本を詰め込んだバッグを抱き締める。
「この勢いだと、本棚がすぐに埋まってしまいそうだな」
「う。た、たしかに」
「蒼生に本棚1つは少なかったね。使ってない部屋を書斎にしたらいいんじゃないか? もったいないだろ」
「書斎? ふふ、なんかすごい響きだあ」
楽しそうだな。うん、そうだ、そうしよう。本棚が寝室にあると、時々蒼生が起き出して、夜中に小説を読み耽っていることがあるから。寝る時は俺に集中してほしい。早速、新しい本棚を手配しなくては。
「あ、冬矢」
蒼生が俺の袖を引く。
「見て、スイートポテト、美味しそう。ねえ、おやつにしようよ」
「いいね」
楽しい。嬉しい。ずっと一緒にいたい。蒼生。
蒼生は「美味しい」とふんわりした笑顔を俺に向ける。
可愛い。可愛いね。
そっと手を握ると、柔らかく握り返してくる。
帰ったら、またたくさん抱き締めよう。
「あっ」
蒼生が小さく声を上げる。
振り返ると、小さな子が走ってきて、蒼生にぶつかるところだった。3歳くらいだろうか。よろけたその子を、蒼生が咄嗟に両手で支える。それを追ってきた母親らしき女性が、慌てて頭を下げる。
「ご、ごめんなさい!」
「いいえ、いいんですよ。大丈夫? 痛いとこない?」
「ないー」
「そっか、よかった」
「ほら、人にぶつかっちゃったら、ごめんなさいでしょ」
「ん。ごめんねさい」
ふっと蒼生の顔が緩む。まだたどたどしい言葉遣いのその子を見る目が温かい。しゃがんでちゃんとその子に対応する蒼生に、母親が首を傾げる。
「……あの?」
「え、っあ、すみません。幼馴染みのところの子がこのくらいだったなあと思って」
「ああ、なるほど、そうでしたか」
「可愛いですね」
「ありがとうございます。でも、いたずら盛りで、手が付けられないんですよ」
笑い合う声が、遠くに聞こえる。
…………あれ。
あれ。
頭の中が、無理矢理こじ開けられてかき混ぜられたような、気持ち悪さ。
蒼生……?
蒼生の頭の中には、まだ寺田がいるの?
俺以外の人間が住んでいるの?
俺だけじゃないの?
なあ、蒼生。
俺だけでいいじゃないか。
おまえを一番愛しているのは俺だよ。
世界でひとり、俺だけでいいはずだよ。
だから、おまえの目に映るのも俺だけでいいんだ。
そうだよな?
「蒼生」
俺は、寝室にいた蒼生をリビングに呼んだ。
「なに?」
可愛い笑顔で、蒼生が出てくる。
俺の蒼生。
「蒼生。俺ね。もう限界なんだ」
「え?」
「駄目なんだ。おまえが誰かを見たり、誰かの目に留まったりするのが耐えられない」
「冬矢……?」
見開かれて丸い目が、俺を見つめる。
その視線は、やがて、俺の手にある首輪に落ちていった。
綺麗だろ。
きっと似合うよ。
「もうどこにも行かないで。蒼生。俺だけの蒼生。愛してる」
蒼生は。
俺を見上げて。
穏やかで柔らかい、あたたかな笑顔を浮かべた。
落ちた涙が、一筋。
きらりと光る。
「……嬉しい。ずっと、ずっと……僕のことだけ愛してね」
…………っ。
唐突に目が覚めた。駄目だろ。それは駄目だ。蒼生は俺のものだけれど、蒼生の世界は蒼生のものだ。そこを間違ってはいけないんだ。
けれど急に不安になって、俺は腕の中で眠る蒼生の首元にそっと触れる。恐れていた無機物の感触はない、あたたかな素肌。……よかった。
蒼生は、すやすやと気持ちよさそうな寝息を立てている。そうだ、蒼生は俺の右側で寝るんだ。左で寝ることは滅多にない。だから今のは全部夢だ。冷静に考えればはっきりわかるのに。
だが、夢とは理性が及ばない現象だとして、隠れている本音を暴き出すものだとしたら……。頭の底であんなことを考えているかもしれないのだとしたら。もしかして、出会ったあの頃……蒼生に近付いていくたびに感じていた自分の仄暗い部分とは、あの行動のことだったのか? だとすれば、俺は……。
ぞっとする。怖い。俺は蒼生からそっと手を離す。
「……んー……やっ」
眠ったまま眉をひそめた蒼生が、俺の腕を掴んだ。剥がそうとすると、余計にしがみついてくる。
可愛い、でも胸が痛む。
「うぅん……冬矢ぁ……?」
寝ぼけた声がまた可愛い、でも、そんな蒼生に、俺は。
「ごめん。夢見が悪くて。ちょっと離れたほうがいいかもしれない」
「えっ」
こんなことを言ったら、悲しい顔をして縋り付いてくるだろう。さっきまでの夢の蒼生はそうだった。……けれど、現実の蒼生は、心配そうに俺の顔を見て、すっと体を引いた。
「暑かったかな。ごめんね、くっついちゃって」
ああ、そういうことじゃない。違う。頭を切り替えろ。今はもう、夢の中じゃない。
「そうじゃないんだ、今、夢の中で蒼生に酷いことをしてしまって、……自己嫌悪で反省しているところなんだ」
「夢?」
話し声に気付いたのか、蒼生の向こうから健太がのそりと顔を覗かせた。
「どうしたあ?」
「健ちゃん。冬矢がね、夢を見たって」
「夢ぇ……? なんか最近、似たような話したなぁ。……ん? もしかして?」
みるみる健太の目が覚めていくのがわかる。期待を込めた眼差しで蒼生の上にのしかかると、蒼生から「重い……」と文句が出るが、健太は構わず身を乗り出す。それ以上文句を言わない蒼生も蒼生だ。
「な、この前の蒼生の夢みたいなやつ?」
「そう。完全に、あれの続きだったな」
「続き!?」
「続編じゃねえか!」
蒼生まで、楽しそうに顔を上げる。ああ、もう。無邪気なコンビめ。
「なあ、あれからどうなった?」
あれからも何も、蒼生と俺がそれぞれに見た夢なんだ。続きといっても、ただの俺の夢に過ぎない。それに、あのラストシーンは、喜ばれるようなものじゃないんだ。
蒼生が、はっとしたようにまた心配そうな顔になって、そっと俺の手に触れた。
「……ごめんね、はしゃいじゃって。冬矢が思い出してつらいなら、聞かない」
つらい……わけじゃない。自分のことが怖い、という感覚が近いかもしれない。でも、優しい蒼生が気に病むのも嫌だな。怖がられる覚悟で……告白したほうがいいように思う。
「あまり納得出来る話じゃないかもしれないし、気分を害するかもしれないけど、それでもいい?」
「うん。この前の夢のことも、少なくとも僕は、話してよかったと思ってる」
「そうか……」
「それに、オレら登場人物なんだから、内容を教えてもらう権利があると思う!」
……へえ。
本当に健太には時々はっとさせられるな。そうか。ふたりは重要な登場人物だ。特に蒼生は、自分の夢の中で死ぬかもしれないというところで目を覚ましている。自分の生死は気になるだろう。俺の夢だとわかっていて、そこに救いを求めているのかもしれない。
「それなら、聞いてくれる? 結構はっきり覚えてるから、長いよ」
「健ちゃん、長編だって!」
「マジか! ちょっと飲み物持ってくるわ!」
……映画鑑賞のつもりか?
だが、……はは。ふたりの明るいやりとりで、少しほっとした。
健太が3人分の飲み物を持ってきてから、俺はベッドの上に座って話を始めた。ふたりも俺の前に並んで座ってそれを聞いている。細かいところはあやふやになってきているが、できるだけ詳細に。健太は頷いたりハラハラした顔をしたり、蒼生は笑ったり涙ぐんだり顔を赤らめたり、まるで本当にエンターテイメントを楽しむように俺の話を聞いた。
……だから、俺はこの話が、ただの「もしもの物語」だとすんなり消化できた。監督と脚本が蒼生と俺の、劇や映画のようなものなのだ。
蒼生の言う通りだったな。粗方話し終えると、なんだかすっとした。レポートを1本一気に書きあげたくらいの爽快感がある。ラストまで聞いたふたりの反応も「おお~」だったし。
「つまり、オレと世界から隠したくて、蒼生を監禁するって結末か」
腕を組んで、さらりと健太が言う。
「監禁とか、えっちだね」
蒼生もにこにこしている。
ふたりとも、なんでもないことのように俺の暴挙を受け止めている。
「……俺のことが怖くないの? 犯罪だけど」
思わずそう聞くと、ふたりはきょとんとして顔を見合わせた。そして蒼生は俺を不思議そうに見る。
「だって、夢でしょ。実際されたわけじゃないし。それに、本当にそうなっても、相手が冬矢なら怖くはないけど……」
「蒼生は俺に甘すぎないか」
「そういうふうに僕を育てたのは冬矢だもん」
……なるほど。
俺なら絶対大丈夫だ、と信じてくれているんだな。物事を悪い方向に受け止める蒼生が、そこまで俺を。
やりとりを聞いていた健太が、ペットボトルを傾ける。
「強引なとこはあったけど、結局どのタイミングでも蒼生が絶対に嫌がったらしなそうなとこが冬矢っぽいよな。でも……、もし、そんな結果になりかけるようなことがあったら、オレは止めるよ」
「……健太」
「え、そうなの?」
「だって、ずっと家の中にいたら運動不足になるだろ。たまには外に出たほうが健康のためにはいいって。せめて休みの日は一緒に出掛けるといいと思う」
「は?」
驚いた。わりと真剣に、彼氏からの本格的なクレームが来ると思って身構えたというのに。健太の発言は想定よりずいぶんと軽い。
……ああ、違うな。健太も、俺が実際にそんなことをするとは本気で思っていないんだ。もし仮に、本当に俺が何かをしでかすようなことがあっても、きっとこいつなら、ちゃんと俺を止めてくれるだろう。なんだか妙に安心する。
俺がそんなふうに安堵していることをまったく想像すらしていないらしい健太は、同じ調子で続けた。
「そういえばさぁ、誰だっけ? えっちの最中に突然名字呼びから名前呼びにしたら気持ちよくなるんじゃないかって言ってたの」
「……俺だな」
「冬矢か。んで、どうだった? 夢だけど」
ははっ。様々な出来事について話したはずだったが、おまえが気になるのはそこだったか。同じことを思ったらしい、横で蒼生が健太をびっくりした顔で見ている。
「……そうだな。その前と後とでは気持ちよさが全然違ったな。夢だけど」
「へー、やっぱり」
「蒼生なんか、名前を呼んだだけでイッてたよ」
「ひぇ」
蒼生がぽっと頬を染める。さてはなにか思い当たる節でもあるのだろうか。
「ってことはさー、オレら最初っから、マックスで気持ちいい状態だったのかもな!」
「なるほど、そういう論理か」
「試してみるために、いったん戻してみるってのもありかなあ」
「名字にか?」
「や、やだっ」
驚いた様子の蒼生が、両手で俺と健太の腕を引く。
「蒼生」
「寂しいから、それはやだ……。いくら気持ちよくなれても、その前に寂しくなっちゃうのは悲しいよ」
そうだな。名前で呼び合うのは、親愛の証だから。名前で呼ばれることが好きではない俺には、蒼生の気持ちがよくわかる。俺たちは、名前で呼ばせる特別な許可を与えることで、相手に歩み寄っていますよという証明をしているのだと思う。全然気にしていない健太には理解できないかもしれないが、俺が名前を呼ばせている時点で、おまえをちゃんと認めているんだからな。……まあ、蒼生のお願いだったから、ということのほうが重要だが。
「ん、わかった。それはやめような。蒼生が寂しいのは嫌だから」
健太は素直に提案を撤回し、蒼生の肩に手を回す。その手に目を落としてから、蒼生が俺に向かって手招きをした。もしかして、考えただけで寂しくなっちゃったかな。健太と反対側の隣に移動すると、蒼生は俺の腕を抱き締め、健太に寄りかかった。
「あのね。今、ふと考えちゃったんだけど。あのまま、健ちゃんと冬矢が、名字で呼び合ってバチバチしたまま仲良くならなかったらどうなってたんだろう」
「あー……そうだなぁ」
健太が唸る。
「それで、こんなにお互い仲悪いふたりなのに、そのふたりの意思を無視してまでふたりと同時に一緒にいたいのはなんで? ってところから、僕のほうが先に恋心に気付いちゃったかもしれないなって思った。でもそうなってたら、ふたりの人を同時に好きになるなんてふたりに悪いし……。僕はいなくなる道を選んだんじゃないかなって」
…………。やっぱり、蒼生はそう思うだろうな。
俺たちに対して悪いと思うのもそうだが、告げて離れられるのが怖い、だが好きだからそのままではしんどい、と考えた末に、自分を責めて早めに離れる道を選んだだろう。だから、あの時、俺たちが先に蒼生を囲い込んだ、あれは今考えても最善の方法だったのだと思う。
神妙な顔をする蒼生を、健太は笑って引き寄せる。
「けどさあ、それでオレらから逃げられたと思うか?」
俺も負けずに蒼生の腕を引く。
「逆にどんな手を使ってでも引き留めただろうな」
それでも何か考えているらしい蒼生の顔を、健太が下から覗き込んだ。
「ってか、高校入った頃、ホントにオレたちから離れようとしてた時期あっただろ」
「……っえ」
蒼生が目を見開く。
「バレてたの?」
「バレないと思ってたのかよ。オレは常に蒼生の居場所を確認してたからな。すぐふらふらいなくなるからさ~、追いかけっこの気持ちでついてってた。でもオレといるのが嫌なわけじゃなさそうだったから気にしなかったけど」
「だ、だって、ふたりともすぐ僕のとこ来るんだもん。そしたら絶対鉢合わせになるでしょ。お互いが嫌な思いしたらやだなと思って……」
なんとなくそうかなとは思っていたが、蒼生の口から聞いてはっきりした。
「蒼生は、本当に優しい子だね」
「そうだよ。オレたちのことなんか気にしないで、蒼生がしたいようにすればいいのに」
「だってぇ……」
ふふ。まあ、仕方ない。あの頃の蒼生にはそれが精一杯だっただろう。むしろ、よく頑張ってくれたと思う。今の俺たちがあるのは、蒼生が勇気を出してくれたおかげだ。
俺は、蒼生の髪にそっとキスをした。
「つまり、どんな道を選んだとしても、俺は蒼生のことを好きになって、蒼生と恋人同士になっていたってことだよ」
「冬矢……」
ほっと息を吐いた蒼生の肩から力が抜ける。
そうだ。中学で出会わなくても、高校で蒼生が逃げたとしても、最終的に俺は蒼生を手に入れただろう。接点がないのなら作ればいい。夢だろうが現実だろうが。絶対に。
大好きな蒼生。そうして手に入れたら、決して手放さない。何があろうとも、だ。
「はい」
急に健太が手を挙げた。
「なんだ」
俺と蒼生がいい雰囲気になりかけたところなんだけどな。だが俺以上に不満げな健太は、今度は俺たちと向き合う位置に座り直した。
「異議があります」
「どうぞ」
「今、どんな道でも蒼生と冬矢はくっつくんだって結論出しましたよね?」
「その通りです」
「…………オ・レ・は!?」
あ、と蒼生が声を漏らす。ちっ。気付かれたか。
「蒼生が見た夢にしても、おまえの夢も、オレの扱い酷くない!? 漫画で言ったら3コマくらいの出番しかなかったんですけど!」
「俺が見る夢におまえが出張ってたらそれはそれで気持ち悪いだろう」
「そりゃそうだけどさ! オレひとり取り残されて、すっかり除け者扱いじゃないかー!」
防音がしっかりしている部屋でよかった。夜中に大声を出すなんて、下手をしたら苦情が来るぞ。まあな、俺は絶対に蒼生と添い遂げることがわかって余裕があるから、そんな声を聞いてもなんとも思わないが。
「除け者どころか、大事な人がいるじゃないか。そっちをきちんと大切にしろよ」
「……ふふ。そうだよ、綺麗な奥さんと可愛いちびっこたちがいるんだから」
蒼生が乗って来た。うん。いいね。
「そうだな。ミディアムボブで可愛い系の奥さんだったな」
「ピンクのカーディガンをよく着てる」
「上の子が女の子で、下が男の子」
「わかる」
「なんでイメージ一致してるんだよ!」
蒼生が笑って、俺も噴き出す。
「もー! オレは蒼生が好きなのに!」
「健ちゃん、浮気は駄目だよ。本人以外の全員が可哀想だよ」
「あ……まあな、たしかにそう……って、夢の話だよな? 現実のオレは、蒼生と深ーく愛し合ってるよな!?」
「あははは、うん。間違いないよ。ごめんごめん」
「よかったー……」
心底安堵したように息を吐く健太が面白くて、俺はさらに笑ってしまう。すると、拗ねたような目がこちらを睨んできた。
「つか、夢のオレに突っ込めるか? おまえなんて、蒼生にちゃんと出会わなかったら、さらに相手とっかえひっかえの大学中退クズヒモニートになってた可能性があったってことだろ? リアルすぎてすっげぇ腑に落ちたわ」
ああ、それな。
俺も確かにそう思った。
「え、冬矢は真面目な人だし、そんなことはないんじゃない……?」
「いや、健太の言う通りだよ。我ながら何の違和感もなかった」
「おまえって、蒼生がいてくれてよかったよな」
「本当にそう思う。今、まっとうに生きられているのは蒼生のおかげだ」
蒼生は困ったように、俺たちの顔を交互に見る。そうだな、蒼生は蒼生といる時の俺しか知らないから。
自分ひとりで立つことすらしない。誰にも興味がないから、ただ流されているだけ。俺はもともとそういう人間だったんだ。俺を俺にしてくれたのは、蒼生なんだよ。
「……そ、そうなの……? 僕と出会って道を踏み外しちゃったとか思わないの……?」
「思ったことねえよ。そもそも最初からオレは蒼生と一緒だったし」
「うん。一緒に歩く道しか見えていなかったよ」
小さく、そっか、と蒼生が呟いた。
あくまで俺の夢の話だから、俺の推測にすぎないけれど。鈍感で無神経な健太と、人を平気で踏みにじる俺と、思考が極端な蒼生と……俺たちは、出会わなければそのままの大人になっていたかもしれない。それらをお互いに改善しながら、ここまで一緒に歩いてきた。やはり俺たちは出会ってよかったんだと思う。
ただ。
あの夢の中で、ひとつだけわからないことがある。
「どうしたの?」
すぐに俺の様子に気付いた蒼生が、俺の袖を引く。
「……うん。最後、夢の中で……蒼生は笑っていたけれど、泣いてもいたんだ。あの涙の意味だけがわからなくて」
蒼生は、ふんわりと笑った。
それこそなんでもないことのように。
「ああ。本当に嬉しかったんだと思うよ。夢の中の僕は、それまで誰の一番にもなれなかったから。夢の冬矢は、そんな方法を取ってまで僕を独占したいと思ってくれたんでしょう。冬矢の唯一の存在になることができて、幸せだと感じた涙なんじゃないかな」
「……本人が言うなら、そうなんだろうな」
そうか。
あの「蒼生」は、幸せだったのか……。
健太が、でもさ、と口を挟む。
「そのきっかけって、小さい子見て蒼生がオレのこと思い出したからって言ってたじゃん。本当なら、そこ、喜ぶべきとこじゃねえの? それを口にできたってことは、昔は好きだったけど、もうただの思い出になってるって証拠じゃん」
「そうだな。普通の精神状態だったら、そう思うべきところだ。その時点で夢の俺は相当おかしくなってたんだろう」
「……待って。自分で言っててしんどくなってきた。うわー、オレがただの思い出にされてる……。これは慰謝料を請求してもおかしくないところだ」
「はあ?」
健太はわざとらしくよろよろとこちらに近付くと、俺から無理矢理剥がすように蒼生を引き寄せて抱き締めた。蒼生はぱちくりと可愛い目を瞬かせる。
「可愛い可愛い恋人が大事だったら、今すぐ身代金を用意しろ!」
「えっ、今度は僕、人質!?」
これはまた……。犯罪に犯罪で返してくるとはな。
「身代金? 幾ら欲しいんだ」
「スイートポテトだ!」
…………ん?
「話の本筋に関係ないのに、食事やおやつのシーンを詳細に報告しやがって! おかげで口の中が甘いものを欲している! 特に最後のスイートポテトが印象に残っている!」
「なるほど、要求は把握した。それは今すぐにか」
「……今日のおやつとかでいい!」
「僕も! 生クリーム乗っけてください!」
ふっ……ふふふ。なんだこれは。人質も一緒に要求を始めたじゃないか。
「では、準備しよう。約束するから人質を解放しろ」
「それはできない! 可愛いからだ!」
「えっ」
蒼生がぎょっとして頭上の健太をまじまじと見る。
そうだな。
可愛いからな。
無理もない。
「わかった。ならば、こちらから行こう」
俺は勢いをつけると、蒼生に向かって飛び込んだ。
もちろん、健太を倒すつもりの勢いで。
蒼生は俺を抱き留めてくれて、楽しそうに笑っている。
案の定蒼生ごと倒れ込んだ健太は、ぶつぶつと文句を言っている。
ああ。
もうすっかり目が覚めてしまったな。
夜が明けたら、スイートポテトの材料を買いに行こう。
3人、一緒に。
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この作品を運営事務局に報告する
この作品に関連のあるpictSQUAREのイベント
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2027年02月11日 21:30〜翌21:20受付中天下統一!ぽめもも時代オリジナル 一次創作 ぽめももWebオンリーサークル参加受付期間18 / 170sp
02月12日 21:30 〜 01月01日 00:00
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08月27日 20:00 〜 09月23日 23:50閲覧制限が掛かった作品です
この作品は投稿者から閲覧制限が掛けられています。性的な描写やグロテスクな表現などがある可能性がありますが閲覧しますか?
閲覧する際は、キーワードタグや作品の説明をよくご確認頂き、閲覧して下さい。
66こ目;if+if~さかさまに満ちた月のゆくえ 後編~
僕+君→Waltz! 創作BL小説 創作BL 一次創作 幼馴染 三角関係 R18ifシリーズ3作目、冬矢の夢の話、後編です。
(1作目:if~今宵、月はさかさまに満ちて~ https://pictbland.net/items/detail/2297821 )
(2作目:if+if~さかさまに満ちた月のゆくえ 前編~ https://pictbland.net/items/detail/2302084 )
長い夢の果てで、冬矢が選んだ結末とは。
ご安心ください、最後はきちんと目が覚めます。
↑初公開時キャプション↑
2022/09/22初公開
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
この話に対するアンサーはあるのですが、2年が経過した今もまだ形にしておりません。
そろそろかな…。
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野木沢といると、自分の気持ちがよくわからなくなってくる。俺は一体何がしたい? 何を望んでいるんだ?
それに加えて、野木沢の気持ちもわからない。いや、野木沢については、理論的にはわかる気がする。俺に心酔して、ひたすら尽くしてくれる彼女もいた、それに似ているような感じがするからだ。だが、顔を見てしまうと、信じてくれているような、でも諦めきってもいるような反応に、どうしても混乱してしまう。計算出来ない。わからない。
わからないなら理解する必要はない、と今までならば思っていたはずだ。なのに。
考えても答えが出ないので、気晴らしに外へ出る。会社からは遠いと野木沢はぼやいていたが、郊外に近いからこそ大型の店舗があって、買い物には便利だ。これまで同年代がわんさかいるような人混みに慣れさせられていたが、こういった街も落ち着いた雰囲気があっていいじゃないか。
大きなショッピングモールには、家電量販店の有名店も、よく名前を聞く家具店も入っている。何が必要だろう。炊飯器だろ、テレビ、洗濯機、掃除機……。冷蔵庫が小さいのも不満だ。小物を入れる棚もない。エアコンだってあれ一台じゃ足りない。ベッドだって、あんなに狭くてはいつ野木沢を落とすかわからない。寝ているだけでも俺は何度か落ちかけた。そうだな、まずベッドだ。とはいえ、さすがにそこは野木沢に無断なのは良くない気がする。いっそ今ある僅かな家具ごと全部買い換えてやって、はいどうぞ、とやったほうが過去との決別が出来ていいかもしれないと最初は思った。が、逆に自分が選んだものは不要だったのかと思い悩まれても困る。考えすぎかもしれないけれど、あの野木沢だ、万が一がある。本人に選ばせてやったほうがいい。
そう思って、ふと考える。スーツか部屋着の二択しかない野木沢は、休日に買い物に出るのを渋る気がする。
本当に、面倒な男だ。
「ただいま」
家にはもう電気がついていたので、そう声を掛けて入る。すると、リビングのドアが開いて野木沢が血相を変えて飛び出してきた。
「あ、おかえりなさい」
「? どうした?」
俺を見て野木沢は大きく息を吐く。
「あー……うん? どうもしないんだけど。ごはん、どうしたかなと思って。帰ってきても笹原くんいなかったから」
「俺こそ、もう少し遅いと思って油断してた。遅くなってごめん。まだ食べてないよ」
「よかった、今日は最後にお得意先の飲食店に寄ったから、そこで買ってきたんだ。……あ、そっか連絡入れたらよかったんだ」
そうだな、俺たちはお互いの連絡先を知っているんだ。予定が変わったら連絡すればいい。長いことそういう作業を行っていなかったから、俺の頭からもすっかり抜けていた。今まで夕飯がダブらなかったのは奇跡だったんだな。
ああ、そうだ。
「野木沢、これ」
「え……なに? 袋? ……服、だねえ」
「明日、家具や家電を少し見に行かないか。休みだろ?」
「え? 休み、だけど、え……服?」
「おまえ、買い物に出るような服持ってないじゃないか。服も買い足そう」
「……笹原くんが、僕に?」
「まあ……おまえの金だけどな」
「そんなのはどうでもいい。ありがとう……」
袋から引っ張り出した服を、野木沢は呆然とした顔で、けれど目だけは真剣にじいっといつまでも眺め続けている。むずむずする。なんだろう、この気持ちは。
翌日目を覚ますと、いつの間に起きたのだろう、野木沢は俺が買ってきた服を着ていた。
「おはよう。うん、似合うな」
「えっ、そんなこと……ううん、ありがと、おはよう」
ちょっと戸惑ったように、ブルーのパーカーの紐を引く。
「なんかシャツもズボンも、サイズ、ぴったり」
「そりゃあ、毎晩抱き締めているんだから、サイズくらいはわかるさ」
「っ……。で、でもパーカーはちょっと大きいよ」
「オーバーサイズってやつ。シルエットが柔らかくなるだろ。ふんわりとして、可愛いよ」
「かわ……っ!?」
びっくりした顔。仕方ないだろう。そう思ったんだ。照れたように、その紐を引いてくるくる指に巻いて弄る仕草……自分ではわかっていないかもしれないが、相当可愛いからな。
「ちなみに、野木沢、貯金はいくらくらいある?」
「えっとね、…………このくらい」
「へえ。結構溜め込んでいるんだな」
「だって必要経費以外に使う用途ないんだもん」
そうだろうな。ただ最低限生きるだけのことしかしていないから。俺でさえゲームに費やす時間があるというのに、こいつは何もしない時間が多すぎる。
「野木沢は趣味ってないのか」
「さあ……。昔は本を読むのが好きだったけど。引っ越す時に全部手放しちゃった。文字を追う気力もなくなっちゃって」
ああ、もう。
本棚が必要だ。本も増やしていこう。
まったく、手間がかかる……。
支度を終えると、俺はまだ戸惑っている野木沢の手を引いてショッピングセンターに連れて行く。こうでもしないと、ぱっと逃げ出してしまいそうだから、仕方ない。
「野木沢。ジャケット、こっちとこっちだったらどっちが好きだ?」
「えっ……あの」
「直感でいい」
「でも……どう着ていいかわかんないし」
「そんなものは俺がどうにかしてやる。ほら、好きなのはどっちだ」
「う、う……右っ」
何度か選ばせているうちにわかった。無頓着だから物が買えないというのもあるが、本質的な問題はそこではない。そもそも野木沢は酷く優柔不断だ、ということだ。
「炊飯器の大きさはこのくらいでいいだろうな。あとは味の差か。どちらがいいかな」
「笹原くんは?」
「俺は野木沢に聞いているんだよ」
「うー……」
「わかった、さっぱりしているのと甘いの、どっちが好きだ?」
「あ、甘いの」
「じゃあこっちだな」
いちいち、これを買ったらその後どうする、という先の心配をする。悪いことではないが、その適用範囲が細かすぎる。間食ひとつにしたってそうだ。普通のプリンと紅茶のプリンなんて、今食べたいほうを選べばいいじゃないか。近所なのだから、次に来た時に違うほうを頼めばいいだけの話だ。
「……すみません、この贅沢卵プリンと紅茶のプリンをひとつずつください」
「え」
「ほら、これで半分ずつにすれば両方食べられるだろ」
「う、うん。ありがとう」
……でも。
そうやって。
俺が。
ひとつずつ、選ばせていくたびに。
野木沢は、笑う。
なんだ?
ふんわりとした笑顔。
空っぽだったそれが、少しずつ、水が溜まっていくように、満ちていく。
……もしかして、嬉しいのだろうか。
俺が、おまえに対して何かをすることが。
…………そう、なのか?
そんなふうに色々選ばせて買い込んだ家具や家電が家に届いたのは、翌週の半ばのことだった。
もしかして、の考えは日に日に強くなっている。
うん、試してみるか。
「ただいまぁ……。あれ? いいにおい」
「おかえり。もうすぐ夕飯出来るから、待っててね」
「え……」
野木沢が、呆然とした顔でキッチンに入ってくる。それから俺の手元を覗き込んだ。
「ごはん……?」
深めの鍋の中で、間もなく焼き上がるチキンステーキがパチパチと油の音を立てる。その隣では、付け合わせのジャガイモとインゲンが片手鍋の中に出来上がっていて、奥にはスープもいい具合に温まっている。鍋だのフライパンだの、家電が届くのに合わせて追加購入したものだ。炊飯器は、さっき炊き上がったチャイムを鳴らしていた。
「……料理、出来るの?」
「実はね。さあ、早く着替えておいで」
もともと家に両親がいないことが多かったから、基礎は出来るほうだ。それに飲食店でのバイト経験もある。別に料理が好きな訳ではなかったが、彼女を繋ぎ止めるには有効だったから、ある程度レシピ数にも自信がある。
安物だが一応ちゃんとしたダイニングテーブルの上に、出来た食事を並べていく。久し振りだったけれど、なかなかうまくいったな。長袖のTシャツに着替えてきた野木沢が、ふらふらとやってくる。俺は、椅子を引いた。
「さ、座って」
ぽかんとして俺が促すまま座り、ぱちぱちと目を瞬かせながら、野木沢はテーブルの上を眺めた。
「すごい。……いただきます」
さあ、どういう反応をしてくれるかな。
ナイフで切ったチキンを、一口。
「……柔らかい。美味しい!」
ぱっと。
顔が輝いた。
「美味しい! 皮パリパリ! 美味しい! 中もじゅわってしてる! すごい! わー、たきたてごはん美味しいね、炊飯器ってやっぱり必要だったんだあ。このくらいの柔らかさ、すごく食べやすい。きっと笹原くんの水加減が上手だったんだろうな。……え、スープもすごい、これ、にんじん? すごい。綺麗だし、美味しい。にんじんの甘さがすごく上品で、塩気のバランスがすごくいいね。あ、じゃがいも、バターきいてる……ほくほくで美味しい」
どうしようかな。
……嬉しいな。
そんな顔、初めて見せてくれるじゃないか。
ふ、ふふ。
そうか、君を慰めるには、食事だったか。
ずいぶん意外だったよ。
「誰かの作ったごはんを、その人と一緒に食べるなんて……。いつぶりだろう。美味しい。嬉しい。ありがとう、笹原くん」
嬉しそうに、野木沢は笑う。
それ以来、急速に雰囲気が柔らかくなった気がする。落ち込むことはあるけれど、ひとりで勝手に落ち込むのではなく、吐き出して前に進むための行動になってきた。
それから、よく笑うようになった。俺がテレビを設置するのを不思議そうに見ていた野木沢は、俺がそこにゲーム機を繋げ始めたのを見て弾かれたように笑っていた。
「だからテレビが必要だったんだね」
だろうな、世の中の流れを知っておくことも大事だ、と言って買わせたんだから。
自分の金を使われていてもこうなんだから、俺が自分で稼いだ金で何かしてあげたら、どんな顔をするだろう。そう思って、日中はバイトに出ることにした。どうせゲームくらいしかすることはないんだ。暇を潰すにはちょうどいい。それに、ゲームは野木沢が見ている前でやりたい。今までは誰も関心を持ってくれなかったが、野木沢は後ろで見ながら「あっ」だの「わっ」だの大騒ぎする。ギャラリーがいるほうがやりがいがあるからな。
そうだ、もうひとつ変化があった。
「ただいま」
「おかえり」
帰ってきた野木沢に、そう言って腕を広げてみたことがあった。すると、野木沢は、困った顔をしてきょろきょろとあたりを窺った後、おずおずと俺の腕の中に入ってきた。可愛いよな。周りなんて何もないのに。何を気にしているんだか。
その反応が楽しくて、たまにこれをやる。そのたびに野木沢が飛び込んでくるスピードが速くなってきている気がして、面白い。今では、俺が腕を広げるよりも早く、にこにこしながら寄ってくるようになった。
……可愛い。
そう思う間隔が、少しずつ短くなってきている。
だって、仕方がないだろう。
外ではまだ薄っぺらく笑う野木沢が。
俺の前ではこんなふうに笑っている。
嬉しそうに。
にこにこと。
可愛く見えないはずがない。
もっと、もっと可愛くしたい。
世界中の宝石で飾りたい。
けれどバイトの身でそんなことは出来ないから、俺は最初のバイト代で、羽根がデザインされた白い石つきのイヤーカフを買った。
「野木沢、ちょっといいか」
すっかり着慣れた部屋着姿の野木沢が不思議そうな顔をして、ローテーブルに座る俺の向かい側にちょこんと座った。その目の前に、借りていた財布を渡す。
「……え?」
野木沢の表情がぴたりと止まる。
「これ、返すね。だいぶ自分で使ってしまった分も少しずつ返すから」
それに触れる指が、わずかに震えていた。
「あっ、……もう、いらない?」
「うん。野木沢がいない時間でバイトを始めたから、もう大丈夫だよ」
「そっ……か、……あ、の、……出て行く、準備、かな」
言って、不安そうな顔をしながらも、なんとか笑おうとする。……可愛い顔。俺も相当意地が悪いな。でもこれ以上、怖がらせるわけにもいかない。
「違うよ。日中暇だから、体力作りもかねて少し体を動かそうと思っただけだ。そうじゃないと、野木沢を一晩中可愛がってやれないだろ?」
「…………! あ、そうかぁ……」
緊張した面持ちが、一瞬にしてふんわりと笑顔になった。可愛い。俺が出て行かないと告げたことで、そんなにほっとするんだ。
「あと、それから、これ」
俺はそっと机の上にイヤーカフを置いた。
「おもちゃみたいなものだけど。バイト代で最初に買うのは、野木沢のものだって決めていたんだ。いや、全額きっかり返せって話なんだけどな。……でも、どうしても、渡したくて」
驚いた顔。それが、ゆるやかに柔らかくなっていく。
「……嬉しい。ありがとう」
「もっとちゃんとしたプレゼントは、いずれ渡すから」
「えっ?」
あれ。
俺、今、何を。
勝手に口から出た言葉だ、野木沢と一緒に疑問符が頭に浮かぶ。
いや、それは後で考えよう。
涙ぐんだ野木沢の顔が、可愛くて、どうしようもないんだ。
俺は野木沢の頬に触れた。
「……抱きたい」
野木沢は、目を細めて頷いた。
可愛い。
寝室のベッドは、ふたりが寝ても十分な大きさのあるベッド。ああ、これもバイト代で自分で買うべきだった。野木沢を抱くためのベッドなんだから。
そこに座るなり、自らシャツを脱ごうとした手を押しとどめ、そっとキスをする。その戸惑った手をシーツに押しつけてから、静かに離す。そのままじっとしている野木沢の、柔らかなシャツの中に手を入れる。ぴくりと反応が返る。暖かい肌を撫でて、指に吸い付く感触を楽しみ、それからシャツを脱がせる。
「んっ……」
可愛い乳首を小さく弾くと、噛んだ唇の間から声が漏れた。
そのまま吸い付いて、片手で野木沢の手を捕まえる。手。指を絡めるとおろおろと泳ぐ指。残りの手で下半身をまさぐると、そこは既に熱を持っている。
「もう、感じて来ちゃった?」
「ん、ぅん……」
そうだね。体はいつも素直な反応をしてくれる。
どこに触れても、嬉しそうに、もどかしそうに体をよじる。
これだけは、最初の頃からそうだった。
体は素直なのに、心はこっちを向いてくれない。
不思議な子だと思った。
でも、それが可愛い。
「一緒に擦るの、気持ちいい?」
「……ふっ、うん」
「じゃあもう挿入れてもいいかな……」
「ぅん、うん」
「準備出来るよね」
「……ん」
素直だ。
けど。
野木沢は、両手で丁寧に、俺のペニスにゴムを巻き下ろしてくる。
とても優しい指。
「自分で乗っかれるかな」
「ぁい……」
ゆるりと俺の腰に跨がる。
それから、慎重に腰を落としていく。
先端が熱い場所に触れて、そして、ゆっくりと、もっと熱い場所に導かれていく。
「ちゃんと入ったね」
「ん、ぅ、……っ、はい……ぅ」
可愛い野木沢。
俺の言う通りに動く野木沢。
…………。
なあ。
もっとして欲しいことはないの?
望むことはないの?
俺は、ゆるゆると動く野木沢の腰を、両手で掴む。
「……さ、さはぁ、くん……?」
動きを止められた野木沢が、俺を不思議そうに見下ろす。
俺が何かをすることを喜んでくれる君は。
俺が何をすれば一番喜んでくれるんだろう。
本当は何を望んでいるんだろう。
まだ俺のことを、通り過ぎていくだけの存在だと思っているのだろうか。
一過性の関係だと、割り切れなくなったのは、俺だけ?
「……野木沢は、俺に何も望まないよね」
「ぅ……? 笹原くん、っ、が、そう言ったから……」
「どうして、俺の言うことを全部聞いてくれるの?」
挿入っている場所がもどかしいだろうに、野木沢はぴくりとも動かず、俺の目をまっすぐに見ている。
「……だっ……て。そのほうが気持ちいいんでしょう……? 僕は、笹原くんが気持ちいいなら、それでいい。僕は都合のいいオモチャなんだから」
ぎぃ、と、胸の奥が軋んだ。
どうして、そこまで。
でも、だから、突破口はある。
「じゃあ、これから俺が言うことも聞いてくれるね」
「うん。いいよ。なんでも」
薄い笑顔。
執着心を捨てた君。
なんでもいい、どうでもいいと笑う君。
だけど本当は、すべてを捨てきれずに、縋ろうとする姿を知っている。
見て。
こっちを見て。
視線だけじゃない、ちゃんと見て。
そして、
「……野木沢が、本当にしてほしいこと、言って」
「え……?」
あきらかにその目が動揺する。
突然階段を踏み外したような、そんな顔。
「で、でも」
「俺の言うこと聞けるんだよね? 言ってごらん。ほら」
「だけど、そんな、わがまま言ったら、」
「大丈夫。何を聞いても、離れて行ったりしないよ。ねえ。聞かせて」
視線が揺れる。
浅い呼吸。
唇が小さく動く。
次第に、俺の腹の上に乗せた手が、ぷるぷると震えだす。
それを見ていると、あっという間に、見開かれた目に、涙がみるみる溜まっていく。
「……あのね」
震えた声。
「うん」
「た……、たくさん、ぎゅって、して、欲しい。キスもいっぱい、して」
愛されたかった、君。
それが本当の願いなんだね。
ばたばたと、綺麗な目から、涙が溢れた。
それを俺は、とても愛おしいと思った。
そうだ。
ここまで来たら、いくらなんでも誤魔化せない。
好きだ。
君が好きだ。
「野木沢」
「っあ」
俺は体を起こし、その勢いで野木沢の体をベッドに倒す。背中に手を回してぎゅっと力を籠めると、俺の背にも遠慮がちに指がかかる。わずかに離れて顔を見れば、眉根を寄せ唇を噛んで、これ以上泣かないように、必死でこらえているのがわかる。その表情すら可愛い。
その唇を、割り開くように舌を差し入れる。同時に腰を動かしてやれば、わずかに口が開くから、その隙を狙って。
「はっ、……ぅ、ん、ぐ……」
キスを求める仕草、けれど、すぐに閉じてしまうのは、……ああ。
そういうことか。
「ごめんね。もう、声、我慢しなくていいよ」
「で、も、……っん、やだ、って」
「もういい。野木沢の、声、聴きたくなったんだ。聴きたい。お願い……聴かせて」
そう伝えながら、ナカをえぐる。
「……っあ!」
好きなところだよね。ここを叩いてあげると、いつも喜んでくれる。
「あ、そ、そこぉ……っ」
「気持ちいいね」
「うん、……っぅん、きもち、ぃ……あ、ぁあっ、う」
耳元で、甘い吐息ととろけた声。
これを封じていたなんて、俺はなんてもったいないことをしていたんだろう。
「声……可愛い」
「や、そん、な、こと……っ、ん、ふぅっ、……っは、あ」
「可愛いよ……」
髪を撫でて。
腰を引き寄せて。
何度もキスを交わして。
腕の中に感じるぬくもりが、愛しい。
「……っあ、あん、っあ、さ、笹原……っく……」
「冬矢」
「んぅ……?」
澄んだ瞳を覗き込めば、きらきらと潤んで、ちゃんと視線を返してくれる。
「冬矢。俺の、名前。名前で呼んで」
野木沢は、少しびっくりした顔で。
それから。
笑った。
ふんわりと、とても綺麗な笑顔で。
「……とぉや」
ああ。
俺の名前は、こんなに美しい響きだったんだな。
泣きそうになる。
愛しい、愛おしい、俺の……。
「あおい……」
「…………っ!」
びくびく、と腕の中で震える。
熱い迸りが、白い肌の上でよりいっそう白く、胸の上下に合わせて揺れていた。
「ああ……。イッちゃったね……」
「び、びっくりした、から……? な、まえ……」
「俺も名前で呼びたい。いい?」
「……ん、うん。うん……嬉しい、……冬矢」
可愛い。
笑って頬にこぼれた涙を、俺は舌で拭う。
くすぐったそうに、さらに笑うから、その頬を捕まえて深いキスを重ねる。
「ぁおい……蒼生……」
「ん、はあっ、あ、うん、……っあ、ぁ」
「蒼生……」
「冬矢……ぁ」
融けそうだ。
気持ちいい。
頭の中までとろけていく。
このまま、すべて絡み合って、ひとつになってしまいたい。
愛おしいとはこういうことか。
腕に抱くとは、愛おしさを伝えることなのか。
俺は、初めて知った気がした。
カーテンの隙間から、柔らかな光が部屋に忍び込んでくる。もう、こんな時間か。野木沢……蒼生は、腕の中で眠そうに重い瞼をぱたぱたと瞬かせる。何度も肌を重ねたけれど、抱き締められた体勢のままでいるのを初めて見た。俺が、終わったらすぐ離してしまうせいだったのだろうか。いつもは壁際で小さくなる蒼生。それが今日は、胸元に擦り寄るようにすっぽりと収まっている。
「眠たいなら寝てもいいよ。土曜日なんだし」
ふるふる、と頭を振ると、柔らかい髪が俺の肩をくすぐった。
「寝られない。目が覚めてひとりだったら怖いから」
「考えすぎだよ」
腕を伸ばして、髪を撫でる。気持ちよさそうに仰のくのが可愛い。抱き締めるのと、キスが好きなんだったよな。ということは、触れられるのが好きなのかな。
「蒼生」
名を呼ぶと、ぱっと顔を上げる。
「何? と、冬矢」
そう言って恥ずかしそうに笑い、頬を染める。
可愛いな……。
「俺たち、毎日一緒に寝て、起きて、食事をして、また一緒に寝ているよね。えっちなこともするけど、それだけじゃなくて。一緒に買い物も行くし、ごはんも食べに行く」
「うん」
「そうやって暮らして、何か月になるかな。もう名前で呼び合う仲になったし」
「そうだね。えっと、冬矢が来たの、あれは何月だったっけ」
「……これってさ。セフレじゃなくて、恋人同士の生活なんじゃないか?」
え、と蒼生が呟く。
それから不思議そうに首を傾げた。
「僕は、冬矢のオモチャなんじゃないの?」
「……正直、最初はそう思っていた。本当にごめん」
「僕のこと、好きなの?」
まっすぐで、曇りのない目が、至近距離から俺を見上げてくる。
「好きだよ」
再び、瞬きの数が多くなる。
戸惑っているというより、心底意外だという顔だった。
きっと蒼生ならそういう反応をするだろうなと思っていた。
だから、畳みかける。
「蒼生は? 俺のこと好き?」
「僕……僕は……どうなんだろう。唯一のものをなくしちゃった僕には……そんな感情残ってるのかな……?」
そっと肩を抱く手に力を込める。
「たとえば、蒼生は最近、俺が両手を広げていると、飛び込んできてくれるだろ。あの時、何を考えてる?」
「何を……。えっと、……あー抱き締めてくれるんだぁ、嬉しいなーって」
ふっ。
無意識かもしれないが、俺の腕の中を、嬉しい場所だともう認識しているじゃないか。
「たぶん、蒼生は俺のことが好きだよ」
「……これ……好きって気持ち?」
「そう」
「そっか……」
すとんと納得したような顔。また、優しい目に涙が浮かぶ。
傷付いて泣いていた時とは違う涙。
本当の君は、こんなに泣き虫だ。
「僕、僕にもまだ、誰かを好きだって思う気持ちがあったんだ」
「誰か、じゃない。俺だよ」
「冬矢……うん、うん」
それが“誰か”であってたまるか。俺の蒼生。俺だけの蒼生だ。
「……僕……こんな僕を、好きになってくれる人がいるなんて、思ったこともなかった」
「そんな蒼生だから好きになったんだよ。それに、蒼生が好かれてるだけじゃない」
「え……」
「蒼生が俺を好きで、俺も蒼生が好きで、……両想いなんだよ」
「りょう、おもい」
「そう」
ぼろぼろ、我慢していただろうに、とうとう涙がこぼれ落ちるのが見えた。蒼生はぱっと両手で顔を覆う。
「も、もういっぱい泣いたから、絶対泣かないと思ってたのに」
俺はそっとその手を外す。子供のように泣きじゃくる、君がとても可愛いと思う。愛おしいと思う。
「大好きだよ、蒼生」
「ありが、と……っ。僕も、僕も好き……大好き……」
もう離さない。
朝方のニュースで見た天気予報は外れたようだ。1日中暖かく穏やかな日になるとの予報だったが、昼過ぎから風が強くなってきて、日が落ちると凍えるほど寒くなった。今日は予定を変えて、シチューにしよう。蒼生が好きな鶏団子を入れるかな。ああ、チーズを多めにしよう。パンは柔らかめの甘いのにしようか、塩気の効いた硬いパンにしようか。そうだ、どちらも買って分ければいい。いただきものの白ワインがあるから、あれを開けるのもいいな。
俺のほうが早く帰るから、今日の夕食は俺が作るよ、と言った時の蒼生は嬉しそうだったな。ここのところ忙しくて、お互い一緒の夕飯を取れない日が続いていたから。それでも、ちゃんと朝は一緒に食べるようにしていた。蒼生の顔を見ながら食べる食事が最低でも1日1回はないと、出せる力が半減してしまう。蒼生もそうだと笑ってくれた。
ああ、あとどれくらいで帰ってくるかな。帰宅までに食事の支度は済むだろうか。本当は今すぐにでも帰ってきてほしい。顔が見たい。まっすぐに俺だけを見て笑ってほしい。
後はパンを温めれば完成というところで、蒼生は帰ってきた。玄関の鍵を開ける音。
「冬矢ぁ、ただいまっ!」
ふにゃりととろけた可愛い顔。
朝、玄関先で分かれたところで止まっていた時間が動き出す。
「おかえり、蒼生。ごはん出来てるよ」
「わ、シチューだ。嬉しい。いい匂い、美味しそう!」
横目に鍋を眺めながら、蒼生は迷わず俺の元に早足でやってきた。走ると危ないからね。そして広げた腕を見ると、可愛い顔をいっそう輝かせて飛び込んできた。ふふ。お互いに深呼吸する。お互いの匂いで、肺の中を満たしていく。
「今日もお疲れ様」
「冬矢もお疲れ様。お仕事、慣れた?」
「もともとバイトで入っていたところだからね。正社員と言ってもまだまだだよ」
「ううん、すごいと思う。頑張ってる冬矢かっこいい」
「そうか、蒼生に言われると素直に嬉しいな」
「へへ」
にこにこの顔が、こんなに近くにある。幸せだと感じる。
「あ。そうだ、冬矢、忘れ物」
「ふ、いけないいけない。大事なことだったね。おかえりのキス」
笑って、ほんの少しだけ背伸びした蒼生に口づける。
角度を変えて、もう一度。
「それから、ただいまのキス」
「ん」
今度は、蒼生から、俺に。
嬉しい顔が、俺も嬉しい。
せっかくだから早く食べて貰いたい。俺は蒼生に着替えるよう促すと、最後の仕上げにかかった。そして出来た端からテーブルの上に並べていく。蒼生は自分も手伝うつもりだったのだろう、慌てて部屋から出てきて、きちんと仕上がったテーブルを見て口を尖らせた。
「あー、手を出す暇なかったぁ」
「あはは。じゃあ、洗い物はやってもらおうかな」
「え、ひとりで?」
「ううん。ふたりで、一緒に」
「……うん」
一緒。蒼生はそれを喜んでくれる。
そして今日のメニューも、蒼生は美味しそうに頬張った。
「んー、美味しいっ。すごいね、チーズの味がすっごく濃くて、僕の好きな味。しょっぱいパンだときりっとしてパンチがあるし、甘いパンだと後からふんわり甘さが来るのが美味しい。ああ、どっちも好き。うー、それに、冬矢の鶏団子っていつも思うけど、絶妙……。滑らか……美味しい……。またこの味がワインに合う……」
この顔を見るの、好きだな。
にこにこ嬉しそうに。
頬をいっぱいに膨らませて。
ああ、嬉しい。
蒼生、大好き。
俺がそうやってじっと眺めていることに気付いたのか、蒼生が首を傾げる。
「なぁに?」
「いや。……蒼生が、何の疑問も抱かず、俺が作って出したものを食べてる。信頼されてるんだなって思うよ」
「ん?」
「だって、俺がおかしなものを入れている可能性だってあるわけだろ」
「おかしなもの?」
「たとえば……そうだな、毒薬とか」
蒼生はきょとんとする。
俺の口からそんな単語が出てくるとは、心底思わなかったような顔。
けれど、すぐに蒼生は笑った。
噴き出すとか、馬鹿にするとか、そういう笑い方じゃなくて。
ふわっと、微笑むように。
「……その時は、最後まで抱き締めててね」
あ。
俺は、言葉を失った。
それは、……許容だ。
全面的な許容だ。
最後まで、俺といてくれる……そこまでの。
蒼生。
やっぱり、俺だけの蒼生だ。
俺だけの。
どうしたら、蒼生は俺だけを見てくれるかな。外には、蒼生の目が映す世界が広がっている。同様に、蒼生を見る目も。
世界に、俺と蒼生だけであればいいのに。
どうして他人が存在しているんだろう。
独り占めしたい。
他の誰にも見せたくない。
俺のためだけに笑っていてほしい。
……そんなことは出来ないとわかっているけれど。
そう、それに、蒼生がとろけた甘い顔を見せてくれるのは、俺だけだ。
この世界に俺だけしかいない。
とても贅沢なことだ。
これ以上を望むのはさすがにお互いにとってもよくないだろう。
「冬矢」
軽やかな足音をさせて、蒼生がキッチンにやってきた。ペールグリーンのセーターがよく似合っている。優しい雰囲気の蒼生には、綺麗な色がとてもよく合うからな。
頬に手を添えて、反対側の頬にキスすると、引き寄せられるように抱きついてきた。背中に回された指の感触が心地いい。
「どうしたの。出かける?」
「うん。文庫の新刊が出る日で、その」
ちらりと蒼生の目が鍋を見る。可愛い。なるほどね。
「ちょうどよかった。鶏肉を煮ているんだけど、あとは火を止めて余熱で仕上げるところだったんだ。よければ一緒に行ってもいいかな」
「! 一緒に行ってくれるの?」
「もちろんだよ」
顔を輝かせて、蒼生は俺の肩に額を擦り付けた。そんなに嬉しいのか。
「蒼生はあまえんぼうだね」
「……うん。そうなの。寂しがりだから」
「ふふ、知ってる」
思いもよらぬデートのお誘いだな。欲しい本はなんだろう。最近よく読んでいる小説の新作かな。それとも話題のあの本だろうか。すぐになくなるものでもないし、買いに行くのが1日2日遅くなっても問題はないはずだ。会社帰りに本屋に寄ることだってできるだろうから。もちろん、一刻も早く読みたいという気持ちもあるかもしれない。だがおそらく、そうではない。蒼生は、俺と出かける口実が欲しかったんだ。
コートを羽織る俺に、蒼生が首を傾げる。
「冬矢のコート、薄いよね。寒くないの?」
「大丈夫だよ」
「だけど風邪ひいちゃいけないから……」
蒼生は、いったん部屋に戻ると、深緑の包みを持ってきた。なんだろうと見ていると、中から薄い緑の……マフラー? それを、ふわっと俺の首に巻いた。
「えっ、これ……。まさか、俺の?」
「いつも隣を歩いてて、首元寒そうだなーって思ってたんだ。……それから、僕のセーターと、色がそっくりだなって思ったら、その時にはもう買っちゃってた」
気付いた時には、抱き締めていた。
「あ、えっと、冬矢? め、迷惑だったり……」
「しないよ。するもんか。ありがとう、蒼生、あったかいよ」
好きだ。大好きだ。こんなに愛おしい存在が、この手の中にあるなんて。
ほっとして微笑む蒼生を、このままずっと抱き締めていたい。だけど、そうしたら出かけられないね。俺は離れがたい気持ちを何とか抑え、ゆっくりと体を離した。
外に出ると、風が冷たい。でも俺には、蒼生からもらったマフラーがある。
「新刊って、何?」
「ほら、この前映画化した探偵のお話あるでしょ。あれの続編だよ」
「映画化……ああ、うん。例の分厚い小説か」
「そう。面白いけど、重い」
「ははは、たしかに重かったな。読み終わったら俺にも読ませてね」
「うん!」
駅へと向かういつもの道。隣を歩く人がいれば、その道のりは一瞬だ。いつものショッピングセンターだって、最高のデートスポットになる。ああ、幸せだ。
お目当ての新刊と、そのほかにも気になる小説を見つけた蒼生は、にこにこ顔で本を詰め込んだバッグを抱き締める。
「この勢いだと、本棚がすぐに埋まってしまいそうだな」
「う。た、たしかに」
「蒼生に本棚1つは少なかったね。使ってない部屋を書斎にしたらいいんじゃないか? もったいないだろ」
「書斎? ふふ、なんかすごい響きだあ」
楽しそうだな。うん、そうだ、そうしよう。本棚が寝室にあると、時々蒼生が起き出して、夜中に小説を読み耽っていることがあるから。寝る時は俺に集中してほしい。早速、新しい本棚を手配しなくては。
「あ、冬矢」
蒼生が俺の袖を引く。
「見て、スイートポテト、美味しそう。ねえ、おやつにしようよ」
「いいね」
楽しい。嬉しい。ずっと一緒にいたい。蒼生。
蒼生は「美味しい」とふんわりした笑顔を俺に向ける。
可愛い。可愛いね。
そっと手を握ると、柔らかく握り返してくる。
帰ったら、またたくさん抱き締めよう。
「あっ」
蒼生が小さく声を上げる。
振り返ると、小さな子が走ってきて、蒼生にぶつかるところだった。3歳くらいだろうか。よろけたその子を、蒼生が咄嗟に両手で支える。それを追ってきた母親らしき女性が、慌てて頭を下げる。
「ご、ごめんなさい!」
「いいえ、いいんですよ。大丈夫? 痛いとこない?」
「ないー」
「そっか、よかった」
「ほら、人にぶつかっちゃったら、ごめんなさいでしょ」
「ん。ごめんねさい」
ふっと蒼生の顔が緩む。まだたどたどしい言葉遣いのその子を見る目が温かい。しゃがんでちゃんとその子に対応する蒼生に、母親が首を傾げる。
「……あの?」
「え、っあ、すみません。幼馴染みのところの子がこのくらいだったなあと思って」
「ああ、なるほど、そうでしたか」
「可愛いですね」
「ありがとうございます。でも、いたずら盛りで、手が付けられないんですよ」
笑い合う声が、遠くに聞こえる。
…………あれ。
あれ。
頭の中が、無理矢理こじ開けられてかき混ぜられたような、気持ち悪さ。
蒼生……?
蒼生の頭の中には、まだ寺田がいるの?
俺以外の人間が住んでいるの?
俺だけじゃないの?
なあ、蒼生。
俺だけでいいじゃないか。
おまえを一番愛しているのは俺だよ。
世界でひとり、俺だけでいいはずだよ。
だから、おまえの目に映るのも俺だけでいいんだ。
そうだよな?
「蒼生」
俺は、寝室にいた蒼生をリビングに呼んだ。
「なに?」
可愛い笑顔で、蒼生が出てくる。
俺の蒼生。
「蒼生。俺ね。もう限界なんだ」
「え?」
「駄目なんだ。おまえが誰かを見たり、誰かの目に留まったりするのが耐えられない」
「冬矢……?」
見開かれて丸い目が、俺を見つめる。
その視線は、やがて、俺の手にある首輪に落ちていった。
綺麗だろ。
きっと似合うよ。
「もうどこにも行かないで。蒼生。俺だけの蒼生。愛してる」
蒼生は。
俺を見上げて。
穏やかで柔らかい、あたたかな笑顔を浮かべた。
落ちた涙が、一筋。
きらりと光る。
「……嬉しい。ずっと、ずっと……僕のことだけ愛してね」
…………っ。
唐突に目が覚めた。駄目だろ。それは駄目だ。蒼生は俺のものだけれど、蒼生の世界は蒼生のものだ。そこを間違ってはいけないんだ。
けれど急に不安になって、俺は腕の中で眠る蒼生の首元にそっと触れる。恐れていた無機物の感触はない、あたたかな素肌。……よかった。
蒼生は、すやすやと気持ちよさそうな寝息を立てている。そうだ、蒼生は俺の右側で寝るんだ。左で寝ることは滅多にない。だから今のは全部夢だ。冷静に考えればはっきりわかるのに。
だが、夢とは理性が及ばない現象だとして、隠れている本音を暴き出すものだとしたら……。頭の底であんなことを考えているかもしれないのだとしたら。もしかして、出会ったあの頃……蒼生に近付いていくたびに感じていた自分の仄暗い部分とは、あの行動のことだったのか? だとすれば、俺は……。
ぞっとする。怖い。俺は蒼生からそっと手を離す。
「……んー……やっ」
眠ったまま眉をひそめた蒼生が、俺の腕を掴んだ。剥がそうとすると、余計にしがみついてくる。
可愛い、でも胸が痛む。
「うぅん……冬矢ぁ……?」
寝ぼけた声がまた可愛い、でも、そんな蒼生に、俺は。
「ごめん。夢見が悪くて。ちょっと離れたほうがいいかもしれない」
「えっ」
こんなことを言ったら、悲しい顔をして縋り付いてくるだろう。さっきまでの夢の蒼生はそうだった。……けれど、現実の蒼生は、心配そうに俺の顔を見て、すっと体を引いた。
「暑かったかな。ごめんね、くっついちゃって」
ああ、そういうことじゃない。違う。頭を切り替えろ。今はもう、夢の中じゃない。
「そうじゃないんだ、今、夢の中で蒼生に酷いことをしてしまって、……自己嫌悪で反省しているところなんだ」
「夢?」
話し声に気付いたのか、蒼生の向こうから健太がのそりと顔を覗かせた。
「どうしたあ?」
「健ちゃん。冬矢がね、夢を見たって」
「夢ぇ……? なんか最近、似たような話したなぁ。……ん? もしかして?」
みるみる健太の目が覚めていくのがわかる。期待を込めた眼差しで蒼生の上にのしかかると、蒼生から「重い……」と文句が出るが、健太は構わず身を乗り出す。それ以上文句を言わない蒼生も蒼生だ。
「な、この前の蒼生の夢みたいなやつ?」
「そう。完全に、あれの続きだったな」
「続き!?」
「続編じゃねえか!」
蒼生まで、楽しそうに顔を上げる。ああ、もう。無邪気なコンビめ。
「なあ、あれからどうなった?」
あれからも何も、蒼生と俺がそれぞれに見た夢なんだ。続きといっても、ただの俺の夢に過ぎない。それに、あのラストシーンは、喜ばれるようなものじゃないんだ。
蒼生が、はっとしたようにまた心配そうな顔になって、そっと俺の手に触れた。
「……ごめんね、はしゃいじゃって。冬矢が思い出してつらいなら、聞かない」
つらい……わけじゃない。自分のことが怖い、という感覚が近いかもしれない。でも、優しい蒼生が気に病むのも嫌だな。怖がられる覚悟で……告白したほうがいいように思う。
「あまり納得出来る話じゃないかもしれないし、気分を害するかもしれないけど、それでもいい?」
「うん。この前の夢のことも、少なくとも僕は、話してよかったと思ってる」
「そうか……」
「それに、オレら登場人物なんだから、内容を教えてもらう権利があると思う!」
……へえ。
本当に健太には時々はっとさせられるな。そうか。ふたりは重要な登場人物だ。特に蒼生は、自分の夢の中で死ぬかもしれないというところで目を覚ましている。自分の生死は気になるだろう。俺の夢だとわかっていて、そこに救いを求めているのかもしれない。
「それなら、聞いてくれる? 結構はっきり覚えてるから、長いよ」
「健ちゃん、長編だって!」
「マジか! ちょっと飲み物持ってくるわ!」
……映画鑑賞のつもりか?
だが、……はは。ふたりの明るいやりとりで、少しほっとした。
健太が3人分の飲み物を持ってきてから、俺はベッドの上に座って話を始めた。ふたりも俺の前に並んで座ってそれを聞いている。細かいところはあやふやになってきているが、できるだけ詳細に。健太は頷いたりハラハラした顔をしたり、蒼生は笑ったり涙ぐんだり顔を赤らめたり、まるで本当にエンターテイメントを楽しむように俺の話を聞いた。
……だから、俺はこの話が、ただの「もしもの物語」だとすんなり消化できた。監督と脚本が蒼生と俺の、劇や映画のようなものなのだ。
蒼生の言う通りだったな。粗方話し終えると、なんだかすっとした。レポートを1本一気に書きあげたくらいの爽快感がある。ラストまで聞いたふたりの反応も「おお~」だったし。
「つまり、オレと世界から隠したくて、蒼生を監禁するって結末か」
腕を組んで、さらりと健太が言う。
「監禁とか、えっちだね」
蒼生もにこにこしている。
ふたりとも、なんでもないことのように俺の暴挙を受け止めている。
「……俺のことが怖くないの? 犯罪だけど」
思わずそう聞くと、ふたりはきょとんとして顔を見合わせた。そして蒼生は俺を不思議そうに見る。
「だって、夢でしょ。実際されたわけじゃないし。それに、本当にそうなっても、相手が冬矢なら怖くはないけど……」
「蒼生は俺に甘すぎないか」
「そういうふうに僕を育てたのは冬矢だもん」
……なるほど。
俺なら絶対大丈夫だ、と信じてくれているんだな。物事を悪い方向に受け止める蒼生が、そこまで俺を。
やりとりを聞いていた健太が、ペットボトルを傾ける。
「強引なとこはあったけど、結局どのタイミングでも蒼生が絶対に嫌がったらしなそうなとこが冬矢っぽいよな。でも……、もし、そんな結果になりかけるようなことがあったら、オレは止めるよ」
「……健太」
「え、そうなの?」
「だって、ずっと家の中にいたら運動不足になるだろ。たまには外に出たほうが健康のためにはいいって。せめて休みの日は一緒に出掛けるといいと思う」
「は?」
驚いた。わりと真剣に、彼氏からの本格的なクレームが来ると思って身構えたというのに。健太の発言は想定よりずいぶんと軽い。
……ああ、違うな。健太も、俺が実際にそんなことをするとは本気で思っていないんだ。もし仮に、本当に俺が何かをしでかすようなことがあっても、きっとこいつなら、ちゃんと俺を止めてくれるだろう。なんだか妙に安心する。
俺がそんなふうに安堵していることをまったく想像すらしていないらしい健太は、同じ調子で続けた。
「そういえばさぁ、誰だっけ? えっちの最中に突然名字呼びから名前呼びにしたら気持ちよくなるんじゃないかって言ってたの」
「……俺だな」
「冬矢か。んで、どうだった? 夢だけど」
ははっ。様々な出来事について話したはずだったが、おまえが気になるのはそこだったか。同じことを思ったらしい、横で蒼生が健太をびっくりした顔で見ている。
「……そうだな。その前と後とでは気持ちよさが全然違ったな。夢だけど」
「へー、やっぱり」
「蒼生なんか、名前を呼んだだけでイッてたよ」
「ひぇ」
蒼生がぽっと頬を染める。さてはなにか思い当たる節でもあるのだろうか。
「ってことはさー、オレら最初っから、マックスで気持ちいい状態だったのかもな!」
「なるほど、そういう論理か」
「試してみるために、いったん戻してみるってのもありかなあ」
「名字にか?」
「や、やだっ」
驚いた様子の蒼生が、両手で俺と健太の腕を引く。
「蒼生」
「寂しいから、それはやだ……。いくら気持ちよくなれても、その前に寂しくなっちゃうのは悲しいよ」
そうだな。名前で呼び合うのは、親愛の証だから。名前で呼ばれることが好きではない俺には、蒼生の気持ちがよくわかる。俺たちは、名前で呼ばせる特別な許可を与えることで、相手に歩み寄っていますよという証明をしているのだと思う。全然気にしていない健太には理解できないかもしれないが、俺が名前を呼ばせている時点で、おまえをちゃんと認めているんだからな。……まあ、蒼生のお願いだったから、ということのほうが重要だが。
「ん、わかった。それはやめような。蒼生が寂しいのは嫌だから」
健太は素直に提案を撤回し、蒼生の肩に手を回す。その手に目を落としてから、蒼生が俺に向かって手招きをした。もしかして、考えただけで寂しくなっちゃったかな。健太と反対側の隣に移動すると、蒼生は俺の腕を抱き締め、健太に寄りかかった。
「あのね。今、ふと考えちゃったんだけど。あのまま、健ちゃんと冬矢が、名字で呼び合ってバチバチしたまま仲良くならなかったらどうなってたんだろう」
「あー……そうだなぁ」
健太が唸る。
「それで、こんなにお互い仲悪いふたりなのに、そのふたりの意思を無視してまでふたりと同時に一緒にいたいのはなんで? ってところから、僕のほうが先に恋心に気付いちゃったかもしれないなって思った。でもそうなってたら、ふたりの人を同時に好きになるなんてふたりに悪いし……。僕はいなくなる道を選んだんじゃないかなって」
…………。やっぱり、蒼生はそう思うだろうな。
俺たちに対して悪いと思うのもそうだが、告げて離れられるのが怖い、だが好きだからそのままではしんどい、と考えた末に、自分を責めて早めに離れる道を選んだだろう。だから、あの時、俺たちが先に蒼生を囲い込んだ、あれは今考えても最善の方法だったのだと思う。
神妙な顔をする蒼生を、健太は笑って引き寄せる。
「けどさあ、それでオレらから逃げられたと思うか?」
俺も負けずに蒼生の腕を引く。
「逆にどんな手を使ってでも引き留めただろうな」
それでも何か考えているらしい蒼生の顔を、健太が下から覗き込んだ。
「ってか、高校入った頃、ホントにオレたちから離れようとしてた時期あっただろ」
「……っえ」
蒼生が目を見開く。
「バレてたの?」
「バレないと思ってたのかよ。オレは常に蒼生の居場所を確認してたからな。すぐふらふらいなくなるからさ~、追いかけっこの気持ちでついてってた。でもオレといるのが嫌なわけじゃなさそうだったから気にしなかったけど」
「だ、だって、ふたりともすぐ僕のとこ来るんだもん。そしたら絶対鉢合わせになるでしょ。お互いが嫌な思いしたらやだなと思って……」
なんとなくそうかなとは思っていたが、蒼生の口から聞いてはっきりした。
「蒼生は、本当に優しい子だね」
「そうだよ。オレたちのことなんか気にしないで、蒼生がしたいようにすればいいのに」
「だってぇ……」
ふふ。まあ、仕方ない。あの頃の蒼生にはそれが精一杯だっただろう。むしろ、よく頑張ってくれたと思う。今の俺たちがあるのは、蒼生が勇気を出してくれたおかげだ。
俺は、蒼生の髪にそっとキスをした。
「つまり、どんな道を選んだとしても、俺は蒼生のことを好きになって、蒼生と恋人同士になっていたってことだよ」
「冬矢……」
ほっと息を吐いた蒼生の肩から力が抜ける。
そうだ。中学で出会わなくても、高校で蒼生が逃げたとしても、最終的に俺は蒼生を手に入れただろう。接点がないのなら作ればいい。夢だろうが現実だろうが。絶対に。
大好きな蒼生。そうして手に入れたら、決して手放さない。何があろうとも、だ。
「はい」
急に健太が手を挙げた。
「なんだ」
俺と蒼生がいい雰囲気になりかけたところなんだけどな。だが俺以上に不満げな健太は、今度は俺たちと向き合う位置に座り直した。
「異議があります」
「どうぞ」
「今、どんな道でも蒼生と冬矢はくっつくんだって結論出しましたよね?」
「その通りです」
「…………オ・レ・は!?」
あ、と蒼生が声を漏らす。ちっ。気付かれたか。
「蒼生が見た夢にしても、おまえの夢も、オレの扱い酷くない!? 漫画で言ったら3コマくらいの出番しかなかったんですけど!」
「俺が見る夢におまえが出張ってたらそれはそれで気持ち悪いだろう」
「そりゃそうだけどさ! オレひとり取り残されて、すっかり除け者扱いじゃないかー!」
防音がしっかりしている部屋でよかった。夜中に大声を出すなんて、下手をしたら苦情が来るぞ。まあな、俺は絶対に蒼生と添い遂げることがわかって余裕があるから、そんな声を聞いてもなんとも思わないが。
「除け者どころか、大事な人がいるじゃないか。そっちをきちんと大切にしろよ」
「……ふふ。そうだよ、綺麗な奥さんと可愛いちびっこたちがいるんだから」
蒼生が乗って来た。うん。いいね。
「そうだな。ミディアムボブで可愛い系の奥さんだったな」
「ピンクのカーディガンをよく着てる」
「上の子が女の子で、下が男の子」
「わかる」
「なんでイメージ一致してるんだよ!」
蒼生が笑って、俺も噴き出す。
「もー! オレは蒼生が好きなのに!」
「健ちゃん、浮気は駄目だよ。本人以外の全員が可哀想だよ」
「あ……まあな、たしかにそう……って、夢の話だよな? 現実のオレは、蒼生と深ーく愛し合ってるよな!?」
「あははは、うん。間違いないよ。ごめんごめん」
「よかったー……」
心底安堵したように息を吐く健太が面白くて、俺はさらに笑ってしまう。すると、拗ねたような目がこちらを睨んできた。
「つか、夢のオレに突っ込めるか? おまえなんて、蒼生にちゃんと出会わなかったら、さらに相手とっかえひっかえの大学中退クズヒモニートになってた可能性があったってことだろ? リアルすぎてすっげぇ腑に落ちたわ」
ああ、それな。
俺も確かにそう思った。
「え、冬矢は真面目な人だし、そんなことはないんじゃない……?」
「いや、健太の言う通りだよ。我ながら何の違和感もなかった」
「おまえって、蒼生がいてくれてよかったよな」
「本当にそう思う。今、まっとうに生きられているのは蒼生のおかげだ」
蒼生は困ったように、俺たちの顔を交互に見る。そうだな、蒼生は蒼生といる時の俺しか知らないから。
自分ひとりで立つことすらしない。誰にも興味がないから、ただ流されているだけ。俺はもともとそういう人間だったんだ。俺を俺にしてくれたのは、蒼生なんだよ。
「……そ、そうなの……? 僕と出会って道を踏み外しちゃったとか思わないの……?」
「思ったことねえよ。そもそも最初からオレは蒼生と一緒だったし」
「うん。一緒に歩く道しか見えていなかったよ」
小さく、そっか、と蒼生が呟いた。
あくまで俺の夢の話だから、俺の推測にすぎないけれど。鈍感で無神経な健太と、人を平気で踏みにじる俺と、思考が極端な蒼生と……俺たちは、出会わなければそのままの大人になっていたかもしれない。それらをお互いに改善しながら、ここまで一緒に歩いてきた。やはり俺たちは出会ってよかったんだと思う。
ただ。
あの夢の中で、ひとつだけわからないことがある。
「どうしたの?」
すぐに俺の様子に気付いた蒼生が、俺の袖を引く。
「……うん。最後、夢の中で……蒼生は笑っていたけれど、泣いてもいたんだ。あの涙の意味だけがわからなくて」
蒼生は、ふんわりと笑った。
それこそなんでもないことのように。
「ああ。本当に嬉しかったんだと思うよ。夢の中の僕は、それまで誰の一番にもなれなかったから。夢の冬矢は、そんな方法を取ってまで僕を独占したいと思ってくれたんでしょう。冬矢の唯一の存在になることができて、幸せだと感じた涙なんじゃないかな」
「……本人が言うなら、そうなんだろうな」
そうか。
あの「蒼生」は、幸せだったのか……。
健太が、でもさ、と口を挟む。
「そのきっかけって、小さい子見て蒼生がオレのこと思い出したからって言ってたじゃん。本当なら、そこ、喜ぶべきとこじゃねえの? それを口にできたってことは、昔は好きだったけど、もうただの思い出になってるって証拠じゃん」
「そうだな。普通の精神状態だったら、そう思うべきところだ。その時点で夢の俺は相当おかしくなってたんだろう」
「……待って。自分で言っててしんどくなってきた。うわー、オレがただの思い出にされてる……。これは慰謝料を請求してもおかしくないところだ」
「はあ?」
健太はわざとらしくよろよろとこちらに近付くと、俺から無理矢理剥がすように蒼生を引き寄せて抱き締めた。蒼生はぱちくりと可愛い目を瞬かせる。
「可愛い可愛い恋人が大事だったら、今すぐ身代金を用意しろ!」
「えっ、今度は僕、人質!?」
これはまた……。犯罪に犯罪で返してくるとはな。
「身代金? 幾ら欲しいんだ」
「スイートポテトだ!」
…………ん?
「話の本筋に関係ないのに、食事やおやつのシーンを詳細に報告しやがって! おかげで口の中が甘いものを欲している! 特に最後のスイートポテトが印象に残っている!」
「なるほど、要求は把握した。それは今すぐにか」
「……今日のおやつとかでいい!」
「僕も! 生クリーム乗っけてください!」
ふっ……ふふふ。なんだこれは。人質も一緒に要求を始めたじゃないか。
「では、準備しよう。約束するから人質を解放しろ」
「それはできない! 可愛いからだ!」
「えっ」
蒼生がぎょっとして頭上の健太をまじまじと見る。
そうだな。
可愛いからな。
無理もない。
「わかった。ならば、こちらから行こう」
俺は勢いをつけると、蒼生に向かって飛び込んだ。
もちろん、健太を倒すつもりの勢いで。
蒼生は俺を抱き留めてくれて、楽しそうに笑っている。
案の定蒼生ごと倒れ込んだ健太は、ぶつぶつと文句を言っている。
ああ。
もうすっかり目が覚めてしまったな。
夜が明けたら、スイートポテトの材料を買いに行こう。
3人、一緒に。
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