高原 風音

ふんわりいちゃ甘な創作BL小説をメインで活動しています!
基本的にはハピエン厨というより、ハッピーに始まりハッピーに進んでハッピーに終わる、一言で言うと“始終ハッピー主義”。
主にPixivで作品を発表しており、こちらには順次再掲を行っております。現在執筆中のシリーズは3人組のゆるふわいちゃあまラブ『僕+君→Waltz!』(R-18あり)。完結済みのシリーズには、自由奔放な少年がハッピーエンドを迎えるまでのお話『初恋みたいなキスをして』(R-18)があります。
そのほか、ちまちまと短編BLを書いたりしています。
また、ここでは紹介しませんが、ファンタジー?ふうのシリーズ『碧色の軌跡』(完結済み・恋愛要素なし)やオリジナル短編などもあったりしますので、興味がありましたらぜひ。
二次創作もぼちぼちやっております。

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投稿日:2025年01月15日 21:00    文字数:29,062

75こ目;きみは至高の恋人

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3人の成人式の日と、その後のお話。
72こ目『写真の笑顔の過去と今』( https://pictbland.net/items/detail/2344256 )の続きではありますが、
単独でお読みいただいても大丈夫です。
タイトル通り、もう、恋人が自慢で自慢でどうしようもない3人のお話です。

もう一度申し上げますが、こちらの世界での成人式はハタチでございます。
↑初公開時キャプション↑
2023/01/15初公開
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
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 成人式当日は、よく晴れて穏やかな朝から始まった。気温も冬にしてはだいぶ暖かい。蒼生と外に出かける時は気候に恵まれることが多いので、健太は蒼生を晴れ男だと信じて疑わない。冬矢も健太の主張を非科学的だなと思うものの、実際にその傾向が強いので、あながち迷信でもないのかもしれないと最近思うようになった。
 会場は、家からさほど離れていないコンサートホールだった。完成したばかりのホールは、パイプオルガンのような個性的な外観をしていた。噂によれば、中もとても凝った作りなのだそうだ。時々駅の掲示板で様々な催しの告知がされており、それを見かけるたびに一度来てみたいと話していた。が、3人の趣味にぴったり合うイベントがなく、今日成人式という形で初めて訪れることとなったのだった。
「はー……」
 健太の盛大な溜め息に、蒼生と冬矢は驚いて振り向いた。
「どうしたの。何か忘れ物?」
 心配げな蒼生に、健太は慌てて首を振る。
「いやっ、ごめん! そうじゃなくて! ……蒼生のスーツ姿、すっげぇ綺麗だなーと思って」
「えっ」
 健太はもう一度はあっと息を吐いて、目の前の蒼生を頭から爪先までじっくりと眺めた。暖かく柔らかな冬の日差しの中で、コートを片腕に掛けて持つ蒼生のきりりとしたたたずまいは、まるで絵画のように美しい。元から美人で綺麗で可愛いと思っていたが、これはもはや世界規模の保護対象だ。
 ふっと冬矢が笑う。
「そうだな。また普段とは違った魅力があるね」
「ふ、ふたりとも……。写真撮る時に見てるじゃん。あの時とまるきり同じ格好なんだけど……」
「だって、やっぱ外で見るのと中で見るのは違うんだよ。本番だと気持ちも違うじゃん? そのせいもあるのかな。今日の蒼生、すっごくかっこいい。それでなくとも、毎日綺麗になってくからさ!」
「うん、わかる。昨日も可愛かったけれど、今日の蒼生も素敵だよ」
「ううう。僕はどう反応したらいいの……」
 耳まで赤く染め、蒼生は困ったようにふたりを見つめた。健太と冬矢は、凜とした顔から一転、くるりと可愛い表情になった蒼生をどうしようもなく愛おしい気持ちで見つめ返す。ホール前の広場には大勢の若者たちが集まっており、かなり賑やかだ。近くでは華やかな着物姿の女性たちがはしゃいでいて、その一部からこちらに向けて熱い視線が送られていたが、まったく3人の目には映っていないようだった。蒼生に唯一届いているのは、ふたりの視線だけだ。それがあまりに熱くて、ふいっと目をそらす。
「……そんなこと言ったら、ふたりだって、す、すごくかっこよくて、僕……っ」
「あお」
「まもなく開場となりまーす。第一部にご参加の新成人の皆様は、ゆっくりと会場ににお入りください!」
 思わず健太が伸ばしかけた手をとどめたのは、ガガッという雑音と、そのすぐ後に響いた拡声器からのアナウンスだ。健太はがくりと肩を落とし、あと数センチで届くはずだった頬に、親指だけでそっと触れる。その瞬間だけ、蒼生の表情がとろけるように緩んだ。
「ちぇ。時間だって」
「さすがに長時間表にいたら冷えるし、中に入ろうか」
「そうだね」
 ほっと息を吐く蒼生の腰を、さりげなく冬矢が抱く。と、再び蒼生が焦った顔になる。
「……あ、あの」
「おまっ、何どさくさで」
「ほら。みんな移動してる。はぐれるよ」
 たしかに、人の波がじわじわと移動を始めたようだ。そこでようやくあたりを見渡すと、同じ学校の卒業生なのだろう、盛り上がっている一群がそこかしこにいる。立ち止まっているのはそのグループだけだ。彼らには開場よりお互いとのおしゃべりが大切なのだろう。その懐かしさのあまりにひしめき合った距離感を見れば、自分たちが肩を寄せ合って歩いていたところであまり目立たないのかもしれない。納得した様子で肩から力を抜いた蒼生を、冬矢は改めて遠慮なく引き寄せる。今度は何の抵抗もないどころか、わずかに擦り寄ってくる気配がした。あまりの可愛さに頬が緩む冬矢だ。
 建物の中に入ると、そこは大きな窓からの光がまばゆい空間だった。蒼生は目を細めて、きょろきょろとあたりを見回す。壁の模様は一周で1枚の絵になっているらしい。技巧が凝らされた照明が柱とは別にあちこちに立っていて、まるでひとつの美術品の中にいるようだ。柱から天井へと繋がる模様が空間をひとつにまとめているので、ずいぶん広く感じるのだろう。正面にはどこだかわからない森の風景が描かれた横に長い絵画が掲げられており、木の彫刻が細かくそれを囲んでいるのが景色の続きのようで面白い。その下に折り畳み式の机がいくつか並んでいて、職員が何人も立っており、受付と印刷した紙が貼られていた。突然の事務的な風景に、まるで役所の窓口みたいだと思いつつ、職員に自治体から送られてきた入場券を渡す。
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
 お決まりの挨拶を交わし、受け取ったのは記念品の引換券だった。何が用意されているのかはわからないが、式の間に持っていると邪魔になるという配慮なのだろう。蒼生はその小さな紙を軽く眺めると、胸ポケットに無造作に突っ込んだ。そのままロビーを突っ切ろうとすると、健太が足を止めていることに気付く。振り向くと、健太はもらった引換券にじっと目を落としていた。
「健ちゃん、行こう」
「っあ、そうだな」
 蒼生と冬矢は目を合わせて首を傾げる。先程から、どうも健太の様子がいつもと違う。話を聞こうとした蒼生だが、その後の健太は逆にテンションを上げるように「上のとこにある木がすげえな!」「あっちの額縁見たか? あれ、全部木で掘ってある花だったな!」と、口を挟む隙をまったく見せなかった。ますます心配になる蒼生と、不審に思う冬矢だ。
 会場は天井が高く、紅のカーテンがあちこちにかかっていて、噂通りの美しいホールだった。2階の最前列と同じ高さには小部屋のような観覧席があり、見たことのない景色に蒼生はぱちぱちと目を瞬かせた。
 席はまだたくさん空いていたが、あまり舞台に近くては疲れてしまいそうなので、壇上と目線が合うくらいの高さの席を選んだ。当然のように、蒼生を挟んでふたりが座る。すると、すぐ、健太は蒼生が膝の上に置いた手をぎゅっと握った。蒼生ははっとする。
「もしかして、健ちゃん、緊張してる?」
「!」
 ぴくん、と大きな手が小さく跳ねた。冬矢はそれを覗き込んでさらに不思議そうな顔をする。
「特に緊張する必要のない場所だと思うんだがな」
「……そ、そうなんだけどさ。オレ、苦手なんだよ。偉い人が壇上に立つとかそういうやつ!」
 再び蒼生と冬矢が顔を見合わせる。たしかに今までも、式、と名前のついたイベントでは、健太はやたら高いテンションで友人たちと大騒ぎをしていた。小学生や中学生の頃、自分以外の誰かと楽しそうに騒いでいるのを見ていた蒼生は、少し寂しく思いながらも健太らしいと微笑ましくさえ思っていたのだが。まさか、あれが緊張故の饒舌だったとは。
 蒼生は小さく笑う。そもそも欠席するつもりだった蒼生を、どうしても一緒に出たいと引っ張り出したのは、他でもない健太だ。それなのに、その健太自身が緊張しているとは。いや、おそらく、だからこそだ。健太は自分でさえ苦手だと思っている場所に、蒼生を無理矢理連れてきた。だから、余計に緊張しているということなのだろう。そんな健太がたまらなく愛おしくなる。
「健ちゃん」
 手の甲に乗った健太の手はそのままに、蒼生は手のひらを上に向ける。そして、きゅっと健太の手を握り返した。
「こうしてたら大丈夫でしょ」
「あっ、蒼生……。うん。ありがと」
 自分の手を見つめた健太が、でれっと表情を崩す。
 わずかに「おにいちゃん」の顔をする蒼生を、反対側の冬矢は可愛らしいなと思いつつ、少し羨ましく思った。長い間の習慣のせいだとわかっているのだが、蒼生が兄貴風を吹かせるのは健太にだけだ。だから、式の開始時間になり会場のライトが暗くなると、空いたままの蒼生の手を冬矢も同じように握った。
「冬矢?」
「健太だけはずるいから、俺も」
「ふふ。うん」
 小声の冬矢に、蒼生はくすぐったそうに笑った。
 式の内容は、蒼生と冬矢が事前に想像したとおりのものだった。挨拶がいくつか続き、地元マーチングバンドの演奏があり、事務的な話があり、事前に立候補したという新成人数名が抱負を発表していた。また、その挨拶の言葉も、予想から大きく外れるものではなかった。そのため、ふたりにとっては少々退屈な時間だったのだが、健太には違った景色に見えていたらしい。ぎゅっと指に力が込められたので、蒼生がちらりとその横顔を見ると、やけに真剣な目をした健太が目を潤ませていた。
 途中から健太の様子ばかりが気になっていた蒼生は、式が終わって会場の外に出ると、真っ先に健太の腕をぐいっと引いて、人の流れのない端にまで連れて行く。そして、木の下でくるりと振り向くと、健太の両腕を掴んだ。
「大丈夫? 健ちゃん、式の間、ずっと考え事してたよね? なにか、つらいことでもあった?」
 健太は蒼生の心配げな顔に、またわずかに泣きそうな顔をする。
「ううん。……大人の自覚、とか、大人として、とか聞くたびにさ。そっかー、オレ、大人なんだーって。赤ちゃんの時から一緒の蒼生と、世間がひとりの大人と認めてくれるようになるまで、こうやってずーっと一緒にいられたんだーって思ったら……なんか、すげえ、感動しちゃって……」
「……健ちゃん」
 ぐっと蒼生が唇を噛む。どうやらつられて涙ぐみそうになるのをこらえているらしい。濡れそうな目を瞬きで堪え、健太の腕に置いた手に力を込めた。
「ずっと一緒にいてくれてありがとう。僕はふたりといられて本当に幸せだよ」
「ん……。うん。これからも、ずーっと3人でいような」
「うん」
 すっかり蚊帳の外だと思い込んで、少し離れた位置でふたりを見ていた冬矢は、その言葉に目を見開く。蒼生はともかく、健太も本気で自分のことをひとくくりに考えているのか。3人でいい、ではなく、3人がいいと思い始めてからずいぶん経つ。しかし、蒼生と健太が歩んできた長い時間と、自分との時間とを同等だと思っているだろう言葉を、ここまではっきり聞くとは思わなかった。その驚きと同時に、蒼生が本当に健太と冬矢をどちらも手放す気がまったくないことにほっとする。
 冬矢は見つめ合うふたりに近付くと、それぞれ肩をぽんぽんと叩いた。
「そうだね。俺も今の生活を幸せだと思うよ。……さあ、そろそろ移動しよう。健太はこの後、向こうの同窓会に出席するんだろう? 早くしないと、蒼生と食事する時間がなくなるよ」
「あっ、それはヤバい!」
「ごはんのこと、そういえば何も考えてなかったね。家に戻ると時間かかっちゃうし、どこかで食べていく?」
 言いながら、蒼生は周りを見た。おそらくどのグループも、昼にかかるこの時間で自由になったのだから、近くの飲食店に入るだろう。そう考えると、どこに行っても混みそうだ。
「なら、健太の乗り換える駅まで行こうか。そのほうが店も多いだろうしね」
「え、めちゃくちゃ遠回りになるじゃん」
「僕は賛成。健ちゃんといられる時間が増えるもん」
「あっ……好き」
 健太が胸を押さえてうずくまる。それを一瞥して、冬矢は蒼生に笑いかけた。
「そのぶん帰りの電車で蒼生といる時間を長くとれるからな。蒼生、ついでに夕飯も買って帰ろうね。せっかくふたりきりなんだ、たくさんいちゃいちゃする時間を作ろう」
「……えへへ。うん」
 はっと気が付いたように健太が顔を上げる。
「うっわ。うっわー。そーだよなそうなるよなあ! 蒼生っ、頑張って今日中に帰ってくるからな!」
「ふ、ふふ。無理しないでいいよ。ゆっくり話したいこともあるでしょ。ちゃんと楽しんで来てね」
「そうだけど、大学も始まるし……なにより蒼生に早く会いたいし、うん。頑張る」
 まだ出かける前だというのに。蒼生と冬矢は、目を合わせて笑った。
 記念品は、自治体の名前が底に刻まれている、雫に似た形のグラスだった。それはひとつだけなら、ただの置き物になってしまっただろう。けれど、3つ並べばお揃いだ。蒼生はそれが嬉しかった。

 本当に発車時間のギリギリまで蒼生のそばを離れなかった健太は、発車ベルと共に電車に飛び乗った。蒼生が隣にいないひとりきりの移動時間は、本当に驚くほど長い。それがわかっていたので、蒼生に本を1冊借りてきた。雑学の本で、読みやすく暇潰しにもってこいだと蒼生に勧められたそれは、たしかに健太でもすらすら読めて面白かった。そして何より、蒼生が今朝まで読んでいたという事実がお守り代わりになっている気がする。そっと胸に抱くと、蒼生の香りが脳内で再生されて、落ち着くと同時に胸がぎゅっとなった。
 同窓会の会場は、ターミナル駅に直結しているホテルらしい。帰るのにちょうどいいな、と思いながら駅前に出ると、冷たい風が勢いよく吹きつけてきた。突然冷蔵庫の中に放り込まれたようで、慌ててコートの前を掻き合わせる。
「お。健太だ。おーい!」
 急激に冷えて凍った気すらする耳に、慣れた声が聞こえる。正面の柵に寄りかかって立っていたのは、辻カズキ、花井タクト、笠森ヨシヒトというよくつるんでいたサッカー部の3人だ。
「うっわー。よくそんなとこに立ってられんなぁ。めちゃくちゃ寒いじゃん」
「いやいやいや、昨日よりマシだよー。健太、寒がりになった?」
「たぶん、今まであったかいとこにいたからさー」
「電車、あったかいもんな」
 もともと住んでいた町だ。この寒さには慣れていたはずだったが、離れてしまうとあっという間に忘れてしまう。できれば今すぐ蒼生を抱き締めて暖を取りたい。なのに、蒼生はそばにいない。昔から、誰かと楽しく過ごしていても、いつも蒼生がどこにいるかが気になっていた。走ってすぐに会える範囲にいれば安心できるのだが、今は確実にそれが出来ない距離にいる。ふう、と深呼吸をして気持ちを整える。大丈夫だ、蒼生は冬矢といる。寂しい思いはしていない。
「健太?」
「っ、おお、悪い悪い。えーっと、同窓会って夜からだっけ」
「そ。立食だってさ。どうせみんなでワイワイしてたらちゃんと飯食えないと思うし、適当にそのへんで食ってかない?」
「ん、そうしよ」
「したらいつものファストフードで」
「なんだ、大人になっても行くとこ変わんねえんだな!」
 顔を見合わせて大笑いする。そうだ、蒼生も楽しんできてほしいと言っていたのだ。健太は気持ちを切り替えることにした。
「そういや、タクト、ごめんな。今日の夜、付き合えなくて」
「へ?」
 もとはと言えば、彼らから中学の同窓会の後に飲まないか、と誘われたことが発端だった。成人式は自治体によっては育った地域で出ることも出来る。その制度を利用して地元の式に出て、同窓会から飲みの流れへということだったのだが、健太は蒼生と一緒に現在の居住地で出席することにした。ただそれでも、午前中の式に出れば、同窓会には間に合う。昔馴染みに会うのも楽しみだったこともあり、考えた結果、掛け持ちという手段を選んだというわけだ。
 ただ、当の本人はそれをすっかり忘れていたらしい。
「そうだっけ。……あー、言った。ごめん、たしかに言ったよ、うん。だけど結局、みんな明日からきっかり大学あるもんな。最初からちょっと無理なスケジュールだったって後で気が付いたんだ」
「もうちょっと余裕ほしいよな~」
「わかるわかる」
 笠森が自慢げにふんぞり返る。
「そんな中、うちの大学は明後日からです」
「えーっ!」
「いいなー!」
「だから、明日は彼女とデートするんだ~」
「そういえば、今付き合ってる彼女って、大学の後輩だったっけ」
 これは来るな、と健太は身構える。大学の友人には恋人の存在を公言しているが、それは合コンや紹介を避けるためであり、相手が蒼生を知らないから堂々と出来るのだ。けれど蒼生をよく知る花井たちにそれをやると、うっかりボロを出しかねない。
「健太は今、彼女いんの?」
 ほら、来た。
「オレはともかく、カズキとタクトはどうなんだよ」
 申し訳ないと思いつつ、飛んできたボールをダイレクトパスする要領で質問を返す。すると、辻がふっと目をそらした。
「おっと。こちらに聞きますか。……それが、年末に忙しくて会えなかったらぁ、クリスマスくらい一緒にいられないのかーって……」
「あー……。お疲れ様……。ってか、そうだよな! バイトだのレポートだのって意外と忙しいよな! こんなんで彼女とか作る余裕あるはずないじゃん! な、健太!」
「そう! まったくもってその通り! 授業受けて課題あって、で、そうするとバイト入れられるのって休日じゃん。そりゃ時間取られるよ、仕方ないって」
「なるほど、健太、親元離れてるんだもんな。バイトも量こなさなきゃいけないし、大変だよな」
 うん、と頷きながら小さく息を吐く。どうやらスルーしてもらえたらしい。本当は、そのバイトをこなした後で家に帰れば、可愛い可愛い大好きな恋人が出迎えてくれる。わざわざ会う時間を探さなくても、毎晩体温を感じながら一緒に眠れる。そんな、笑顔が可愛い、愛しい恋人の自慢をしたいが、あの可愛さは自分だけのものにしたいので黙っておくことにした。
「それで思い出したんだけど」
 今度は辻が身を乗り出す。
「実は、アイスアイスガールズのコンサートチケットに見事当選してさ~」
「アイス? なにそれ。ってか思い出すきっかけが意味わかんねぇよ」
「ははははは、ごめん。実はさっきから、いつ割り込もうか狙ってた! いや、あのな、今オレたちの間でブームが来てるアイドルグループなんだよ。結構人気あって、あちこちの小さなライブハウスでライブやってんだけど、全然チケット取れねえの。で、今度初めて大きなコンサートホールでライブやるっていうんで、ダメ元と思って3人分申し込んだら当たっちゃって」
「へ~」
 健太が興味を示す態度を取ったので、辻は彼女たちの特徴や経歴を得意げに話し始める。言われてみれば、そのグループ名には聞き覚えがあった。大学の友人と話をしていた時、アイドル好きの彼が今一番推していると話していたグループが、たしかそんな名前だったような気がする。音楽番組もたまにしか見ないから、すっかりその手の話題に取り残されているなあと思う。ただ、それでも詳しい友人らがこうして深く掘り下げて話してくれるから、人並み以上の知識がついてしまう。だからこれくらいの距離感で十分な気もしている。
「で、さ。せっかくだから、その時の夜、飲もうよ。泊りの予定だから、今度こそ時間あるし」
「いいな! じゃあ、日にちと時間教えて」
「えっと、まず開演の時間が~」
 言いながら携帯を取り出す。ちらりと見えた待ち受け画面は、飾りがたくさんついた服を着た女の子たちの写真だ。
「その子たち?」
「そ。わかりやすかろ? この真ん中の子がさ~……」
 どうやらまた燃料を入れてしまったようだ。健太に久方ぶりに会ったことでテンションが上がったのも手伝って、盛り上がった辻の話は終わらない。主にはまっているのは辻だけのようで、花井と笠森は歌は好きだがそこまで熱心ではないらしい。彼らにもついでに歌以外を布教しようとしているのか、次々と熱いトークが繰り広げられる。3人が派手な身振り手振りの辻を面白そうに眺めているうちに、あっという間に同窓会の時間が近付いてきた。
「ヤバいな。カズキのトークショー」
 健太がにやにやしながら辻を肘で突っつくと、辻はぺろりと舌を出して頭を掻いた。
「あはははー。面目ない。……いや、だってさぁ、好きなもののことになったら、誰でも熱くなっちゃうじゃん!」
「わかる、わかる。でも、オレが引っ越しする時に会ったっきりで、めちゃくちゃ久々に集まったってのに、熱く語られるのがアイドルの話だろ。なんか面白くてさ」
「……あ。そ、そういえば、昨日の高校サッカーの準決勝見た?」
「遅ぇよ!」
 また4人でけらけらと笑い合う。やはり、昔からの気が置けない友人とのやりとりは楽しい。もちろん大学の友人とも仲はいいのだが、部活仲間としてしんどいことも楽しいことも共に乗り越えてきた彼らは、また違う存在だ。彼らに会えただけでも、来てよかった、と思う健太だ。
 そうして大騒ぎしながらホテルに着くが、敷地に入るなり誰からともなく黙り込む。滅多に自分たちだけでは入らない高級ホテルのきっかりした雰囲気がドアのほうから押し寄せてきて、さすがに4人もはしゃいで突き進むのは違うなと背筋を伸ばした。が、そのスイッチを切り替えたようなお互いの態度のギャップに、つい笑いそうになる。なんとか我慢し、入口脇に立つにこやかなホテルマンに会釈をして自動ドアを通り、正面にあるエスカレーターで2階にある宴会場へスマートに向かう。あたりには、あちこちに華やかな格好をした男女が見えた。
「と、とりあえず、コートとか荷物預けるか」
「そ、そうだな」
 まるで笑いをこらえる勝負のようになってきた。誰も言いださないが、ここで笑ったら負け、というような暗黙の了解が視線を通じて交わされる。顔を見たら笑ってしまいそうなので、健太はクロークの列にあえて遅れて並んだ。なんとか自然に荷物を預けて、引き換え札を手にする。そして、得意げにロビーの中央にいる3人のもとに戻ろうとした時、ぽんと肩を叩かれた。
「寺田くん」
「あ、松島先生だ。お久し振りですー」
 そこにいたのは、穏やかに微笑む年嵩の男性だった。中学の3年間ずっと国語を教えてくれた教師で、健太の3年時の担任でもある。ただでさえいかつい顔をしているのに、さらに常に真面目な顔だったので、生徒達には怖い人だと思われていたようだ。だが、授業を受けるとその印象ががらりと変わる教師だった。教え方が丁寧で上手だとよく蒼生が言っていたのを覚えている。今日は笑っているので、当時よりもずいぶん柔らかいイメージだ。
「久し振り。あれから、どうしてる? 君は頑張って上の高校行ったからね」
「あー、はい。当時は本当に、ご心配をおかけしまして……。でも、おかげさまで勉強する習慣もつきました。大学もちゃんとストレートで受かりました」
「それはよかった! ……え、あの大学に? なるほど、それは頑張ったねえ」
 大学名を告げると、松島は目を見開いた。そうだろうな、と健太は納得する。健太が蒼生と同じ高校を目指すと言い出した時、さすがに無理ではないかと一度止めたのが松島だった。あの頃の成績を知っている者であれば、誰でも止めたはずだ。それを、蒼生と一緒にいたいという執念だけで健太は乗り越えた。事情を知らない松島はさぞ驚いたことだろう。
 松島がきょろきょろとあたりを見渡す。
「今日は、野木沢くんは来てないの?」
 ぶわっと背中が熱くなる。突然好きな人の名前を出されて、頭が一瞬真っ白になった。
「あ、はい、明日から大学が始まるんで。オレだけ来ました」
「大学も一緒なんだ」
「はい」
「そうかー。会いたかったなあ。ほら、あんな気遣いのできる生徒もなかなかいないでしょう。真面目で優しくて礼儀正しくて。気になったところをすぐに聞きに来てくれるところとか、本当に教え甲斐のある子だったよ」
「今もそんな感じですよ。なんか教授の部屋にもよく入り浸ってるみたいで。元気にやってます」
「だろうねえ。懐かしいなあ。僕だけじゃなくて他の先生も気にしてたんだけど、そうか、元気でやってるか。それはよかった」
 ドキドキと心臓が早鐘を打つ。驚いたが、健太といえば蒼生、という図式が教師の間でも出来上がっていたことが嬉しかった。さらに、蒼生が褒められていることが輪をかけて嬉しい。蒼生の優しさや、気になることを突き詰める好奇心も褒めてくれた。やはり、わかってくれている人はたくさんいるのだ。
 挨拶をして松島と別れ、待っていた3人のところに行くと、彼らは不思議そうにしている。
「国語の松島と健太ってそんなに仲良かったっけ?」
「んー。まあ手のかかる問題児になってたからなー。受験の時は心配かけたし。たぶん、仲いいのはオレより蒼生のほうだと思うよ」
「あ、野木沢の話してたのか。……そういや、野木沢も元気?」
「うん」
 相変わらず可愛いよ、と返しそうになって、健太はそれをぐっと飲み込んだ。お互いに蒼生のことを知っている間柄なので、ついいつもの調子で話しそうになってしまう。記憶にはないが、おそらく「可愛い」は自分の中だけにとどめていたはずだ。いや実際可愛いのだから事実を口にしてもおかしくはないとは思うものの、そこから自分たちの関係がバレてしまうのはよろしくない。それは蒼生が嫌がるからだ。自分たちの付き合い方を勝手に想像されたくないという蒼生の意見はもっともだと思うし、大事にしたい。
「じゃ、そろそろ会場入るか」
「そーだな」
「って……わー、広っ」
「お。なんかみんないるじゃん」
 両開きになったドアから宴会場に入ると、広い会場の中心にはブッフェのテーブルがずらりと並んでいた。端には椅子が並び、その手前にぽつぽつと丸いテーブルが置かれている。その入り口近くのテーブルを囲んで、かつてのサッカー部の仲間たちがわいわいと談笑していた。彼らはすぐに健太たちの姿に気が付く。
「おー! 健太じゃん! 久し振りに見た!」
「ひっさびさ~! なんかすげえ懐かしい顔がいっぱいだ~」
「俺たちは去年も同窓会やったんだけど……そっか、あれ高校のだったか」
「俺らの地域、ほとんどが同じ高校行くからなぁ。高校時代がほぼ中学の同窓会みたいなもんだし、別の高校行っちゃうと、健太みたいに会う機会が減っちゃうんだよな」
 うんうん、と全員が頷く。手近にレベルもそこそこで進学率も校風もいい高校があるので、健太たちの中学からはかなりの人数がそこに進む。特にサッカー部のレベルが高いこともあり、今周りにいるメンバーは全員その高校を選んだ。
「まさか健太が進学校に行くとは思わなかったもんな。あの時はびっくりしたよ」
「んで、今こいつ、都会の大学通ってんだぜ」
「えっ? マジで? すげえな」
「いや、都会っつっても中心部じゃないから、のどかなとこだよ。それよりリョウタだろ、なんかプロのチームに入ったって聞いたぜ。そっちのがすげえじゃん」
「まあな~」
「うわ、またこいつ、チームのバッヂ付けてきてる。こんなとこ来てないで練習行け練習!」
 どっと笑いが起きる。同じ部活にいた仲間だが、進んだ道はずいぶん違う。こうしてプロにまでなった仲間がいたり、職に就いた者や、自分のように大学生になった者もいる。サッカーを続けていたりやめてしまったり、それも様々だ。けれど、あの頃と同じように笑い合える。
「あ、始まるわ」
 輪の中の誰かが言った。健太が会場の奥に目をやると、一段高くなった小さなステージに一組の男女が上るところだった。たしか、卒業する時に同窓会委員というのを各クラスで決めたはずだ。その中から選ばれた2名が学年の同窓会を取り仕切るということだった気がする。おそらくあの2人がそれなのだろう。
 開会の挨拶と、現在の校長だというかつての物理教師の挨拶を、全員そろっておとなしく聞く。健太の脳内に、実験で器具を壊して叱られたなあという懐かしい思い出が蘇った。あの時、近くの席にいた蒼生がいち早く気付いてくれなかったら、大変なことになっていた。
 改めて会場を見渡すと、そこにいる人々はずいぶん印象が変わっているが、たしかにかつての面影があった。彼らとのやりとりを思い出そうとするたび、蒼生の顔が浮かぶ。2年間蒼生とクラスが分かれている間に付き合いのあった人もいるが、それでもその生活の中に必ず蒼生はいた。どんな時でも蒼生の姿を探していた。隙あらば蒼生のそばにいようとした。きっと、部活の仲間たちと同じ高校に進んだら、それはそれで楽しかっただろう。だが、そこに蒼生がいない生活は耐えられなかったと思う。自分の判断は、今も一切疑っていない。
 今日は挨拶を聞いてばかりだなとぼんやり思っていると、ようやく壇上の同窓会委員から開会の発声があった。
「それでは皆様、どうぞ、ご自由にご歓談を」
 その言葉と共に、周囲は大きなざわめきに包まれる。会場の端で話を聞いていた人々の塊が崩れ、ブッフェ台や別のグループに向けて散っていく。健太のいたグループも、何人かが勢いよく中央に向かって行った。外で食べてきたばかりの健太たちは、それをのんびりと見送る。
 そこに、ぽんっと健太の背中を叩く者がいる。振り返ると、鮮やかなピンク色の晴れ着が可愛らしい小柄な女子が、にこにこと笑っていた。男子はともかく、着飾って化粧をした女子は、脳内の検索に時間がかかる。だが、その結果はすぐに出てきた。
「……あ、遠藤さんだ。久し振り」
「うふふ。久し振り、寺田くん。私のこと、覚えててくれた?」
「もちろん!」
 笑って挨拶をしたが、健太はそのあとにどう繋げたらいいのかわからず、固まってしまう。
 彼女は、健太にとって初めての彼女だった。好きだなと思ったから告白して付き合ったものの、それが原因で蒼生に距離を取られることになった。幼馴染みと彼女という関係性の違いだから当然だと蒼生は言った。蒼生が言うのだから、と、いったんはそれに納得したのだ。けれど、時間が経つにつれ、彼女といて楽しいことよりも、蒼生と会えない寂しさや悲しさが膨れ上がっていった。結局、蒼生のことしか考えられなくなって、自分から別れてくれと頼んだ。自分から言い出して、自分から終わらせたのだ。後悔はしていないが、自分勝手な言い分で彼女を振り回したことは、ずっと健太の心の奥に残っている。
「あー……えーっと、その節は……」
 あれきりぎくしゃくして、卒業するまですれ違うたびにぎこちない会釈をして通り過ぎていた。それを思い出したのか、彼女はくすくすと笑った。
「やだ。まだ気にしてるんだ。もう、忘れて。あれは過去だよ。過去」
「……うん」
「あの時、どうしても心から離れない人がいるって言ってたよね。それは叶ったの?」
「うん。それに気が付けたのは、遠藤さんのおかげだと思ってる。ごめんね。ありがとう」
「もう謝らないで。何度も振られた気分になっちゃう」
「えっ! うわ、えーっと!」
 慌てる健太を見て、袖口で口元を隠し、あはは、と明るい声で笑う。そして、指に光るリングを見せてきた。透明な石が付いた綺麗なリングだ。
「寺田くんって、ほんっといい人だよね。まあ、だからお付き合いしたんだけど。でも、ほら。見て。婚約指輪。私ね、卒業したら結婚するの」
「けっ……」
 ぱちくりとそのリングを見つめる。そう聞くと、やたらとその石がぴかぴか輝いて見える。
「だからね、寺田くんとのことはホントに過去。懐かしい思い出だよ。相手の人、バイト先の社員さんなんだけど、すっごく優しい人なんだ。ふふふ、先に幸せになって見返してやろうと思って!」
「……そっか。そうかあ。よかった。おめでとう。でも、オレも、今幸せなんだ」
「じゃあ、お互い、いい思い出だね」
「うん。いい思い出」
 いい人と出会ったのなら、よかった。幸せだと笑っている姿が眩しい。健太は心底ほっとする。
「それじゃね。他の人にも自慢しに行くから」
「ん、ありがとう」
 そうしてくるりと後ろを向き、晴れ着の集団に手を振ってきゃーっと楽しそうな声を上げながら小走りに去っていく背中には、なんのわだかまりもないように見えた。
 話の内容に遠慮していたのか、遠ざかっていた花井と辻がそろりと近付いてくる。
「大丈夫だった? 恨み節?」
「そーいうんじゃなかった。遠藤さん、結婚するんだって」
「へー! ハタチでもう決まってんだ! なんかすごいなあ」
「そういう決断をする人がいても、おかしくない年齢になったってことか」
「ん。なんかしみじみしちゃうな」
 全員大人になったんだなと感傷に浸っていると、今度は向こうのほうから男女混じった一団が近付いてくるのが見えた。
「寺田くん!」
 どうやら目当ては健太らしい。辻がにやにやしながら健太を見る。
「なんだなんだ、人気だな、健太」
「おー。ありがてえけど落ち着かねえな」
 笑って、その面々に手を振る。なんだかかなりの大人数だ。見れば、女子の比率が高い。それも1年の時のクラスメイトが多いだろうか。中には顔を見たことがあるだけの子もいるようだ。
「寺田くん、久し振り! 元気そうだね」
「みんなも、変わんねえな~。ご無沙汰~!」
 のんびり挨拶を交わす。だがそこに、集団の後ろのほうから、前にいた男子をかき分けてひとりの女子がやけに神妙な面持ちをして近寄ってきた。その子も、同じクラスになったことはないが、何度も見たことがある。
「あの、寺田くんなら知ってるかな。野木沢くんの消息」
「あー」
 そういうことか、と健太は瞬時に理解する。彼女は蒼生のクラスの同窓会委員というわけだ。よく見てみれば、顔見知り程度の子たちは、蒼生のクラスメイトたちだ。なるほど、蒼生のクラスにしょっちゅう行っていたから覚えていたのか。そして何より、ここでも自分イコール蒼生という印象を彼らが抱いていることに嬉しくなる。
「ほら、同窓会の連絡、はがきで入れたでしょ。でも、野木沢くんから返事がなくて……。どうしたのかと思って連絡しようとしたんだよ。でも、携帯のメッセージグループ、バグかなんかで、クラスの連絡先から抜けちゃってるみたいで。ね」
「うん。みんなにも聞いて回ったんだけど、野木沢くんの携帯番号知ってる人、誰もいなかったんだ。だからね、先生にお願いして自宅の電話番号に電話してもらったの。そしたら、家族の人はいたんだけど、もう野木沢くんはここにいませんって切られちゃったんだって」
 軽く唾を飲み込む。事情を知らないクラスメイトたちは、当然心配するだろう。だが蒼生は、自分が今どこにいるか、どうしているかを知られるのを嫌がっている。携帯のメッセージグループだって、蒼生が自ら抜けたのを健太は知っていた。なんなら、全員に対して自分を記憶から消して欲しいと思っているらしい。健太は心の中で、無理だろ、と呟く。蒼生を案じている人たちはこんなにたくさんいる。
「……あー、うん、えっと。蒼生、実家出ちゃったから。でも、心配しないで。元気でいるよ」
 しどろもどろで伝えると、彼らはざわめいてお互いの顔を見る。自分でも、ずいぶん怪しく聞こえる発言をした自覚がある。やはり嘘は苦手だ。嘘をつかずに蒼生の情報をぼかすためには、どこまで話していいのかがわからない。すると、元彼女と向こうで話していたはずの笠森がひょいっと輪の中に首を突っ込んできた。
「健太は野木沢の居場所知ってんだろ?」
「えっ、あ、まあ。その、て、てー……き的、に? 会ってるかな~」
 あはは、と健太は笑う。毎朝届く新聞を定期便だと考えるなら、毎日顔を合わせても定期的と言っていいはずだ。だから、嘘ではない。
 だが、もちろん、それで話が終わるはずもなかった。健太が蒼生と会っているとわかれば、もっと情報を得たいと思われて当然だ。
「野木沢くん、どこにいるの!?」
「なんで家出ちゃったの? 就職? 進学?」
「写真は? 写真ないの?」
「寺田くんなら持ってるよね!?」
 女子たちが一斉に詰め寄る勢いで健太に迫る。あまりの迫力に、弾き飛ばされてしまいそうだ。
「あっ、あー、写真、写真ね。ちょっと待って」
 健太はポケットから携帯電話を取り出し、ぱたぱたとフォルダを開いていく。その中から、3人で撮った写真を1枚呼び出した。健太が手を伸ばして撮った写真なので、一番近くに笑顔の健太がいる。その向こうに、覗き込むように穏やかに笑う蒼生が。さらに隣には、澄ました顔の冬矢がいる。
「これ、この前、遊びに行った時の写真」
 健太はそれを女子たちに向かって掲げて見せた。
 しん、と静まりかえった女子たちは、その小さな画面に食い入るように注目する。それからしばらくして、じわじわと衝撃が伝わっていったように再びざわめきが広がる。
「……真ん中、野木沢くん、だよね?」
「だよね!」
「え、……野木沢くん、めちゃくちゃ美人じゃない……?」
「モデルさんみたい!」
「すっごい綺麗!」
「相変わらず優しそうだね」
「ああ、でも、ほんと、元気そう」
「よかった!」
「それにしても、美人だと思ってたけど、ねえ、もっと綺麗になったよね?」
 大騒ぎになる女子たちに、そうだろうそうだろうと健太は小さく頷く。蒼生は綺麗で美人だが、その魅力は日々更新されている。近くにいる健太でさえ毎日実感しているのだ、しばらく見ていない者たちにとってはかなりの衝撃であるはずだ。
 実は、この写真はいわゆる“仕込み”だ。健太が同窓会に出れば、当然蒼生のことを聞かれるだろうということは想像に難くなかった。その際に写真を要求されることも十分にあり得る。ならば敢えて見せてもいい写真を用意しておくほうがいい、と言ったのは冬矢だった。それには健太も同意した。何故ならば、健太の撮る写真の蒼生は、相手が健太だからということで安心しきった可愛い顔をしているからだ。それを他人に見せたくない。見せるには余りにも勿体ない。というか、見せられない写真もある。
 そこで、先日、わざわざ写真を撮りに繁華街に出かけたのだった。居住地近くで撮ると居場所が割れかねないから、遊ぶために集まるような場所で撮った方がいいというのも冬矢の案だ。冬矢も写真に写るのが好きではないはずだったが、蒼生がいるからいいのだそうだ。おそらく、健太が思うに、他人に健太とのツーショットを見せるのが嫌だったのだろう。蒼生が健太だけではなく自分のものでもあると主張したかったに違いない。加えて、映画に買い物に買い食いに、という誰もそこまでチェックはしないだろう綿密なスケジュールを立ててあちこちで写真を撮ったのは、どさくさに紛れて蒼生とデートする口実だったのではないかと思う。
 写真を見ていた女子のうちひとりが、その実行犯の姿に気が付いたらしい。
「……ねえ。ちょっと待って? これ、隣……笹原くんじゃない?」
「えっ」
「笹原くんて、あの笹原くん? ……えっ、そうだ、笹原くんじゃん!」
「うっそ、こんな優しく笑う人だった!?」
「イケメンに磨きがかかってる!」
「えっ、寺田くんって野木沢くんだけじゃなくて、笹原くんの連絡先も知ってるんだ!?」
「ああ、まあね~」
「同窓会のはがき、転居先不明で戻ってきてたから諦めてたのに……。そっか、寺田くんが接点だったとは盲点だったぁ!」
 さらに辺りは騒然とする。
 連絡先を知っているどころか、むしろ今この瞬間にふたりがどこにいるかもきっかりわかるし、おそらく家でいちゃついているのだろうなと思っているが、健太はそれをきちんと飲み込んだ。
 すると、女子の勢いに少々負けていた男子たちが割って入ってくる。
「笹原? おー、ホントだ、笹原だ!」
「えー、おまえ、笹原が野木沢にずいぶん近いからってずーっとヤキモチ妬いてたけど、一緒に遊ぶような仲になったんだな!」
 健太は目を見開く。
「……ヤキモチ!? オレ、そんなふうに見えてた!?」
「自分で気付いてなかったのかよ。そうとしか見えなかったぜ?」
「マジで?」
 自分が蒼生のところに行くのはいつものことだ。そこに蒼生に対する態度が明らかにおかしい人間がいたから、警戒していた。そうだ、蒼生の周りで妙な動きをするから苦手だったのだ。あれは蒼生を危険から守る行動だった。だというのに、周囲から見れば嫉妬に見えていたというのか。
 驚きのあまり動きを止めた健太の隣で、花井が無邪気に笑う。
「ほら、健太たち、同じ高校行ったじゃん。それで仲良くなったらしいよ。オレたち、高校の学祭行ったんだけどさ、普通に3人で仲良くしてて驚いちゃった。な、健太」
「う、うん。なんだかんだありまして……ちょっと和解したっていうか、そんな感じ」
「へえ、そうなんだ~。てっきり、一緒の高校行って、野木沢の親友の座を巡ってバチバチ争いを繰り広げてんのかと思ってた!」
「まさか、そんな大人げねえことしないって!」
 と、なんとか笑って誤魔化す。本当は、親友どころか恋人の座を争い、挙句の果てに双方合意の上で蒼生をふたりの恋人にしたのだなどと言えるわけもない。あまつさえ同じ部屋で寝食を共にし、ふたりがかりで溺愛しているとは、とてもではないが公表できない。先程の辻ではないが、熱く何時間も語ってしまいそうだからだ。ついその甘い生活を思い出してしまい、にやけそうになる頬を両手でぐいっと押さえ込んだ。
「なんだか……ふたりともめちゃくちゃモテてるんだろうな~」
 ぎくっと健太は肩を揺らす。こちらでもその話題が出たか。絶対に出る話題だろうとは思っていた。写真1枚だけでもはっきりわかるハイスペックなふたりを見ては、きっとそれを気にする者が現れる。だが、
「そりゃ彼女の1人や2人余裕でいるだろ!」
「うーん、そうだよね~」
「みんな絶対ほっとかないもんね、そりゃそうか」
「笹原はあの頃から手が早かったみたいだもんな。羨ましいよな~」
 噂話が好きな連中によって、勝手に話が進んでいく。その様子に安堵しかけたが、今度は「そんなんじゃない」が溢れそうになってくる。このままでは憶測だけで結論付けられるか、ふたりの恋愛事情について正解を知っていそうな健太に話が振られるかのどちらかだろう。蒼生は自分たちと蜜月中であるし、そもそも冬矢は蒼生に出会っていなかったからそうだったのであって、今は蒼生以外眼中にない。そう吐き出してしまいそうになって、健太はぶんっと頭を振った。この話題から離れたほうがよさそうだ。
「なあ!」
 わざとらしいほど明るく言って、隣にいた男子の肩に腕を乗せてみせる。
「蒼生と冬矢に食いつくのはわかる。ものすごーく、わかる。けど、目の前にいる寺田くんもわりとレアキャラよ? もっとオレに興味持って!?」
 場が一瞬しんとして、すぐに爆笑の渦に飲み込まれる。
「ははは、そうだよな、悪い悪い!」
「ごめんね、寺田くん見ると、野木沢くん思い出しちゃって」
「いや、うん、それは嬉しいからいいよ」
「あれが嬉しいんだ? なんか健太らしいな!」
「ちゃんとものすごく興味あるよ! 寺田くんは今どうしてるの?」
「オレは普通の大学生よ」
「へー、どこどこ?」
 そこからようやく、顔を合わせたお互いの話になっていく。健太は自分の話を面白おかしく話し、懐かしい面々の知らない話をとても楽しい気分で聞いた。
 ただ、そんなふうに言ったものの、蒼生の話で盛り上がること自体は嬉しかった。誰もが蒼生を心配し、蒼生を懐かしく思い、蒼生に会いたがっている。ほら、オレの恋人は素晴らしい人でしょう、と思うとなんとも誇らしい。しかも、これだけ人気者のふたりが自分にしか接点がないというのも、ちょっとした優越感だ。この中の誰かが蒼生と冬矢と繋がりたいと思っても、健太を通すほかないのだ。
 会は、途中でインタビューや思い出の映像などの余興を挟みながら進んでいく。そのどれもを懐かしみながら、健太はやはり「ここに蒼生がいればよかったのに」と思う。健太の思い出は、いつも蒼生と共に在った。それを振り返る時にひとりでいるのは、少し寂しい。
「……ちょっと甘いもん食べようかな」
 蒼生の甘い香りを思い出し、急に口の中がそれを欲しがるのがわかる。健太の呟きに、花井が反応した。
「あ、オレも食べる~。ここのホテル、ケーキが美味しいって有名なんだよな。いろいろ種類もあるらしいぜ」
「へー、そうなんだ」
 連れ立ってブッフェ台のほうに行くと、花井の言う通り、ケーキやゼリーなど様々な甘いものがぎっしりと並んでいる。種類がかなり豊富で、蒼生なら間違いなく迷ってしまうだろう。花井が液体状のチョコレートが滝のように流れるチョコレートファウンテンに興味を示してふらふらと歩いていくので、健太は反対にケーキの皿に向かう。どれもこれも美味しそうだ。イチゴの乗ったヨーグルトムースも、花の添えられたチーズタルトも、ココナッツがまぶされたチョコレートケーキも、きっと蒼生は好きなはずだ。
 さっきから、蒼生のことばかり考えている。いつもそうだ。目の前にいれば体中が蒼生のことを考える。離れている時は、そこに“寂しい”が加わり、他のことも考えられなくなってしまう。
「健太」
 だから、それは、雑音だった。一瞬気付かず、振り向くのが遅れた。
 振り向いた視線の先では、にやにやと笑うひょろ長い男が立っていた。たしか、安永、だったはずだ。小学校から一緒で、小6と中3の時にはクラスメイトだった。最初は小5の頃、廊下でぶつかってケンカになったのが始まりだったと思う。相手が前を見ていなかったのが原因だったので、それを主張して言い負かしたところ、何故か距離が近くなった。彼がリーダーのようになっていたグループのうち1人がゲームをたくさん持っていたので、その子の家でよく一緒に遊んだ。中学進学時にその子が他の学校に行ってからはそんなに仲良くもなかったはずだが、中3でクラスが同じになると、再び急に距離を詰めてきた。健太はそれを不思議に思っていたが、友達なのであまり深く考えず誘われるまま一緒に遊んではいた。だがそれから高校で離れて、それきり連絡もなかったから、すっかり頭の隅に追いやっていた。
「あー、久し振り。元気してた?」
「さっき聞こえたんだけど。健太、まだ野木沢なんかとつるんでんの?」
「は?」
 健太はぴたりと手を止める。自分の話を聞いていない様子はどうでもいい。なんか、と言ったか。健太にとって最も大切な蒼生のことを。
「……何が言いたいのかわかんねえけど。まだも何も、オレと蒼生を引き離せるものなんて、この世界に存在しないんじゃないかな」
「それって健太のためになるかなあ」
 下から覗き込んでくるような目を、健太は息を吐いて静かに見下ろす。やたら近付いてくるので懐かれているという感覚はあったが、こんな絡むような言い方をする奴だっただろうか。
 安永は、健太の腕の隙間に無理矢理手をねじ込んで腕を組んだ。
「気を付けたほうがいいと思うよ。健太は知らないかもしれないけど、野木沢、男と遊んでるって噂があったんだぜ。それで教師と寝て成績上げてもらってたって」
「はあ?」
「ほら、どの教師もあいつのこと気に入ってたろ。そうやって媚び売って取り入ってたんだってさ。あいつ、おまえに付きまとってたろ? へらへら人のよさそうな顔して、裏でなにしてるかわかったもんじゃない。なんかさ、嫌いな奴を蹴飛ばしたり、階段から突き落としたって話も聞いたことがあるんだよな。みんな騙されてんだよ。だから、健太も狙われてんじゃないかって心配なんだ」
 ぱし、とその腕を振り払う。頭の芯が冷え切って、やけに景色が透き通って見える。突き放される格好になった安永は、驚いたように健太を見た。
「適当な噂を流してんじゃねえよ。蒼生がそんな奴じゃないことは、オレが誰より知ってんだよ。蒼生の成績が良かったのも、先生に気に入られてたのも、蒼生がきちんと努力してたからだ。物事の上っ面しか見えてないようなおまえに蒼生のことを悪く言われる筋合いはねえんだけど」
「……っ、こっちは心配して……っ」
「だったらその心配は無用だって断言しとくわ。たとえ何があっても、オレは蒼生の側につくから」
 健太には、安永の言い分がまったくわからなかった。どこをどう見れば蒼生の姿がそんなに歪んで見えるのかが、心底理解できない。ただ、蒼生が積み上げた努力を、ひたすら薄っぺらな言葉で冒涜されるのがとにかく許せなかった。
 安永は言葉を探しているのか、ぱくぱくと口を動かす。そこから小さく聞こえてきたのは、
「……きっと、俺と健太が仲いいことを嫉妬して、そういう嫌がらせとか、」
「健太~」
 2人はぱっと声のしたほうを見る。ちょうど花井が皿を両手で持ってふらふらと歩いてくるところだった。それを見た安永は、舌打ちして踵を返し、人ごみに紛れるように去っていった。
 健太はぱちくりと瞬きをする。最後に残した言葉が、それまでと微妙に主語が変わっていたような気がする。まるで蒼生が安永に嫌がらせをしていたような口ぶりだったが、蒼生はそんな卑怯なことはしない。蒼生が本当に誰かに嫉妬したとしたら、蒼生は自己嫌悪で落ち込むだけだ。彼の話は、なにひとつ蒼生とは結びつかない。本当に、彼は何が言いたかったのだろう。
「健太?」
「おー、どした?」
 考えてもよくわからないし、考えても無駄そうだ。すっぱり忘れることにして、花井に向き直る。
「見てくれ、これを」
 言われて目を落とすと、皿の上には、どちらにも茶色い塊がこんもりと乗っていた。
「わ、なんだそれ! すげえな」
「ヤバいよ、チョコレートファウンテン……。めっちゃ楽しい。君はマシュマロが茶色い衣をまとうのを見たことがあるか!?」
「映画の煽りみたいな言い方するじゃん。あはは、すっごい量。これ、全部マシュマロ?」
「楽しくて調子に乗りました……。えっと、プチシューとバナナとイチゴも入ってる。これ、どうぞ」
「ありがと! 遠慮なくいただきます! ……あ、美味いじゃん」
「うわホントだ! けっこう食べられちゃうかも」
「なー!」
 健太もこの食べ方は経験がない。マシュマロは少し甘すぎる気がしたが、酸味のあるイチゴにはぴったりだ。きっと蒼生が喜ぶ食べ方だと思う。どこかで食べられるところはないか、後ですぐに探してみよう。誘ったら蒼生はどんな顔をするだろう。健太はわくわくしながらチョコバナナを口に運ぶ。
 やはり頭の中は愛しい蒼生でいっぱいだ。今すぐ蒼生に会いたい。蒼生の笑顔が見たい。蒼生の体温を感じたい。


 それから2週間と経たないうちに、蒼生と健太はとある駅前の銅像の下に立っていた。初めて来た駅は、当然ながら初めて見る景色で、蒼生は物珍しそうにあちこちの店の看板を眺めている。健太はといえば、携帯をにやにやしながら見つめていた。
 待ち合わせの時間だが、花井たちの姿はまだない。ライブだというから、盛り上がって時間が伸びているのかもしれない。まさか駅前待ち合わせで迷っているということはないだろう。……おそらく。少し心配になった蒼生は、健太の袖を軽く引いた。
「花井くんたちから連絡来た?」
「まだー」
「終わってないのかな。……健ちゃんは、なにか面白いものでも見てるの?」
 蒼生が首を傾げると、健太は嬉しそうにその顔を眺め、もう一度画面に目を落とす。
「じゃあ先に寝てるけど、帰ってきたら寝る時にぎゅってしてください。そうしたら帰ってきたってわかって安心するから」
「! ……っ、よっ、読み上げんのダメぇ……!」
 慌てて健太の携帯を両手で隠そうとするが、その文面は既に健太の頭の中にしっかりと刻まれている。これは同窓会の夜、ぎりぎり当日中に帰れないことが判明した時点で、謝罪と共に先に寝ていてほしいと伝えた直後に蒼生から返ってきたメッセージだ。あまりの可愛さに、電車のスピードの遅さを理不尽にももどかしく思ったものだ。
「いやあ……本当にこれ、可愛かったぁ……。言われたとおり抱き締めたら、にっこりして、おかえりーって言いながらまた寝ちゃったのも、すっごい可愛かった。ヤバい。なんでこんなに可愛いの。オレの恋人めちゃくちゃ可愛いんだけどどうしたらいい?」
「えっ、えぇ……」
「あー、こんな可愛い子、表に出していいのかな」
「そんなこと言うの、ほんと、健ちゃんと冬矢だけだからぁ……」
 そうかなあ、と呟き、健太は携帯をポケットに突っ込んだ。それから、風で少し乱れた蒼生の前髪に片手をやる。そっと梳いてやると、嬉しさを隠しきれないように頬が緩み、口元がぴくんと動く。いや、これはどう見ても可愛い。
「蒼生が一緒に来てくれて嬉しい」
 つい、思っていた言葉がこぼれ落ちる。蒼生はわずかに目を見開いて、それから笑う。
「健ちゃんの話聞いてたら、他の人と楽しそうにしてる健ちゃんを見たくなっちゃったんだ」
 あの日、正確に言えば翌日だが、健太はふたりに同窓会の出来事を、まくし立てるという表現がぴったりなほどの勢いで楽しそうに話した。たくさんの懐かしい顔と近況を報告し合ったこと、蒼生と冬矢の写真が大評判だったこと、ふたりに会いたいという声が大きかったこと。その中で最も健太の話の多くを占めていたのは、やはりサッカー部の仲間たちとのくだらないやりとりの話だった。蒼生は、その健太の顔を見ているうちに、彼らと話をする健太を久し振りに見たくなったのだ。
 だから、「飲みに誘われてて、ふたりも予定が合えばぜひって言ってた」という健太の言葉に、蒼生はすんなり頷いた。それには言い出した健太のほうが驚いていたが、すぐに喜んでくれた。残念ながら冬矢はバイトが入っていたので不参加なのだが、一応前向きに検討しただけでもすごいことだとふたりは思う。
「それにね、健ちゃんと一緒にいるのが嬉しいから」
「蒼生……」
 せっかくの機会だ、冬矢がいないなら蒼生とふたりきりの時間を楽しもう。健太はにこにこと見上げてくる蒼生の頬を両手で包み込む。お互いにすっかり冷えているが、触れ合った部分はふんわりと温かい気がした。
「健太! 野木沢!」
 そのままの体勢で、ふたりは交差点のほうを向いた。辻を先頭に、花井と笠森が信号の変わりかけた横断歩道を駆けてくる。
「おー、おつかれさん」
「花井くん、辻くん、笠森くん。お久し振り」
 3人はぜえぜえと息を切らせて、それぞれにぐったりとしながらもふたりに向かって笑った。
「野木沢だー。久し振り~」
「っ、はー、会場からダッシュはしんどかったー。やっほー」
「野木沢はひさびさ~、健太はこないだぶり~」
 その姿を見ると、健太はにやにやしながら片手を腰に当てて、わざとらしく「はぁ」と息を吐いた。
「情けねぇぞ! サッカー経験者ども!」
 辻がふてくされた顔を上げる。
「だってさあ、ライブ中、ずーっと立ってたんだぞ。そのうえ、ジャンプして、手ぇ振って、全力で声あげてきたんだっての」
「それなのに、待ち合わせに遅れちゃいけないってんで急いで来た誠実な俺らに向かってその仕打ちか!」
「あー、しんど」
「修業が足んねえよ、修業が」
 悪態を付きながらも柔らかい空気を醸し出す4人に、蒼生はなんだか嬉しくなっていた。それは健太の表情がいつもより幼いからかもしれない。大学の友人といる時にはなかなかしない顔なので、とても懐かしい気持ちでいっぱいになった。
「……それにしても」
 深呼吸をした花井が、しゃがんだ状態からふたりを見上げ、うんうんと頷く。
「やっぱり、健太の隣に野木沢がいると、なんかしっくりくるなあ」
「え?」
「だよな。なんかあるべき姿って感じ」
「見慣れちゃってたもんな」
 蒼生はぱちぱち、と目を瞬かせ、ふわりと目元を和ませる。
「そうだね。僕と健ちゃんはワンセット、だもんね」
 その笑顔を至近距離で見た3人は、明らかに動揺して目を見合わせる。はっとした健太が、花井の腕を引いて立たせ、笠森の背中をばんっと叩いた。
「店! 店行こ! 予約してくれてんだろ?」
「あ、う、うん。そうだ、時間ちょっと押してるんだっけ。急ごうぜ!」
 花井が予約をしたのは、駅からほど近い場所にある居酒屋だった。大人になったらいつか揃って居酒屋に行きたいというのが彼らの夢だったらしい。料理は適当にコースを選び、とにかく飲んで騒ぎたかったようだ。隣の席とはすだれを隔てているのみで、会話が筒抜けになりそうなのを少々心配した蒼生だが、その向こうも同様に大騒ぎしていたので、そこまで気にすることはないのだろう。
 どうやら先日会っただけでは話し足りなかったらしい。健太を含め、花井も辻も笠森もよく喋った。辻は先程のライブの興奮が抜けないらしく、あの曲が良かった、このトークが良かったとひっきりなしに語る。笠森は彼女との出会いを一方的に延々と話す。花井は今になって進路が心配になって来たと話し始めたかと思うと突然グラスを掲げて管を巻き始めた。健太も「おまえら、そのペースで大丈夫なのかよ」と言いつつ、彼らの話に相槌を打ったり突込みを入れたりしながらハイペースでグラスを傾ける。
 蒼生は、そのすべてをにこにこ笑いながら聞いていた。蒼生が穏やかに話を聞いてくれるので、ますます勢いづいたのだろう。全員よく話し、よく飲んだ。
 まず机に突っ伏したのは、健太だった。正面の辻が健太のつむじをつんつんとつつく。
「おーい。修業が足んねえぞー」
「んー……」
 それはさっきのからかいに対する反撃だったのだが、健太の反応は薄い。隣に座っていた蒼生が健太を覗き込むが、どうやらうとうとしているようだ。
「健ちゃんは、ちょっと休憩かな」
 言って笑うと、3人は手元のグラスに目を落とす。
「そうだなぁ……。ちょっと飲みすぎたかも」
「野木沢のせいだぞー、おまえといると、なんか、気分良くて飲みすぎちまう」
「ええ、僕のせい?」
 涼しい顔をした蒼生の手元には、最初に頼んだグラスが残っていた。それを見つけた笠森が、机越しにメニューを蒼生につきつける。
「野木沢もちゃんと飲め! な!」
「じゃあ、もう少しだけね」
 素直に頷き、蒼生はそれを受け取る。そこで、焼き鳥をかじる花井と目が合った。
「花井くん?」
「いや、うん。野木沢がこういうとこ来てくれるの、嬉しーなって思ってさ。飯とか、誘ってもあんまり来てくれなかったじゃん」
「あー……」
 きゅっとメニューの角を掴む。人と付き合うのが苦手だったから、誰かと食事というのはさらに輪をかけて不得意だった。他の人と違って、自分には自ら提供する話題がない。つまらない自分が露呈するのが、想像するだけで怖かった。ただ、
「健ちゃんとみんなの時間を邪魔したら悪いと思って。健ちゃんは、僕といると僕を優先しちゃうでしょ」
 それも本音だ。健太には、自分にとらわれることなく自由でいてほしかった。
「だから、ごめんね。今日もサッカー部の仲間の中に入れてもらっちゃって」
 蒼生がそう言うと、全員が全員、勢い良く首を振る。
「そんなことないって! むしろ、オレら、野木沢に会いたかったんだってば」
「僕に?」
「そ。だって健太はこの前会ったし。そこであんな仲いい写真見せられたらさ、野木沢と笹原に会いたいって思っちゃってもしょうがねえよ。なー」
「そうそう。笹原は今日残念だったけどな! まあ、俺らの予定が急すぎたって話だ」
「同窓会ん時、みんなして健太に、おまえらに会わせろ~ってすげえ大合唱だったんだぜ」
 蒼生は、きょとんとして、並んだ3人を見る。すっかり酔っ払って、適当なことを話しているのだろうと思う。が、嘘ではないのかもしれない。そんなこともあるのだろうか、と、蒼生は戸惑いながらそっと皿の端を擦った。
 もちろん、3人に嘘はない。本気で蒼生に会いたいと思って呼び出したのだから、当然そんな蒼生の様子には気付くはずもなかった。勢いに乗った辻が、ぐいっと体を乗り出す。
「やっぱさー、野木沢はいいよ。すっげぇいい。和むもん」
「え、えぇ……」
「わかるー」
「癒し系なんだよなあ。健太が独り占めしたくなる気持ちもなんかわかる」
「いっつもいっつも、健太ばっかり狡いよな!」
「……あの、僕を褒めても何も出ないよ」
 蒼生はもぞもぞと座り直す。どう反応していいか困って隣を見るが、頼りの健太はむにゃむにゃとなんだか気持ちよさそうだ。
「え……っと、その、あの、……そうだ。みんな、冬矢にもびっくりしてたでしょう」
 心の中で冬矢にごめんなさい、と謝る。自分のいないところで話題に出されたらいい気分はしないだろう。後できちんと顔を合わせて謝らなければいけない。だが、自分のことから話題を反らしたいのと同時に、冬矢がどう噂をされていたのかを聞きたい気持ちが抑えられなかった。
「あー。笹原な! うん。女子連中すごかったな」
「おお。さんざ冷たいとか怖そうとか言ってたのになー。かっこいいの会いたいの実は付き合ってただの、すごかったのなんのって」
 とりあえず、最後の一言は聞かなかったことにする。確かに健太が見せたというあの写真は、角度や表情にこだわって何テイクも撮り直した写真だ。すまして笑う冬矢は、見慣れている蒼生でも眩しすぎて一瞬目をそらしたほどだった。あの日は他にもたくさん撮影したが、どの写真を見せてもきっと誰もが同じ反応をしただろう。
「ほら、俺たちは、高校ん時いったん会ってるじゃん? 物腰柔らかくて人当たりよくて、なあ」
「マジであの笹原に会わせてみたいよ。絶対キャーだけじゃ済まねえだろ」
「だろうなー。ファンとかめちゃ増えそう。俺も中学の頃は近寄りがたい奴だと思ってたけど、なんか、優しそうだったもん。んで、実際のところどうなの?」
 話を振られて、嬉しくて胸がぎゅっとなる。そうだ。冬矢は優しい。中学時代の誰もが知らないことが、本当にもったいないと思っていた。そうだよ、と立ち上がって熱弁したいが、堪えてこほんと咳払いをする。
「うん。すっごく優しいよ。頭がいいからいろんなことを先回りで考えてくれて、喜びそうなことを綿密に計画してくれたりするんだ。それに、とにかく真面目で、一途で」
「へー。一途、かあ。あ、ってことは、彼女いるんだ」
「……恋人、いるよ。すごく、すごく、大切にしてる……」
 花井は目を見開き、辻は呼吸を忘れ、笠森は自分でもよくわからずに生唾を飲み込んだ。グラスを両手で包み込み、そこにそっと視線を落とす蒼生の姿は、昔からよく知る友人とはずいぶん雰囲気が違っていた。もっと、さらりと笑うと思っていた。穏やかで優しいイメージばかりが印象的だった。こんな、甘い雰囲気を醸し出すタイプだっただろうか。
「えっと……。なんか、野木沢って色っぽいよな」
「へ? 何言ってるの、辻くん」
 ぱっと顔を上げた蒼生は、いつも通りのやわらかな笑顔だ。笠森は慌てて辻の背をばんばんと叩く。
「あっ、アレだっ、な、きっと、みんな大人になったから、な! そういう階段上っちゃったみたいな、アレ! そりゃ色気も出るよな!」
「どうした笠森、なんでそんな動揺してんの?」
「や、えーと……。そ、そうだ、この近くって有名な風俗街なんだろ? せっかくだから行ってみない?」
「え、いーなあ」
 辻がにやりと笑う。それを聞いた蒼生はなんだか複雑な気分になった。笠森は中学からだが、花井と辻は小学生の頃から知っている。定義で言えば彼らも幼馴染みの範疇に入るはずだ。そんな彼らから性的な店の話が出るのは、なんだか気まずい感じがする。花井が少し引いたように2人を見ているのが救いと言えば救いだが。
 その花井が、困ったように蒼生を見た。
「とか言ってるけど。野木沢はどうする?」
「僕はそういうの、いいや」
 すると、花井はほっとしたように息を吐いた。
「そっか。野木沢って今でも潔癖なんだなあ。ちょっと安心しちゃった」
 どうやら花井とは感覚が似ているようだ。蒼生もほっとする。
 しかし、「潔癖」か。たしかに彼らの色恋の話に加わることは絶対しなかったし、彼らのほうも蒼生に色っぽい話を振ることはなかった。それがそう思われていたからなのだとしたら合点がいく。そして今でもそう扱ってくれるのなら、余計な言い訳をせずに済むのでとても助かるな、と蒼生は思った。
 だがすっかり乗り気の笠森と辻は、腕を伸ばして健太の肩をふたりがかりで叩く。
「な! 健太! おまえは行くだろ!」
「んぁ……?」
 小さく顔を上げて薄く目を開けた健太は、2人の期待を込めた眼差しを見ると、がばっと体を起こした。
「オレにはぁ! 蒼生がいるから!」
「えっ」
 ぎくりと蒼生が体を固める。向かいの3人は、ぽかんと健太を見つめている。蒼生の焦りをよそに、健太はふにゃりと笑うと、そのまま蒼生の首に腕を絡めるように縋り付いた。
「なー、あおぃー」
「っ」
 蒼生ははっとして、笠森たちに柔らかな笑顔を見せると、ぽんぽんと健太の頭を撫でる。
「あはは。もう、健ちゃん、完全に酔っ払っちゃってるみたい。会話になってないや。ちょっと今夜は無理そうだね。また正気の時に誘ってあげて」
「やだー、蒼生がいいー」
 3人は我に返ったように、ぷっと噴き出す。
「ホントだ。何話してんのかわかってねえな、こりゃ」
「あっははは、でっかい赤ちゃんじゃん」
「だよな、さっきからベロベロだったもんね」
 安堵の息を吐いて、蒼生は3人に笑いかけた。
「たぶん、みんなとおしゃべりしながら飲めて楽しかったから、飲み過ぎちゃったのかも」
 そう言うと、それぞれが嬉しそうな顔をする。彼らもこの時間が本当に楽しかったのだろう。
「あ」
 声をあげた花井が、蒼生に向かってちょいちょいと手招きをする。蒼生が顔を近付けると、花井はちらっと健太を見てから蒼生に耳打ちするように言った。
「こんな甘えん坊な健太だけどさ。この前、かっこよかったんだぜ」
「この前?」
「同窓会の時。なんか、野木沢が話題の中心になってたのをやっかんだらしい奴が、健太にウザ絡みしてたみたいでさ。何言われてたかはわかんないんだけど。そしたら、健太、めっちゃ真面目な顔で言ったんだよ。オレと野木沢を引き離せる奴なんかこの世に存在しない、たとえ何があっても野木沢の側にいるーって。オレ、なんか感動しちゃって」
「…………。そっか。それは、かっこいいね」
「な。健太には、オレが聞いてたこと内緒にしといて。盗み聞きしちゃって悪かったなって思ってるから」
「うん」
 そうか、と蒼生は首に抱きついたままの健太を見つめる。相手が誰だか知らないが、健太は遠くにいても、蒼生を守ってくれるのか。嬉しい。なんて愛おしい。
 泣きそうになって、蒼生はぱっと顔を上げた。
「みんなもそろそろ飲み過ぎだよ。いろんなことに興味があるのはいいと思うけど、その状態でどこに行っても今日は無理じゃないかな」
「なるほど、さっきからぐらんぐらんするのはそのせいか」
「それはダメだね。ホテルまで送るから。ちゃんと今日は早く休んでください」
「はーい」
 ぴしっと3人が揃って、返事と共に手を挙げた。遅れて健太が「ふぁい」とひらひら手を振ったので、テーブルはまた明るい笑いで包まれた。

 3人とは、ホテルの玄関先で別れた。
「また遊びに来るからな! 今度は1日きっかり遊ぼうな!」
「今度は笹原も呼ぼうぜ~」
「それじゃあな~」
「おまえらも気を付けろよ~」
「おやすみなさい、またね」
 まだ話し足りない様子の3人を、無理矢理挨拶で言いくるめるようにホテルの中に押し込む。いつまでも振り返って手を振る姿は、小さい頃と変わらない。健太と蒼生は笑って手を振り返した。
 そのあたりまでは、健太の意識もはっきりしていた。そこで蒼生とふたりきりになったことで、気が抜けてしまったのだろう。帰りの電車では、健太が眠らないように立っていたのだが、健太は蒼生の腕に捕まりながらずっとうとうとしていた。
「健ちゃん、もうちょっと頑張ってね」
「んー。蒼生……好き」
「うん。僕もだよ。だからもうちょっと。ね」
「ん」
 健太も頑張っていたようだ。励ましながら、最寄り駅で降り、商店街の終わりまではなんとか自力で歩いていた。が、そこでふいに足を縺れさせたかと思うと、蒼生にもたれかかって動きを止めてしまった。
「け、健ちゃ……っ」
 抱きとめて、ふたりで転ぶのだけはなんとか避けられた。しかし、それ以上はこの体勢ではどうにもならない。なんとか側にあった定食屋のベンチに座らせることには成功したが、そこからが問題だ。
「どうしよう……」
 すっかり寝こけて気持ちよさそうな健太を見下ろし、蒼生は困り果ててしまった。肩を貸して歩くのも、健太が寝ていては無理だ。抱き上げることも難しい。だが、このまま冬空の下に健太を置いておく訳にはいかない。なんとかしなければ。ぎりぎり、背負うことならできるだろうか。そうすれば、自力でなんとか。
 そこまで考えて、はっとした。
 そうだ。
 蒼生は急いで携帯を取り出すと、履歴の一番最初の番号に電話をかける。ぷつり、とそれはすぐに繋がった。
『蒼生?』
「冬矢ぁ……助けて」
『っ、どうした!? 今すぐに行くから』
「あの、ね、健ちゃんが寝ちゃって、僕ひとりじゃ運べないの」
『……そうか、じゃあ蒼生がケガしているとか具合が悪いとかじゃないね?』
「うん」
『よかった。健太も今のところ無事?』
「うん」
『そこで待っててね。なるべく寒くないようにするんだよ』
 電話はそこで切れた。おそらく冬矢はすぐにふたりの居場所を調べているだろう。蒼生はほおっと息を吐き、それが白くかき消えるのを見てから、健太の隣に座り込んだ。隣にいれば、少しは暖かいだろう。それから首元が寒そうなのに気付き、自分の首から取ったばかりのマフラーを巻き付ける。それ以外にできることは、と考え、健太の体をぎゅっと抱き締める。まだわずかに通行人がいて、ちらちらとこちらを見る者もいたが、健太が寒くなければどうということもない。
 そうして健太の鼓動を聞きながら待っていると、程なく息を切らした冬矢が現れた。
「冬矢」
 蒼生の安心した声に、冬矢も胸を撫で下ろす。無事な姿を見るまでは、どうしても心配だった。
「おまたせ、蒼生。……ああ、すっかり潰れているな」
「呼び出しちゃってごめんね。ちょっとひとりじゃ自信がなくて」
 申し訳なさそうに上目遣いでこちらを見る蒼生の髪を、冬矢は優しく撫でる。
「蒼生が謝ることじゃないよ。それは明日にでも潰れている健太から聞くさ。……むしろ俺は嬉しいんだよ。蒼生が、ちゃんと俺を頼ってくれたから」
「……うん」
「ちゃんと頼れて、いい子だね」
 髪を、頬を、耳を、ゆっくり撫でると、蒼生はくすぐったそうに笑う。いつもよりほんのわずかに高い声。
「何かいいことがあったのかな」
 冬矢が聞くと、蒼生はびっくりして「なんでわかるんだろ」と呟く。そして、冬矢の片手に自分の手を重ねた。
「あのね。みんな、健ちゃんと冬矢のこと褒めててね。それが嬉しかったんだ。こんなに素晴らしいふたりが僕の恋人なんだって思うと、すごく誇らしくて」
 嬉しそうにふんわりと笑う。冬矢も、愛おしさが溢れてきて、思わず蒼生をぎゅっと抱き締めた。
「ふふ。あったかい」
「……きっと俺たちがそう見てもらえるのは、蒼生という自慢の恋人がいるからだよ」
「え?」
 突然健太が、ばっと顔を上げる。
「そうだよ! 蒼生は最高の恋人なんだ!」
 驚いてふたりが見ると、健太は満足げに視線を返し、再びかくんと首を落とした。
「……びっくりしたぁ」
「どうせならそのまま起きればよかったんだがな」
 顔を見合わせ、ふたりは苦笑する。その時、冬矢が蒼生の首筋に紅い跡があるのに気が付いた。
「蒼生。首にキスマークが付いてる」
「へ? ああ、さっき、健ちゃんが酔っ払って抱き着いてきた時になんかくすぐったかったの、それかぁ」
「まったく。仕方ない奴だ。とっとと運ぶか……」
 溜め息をついて、冬矢は健太の肩の下に腕を回す。蒼生も反対側から同じように支えた。
「ふたりがかりでも重いね」
「何かしてやらないと気が済まないな。いっそ、その跡を俺がたくさん増やしてやろうか。それで、どれが自分の付けた跡か当てさせるのも面白いな」
「ふ、ふふ。じゃ、帰ったらいっぱい付けてね」
「もちろん。少なくとも、やきもちは妬かせられそうだな」
 くすくす、と、忍び笑いが夜の住宅街に消えていく。それを両耳で聞く健太は、むにゃむにゃと幸せそうな寝息を立てるのだった。

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    02月12日 21:30 〜 01月01日 00:00
75こ目;きみは至高の恋人
1 / 1

 成人式当日は、よく晴れて穏やかな朝から始まった。気温も冬にしてはだいぶ暖かい。蒼生と外に出かける時は気候に恵まれることが多いので、健太は蒼生を晴れ男だと信じて疑わない。冬矢も健太の主張を非科学的だなと思うものの、実際にその傾向が強いので、あながち迷信でもないのかもしれないと最近思うようになった。
 会場は、家からさほど離れていないコンサートホールだった。完成したばかりのホールは、パイプオルガンのような個性的な外観をしていた。噂によれば、中もとても凝った作りなのだそうだ。時々駅の掲示板で様々な催しの告知がされており、それを見かけるたびに一度来てみたいと話していた。が、3人の趣味にぴったり合うイベントがなく、今日成人式という形で初めて訪れることとなったのだった。
「はー……」
 健太の盛大な溜め息に、蒼生と冬矢は驚いて振り向いた。
「どうしたの。何か忘れ物?」
 心配げな蒼生に、健太は慌てて首を振る。
「いやっ、ごめん! そうじゃなくて! ……蒼生のスーツ姿、すっげぇ綺麗だなーと思って」
「えっ」
 健太はもう一度はあっと息を吐いて、目の前の蒼生を頭から爪先までじっくりと眺めた。暖かく柔らかな冬の日差しの中で、コートを片腕に掛けて持つ蒼生のきりりとしたたたずまいは、まるで絵画のように美しい。元から美人で綺麗で可愛いと思っていたが、これはもはや世界規模の保護対象だ。
 ふっと冬矢が笑う。
「そうだな。また普段とは違った魅力があるね」
「ふ、ふたりとも……。写真撮る時に見てるじゃん。あの時とまるきり同じ格好なんだけど……」
「だって、やっぱ外で見るのと中で見るのは違うんだよ。本番だと気持ちも違うじゃん? そのせいもあるのかな。今日の蒼生、すっごくかっこいい。それでなくとも、毎日綺麗になってくからさ!」
「うん、わかる。昨日も可愛かったけれど、今日の蒼生も素敵だよ」
「ううう。僕はどう反応したらいいの……」
 耳まで赤く染め、蒼生は困ったようにふたりを見つめた。健太と冬矢は、凜とした顔から一転、くるりと可愛い表情になった蒼生をどうしようもなく愛おしい気持ちで見つめ返す。ホール前の広場には大勢の若者たちが集まっており、かなり賑やかだ。近くでは華やかな着物姿の女性たちがはしゃいでいて、その一部からこちらに向けて熱い視線が送られていたが、まったく3人の目には映っていないようだった。蒼生に唯一届いているのは、ふたりの視線だけだ。それがあまりに熱くて、ふいっと目をそらす。
「……そんなこと言ったら、ふたりだって、す、すごくかっこよくて、僕……っ」
「あお」
「まもなく開場となりまーす。第一部にご参加の新成人の皆様は、ゆっくりと会場ににお入りください!」
 思わず健太が伸ばしかけた手をとどめたのは、ガガッという雑音と、そのすぐ後に響いた拡声器からのアナウンスだ。健太はがくりと肩を落とし、あと数センチで届くはずだった頬に、親指だけでそっと触れる。その瞬間だけ、蒼生の表情がとろけるように緩んだ。
「ちぇ。時間だって」
「さすがに長時間表にいたら冷えるし、中に入ろうか」
「そうだね」
 ほっと息を吐く蒼生の腰を、さりげなく冬矢が抱く。と、再び蒼生が焦った顔になる。
「……あ、あの」
「おまっ、何どさくさで」
「ほら。みんな移動してる。はぐれるよ」
 たしかに、人の波がじわじわと移動を始めたようだ。そこでようやくあたりを見渡すと、同じ学校の卒業生なのだろう、盛り上がっている一群がそこかしこにいる。立ち止まっているのはそのグループだけだ。彼らには開場よりお互いとのおしゃべりが大切なのだろう。その懐かしさのあまりにひしめき合った距離感を見れば、自分たちが肩を寄せ合って歩いていたところであまり目立たないのかもしれない。納得した様子で肩から力を抜いた蒼生を、冬矢は改めて遠慮なく引き寄せる。今度は何の抵抗もないどころか、わずかに擦り寄ってくる気配がした。あまりの可愛さに頬が緩む冬矢だ。
 建物の中に入ると、そこは大きな窓からの光がまばゆい空間だった。蒼生は目を細めて、きょろきょろとあたりを見回す。壁の模様は一周で1枚の絵になっているらしい。技巧が凝らされた照明が柱とは別にあちこちに立っていて、まるでひとつの美術品の中にいるようだ。柱から天井へと繋がる模様が空間をひとつにまとめているので、ずいぶん広く感じるのだろう。正面にはどこだかわからない森の風景が描かれた横に長い絵画が掲げられており、木の彫刻が細かくそれを囲んでいるのが景色の続きのようで面白い。その下に折り畳み式の机がいくつか並んでいて、職員が何人も立っており、受付と印刷した紙が貼られていた。突然の事務的な風景に、まるで役所の窓口みたいだと思いつつ、職員に自治体から送られてきた入場券を渡す。
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
 お決まりの挨拶を交わし、受け取ったのは記念品の引換券だった。何が用意されているのかはわからないが、式の間に持っていると邪魔になるという配慮なのだろう。蒼生はその小さな紙を軽く眺めると、胸ポケットに無造作に突っ込んだ。そのままロビーを突っ切ろうとすると、健太が足を止めていることに気付く。振り向くと、健太はもらった引換券にじっと目を落としていた。
「健ちゃん、行こう」
「っあ、そうだな」
 蒼生と冬矢は目を合わせて首を傾げる。先程から、どうも健太の様子がいつもと違う。話を聞こうとした蒼生だが、その後の健太は逆にテンションを上げるように「上のとこにある木がすげえな!」「あっちの額縁見たか? あれ、全部木で掘ってある花だったな!」と、口を挟む隙をまったく見せなかった。ますます心配になる蒼生と、不審に思う冬矢だ。
 会場は天井が高く、紅のカーテンがあちこちにかかっていて、噂通りの美しいホールだった。2階の最前列と同じ高さには小部屋のような観覧席があり、見たことのない景色に蒼生はぱちぱちと目を瞬かせた。
 席はまだたくさん空いていたが、あまり舞台に近くては疲れてしまいそうなので、壇上と目線が合うくらいの高さの席を選んだ。当然のように、蒼生を挟んでふたりが座る。すると、すぐ、健太は蒼生が膝の上に置いた手をぎゅっと握った。蒼生ははっとする。
「もしかして、健ちゃん、緊張してる?」
「!」
 ぴくん、と大きな手が小さく跳ねた。冬矢はそれを覗き込んでさらに不思議そうな顔をする。
「特に緊張する必要のない場所だと思うんだがな」
「……そ、そうなんだけどさ。オレ、苦手なんだよ。偉い人が壇上に立つとかそういうやつ!」
 再び蒼生と冬矢が顔を見合わせる。たしかに今までも、式、と名前のついたイベントでは、健太はやたら高いテンションで友人たちと大騒ぎをしていた。小学生や中学生の頃、自分以外の誰かと楽しそうに騒いでいるのを見ていた蒼生は、少し寂しく思いながらも健太らしいと微笑ましくさえ思っていたのだが。まさか、あれが緊張故の饒舌だったとは。
 蒼生は小さく笑う。そもそも欠席するつもりだった蒼生を、どうしても一緒に出たいと引っ張り出したのは、他でもない健太だ。それなのに、その健太自身が緊張しているとは。いや、おそらく、だからこそだ。健太は自分でさえ苦手だと思っている場所に、蒼生を無理矢理連れてきた。だから、余計に緊張しているということなのだろう。そんな健太がたまらなく愛おしくなる。
「健ちゃん」
 手の甲に乗った健太の手はそのままに、蒼生は手のひらを上に向ける。そして、きゅっと健太の手を握り返した。
「こうしてたら大丈夫でしょ」
「あっ、蒼生……。うん。ありがと」
 自分の手を見つめた健太が、でれっと表情を崩す。
 わずかに「おにいちゃん」の顔をする蒼生を、反対側の冬矢は可愛らしいなと思いつつ、少し羨ましく思った。長い間の習慣のせいだとわかっているのだが、蒼生が兄貴風を吹かせるのは健太にだけだ。だから、式の開始時間になり会場のライトが暗くなると、空いたままの蒼生の手を冬矢も同じように握った。
「冬矢?」
「健太だけはずるいから、俺も」
「ふふ。うん」
 小声の冬矢に、蒼生はくすぐったそうに笑った。
 式の内容は、蒼生と冬矢が事前に想像したとおりのものだった。挨拶がいくつか続き、地元マーチングバンドの演奏があり、事務的な話があり、事前に立候補したという新成人数名が抱負を発表していた。また、その挨拶の言葉も、予想から大きく外れるものではなかった。そのため、ふたりにとっては少々退屈な時間だったのだが、健太には違った景色に見えていたらしい。ぎゅっと指に力が込められたので、蒼生がちらりとその横顔を見ると、やけに真剣な目をした健太が目を潤ませていた。
 途中から健太の様子ばかりが気になっていた蒼生は、式が終わって会場の外に出ると、真っ先に健太の腕をぐいっと引いて、人の流れのない端にまで連れて行く。そして、木の下でくるりと振り向くと、健太の両腕を掴んだ。
「大丈夫? 健ちゃん、式の間、ずっと考え事してたよね? なにか、つらいことでもあった?」
 健太は蒼生の心配げな顔に、またわずかに泣きそうな顔をする。
「ううん。……大人の自覚、とか、大人として、とか聞くたびにさ。そっかー、オレ、大人なんだーって。赤ちゃんの時から一緒の蒼生と、世間がひとりの大人と認めてくれるようになるまで、こうやってずーっと一緒にいられたんだーって思ったら……なんか、すげえ、感動しちゃって……」
「……健ちゃん」
 ぐっと蒼生が唇を噛む。どうやらつられて涙ぐみそうになるのをこらえているらしい。濡れそうな目を瞬きで堪え、健太の腕に置いた手に力を込めた。
「ずっと一緒にいてくれてありがとう。僕はふたりといられて本当に幸せだよ」
「ん……。うん。これからも、ずーっと3人でいような」
「うん」
 すっかり蚊帳の外だと思い込んで、少し離れた位置でふたりを見ていた冬矢は、その言葉に目を見開く。蒼生はともかく、健太も本気で自分のことをひとくくりに考えているのか。3人でいい、ではなく、3人がいいと思い始めてからずいぶん経つ。しかし、蒼生と健太が歩んできた長い時間と、自分との時間とを同等だと思っているだろう言葉を、ここまではっきり聞くとは思わなかった。その驚きと同時に、蒼生が本当に健太と冬矢をどちらも手放す気がまったくないことにほっとする。
 冬矢は見つめ合うふたりに近付くと、それぞれ肩をぽんぽんと叩いた。
「そうだね。俺も今の生活を幸せだと思うよ。……さあ、そろそろ移動しよう。健太はこの後、向こうの同窓会に出席するんだろう? 早くしないと、蒼生と食事する時間がなくなるよ」
「あっ、それはヤバい!」
「ごはんのこと、そういえば何も考えてなかったね。家に戻ると時間かかっちゃうし、どこかで食べていく?」
 言いながら、蒼生は周りを見た。おそらくどのグループも、昼にかかるこの時間で自由になったのだから、近くの飲食店に入るだろう。そう考えると、どこに行っても混みそうだ。
「なら、健太の乗り換える駅まで行こうか。そのほうが店も多いだろうしね」
「え、めちゃくちゃ遠回りになるじゃん」
「僕は賛成。健ちゃんといられる時間が増えるもん」
「あっ……好き」
 健太が胸を押さえてうずくまる。それを一瞥して、冬矢は蒼生に笑いかけた。
「そのぶん帰りの電車で蒼生といる時間を長くとれるからな。蒼生、ついでに夕飯も買って帰ろうね。せっかくふたりきりなんだ、たくさんいちゃいちゃする時間を作ろう」
「……えへへ。うん」
 はっと気が付いたように健太が顔を上げる。
「うっわ。うっわー。そーだよなそうなるよなあ! 蒼生っ、頑張って今日中に帰ってくるからな!」
「ふ、ふふ。無理しないでいいよ。ゆっくり話したいこともあるでしょ。ちゃんと楽しんで来てね」
「そうだけど、大学も始まるし……なにより蒼生に早く会いたいし、うん。頑張る」
 まだ出かける前だというのに。蒼生と冬矢は、目を合わせて笑った。
 記念品は、自治体の名前が底に刻まれている、雫に似た形のグラスだった。それはひとつだけなら、ただの置き物になってしまっただろう。けれど、3つ並べばお揃いだ。蒼生はそれが嬉しかった。

 本当に発車時間のギリギリまで蒼生のそばを離れなかった健太は、発車ベルと共に電車に飛び乗った。蒼生が隣にいないひとりきりの移動時間は、本当に驚くほど長い。それがわかっていたので、蒼生に本を1冊借りてきた。雑学の本で、読みやすく暇潰しにもってこいだと蒼生に勧められたそれは、たしかに健太でもすらすら読めて面白かった。そして何より、蒼生が今朝まで読んでいたという事実がお守り代わりになっている気がする。そっと胸に抱くと、蒼生の香りが脳内で再生されて、落ち着くと同時に胸がぎゅっとなった。
 同窓会の会場は、ターミナル駅に直結しているホテルらしい。帰るのにちょうどいいな、と思いながら駅前に出ると、冷たい風が勢いよく吹きつけてきた。突然冷蔵庫の中に放り込まれたようで、慌ててコートの前を掻き合わせる。
「お。健太だ。おーい!」
 急激に冷えて凍った気すらする耳に、慣れた声が聞こえる。正面の柵に寄りかかって立っていたのは、辻カズキ、花井タクト、笠森ヨシヒトというよくつるんでいたサッカー部の3人だ。
「うっわー。よくそんなとこに立ってられんなぁ。めちゃくちゃ寒いじゃん」
「いやいやいや、昨日よりマシだよー。健太、寒がりになった?」
「たぶん、今まであったかいとこにいたからさー」
「電車、あったかいもんな」
 もともと住んでいた町だ。この寒さには慣れていたはずだったが、離れてしまうとあっという間に忘れてしまう。できれば今すぐ蒼生を抱き締めて暖を取りたい。なのに、蒼生はそばにいない。昔から、誰かと楽しく過ごしていても、いつも蒼生がどこにいるかが気になっていた。走ってすぐに会える範囲にいれば安心できるのだが、今は確実にそれが出来ない距離にいる。ふう、と深呼吸をして気持ちを整える。大丈夫だ、蒼生は冬矢といる。寂しい思いはしていない。
「健太?」
「っ、おお、悪い悪い。えーっと、同窓会って夜からだっけ」
「そ。立食だってさ。どうせみんなでワイワイしてたらちゃんと飯食えないと思うし、適当にそのへんで食ってかない?」
「ん、そうしよ」
「したらいつものファストフードで」
「なんだ、大人になっても行くとこ変わんねえんだな!」
 顔を見合わせて大笑いする。そうだ、蒼生も楽しんできてほしいと言っていたのだ。健太は気持ちを切り替えることにした。
「そういや、タクト、ごめんな。今日の夜、付き合えなくて」
「へ?」
 もとはと言えば、彼らから中学の同窓会の後に飲まないか、と誘われたことが発端だった。成人式は自治体によっては育った地域で出ることも出来る。その制度を利用して地元の式に出て、同窓会から飲みの流れへということだったのだが、健太は蒼生と一緒に現在の居住地で出席することにした。ただそれでも、午前中の式に出れば、同窓会には間に合う。昔馴染みに会うのも楽しみだったこともあり、考えた結果、掛け持ちという手段を選んだというわけだ。
 ただ、当の本人はそれをすっかり忘れていたらしい。
「そうだっけ。……あー、言った。ごめん、たしかに言ったよ、うん。だけど結局、みんな明日からきっかり大学あるもんな。最初からちょっと無理なスケジュールだったって後で気が付いたんだ」
「もうちょっと余裕ほしいよな~」
「わかるわかる」
 笠森が自慢げにふんぞり返る。
「そんな中、うちの大学は明後日からです」
「えーっ!」
「いいなー!」
「だから、明日は彼女とデートするんだ~」
「そういえば、今付き合ってる彼女って、大学の後輩だったっけ」
 これは来るな、と健太は身構える。大学の友人には恋人の存在を公言しているが、それは合コンや紹介を避けるためであり、相手が蒼生を知らないから堂々と出来るのだ。けれど蒼生をよく知る花井たちにそれをやると、うっかりボロを出しかねない。
「健太は今、彼女いんの?」
 ほら、来た。
「オレはともかく、カズキとタクトはどうなんだよ」
 申し訳ないと思いつつ、飛んできたボールをダイレクトパスする要領で質問を返す。すると、辻がふっと目をそらした。
「おっと。こちらに聞きますか。……それが、年末に忙しくて会えなかったらぁ、クリスマスくらい一緒にいられないのかーって……」
「あー……。お疲れ様……。ってか、そうだよな! バイトだのレポートだのって意外と忙しいよな! こんなんで彼女とか作る余裕あるはずないじゃん! な、健太!」
「そう! まったくもってその通り! 授業受けて課題あって、で、そうするとバイト入れられるのって休日じゃん。そりゃ時間取られるよ、仕方ないって」
「なるほど、健太、親元離れてるんだもんな。バイトも量こなさなきゃいけないし、大変だよな」
 うん、と頷きながら小さく息を吐く。どうやらスルーしてもらえたらしい。本当は、そのバイトをこなした後で家に帰れば、可愛い可愛い大好きな恋人が出迎えてくれる。わざわざ会う時間を探さなくても、毎晩体温を感じながら一緒に眠れる。そんな、笑顔が可愛い、愛しい恋人の自慢をしたいが、あの可愛さは自分だけのものにしたいので黙っておくことにした。
「それで思い出したんだけど」
 今度は辻が身を乗り出す。
「実は、アイスアイスガールズのコンサートチケットに見事当選してさ~」
「アイス? なにそれ。ってか思い出すきっかけが意味わかんねぇよ」
「ははははは、ごめん。実はさっきから、いつ割り込もうか狙ってた! いや、あのな、今オレたちの間でブームが来てるアイドルグループなんだよ。結構人気あって、あちこちの小さなライブハウスでライブやってんだけど、全然チケット取れねえの。で、今度初めて大きなコンサートホールでライブやるっていうんで、ダメ元と思って3人分申し込んだら当たっちゃって」
「へ~」
 健太が興味を示す態度を取ったので、辻は彼女たちの特徴や経歴を得意げに話し始める。言われてみれば、そのグループ名には聞き覚えがあった。大学の友人と話をしていた時、アイドル好きの彼が今一番推していると話していたグループが、たしかそんな名前だったような気がする。音楽番組もたまにしか見ないから、すっかりその手の話題に取り残されているなあと思う。ただ、それでも詳しい友人らがこうして深く掘り下げて話してくれるから、人並み以上の知識がついてしまう。だからこれくらいの距離感で十分な気もしている。
「で、さ。せっかくだから、その時の夜、飲もうよ。泊りの予定だから、今度こそ時間あるし」
「いいな! じゃあ、日にちと時間教えて」
「えっと、まず開演の時間が~」
 言いながら携帯を取り出す。ちらりと見えた待ち受け画面は、飾りがたくさんついた服を着た女の子たちの写真だ。
「その子たち?」
「そ。わかりやすかろ? この真ん中の子がさ~……」
 どうやらまた燃料を入れてしまったようだ。健太に久方ぶりに会ったことでテンションが上がったのも手伝って、盛り上がった辻の話は終わらない。主にはまっているのは辻だけのようで、花井と笠森は歌は好きだがそこまで熱心ではないらしい。彼らにもついでに歌以外を布教しようとしているのか、次々と熱いトークが繰り広げられる。3人が派手な身振り手振りの辻を面白そうに眺めているうちに、あっという間に同窓会の時間が近付いてきた。
「ヤバいな。カズキのトークショー」
 健太がにやにやしながら辻を肘で突っつくと、辻はぺろりと舌を出して頭を掻いた。
「あはははー。面目ない。……いや、だってさぁ、好きなもののことになったら、誰でも熱くなっちゃうじゃん!」
「わかる、わかる。でも、オレが引っ越しする時に会ったっきりで、めちゃくちゃ久々に集まったってのに、熱く語られるのがアイドルの話だろ。なんか面白くてさ」
「……あ。そ、そういえば、昨日の高校サッカーの準決勝見た?」
「遅ぇよ!」
 また4人でけらけらと笑い合う。やはり、昔からの気が置けない友人とのやりとりは楽しい。もちろん大学の友人とも仲はいいのだが、部活仲間としてしんどいことも楽しいことも共に乗り越えてきた彼らは、また違う存在だ。彼らに会えただけでも、来てよかった、と思う健太だ。
 そうして大騒ぎしながらホテルに着くが、敷地に入るなり誰からともなく黙り込む。滅多に自分たちだけでは入らない高級ホテルのきっかりした雰囲気がドアのほうから押し寄せてきて、さすがに4人もはしゃいで突き進むのは違うなと背筋を伸ばした。が、そのスイッチを切り替えたようなお互いの態度のギャップに、つい笑いそうになる。なんとか我慢し、入口脇に立つにこやかなホテルマンに会釈をして自動ドアを通り、正面にあるエスカレーターで2階にある宴会場へスマートに向かう。あたりには、あちこちに華やかな格好をした男女が見えた。
「と、とりあえず、コートとか荷物預けるか」
「そ、そうだな」
 まるで笑いをこらえる勝負のようになってきた。誰も言いださないが、ここで笑ったら負け、というような暗黙の了解が視線を通じて交わされる。顔を見たら笑ってしまいそうなので、健太はクロークの列にあえて遅れて並んだ。なんとか自然に荷物を預けて、引き換え札を手にする。そして、得意げにロビーの中央にいる3人のもとに戻ろうとした時、ぽんと肩を叩かれた。
「寺田くん」
「あ、松島先生だ。お久し振りですー」
 そこにいたのは、穏やかに微笑む年嵩の男性だった。中学の3年間ずっと国語を教えてくれた教師で、健太の3年時の担任でもある。ただでさえいかつい顔をしているのに、さらに常に真面目な顔だったので、生徒達には怖い人だと思われていたようだ。だが、授業を受けるとその印象ががらりと変わる教師だった。教え方が丁寧で上手だとよく蒼生が言っていたのを覚えている。今日は笑っているので、当時よりもずいぶん柔らかいイメージだ。
「久し振り。あれから、どうしてる? 君は頑張って上の高校行ったからね」
「あー、はい。当時は本当に、ご心配をおかけしまして……。でも、おかげさまで勉強する習慣もつきました。大学もちゃんとストレートで受かりました」
「それはよかった! ……え、あの大学に? なるほど、それは頑張ったねえ」
 大学名を告げると、松島は目を見開いた。そうだろうな、と健太は納得する。健太が蒼生と同じ高校を目指すと言い出した時、さすがに無理ではないかと一度止めたのが松島だった。あの頃の成績を知っている者であれば、誰でも止めたはずだ。それを、蒼生と一緒にいたいという執念だけで健太は乗り越えた。事情を知らない松島はさぞ驚いたことだろう。
 松島がきょろきょろとあたりを見渡す。
「今日は、野木沢くんは来てないの?」
 ぶわっと背中が熱くなる。突然好きな人の名前を出されて、頭が一瞬真っ白になった。
「あ、はい、明日から大学が始まるんで。オレだけ来ました」
「大学も一緒なんだ」
「はい」
「そうかー。会いたかったなあ。ほら、あんな気遣いのできる生徒もなかなかいないでしょう。真面目で優しくて礼儀正しくて。気になったところをすぐに聞きに来てくれるところとか、本当に教え甲斐のある子だったよ」
「今もそんな感じですよ。なんか教授の部屋にもよく入り浸ってるみたいで。元気にやってます」
「だろうねえ。懐かしいなあ。僕だけじゃなくて他の先生も気にしてたんだけど、そうか、元気でやってるか。それはよかった」
 ドキドキと心臓が早鐘を打つ。驚いたが、健太といえば蒼生、という図式が教師の間でも出来上がっていたことが嬉しかった。さらに、蒼生が褒められていることが輪をかけて嬉しい。蒼生の優しさや、気になることを突き詰める好奇心も褒めてくれた。やはり、わかってくれている人はたくさんいるのだ。
 挨拶をして松島と別れ、待っていた3人のところに行くと、彼らは不思議そうにしている。
「国語の松島と健太ってそんなに仲良かったっけ?」
「んー。まあ手のかかる問題児になってたからなー。受験の時は心配かけたし。たぶん、仲いいのはオレより蒼生のほうだと思うよ」
「あ、野木沢の話してたのか。……そういや、野木沢も元気?」
「うん」
 相変わらず可愛いよ、と返しそうになって、健太はそれをぐっと飲み込んだ。お互いに蒼生のことを知っている間柄なので、ついいつもの調子で話しそうになってしまう。記憶にはないが、おそらく「可愛い」は自分の中だけにとどめていたはずだ。いや実際可愛いのだから事実を口にしてもおかしくはないとは思うものの、そこから自分たちの関係がバレてしまうのはよろしくない。それは蒼生が嫌がるからだ。自分たちの付き合い方を勝手に想像されたくないという蒼生の意見はもっともだと思うし、大事にしたい。
「じゃ、そろそろ会場入るか」
「そーだな」
「って……わー、広っ」
「お。なんかみんないるじゃん」
 両開きになったドアから宴会場に入ると、広い会場の中心にはブッフェのテーブルがずらりと並んでいた。端には椅子が並び、その手前にぽつぽつと丸いテーブルが置かれている。その入り口近くのテーブルを囲んで、かつてのサッカー部の仲間たちがわいわいと談笑していた。彼らはすぐに健太たちの姿に気が付く。
「おー! 健太じゃん! 久し振りに見た!」
「ひっさびさ~! なんかすげえ懐かしい顔がいっぱいだ~」
「俺たちは去年も同窓会やったんだけど……そっか、あれ高校のだったか」
「俺らの地域、ほとんどが同じ高校行くからなぁ。高校時代がほぼ中学の同窓会みたいなもんだし、別の高校行っちゃうと、健太みたいに会う機会が減っちゃうんだよな」
 うんうん、と全員が頷く。手近にレベルもそこそこで進学率も校風もいい高校があるので、健太たちの中学からはかなりの人数がそこに進む。特にサッカー部のレベルが高いこともあり、今周りにいるメンバーは全員その高校を選んだ。
「まさか健太が進学校に行くとは思わなかったもんな。あの時はびっくりしたよ」
「んで、今こいつ、都会の大学通ってんだぜ」
「えっ? マジで? すげえな」
「いや、都会っつっても中心部じゃないから、のどかなとこだよ。それよりリョウタだろ、なんかプロのチームに入ったって聞いたぜ。そっちのがすげえじゃん」
「まあな~」
「うわ、またこいつ、チームのバッヂ付けてきてる。こんなとこ来てないで練習行け練習!」
 どっと笑いが起きる。同じ部活にいた仲間だが、進んだ道はずいぶん違う。こうしてプロにまでなった仲間がいたり、職に就いた者や、自分のように大学生になった者もいる。サッカーを続けていたりやめてしまったり、それも様々だ。けれど、あの頃と同じように笑い合える。
「あ、始まるわ」
 輪の中の誰かが言った。健太が会場の奥に目をやると、一段高くなった小さなステージに一組の男女が上るところだった。たしか、卒業する時に同窓会委員というのを各クラスで決めたはずだ。その中から選ばれた2名が学年の同窓会を取り仕切るということだった気がする。おそらくあの2人がそれなのだろう。
 開会の挨拶と、現在の校長だというかつての物理教師の挨拶を、全員そろっておとなしく聞く。健太の脳内に、実験で器具を壊して叱られたなあという懐かしい思い出が蘇った。あの時、近くの席にいた蒼生がいち早く気付いてくれなかったら、大変なことになっていた。
 改めて会場を見渡すと、そこにいる人々はずいぶん印象が変わっているが、たしかにかつての面影があった。彼らとのやりとりを思い出そうとするたび、蒼生の顔が浮かぶ。2年間蒼生とクラスが分かれている間に付き合いのあった人もいるが、それでもその生活の中に必ず蒼生はいた。どんな時でも蒼生の姿を探していた。隙あらば蒼生のそばにいようとした。きっと、部活の仲間たちと同じ高校に進んだら、それはそれで楽しかっただろう。だが、そこに蒼生がいない生活は耐えられなかったと思う。自分の判断は、今も一切疑っていない。
 今日は挨拶を聞いてばかりだなとぼんやり思っていると、ようやく壇上の同窓会委員から開会の発声があった。
「それでは皆様、どうぞ、ご自由にご歓談を」
 その言葉と共に、周囲は大きなざわめきに包まれる。会場の端で話を聞いていた人々の塊が崩れ、ブッフェ台や別のグループに向けて散っていく。健太のいたグループも、何人かが勢いよく中央に向かって行った。外で食べてきたばかりの健太たちは、それをのんびりと見送る。
 そこに、ぽんっと健太の背中を叩く者がいる。振り返ると、鮮やかなピンク色の晴れ着が可愛らしい小柄な女子が、にこにこと笑っていた。男子はともかく、着飾って化粧をした女子は、脳内の検索に時間がかかる。だが、その結果はすぐに出てきた。
「……あ、遠藤さんだ。久し振り」
「うふふ。久し振り、寺田くん。私のこと、覚えててくれた?」
「もちろん!」
 笑って挨拶をしたが、健太はそのあとにどう繋げたらいいのかわからず、固まってしまう。
 彼女は、健太にとって初めての彼女だった。好きだなと思ったから告白して付き合ったものの、それが原因で蒼生に距離を取られることになった。幼馴染みと彼女という関係性の違いだから当然だと蒼生は言った。蒼生が言うのだから、と、いったんはそれに納得したのだ。けれど、時間が経つにつれ、彼女といて楽しいことよりも、蒼生と会えない寂しさや悲しさが膨れ上がっていった。結局、蒼生のことしか考えられなくなって、自分から別れてくれと頼んだ。自分から言い出して、自分から終わらせたのだ。後悔はしていないが、自分勝手な言い分で彼女を振り回したことは、ずっと健太の心の奥に残っている。
「あー……えーっと、その節は……」
 あれきりぎくしゃくして、卒業するまですれ違うたびにぎこちない会釈をして通り過ぎていた。それを思い出したのか、彼女はくすくすと笑った。
「やだ。まだ気にしてるんだ。もう、忘れて。あれは過去だよ。過去」
「……うん」
「あの時、どうしても心から離れない人がいるって言ってたよね。それは叶ったの?」
「うん。それに気が付けたのは、遠藤さんのおかげだと思ってる。ごめんね。ありがとう」
「もう謝らないで。何度も振られた気分になっちゃう」
「えっ! うわ、えーっと!」
 慌てる健太を見て、袖口で口元を隠し、あはは、と明るい声で笑う。そして、指に光るリングを見せてきた。透明な石が付いた綺麗なリングだ。
「寺田くんって、ほんっといい人だよね。まあ、だからお付き合いしたんだけど。でも、ほら。見て。婚約指輪。私ね、卒業したら結婚するの」
「けっ……」
 ぱちくりとそのリングを見つめる。そう聞くと、やたらとその石がぴかぴか輝いて見える。
「だからね、寺田くんとのことはホントに過去。懐かしい思い出だよ。相手の人、バイト先の社員さんなんだけど、すっごく優しい人なんだ。ふふふ、先に幸せになって見返してやろうと思って!」
「……そっか。そうかあ。よかった。おめでとう。でも、オレも、今幸せなんだ」
「じゃあ、お互い、いい思い出だね」
「うん。いい思い出」
 いい人と出会ったのなら、よかった。幸せだと笑っている姿が眩しい。健太は心底ほっとする。
「それじゃね。他の人にも自慢しに行くから」
「ん、ありがとう」
 そうしてくるりと後ろを向き、晴れ着の集団に手を振ってきゃーっと楽しそうな声を上げながら小走りに去っていく背中には、なんのわだかまりもないように見えた。
 話の内容に遠慮していたのか、遠ざかっていた花井と辻がそろりと近付いてくる。
「大丈夫だった? 恨み節?」
「そーいうんじゃなかった。遠藤さん、結婚するんだって」
「へー! ハタチでもう決まってんだ! なんかすごいなあ」
「そういう決断をする人がいても、おかしくない年齢になったってことか」
「ん。なんかしみじみしちゃうな」
 全員大人になったんだなと感傷に浸っていると、今度は向こうのほうから男女混じった一団が近付いてくるのが見えた。
「寺田くん!」
 どうやら目当ては健太らしい。辻がにやにやしながら健太を見る。
「なんだなんだ、人気だな、健太」
「おー。ありがてえけど落ち着かねえな」
 笑って、その面々に手を振る。なんだかかなりの大人数だ。見れば、女子の比率が高い。それも1年の時のクラスメイトが多いだろうか。中には顔を見たことがあるだけの子もいるようだ。
「寺田くん、久し振り! 元気そうだね」
「みんなも、変わんねえな~。ご無沙汰~!」
 のんびり挨拶を交わす。だがそこに、集団の後ろのほうから、前にいた男子をかき分けてひとりの女子がやけに神妙な面持ちをして近寄ってきた。その子も、同じクラスになったことはないが、何度も見たことがある。
「あの、寺田くんなら知ってるかな。野木沢くんの消息」
「あー」
 そういうことか、と健太は瞬時に理解する。彼女は蒼生のクラスの同窓会委員というわけだ。よく見てみれば、顔見知り程度の子たちは、蒼生のクラスメイトたちだ。なるほど、蒼生のクラスにしょっちゅう行っていたから覚えていたのか。そして何より、ここでも自分イコール蒼生という印象を彼らが抱いていることに嬉しくなる。
「ほら、同窓会の連絡、はがきで入れたでしょ。でも、野木沢くんから返事がなくて……。どうしたのかと思って連絡しようとしたんだよ。でも、携帯のメッセージグループ、バグかなんかで、クラスの連絡先から抜けちゃってるみたいで。ね」
「うん。みんなにも聞いて回ったんだけど、野木沢くんの携帯番号知ってる人、誰もいなかったんだ。だからね、先生にお願いして自宅の電話番号に電話してもらったの。そしたら、家族の人はいたんだけど、もう野木沢くんはここにいませんって切られちゃったんだって」
 軽く唾を飲み込む。事情を知らないクラスメイトたちは、当然心配するだろう。だが蒼生は、自分が今どこにいるか、どうしているかを知られるのを嫌がっている。携帯のメッセージグループだって、蒼生が自ら抜けたのを健太は知っていた。なんなら、全員に対して自分を記憶から消して欲しいと思っているらしい。健太は心の中で、無理だろ、と呟く。蒼生を案じている人たちはこんなにたくさんいる。
「……あー、うん、えっと。蒼生、実家出ちゃったから。でも、心配しないで。元気でいるよ」
 しどろもどろで伝えると、彼らはざわめいてお互いの顔を見る。自分でも、ずいぶん怪しく聞こえる発言をした自覚がある。やはり嘘は苦手だ。嘘をつかずに蒼生の情報をぼかすためには、どこまで話していいのかがわからない。すると、元彼女と向こうで話していたはずの笠森がひょいっと輪の中に首を突っ込んできた。
「健太は野木沢の居場所知ってんだろ?」
「えっ、あ、まあ。その、て、てー……き的、に? 会ってるかな~」
 あはは、と健太は笑う。毎朝届く新聞を定期便だと考えるなら、毎日顔を合わせても定期的と言っていいはずだ。だから、嘘ではない。
 だが、もちろん、それで話が終わるはずもなかった。健太が蒼生と会っているとわかれば、もっと情報を得たいと思われて当然だ。
「野木沢くん、どこにいるの!?」
「なんで家出ちゃったの? 就職? 進学?」
「写真は? 写真ないの?」
「寺田くんなら持ってるよね!?」
 女子たちが一斉に詰め寄る勢いで健太に迫る。あまりの迫力に、弾き飛ばされてしまいそうだ。
「あっ、あー、写真、写真ね。ちょっと待って」
 健太はポケットから携帯電話を取り出し、ぱたぱたとフォルダを開いていく。その中から、3人で撮った写真を1枚呼び出した。健太が手を伸ばして撮った写真なので、一番近くに笑顔の健太がいる。その向こうに、覗き込むように穏やかに笑う蒼生が。さらに隣には、澄ました顔の冬矢がいる。
「これ、この前、遊びに行った時の写真」
 健太はそれを女子たちに向かって掲げて見せた。
 しん、と静まりかえった女子たちは、その小さな画面に食い入るように注目する。それからしばらくして、じわじわと衝撃が伝わっていったように再びざわめきが広がる。
「……真ん中、野木沢くん、だよね?」
「だよね!」
「え、……野木沢くん、めちゃくちゃ美人じゃない……?」
「モデルさんみたい!」
「すっごい綺麗!」
「相変わらず優しそうだね」
「ああ、でも、ほんと、元気そう」
「よかった!」
「それにしても、美人だと思ってたけど、ねえ、もっと綺麗になったよね?」
 大騒ぎになる女子たちに、そうだろうそうだろうと健太は小さく頷く。蒼生は綺麗で美人だが、その魅力は日々更新されている。近くにいる健太でさえ毎日実感しているのだ、しばらく見ていない者たちにとってはかなりの衝撃であるはずだ。
 実は、この写真はいわゆる“仕込み”だ。健太が同窓会に出れば、当然蒼生のことを聞かれるだろうということは想像に難くなかった。その際に写真を要求されることも十分にあり得る。ならば敢えて見せてもいい写真を用意しておくほうがいい、と言ったのは冬矢だった。それには健太も同意した。何故ならば、健太の撮る写真の蒼生は、相手が健太だからということで安心しきった可愛い顔をしているからだ。それを他人に見せたくない。見せるには余りにも勿体ない。というか、見せられない写真もある。
 そこで、先日、わざわざ写真を撮りに繁華街に出かけたのだった。居住地近くで撮ると居場所が割れかねないから、遊ぶために集まるような場所で撮った方がいいというのも冬矢の案だ。冬矢も写真に写るのが好きではないはずだったが、蒼生がいるからいいのだそうだ。おそらく、健太が思うに、他人に健太とのツーショットを見せるのが嫌だったのだろう。蒼生が健太だけではなく自分のものでもあると主張したかったに違いない。加えて、映画に買い物に買い食いに、という誰もそこまでチェックはしないだろう綿密なスケジュールを立ててあちこちで写真を撮ったのは、どさくさに紛れて蒼生とデートする口実だったのではないかと思う。
 写真を見ていた女子のうちひとりが、その実行犯の姿に気が付いたらしい。
「……ねえ。ちょっと待って? これ、隣……笹原くんじゃない?」
「えっ」
「笹原くんて、あの笹原くん? ……えっ、そうだ、笹原くんじゃん!」
「うっそ、こんな優しく笑う人だった!?」
「イケメンに磨きがかかってる!」
「えっ、寺田くんって野木沢くんだけじゃなくて、笹原くんの連絡先も知ってるんだ!?」
「ああ、まあね~」
「同窓会のはがき、転居先不明で戻ってきてたから諦めてたのに……。そっか、寺田くんが接点だったとは盲点だったぁ!」
 さらに辺りは騒然とする。
 連絡先を知っているどころか、むしろ今この瞬間にふたりがどこにいるかもきっかりわかるし、おそらく家でいちゃついているのだろうなと思っているが、健太はそれをきちんと飲み込んだ。
 すると、女子の勢いに少々負けていた男子たちが割って入ってくる。
「笹原? おー、ホントだ、笹原だ!」
「えー、おまえ、笹原が野木沢にずいぶん近いからってずーっとヤキモチ妬いてたけど、一緒に遊ぶような仲になったんだな!」
 健太は目を見開く。
「……ヤキモチ!? オレ、そんなふうに見えてた!?」
「自分で気付いてなかったのかよ。そうとしか見えなかったぜ?」
「マジで?」
 自分が蒼生のところに行くのはいつものことだ。そこに蒼生に対する態度が明らかにおかしい人間がいたから、警戒していた。そうだ、蒼生の周りで妙な動きをするから苦手だったのだ。あれは蒼生を危険から守る行動だった。だというのに、周囲から見れば嫉妬に見えていたというのか。
 驚きのあまり動きを止めた健太の隣で、花井が無邪気に笑う。
「ほら、健太たち、同じ高校行ったじゃん。それで仲良くなったらしいよ。オレたち、高校の学祭行ったんだけどさ、普通に3人で仲良くしてて驚いちゃった。な、健太」
「う、うん。なんだかんだありまして……ちょっと和解したっていうか、そんな感じ」
「へえ、そうなんだ~。てっきり、一緒の高校行って、野木沢の親友の座を巡ってバチバチ争いを繰り広げてんのかと思ってた!」
「まさか、そんな大人げねえことしないって!」
 と、なんとか笑って誤魔化す。本当は、親友どころか恋人の座を争い、挙句の果てに双方合意の上で蒼生をふたりの恋人にしたのだなどと言えるわけもない。あまつさえ同じ部屋で寝食を共にし、ふたりがかりで溺愛しているとは、とてもではないが公表できない。先程の辻ではないが、熱く何時間も語ってしまいそうだからだ。ついその甘い生活を思い出してしまい、にやけそうになる頬を両手でぐいっと押さえ込んだ。
「なんだか……ふたりともめちゃくちゃモテてるんだろうな~」
 ぎくっと健太は肩を揺らす。こちらでもその話題が出たか。絶対に出る話題だろうとは思っていた。写真1枚だけでもはっきりわかるハイスペックなふたりを見ては、きっとそれを気にする者が現れる。だが、
「そりゃ彼女の1人や2人余裕でいるだろ!」
「うーん、そうだよね~」
「みんな絶対ほっとかないもんね、そりゃそうか」
「笹原はあの頃から手が早かったみたいだもんな。羨ましいよな~」
 噂話が好きな連中によって、勝手に話が進んでいく。その様子に安堵しかけたが、今度は「そんなんじゃない」が溢れそうになってくる。このままでは憶測だけで結論付けられるか、ふたりの恋愛事情について正解を知っていそうな健太に話が振られるかのどちらかだろう。蒼生は自分たちと蜜月中であるし、そもそも冬矢は蒼生に出会っていなかったからそうだったのであって、今は蒼生以外眼中にない。そう吐き出してしまいそうになって、健太はぶんっと頭を振った。この話題から離れたほうがよさそうだ。
「なあ!」
 わざとらしいほど明るく言って、隣にいた男子の肩に腕を乗せてみせる。
「蒼生と冬矢に食いつくのはわかる。ものすごーく、わかる。けど、目の前にいる寺田くんもわりとレアキャラよ? もっとオレに興味持って!?」
 場が一瞬しんとして、すぐに爆笑の渦に飲み込まれる。
「ははは、そうだよな、悪い悪い!」
「ごめんね、寺田くん見ると、野木沢くん思い出しちゃって」
「いや、うん、それは嬉しいからいいよ」
「あれが嬉しいんだ? なんか健太らしいな!」
「ちゃんとものすごく興味あるよ! 寺田くんは今どうしてるの?」
「オレは普通の大学生よ」
「へー、どこどこ?」
 そこからようやく、顔を合わせたお互いの話になっていく。健太は自分の話を面白おかしく話し、懐かしい面々の知らない話をとても楽しい気分で聞いた。
 ただ、そんなふうに言ったものの、蒼生の話で盛り上がること自体は嬉しかった。誰もが蒼生を心配し、蒼生を懐かしく思い、蒼生に会いたがっている。ほら、オレの恋人は素晴らしい人でしょう、と思うとなんとも誇らしい。しかも、これだけ人気者のふたりが自分にしか接点がないというのも、ちょっとした優越感だ。この中の誰かが蒼生と冬矢と繋がりたいと思っても、健太を通すほかないのだ。
 会は、途中でインタビューや思い出の映像などの余興を挟みながら進んでいく。そのどれもを懐かしみながら、健太はやはり「ここに蒼生がいればよかったのに」と思う。健太の思い出は、いつも蒼生と共に在った。それを振り返る時にひとりでいるのは、少し寂しい。
「……ちょっと甘いもん食べようかな」
 蒼生の甘い香りを思い出し、急に口の中がそれを欲しがるのがわかる。健太の呟きに、花井が反応した。
「あ、オレも食べる~。ここのホテル、ケーキが美味しいって有名なんだよな。いろいろ種類もあるらしいぜ」
「へー、そうなんだ」
 連れ立ってブッフェ台のほうに行くと、花井の言う通り、ケーキやゼリーなど様々な甘いものがぎっしりと並んでいる。種類がかなり豊富で、蒼生なら間違いなく迷ってしまうだろう。花井が液体状のチョコレートが滝のように流れるチョコレートファウンテンに興味を示してふらふらと歩いていくので、健太は反対にケーキの皿に向かう。どれもこれも美味しそうだ。イチゴの乗ったヨーグルトムースも、花の添えられたチーズタルトも、ココナッツがまぶされたチョコレートケーキも、きっと蒼生は好きなはずだ。
 さっきから、蒼生のことばかり考えている。いつもそうだ。目の前にいれば体中が蒼生のことを考える。離れている時は、そこに“寂しい”が加わり、他のことも考えられなくなってしまう。
「健太」
 だから、それは、雑音だった。一瞬気付かず、振り向くのが遅れた。
 振り向いた視線の先では、にやにやと笑うひょろ長い男が立っていた。たしか、安永、だったはずだ。小学校から一緒で、小6と中3の時にはクラスメイトだった。最初は小5の頃、廊下でぶつかってケンカになったのが始まりだったと思う。相手が前を見ていなかったのが原因だったので、それを主張して言い負かしたところ、何故か距離が近くなった。彼がリーダーのようになっていたグループのうち1人がゲームをたくさん持っていたので、その子の家でよく一緒に遊んだ。中学進学時にその子が他の学校に行ってからはそんなに仲良くもなかったはずだが、中3でクラスが同じになると、再び急に距離を詰めてきた。健太はそれを不思議に思っていたが、友達なのであまり深く考えず誘われるまま一緒に遊んではいた。だがそれから高校で離れて、それきり連絡もなかったから、すっかり頭の隅に追いやっていた。
「あー、久し振り。元気してた?」
「さっき聞こえたんだけど。健太、まだ野木沢なんかとつるんでんの?」
「は?」
 健太はぴたりと手を止める。自分の話を聞いていない様子はどうでもいい。なんか、と言ったか。健太にとって最も大切な蒼生のことを。
「……何が言いたいのかわかんねえけど。まだも何も、オレと蒼生を引き離せるものなんて、この世界に存在しないんじゃないかな」
「それって健太のためになるかなあ」
 下から覗き込んでくるような目を、健太は息を吐いて静かに見下ろす。やたら近付いてくるので懐かれているという感覚はあったが、こんな絡むような言い方をする奴だっただろうか。
 安永は、健太の腕の隙間に無理矢理手をねじ込んで腕を組んだ。
「気を付けたほうがいいと思うよ。健太は知らないかもしれないけど、野木沢、男と遊んでるって噂があったんだぜ。それで教師と寝て成績上げてもらってたって」
「はあ?」
「ほら、どの教師もあいつのこと気に入ってたろ。そうやって媚び売って取り入ってたんだってさ。あいつ、おまえに付きまとってたろ? へらへら人のよさそうな顔して、裏でなにしてるかわかったもんじゃない。なんかさ、嫌いな奴を蹴飛ばしたり、階段から突き落としたって話も聞いたことがあるんだよな。みんな騙されてんだよ。だから、健太も狙われてんじゃないかって心配なんだ」
 ぱし、とその腕を振り払う。頭の芯が冷え切って、やけに景色が透き通って見える。突き放される格好になった安永は、驚いたように健太を見た。
「適当な噂を流してんじゃねえよ。蒼生がそんな奴じゃないことは、オレが誰より知ってんだよ。蒼生の成績が良かったのも、先生に気に入られてたのも、蒼生がきちんと努力してたからだ。物事の上っ面しか見えてないようなおまえに蒼生のことを悪く言われる筋合いはねえんだけど」
「……っ、こっちは心配して……っ」
「だったらその心配は無用だって断言しとくわ。たとえ何があっても、オレは蒼生の側につくから」
 健太には、安永の言い分がまったくわからなかった。どこをどう見れば蒼生の姿がそんなに歪んで見えるのかが、心底理解できない。ただ、蒼生が積み上げた努力を、ひたすら薄っぺらな言葉で冒涜されるのがとにかく許せなかった。
 安永は言葉を探しているのか、ぱくぱくと口を動かす。そこから小さく聞こえてきたのは、
「……きっと、俺と健太が仲いいことを嫉妬して、そういう嫌がらせとか、」
「健太~」
 2人はぱっと声のしたほうを見る。ちょうど花井が皿を両手で持ってふらふらと歩いてくるところだった。それを見た安永は、舌打ちして踵を返し、人ごみに紛れるように去っていった。
 健太はぱちくりと瞬きをする。最後に残した言葉が、それまでと微妙に主語が変わっていたような気がする。まるで蒼生が安永に嫌がらせをしていたような口ぶりだったが、蒼生はそんな卑怯なことはしない。蒼生が本当に誰かに嫉妬したとしたら、蒼生は自己嫌悪で落ち込むだけだ。彼の話は、なにひとつ蒼生とは結びつかない。本当に、彼は何が言いたかったのだろう。
「健太?」
「おー、どした?」
 考えてもよくわからないし、考えても無駄そうだ。すっぱり忘れることにして、花井に向き直る。
「見てくれ、これを」
 言われて目を落とすと、皿の上には、どちらにも茶色い塊がこんもりと乗っていた。
「わ、なんだそれ! すげえな」
「ヤバいよ、チョコレートファウンテン……。めっちゃ楽しい。君はマシュマロが茶色い衣をまとうのを見たことがあるか!?」
「映画の煽りみたいな言い方するじゃん。あはは、すっごい量。これ、全部マシュマロ?」
「楽しくて調子に乗りました……。えっと、プチシューとバナナとイチゴも入ってる。これ、どうぞ」
「ありがと! 遠慮なくいただきます! ……あ、美味いじゃん」
「うわホントだ! けっこう食べられちゃうかも」
「なー!」
 健太もこの食べ方は経験がない。マシュマロは少し甘すぎる気がしたが、酸味のあるイチゴにはぴったりだ。きっと蒼生が喜ぶ食べ方だと思う。どこかで食べられるところはないか、後ですぐに探してみよう。誘ったら蒼生はどんな顔をするだろう。健太はわくわくしながらチョコバナナを口に運ぶ。
 やはり頭の中は愛しい蒼生でいっぱいだ。今すぐ蒼生に会いたい。蒼生の笑顔が見たい。蒼生の体温を感じたい。


 それから2週間と経たないうちに、蒼生と健太はとある駅前の銅像の下に立っていた。初めて来た駅は、当然ながら初めて見る景色で、蒼生は物珍しそうにあちこちの店の看板を眺めている。健太はといえば、携帯をにやにやしながら見つめていた。
 待ち合わせの時間だが、花井たちの姿はまだない。ライブだというから、盛り上がって時間が伸びているのかもしれない。まさか駅前待ち合わせで迷っているということはないだろう。……おそらく。少し心配になった蒼生は、健太の袖を軽く引いた。
「花井くんたちから連絡来た?」
「まだー」
「終わってないのかな。……健ちゃんは、なにか面白いものでも見てるの?」
 蒼生が首を傾げると、健太は嬉しそうにその顔を眺め、もう一度画面に目を落とす。
「じゃあ先に寝てるけど、帰ってきたら寝る時にぎゅってしてください。そうしたら帰ってきたってわかって安心するから」
「! ……っ、よっ、読み上げんのダメぇ……!」
 慌てて健太の携帯を両手で隠そうとするが、その文面は既に健太の頭の中にしっかりと刻まれている。これは同窓会の夜、ぎりぎり当日中に帰れないことが判明した時点で、謝罪と共に先に寝ていてほしいと伝えた直後に蒼生から返ってきたメッセージだ。あまりの可愛さに、電車のスピードの遅さを理不尽にももどかしく思ったものだ。
「いやあ……本当にこれ、可愛かったぁ……。言われたとおり抱き締めたら、にっこりして、おかえりーって言いながらまた寝ちゃったのも、すっごい可愛かった。ヤバい。なんでこんなに可愛いの。オレの恋人めちゃくちゃ可愛いんだけどどうしたらいい?」
「えっ、えぇ……」
「あー、こんな可愛い子、表に出していいのかな」
「そんなこと言うの、ほんと、健ちゃんと冬矢だけだからぁ……」
 そうかなあ、と呟き、健太は携帯をポケットに突っ込んだ。それから、風で少し乱れた蒼生の前髪に片手をやる。そっと梳いてやると、嬉しさを隠しきれないように頬が緩み、口元がぴくんと動く。いや、これはどう見ても可愛い。
「蒼生が一緒に来てくれて嬉しい」
 つい、思っていた言葉がこぼれ落ちる。蒼生はわずかに目を見開いて、それから笑う。
「健ちゃんの話聞いてたら、他の人と楽しそうにしてる健ちゃんを見たくなっちゃったんだ」
 あの日、正確に言えば翌日だが、健太はふたりに同窓会の出来事を、まくし立てるという表現がぴったりなほどの勢いで楽しそうに話した。たくさんの懐かしい顔と近況を報告し合ったこと、蒼生と冬矢の写真が大評判だったこと、ふたりに会いたいという声が大きかったこと。その中で最も健太の話の多くを占めていたのは、やはりサッカー部の仲間たちとのくだらないやりとりの話だった。蒼生は、その健太の顔を見ているうちに、彼らと話をする健太を久し振りに見たくなったのだ。
 だから、「飲みに誘われてて、ふたりも予定が合えばぜひって言ってた」という健太の言葉に、蒼生はすんなり頷いた。それには言い出した健太のほうが驚いていたが、すぐに喜んでくれた。残念ながら冬矢はバイトが入っていたので不参加なのだが、一応前向きに検討しただけでもすごいことだとふたりは思う。
「それにね、健ちゃんと一緒にいるのが嬉しいから」
「蒼生……」
 せっかくの機会だ、冬矢がいないなら蒼生とふたりきりの時間を楽しもう。健太はにこにこと見上げてくる蒼生の頬を両手で包み込む。お互いにすっかり冷えているが、触れ合った部分はふんわりと温かい気がした。
「健太! 野木沢!」
 そのままの体勢で、ふたりは交差点のほうを向いた。辻を先頭に、花井と笠森が信号の変わりかけた横断歩道を駆けてくる。
「おー、おつかれさん」
「花井くん、辻くん、笠森くん。お久し振り」
 3人はぜえぜえと息を切らせて、それぞれにぐったりとしながらもふたりに向かって笑った。
「野木沢だー。久し振り~」
「っ、はー、会場からダッシュはしんどかったー。やっほー」
「野木沢はひさびさ~、健太はこないだぶり~」
 その姿を見ると、健太はにやにやしながら片手を腰に当てて、わざとらしく「はぁ」と息を吐いた。
「情けねぇぞ! サッカー経験者ども!」
 辻がふてくされた顔を上げる。
「だってさあ、ライブ中、ずーっと立ってたんだぞ。そのうえ、ジャンプして、手ぇ振って、全力で声あげてきたんだっての」
「それなのに、待ち合わせに遅れちゃいけないってんで急いで来た誠実な俺らに向かってその仕打ちか!」
「あー、しんど」
「修業が足んねえよ、修業が」
 悪態を付きながらも柔らかい空気を醸し出す4人に、蒼生はなんだか嬉しくなっていた。それは健太の表情がいつもより幼いからかもしれない。大学の友人といる時にはなかなかしない顔なので、とても懐かしい気持ちでいっぱいになった。
「……それにしても」
 深呼吸をした花井が、しゃがんだ状態からふたりを見上げ、うんうんと頷く。
「やっぱり、健太の隣に野木沢がいると、なんかしっくりくるなあ」
「え?」
「だよな。なんかあるべき姿って感じ」
「見慣れちゃってたもんな」
 蒼生はぱちぱち、と目を瞬かせ、ふわりと目元を和ませる。
「そうだね。僕と健ちゃんはワンセット、だもんね」
 その笑顔を至近距離で見た3人は、明らかに動揺して目を見合わせる。はっとした健太が、花井の腕を引いて立たせ、笠森の背中をばんっと叩いた。
「店! 店行こ! 予約してくれてんだろ?」
「あ、う、うん。そうだ、時間ちょっと押してるんだっけ。急ごうぜ!」
 花井が予約をしたのは、駅からほど近い場所にある居酒屋だった。大人になったらいつか揃って居酒屋に行きたいというのが彼らの夢だったらしい。料理は適当にコースを選び、とにかく飲んで騒ぎたかったようだ。隣の席とはすだれを隔てているのみで、会話が筒抜けになりそうなのを少々心配した蒼生だが、その向こうも同様に大騒ぎしていたので、そこまで気にすることはないのだろう。
 どうやら先日会っただけでは話し足りなかったらしい。健太を含め、花井も辻も笠森もよく喋った。辻は先程のライブの興奮が抜けないらしく、あの曲が良かった、このトークが良かったとひっきりなしに語る。笠森は彼女との出会いを一方的に延々と話す。花井は今になって進路が心配になって来たと話し始めたかと思うと突然グラスを掲げて管を巻き始めた。健太も「おまえら、そのペースで大丈夫なのかよ」と言いつつ、彼らの話に相槌を打ったり突込みを入れたりしながらハイペースでグラスを傾ける。
 蒼生は、そのすべてをにこにこ笑いながら聞いていた。蒼生が穏やかに話を聞いてくれるので、ますます勢いづいたのだろう。全員よく話し、よく飲んだ。
 まず机に突っ伏したのは、健太だった。正面の辻が健太のつむじをつんつんとつつく。
「おーい。修業が足んねえぞー」
「んー……」
 それはさっきのからかいに対する反撃だったのだが、健太の反応は薄い。隣に座っていた蒼生が健太を覗き込むが、どうやらうとうとしているようだ。
「健ちゃんは、ちょっと休憩かな」
 言って笑うと、3人は手元のグラスに目を落とす。
「そうだなぁ……。ちょっと飲みすぎたかも」
「野木沢のせいだぞー、おまえといると、なんか、気分良くて飲みすぎちまう」
「ええ、僕のせい?」
 涼しい顔をした蒼生の手元には、最初に頼んだグラスが残っていた。それを見つけた笠森が、机越しにメニューを蒼生につきつける。
「野木沢もちゃんと飲め! な!」
「じゃあ、もう少しだけね」
 素直に頷き、蒼生はそれを受け取る。そこで、焼き鳥をかじる花井と目が合った。
「花井くん?」
「いや、うん。野木沢がこういうとこ来てくれるの、嬉しーなって思ってさ。飯とか、誘ってもあんまり来てくれなかったじゃん」
「あー……」
 きゅっとメニューの角を掴む。人と付き合うのが苦手だったから、誰かと食事というのはさらに輪をかけて不得意だった。他の人と違って、自分には自ら提供する話題がない。つまらない自分が露呈するのが、想像するだけで怖かった。ただ、
「健ちゃんとみんなの時間を邪魔したら悪いと思って。健ちゃんは、僕といると僕を優先しちゃうでしょ」
 それも本音だ。健太には、自分にとらわれることなく自由でいてほしかった。
「だから、ごめんね。今日もサッカー部の仲間の中に入れてもらっちゃって」
 蒼生がそう言うと、全員が全員、勢い良く首を振る。
「そんなことないって! むしろ、オレら、野木沢に会いたかったんだってば」
「僕に?」
「そ。だって健太はこの前会ったし。そこであんな仲いい写真見せられたらさ、野木沢と笹原に会いたいって思っちゃってもしょうがねえよ。なー」
「そうそう。笹原は今日残念だったけどな! まあ、俺らの予定が急すぎたって話だ」
「同窓会ん時、みんなして健太に、おまえらに会わせろ~ってすげえ大合唱だったんだぜ」
 蒼生は、きょとんとして、並んだ3人を見る。すっかり酔っ払って、適当なことを話しているのだろうと思う。が、嘘ではないのかもしれない。そんなこともあるのだろうか、と、蒼生は戸惑いながらそっと皿の端を擦った。
 もちろん、3人に嘘はない。本気で蒼生に会いたいと思って呼び出したのだから、当然そんな蒼生の様子には気付くはずもなかった。勢いに乗った辻が、ぐいっと体を乗り出す。
「やっぱさー、野木沢はいいよ。すっげぇいい。和むもん」
「え、えぇ……」
「わかるー」
「癒し系なんだよなあ。健太が独り占めしたくなる気持ちもなんかわかる」
「いっつもいっつも、健太ばっかり狡いよな!」
「……あの、僕を褒めても何も出ないよ」
 蒼生はもぞもぞと座り直す。どう反応していいか困って隣を見るが、頼りの健太はむにゃむにゃとなんだか気持ちよさそうだ。
「え……っと、その、あの、……そうだ。みんな、冬矢にもびっくりしてたでしょう」
 心の中で冬矢にごめんなさい、と謝る。自分のいないところで話題に出されたらいい気分はしないだろう。後できちんと顔を合わせて謝らなければいけない。だが、自分のことから話題を反らしたいのと同時に、冬矢がどう噂をされていたのかを聞きたい気持ちが抑えられなかった。
「あー。笹原な! うん。女子連中すごかったな」
「おお。さんざ冷たいとか怖そうとか言ってたのになー。かっこいいの会いたいの実は付き合ってただの、すごかったのなんのって」
 とりあえず、最後の一言は聞かなかったことにする。確かに健太が見せたというあの写真は、角度や表情にこだわって何テイクも撮り直した写真だ。すまして笑う冬矢は、見慣れている蒼生でも眩しすぎて一瞬目をそらしたほどだった。あの日は他にもたくさん撮影したが、どの写真を見せてもきっと誰もが同じ反応をしただろう。
「ほら、俺たちは、高校ん時いったん会ってるじゃん? 物腰柔らかくて人当たりよくて、なあ」
「マジであの笹原に会わせてみたいよ。絶対キャーだけじゃ済まねえだろ」
「だろうなー。ファンとかめちゃ増えそう。俺も中学の頃は近寄りがたい奴だと思ってたけど、なんか、優しそうだったもん。んで、実際のところどうなの?」
 話を振られて、嬉しくて胸がぎゅっとなる。そうだ。冬矢は優しい。中学時代の誰もが知らないことが、本当にもったいないと思っていた。そうだよ、と立ち上がって熱弁したいが、堪えてこほんと咳払いをする。
「うん。すっごく優しいよ。頭がいいからいろんなことを先回りで考えてくれて、喜びそうなことを綿密に計画してくれたりするんだ。それに、とにかく真面目で、一途で」
「へー。一途、かあ。あ、ってことは、彼女いるんだ」
「……恋人、いるよ。すごく、すごく、大切にしてる……」
 花井は目を見開き、辻は呼吸を忘れ、笠森は自分でもよくわからずに生唾を飲み込んだ。グラスを両手で包み込み、そこにそっと視線を落とす蒼生の姿は、昔からよく知る友人とはずいぶん雰囲気が違っていた。もっと、さらりと笑うと思っていた。穏やかで優しいイメージばかりが印象的だった。こんな、甘い雰囲気を醸し出すタイプだっただろうか。
「えっと……。なんか、野木沢って色っぽいよな」
「へ? 何言ってるの、辻くん」
 ぱっと顔を上げた蒼生は、いつも通りのやわらかな笑顔だ。笠森は慌てて辻の背をばんばんと叩く。
「あっ、アレだっ、な、きっと、みんな大人になったから、な! そういう階段上っちゃったみたいな、アレ! そりゃ色気も出るよな!」
「どうした笠森、なんでそんな動揺してんの?」
「や、えーと……。そ、そうだ、この近くって有名な風俗街なんだろ? せっかくだから行ってみない?」
「え、いーなあ」
 辻がにやりと笑う。それを聞いた蒼生はなんだか複雑な気分になった。笠森は中学からだが、花井と辻は小学生の頃から知っている。定義で言えば彼らも幼馴染みの範疇に入るはずだ。そんな彼らから性的な店の話が出るのは、なんだか気まずい感じがする。花井が少し引いたように2人を見ているのが救いと言えば救いだが。
 その花井が、困ったように蒼生を見た。
「とか言ってるけど。野木沢はどうする?」
「僕はそういうの、いいや」
 すると、花井はほっとしたように息を吐いた。
「そっか。野木沢って今でも潔癖なんだなあ。ちょっと安心しちゃった」
 どうやら花井とは感覚が似ているようだ。蒼生もほっとする。
 しかし、「潔癖」か。たしかに彼らの色恋の話に加わることは絶対しなかったし、彼らのほうも蒼生に色っぽい話を振ることはなかった。それがそう思われていたからなのだとしたら合点がいく。そして今でもそう扱ってくれるのなら、余計な言い訳をせずに済むのでとても助かるな、と蒼生は思った。
 だがすっかり乗り気の笠森と辻は、腕を伸ばして健太の肩をふたりがかりで叩く。
「な! 健太! おまえは行くだろ!」
「んぁ……?」
 小さく顔を上げて薄く目を開けた健太は、2人の期待を込めた眼差しを見ると、がばっと体を起こした。
「オレにはぁ! 蒼生がいるから!」
「えっ」
 ぎくりと蒼生が体を固める。向かいの3人は、ぽかんと健太を見つめている。蒼生の焦りをよそに、健太はふにゃりと笑うと、そのまま蒼生の首に腕を絡めるように縋り付いた。
「なー、あおぃー」
「っ」
 蒼生ははっとして、笠森たちに柔らかな笑顔を見せると、ぽんぽんと健太の頭を撫でる。
「あはは。もう、健ちゃん、完全に酔っ払っちゃってるみたい。会話になってないや。ちょっと今夜は無理そうだね。また正気の時に誘ってあげて」
「やだー、蒼生がいいー」
 3人は我に返ったように、ぷっと噴き出す。
「ホントだ。何話してんのかわかってねえな、こりゃ」
「あっははは、でっかい赤ちゃんじゃん」
「だよな、さっきからベロベロだったもんね」
 安堵の息を吐いて、蒼生は3人に笑いかけた。
「たぶん、みんなとおしゃべりしながら飲めて楽しかったから、飲み過ぎちゃったのかも」
 そう言うと、それぞれが嬉しそうな顔をする。彼らもこの時間が本当に楽しかったのだろう。
「あ」
 声をあげた花井が、蒼生に向かってちょいちょいと手招きをする。蒼生が顔を近付けると、花井はちらっと健太を見てから蒼生に耳打ちするように言った。
「こんな甘えん坊な健太だけどさ。この前、かっこよかったんだぜ」
「この前?」
「同窓会の時。なんか、野木沢が話題の中心になってたのをやっかんだらしい奴が、健太にウザ絡みしてたみたいでさ。何言われてたかはわかんないんだけど。そしたら、健太、めっちゃ真面目な顔で言ったんだよ。オレと野木沢を引き離せる奴なんかこの世に存在しない、たとえ何があっても野木沢の側にいるーって。オレ、なんか感動しちゃって」
「…………。そっか。それは、かっこいいね」
「な。健太には、オレが聞いてたこと内緒にしといて。盗み聞きしちゃって悪かったなって思ってるから」
「うん」
 そうか、と蒼生は首に抱きついたままの健太を見つめる。相手が誰だか知らないが、健太は遠くにいても、蒼生を守ってくれるのか。嬉しい。なんて愛おしい。
 泣きそうになって、蒼生はぱっと顔を上げた。
「みんなもそろそろ飲み過ぎだよ。いろんなことに興味があるのはいいと思うけど、その状態でどこに行っても今日は無理じゃないかな」
「なるほど、さっきからぐらんぐらんするのはそのせいか」
「それはダメだね。ホテルまで送るから。ちゃんと今日は早く休んでください」
「はーい」
 ぴしっと3人が揃って、返事と共に手を挙げた。遅れて健太が「ふぁい」とひらひら手を振ったので、テーブルはまた明るい笑いで包まれた。

 3人とは、ホテルの玄関先で別れた。
「また遊びに来るからな! 今度は1日きっかり遊ぼうな!」
「今度は笹原も呼ぼうぜ~」
「それじゃあな~」
「おまえらも気を付けろよ~」
「おやすみなさい、またね」
 まだ話し足りない様子の3人を、無理矢理挨拶で言いくるめるようにホテルの中に押し込む。いつまでも振り返って手を振る姿は、小さい頃と変わらない。健太と蒼生は笑って手を振り返した。
 そのあたりまでは、健太の意識もはっきりしていた。そこで蒼生とふたりきりになったことで、気が抜けてしまったのだろう。帰りの電車では、健太が眠らないように立っていたのだが、健太は蒼生の腕に捕まりながらずっとうとうとしていた。
「健ちゃん、もうちょっと頑張ってね」
「んー。蒼生……好き」
「うん。僕もだよ。だからもうちょっと。ね」
「ん」
 健太も頑張っていたようだ。励ましながら、最寄り駅で降り、商店街の終わりまではなんとか自力で歩いていた。が、そこでふいに足を縺れさせたかと思うと、蒼生にもたれかかって動きを止めてしまった。
「け、健ちゃ……っ」
 抱きとめて、ふたりで転ぶのだけはなんとか避けられた。しかし、それ以上はこの体勢ではどうにもならない。なんとか側にあった定食屋のベンチに座らせることには成功したが、そこからが問題だ。
「どうしよう……」
 すっかり寝こけて気持ちよさそうな健太を見下ろし、蒼生は困り果ててしまった。肩を貸して歩くのも、健太が寝ていては無理だ。抱き上げることも難しい。だが、このまま冬空の下に健太を置いておく訳にはいかない。なんとかしなければ。ぎりぎり、背負うことならできるだろうか。そうすれば、自力でなんとか。
 そこまで考えて、はっとした。
 そうだ。
 蒼生は急いで携帯を取り出すと、履歴の一番最初の番号に電話をかける。ぷつり、とそれはすぐに繋がった。
『蒼生?』
「冬矢ぁ……助けて」
『っ、どうした!? 今すぐに行くから』
「あの、ね、健ちゃんが寝ちゃって、僕ひとりじゃ運べないの」
『……そうか、じゃあ蒼生がケガしているとか具合が悪いとかじゃないね?』
「うん」
『よかった。健太も今のところ無事?』
「うん」
『そこで待っててね。なるべく寒くないようにするんだよ』
 電話はそこで切れた。おそらく冬矢はすぐにふたりの居場所を調べているだろう。蒼生はほおっと息を吐き、それが白くかき消えるのを見てから、健太の隣に座り込んだ。隣にいれば、少しは暖かいだろう。それから首元が寒そうなのに気付き、自分の首から取ったばかりのマフラーを巻き付ける。それ以外にできることは、と考え、健太の体をぎゅっと抱き締める。まだわずかに通行人がいて、ちらちらとこちらを見る者もいたが、健太が寒くなければどうということもない。
 そうして健太の鼓動を聞きながら待っていると、程なく息を切らした冬矢が現れた。
「冬矢」
 蒼生の安心した声に、冬矢も胸を撫で下ろす。無事な姿を見るまでは、どうしても心配だった。
「おまたせ、蒼生。……ああ、すっかり潰れているな」
「呼び出しちゃってごめんね。ちょっとひとりじゃ自信がなくて」
 申し訳なさそうに上目遣いでこちらを見る蒼生の髪を、冬矢は優しく撫でる。
「蒼生が謝ることじゃないよ。それは明日にでも潰れている健太から聞くさ。……むしろ俺は嬉しいんだよ。蒼生が、ちゃんと俺を頼ってくれたから」
「……うん」
「ちゃんと頼れて、いい子だね」
 髪を、頬を、耳を、ゆっくり撫でると、蒼生はくすぐったそうに笑う。いつもよりほんのわずかに高い声。
「何かいいことがあったのかな」
 冬矢が聞くと、蒼生はびっくりして「なんでわかるんだろ」と呟く。そして、冬矢の片手に自分の手を重ねた。
「あのね。みんな、健ちゃんと冬矢のこと褒めててね。それが嬉しかったんだ。こんなに素晴らしいふたりが僕の恋人なんだって思うと、すごく誇らしくて」
 嬉しそうにふんわりと笑う。冬矢も、愛おしさが溢れてきて、思わず蒼生をぎゅっと抱き締めた。
「ふふ。あったかい」
「……きっと俺たちがそう見てもらえるのは、蒼生という自慢の恋人がいるからだよ」
「え?」
 突然健太が、ばっと顔を上げる。
「そうだよ! 蒼生は最高の恋人なんだ!」
 驚いてふたりが見ると、健太は満足げに視線を返し、再びかくんと首を落とした。
「……びっくりしたぁ」
「どうせならそのまま起きればよかったんだがな」
 顔を見合わせ、ふたりは苦笑する。その時、冬矢が蒼生の首筋に紅い跡があるのに気が付いた。
「蒼生。首にキスマークが付いてる」
「へ? ああ、さっき、健ちゃんが酔っ払って抱き着いてきた時になんかくすぐったかったの、それかぁ」
「まったく。仕方ない奴だ。とっとと運ぶか……」
 溜め息をついて、冬矢は健太の肩の下に腕を回す。蒼生も反対側から同じように支えた。
「ふたりがかりでも重いね」
「何かしてやらないと気が済まないな。いっそ、その跡を俺がたくさん増やしてやろうか。それで、どれが自分の付けた跡か当てさせるのも面白いな」
「ふ、ふふ。じゃ、帰ったらいっぱい付けてね」
「もちろん。少なくとも、やきもちは妬かせられそうだな」
 くすくす、と、忍び笑いが夜の住宅街に消えていく。それを両耳で聞く健太は、むにゃむにゃと幸せそうな寝息を立てるのだった。

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