投稿日:2026年04月11日 17:13 文字数:27,674
カナリヤ 8
イーストン魔法学校編2/2です⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝
なんでお仕事編だったかというと、図書館警備の為にポンと泥人形提供するワースくん絶対イケメンでしょ、という感性が私にあるからです(犯行声明)
ちなみに本人「自信ない」って言ってる時は8割方出来ることだと思ってるので、理系の言う「絶対とは言えない」と同じだと思ってください。
元は「お食事編」まで行きたかったのですが、文字数的な問題と、フツーに最後オーターさんが爆発してしまったので「こ、この辺で勘弁しておいてやらぁ⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝!」ということで諦めました。また、私生活の方の理由で、ちょっと数ヶ月ほど更新止めます。となるとここが1番キリが良かったものですから。
と言う訳で次回は「ふたりでお食事に行く編」、私の手元が落ち着いたら再開しますので、そのうちよろしくお願いします。
◆◇◆◇◆
ワースは入手した授業時間表と睨めっこしていた。2-Aのアドラ寮生をどこかで捕まえなければならない。一応該当者であるドットとランスには事前にメッセージを送っている。そこから調査の足掛かりを掴みたい。
(カルパッチョの推論が正しいとして……)
アドラ寮生は我が強いきらいがあるだけで、研究好きなタイプは少ない。現在2-Aに在籍する生徒も、ワースが出入りしていた研究室に居なかった連中だ。となれば何かの実験でやらかしたと考えるよりも、何かを引っ掛けてきてしまったと考えるべきだろう。
人間に引っ付きやすい魔力を持つモノといえば、怪異と呼ばれるような幽霊や小さな魔法生物、或いは魔法道具だ。相手に気がつかれずにトラブルを引き寄せるとなれば幽霊か魔法道具の可能性が高いが、薬草や薬品を奪うなんて聞いたことがない。特に幽霊は、実体がないのだ。
(……俺みたいに魔導書、って考えもなくはないが)
リトルデビルの頭を撫でる。瞳を細めて素直に撫でくりまわされているリトルデビルを手に入れたのは殆ど偶然である。そんな簡単にお宝が眠る洞窟なんかないのだ。それに人間に取り憑くタイプの魔導書が他の魔導書に噛み付くのは、すこし想定しにくい。あとは。
「魔宝石……」
膨大な魔力を込めたり魔法を刻んだり出来る石ならば、或いは。
(……って言っても、魔宝石も薬草やら薬品を必要とはしねェからなァ)
「赤い石」の被害があったものからして、行動は明らかに魔法生物のものだ。しかしその魔法生物をアドラ寮生が連れ歩くと思うと目立ち過ぎる。堂々巡りだ。腕を組んでうーんとワースは唸った。その時、支給された仕事用端末が鳴る。
「!」
2コールで慌てて取る。そこからは若干慌てたようなソフィナの声がした。
──ワースくん、リトルデビルくんと図書館に来られますか?
「はい、すぐに」
──……再び、禁書が書庫破りを企てました
「……!」
思わずワースは先ほどまで眺めていた授業表を見る。2-Aは現在魔法数学の授業中だ。当たり前だが図書館に向かうなら10分以上は掛かる。
(まじでか……)
ワースはローブと箒を乱暴に取って、不安げな顔をしているリトルデビルをひょいと抱き上げた。
***
ワースが図書館に到着すると速やかに禁書庫に通され、事情聴取が始まった。
禁書たちの書庫破りは未遂で終わったらしい。当然である。図書館の中には知の神杖が居たのだから。ただ問題は、その分「赤い石」の滞在を許したことだ。図書館敷地をぐるりと覆う形で展開している結界は、微弱すぎる魔力や小型の魔法生物には反応しない。そこまで締めだしてしまうと手紙や荷物を運ぶフクロウたちも入れなくなり利便性が落ちるからだ。それは閉鎖状態の今でもそれは変わらない。素早くて小さく、その姿を見ることが出来た者はいなかったが、「赤い石」らしき赤い残光を何人もの職員が目撃している。
「まだ「赤い石」が図書館内にいるか分かるか」
「んー……」
リトルデビルが以前同様、禁書になんとも表現し難い声で話しかける。前回の禁書たちは落ち着いた様子で音を返していた。しかし今は明らかに何かヒートアップしている。特に赤茶けた表紙の禁書が開いたり閉じたりと忙しない。禁書庫担当の司書も困惑していた。リトルデビルは、難しい顔をしながら首を左右に振る。
「もういない、……みたいだけど、『深淵』が」
「ん?」
リトルデビルは禁書を個体識別出来ている。『深淵』とは、緑色の表紙をした『深遠なる神々の調べ』というタイトルの禁書である。音魔法に関する禁書で、そこに書かれた旋律を再現すると、術者もろとも発狂して死ぬ。こういう自爆型の禁書は割と多い。ちなみに赤茶けた表紙の方は『見よ、大地覆う黎明の輝きを』で通称『黎明』だ。光魔法の禁書である。双方を見て迷うような素振りをするリトルデビルは、やや困惑しながら言葉を続ける。
「かわいそうだから、「あかいいし」がここにいてもいいんじゃないかな、って……」
「……まじでか」
イーストン魔法学校図書館所蔵の禁書は「おとなしい」と評される。……にしても、良い奴過ぎないか。
『深淵』が主張するには、「赤い石」は二度の禁書たちの威嚇で「魔導書は狙ってはいけないもの」と既に学習している様子であり、今回の侵入も魔導書を狙ったものではなく、単に居場所に困って辿り着いたまでのことだ。悪意のない幼子のなしたことであるし、しばしの間場所を貸してやるくらいは良いのでは、という立場だった。
これに猛反対しているのが『黎明』である。「赤い石」の性質上、必ずいつか魔導書を「囓る」。身を守れる自分たち禁書は良いが、他の魔導書が「囓られ」るのは忍びない。力ある書籍の責任として彼らを守るべきではないのか、ということだそうだ。……ちゃんとしている意見過ぎて正直ワースはびっくりしている。
他の3冊は意見を保留、或いは2冊の議論を見守る体勢であるらしい。コイツら書籍のくせに協調性が迸っている。
「……っと、ちょっと待ったお前ら。この話、人間側にも少し関与させて欲しい」
リトルデビルを通じてそう伝えると、禁書たちから注目されている感覚がした。瞳なんかない書籍のはずなのに。しかし向けられるどの関心も愉楽や興味で、どうやら悪感情が含まれていそうにはない。相手の視線が柔らかいうちにと、ワースはその場に図書館内の構内図を開く。「赤い石」を巡る禁書たちの意見は分かったが、図書館の警備を固める為にも聞き出すべきことは山ほどある。
露骨にこちらを面白がる様子の禁書たちが証言したところによると、「赤い石」は入館者トイレの換気扇から侵入したとのことだ。確かに確認したところ、閉鎖中である故にか換気扇が止まっており、小さな生物であれば十分侵入可能であった。そこから入った「赤い石」は、しばらくは閲覧用のテーブルの下に居たのだという。だから、初めから魔導書を狙ったのではない、というのが『深淵』の強い主張であった。ともあれ侵入に気が付いていた禁書たちは困惑しつつも、強硬な『黎明』に促されつつ書庫破りを企てた。そこをソフィナに抑えられたのである。禁書たちの騒ぎで異変に気が付いた「赤い石」は、ソフィナが禁書を抑えている間に、今度は職員休憩室の窓から逃げた。窓の鍵にはひっかき傷のようなものがあり、「鍵を開いて扉を開ける」知性があるモノであることは間違いない。しかし近くの樹木にも植え込みにも、侵入した魔法生物を追える程の痕跡はなかった。……いや、魔法探知能力に秀でた砂の神杖なら或いは、追えたかもしれないが。
「弱りましたね……」
ソフィナが小さく呟く。全くだ。こちらも「入館者、もしくは入館者が所持する何かが「赤い石」である」との先入観があったとはいえ、換気扇から侵入されるなど考えていなかった。止まっている換気扇から入れるなら、ある程度までの大きさの生物が選択肢に昇る。
ソフィナが居れば禁書は抑えられる。ただし、その間に侵入してきた「赤い石」までは対応出来ない。司書も禁書管理局ほど戦える職員を集めていないだろうから、魔導書を「囓る」意図を持って「赤い石」が再びやってきたら今度こそ被害が出る可能性がある。『深淵』の主張を信じるのであれば悪意はないようだが、危機管理という視点からはその証言は採用できない。人間にも魔導書にも被害が出た後では遅いのだ。一番良いのは禁書庫をソフィナが見て、一般書庫から開架をワースがカバーする、という手だが、そうすると学内の調査が出来ない。間違いなく、「赤い石」はまだイーストン魔法学校内部にいるのに。
わしわしとワースは自分の頭を掻いた。やりきれるかどうかはともかく、選択肢は1つだろう。手を繋いだままのリトルデビルの方を見る。言われずとも分かっているようで、こちらを見つめ返したリトルデビルがさっと人間の姿を崩して魔導書の形へと戻る。その間に、ワースも自分の杖を取り出した。
「マッドロス」
泥でワースと背格好がほぼ同じ人形を2体練り上げる。性能重視であるためのっぺらぼうの真っ黒くろ助だが、一般入館者がいないならばこの容姿で十分だ。戦闘能力、魔力探知能力、そして自立能力を慎重に積み上げる。中身を作り込んだところで、魔導書を開き、該当のページに指先を乗せる。
「泥人形の性能を強化しろ」
ワースの命令に呼応して魔導書が光を放つ。泥人形がキラキラと輝いて、光が収束した。
「とりあえず放課後までは俺も図書館の確認をして、俺が抜けた後はこいつらで一般書庫と、開架を巡回させます。俺が校舎内にいる分なら遠隔操作で魔力供給し続けられるのでこれで調査を続けられるかと。どちらかが攻撃を受けたら俺も図書館に戻ります」
各寮まで行くとさすがに距離が離れすぎて泥人形を維持する自信はない。恐らく寮と校舎の途中にある中庭くらいまでは離れても泥人形に付与した魔法は生き続けるだろうけれど、動きは多少、ぎこちなくなる危険がある。校舎内にも談話室や学食があるから、話を聞く分には困らないだろう。ソフィナは泥人形を初めて見る訳でもないのに、しげしげと興味深そうに眺める。
「オーターの砂魔法も汎用性が高いですけれど、ワースくんの泥魔法もなかなか使い勝手が良いですよね」
自分の魔法は気に入っているが、とはいえ出来ないことは多いし泥人形にはいちいち補助として複数の魔法を付与しなければならない。術者的には魔力も食うし、さほど使い勝手が良いとは思っていない。色んな短所が浮かぶが、まぁこの辺りの術者だけが感じる悩みのようなものはどんな固有魔法にもつきまとう話だろう。ソフィナには力瘤を作ってみせた。
「人手不足で一番力を発揮しますからね」
「まあ頼もしい」
ソフィナは口元を手で隠して上品に笑った。人間の形に戻ったリトルデビルをひょいと抱き上げると、楽しそうに笑いながらワースの首に腕を回す。ともかくこれで、放課後約束した通りには話を聞きに行ける。
(つい、昨日までは「2-Aのアドラ寮生」が最重要参考人だったのは間違いねェんだ)
たった一夜で、何が変わった?これまで最初の禁書庫破りと薬草や薬品を使う実験室以外では授業中の「赤い石」と思われる事件は発生していなかったはずだ。
「リトルデビル、禁書たちに聞いて欲しいんだが……、なんで「赤い石」を幼子って言ったんだ?」
ぱちくり、とリトルデビルが瞳を丸くする。
「だって「あかいいし」はあかちゃんだから」
「赤ちゃん?」
「そう。ちっちゃいあかちゃん。よちよちあるきのちいさいこ」
「赤い石」の姿を直接見たことはないが、禁書たちの話でだいたい容貌が伝わっているらしい。リトルデビルは気の毒そうに眉を下げた。忌避感はあるようだが一方で同情もしているらしい。なかなか複雑な心の動きである。
「おやといっしょにいるとしごろなのに、どうしてこんなところにいるのかな……」
しょんぼりとうなだれるその背中を撫でてやる。一応これで、「幼子」という呼称が時間感覚が違いすぎる魔導書たちから見た低年齢層、という訳ではないことがはっきりしたが、この証言はどういう意味を持つのか。
(……とにかく、ドットとランスに話を聞いてみるところからだな)
放課後までに図書館の全体を見回って警備体制不備の洗い出しからだろう。ワースと泥人形2体がいても、なかなかに骨の折れる作業だ。しかも、今回のような状況下でなければ換気扇が回っていなかったことなど責められるような不備でもない。指摘する側もかなり心苦しい。
とにかく何がどうしてこうなったのか、顛末書を書ける程度には調査を完遂しなければ。ワースは気の遠くなるようなその道のりに、しばし遠い目をした。
***
約束の場所に現れたドットとランスを見て、ワースは瞳を丸くさせた。
「なんかお前……やつれてねェ?」
「いやそうなんスよ」
がっくりとドットは肩を落とした。遊園地で遊んだ時よりもなんとなく肉が落ちている気がする。なんならちょっと顔色も悪い。
「最近寝ても寝ても全然疲れが取れなくって」
「……約束守ってくれたのは嬉しいけど、先に病院行った方がいいんじゃね?」
「そんなにっすか」
「だからずっと言っていただろう」
眉を顰めたランスは腕を組み、貧乏ゆすりまでしている。貴族の子息らしい風態のランスがこうして苛立ちを露わにしているのは珍しい。……いや、遊園地でも比較的ドットの前では気性が荒そうに見えたから、仲の良い友人に対してはこうなのかもしれない。それはともかく、ワースとしてもランスに賛成であった。どうやら自分の味方をする人間はいないのを察して、途端にドットは慌てる。
「いっ、いやでも今日は割と元気な方っすよ!なんかいつもよりよく寝れた感じがして……」
「本当かよ」
思わず呆れた声が出てしまうが、それよりもランスが苛立たしげに指でトントンとリズムを取り出した。その苛立ち混じりの心配を向けられている本人は全く介さず「大丈夫っす!」とか言っている。本人がこう言う以上、ワースも仕事で来ているのだから止めようがない。さっさと切り上げるかと、調書を開いて呼び出した概要を簡単に説明する。
「それで、「赤い石」に連想されるモノが犯人だからそれを探しているんだけど……」
「え、「赤い石」……?」
驚きを顔全体で現したドットがランスを見る。ランスの眉間に深い皺が刻まれた。その2人の表情に、おや、とワースは目を見張る。どうやら、当たりを引いたらしい。
「いや実は、遊園地で綺麗な石を見つけたから紐で結ってキーホルダー代わりにしてたんすけど、今朝見たら紐が切れてて石も無くなっていて……」
「……なんだって?」
「その石、赤いんす……」
これくらいの大きさの、とドットは指でその大きさを示す。だいたい1cmくらいの大きさだ。というか、これだけ小粒な石を拾ってキーホルダーに加工して持ち歩くドットが凄い。よっぽど手元が器用なのか、そんなに心に惹かれるものがあったのか。気に入ってたのになぁと悄気るドットに大きくため息をついたランスが、腕組みをしたままワースを見る。
「実は、それを盗んだかもしれない犯人をオレは見ている」
「はァ!?」
「昨晩小さい動物がコイツの顔を覗き込んでいた。どこからか侵入するとは思えなかったから杖を向けて脅したら逃げた。その時に小さな赤い光が見えた」
「小さい、動物……」
「おいなんで今朝教えてくれなかったんだよ」とドットがランスに噛み付いているが、ワースにはそこはどうでも良い。職員が目撃したのも「赤いなにか」であった。素早くてその姿を捉え切れなかったから残光だけだが。ランスが目撃したのは夜の月明かりの下だっただろう。であれば、より光を反射する一部のみ目に入った可能性はある。……というか、「1cmほどの小さな赤い石」「赤ちゃん」「目撃者は小動物と認識する」時点で、該当する魔法生物は限られる。顎に手をやって考えていたワースは、何度自分の推論を検証しても同じ回答に辿り着くのを確認して、頭を上げた。その視線の先には、自分の魔導書がいる。唯一、禁書と直接話をして、「赤い石」の像を正確に結んでいる魔導書が。
「……なぁ、リトルデビル?俺らが探している「赤い石」には、……尖った耳がついているか?」
「は?……ワース先輩なに言って、」
「ついてるよぉ」
「付いてんのかよ!?」
にこにことしているリトルデビルは自分の頭の上に両手を開いて載せ、ぴこぴこと動かしてみせる。
「とがった、ながいおみみ」
にやりとワースは笑ってわしわしとリトルデビルの頭を撫でる。これで最後のピースが揃った。
ワースは仕事用の端末を取り出す。ソフィナ直通の番号が入っている。これなら書庫に居ようが関係はない。しばしの呼び出し音の後、ソフィナの涼やかな声がした。簡単な挨拶の後、すぐに本題に入る。
「犯人の正体が分かりました。……カーバンクルです」
──カーバンクル?……ああ、なるほど……
即座にソフィナは納得した。ひょっとすると、可能性のひとつとして初めから考えていたのかもしれない。
カーバンクルは額に赤い宝石をつけた魔法生物だ。その宝石はルビーやガーネットに限りなく似ているが、実際には少しばかり違う。主に、その魔力含有量が。
魔力の満ちた鉱山で産まれたカーバンクルの宝石は、周囲の魔力によってすくすくと成長する。月光などの魔力を宿す光の下では、その宝石ばかりがキラキラと輝くだろう。だいたい1cm程の大きさに育つと、魔法生物としての実体が取れるようになり、主に魔力を持つ植物や他の魔法生物を餌にさらに育っていく。所謂、雑食の魔法生物だ。宝石としては直径3cmほどまで育てば成体である。大抵は各地を転々とし、数年すると産まれた鉱山へ戻り、新たな宝石を子供として産む。ある意味では石であり、またある意味では動物でもある魔法生物なのだ。魔導書たちが「石がいる」と言ったのは間違いではない。魔力をよく蓄える煌びやかな額の宝石は、その美しい輝きのまま額から抜き取ることが非常に難しい為、高級宝石として乱獲された時代がある。今は絶滅危惧種に指定されていて保護団体が運営する特定の地域にしかいない。……まぁそれでも、監視の目を掻い潜って宝石として出回ることもある。
カーバンクルの魔法生物としての姿はフェネックやウサギに似た四つ足の動物で、まさしく「とがったながいおみみ」が特徴的だ。1cm程度の子どもであれば恐らく片手で収まる程度の大きさにしか変体出来ない。止まった換気扇なら、簡単に侵入するだろう。……ただし、そこまで育っていても、成体になるまでとにかく魔力を食う。元々「霊山」とか称される鉱山にしか生息しないし、大量の魔力を体に取り込めなければ餓死して、額石は燃えて灰になってしまう。はっきり言って、大気中に含まれる魔力そのものが薄いはずの市街地にいる時点で謎だし、無理があった。
ドットの衰弱は、装飾品として持ち歩いたせいで魔力を吸われていたのだろう。通常、宝石として扱われるカーバンクルの額石は既に死滅して成長しない石であるし、生きている石状態のカーバンクルでも持っていた程度でそのようなことは起きない。しかし彼の固有魔法は火炎系だ。カーバンクルもその赤い色通り、火炎系の魔法を使う。ようは、相性が良すぎたのだ。野生のカーバンクルは、魔力を含む呼気を赤ん坊の石に吹きかけることもあるという。人間も通常の生活をしていても無意識に魔力を発している。所謂「存在感」とか呼ばれるような気配だが、それを少しずつカーバンクルが吸ってたとして、1ヶ月近くも吸い取られ続けたら、さすがに睡眠でも回復し切れなかったのだろう。学内で魔力を含む薬草や薬品が奪われたのも尤もなことである。禁書たちに「赤ちゃん」と評されるカーバンクルを賄えるだけの魔力がイーストン魔法学校にないのだ。たぶん、「赤い石」は腹を空かせている。
──ではオーターに連絡を。
「魔法生物管理局じゃなくてですか?」
──一応私たちは生物の形になったカーバンクルをまだ見ていませんからね
宝石の状態で発見されたカーバンクルは、魔法魔力管理局の所管だ。まだ動物と宝石の境目を行き来する姿が安定しない幼体でも間違いなく魔力を持つ石であるからだ。しかし一方で、動物の形で行動するようになった成体のカーバンクルは魔法生物管理局の所管である。魔導書の証言によれば動物の形を取っていそうではあるが、言語感覚が違うように、見えている姿も異なるかもしれない。確かに魔法魔力管理局に支援要請をするのが正しい、のだが。
「……俺にひとつ、考えがあるんですが」
──?
「カーバンクル、捕まえてみてもいいですか?」
ちらり、と後輩たちを見遣る。
とりあえずドットは魔法局から医者を寄越してもらうとして、いくつか準備するものがある。ただそれでも夜までは掛からないだろう。ある程度、自信があった。元々知っているカーバンクルの知識、そして現在のイーストン魔法学校の状況、これらを鑑みて、それなりに成功率のある罠を仕掛けられる。
──分かりました。では魔法魔力管理局が到着するまでの間はワースくんに任せます
「はい!」
追加で三言二言ソフィナからの指示を受けて、ワースは通信を切る。可能であれば、カーバンクルはなるべく早く捕まえなければならない。希少魔法生物であることもあるが、母体から離れ生物の形を取っているカーバンクルの幼体は、一定以上の魔力を定期的に与えなければ死んでしまう。いまカーバンクルがどの程度成長しているかは分からないが、魔導書たちを齧ろうとしていた辺り、間違いなく生きている。カーバンクルは死ぬとその額の宝石が灰になって燃えてしまう。純粋に危険だし、それ以上に故郷から離れこんなところで死んでしまうカーバンクルは、ひどく哀れであった。その為に、早く手を打ってやらなければならないのだ、が。
「…………」
ワースは、大きく深呼吸を繰り返す。既に心臓がばくばくとしていた。そういえば、オーター相手にチャットのメッセージを送ったことはあっても、直接電話をかけたことはない。業務連絡なのだから、電話でするのが筋、なのだが、……緊張するなと言う方がおかしい。
「……ワース先輩?」
ドットとランスが不思議そうにワースを見る。「見せモンじゃねェぞ」と思わずがなりたくなったが、照れ隠しの上に恥を塗るようなものだから我慢した。すぅはぁと深呼吸をして、リトルデビルを呼ぶ。
「ちょ、ちょっと手ェ握っててくれね?」
「いいよぉ」
ニコニコとしているリトルデビルは本当に楽しそうだ。遊園地から戻った後に「オーターに直接好きとか言っちゃダメ」「ワースの気持ちを他の人に言うのもダメ」と厳命したから、オーターを想ってワースが頼って来るのが嬉しくて仕方ないらしい。くそう、このやろう、覚えてやがれ。
左手を捧げ持つようにリトルデビルに両手で握られたまま、ワースは通話のボタンを押す。呼び出し音が、ひどく長い。その度に心臓がバクバクと跳ねた。もしかして仕事中で電話とか取れないのかな?とワースが思い始めた頃、プッと回線が繋がる音がする。心臓が口から飛び出るかと思った。
──……ワース、ですか?
「え、えと、はい……」
はいってなんだ、はいって。
混乱しつつも、柔らかく温かいリトルデビルの手がしっかりワースを現実に引き留める。電話越しに、オーターがいま、確かにこちらに耳を傾けている。落ち着け落ち着けと心の中で唱えながら、ソフィナの指示を思い出す。
「知の神杖と訪れているイーストン魔法学校で、カーバンクルの被害が確認されました。恐らくまだ子どもで、魔宝石と魔法生物の姿を行き来している様子で」
──なるほど、それで支援要請、と
「一応今夜、俺が捕獲を試みます。……えぇっと、オーターの弟子のドット・バレットがだいぶカーバンクルに魔力を吸われている様子なので、対応できる医者を手配して頂きたく……」
──……もしかしてそこに、ドットとランスはいますか?
ワースはスピーカーフォンに切り替えて、2人に返事をさせる。オーターが軽くドットの様子を尋ねて、石状態のカーバンクルを手に入れた経緯を確認した。その落ち着いた声に、先程までの混乱していた自分が恥ずかしくなる。
──……分かりました。それではその事件の担当者を医師とともに向かわせます。ところでワース
「は、はい」
──彼らに、お前がカーバンクルを捕まえるところを見学させても良いですか?
「………………え、」
ランスとドットを順に見る。2人とも「ほぉ、」という驚きの顔をしていた。そりゃそうだ、一応彼らはオーターの弟子ではあるが、魔法局の人間ではない。見学とは言え捻じ込ませるのは、言ってはなんだが「規律の鬼」のオーターらしくない。
──ワースの扱う魔導書は非常に特殊ですから、きっと学ぶところが多いでしょう
「オーターさん……」
──あと、絶滅危惧種の特殊な魔宝石を所持していた経緯について、もう少し細かく、はっきりと、丁寧に、聞いておかねばなりません。
「……オーターさァん……!」
ドットが「アレは違うんすよ不可抗力ってェか……!」と一生懸命弁解していたが、オーターは淡々と、「お前は所持しているだけで罪になる物品があることは知っているか」と取り合わない。話に聞くカーバンクルの子どもの額石じゃ気付けというのは酷であるが、そこは師匠の指導のうちなのでワースは素知らぬふりをした。
──……私もそちらに、夜には到着しますので
「えっ!?」
──…………、なにか、不都合でも?
「いっ、いや全然……つか、忙しいんじゃねェの?」
あ、しまった敬語が崩れた、とワースは思ったが、電話口のオーターはふふっと笑っただけだった。
──なんとでもします
「いっ、いや、ホント……ほどほどに……」
──大丈夫です。たいした仕事はありませんから
天下の魔法魔力管理局に回って来る仕事が「たいした」ことない筈がないのだが、ワースは実際のところオーターがどんな案件を抱えているのかも知らないし、知れるような権限もない。よってワースに許された返事は了承しかない。
「……あんま、無理すんなよ」
──…………
「でも、ありがと。待ってるから。……あ、でも先にカーバンクル捕まえちゃっても文句付けるなよ」
我ながら可愛くねーな、と思いながら定型的な挨拶を口にして、電話を切った。目を丸くした後輩どもがこちらを見ている。
「……ンだよ」
「いや……」
「ワース先輩、オーターさんと仲良くなったんだなぁって……遊園地の時あんなぎこちなかったのに」
「うっせ」
2人の言葉を聞いて「なかよしー!」と歓声を上げるリトルデビルの額を指先で弾いて、端末の別の連絡先をタップする。額を押さえたリトルデビルは「いたい」と涙目で抗議をするが、これはやっぱりお前が悪い。頬をむにむにと親指と人差し指で挟んだ。
コイツ出る気ないなと思う長さの呼び出し音をしばし放置すると、向こうも根負けしたのか、ぷち、とつながった音がする。
「……よぉ。ちょっと提供して貰いたいもんがあるんだけど」
ニンマリと笑うワースの耳は、オーターとの電話の余韻でまだ赤く色付いていた。
◆◇◆◇◆
喉を鳴らして親を呼ぶ。
けれどちっとも、誰も応えてはくれない。これだけ空気が薄いのだから、当たり前かもしれない。
世界の中で自分以外は全て死んでしまったのではないかと思う。……きっとそんなことはないけど。また木の気配が沢山ある所に行ったら怒られるかもと思ったら、今度はふたつの足で歩くものに追い回された。お腹が空いた。もう悲しくて、何も考えられない。
そこに、ふと、芳しい香りがした。
わたしは、少し迷った。
ほんのちょっぴり、木の気配がする。2度も叱られては、さすがにアレが危険だとわたしも学ぶ。
けれど、ふわふわと漂って来る匂いは、すごく美味しそうだ。
どうしよう……。
最後の力を振り絞って、わたしは歩を進める。
だってもう、これを逃したら、食べ物にあり付くチャンスはないかもしれない。
◆◇◆◇◆
オーターは自らの端末が着信を知らせた時、自分の目を疑った。そして手に持ったまま、しばしフリーズした。バイブレーションがフロア内に響き渡る。席の位置的にオーターが見えにくい者は、自分の端末の着信かとガサゴソ端末を確認したほどだ。
「あ、あの、局長……取らないんですか?」
ぶるぶる震える端末を眺めながら固まってしまった魔法魔力管理局局長に、部下がおずおずと話し掛ける。ハッとしたように顔を上げたオーターは、珍しく困り切った声で応じた。
「……ど、どうやって電話って取るんでしたか……」
「えっ、」
「ワースから、着信しておりまして……」
そう呟くオーターの声は消え入りそうだった。自分の頬をつねっている。ゆ、夢と疑っている……。正気に戻るのは局員たちの方が早かった。
「きょ、局長!」
「横にスライドするんです!」
「だいじょうぶ、いけます!」
何をどうして励ましているのかちっとも分からないが、部下たちは口々にオーターを応援した。普段は神覚者屈指の武闘派としてばったばったと治安を乱す者たちをその砂の下に沈めているオーターが、弟からの着信に手を震わせている。じいっと画面を見詰める顔はいつもの無表情である。しかしフロア内の局員たちには分かる。アレはめちゃくちゃ緊張している……!
出ないと思われて切れてしまうんじゃないかとハラハラするくらいのコール音の後、オーターの指が端末の上を走る。そうして、目眩がするほどゆっくりと、オーターが口を開いた。
「ワース、ですか?」
魔法魔力管理局内は、息苦しい程の沈黙が支配した。誰も彼も、オーターとその実弟の会話を邪魔してはならぬと心の内に固く誓っていた。なんせ週初めから急ぎの、しかもかなりヤバい案件が浮上してきて例にないほど今週は大変だったのだ。オーターは確かに、少しばかり厳しいきらいがあるが、それだけで特に理不尽な上司という訳ではない。ただこう、激務ゆえまずい案件が飛んで来やすい魔法魔力管理局において、昼休みを挟めば確実に機嫌良くばりばりと仕事を捌いてくれる上司というのは、非常にありがたい存在である。別に今週のオーターが悪かったのではない。強いて言えば、局員たちが機嫌の良いオーターとその情報処理能力に慣れてしまっただけである。それなりに大人であるし責任のある立場だから多少不調でも仕事に邁進してくれているが、実弟と話した後のノリに乗っているオーターとは比べるべくもない。局員の何人かは、いつもの超人的な働きと実弟なしの局長の落差に慄いた。機嫌で大抵のことをカバーしていてくれたようだが、業務フローの改善をしないとこのひとそのうちぶっ倒れる、と魔法魔力管理局次席は頭を抱えた。魔法局は神覚者に選ばれるようなひと握りの天才に局を率いらせるような仕組みであるし、この魔法界においてその施策はある程度正しいが、負担が偏りすぎるのは良くないと、各々の局員が強く思うような週の前半であったのだ。その辺りでどれだけ大変だったか察してほしい。うんうんと頷きながら禁書管理局からの支援要請を受諾するオーターの背後には、ふわふわと花が飛んでいるように見えた。今週様々なトラブルに巻き込まれた局員たちはちょっと目頭が熱くなった。よかったね、局長、と。しかしそこに大きめな爆弾が落とされた。
「私もそちらに、夜には到着しますので」
え、と各局員は目を見張る。いま緊急で来てる案件、最悪深夜まで掛かると思うんですが……?なんなら、今週いっぱい使っても終わるか怪しいですが?と顔を見合わせた。イーストン魔法学校と魔法局はそこまで離れていないがしかし、これ解決してから行くのは時間的に無理ではないか……?
二、三、話してオーターが電話を切る。そして時計を確認した。16時過ぎ、魔法魔力管理局的にはもう少し経ったら軽食の買い出しをしてもうひと踏ん張り、というくらいの時間である。
「……まぁ、いけますね」
フロア内の局員たちの心はひとつになった。「マ?」と。
……しかし恐ろしいことに、オーターの口にした言葉は希望的観測でも願望でもなく、ただの事実であることが証明されたのが、それから4時間後であった。後に魔法魔力管理局次席は語る。「あれって、何かの魔法だと思うんだよね」と。
***
箒をかっ飛ばしながら、オーターは時計を見た。これでもだいぶ巻きで仕事をしたつもりだったが、当初予定していた時刻までにはイーストン魔法学校には到着しない。頬を撫でる風に紛れながら小さくため息をついた。
イーストン魔法学校へ出張中のワースから連絡が来るなど、まさしく青天の霹靂である。ぼんやりとしていたオーターの空はどんがらがっしゃんと大きな音を立てて崩れた。今週は全然やる気も起きず、なのに面倒臭い案件ばかり積み重なっていき本当にげんなりとしていたが、ワースの支援要請であれば話は変わって来る。何を差し置いてもそちらが優先だ。……とはいえ、業務上間違いなく優先しなければならない案件は当然今週頭から取り掛かっている案件の方であるので、少々強引な手を使って解決させた。そもそも魔法魔力管理局が最終的に有形力を行使できる管理局であることを知っていての相手方の不遜な交渉手法であったので、さして問題はない。潰そうと思えば初めから潰せたが今週は本当にやる気は起きなかったし、なるべく穏便に、というのは最近の魔法魔力管理局の方針であった。……あったが、まぁ、何事にも例外というのは付きものである。致し方ない。
遊園地で起きた魔宝石取引事件の担当者には、明日専門の医師と共にイーストン魔法学校へ来るように言い伝えている。ドットが衰弱している、との話だが、そう簡単に倒れるような少年でもないし、本当にまずそうであればとっくにランスが病院にぶち込んでいるだろう。あれで、オーターが面倒を見ていた少年たちは仲が良いし、さほど相手の意思を尊重しない。相手の生命に危機が迫っているならばその意思を無視して我を貫き通すだろう。あれで仲が良いのが不思議であるけれども。寧ろ、単身でカーバンクルを捕まえると豪語したワースの方が心配であった。……いや、幼体のカーバンクルが使う程度の火炎魔法ではワースに手傷を負わせることすら難しいだろうとは分かっている。ただ今回はあくまで「捕獲」だ。手加減が必要であるし、飢餓状態と考えられるカーバンクルがパニックになって何をするかは想像しにくい。ドットとランスがいれば、多少の戦力になるだろう。……別に、ワースの魔法が参考になるという話は嘘ではないが、学生が張り付いていてくれた方が、ワースは無茶をしないのではないかという期待があった。あれで卒業後もなんくれとイーストン魔法学校へ足を運んでいるそうだから、学生と魔宝石なら学生の保護を優先するだろう。
見えてきたイーストン魔法学校の建物に、オーターの箒は僅かにスピードを緩める。慣れたワースの気配を探ると、大きく2つ分の魔力が感じられた。
「?」
人型の、すこし薄い魔力がワース本人だろう。カーバンクル捕獲のために身を潜めているらしい。近くに複数人の魔力を感じる。それとは別に、より大きなワースの気配が中庭にある。ふわふわと香り立つような魔力の残滓はさながら撒き餌のようだった。実際、カーバンクル用の罠かもしれない。ワースの目論見を邪魔しないように、オーターは自分の気配を消しつつ、中庭が見えるベランダへ降り立つ。
(……なんだ、あれは)
月光の下、ぼってりとした泥の塊がそこにあった。塊というか、小山だ。洞窟のようにいくつか穴が開いている。薄い結界の膜で覆われていて、その結界には小さな通気孔のような穴が開いていた。ここから漏れた魔力をオーターは感知したのだろう。
(そういえば)
カーバンクルは鉱山に生息する魔法生物兼鉱物である。彼らの巣穴は自然、鉱山の壁に砂や泥を集めて固めたものになる。まさしく今、中庭にある泥の塊のように。オーターにも図鑑でちらりと見た覚えがあった。……ただし、カーバンクルは絶滅危惧種な上に生息地は人間が容易に入っては行けない魔素の強い地域であるから、細かい生態は実のところ分かっていない。同様の巣穴が見つかっていない保護区もあるし、異なる形態である可能性もある。あの形の巣が正解であるか、現時点では誰も知らない。風がざわりと動いて、雲に隠れていた月がその姿を表す。次の瞬間、泥の塊を覆っていた結界が消えた。同時に、本物のワース達も移動を始める。
「……!」
中庭の見える出窓の近くにいるから、オーターはその泥の塊とはそれなりに距離が離れている。しかしそれでも分かるほどの濃厚な魔力が溢れ出した。たぶん、これに蓋をしておく為に結界を付けていたのだろう。これだけの魔力が溢れ出ては、隠れている本物のワース達の居場所を追うのは難しい。ワースの魔力と月明かりでキラキラとしている中庭に、ひょろりと赤い光が見える。そうだ、カーバンクルの額石は月明かりの下では赤く輝くのだ。その説は様々あるが、基本的にカーバンクルは魔宝石の形で生を受ける。幼体の頃は親から与えられた呼気や周囲の魔力を魔宝石を通じて吸収しているという説もある程だから、魔力を内包する月光に反応するのもあり得ないことではない。
オーターの肉眼でも、泥の塊の周りをうろうろとするカーバンクルが確認できた。泥は所々に洞があって、身を隠すことも出来そうだった。ふすふすと警戒して鼻を動かすカーバンクルが一歩、また一歩とその隙間に足を踏み入れていく。小さな尻尾が泥の洞に入り込んだところで、ぐにゃりと泥が形を変える。
「……ほお」
異変を察知したカーバンクルが逃げ出そうとしてももう遅い。くるりと丸ごとカーバンクルを包んだ泥は、もぞもぞと仕切りに形を変える。その最中、ベンチの陰からぴょいと人影が現れた。ワースである。手を差し伸べてカーバンクルが入っているらしき泥に触れると、瞬間泥が落ちる。カーバンクルを内包していない不要な部分だろう。削ぎ落とされていく泥は段々と形を整え、格子で覆われた箱型に姿を変える。中にいるのは、赤い輝きだ。
ふっとオーターは口元に笑みを刻む。さすが、と言い捨てるのは失礼だろうか。ワースならカーバンクルの捕獲くらいやってのけて当然だ、という納得と、これだけ精緻な魔法制御をやってのけるのは彼くらいだという誇らしさがない交ぜになる。先に上空を通り過ぎた図書館でもワースの泥人形の気配がしていたから、かなりの魔力を消費していることだろう。図書館に置いた2体、中庭に置いた泥の簡易洞穴、そしてそれを覆う結界は全て異なる性質の付与魔法を付けていたはずだ。けれどワースはどれも制御を失っていない。物陰からイーストン魔法学校のローブを着た影が3人現れる。……おい待て、オーターが見守りにと指定したのは弟子2人である。最後の1人は誰だ。
ここにもしもオーターの部下がいたならば、珍しいと目を見張ったことだろう。オーターは大急ぎで箒を掴み空へ躍り出た。
◆◇◆◇◆
なに、なになになになに!
突然形を変えた地面はわたしを包み、上も下も分からなくなった。
……もしかしたら、何か怖いものの腹の中なのかもしれない。泥は相変わらず木の気配がしていた。
終わった、もうダメだ。
わたしはキツく瞳を閉じた。
◆◇◆◇◆
警戒していたカーバンクルがおずおずと、しかし確実に泥の罠に入り込んだのを見届けてから、開いていた手をギュッと握り込む。その瞬間泥がカーバンクルを包み込んだ。計画通りである。
カーバンクル攻略法と言っても、たいしたことはない。……というか、カーバンクルの生態は分からない事の方が多いので、そう大それた話ではない。カーバンクルの生息地は魔素の高い鉱山だ。それこそ大気に含まれる魔力が高すぎて人によっては卒倒したり幻覚を見たりする、苦諦を旨とする人物しかろくに分け入っていかないような場所である。
ワースの泥にカルパッチョから提供させた魔法薬を混ぜ、これまたカルパッチョに提供させた魔力を含むお香を焚いてみた。ちなみに、「カーバンクルを間近で見てみたくないか」と聞いたら乗ってきたので、やっぱり割と可愛い後輩である。これに結界を張って魔力を満たし、頃合いを見て一部だけ結界に穴を開ければ、強い魔力の気配に惹きつけられて向こうから勝手にやってくる。あとは泥内部に入っていくよう誘導するだけである。
カーバンクルを包んだ泥を変形させる。中身が見えるように格子状の柵が付いた箱状にすると、中で小さな生物がぷるぷると震えているのが見て取れた。煌々とした額石さえなければ、まるきりフェネックである。毛艶が悪く尻尾もすかすかしているのは恐らく栄養失調からだろう。耳をぺったりと下げているのは警戒の表れか。ドットが覗き込むと耳がピンと立った。うるうるとした小動物の瞳で甘え声を上げる。ドットにはその認識はないだろうが、1ヶ月もの間、知らず知らずに魔力を提供して魔力の高い薬草等がある場所へ次から次へと案内してしまっていた訳だから、カーバンクルにとっては仮初めの親だろう。きゅるきゅるとした高い声はなるほど確かに、魔導書達が「赤ちゃん」と言う訳である。
「かっ……かわいい……!」
「……お前は少し、懲りると言うことを知れ」
「痛っ!?何するんだよ馬鹿!」
無意識だろうが、ドットがカーバンクルに向かって差し伸べた手を、ランスが叩き落とす。実のところ、かなり乱暴であることに目を瞑れば、その行動は正しい。恐らく今いるメンバーの中で、最もカーバンクルと相性が良いのはドットだ。たとえ相手に悪意はなくとも、依然として魔力が足りないカーバンクルに魔力を吸われかねない。顎に手をやったカルパッチョがしげしげと檻の中のカーバンクルを見つめる。観察者の視線にカーバンクルは明らかに警戒を強めた。
「なるほどこれがカーバンクル……ねぇワース先輩、」
「ダメに決まってんだろ」
「……まだ何も言ってないんだけど」
爛々としたカルパッチョの瞳を見れば分かる。たぶん貰って良いかとかそんな話だろう。絶滅危惧種を簡単に飼育しようとするな。
「……でもカーバンクルの研究は本当に進んでいなくて、」
「知ってる。……知ってるから話をややこしくするな」
マドル家にはペットはいないが、世の中的にはペットを強請る子供とはこのような顔をしているのだろう。それを感じさせる表情でカルパッチョは駄々を捏ねる。頭が良い分本当にタチが悪い。迷いカーバンクルとはいえ確実に違法な手段で都市に来てしまっているのだから、拾得者として権利を主張するな。マジでやめろ。檻の中のカーバンクルを腕の中で守りつつ、カルパッチョの無意味な駄々をしばし聞いて、ワースは大きなため息をついた。
「……そんなにカーバンクルが気になるなら魔法生物管理局とか魔法研究管理局とかに共同研究申入れろよ。お前ならどっちでも引っ張って来れるだろ」
「……確かに」
顎に手を当てて考え込むカルパッチョを一旦置いておいて、ワースは泥の檻に魔力を込める。一瞬だけビクついたカーバンクルは、次第にぺったりと腹這いになって檻に身体を隙間なくくっ付けた。檻には目に見えないほど小さな無数の穴があり、吹き出し口のように魔力が注げるようにしている。柵には結界も取り付けているから、これで魔力が循環し、外にいるよりも高濃度の魔力空間となる。市街地よりもカーバンクルが生活していた地域に近い空気になっているはずだ。漏れ出る魔力に警戒心よりも安心感が勝るのだろう、腹這いになったカーバンクルは忙しなく瞳をキョロキョロとさせている。その隙に事前に準備してきた摺り下ろしたりんごを檻の隙間から口元に差し出す。ぱちぱちと瞬きを繰り返したカーバンクルは小さく舌を出して摺り下ろしリンゴを舐め、驚いたように目を見張るとすぐにスプーンを舐め尽くす。ワースはせっせとカーバンクルの口元に摺り下ろしりんごを運んでやった。
植生的に、カーバンクル生息地の鉱山には果樹がある。一応その果実はカーバンクルが口にしているのも確認されていた。もちろん今からそんな辺境の果物なんか取り寄せられないが、同じバラ科の果実なら食べられるかも知れないと思って、ワースの魔力をふんだんに混ぜて調理してきたのだ。魔法魔力管理局に引き渡す繋ぎになるなら何でも良い。結果的に摺り下ろしてきたりんご1個分と、それを食べなかった時用に準備してきた薬草と魔力精製水を混ぜた魔法生物向け離乳食を保存容器1つ分、魔力欠乏気味の魔法生物向けの栄養剤3本を全て飲み干して、ようやく落ち着いたのか、ちいさくげっぷをした。……ワースが想定していたよりもずっと食べる。よかった準備してきた食べ物が足りて。
「ん?……リトルデビル?」
にこにことしたリトルデビルが泥の檻を覗き込む。腹が膨れてウトウトとしていたカーバンクルはぴゃっと跳ねて檻の隅に寄る。なるほど、『深淵』が感じたカーバンクルが魔導書に手を出すと怒られる、と学習しているという話は本当だったらしい。明らかにカーバンクルはリトルデビルに怯えていた。しかしリトルデビルの口から出たのは、禁書たちと話す時のあの不思議な旋律であった。大きな耳をピクピクとさせていたカーバンクルは、きゃうきゃうと小さく鳴く。しばしリトルデビルの声とカーバンクルの鳴き声が混じり合い、リトルデビルは納得したようにひとつ頷いた。
「もうがぶーってしないって」
「……いやもう少し喋ってなかったか?」
「しゃべってないよ?」
若干リトルデビルの言葉が正しいか判断に迷う。……が、そもそもカーバンクルと話せたのか。まぁ、魔導書もそれぞれ作成年代や言語が違ってもコミュニケーションを取れている素振りであるから、あの不思議な旋律で「話しかけられる」範囲はもう少し広いのかも知れない。カーバンクルとリトルデビルのやり取りをじっと眺めていたカルパッチョが顎に手を当てる。
「……もしかしてソレ、音魔法?」
「リトルデビルの「声」か?いや多分違うけど」
「なんで言い切れるの」
「魔導書みんな同じように喋るし……?」
そう突き詰めて言われるとワースにも迷いが生じる。なんせ、オルカの元寮長はあのマーガレット・マカロンだ。カルパッチョには最高の音魔法を間近で見ていた経験がある。そしてワースの方に根拠があるかと問われれば、ない。というか、魔導書が人間とは違う形式のコミュニケーションを取るのは当然だと思っていたので疑問にも思わなかった。まさかとは思うが禁書たちは皆、音魔法を通して会話をしていたのだろうか。リトルデビルがカーバンクルの姿を正確に理解していたのも、映像情報ごと音魔法で伝えていたのならば理解は出来る。カーバンクルも魔宝石と魔法生物の中間くらいの存在であるから、魔宝石を介して音魔法を受信出来ているとすれば、やはり納得は行く。しかしそれは恐らく人間では受け取れる情報量ではない。とはいえ、もしも魔導書の会話可能範囲が、魔法鉱物のような形で魔法を受信できる生物にも及ぶのだとしたら。それは魔導書の言語研究以上の意味を持つ。ふっとカルパッチョは笑った。最近では久しぶりに見る、本当に楽しげな笑みであった。
「興味深いね」
湧き上がる感情は、敗北感、と言う奴だろう。天才相手では仕方あるまい。この辺りに関しては在学中に諦めが付いているので、叫びたくなる悔しさよりは膝を叩いて「やられた!」と言いたくなるような爽快感があるが、敗北感は敗北感だ。この研究を始めてから魔導書の声を一番聞いていたのは自分である自負があったし、実際リトルデビルに通訳の指示を出していたのはワースである。自分が、間違いなく「お喋り」している魔導書たちを一番知っている。けれど、音魔法を行使している可能性などちっとも疑いもしなかった。本当なら、真っ先にワースが気が付くべきだったのに!
(じゃあ魔導書はみんな音魔法を使えるって事か?それとも受信しやすいのが音なだけで他の魔法でコミュニケーションを取っているのか?)
今回のイーストン魔法学校図書館所蔵の禁書だって、ワースの耳でも違いが分かる音で「喋る」禁書もいたが、そういえば黙っているのではないかと思うような静かな禁書もいた。リトルデビルが個体識別していたので気に留めていなかったが、アレはもしかして音魔法を使用しない禁書ではないか。考え出すと切りがない。
「ワース先輩の論文って、いつ出すの?」
「……うちの局長が、早けりゃ早い方が良いからって、とりあえず春の学会に出て、そこで受けた指摘を元に冬完成を目指そうか、って」
「そう。楽しみにしてるね」
「お前!まじで辞めろ、本っ当!」
「酷いな。本心なのに」
カルパッチョは絶対学会に潜り込んでくる。そういう奴だ。なんならヤバい教授と一緒にくるかもそれない。なんせ、そういう人脈に事欠かない奴だからだ。こっちはギリギリ会員になっているような禁書研究学会で、発表する時間をもぎ取ってくれたソフィナの面子の為にも無様な発表は出来ないというのに。絶対やばい質問してくるじゃないか。頭を抱えるワースを見てカルパッチョはふっと笑う。
「ワース先輩、新規性の塊じゃん。今から春が楽しみ」
言われて、思わずため息をつきながら頭を掻く。この神童にとって「新規性が高い」なんてのは強めの褒め言葉だ。嬉しくないはずはない。……ただその、荷が重すぎるだけで。
「……当たり前だろ、誰に向かって口利いてんだ」
ぶっきらぼうに言うと、ふっとカルパッチョが笑う。彼が何かを口にするより先に、ざわりと肌に触れる風が渇いた空気を孕んだ。ワースが視線を上げると、月明かりに黒い人影がある。箒に乗った誰かだ。ぐるりと旋回したその影は、音もなく地面に降り立つ。見間違えようがない。砂の神杖そのひとだった。現金なことに、ワースの気持ちもぱあっと晴れ渡る。到着予定を知らせてくれていたが遅れる連絡が来たので、予定通り作戦を始めてしまったのだ。カーバンクルを捕まえるには、月明かりが出ている時が1番やりやすかったから。
「オーター!来てたのかよ」
「つい今先ほど。ちょうどカーバンクルを捕まえたところはあそこで見ていましたが。……ところで」
眼鏡の位置を直したオーターは、淡々とした口調で言う。
「そちらの彼、紹介して頂いても?」
あれ、とワースは思った。カルパッチョのことを知らなかったか。少し意外な気もしたが、有名人の天才同士だからって全員知り合いな訳でもないし、特にカルパッチョとオーターは同時期に同じ校舎で在籍したこともないはずだから仕方あるまい。ちらりと見ればカルパッチョは特になんのリアクションもしていない。……まぁ、らしいと言えばらしい。
「こちら、カルパッチョ・ローヤン。中等部から目を掛けている俺の後輩。今回手持ちの薬草や薬剤じゃちょっと足りなかったから提供してもらった協力者だ。……カルパッチョ、知っているとは思うけど、こちらオーター・マドル。砂の神杖」
カルパッチョが軽く会釈をしたが、オーターはとにかくじっとカルパッチョを見つめている。なんとなく視線も険しいような。後輩がなにかした可能性の方が高いので、ワースは戦々恐々だ。
「……ん?あれ、カーバンクルの捕り物にどうしてワース先輩の元兄貴が出てくるのさ」
「もと、あにき……」
「お、おいカルパッチョ」
失礼だろ、と言うかどうかワースは一瞬悩んだ。オーターはショックを受けている素振りであるが一応、カルパッチョの言う通りではあるのだ。ちょっと直接的過ぎる言い方なだけで。というか、カルパッチョお前、よりにもよって砂の神杖のことを「ワースの兄」として認識していたのか。確かにワースの方が些か身近かもしれないが。腕組みをして小首を傾げたカルパッチョは「どういうこと」と続ける。
「結局カーバンクルに関心がある時は研究管理局に言えば良いの?魔法生物管理局なの?それとも魔法魔力管理局なの?」
「子供のカーバンクルは魔宝石と魔法生物の中間くらいなんだよ。だから魔法魔力管理局。成体になっているなら魔法生物管理局。全般的な研究の話は研究管理局」
「ややこしい」
「俺に言われても知らねェよ」
「あぁでもテーマどうしようかな…気になることが多すぎる…」
ぶつぶつ独り言を言いながらカルパッチョは檻の中のカーバンクルをつつこうとする。マイペース過ぎる。折角腹も膨れて安心して眠りそうなのだから触るな。思わず腕の中に庇うと、今度はリトルデビルがちょっと嫌そうに顔をしかめる。確かに魔力を持つ生き物としては、……いや書籍を生き物カウントしていいかは分からないが使い魔の類いと捉えれば、若干魔法生物と魔導書は似ている。「新入り」ばかり構われるのは良い気がしないだろう。ワースは少し考えた。けれども、今回の保護対象は間違いなくこのカーバンクルだ。それなりに、大切に扱ってやらねばなるまい。
「オーター。……オーター?」
「……な、なんでしょうか……」
「気にすんなって、カルパッチョこういう奴なんだよ。悪意はないから「うるせぇな」で聞き流して良い」
「ちょっとワース先輩、」
「それよりカーバンクル、任せても良いか」
オーターはまだワナワナしている様子であったが、泥の檻の中で殆ど目蓋が閉じているカーバンクルは、それでも睡魔に抗うようにぐらんぐらんと身体を揺らしている。禁書たちに心配されたくらいなのだからどうせ食えてもいなかったし寝れてもいなかっただろう。諦めて寝てしまえば良いものを、こういう所は野生動物めいている。泥魔法と砂魔法は、系統としてはかなり近い。ワースが作り上げた泥の檻も、オーターならそのまま引き継げるだろう。
「コイツらの生息地と同じような状況を、檻の中で再現してんだ。常時魔力は流してるんだけど、柵の内側で循環させて……」
「……あぁ、なるほど」
そっとオーターの指先が檻に触れる。さしてワースの説明は上手くなかったが、それでもすぐ解析したらしい。相っ変わらず。カルパッチョといいオーターといい、ここには天才しかいねェのか。ひょいとワースの手から泥の檻を取り上げると、瞬く間にワースの制御下から離れて泥の檻は堅い砂の檻に変わる。中身が見えにくいように上部が砂で覆われると、足先ばかり見えているカーバンクルがその場でくるりと丸くなる。ようやく寝る気になったらしい。ここまで我慢していたリトルデビルの頭を撫でてやりながら、ソフィナからの指示とカーバンクルに食べさせた物を説明し、引き継ぎをする。この後はソフィナに報告しなければならない。端末を取り出してソフィナへカーバンクルを捕えた旨を報告すると、図書館の見回りをさせている泥人形の解除許可と宿舎に戻るように指示が来る。明日、図書館と学園側に口頭で報告し、文書の報告書は後日で良いそうだ。通信を切って、ほっとワースはため息を吐いた。見ると、ドットがオーターに締め上げられていた。いや、アイツ一応、今回の被害者なんだけど、と思ったが師弟のあれこれには口を挟むのも野暮だろう。ふと、ズボンがくいくいと引かれた。見るとリトルデビルが両手をバンザイのポーズでこちらへ上げている。抱っこして欲しいらしい。
「ワース」
「おう、おつかれ」
「ん!」
両脇に手を突っ込んで抱き上げると、ぎゅうぎゅうリトルデビルは小さな手でワースにしがみ付いた。禁書の通訳も魔法の補助もよく頑張ってくれたし、間違いなく今回の功労者のひとりだ。……いや、一冊か?分からないけども。ぽんぽんと背中を撫でてやる。
「あれ、オーター」
「はい?」
ひと通り叱り終わって気が済んだのか、オーターが杖をしまっている。ちなみにドットはその場で倒れこんでいて、カルパッチョがつんつんとその辺の枝でつついていた。……あれコイツらって交流あったんだったっけ。カルパッチョにしては親密そうな揶揄い方である。
「今日、宿とかどうすんの?俺は学生たちを寮に届けたら教員宿舎に行くけど」
「私も教員宿舎使用許可を得ていますので、一緒に行きます」
「えっ!?」
さすがに顔だけ見せてとんぼ返りするとまでは思っていなかったけれど、多忙な魔法魔力管理局の局長だからそういうこともありえるかもしれないと思っていた。まさか、泊まりとは。目を丸くするワースにオーターがひとつ頷く。
「明日、このカーバンクル密輸事件の担当捜査官が来る予定ですから、そちらと合流します。禁書管理局からは明日引き継ぐ予定ですので」
「な、なるほど……」
禁書管理局的には、金曜辞令からの週明けから出張、というのはかなり早い手続きなのだが、魔法魔力管理局はどうなっているのか。考えると頭が痛くなりそうなので黙っておくことにする。……今度なんか、健康になりそうなもの贈ろう。
学生たちを寮に送り届けると、ふっとリトルデビルの身体が軽くなる。どうやら眠ってしまったらしい。
「禁書って、眠るんですか?」
「一応な。……つっても、どっちかっつーとスリープ状態?みたいな感じらしいけど」
リトルデビルの姿を取っている時、基本的に魔導書は起きている。ただ人間的なサイクルを学習しているので、そうした常識に合わせて相応しい動きをしているだけだ。ある程度魔力を使ったら、目を閉じて休息を取る、なんていう風に。半分寝ぼけているような状態で外部刺激に殆ど反応しないが、ワースからの声はちゃんと受け付ける。初めて見た時は驚いたが、どうやら圧倒的とも思える魔法行使にもある程度の制限があるらしい。その時には使っている泥魔法も最低限の維持しかしなくなるので、殆ど魔導書と同じくらいの重さ、つまり人間の形よりも軽くなる。ただ、魔導書の形を取っている時は少々事情が異なる。こちらはたぶん、人間の生理現象に近い「眠る」が出来る。とはいえ、魔導書の方がそこまで疲労困憊している時にワースだけが元気ということはないから、直接見たことはないのだが。
人間の子供だったら、眠ったら脱力して逆に重くなるのだろう。けれどワースにとっては、この軽さが力を尽くしてくれた魔導書を1番感じられる瞬間である。
どうやってカーバンクルがいることを掴んだのかとか、取り留めのないことを聞かれて、ワースもふわふわした心地で答える。来ると言った以上、オーターは来るだろうと思っていたが、本当に目の前にいるのが信じられない。なんせ、魔法魔力管理局は多忙だ。局長であるオーターは更に輪をかけて忙しいだろう。オーターの背後でふわふわと浮いているカーバンクルを入れた砂の檻が妙な存在感を示していた。
「今日はその、マジでありがとな」
「あなたが連絡をくれたのだから、私が来るのは当然です」
腹の奥がチリチリとする。
カルパッチョに「元兄貴」と言われてショックを受けていたくらいだからきっと、ワースは小さな弟程度にしか思われていないだろう。フィン・エイムズほど可愛く振る舞えないけれど。……まぁ、血の繋がる兄に恋情を持つワースの方がおかしいから仕方がない。自分に当てがわれた部屋の前で、ワースは「あー、」とか「んー、」とか暫し言葉に迷う。しかし、今が一番のチャンスということは分かっていた。
「……あー、その、……オーター。今度一緒にメシ行こう」
「…………」
「なんだ……その……、今回の礼、みたいな感じで……」
……それってなんだかまるで、ワースとの食事が何かのご褒美みたいに聞こえないだろうか。そこまで傲慢じゃない。
「あっ、いや、俺が奢るって話!だからその……、……オーター?」
目の前のオーター・マドルは、目を開いたまま固まっていた。なにか、そんなに突飛なことを言っただろうか。そう思っている内にオーターの意識がふらふらと戻ってくる。
「ああ、失礼しました。行きましょう、ぜひ。私は今からでも良いのですが」
「良い訳ないだろ、今日はもう食事取ってるし寝るわ」
いま何時だと思ってる、寝ぼけてンのかコイツは、と一瞬思ったが、はたと気が付く。ワースはどう言う段取りで罠を動かすか把握していたから事前に学生たちに食事を取らせ自分も相応の準備をしてカーバンクル捕獲に取り掛かったが、オーターは終業後に箒を飛ばしてきたのである。なんなら、残業まできっちりこなした後で。いつもスマートになんでもこなしているイメージがあるから想像していなかったが、ひょっとしたら夕飯を食べていないのかもしれない。……いずれにせよ今からじゃもうろくに店など開いていないが。
ちょっと待ってろ、と声を掛けてから自分に当てがわれた部屋に戻り、リトルデビルをベッドに寝かせてから備え付けの冷蔵庫を開ける。カーバンクルがすりおろしりんごの方を気に入った時用に、一応切ったりんごを塩水につけていたのだ。水だけ抜いて、ついでに鞄に非常食と思って入れておいたチョコレートバーを引っ張り出す。後はフォークか。なんとか見つけ出して廊下へ出た。オーターは、別れたのとまるで同じ姿のままワースを待っていた。
「捕獲用に準備してたりんごと栄養バーで良ければあるんだけど……」
押し付けるようにそれらを渡すと、オーターが一瞬息を詰まらせる。
「家宝にします」
「……いや食えよ、腐るわ」
正直ちょっとオーターは表情が読みにくい。いつもよりいくらかキラキラとした瞳でりんごを見ているから、まぁたぶん冗談なのだろうけども。
不意に、オーターの腹からきゅるきゅると可愛らしい音が響いた。一瞬、時が止まる。
(……オーター・マドルの腹が鳴ってる……)
流石に一呼吸、ワースも耐えようとした。しかし心底不思議そうな顔で自分の腹を見下ろしているオーターを見たらもうダメだった。
「ふはっ、……はははははッ!」
オーターだって人間なのだから腹が減って鳴ることだってあるだろう。しかしまるで初めてポップコーンの調理をした時のリトルデビルと同じ顔をしている。……いや、リトルデビルの顔はワースと同じなのだから似ていて当たり前なのだが、この歳の大人の男が無垢な子供のような顔をするとは。ぱちぱちと瞬きをいつもより多くしてこちらを見る顔も妙にツボに入ってしまって、ワースは腹を抱えて笑う。それが失礼である、という常識くらいは弁えているのだが、それで笑いが止まったら苦労はしないのだ。
ひーひー、と息をどうにか整えて、食べ過ぎに気をつけろとだけ注意をした。あれだけ腹を鳴らしていたのだ、がっ付きかねない。
「それじゃ、おやすみ」
「おっ……おやすみなさい……」
小さな声が、自室に入っていくワースの背中を追いかける。それにじわりと胸の奥が温かくなった気がして、扉が完全に閉まった後、くふくふと小さな笑い声を立てた。相変わらず胸はドキドキとうるさいが、今日は楽しい気持ちで寝付けそうだった。
◆◇◆◇◆
「わたし」の意識はゆったりと揺蕩う。
それはちょうど、あの洞窟の中で泥の下にいた頃のようだ。「わたし」のカナリヤはそういう状態の「わたし」を、眠っている、と表現する。
眠るのは、けっこう楽しい。
カナリヤの歌がよく聞こえるし、その胸にぴったりとくっ付いて身体を預けると、カナリヤは嬉しそうだ。
「わたし」はカナリヤが幸せそうならなんでもするの。
憶えていてね、きっとだよ。
◆◇◆◇◆
オーター・マドルは目を開けたまま気絶していた。……ような気がする。
今日は一体どういう日なのか。ワースから電話も来るし本人に会えるし、さらには食事に誘われるとは。
これは、大丈夫なんだろうか。たぶんそろそろ隕石とか落ちてきて魔法界は滅亡すると思うが。
オーターは密かに耳をそばだてた。一応、窓の外からは何か大きな落下物が落ちる際の破壊音はしなかった。敏感なオーターの魔力感知でも、ここ周囲に危険が迫っている気配はない。ついでに言えば、ライオからの支援要請がない。まさか魔法界滅亡の危機は発生していない?本当に?現実が信用できない。
「オーター?」
「……あぁ、失礼しました」
眼鏡の位置を直す。それで心が落ち着くかと言われるとまったく落ち着いていないが、気休めである。
というか、はたと気が付いた。ワースの気が変わったら困る。
「行きましょう、ぜひ。私は今からでも良いのですが」
「良い訳ないだろ、今日はもう食事取ってるし寝るわ」
おっとそうなのか、とオーターは目を見張る。さすが、カーバンクル捕獲作戦を準備していたから、事前にそれらの手配をしていたのか。比較的早く捕まえられたと思うが、ことによると夜中張り込む羽目になっていたかもしれないし。
一応魔法魔力管理局が所管する物品やそれに纏わる情報は頭に入っている。それでも実際に暗い中庭にぼんやりと浮かぶ赤い光を見た時はなかなかにオーターも驚いたものだった。恐らく、一番慎重に選定したのはあの泥の罠を仕掛ける場所だろう。魔法薬や香を使えば結界内の魔力濃度を上げるのは容易い。問題は、それだけ準備した罠の存在をどうカーバンクルに気が付かせるかだ。カーバンクルが衰弱していたのは予め分かっていたことだし、気が付けても辿り着けない距離では意味がない。準備段階での人の気配で逃げられても計画倒れしてしまう。そもそも夜行性か昼行性かもはっきりとはしていない魔法生物なのに。比較的有名な幻想生物だから元々知っている部分があったのかもれないが、ワースのことだ、きっと作戦を実行するに当たり調べ直して準備しただろう。自分は大抵のことを砂魔法の力押しでなんとでもしてしまうから、ワースの勤勉さはまぶしく感じる。
……なんてことを考えていると、「あ、もしかしてオーター、食事まだだったか?ちょっと待ってろ」とワースが目の前のドアの先に消える。そしてややあって、透明の保存容器と栄養補給のチョコレートバーを持って戻ってきた。
「捕獲用に準備してたりんごと栄養バーで良ければあるんだけど……」
「家宝にします」
「……いや食えよ、腐るわ」
以前、フィン・エイムズから貰った箒飾りを専用の容器に入れて保護していたレイン・エイムズを頭おかしいと思っていたが、自分がその身になれば分かる。オーターもやるかも知れない。しかもりんごの方はワースが手ずから切ったものである。食べるのは余りにも惜しい。
「あ、容器はあとで返せよ。それ学校の備品だから持って帰られると困る」
容器の上に使い捨てのフォークを載せながらワースは言う。あまりに所帯じみていて贈り物感はないが、なんだかその方がぐっと仲が良くなったような気がする。カルパッチョ・ローヤンはオーターを「元兄貴」と評したが、よく考えてみると「兄貴」だった頃よりもずっと顔を合わせているし会話もしている。神童の名は知っていたもののワースとの関係性は知らなかったし、ワースがこの局面で頼りにするような後輩に「元兄貴」と言われるのはこれまで兄らしいことをしてこなかった自分が責められているような気がしたが、もはや「兄」ではなくて「友人」になったのだと思えば納得は出来る。……気にしてないど、全然ない。
不意に、オーターの腹がきゅるきゅると切ない音を立てた。言われてみれば夕食はまだだし昼食もワースが居ない食堂に行く気も起きなくて栄養補給のゼリーで済ませたのだった。最後に固形物を食べたのはいつだっただろう?つるりと綺麗に剥かれたりんごはおいしそうに見えた。一瞬目を丸くしたワースが、ふは、と吹き出した。その思わず出てしまったような笑みは、キラキラと星が舞っているように見える。呆気にとられて瞬きを繰り返すも、その輝きは減じることはない。ドキドキと胸がうるさく鳴った。思わずオーターは自分の胸を押さえる。そういえば遊園地に行った時も、同じように妙に心臓が騒いだ。拗ねたようなワースの顔にじりじりと焼け付くような焦燥感を覚えたのだ。今は少し違う。ドキドキドキと、身体中の体温が上がっていくような感覚だ。ひーひー、と腹を抱え、目尻に浮かんだ涙さえも指で擦るその姿に、やはり胸が高鳴る。
「無理してないで食べろよ。……あでも寝る前に急いで食うと気持ち悪くなるかも知れないから、明日食うのでも良いんだからな」
そう言うとワースは手をひらりと上げて「おやすみ」とドアの向こうに消える。閉まる直前になんとか「おやすみ」と返せたが、少しばかりオーターはその場に立ち尽くした。実のところオーターは、女性にも男性にもさして興味がない。「色恋沙汰って大変だなぁ」と振り回される男女を見ながらぼんやり思っていた程度で、事によると自分には、他人を愛するという回路が欠落しているのではないかと思っていたくらいだ。もちろん特に問題はないから、なんとも思っていなかった。
けれどもいま。
この胸を騒がせる感情は。
オーターは駆け足で自分に当てがわれた部屋に行く。なんの変哲もない職員宿舎は急場凌ぎで整えられたものらしく、ベッドと椅子くらいしかない。平静を装ってドアを閉める。廊下を走っている時点でそれは強がり以外の何物でもなかった。片手で思わず、自分の唇を押さえた。
「〜〜〜〜ッ」
食い締めた唇の奥から、変な声が出なかっただろうか。あり得ない、と切り捨てるには鮮烈すぎる感情の波にオーターは呆然とする。顔は、ワースに見せられないくらい赤く染まっていることだろう。
荒れ狂うオーターの心境とは裏腹に、塩味の利いたりんごは爽やかな香りがした。
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カナリヤ 8
◆◇◆◇◆
ワースは入手した授業時間表と睨めっこしていた。2-Aのアドラ寮生をどこかで捕まえなければならない。一応該当者であるドットとランスには事前にメッセージを送っている。そこから調査の足掛かりを掴みたい。
(カルパッチョの推論が正しいとして……)
アドラ寮生は我が強いきらいがあるだけで、研究好きなタイプは少ない。現在2-Aに在籍する生徒も、ワースが出入りしていた研究室に居なかった連中だ。となれば何かの実験でやらかしたと考えるよりも、何かを引っ掛けてきてしまったと考えるべきだろう。
人間に引っ付きやすい魔力を持つモノといえば、怪異と呼ばれるような幽霊や小さな魔法生物、或いは魔法道具だ。相手に気がつかれずにトラブルを引き寄せるとなれば幽霊か魔法道具の可能性が高いが、薬草や薬品を奪うなんて聞いたことがない。特に幽霊は、実体がないのだ。
(……俺みたいに魔導書、って考えもなくはないが)
リトルデビルの頭を撫でる。瞳を細めて素直に撫でくりまわされているリトルデビルを手に入れたのは殆ど偶然である。そんな簡単にお宝が眠る洞窟なんかないのだ。それに人間に取り憑くタイプの魔導書が他の魔導書に噛み付くのは、すこし想定しにくい。あとは。
「魔宝石……」
膨大な魔力を込めたり魔法を刻んだり出来る石ならば、或いは。
(……って言っても、魔宝石も薬草やら薬品を必要とはしねェからなァ)
「赤い石」の被害があったものからして、行動は明らかに魔法生物のものだ。しかしその魔法生物をアドラ寮生が連れ歩くと思うと目立ち過ぎる。堂々巡りだ。腕を組んでうーんとワースは唸った。その時、支給された仕事用端末が鳴る。
「!」
2コールで慌てて取る。そこからは若干慌てたようなソフィナの声がした。
──ワースくん、リトルデビルくんと図書館に来られますか?
「はい、すぐに」
──……再び、禁書が書庫破りを企てました
「……!」
思わずワースは先ほどまで眺めていた授業表を見る。2-Aは現在魔法数学の授業中だ。当たり前だが図書館に向かうなら10分以上は掛かる。
(まじでか……)
ワースはローブと箒を乱暴に取って、不安げな顔をしているリトルデビルをひょいと抱き上げた。
***
ワースが図書館に到着すると速やかに禁書庫に通され、事情聴取が始まった。
禁書たちの書庫破りは未遂で終わったらしい。当然である。図書館の中には知の神杖が居たのだから。ただ問題は、その分「赤い石」の滞在を許したことだ。図書館敷地をぐるりと覆う形で展開している結界は、微弱すぎる魔力や小型の魔法生物には反応しない。そこまで締めだしてしまうと手紙や荷物を運ぶフクロウたちも入れなくなり利便性が落ちるからだ。それは閉鎖状態の今でもそれは変わらない。素早くて小さく、その姿を見ることが出来た者はいなかったが、「赤い石」らしき赤い残光を何人もの職員が目撃している。
「まだ「赤い石」が図書館内にいるか分かるか」
「んー……」
リトルデビルが以前同様、禁書になんとも表現し難い声で話しかける。前回の禁書たちは落ち着いた様子で音を返していた。しかし今は明らかに何かヒートアップしている。特に赤茶けた表紙の禁書が開いたり閉じたりと忙しない。禁書庫担当の司書も困惑していた。リトルデビルは、難しい顔をしながら首を左右に振る。
「もういない、……みたいだけど、『深淵』が」
「ん?」
リトルデビルは禁書を個体識別出来ている。『深淵』とは、緑色の表紙をした『深遠なる神々の調べ』というタイトルの禁書である。音魔法に関する禁書で、そこに書かれた旋律を再現すると、術者もろとも発狂して死ぬ。こういう自爆型の禁書は割と多い。ちなみに赤茶けた表紙の方は『見よ、大地覆う黎明の輝きを』で通称『黎明』だ。光魔法の禁書である。双方を見て迷うような素振りをするリトルデビルは、やや困惑しながら言葉を続ける。
「かわいそうだから、「あかいいし」がここにいてもいいんじゃないかな、って……」
「……まじでか」
イーストン魔法学校図書館所蔵の禁書は「おとなしい」と評される。……にしても、良い奴過ぎないか。
『深淵』が主張するには、「赤い石」は二度の禁書たちの威嚇で「魔導書は狙ってはいけないもの」と既に学習している様子であり、今回の侵入も魔導書を狙ったものではなく、単に居場所に困って辿り着いたまでのことだ。悪意のない幼子のなしたことであるし、しばしの間場所を貸してやるくらいは良いのでは、という立場だった。
これに猛反対しているのが『黎明』である。「赤い石」の性質上、必ずいつか魔導書を「囓る」。身を守れる自分たち禁書は良いが、他の魔導書が「囓られ」るのは忍びない。力ある書籍の責任として彼らを守るべきではないのか、ということだそうだ。……ちゃんとしている意見過ぎて正直ワースはびっくりしている。
他の3冊は意見を保留、或いは2冊の議論を見守る体勢であるらしい。コイツら書籍のくせに協調性が迸っている。
「……っと、ちょっと待ったお前ら。この話、人間側にも少し関与させて欲しい」
リトルデビルを通じてそう伝えると、禁書たちから注目されている感覚がした。瞳なんかない書籍のはずなのに。しかし向けられるどの関心も愉楽や興味で、どうやら悪感情が含まれていそうにはない。相手の視線が柔らかいうちにと、ワースはその場に図書館内の構内図を開く。「赤い石」を巡る禁書たちの意見は分かったが、図書館の警備を固める為にも聞き出すべきことは山ほどある。
露骨にこちらを面白がる様子の禁書たちが証言したところによると、「赤い石」は入館者トイレの換気扇から侵入したとのことだ。確かに確認したところ、閉鎖中である故にか換気扇が止まっており、小さな生物であれば十分侵入可能であった。そこから入った「赤い石」は、しばらくは閲覧用のテーブルの下に居たのだという。だから、初めから魔導書を狙ったのではない、というのが『深淵』の強い主張であった。ともあれ侵入に気が付いていた禁書たちは困惑しつつも、強硬な『黎明』に促されつつ書庫破りを企てた。そこをソフィナに抑えられたのである。禁書たちの騒ぎで異変に気が付いた「赤い石」は、ソフィナが禁書を抑えている間に、今度は職員休憩室の窓から逃げた。窓の鍵にはひっかき傷のようなものがあり、「鍵を開いて扉を開ける」知性があるモノであることは間違いない。しかし近くの樹木にも植え込みにも、侵入した魔法生物を追える程の痕跡はなかった。……いや、魔法探知能力に秀でた砂の神杖なら或いは、追えたかもしれないが。
「弱りましたね……」
ソフィナが小さく呟く。全くだ。こちらも「入館者、もしくは入館者が所持する何かが「赤い石」である」との先入観があったとはいえ、換気扇から侵入されるなど考えていなかった。止まっている換気扇から入れるなら、ある程度までの大きさの生物が選択肢に昇る。
ソフィナが居れば禁書は抑えられる。ただし、その間に侵入してきた「赤い石」までは対応出来ない。司書も禁書管理局ほど戦える職員を集めていないだろうから、魔導書を「囓る」意図を持って「赤い石」が再びやってきたら今度こそ被害が出る可能性がある。『深淵』の主張を信じるのであれば悪意はないようだが、危機管理という視点からはその証言は採用できない。人間にも魔導書にも被害が出た後では遅いのだ。一番良いのは禁書庫をソフィナが見て、一般書庫から開架をワースがカバーする、という手だが、そうすると学内の調査が出来ない。間違いなく、「赤い石」はまだイーストン魔法学校内部にいるのに。
わしわしとワースは自分の頭を掻いた。やりきれるかどうかはともかく、選択肢は1つだろう。手を繋いだままのリトルデビルの方を見る。言われずとも分かっているようで、こちらを見つめ返したリトルデビルがさっと人間の姿を崩して魔導書の形へと戻る。その間に、ワースも自分の杖を取り出した。
「マッドロス」
泥でワースと背格好がほぼ同じ人形を2体練り上げる。性能重視であるためのっぺらぼうの真っ黒くろ助だが、一般入館者がいないならばこの容姿で十分だ。戦闘能力、魔力探知能力、そして自立能力を慎重に積み上げる。中身を作り込んだところで、魔導書を開き、該当のページに指先を乗せる。
「泥人形の性能を強化しろ」
ワースの命令に呼応して魔導書が光を放つ。泥人形がキラキラと輝いて、光が収束した。
「とりあえず放課後までは俺も図書館の確認をして、俺が抜けた後はこいつらで一般書庫と、開架を巡回させます。俺が校舎内にいる分なら遠隔操作で魔力供給し続けられるのでこれで調査を続けられるかと。どちらかが攻撃を受けたら俺も図書館に戻ります」
各寮まで行くとさすがに距離が離れすぎて泥人形を維持する自信はない。恐らく寮と校舎の途中にある中庭くらいまでは離れても泥人形に付与した魔法は生き続けるだろうけれど、動きは多少、ぎこちなくなる危険がある。校舎内にも談話室や学食があるから、話を聞く分には困らないだろう。ソフィナは泥人形を初めて見る訳でもないのに、しげしげと興味深そうに眺める。
「オーターの砂魔法も汎用性が高いですけれど、ワースくんの泥魔法もなかなか使い勝手が良いですよね」
自分の魔法は気に入っているが、とはいえ出来ないことは多いし泥人形にはいちいち補助として複数の魔法を付与しなければならない。術者的には魔力も食うし、さほど使い勝手が良いとは思っていない。色んな短所が浮かぶが、まぁこの辺りの術者だけが感じる悩みのようなものはどんな固有魔法にもつきまとう話だろう。ソフィナには力瘤を作ってみせた。
「人手不足で一番力を発揮しますからね」
「まあ頼もしい」
ソフィナは口元を手で隠して上品に笑った。人間の形に戻ったリトルデビルをひょいと抱き上げると、楽しそうに笑いながらワースの首に腕を回す。ともかくこれで、放課後約束した通りには話を聞きに行ける。
(つい、昨日までは「2-Aのアドラ寮生」が最重要参考人だったのは間違いねェんだ)
たった一夜で、何が変わった?これまで最初の禁書庫破りと薬草や薬品を使う実験室以外では授業中の「赤い石」と思われる事件は発生していなかったはずだ。
「リトルデビル、禁書たちに聞いて欲しいんだが……、なんで「赤い石」を幼子って言ったんだ?」
ぱちくり、とリトルデビルが瞳を丸くする。
「だって「あかいいし」はあかちゃんだから」
「赤ちゃん?」
「そう。ちっちゃいあかちゃん。よちよちあるきのちいさいこ」
「赤い石」の姿を直接見たことはないが、禁書たちの話でだいたい容貌が伝わっているらしい。リトルデビルは気の毒そうに眉を下げた。忌避感はあるようだが一方で同情もしているらしい。なかなか複雑な心の動きである。
「おやといっしょにいるとしごろなのに、どうしてこんなところにいるのかな……」
しょんぼりとうなだれるその背中を撫でてやる。一応これで、「幼子」という呼称が時間感覚が違いすぎる魔導書たちから見た低年齢層、という訳ではないことがはっきりしたが、この証言はどういう意味を持つのか。
(……とにかく、ドットとランスに話を聞いてみるところからだな)
放課後までに図書館の全体を見回って警備体制不備の洗い出しからだろう。ワースと泥人形2体がいても、なかなかに骨の折れる作業だ。しかも、今回のような状況下でなければ換気扇が回っていなかったことなど責められるような不備でもない。指摘する側もかなり心苦しい。
とにかく何がどうしてこうなったのか、顛末書を書ける程度には調査を完遂しなければ。ワースは気の遠くなるようなその道のりに、しばし遠い目をした。
***
約束の場所に現れたドットとランスを見て、ワースは瞳を丸くさせた。
「なんかお前……やつれてねェ?」
「いやそうなんスよ」
がっくりとドットは肩を落とした。遊園地で遊んだ時よりもなんとなく肉が落ちている気がする。なんならちょっと顔色も悪い。
「最近寝ても寝ても全然疲れが取れなくって」
「……約束守ってくれたのは嬉しいけど、先に病院行った方がいいんじゃね?」
「そんなにっすか」
「だからずっと言っていただろう」
眉を顰めたランスは腕を組み、貧乏ゆすりまでしている。貴族の子息らしい風態のランスがこうして苛立ちを露わにしているのは珍しい。……いや、遊園地でも比較的ドットの前では気性が荒そうに見えたから、仲の良い友人に対してはこうなのかもしれない。それはともかく、ワースとしてもランスに賛成であった。どうやら自分の味方をする人間はいないのを察して、途端にドットは慌てる。
「いっ、いやでも今日は割と元気な方っすよ!なんかいつもよりよく寝れた感じがして……」
「本当かよ」
思わず呆れた声が出てしまうが、それよりもランスが苛立たしげに指でトントンとリズムを取り出した。その苛立ち混じりの心配を向けられている本人は全く介さず「大丈夫っす!」とか言っている。本人がこう言う以上、ワースも仕事で来ているのだから止めようがない。さっさと切り上げるかと、調書を開いて呼び出した概要を簡単に説明する。
「それで、「赤い石」に連想されるモノが犯人だからそれを探しているんだけど……」
「え、「赤い石」……?」
驚きを顔全体で現したドットがランスを見る。ランスの眉間に深い皺が刻まれた。その2人の表情に、おや、とワースは目を見張る。どうやら、当たりを引いたらしい。
「いや実は、遊園地で綺麗な石を見つけたから紐で結ってキーホルダー代わりにしてたんすけど、今朝見たら紐が切れてて石も無くなっていて……」
「……なんだって?」
「その石、赤いんす……」
これくらいの大きさの、とドットは指でその大きさを示す。だいたい1cmくらいの大きさだ。というか、これだけ小粒な石を拾ってキーホルダーに加工して持ち歩くドットが凄い。よっぽど手元が器用なのか、そんなに心に惹かれるものがあったのか。気に入ってたのになぁと悄気るドットに大きくため息をついたランスが、腕組みをしたままワースを見る。
「実は、それを盗んだかもしれない犯人をオレは見ている」
「はァ!?」
「昨晩小さい動物がコイツの顔を覗き込んでいた。どこからか侵入するとは思えなかったから杖を向けて脅したら逃げた。その時に小さな赤い光が見えた」
「小さい、動物……」
「おいなんで今朝教えてくれなかったんだよ」とドットがランスに噛み付いているが、ワースにはそこはどうでも良い。職員が目撃したのも「赤いなにか」であった。素早くてその姿を捉え切れなかったから残光だけだが。ランスが目撃したのは夜の月明かりの下だっただろう。であれば、より光を反射する一部のみ目に入った可能性はある。……というか、「1cmほどの小さな赤い石」「赤ちゃん」「目撃者は小動物と認識する」時点で、該当する魔法生物は限られる。顎に手をやって考えていたワースは、何度自分の推論を検証しても同じ回答に辿り着くのを確認して、頭を上げた。その視線の先には、自分の魔導書がいる。唯一、禁書と直接話をして、「赤い石」の像を正確に結んでいる魔導書が。
「……なぁ、リトルデビル?俺らが探している「赤い石」には、……尖った耳がついているか?」
「は?……ワース先輩なに言って、」
「ついてるよぉ」
「付いてんのかよ!?」
にこにことしているリトルデビルは自分の頭の上に両手を開いて載せ、ぴこぴこと動かしてみせる。
「とがった、ながいおみみ」
にやりとワースは笑ってわしわしとリトルデビルの頭を撫でる。これで最後のピースが揃った。
ワースは仕事用の端末を取り出す。ソフィナ直通の番号が入っている。これなら書庫に居ようが関係はない。しばしの呼び出し音の後、ソフィナの涼やかな声がした。簡単な挨拶の後、すぐに本題に入る。
「犯人の正体が分かりました。……カーバンクルです」
──カーバンクル?……ああ、なるほど……
即座にソフィナは納得した。ひょっとすると、可能性のひとつとして初めから考えていたのかもしれない。
カーバンクルは額に赤い宝石をつけた魔法生物だ。その宝石はルビーやガーネットに限りなく似ているが、実際には少しばかり違う。主に、その魔力含有量が。
魔力の満ちた鉱山で産まれたカーバンクルの宝石は、周囲の魔力によってすくすくと成長する。月光などの魔力を宿す光の下では、その宝石ばかりがキラキラと輝くだろう。だいたい1cm程の大きさに育つと、魔法生物としての実体が取れるようになり、主に魔力を持つ植物や他の魔法生物を餌にさらに育っていく。所謂、雑食の魔法生物だ。宝石としては直径3cmほどまで育てば成体である。大抵は各地を転々とし、数年すると産まれた鉱山へ戻り、新たな宝石を子供として産む。ある意味では石であり、またある意味では動物でもある魔法生物なのだ。魔導書たちが「石がいる」と言ったのは間違いではない。魔力をよく蓄える煌びやかな額の宝石は、その美しい輝きのまま額から抜き取ることが非常に難しい為、高級宝石として乱獲された時代がある。今は絶滅危惧種に指定されていて保護団体が運営する特定の地域にしかいない。……まぁそれでも、監視の目を掻い潜って宝石として出回ることもある。
カーバンクルの魔法生物としての姿はフェネックやウサギに似た四つ足の動物で、まさしく「とがったながいおみみ」が特徴的だ。1cm程度の子どもであれば恐らく片手で収まる程度の大きさにしか変体出来ない。止まった換気扇なら、簡単に侵入するだろう。……ただし、そこまで育っていても、成体になるまでとにかく魔力を食う。元々「霊山」とか称される鉱山にしか生息しないし、大量の魔力を体に取り込めなければ餓死して、額石は燃えて灰になってしまう。はっきり言って、大気中に含まれる魔力そのものが薄いはずの市街地にいる時点で謎だし、無理があった。
ドットの衰弱は、装飾品として持ち歩いたせいで魔力を吸われていたのだろう。通常、宝石として扱われるカーバンクルの額石は既に死滅して成長しない石であるし、生きている石状態のカーバンクルでも持っていた程度でそのようなことは起きない。しかし彼の固有魔法は火炎系だ。カーバンクルもその赤い色通り、火炎系の魔法を使う。ようは、相性が良すぎたのだ。野生のカーバンクルは、魔力を含む呼気を赤ん坊の石に吹きかけることもあるという。人間も通常の生活をしていても無意識に魔力を発している。所謂「存在感」とか呼ばれるような気配だが、それを少しずつカーバンクルが吸ってたとして、1ヶ月近くも吸い取られ続けたら、さすがに睡眠でも回復し切れなかったのだろう。学内で魔力を含む薬草や薬品が奪われたのも尤もなことである。禁書たちに「赤ちゃん」と評されるカーバンクルを賄えるだけの魔力がイーストン魔法学校にないのだ。たぶん、「赤い石」は腹を空かせている。
──ではオーターに連絡を。
「魔法生物管理局じゃなくてですか?」
──一応私たちは生物の形になったカーバンクルをまだ見ていませんからね
宝石の状態で発見されたカーバンクルは、魔法魔力管理局の所管だ。まだ動物と宝石の境目を行き来する姿が安定しない幼体でも間違いなく魔力を持つ石であるからだ。しかし一方で、動物の形で行動するようになった成体のカーバンクルは魔法生物管理局の所管である。魔導書の証言によれば動物の形を取っていそうではあるが、言語感覚が違うように、見えている姿も異なるかもしれない。確かに魔法魔力管理局に支援要請をするのが正しい、のだが。
「……俺にひとつ、考えがあるんですが」
──?
「カーバンクル、捕まえてみてもいいですか?」
ちらり、と後輩たちを見遣る。
とりあえずドットは魔法局から医者を寄越してもらうとして、いくつか準備するものがある。ただそれでも夜までは掛からないだろう。ある程度、自信があった。元々知っているカーバンクルの知識、そして現在のイーストン魔法学校の状況、これらを鑑みて、それなりに成功率のある罠を仕掛けられる。
──分かりました。では魔法魔力管理局が到着するまでの間はワースくんに任せます
「はい!」
追加で三言二言ソフィナからの指示を受けて、ワースは通信を切る。可能であれば、カーバンクルはなるべく早く捕まえなければならない。希少魔法生物であることもあるが、母体から離れ生物の形を取っているカーバンクルの幼体は、一定以上の魔力を定期的に与えなければ死んでしまう。いまカーバンクルがどの程度成長しているかは分からないが、魔導書たちを齧ろうとしていた辺り、間違いなく生きている。カーバンクルは死ぬとその額の宝石が灰になって燃えてしまう。純粋に危険だし、それ以上に故郷から離れこんなところで死んでしまうカーバンクルは、ひどく哀れであった。その為に、早く手を打ってやらなければならないのだ、が。
「…………」
ワースは、大きく深呼吸を繰り返す。既に心臓がばくばくとしていた。そういえば、オーター相手にチャットのメッセージを送ったことはあっても、直接電話をかけたことはない。業務連絡なのだから、電話でするのが筋、なのだが、……緊張するなと言う方がおかしい。
「……ワース先輩?」
ドットとランスが不思議そうにワースを見る。「見せモンじゃねェぞ」と思わずがなりたくなったが、照れ隠しの上に恥を塗るようなものだから我慢した。すぅはぁと深呼吸をして、リトルデビルを呼ぶ。
「ちょ、ちょっと手ェ握っててくれね?」
「いいよぉ」
ニコニコとしているリトルデビルは本当に楽しそうだ。遊園地から戻った後に「オーターに直接好きとか言っちゃダメ」「ワースの気持ちを他の人に言うのもダメ」と厳命したから、オーターを想ってワースが頼って来るのが嬉しくて仕方ないらしい。くそう、このやろう、覚えてやがれ。
左手を捧げ持つようにリトルデビルに両手で握られたまま、ワースは通話のボタンを押す。呼び出し音が、ひどく長い。その度に心臓がバクバクと跳ねた。もしかして仕事中で電話とか取れないのかな?とワースが思い始めた頃、プッと回線が繋がる音がする。心臓が口から飛び出るかと思った。
──……ワース、ですか?
「え、えと、はい……」
はいってなんだ、はいって。
混乱しつつも、柔らかく温かいリトルデビルの手がしっかりワースを現実に引き留める。電話越しに、オーターがいま、確かにこちらに耳を傾けている。落ち着け落ち着けと心の中で唱えながら、ソフィナの指示を思い出す。
「知の神杖と訪れているイーストン魔法学校で、カーバンクルの被害が確認されました。恐らくまだ子どもで、魔宝石と魔法生物の姿を行き来している様子で」
──なるほど、それで支援要請、と
「一応今夜、俺が捕獲を試みます。……えぇっと、オーターの弟子のドット・バレットがだいぶカーバンクルに魔力を吸われている様子なので、対応できる医者を手配して頂きたく……」
──……もしかしてそこに、ドットとランスはいますか?
ワースはスピーカーフォンに切り替えて、2人に返事をさせる。オーターが軽くドットの様子を尋ねて、石状態のカーバンクルを手に入れた経緯を確認した。その落ち着いた声に、先程までの混乱していた自分が恥ずかしくなる。
──……分かりました。それではその事件の担当者を医師とともに向かわせます。ところでワース
「は、はい」
──彼らに、お前がカーバンクルを捕まえるところを見学させても良いですか?
「………………え、」
ランスとドットを順に見る。2人とも「ほぉ、」という驚きの顔をしていた。そりゃそうだ、一応彼らはオーターの弟子ではあるが、魔法局の人間ではない。見学とは言え捻じ込ませるのは、言ってはなんだが「規律の鬼」のオーターらしくない。
──ワースの扱う魔導書は非常に特殊ですから、きっと学ぶところが多いでしょう
「オーターさん……」
──あと、絶滅危惧種の特殊な魔宝石を所持していた経緯について、もう少し細かく、はっきりと、丁寧に、聞いておかねばなりません。
「……オーターさァん……!」
ドットが「アレは違うんすよ不可抗力ってェか……!」と一生懸命弁解していたが、オーターは淡々と、「お前は所持しているだけで罪になる物品があることは知っているか」と取り合わない。話に聞くカーバンクルの子どもの額石じゃ気付けというのは酷であるが、そこは師匠の指導のうちなのでワースは素知らぬふりをした。
──……私もそちらに、夜には到着しますので
「えっ!?」
──…………、なにか、不都合でも?
「いっ、いや全然……つか、忙しいんじゃねェの?」
あ、しまった敬語が崩れた、とワースは思ったが、電話口のオーターはふふっと笑っただけだった。
──なんとでもします
「いっ、いや、ホント……ほどほどに……」
──大丈夫です。たいした仕事はありませんから
天下の魔法魔力管理局に回って来る仕事が「たいした」ことない筈がないのだが、ワースは実際のところオーターがどんな案件を抱えているのかも知らないし、知れるような権限もない。よってワースに許された返事は了承しかない。
「……あんま、無理すんなよ」
──…………
「でも、ありがと。待ってるから。……あ、でも先にカーバンクル捕まえちゃっても文句付けるなよ」
我ながら可愛くねーな、と思いながら定型的な挨拶を口にして、電話を切った。目を丸くした後輩どもがこちらを見ている。
「……ンだよ」
「いや……」
「ワース先輩、オーターさんと仲良くなったんだなぁって……遊園地の時あんなぎこちなかったのに」
「うっせ」
2人の言葉を聞いて「なかよしー!」と歓声を上げるリトルデビルの額を指先で弾いて、端末の別の連絡先をタップする。額を押さえたリトルデビルは「いたい」と涙目で抗議をするが、これはやっぱりお前が悪い。頬をむにむにと親指と人差し指で挟んだ。
コイツ出る気ないなと思う長さの呼び出し音をしばし放置すると、向こうも根負けしたのか、ぷち、とつながった音がする。
「……よぉ。ちょっと提供して貰いたいもんがあるんだけど」
ニンマリと笑うワースの耳は、オーターとの電話の余韻でまだ赤く色付いていた。
◆◇◆◇◆
喉を鳴らして親を呼ぶ。
けれどちっとも、誰も応えてはくれない。これだけ空気が薄いのだから、当たり前かもしれない。
世界の中で自分以外は全て死んでしまったのではないかと思う。……きっとそんなことはないけど。また木の気配が沢山ある所に行ったら怒られるかもと思ったら、今度はふたつの足で歩くものに追い回された。お腹が空いた。もう悲しくて、何も考えられない。
そこに、ふと、芳しい香りがした。
わたしは、少し迷った。
ほんのちょっぴり、木の気配がする。2度も叱られては、さすがにアレが危険だとわたしも学ぶ。
けれど、ふわふわと漂って来る匂いは、すごく美味しそうだ。
どうしよう……。
最後の力を振り絞って、わたしは歩を進める。
だってもう、これを逃したら、食べ物にあり付くチャンスはないかもしれない。
◆◇◆◇◆
オーターは自らの端末が着信を知らせた時、自分の目を疑った。そして手に持ったまま、しばしフリーズした。バイブレーションがフロア内に響き渡る。席の位置的にオーターが見えにくい者は、自分の端末の着信かとガサゴソ端末を確認したほどだ。
「あ、あの、局長……取らないんですか?」
ぶるぶる震える端末を眺めながら固まってしまった魔法魔力管理局局長に、部下がおずおずと話し掛ける。ハッとしたように顔を上げたオーターは、珍しく困り切った声で応じた。
「……ど、どうやって電話って取るんでしたか……」
「えっ、」
「ワースから、着信しておりまして……」
そう呟くオーターの声は消え入りそうだった。自分の頬をつねっている。ゆ、夢と疑っている……。正気に戻るのは局員たちの方が早かった。
「きょ、局長!」
「横にスライドするんです!」
「だいじょうぶ、いけます!」
何をどうして励ましているのかちっとも分からないが、部下たちは口々にオーターを応援した。普段は神覚者屈指の武闘派としてばったばったと治安を乱す者たちをその砂の下に沈めているオーターが、弟からの着信に手を震わせている。じいっと画面を見詰める顔はいつもの無表情である。しかしフロア内の局員たちには分かる。アレはめちゃくちゃ緊張している……!
出ないと思われて切れてしまうんじゃないかとハラハラするくらいのコール音の後、オーターの指が端末の上を走る。そうして、目眩がするほどゆっくりと、オーターが口を開いた。
「ワース、ですか?」
魔法魔力管理局内は、息苦しい程の沈黙が支配した。誰も彼も、オーターとその実弟の会話を邪魔してはならぬと心の内に固く誓っていた。なんせ週初めから急ぎの、しかもかなりヤバい案件が浮上してきて例にないほど今週は大変だったのだ。オーターは確かに、少しばかり厳しいきらいがあるが、それだけで特に理不尽な上司という訳ではない。ただこう、激務ゆえまずい案件が飛んで来やすい魔法魔力管理局において、昼休みを挟めば確実に機嫌良くばりばりと仕事を捌いてくれる上司というのは、非常にありがたい存在である。別に今週のオーターが悪かったのではない。強いて言えば、局員たちが機嫌の良いオーターとその情報処理能力に慣れてしまっただけである。それなりに大人であるし責任のある立場だから多少不調でも仕事に邁進してくれているが、実弟と話した後のノリに乗っているオーターとは比べるべくもない。局員の何人かは、いつもの超人的な働きと実弟なしの局長の落差に慄いた。機嫌で大抵のことをカバーしていてくれたようだが、業務フローの改善をしないとこのひとそのうちぶっ倒れる、と魔法魔力管理局次席は頭を抱えた。魔法局は神覚者に選ばれるようなひと握りの天才に局を率いらせるような仕組みであるし、この魔法界においてその施策はある程度正しいが、負担が偏りすぎるのは良くないと、各々の局員が強く思うような週の前半であったのだ。その辺りでどれだけ大変だったか察してほしい。うんうんと頷きながら禁書管理局からの支援要請を受諾するオーターの背後には、ふわふわと花が飛んでいるように見えた。今週様々なトラブルに巻き込まれた局員たちはちょっと目頭が熱くなった。よかったね、局長、と。しかしそこに大きめな爆弾が落とされた。
「私もそちらに、夜には到着しますので」
え、と各局員は目を見張る。いま緊急で来てる案件、最悪深夜まで掛かると思うんですが……?なんなら、今週いっぱい使っても終わるか怪しいですが?と顔を見合わせた。イーストン魔法学校と魔法局はそこまで離れていないがしかし、これ解決してから行くのは時間的に無理ではないか……?
二、三、話してオーターが電話を切る。そして時計を確認した。16時過ぎ、魔法魔力管理局的にはもう少し経ったら軽食の買い出しをしてもうひと踏ん張り、というくらいの時間である。
「……まぁ、いけますね」
フロア内の局員たちの心はひとつになった。「マ?」と。
……しかし恐ろしいことに、オーターの口にした言葉は希望的観測でも願望でもなく、ただの事実であることが証明されたのが、それから4時間後であった。後に魔法魔力管理局次席は語る。「あれって、何かの魔法だと思うんだよね」と。
***
箒をかっ飛ばしながら、オーターは時計を見た。これでもだいぶ巻きで仕事をしたつもりだったが、当初予定していた時刻までにはイーストン魔法学校には到着しない。頬を撫でる風に紛れながら小さくため息をついた。
イーストン魔法学校へ出張中のワースから連絡が来るなど、まさしく青天の霹靂である。ぼんやりとしていたオーターの空はどんがらがっしゃんと大きな音を立てて崩れた。今週は全然やる気も起きず、なのに面倒臭い案件ばかり積み重なっていき本当にげんなりとしていたが、ワースの支援要請であれば話は変わって来る。何を差し置いてもそちらが優先だ。……とはいえ、業務上間違いなく優先しなければならない案件は当然今週頭から取り掛かっている案件の方であるので、少々強引な手を使って解決させた。そもそも魔法魔力管理局が最終的に有形力を行使できる管理局であることを知っていての相手方の不遜な交渉手法であったので、さして問題はない。潰そうと思えば初めから潰せたが今週は本当にやる気は起きなかったし、なるべく穏便に、というのは最近の魔法魔力管理局の方針であった。……あったが、まぁ、何事にも例外というのは付きものである。致し方ない。
遊園地で起きた魔宝石取引事件の担当者には、明日専門の医師と共にイーストン魔法学校へ来るように言い伝えている。ドットが衰弱している、との話だが、そう簡単に倒れるような少年でもないし、本当にまずそうであればとっくにランスが病院にぶち込んでいるだろう。あれで、オーターが面倒を見ていた少年たちは仲が良いし、さほど相手の意思を尊重しない。相手の生命に危機が迫っているならばその意思を無視して我を貫き通すだろう。あれで仲が良いのが不思議であるけれども。寧ろ、単身でカーバンクルを捕まえると豪語したワースの方が心配であった。……いや、幼体のカーバンクルが使う程度の火炎魔法ではワースに手傷を負わせることすら難しいだろうとは分かっている。ただ今回はあくまで「捕獲」だ。手加減が必要であるし、飢餓状態と考えられるカーバンクルがパニックになって何をするかは想像しにくい。ドットとランスがいれば、多少の戦力になるだろう。……別に、ワースの魔法が参考になるという話は嘘ではないが、学生が張り付いていてくれた方が、ワースは無茶をしないのではないかという期待があった。あれで卒業後もなんくれとイーストン魔法学校へ足を運んでいるそうだから、学生と魔宝石なら学生の保護を優先するだろう。
見えてきたイーストン魔法学校の建物に、オーターの箒は僅かにスピードを緩める。慣れたワースの気配を探ると、大きく2つ分の魔力が感じられた。
「?」
人型の、すこし薄い魔力がワース本人だろう。カーバンクル捕獲のために身を潜めているらしい。近くに複数人の魔力を感じる。それとは別に、より大きなワースの気配が中庭にある。ふわふわと香り立つような魔力の残滓はさながら撒き餌のようだった。実際、カーバンクル用の罠かもしれない。ワースの目論見を邪魔しないように、オーターは自分の気配を消しつつ、中庭が見えるベランダへ降り立つ。
(……なんだ、あれは)
月光の下、ぼってりとした泥の塊がそこにあった。塊というか、小山だ。洞窟のようにいくつか穴が開いている。薄い結界の膜で覆われていて、その結界には小さな通気孔のような穴が開いていた。ここから漏れた魔力をオーターは感知したのだろう。
(そういえば)
カーバンクルは鉱山に生息する魔法生物兼鉱物である。彼らの巣穴は自然、鉱山の壁に砂や泥を集めて固めたものになる。まさしく今、中庭にある泥の塊のように。オーターにも図鑑でちらりと見た覚えがあった。……ただし、カーバンクルは絶滅危惧種な上に生息地は人間が容易に入っては行けない魔素の強い地域であるから、細かい生態は実のところ分かっていない。同様の巣穴が見つかっていない保護区もあるし、異なる形態である可能性もある。あの形の巣が正解であるか、現時点では誰も知らない。風がざわりと動いて、雲に隠れていた月がその姿を表す。次の瞬間、泥の塊を覆っていた結界が消えた。同時に、本物のワース達も移動を始める。
「……!」
中庭の見える出窓の近くにいるから、オーターはその泥の塊とはそれなりに距離が離れている。しかしそれでも分かるほどの濃厚な魔力が溢れ出した。たぶん、これに蓋をしておく為に結界を付けていたのだろう。これだけの魔力が溢れ出ては、隠れている本物のワース達の居場所を追うのは難しい。ワースの魔力と月明かりでキラキラとしている中庭に、ひょろりと赤い光が見える。そうだ、カーバンクルの額石は月明かりの下では赤く輝くのだ。その説は様々あるが、基本的にカーバンクルは魔宝石の形で生を受ける。幼体の頃は親から与えられた呼気や周囲の魔力を魔宝石を通じて吸収しているという説もある程だから、魔力を内包する月光に反応するのもあり得ないことではない。
オーターの肉眼でも、泥の塊の周りをうろうろとするカーバンクルが確認できた。泥は所々に洞があって、身を隠すことも出来そうだった。ふすふすと警戒して鼻を動かすカーバンクルが一歩、また一歩とその隙間に足を踏み入れていく。小さな尻尾が泥の洞に入り込んだところで、ぐにゃりと泥が形を変える。
「……ほお」
異変を察知したカーバンクルが逃げ出そうとしてももう遅い。くるりと丸ごとカーバンクルを包んだ泥は、もぞもぞと仕切りに形を変える。その最中、ベンチの陰からぴょいと人影が現れた。ワースである。手を差し伸べてカーバンクルが入っているらしき泥に触れると、瞬間泥が落ちる。カーバンクルを内包していない不要な部分だろう。削ぎ落とされていく泥は段々と形を整え、格子で覆われた箱型に姿を変える。中にいるのは、赤い輝きだ。
ふっとオーターは口元に笑みを刻む。さすが、と言い捨てるのは失礼だろうか。ワースならカーバンクルの捕獲くらいやってのけて当然だ、という納得と、これだけ精緻な魔法制御をやってのけるのは彼くらいだという誇らしさがない交ぜになる。先に上空を通り過ぎた図書館でもワースの泥人形の気配がしていたから、かなりの魔力を消費していることだろう。図書館に置いた2体、中庭に置いた泥の簡易洞穴、そしてそれを覆う結界は全て異なる性質の付与魔法を付けていたはずだ。けれどワースはどれも制御を失っていない。物陰からイーストン魔法学校のローブを着た影が3人現れる。……おい待て、オーターが見守りにと指定したのは弟子2人である。最後の1人は誰だ。
ここにもしもオーターの部下がいたならば、珍しいと目を見張ったことだろう。オーターは大急ぎで箒を掴み空へ躍り出た。
◆◇◆◇◆
なに、なになになになに!
突然形を変えた地面はわたしを包み、上も下も分からなくなった。
……もしかしたら、何か怖いものの腹の中なのかもしれない。泥は相変わらず木の気配がしていた。
終わった、もうダメだ。
わたしはキツく瞳を閉じた。