北都

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投稿日:2026年06月10日 21:40    文字数:24,769

カナリヤ 9

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えーい、さいかーい!
オーターさんとワースくんのお食事編です。

いろいろ頑張るオーターさんです⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝
これ含めて4回くらいかけて2人の関係が進展するかな、って感じです

【2026.6.11追記】
非会員読めない設定にしちゃってたのでなおしました(><)

あと、注意事項付け忘れました!
アベル様のくだりは全部嘘です。
それでも気にしない方のみお進み下さい。

【2026.6.12追記】
種々ご反応頂きありがとうございます⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝!
ピクブラってスタンプとか送れたんだ……!?わたくしめはびっくりしておりまする⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝!!!
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イーストン魔法学校迷いカーバンクル事件は、魔法魔力管理局の預かりとなって解決をみた。それ以前に起きていた違法魔宝石摘発時に失踪していたカーバンクルの子供の額石であることが正式に認定され、子カーバンクルの身柄は魔法生物管理局に移送されたそうだ。現在保護施設で治療とリハビリを受けている子カーバンクルは、保護地域に放すか誰かの使い魔として里子に出すかはまだ議論中とのことだ。なんせ子カーバンクルには親がいない。厳しい自然の環境で生き延びられるか分からないのだ。ただでさえ人間は容易に入っていけない場所である。せっかく拾った命であるから、研究者の誰かのパートナーとなれれば、というのも理解できる。……一応、カルパッチョが熱烈に手を挙げているそうだが、どうなるかは分からない。言っては悪いがカルパッチョはカーバンクルとは相性はさほど良くはない。魔法適性から見ても火炎系の魔法使いの手元にいた方が、あのカーバンクルにとっては良いだろう。

「……っとまあ、これが顛末ってヤツだ」

ワースは再びイーストン魔法学校の禁書庫にリトルデビルと訪れていた。はっきりと約束した訳ではなかったが、5冊の禁書にカーバンクルがどうなったか、その経過を知らせるべきだと思っていたのだ。『深淵』はあからさまにホッとした様子で、他の禁書たちも安堵した様子だった。意外だったのは『黎明』で、少し嬉しそうにワースの報告に耳を傾けていた。カーバンクルを疎ましく思ってたのは事実であろうが、「他の魔導書を守るため」という話も本心であったのだろう。やはり、禁書にしてはだいぶ気の良いヤツらだ。教育機関所蔵の禁書はやっぱり違う。……禁書管理局の禁書たちは、少し彼らを見習った方がいいと思う。

「あの時は協力ありがとうな」

通訳を終えたリトルデビルの頭を撫でてやりながらワースは5冊の本に頭を下げる。禁書たちの証言がなければ迷いカーバンクルを捕獲出来なかった。ついでに言えば彼らとキチンとリトルデビルが「会話」出来ると判明したお陰でワースの研究はかなり進んだ。書籍たちは預かり知らぬところだろうが、ワース個人としても感謝は伝えておきたい。
元通り禁書たちを封印して貰い、禁書庫から出ると、禁書担当の司書からはひっそりと礼を言われた。2度も書庫破りを、しかも1度は成功されてしまったからにはもう配置換えか、最悪解雇まで覚悟していたらしい。あれだけ「おとなしい」禁書たちだから、管理者に対してもさほど強い好き嫌いはないだろう。次の禁書担当が現れる可能性はかなり高かったようだ。結局彼らの証言で職員に問題はなく、外敵を威嚇するための行動だと分かったからそのまま禁書担当として継続するという。禁書管理局としては、禁書たちがその気になれば破られてしまう程度の管理は瑕疵がないとは到底言い難いが、もちろんそれらをどう受け止めるかは図書館側の問題である。禁書の威嚇がなければ、飢餓状態の迷いカーバンクルが他の魔導書を齧った可能性は、間違いなくあったのだから。

「……いや、アレはリトルデビルの……」

禁書使いとして通訳させたのはワースだが、実際に魔導書とコミュニケーションを取ったのはワースの能力ではない。礼を受けるならリトルデビルが、と思ったが、ふと、レナトスの言葉を思い出した。

(リトルデビルも、俺の力だと見做す、んだったか……)

そういえばあの白魔導士連続誘拐事件の時は、リトルデビルがワースの命令でマッシュ・バーンデッド宛に位置情報を送ったことを「ガキのしたことだろう」と雑に庇った癖に。不死の神杖はなんだかんだと現場の判断を全て自分の責任として持とうとしていた。ただの「禁書管理局の新人」ではなく、きちんとした「禁書使い」となる気がワースにあるならば、魔導書が行った良いことも悪いことも、すべての責任を持たねばならないだろう。

(……重てェな)

ちらりと手を繋いだままのリトルデビルを見る。こちらを見上げたリトルデビルは、にこりと笑う。洞窟から魔導書を連れてきた時はそこまで深くは考えていなかった。今のところ、リトルデビルは「悪い」行いをした事はない。けれどそれは彼が何よりもワースの命令を優先しているからだ。……つまり、ワースが誤れば、間違いなく、そして躊躇いなく、リトルデビルは他人を傷付けるような振る舞いが出来る。良くも悪くも全てはワースに委ねられている。今まであまり意識してこなかった責任感は、確かに重いが、ワースはこの重みに慣れるべきだ。

「……ありがとうございます。もしまた何かありましたら禁書管理局までご連絡下さいね」

胸に手を当てて、定型のような挨拶を口にする。
ソフィナのように笑えていただろうか。自分の顔は、流石に分からなかった。
迷いカーバンクル事件がひと段落ついてから、ワースは正式にソフィナの弟子となった。ワースは知らなかったが、ソフィナの弟子になるということは、禁書管理局内では幹部候補のひとりと見做されると同意義であったらしい。新人の権限では決して入れないような場所へ連れて行ってもらえるし、非常に勉強になる。お陰様で春の研究発表会に向けて随分と研究が進んだ。一方で、……なんというか、やっかみが凄い。なるほどこれは、ソフィナがすぐに弟子にしなかった訳である。
独力での「赤い石」の正体を見破り、図書館一般書庫と開架を守りつつ迷いカーバンクルの捕獲に成功した功績を以て、ワースの籍は禁書管理局局長補佐見習いとなった。ソフィナには「ちょっと早過ぎる気もしましたけどね、」と笑われもしたが。彼女の予定では、ワースが論文を発表した後のつもりだったらしい。けれど今回の一件でリトルデビルの価値が上がった。カルパッチョの言では音魔法ではないかとのことだったが、カーバンクルのような魔法生物とも会話が出来る可能性がある。禁書と意思疎通できるだけでも画期的であったが、その範囲がさらに広がるとなると、かなり「使い勝手の良い禁書」と認識されることになる。ただの新人局員の地位にして置けなかった、というのがソフィナの見解だ。禁書ごとワースをソフィナ直属の籍に置けば、任される仕事の範囲が広がる。結局のところ所有者がいる禁書は術者しか扱えないとは言え、ワースを亡き者にしてリトルデビルの所有権を狙う人間がいないとも限らない。後ろ盾をはっきりさせておくのは身を守る術でもある、とのことだ。実際、ワースは先輩にそこそこ嫌味を言われるようになった。「禁書が凄いだけじゃん、」と。無論、先輩たちからしたらホリデー休暇明けに突然禁書使いになった後輩なんてそりゃあそうだ。目障りだろう。ワースとしては本当に羨ましいと思うなら幼少の頃から「悪魔」の声でも聞き続けてみろ、と言ってやりたいが、……理解はされないだろう。嫉妬とはそういうものだ。大抵そういうことを言って来るのは魔法局近くにタウンハウスを持つ中央貴族の関係者だから、こちらも「アンタら差し置いて強い禁書に選ばれちゃってサーセン」くらいで取り合わないようにしている。向こうだって禁書管理局に勤めている以上、術者を殺害しても禁書が手に入る訳ではないことなど百も承知だろう。むしろ大抵の禁書は術者の死で暴走する可能性の方が高い。リトルデビルは人間社会というものをかなり良く理解しているから、事によると復讐くらいはするかもしれない。

「リトルデビル」
「んぅ?」

ぽてぽてと歩くその脇に手を差し入れ、抱き上げると歓声が上がった。その背中をポンポンと撫でてやると、リトルデビル自身もワースの首に細い腕を回す。
独身寮は、ワースの後見に立ってくれているウォーカー家のような、中央貴族にあまりコネを持たない地方貴族出身者や平民がメインだ。だからどちらかと言えば中央貴族よりも頭角を顕したワースが誇らしいらしく、なんくれとリトルデビルともども構われる。……物凄く、贅沢な悩みと言われるとその通りなのだが、実のところそういう扱いも、結構ウザかったりする。ワースは元々魔法局近くにタウンハウスを持つような中央貴族にもコネを持つ地方貴族の次男である。ぶっちゃけ、独身寮に入っているような人間よりも、やっかみを向けて来るような先輩相手の方が親近感が湧く。……ムカつくよなァ、俺みたいなヤツのこと。
「同じような立場」とみなした程度で親しげに振る舞われるの、結構嫌なんだよな、とお日様の匂いがするリトルデビルの頭に顎を乗せながら思った。変に期待や自己投影されても、ワースはそれに応える気はないし、応えられるとも思っていない。彼らの意味が分からない期待が裏切られる前に独身寮を出たいのだが、新人はただでさえ蔵書整理の手が遅いからタウンハウスでなければ独身寮で生活するのが通例であるし、ワースも魔法局近くに部屋を借りられるほどの給料を貰っていない。……こういう煩わしさを思う時、マドル家は本当に恵まれた環境であったと実感する。両親が使っているタウンハウスの他にもいくつか物件を所有していたはずだ。もしも勘当されていなければ、ワースは当然そのうちのどこかで一人暮らしをしていただろう。

「はぁ……」

研究も仕事も、客観的に見て順風満帆である。だから「独身寮を出たい」というのはワースのわがままに過ぎない。新人なんて下積みだから、と自分を納得させながら、リトルデビルの頭を撫で続けた。



***



ところで、ワースには悩みがあった。

仕事や職場の立ち位置に関する悩みからすれば取るに足らない些細な悩みかもしれない。しかしワースにとっては非常に重要な悩みであった。

「……はぁ」

結局行けていないのだ、二人で食事に。あんなに勇気を出して誘ったというのに!
まあでも、正直に言ってこれは別に誰が悪いということはないのだ。ワースもワースでソフィナ直属へ配置換えとなり忙しくなったし、弟子として稽古を付けて貰うことが増えた。オーターはオーターで、言わずもがな昼夜を問わず忙しい役職である。二人の予定の間を縫うようにして約束を取り付けても、これがもう、面白いくらいに予定通り行かない。主に、オーター宛に緊急の支援要請が飛んでくるからだ。会うのが流れても夜になって独身寮を訪ねて来てくれたり相変わらず一緒に過ごす昼食時に詫びの品を持ってきてくれたりするのでワースとしては返って申し訳ない。

(……まぁでも、「二人で行く」にこだわらなければ別に……)

実のところ、先日ソフィナとワースとオーターで夕食を共にしている。その日はソフィナの指導が少し伸びてしまって、「じゃあ夕食一緒に取りますか。二人だとアレなので、オーターでも呼びましょう」と言われたのだ。その時には既に1回食事の約束が流れていたのでオーターは無理なんじゃ、と思ったが、なんともタイミング良く「今夜ならなんとかします」との返事であった。ソフィナと食べ始めて1時間経ったか経たないかくらいでオーターが現れたのを見た時は、「こういう感じなら来れるんだ、」と言うことだった。数人で待ち合わせる、の柔軟性をワースは初めて知ったような気持ちになった。1時間もあれば一人ならワースは食事を終えているだろうし、オーターも待たれていると思いながら仕事をするのは嫌だろう。同じ神覚者のソフィナと穏やかに談笑しているオーターはなんだか新鮮であった。その顔を見れたのは、よかったと思う。ただやはりワースとは忙しさも退勤時間も全然違うから合わせようというのは少し無謀だったかも知れない。

(……まぁ、休みの日に一緒にメシ行くくらい仲良くなるのを目標にするってことで……)

はぁ、とワースは肩を落とした。完全に前途は多難である。ただでもオーターだって遊園地に来れていたくらいなのだから、休みの日もちゃんとあるはずなのだ。……そこをワースの為に割いてくれるかどうかは知らないが。

「ん?」

ワースの端末が震えてメッセージの着信を知らせる。噂をすれば、オーターからである。ワースは怪訝そうに液晶を睨みながら新着ボタンをタップした。

「……ん?」

オーターのメッセージはいつだって簡潔で明確だ。一読で、意味が取れないのは珍しい。
ワースは一応目を擦って自分の読み間違えではないことを確認して、今度は驚きの声をあげた。背後からひょっこりとその文面を除いたリトルデビルが首を傾げる。ワースは思わず、画面をリトルデビル側に傾けた。だいぶ学習が進んでいるので、この程度の文面なら意味がとれるはずだ。

「ううーんと……」
「今度、オーターが一緒に飯行こうって」

しかも、きっちり日時指定されている。3週間後の週末の夜だ。ワースのような新人局員は休日前の予定は立てやすいが、オーターほど忙しい人間がそんな簡単に時間が空くのだろうか。……いやこれは、「空けた」やつだろうか。一応予定を尋ねるメッセージではあるものの、そんな先の予定は当然空いている。妙にキラキラとした瞳でこちらを見たリトルデビルが、両手を挙げて飛び上がった。

「デートだ!」
「で!?デートじゃねェよ!」
「……デートじゃないの?」
「た…………たぶん……?」

勢いで言い返して、ワースは急に不安になった。デートの定義ってなんだ、ちょっと辞書引いても良いか。……いや違うそうじゃない。胸に手を当てて、すーはーすーはー、と大きく息を吸った。落ち着け自分。こんなところで狼狽してはリトルデビルの教育に悪い。

「こーゆーのは「食事会」とかって言うんだよ」
「でも、二人で会うんでしょう?」
「ふ、二人じゃねェかも知れねェじゃん……」

ど、どうなんだろう。ワースは他の人を誘うつもりはないから当たり前にオーターだけ来ると思っているが。ワースを見上げたリトルデビルが、困った様子で頬を軽く掻く。

「ぼく、このひ、おへやでまってるよ」
「はぁ!?」

なんだその、「良いこと言っちゃった」みたいな顔は。

「ちょ、ちょっと待てさすがに連れてくぞお前は」
「え、いやだ」
「いやだ!?」
「じゃましたくないし……」
「邪魔とかじゃねェから!……っそうだ、法令上禁書をそのまま放り出して外出とか出来ねェから俺」

禁書を所有する上で最も重要なのは、それを悪用されないことだ。禁書庫に入れるのは、禁書が暴れ出した際の対策であると同時に他者から禁書を守る為の盾の意味もある。個人であれ学校等の団体であれ所有者には責任が伴う。常に人間の形を取らせているからあまり意識の俎上に上がらないが、魔法管理局の独身寮とはいえ特に何の警備もない状況で禁書を部屋に置きっぱなしなどあり得ない。というか、オーターと完全な2人きりとか今からワースがどうしたらいいのか分からない。頼むから一緒に居て欲しい。
リトルデビルは少し考える素振りを見せた。そして何かを思いついたようにひとつ頷いて、にっこりとワースを見上げた。……もう既に嫌な予感がしている。

「えい」

気が抜ける掛け声と共に、リトルデビルの輪郭がブレる。あっと思う間もなく泥の身体は消えてなくなり、現れたのは魔導書だ。こてん、とそのまま床に横たわった。こ、こいつ……!

「ちょっと待てリトルデビル、人間の姿に戻れ!出来るだろ!」

腕の中の魔導書からは、さっき口にしたのと同様の「いやだ」の返事が返る。……嫌とかじゃないんだこっちは。何かあったらリトルデビルに話を振れば気詰まりにもならないかな、という甘えの元、オーターを誘っているのである。本気で2人きりとかどうしたら良い。肩を揺さぶる要領で魔導書を振ってみても、返事は変わらない。むしろ人間の形を取っていない分、魔導書が善意100%で言っていることが伝わってくる。

「なぁ本当に!マジで!頼むって!」

言い募っても魔導書の返事は変わらない。魔導書は、人間とは考え方が異なるとは言え、所有者を愛しているのではなかったのか。苦し紛れに浮かんだ疑問に、魔導書はあっさりと「大好きだけど?」と返してくる。まるで朝になると太陽が昇ってくるでしょう?と言いたげな、若干の呆れ混じりの返答だ。それからはもう、ワースがどれだけ宥めてもすかしても魔導書は人間の形を取ろうとはしない。なんならワースが泥人形で代用しようとすると平然と魔法を妨害してくる。そんなこと出来たのか。所有者でさえ初めて知る魔法なんだけどそれ……。若干茫然自失としながらも、無情な時計は止まることはない。諦めたワースが「わーった、わーったから!」と叫べば、勝利のダンスとばかりに魔導書が空中でくるくると回る。その様子を見て、ワースはがっくりと肩を落として、数週間後のその日の予約は2人にして欲しい、とメッセージを打った。

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◆◇◆◇◆



小さな箱の中に寝かされて、なんとも不思議な気持ちで天井を見る。

2人の食事を邪魔しないように荷物扱いされても良いと思ったのは「わたし」だけれど、これはなかなかどうして、奇妙な感じだ。お行儀良くしなきゃ、と、もっとカナリヤにくっ付きたいのに、が綯い交ぜになる。端的に言えば、「わたし」に向いていない。だってもう、「わたし」は荷物扱いではなくカナリヤに撫でられる頭を持っているから。魔法で作った手は、カナリヤと繋ぐためにあるから。

まぁ、そんなこといま言っても仕方ないんだけども。
珍しく少し酔っているらしいカナリヤに、ちらりと視線をやる。

虚無。
虚無である。
ただ、キラキラと光るシャンデリアを見上げる。

まぁ、必要であると「わたし」が判断したのだ、致し方ない。カナリヤがトイレに立つと、丸い眼鏡のあのひとが、「わたし」を覗き込む。彼の音は複雑だ。「わたし」なんか目障りだろうに、それでも「わたし」を慈しむ響きがある。カナリヤ程ではないけれど、心地よくて美しい音。「わたし」は結構、彼を好ましく感じている。

「……気を、遣わせましたか」

すっと伸びてくる手は、悪意なんか一欠片もない。
そうっと表紙を撫でる動きは不器用そのもの。変なヒトだなぁと「わたし」はおもう。

そんなところが、彼らはみんな可愛らしいのだ。

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◆◇◆◇◆



ワースのことが好きだ、と自覚してから念の為にと調べてみたが、オーター・マドルとワース・ウォーカーは婚姻関係を結ぶことが可能だ。
……突然何の話かと思われるかもしれないが、仕事柄、オーターにとってどの程度自分の財産を相手に遺していけるかは非常に重大な問題である。このような心配は、無論ない方が良いのだろうが、結局最後に相手を守るのは愛よりも制度だとオーターは常々考えている。最悪の状況になった時の相手の行く末を案じるのは、当然のことだ。
実のところ、貴族における同性結婚というのはそう珍しいことではないし、嫡男が兄弟と結婚する、というのもそう特筆する事態ではない。生まれた時から戸籍が同一であるから他とは違う手続きを要する、というくらいである。異性きょうだい間の結婚は倫理的な問題が付き纏うが、同性間となると社会的な問題の解決という側面があるからだ。
例えば後継者教育を受けていた嫡男の後に生まれた弟の方が魔法適性に優れていた、という例はよくある。この場合、後継者が弟にすげ変わる場合も勿論あるにはあるが、嫡男に跡を継がせ、より魔法適性に優れた弟を家から逃がさない為に兄と結婚させることもある。後継は兄弟どちらかの婚外子にする、特殊な魔法を用いて政務を行わない方に産ませる等の手段で得る。貴族において重要なのは「家」であるので、これもさして問題にはならない。
この場合の「魔法適性」は、単純に使える固有魔法を示すこともあるし、魔法陣を描く等の特殊技能の事もあれば、それこそ特定の魔導書や長命な魔法生物に愛される適性、という場合もある。「禁書」と呼ばれるような魔導書を所有する一族が存在するのも、より適性がある子供が外に出て新しい家門を作らないように出来る制度があるからだ。ワースのように「禁書」に憑かれたら、普通は血族との婚姻で外に出さないように囲うものである。マドル家はワースが「禁書」所有者と知らずに手放してしまったが、これはそれなりの歴史を誇る貴族の家としては、本当にあり得ない事態であるのだ。失策、或いは失態と言い換えても差し支えはない。特にワースの禁書「リトルデビル」は禁書としてはかなり聞き分けも良いし意思疎通ができる。他の一族相伝の禁書に比べれば扱い易さは上位に数えられるだろう。それこそ産まれたての後継者の遊び相手として共に生活させれば、強力な魔法生物と共存関係を持つ家のように良好な関係を築ける可能性さえあった。禁書が守護獣のような役割をするなどは前代未聞ではあるが、そもそも喋る禁書は前代未聞なので、誤差の範疇でしかない。ワースは目の前の研究に没頭してその辺りにあまり関心がないようであるが、禁書は、それだけでひと財産なのだ。この程度の話、年頃の子女がいる貴族の家ならどこでも考えるだろう。ウォーカー家には当主アベル宛の釣書の他にもワース宛の釣書が届いているに違いなかった。……とまぁ、それは今は良いとして。とにかく血の繋がりがあろうとも結婚は出来るし、特にワースは既に他家へ養子として出ているから体裁という意味でも問題はない。……本人の気持ちがこちらに向いてくれれば、であるが。

(……それが、1番の難関、なんですが……)

トン、とオーターは自分のこめかみを指で叩く。養父であるアベル・ウォーカーを言いくるめたり懐柔したり等は、そう難しいことではない。土地持ちの貴族であるから、彼には守るものが多いだろう。……この手の政治的な動きは不得手なオーターでさえそう思うのだ、つまり、希少な禁書使いと婚族になりたいと望む他の貴族にとっても、アベル・ウォーカーは十分付け入る隙のある若当主である、ということでもある。

「…………」

まったく、頭の痛い話である。
それもこれも、両親がワースを除籍しなければ。
或いは、禁書使いと判明した時点でワースの身分を守るような素振りを見せてくれていたら。
遅きに失しているとはいえ、アベル・ウォーカーの現在の状況を確認せねばならないだろう。それから、あと、フツーにワースに会いたい。いや毎日昼食を共にしているのだが、イーストン魔法学校の事件の際に言っていた2人で夜に出かけようという話はなんだかんだと流れてしまっているのだ。たいていは、オーターが悪い。ワースよりも勤務時間という概念がないから緊急の案件が入って来るとそれに対応せねばならない。しかしこれについては、最近少し目処が立った。
実は現在、魔法魔力管理局は体制編成の真っ最中なのだ。というのも先日、次席以下そこそこの役職を持つ部下たちが連名で嘆願書を出して来たのである。あえて単純化してまとめると、「神覚者に頼りっぱなしの体制はよくない」とのことだった。少し前のオーターであれば一笑に伏したかもしれないが、内容は墓地管理局や魔法警察隊のようなシフト制を敷いて緊急の案件でも特定の上位権限者、つまりオーターのみに仕事が集中しないようにする、という提案であった。結局のところ戦闘能力がずば抜けて高いオーターに回って来る可能性が高いが、案件そのものをランク付けして局員で対応できるものは手分けする。何度か魔法魔力管理局内でも上がった案ではあるが、これまでは部下に割り振る労力の方が面倒だと感じて却下して来た。ただ実際問題、連日連夜身体が空かないと碌にワースと約束も出来ない。昼休みには会えるが、それ以外でも会ってくれると言っているのにこちらの事情で会えないのは悲しい。状況が変わったオーターにとっても今回の提案はありがたく、受け入れたということである。
提案を受けて少しずつ会議を重ね整備していたが、この度ようやく目処が立った。どこからか聞きつけたカルドには「オーターってワーカーホリックだと思っていました」と意味ありげに笑われた。何なんだあいつは。

「…………」

オーターがじいっと見つめているのは自分の端末の、ワースとのチャット画面である。もうかれこれ30分近くもこれを眺めている。
実は既に、送るべき本文は綴っている。送るのに勇気が足らないだけだ。……ちなみにこれはオーターが知らないことであったが、オーターの席の近くの局員たちはみな固唾を飲んでオーターの次の動きを注視している。もちろんあからさまに視線をやる者などいないが、オーターが私用の端末で連絡を取る相手など、実弟しかいないと知っているからだ。局長また弟くんにメッセージ送ろうとして悩んでる。頑張っちゃえよもう、……などと思われていることはオーターは知る由もない。

「…………」

気持ち、大きく深呼吸して心を整え、オーターはようやく送信ボタンを押す。あっという間に送られたメッセージが画面にぴょんとポップアップされて、オーターの胸に小さく後悔めいた気持ちが浮かぶ。もう少し文章を考えた方が良かったか。そもそも今の時間送るべきだったのか。時間指定した方がワースも来やすいかと思ったが、押し付けがましくないか。……あれそういえばこのチャットは送信取り消しが出来るのではなかったか。メッセージの上で長押しをするとメニューが現れる。よし削除しよう。しかしまさしくそのタイミングで既読がついた。もうダメだ。

「…………」

オーターは無表情のまま静かに絶望していた。
突然のどんよりした空気に近くの局員たちはギョッとする。どれだけ戦況が悪くなっても砂の神覚者はこれほど悲壮な雰囲気を出すことはないのに。一応見知らぬふりをしているので、誰も彼も局長に声を掛けられない。しかし意を決して、見かねた次席が腰を浮かす。まさに丁度その時、オーターの端末がぴょこんと受信を告げた。

「…………!」

ワースからの返事はひと言「いいよ」であった。そっけないと言えばそっけないが、ワースの返事はいつも短文である。たぶん、そういう性格なんだろうと思う。ほわ、とつい一瞬前まで項垂れていたオーターの機嫌が上向く。現金なものである。次席は、静かにその場に腰を下ろした。どうやら局長に声掛けが必要なさそうなので。無表情ながらほこほこと背中に花を背負い始めた神覚者は、昼休み明けでは恒例の姿だ。返信をして、何か実弟へ想いを馳せていた砂の神覚者は端末を懐にしまって書類に向き直る。そこから怒涛のチェックが始まった。周囲の局員は、これで今日は早めに帰れるぞ、と密かに時計を見上げた。



***



定例の神覚者会議の終わりに、オーターは知の神杖ソフィナ・ブリビアに呼び止められた。これ自体はままある。ワースが禁書を手にした当初はソフィナからの気遣いによって、最近では専らソフィナの愛弟子に関する相談の為に。ほぼ兄弟らしい関わりはなかったとはいえ、マドル家の教育状況ならばオーターにも説明できる。今更そんな話が必要かどうかは大変怪しいが、ワースのことならなるべく知っておきたいから、ソフィナの相談役に選ばれているのはありがたいことでもあった。
実のところ、ワースの禁書「リトルデビル」の研究は他の禁書に比べて進んでいる方だ。しかし「禁書使いワース・ウォーカー」としては、その訓練が成果を出しているとは言い難い。なんせワースは、未だに禁書に記載された呪文を1文字と読めていないのだ。禁書に書かれた魔法がどのようなものかは概ね分かる。ただ、それを発動するべき呪文がさっぱり「読めない」。魔力のやり取りや「リトルデビル」が使用する泥魔法はあくまでも禁書自体が自らの意思で魔法を使っているに過ぎず、ワースの指示は特段の魔法を介したものではない。禁書が「ワースに従う」という意思でのみ発動させていると言い換えても良い。オーターとしてはそんな危険なモノは使えなくとも良いと思うが、ソフィナは師匠として真っ当な禁書使いに育てたいようだし、ワースにも禁書使いになる意思がある。

何故、ワースには未だ禁書の呪文が読めないのか。

禁書の証言によれば「まだ読めなくて良い」からだそうだ。ソフィナの見解では「禁書が使えるほどに魔法回路が育っていないのではないか」とのことである。一般に、魔法回路は成人するまで成長する。つまりワースにはまだ、1年と少し時間が残っていることになる。……もっともこれは、「一般的な見解」であるので、あまり「一般的な」禁書との関係を結んでいないワースにどこまで当てはまるのか、不確定であるけれども。とにかく、ワースが禁書を読める、読めないの主導権はあくまでも魔導書が握っている、という状況が、オーターはなんとなく気に食わなかった。

「ワースくんの自制心を侮っていたかもしれません」

ぽつりとソフィナが言った。オーターは視線だけで先を促す。

「……いえ。リトルデビルくんが、あの通り人当たりが良くて朗らかでしょう?うちの局員がワースくんを侮って言ったそうなんです。「お前は運良く禁書に選ばれただけだ」って」
「それは……」

比較的、温厚で「好き嫌いが激しくない」禁書は確かに存在する。大抵は読むと術者も死に至る自爆型の禁書である。そうでない場合は禁書ほどの魔力行使が出来ないので通常は「魔導書」として取り扱われる。ワースの「リトルデビル」は行使できる魔法の威力からして明らかに禁書の部類であった。あれだけの力を持つ魔導書が、温厚なはずはない。別に、魔力が高い方が性格が悪いのではない。考え方がより人間の常識から外れるというだけだ。単体でなんでも出来る生き物が謙虚である必要はないのである。

「あなたの局内統制が利いていないのではないですか」
「その点については弁明のしようもないです。新人事の軋轢を事前に納め切れませんでした」

ソフィナにしては意外にあっさりとした答えである。毒気を抜かれて「……まぁ、良いでしょう。それで?」とオーターは続きを促す。

「それを聞いた瞬間のリトルデビルくんの表情が、無かったそうです」
「無かった?」

ソフィナは肩をすくめる。
言われてみればオーターも複数回ワースとワースの禁書と顔を合わせているが、大抵あの禁書はにこにことしている。禁書に限らず「人間に取り憑く」魔導書の類いは術者を深く愛するから、単純にワースに手を引かれたり抱き上げられていることが嬉しいだけなのかもしれない。しかしワースは常に禁書のどこかに触れているので、表情を失くす、という状況が想像できない。

「無表情のまま、ワースくんの指示を待たずに魔法を使おうとしたらしくて。……ワースくんは、言われたままで終わらせるような子ではないのでリトルデビルくんを制止する形で撫でながら言い返したそうです。あそこで止めなければどうなっていたことかと、報告が」
「…………」
「恐らくワースくんは余り意識をしていないみたいでして。禁書への制止も無意識でしょう。イーストン魔法学校に出張に行った時も、随分と知り合いの後輩が多いようでしたし……、年下相手には世話を焼きたい性格だから今回のようなことがあってもリトルデビルくんを前に立たせたくないのではないかと。……恐らくリトルデビルくんは、それを読み取っている」
「……なるほど」

禁書「リトルデビル」が温厚に見えるのは、術者ワース・マドル自身の望みということか。逆に言えばワースの気が変われば、禁書は術者を侮辱した者を赦しはしない。まるきり爆弾である。起爆スイッチが、見えているだけマシであるが。よくもまぁ、そんなものを局内に抱えておける。ソフィナの胆力と、それをさほど理解していない軽率な禁書管理局員にオーターは少し呆れた。

「禁書に問題を起こされてワースくんの汚点になるのは困ります」
「それはワース自身には」
「まだ伝えていません。……彼に、その気になればリトルデビルくんに報復をさせられる、と学習されても困りますから」
「…………」

禁書が「おとなしく」見えるのは、ワースの倫理観のなせる技だ。そして倫理観は、意外にも簡単に崩壊する。ワースとて例外ではないだろう。今回の話で言えば、例えば「禁書は術者を侮辱した人間に対する報復として、他の魔導書がその人間の指示を聞かないように命じることがある、だからそのような振る舞いをしないよう注意するように」と告げたとする。ここで普通に「そういう事もあるのか」と納得してくれれば良い。しかし、「そういう手もあったのか」と認識される恐れがある。その認識を、間違いなく禁書は読み取る。周囲にバレないように「上手くやる」方に注力されるのは、かなり厄介だ。しかも、ワースの「リトルデビル」は実績から考えて、かなりの精度で隠蔽を行える。……ワース自身も、禁書に相応しい命令を下せる。きちんとした、「禁書使い」として。

「……正直に言って、少し迷っています。現段階のワースくんは、リトルデビルくんの手綱を握れている。無闇に注意すると無用な知識を与えることになりかねない」
「…………」
「地方貴族、平民出身者の若手がワースくんを担ぎ上げようとする動きもありますから、できればそれも抑えておきたい」
「……私に何か、やらせたい事でも?」

この段になって鈍いオーターにも話が見えてきた。ワースを気にかけるオーターに近況を伝えると共に助力を請おうとしていたのだろう。けれどそれは砂の神杖への明確な「貸し」だ。ソフィナ・ブリビアらしくない。訝しげな視線を的確に読み取ったからであろう。ソフィナは肩をすくめる。

「そう警戒しないで下さい。……ただちょっと、ワースくんに同居を申し出て欲しいなと思っているだけです」
「どうきょ……」
「ワースくんに派閥を作ろうという意思はなさそうなんですけど、なにぶん目立つ子ですし、独身寮に今のまま居られるのは少し心配です。急進的な考えをする若手から物理的に距離を取らせたい」
「……どうきょ」
「貴方と一緒に住んでいて貰えば砂の神杖の後ろ盾があると示すことにもなります。アベル・ウォーカーに先を越されたと前にも溢していましたし、オーター、貴方にとっても悪い話ではないかと。……オーター?」

オーターの頭はパンク寸前であった。どうきょ?同居と言ったか。……ちょっと色々と一足飛び過ぎやしないか。オーターは無意識に眼鏡の位置を直した。

「……それは、ワース次第では」
「まぁそれはそうですね。でも断らないんじゃあないですか?」
「何を根拠に」
「だってワースくん、オーターのことかなり好きでしょう?」
「…………は?」

オーターは自分の耳を疑った。ソフィナはぱちぱちと瞬きを繰り返して小首を傾げる。そして何か合点がいったように「ああ、」と小さく溢した。

「リトルデビルくんには独自の自我のようなものがあるようですけど、基本は魔導書ですので、術者の感情に引っ張られるようです。ワースくんが好感を持っている相手には好意を隠しません。リトルデビルくんの愛想が最も良いのはオーター、貴方と相対している時ですよ」
「……待って下さい、それと一緒に生活して良いと思っているかどうかは別問題では」
「まぁ、それはそうですね」

ソフィナはさらりと頷く。上げてから下げるのは本当に勘弁して欲しい。オーターは頭を抱えた。確かに、ワースの禁書は微妙にオーターに好意的である。食堂で会う時などはそれが顕著で、出会い頭に抱っこをせがまれる事もしばしばだ。こちらとしては子供の頃のワースの顔をして彼が呼び出すセコンズと同じ角を生やす禁書には胡散臭さしか感じていないが、よくアレはワースとオーターを見上げて妙に満足げな表情をしている。それがワースの感情を示していると……つまり、どういうことだ?
頭がパンクしそうなオーターを見て苦笑したソフィナが、ぽんと肩を叩く。

「まぁ、考えておいて下さい。これはお願いというよりは提案ですから」
「…………どうきょ、」
「じゃあまた、オーター」

同じ単語をぼんやりと繰り返すオーターを放り出して、知の神杖はヒールを高らかに鳴らして自らの執務棟へと歩き去っていった。

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***



高い天井の室内は、それに合致する形で縦長のガラス窓がはめ込まれている。少しばかり落とした照明の明かりばかりではなく、外の夜景がキラキラとテーブルの上にこぼれ落ちていく。白いテーブルクロスが張られた席のどこからでも見えるように設置されたグランドピアノからは、会話を邪魔しない程度の生演奏がゆったりと流れていた。話題になっている店を、と選んだ割には雰囲気が良い。ただ如何せん、ムードを演出するかのような音楽にむしろ緊張するばかりだ。メニューを見ながらオーターはばくばくと煩い胸を抱える。正面を見れば、じいっとどことなく真剣な顔つきでメニューを見ているワースのサングラスが影を作っていた。これだけ照明が絞られているのだから外せば良いのにな、とどうでも良いことが頭に浮かんでは消える。その視界にはワースしか入っていない。それが非常に新鮮な感覚がして、オーターは空いた席を見た。いつもならば幼少期の弟の顔をした禁書がにこにこと座っている筈だった。禁書が食事に参加しないことを告げられたのは、予約をとってすぐだったと思う。あの禁書は、魔力の含まれたものであれば問題なく食べることが出来る。本体は書籍であるから彼に消化器官はない。一体食品がどこに消えてしまったのか、若干気になりはするものの、ワースが気にしている様子がないからオーターも触れずに来た。ワースを誘うということは付属品として禁書がついてくる。席の予約も3人分であった。ワースに確認を取った上で人数を減らしているのだが、空白の席を見るにやはりこれで良いのかと疑問が湧く。

「………」

アレがいたとすれば、座席の高さを直してやったりテーブルナプキンを膝に乗せてやったり、ワースはなんくれと禁書の世話を焼いてやっていたことだろう。ワースの下に弟妹はいないものだから、人形遊びのように小さな見た目の禁書を構うワースはどことなく微笑ましい。ワースの姿を無遠慮に取る禁書を受け入れがたいとは思いつつも、世話を焼かれてにこにことしている幼い頃のワースと同じ顔を見ると、自分たちの幼少期も同じようにあったら良かったのにと思える程度には、禁書の顔付きを愛らしく感じていた。ああした「普通の」兄弟のような関わりは、自分たちの間には存在しない。それを自覚するのは少しばかり胸の奥が疼く。いつもそんな複雑な感情をオーターに抱かせる禁書は、ワースの鞄にすっぽりと収まって、素知らぬ顔で荷物入れに置かれていた。

「ワース」
「ん?」
「本当に、良いのですか?その、禁書は」
「………あー……」

ワースはぽりぽりと気まずそうに頬を掻いた。ちらりと鞄に収まる禁書を見るが、肩を竦めて見せる。

「本人……、いやヒトじゃないんだけど、……ともかく、コイツが今回は遠慮するって」
「エンリョ」

禁書に、「遠慮する」という概念があったのだろうか。オーターは寡聞にして知らないが。
禁書に限らず、単体で圧倒的な力を持つモノは基本的には我が儘で傲慢だ。集団を形成しない以上、謙虚にしておく理由がない。ワースの「リトルデビル」はその点かなり協調性がある方で、ワースの意向によく沿っている。これはもう、「リトルデビル」の愛し方がそうだから、としか考えようがない。……つまり、ここに現れない、というのはワースの意向なのだろうか。メニューの影からひっそりとワースの顔色を窺う。その意図するところは、分からない。

「おっ、オレも一応「一緒に食べたら?」とは言ったんだけど……、ま、まぁいいだろ。それよりメイン決まった?」

苦い顔をしたワースはやや強引に話題を変えようとしている。オーターとしても、禁書よりは目の前のワースの方が気になる。

「白身魚にしようかと」
「んんー、オレは肉かなぁ」
「食後の飲み物は決まってますか?」
「ん」

ウェイターを呼んで揃いのコース料理を選択し、ついでにシャンパンを1本入れておく。ワースの酒の好みは知らないが、ソフィナを含めて3人で食事した時など普通にエールを嗜んでいたのでアルコールが全くダメという訳でもあるまい。グラスにサーブされている間に前菜も届き、軽くグラスを合わせて唇を湿らせる。シュワシュワとした炭酸の刺激と、少し苦味のある喉越しに熱くなっていた頭が少しだけ冷えた心地がした。

「そういえば、……その、最近はどうですか。仕事の方は」
「……何それ。オーター、オレの父親かよ」
「…………」

確かに自分でも、何か聞き方がおかしいような気はした。これではまるで上京した子供に声を掛ける父親である。しかも、だいぶ疎遠な方の。からからと笑うワースは平然とした顔をしている。ちなみに両親が時より思い出したかのようにワースへ連絡を取ろうとするのを、微妙に阻止しているのはオーターである。向こうにも向こうの言い分はあるだろうが、変に掻き回されては堪らない。オーターは少し考えて、ひとつ頷いた。

「ソフィナから聞きました。寮生活でそれなりに苦労していると」
「あー……」

ワースは答えを探すようにグラスを揺らす。ソフィナの言葉を信じるのであれば、少しばかり毛色の合わない同輩に絡まれているというところだろう。気まずげに視線をあちらこちらへとやるワースの表情を堪能する。

「苦労っつー程じゃねぇけど。イーストンの出張で職員寮に泊まったじゃん?やっぱ職場と家がほぼ一緒ってのは面倒臭いなぁ、とは」

一般的で模範的な回答である。それ故、困り事の内実がよく分からない。
話づらいのか、相談するつもりはないのか、この反応では未だ読みにくい。オーターは少しばかり頷いた。

「禁書管理局は慣習で朝一番に一般書庫の整理でしたか」
「まぁ、アレはアレで楽しいんだけど」
「活躍していると、聞いてますよ」

すっとカトラリーを取ってお手本のように滑らかな動きで食材を切り、口元に運ぶ。ワースは何を食べるにしても上手い。不快な音のひとつも立てずに、さりとて会話は澱むことなく、するすると皿の上が片付いていく。

「やっぱ泥魔法の強みは分身を何体も作れるってことだからな。リトルデビルも泥魔法で手伝ってくれるんだぜ」

すっと荷物置きを見るワースの瞳は優しい。アレが人間の姿であれ、魔導書の姿であれ、ワースの中ではさしたる差はないのだろう。
何がどうしてそう彼をかき立てるのか、オーターには理解しがたいものがあった。直接会話できるとはいえ、所詮アレは書籍である。魔法生物ですらない。たとえば触れた手だって、泥魔法によって作られたまがい物である。オーターの感覚的に魔導書は、杖に近い。確かに最後の最後、土壇場で頼りになるし愛着を持っているが、所詮は道具である。……ただそれはそれとして、禁書に微笑みかけるワースは可愛らしかった。オーターの気持ちもふっとゆるむ。

「順調なようなら、よかった。実はちょっとウチも業務を整理しまして」
「へぇ?」
「試験的にですけどね、上手く回ればもう少し早く帰れるようになるかもしれません」
「魔法魔力管理局なのに?」
「魔法魔力管理局なのに」
「……ぷっ…」
「ふふ……っ」

二人して笑う。なんせ食事会の約束はオーターの仕事を理由に何度も流れてしまっているのだ。やけに真実味がある冗談である。口元がゆるむのを、オーターはグラスを傾けることで隠した。ワースと仲良くなろうとしていた頃、自分が目標に思い描いていたのはこうして笑いながら食事をする風景だった。あの頃は全くの妄想に過ぎなかったが、いまは目の前にある現実だ。なんだか胸に迫るものがある。じぃんと鳴る胸を不自然でない程度に抑え、オーターは前を向く。お陰様で、口に運ぶシャンパンも美味しい。メインディッシュの肉をつつきながら、肘を付かないまでも見苦しくない程度に体勢を崩したワースがはぁ、と小さく息を吐き出した。彼にしては珍しい。

「オーターと比べればオレは随分楽な方だよな」
「……?」
「ソフィナさんは残業嫌いだから」
「それでも業務後に指導を受けているのでしょ?聞いていますよ、正式に弟子になったと」
「…んんー、……まぁ、そうなんだけど」

ワースの言葉は微妙に歯切れが悪い。禁書管理局には、ワースやソフィナ同様に「禁書使い」と呼ばれる魔法使いが何人か在籍している。とはいえ「取り憑かれた」タイプはワースだけで、他はソフィナと同じく相性の良い禁書を自分の力として従えているタイプだ。禁書管理局において出世するのに禁書使いである必要はないが、禁書を支配下に置きその能力を引き出せる時点でだいぶ優秀であるから、自然と幹部や幹部候補となる。そういう意味でもワースは少し特異な存在であった。イーストン魔法学校を優秀な成績で卒業している以上、ワースの優秀さは折り紙付きである。けれど、禁書に選ばれて「禁書使い」となっている以上、他の「禁書使い」と違ってその名はワースの能力をなんら保証するものではない。なるほど確かに、これは少々面倒くさい立ち位置かもしれない。

「……なにか、困っていることでもありますか」
「いや?……あ、いや、強いて言えば、こんな好き勝手やらせて貰ってていいのかなー、とは」
「え?」

意外な答えにオーターは目を見張る。ワースはもぐもぐと肉を咀嚼して、「いやさ、」とグラスを揺らす。

「他の先輩はだいぶソフィナさんから業務割り振られているけど、オレは向こう2年くらい学会発表に専念して業績作れって言われてるし……」
「…………」

分かりやすい程にソフィナらしい采配だ。経験や人脈には見た者によって受け止めが変わるが、書類上の数字だけは絶対に裏切らないと思っている。彼女にはそういうところがある。……ただ、論文や学会発表で業績を積むとして、それが2年で終わるのだろうか。これだけ意思疎通が可能でデータが取れる禁書はワース所有の「リトルデビル」くらいしかオーターには思いつかないのだが。

「…………」

研究管理局に取られないように禁書管理局の業務に優先して2年だけ研究を優先させるとか、ツララと協定でも結んだのだろうか。それとも単に新卒のワースを幹部候補にねじ込む為の方弁だったのだろうか。まぁ、彼女にもなにか考えがあるのだろう。とりあえずは考えないことにする。

「研究は順調ですか?」
「まぁまぁだな。そういえば、リトルデビル、もう中等部並みの語彙力くらいはあるんだって」

まだ全然ガキなのになぁ、とワースは気の抜けるような笑顔で言う。オーターもその話は医師からの報告を受けている。相変わらずわざと数値が低く出るように回答している節があり、知能指数では恐らくもう少し高めの数値が出るだろうとも。元は何百、何千年と前に作成された魔導書だ。人間の語彙力が追い付けば自然、それだけの思考力が露わになる。成長スピードを思えばぞっとしない話ではあるが、純粋に喜ぶワースの顔は実に愛らしい。

「でも相っ変わらずあの子供の姿がいいんだって。マジで勘弁してほしいっつーの」
「……まぁ、それは少し分かりますね」
「え、オーターあの姿嫌だった?」
「嫌というか……あくまでもアレは禁書なので、貴方の姿を取るのは、どうにも」

瞳を丸くさせたワースに、慌ててオーターは弁明する。子供の頃のワースの姿が嫌だとか、妙な勘違いをされては困る。

「子供の頃の貴方の姿は、可愛らしいです。ただちょっと、その……落ち着かない」
「なんだそりゃ」

あの洞窟で禁書を手にしたワースを見た時から、そりゃあ共に遊園地へ行ったり昼食を共に取ったりして多少は受け入れる気持ちが生まれてきたような錯覚があるが、オーターの禁書に対する思いはあまり変わっていない。出来ることならあんな危険なもの、書庫に収めるなりなんなりして、ワースから引き剥がしたい。とはいえ魔法局内で禁書の手を引いて歩いている姿やこうして研究状況を話すワースの姿を見れば、どだい無理であるのは明白で、下手につつけば反発は必至であろう。オーターとしても生き生きと仕事に研究にと邁進している姿を見て思うところがない訳ではない。ワースに嫌われるのも度量が狭いと思われるのも嫌である。これはオーターのプライドの問題だ。

「……貴方が、納得をしているならあまりとやかくは言いたくありません」
「………………えっと、その、…………ありがとう」

ぱちぱちと瞬きを繰り返したワースは小さくそう言った。ふと、禁書が同席したがらなかったのは、ワースの意向ではなくて禁書本体がオーターのこの微妙な感情に気が付いていたからではないかと思った。ワースは、可愛い。そして多少拗くれた角が頭から生えていようとも、子供の姿のワースも大変可愛らしい。禁書がいなければ実現しなかっただろう大小のワースが揃った姿は、大変眼福である。だが、その片方がワースが大切にしている存在だと思うと、なんだか嫌だ。割り切れないものが胸に広がる。たぶんこれが、嫉妬、という奴なのだろう。

(…………業腹ではありますが)

あの禁書が危険である、という認識に違いはない。しかし、しかしである。大人げない感情を自分が持っていることに、目を向けない訳にはいかなかった。ソフィナやワースの立場を思えば今更禁書を手放させるのは合理的でもなんでもない。それでも感情的な部分が否定する。オーターの胸の中はもう、ぐちゃぐちゃである。ちぎったパンを口の中に入れる。恐らくハーブを練り込んだ生地なのだろうが、味わいを追うほどの元気はない。

「困り事があれば、禁書の件でも、それ以外でも、いくらでも力になります」
「……なんだそれ、マジっぽい」
「マジですから」
「オーターも「マジ」とかって使うんだな」

くつくつと笑ったワースがグラスを傾ける。ほんの少し頬が赤らんでいる。オーターはアルコールが全く顔に出ないタイプだから、新鮮な気持ちでその表情を見る。ソフィナと一緒に食事をした時は上司の目があるからか、グラス1杯程度しか口にしていなかった。2人で飲んでいるとはいえ入れたボトルはそろそろ空だ。彼の顔をまじまじと見る自分も相当に酔っているかもしれない。そういえば、とふと何かに思い当たったようにワースが顔を上げる。

「やっすい家を紹介してくれるような不動産屋とか知らねぇ?」
「家、ですか」
「うん」

来たか、ついに、とオーターの胸はドキドキと鳴った。事前に情報を得ているとはいえ、ソフィナの話は所詮伝聞である。真実ワースが寮を出たいと思っているかどうかは判らない。だから、ワースの口からはっきりと聞くまで、ないものとして勘定に入れないようにしていた。デザートが運ばれて来て、ワースの言葉が一旦止まる。そしてスプーンを持ち上げて、かすかにため息をついた。

「防犯とかはさ、こっちで改造すりゃいいし、まあなんとでもなると思うんだよな。ただ立地がさぁ……魔法局の近くって、高ぇ」
「…………なにか、困ってる事でも……?」
「困ってるっつーか、」

レモンソルベを口に運びながら、ワースはちょっぴり首を傾げる。なんだその動作、可愛い。禁書と行動を共にするようになって、ワースの動きは些か子供っぽくなった気がする。無意識だろうがあの禁書と同じ動きをするようになった。

「……なんつーか、面倒くせぇ。寮生活。これなら多少通勤に時間かかっても、一人暮らしした方が楽そう」
「…………なるほど」

イッ、と顔を顰めるワースは「面倒くさい」以外は語る気がなさそうだ。確かに集団生活であることは間違いないので面倒ではあろう。オーターはひとつ頷く。

「これは、提案なのですが」

フルーツをつついていたワースが顔を上げる。きょとん、と擬音語を付けたくなるほどの表情に胸がバクバクとした。本当に大丈夫なのか。これで物凄く拒絶されたらどうしよう。ほろほろと浮かぶ不安の中に、にっこりと食えない笑みを浮かべるソフィナが浮かんだ。……よし、ダメだったらアイツを恨むことにしよう。

「……良かったら、ウチに来ませんか?」
「……………、…………………もしかしてと思うけど、この後?」

一瞬、時が止まった気がした。
ワースも自分で言っていて、さすがにそれは違うだろうな、という微妙な表情をしている。オーターはなんと返して良いのか混乱して、思わず眼鏡の位置を直した。

「……いえあの、貴方の下宿先として、私の家などはどうかな、と」
「………………マジで言ってる?」
「……一応、マジ、ではあります」

ゆるりと湯気を上げるコーヒーをオーターはなんとか口にした。喉がカラカラに渇いているのに、熱いコーヒーでは飲み下せない。完全に酔いが覚めたらしく、ワースは瞬きを繰り返しながら熱いコーヒーを啜っていた。

「禁書管理局よりは魔法魔力管理局に近い位置ではありますが、それでも寮から通うのに大差ないでしょうし、部屋も余っています」
「オーターんちってアレだろ、あの魔法魔力管理局の隣のでっけー屋敷」
「広いだけで、だいぶ持て余していますので」

神覚者として魔法局に入った時についでに貰った屋敷だ。管理職である以上、局の近くに住む必要があった、という実務的な理由でもあるが、ライオのように家庭がある者は今も自宅から魔法局へ通っているから、別に入居は必須ではない。ただ根が面倒くさがりのオーターには、居住の手配を自分でやらなくて良い利便性を取ってずっとあそこで暮らしている。昔は寝に戻るために使っていたようなものだし、時よりハウスキーパーを頼む程度で他人を招くこともない。最近は少し人間的な生活をするようになったから、寝室や浴室だけではなく書斎扱いしている部屋にも足を運ぶようにはなったが、強いて言えばそれくらいで、入居後、掃除以外の理由で足を踏み入れたことがない部屋さえあった。今後もワースが禁書の研究をするとなると、参考文献の置き場や論文を書く静かな環境だって必要な筈だ。オーターの屋敷なら、それら全てを提供出来る。……と、言うのは外向きの勧誘文句である。

「貴方と、朝晩と顔を合わせられるのは、嬉しいので」
「…………そっ、それはさ、」
「…………?」
「んっ!いや、なんでもない!」

顔を赤くしたワースはぶるぶると左右に首を振った。何かおかしなことを言っただろうか。あの禁書を見る限り、ワースは比較的ストレートに情に訴えかけた方が心動かされるような気がしていたが。コーヒーを啜るワースは、うぐぐ、と少し唸った。

「……ちょっと考えても良いか」
「もちろん、すぐにとは言いません」

ただ、とオーターは少し迷うように言葉を探した。

「……その、何事も、困った時はお互い様ですので」

ソフィナに相談してくれないかな、とオーターは思った。彼女ならば確実に、熱烈にオーターの家に二人暮らしをするよう推すだろう。元は彼女から持って来た話なのだから。ふと、ワースが荷物入れの中の禁書を睨む。何かと思ってオーターもそちらへ視線をやれば、鞄の中に収まっていたはずの禁書が、その書籍の姿のまま、いつの間にやらひょっこりと顔を覗かせていた。



***



ワースと昼食を取る時は、いつも少し緊張する。もう今は「たまたま食堂で顔を合わせたから」食事をとっているのではなく、待ち合わせ場所を決めた上で落ち合っているのに、やっぱり今日は予定ができたとかの連絡が来ていないかいつも端末が気になる。今回は同居を申し出てすぐ顔を合わせる日なものだから、その緊張もひとしおだ。

「オーター」
「お疲れ様です、ワース」

壁に背中を預けていたワースが身を伸ばす。その様子だけでも、相変わらず絵になる。オーターは密かに禁書管理局が新卒のリクルート用にワースの写真を採用したらどうしようと怯えている。年齢が新卒に近い若手で希少な禁書使いでこれだけ顔が良いとさぞかし写真映えするだろう。世界がワースを見つけてしまう。どうしよう。ソフィナとカルドには交渉しなければならないかもしれない。そんなことを考えながら視線を下げると、いつも通り小さな弟の顔をした禁書が足元にいる。目があって、にこー、と晴れやかな笑みを浮かべてきた。禁書は、いつもそうだ。そしてワースとオーターの間に立ってワースに手を引かれ短い足をせっせと動かす。

「…………」

自分の太もも辺りにある捻れた角の描く曲線に、ふと触れてみたくなった。もちろんコレだって泥魔法で作ったのだから、さして感触など変わらないだろうけれども。小さな首には不釣り合いなのだろう、重そうに、左右に頭が揺れている。
結局手はうずうずとしたまま、オーターは禁書の角に伸ばすことはなく、いつも通り食堂の日替わりランチを選び、2人でまとめて席に着く。禁書の為には、ワースが余分に頼んだ惣菜と、ワースのランチの一部を取り分けた小皿と、子供用のカトラリーである。小さな手で不器用にカトラリーを握る姿は、中身が正体不明の禁書と思っていても愛らしい。

「……考えてみたんだけどよ、」

ぎくり、とオーターの肩が跳ねる。このタイミングでこの切り出し方では、何の話かなんて明らかである。パスタをくるくると巻くワースはどこ吹く風と、オーターに心の準備をさせない。

「オーターの家に居候させてもらうのはめちゃくちゃありがたい話なんだけど、どういう条件考えてる?」
「条件……?」
「家賃とか、家事分担とか」

考えてみたこともなかった。
とにかく一緒に住めるチャンスだと。
どう答えるのが正解か、少しばかり掴みあぐねてワースの顔色を伺いながら口を開く。

「あれは私の持ち家なので、家賃は必要ないです」
「いっ、いやいやいやいや、必要だろ、けじめとして」

そういう、ものなのだろうか。
オーターが首を傾げると、それを見ていた禁書もオーターと同じ方向へ首を傾げた。ワースが気になるならば、すこし家賃を貰っても良いかもしれない。どうせオーターは使いきれないほど金を持っているのだから、ワース用の積立貯金とか。金額が重なるたび共にいた年月を感じられて楽しいかもしれない。

「一括で購入していますし……もし気になるなら月額1万ロンドを」
「それはさすがに、……安すぎるだろ」
「トモダチ価格です」

しれっと言い切れば、絶句、というようにワースはポカンと口を開いた。その表情は、だいぶ可愛い。誤魔化すように、セットのスープを啜る。

「外観から見ての通り、部屋は余っていますので」
「んんー……、わかった、家賃その値段なら、掃除洗濯炊事は俺がやるし、その分の金額も俺が出す」

ぴしゃりと言い切るワースは思い切りが良く凛々しい。しかしながら、オーターは自分の家に掃除機や洗濯機があるかどうか、若干不安になった。そこまで出させるのは忍びない。なんせ掃除は定期的にハウスキーパーを入れているし、出勤に着ている服は全てクリーニング店に出している。食事は保存の利く栄養補給食品が中心で、たまに外食する程度だ。自炊はほぼしない。……あ、いや、コーヒーを淹れるくらいのことはする。2人分……いや、禁書を含めて2.5人分の食費を出すのは、月額1万ロンドよりずっと高くつくだろう。

「掃除や洗濯は業者を入れているから不要です。それに、食費全額持たれるのは……」
「……ちょっと待て、オーター」
「はい?」
「アンタ今まで……食事ってどうしてた」

ぱちぱちとオーターは瞬きを繰り返す。食事と言われても、栄養補給が出来れば良いから、こだわりがない。どちらかといえば時間を空費するような気がするので、なるべく早く食べられる物を好む。しかし禁書を子供のように甲斐甲斐しく世話をするワースはきっと食育にも関心があるだろう。それを思えばその、オーターの回答はあまり相応しくないかもしれない。

「えぇっと、魔法局近くの、飲食店を、その、転々と……」
「………………」

嘘とは言い切らないが、まったく本当のことでもない。じいっとこちらを見つめるワースの瞳に、居心地が悪くなってオーターは視線を皿に落とす。ダメだろうか。やっぱり、色々とすっ飛ばして一緒に住むなどということは。ふぅ、とワースの小さなため息に絶望を感じた。

「分かった。けど俺は結構自炊したい方だからその辺はおいおい折り合わせて行こう」
「えっ、と……?」
「家賃が破格なのはマジでありがたいし。もしアンタも家でメシ食うってんなら俺作るし、その辺はゆるっと行こうぜ」

パスタを口に運ぶワースを呆然と見て、その横の禁書を見る。不器用に巻いたパスタを口に運ぼうとしていた禁書は、オーターの視線に気付くなり、にこー、と破顔した。その隙にぱらぱらとパスタがフォークの隙間を縫って皿へ落ちていき、ワースが「あーこら、」と禁書を叱る。ひと通り世話をやってオーターに視線をやったワースは、にっと笑った。その笑い方は片方の口角だけ上げる粗野なものであったが、どんな表情より彼に似合って、ひどく鮮やかであった。

「とりあえず、ルームシェア、ってことで?」
「わ、分かりました。よろしく」

オーターは慌てて自分の食事を掻き込む。彼の顔をずっと見つめていたいのは山々だったが、動揺を悟られそうでならなかった。お手本のような仕草でパスタを食べるワースの姿に胸が高鳴ってならない。同棲、ルームシェア、言い方は何でも良い。おはようからおやすみまでワースと一緒に居ても良い理由があるのなら。
オーターは非常に分かりにくく浮かれていた。魔法魔力管理局の局員がいれば、「また無表情で花飛ばしてる……」とか囁かれていたことだろう。その日の仕事は頗る捗ったと言うことは、言うまでもない。

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カナリヤ 9
1 / 4

イーストン魔法学校迷いカーバンクル事件は、魔法魔力管理局の預かりとなって解決をみた。それ以前に起きていた違法魔宝石摘発時に失踪していたカーバンクルの子供の額石であることが正式に認定され、子カーバンクルの身柄は魔法生物管理局に移送されたそうだ。現在保護施設で治療とリハビリを受けている子カーバンクルは、保護地域に放すか誰かの使い魔として里子に出すかはまだ議論中とのことだ。なんせ子カーバンクルには親がいない。厳しい自然の環境で生き延びられるか分からないのだ。ただでさえ人間は容易に入っていけない場所である。せっかく拾った命であるから、研究者の誰かのパートナーとなれれば、というのも理解できる。……一応、カルパッチョが熱烈に手を挙げているそうだが、どうなるかは分からない。言っては悪いがカルパッチョはカーバンクルとは相性はさほど良くはない。魔法適性から見ても火炎系の魔法使いの手元にいた方が、あのカーバンクルにとっては良いだろう。

「……っとまあ、これが顛末ってヤツだ」

ワースは再びイーストン魔法学校の禁書庫にリトルデビルと訪れていた。はっきりと約束した訳ではなかったが、5冊の禁書にカーバンクルがどうなったか、その経過を知らせるべきだと思っていたのだ。『深淵』はあからさまにホッとした様子で、他の禁書たちも安堵した様子だった。意外だったのは『黎明』で、少し嬉しそうにワースの報告に耳を傾けていた。カーバンクルを疎ましく思ってたのは事実であろうが、「他の魔導書を守るため」という話も本心であったのだろう。やはり、禁書にしてはだいぶ気の良いヤツらだ。教育機関所蔵の禁書はやっぱり違う。……禁書管理局の禁書たちは、少し彼らを見習った方がいいと思う。

「あの時は協力ありがとうな」

通訳を終えたリトルデビルの頭を撫でてやりながらワースは5冊の本に頭を下げる。禁書たちの証言がなければ迷いカーバンクルを捕獲出来なかった。ついでに言えば彼らとキチンとリトルデビルが「会話」出来ると判明したお陰でワースの研究はかなり進んだ。書籍たちは預かり知らぬところだろうが、ワース個人としても感謝は伝えておきたい。
元通り禁書たちを封印して貰い、禁書庫から出ると、禁書担当の司書からはひっそりと礼を言われた。2度も書庫破りを、しかも1度は成功されてしまったからにはもう配置換えか、最悪解雇まで覚悟していたらしい。あれだけ「おとなしい」禁書たちだから、管理者に対してもさほど強い好き嫌いはないだろう。次の禁書担当が現れる可能性はかなり高かったようだ。結局彼らの証言で職員に問題はなく、外敵を威嚇するための行動だと分かったからそのまま禁書担当として継続するという。禁書管理局としては、禁書たちがその気になれば破られてしまう程度の管理は瑕疵がないとは到底言い難いが、もちろんそれらをどう受け止めるかは図書館側の問題である。禁書の威嚇がなければ、飢餓状態の迷いカーバンクルが他の魔導書を齧った可能性は、間違いなくあったのだから。

「……いや、アレはリトルデビルの……」

禁書使いとして通訳させたのはワースだが、実際に魔導書とコミュニケーションを取ったのはワースの能力ではない。礼を受けるならリトルデビルが、と思ったが、ふと、レナトスの言葉を思い出した。

(リトルデビルも、俺の力だと見做す、んだったか……)

そういえばあの白魔導士連続誘拐事件の時は、リトルデビルがワースの命令でマッシュ・バーンデッド宛に位置情報を送ったことを「ガキのしたことだろう」と雑に庇った癖に。不死の神杖はなんだかんだと現場の判断を全て自分の責任として持とうとしていた。ただの「禁書管理局の新人」ではなく、きちんとした「禁書使い」となる気がワースにあるならば、魔導書が行った良いことも悪いことも、すべての責任を持たねばならないだろう。

(……重てェな)

ちらりと手を繋いだままのリトルデビルを見る。こちらを見上げたリトルデビルは、にこりと笑う。洞窟から魔導書を連れてきた時はそこまで深くは考えていなかった。今のところ、リトルデビルは「悪い」行いをした事はない。けれどそれは彼が何よりもワースの命令を優先しているからだ。……つまり、ワースが誤れば、間違いなく、そして躊躇いなく、リトルデビルは他人を傷付けるような振る舞いが出来る。良くも悪くも全てはワースに委ねられている。今まであまり意識してこなかった責任感は、確かに重いが、ワースはこの重みに慣れるべきだ。

「……ありがとうございます。もしまた何かありましたら禁書管理局までご連絡下さいね」

胸に手を当てて、定型のような挨拶を口にする。
ソフィナのように笑えていただろうか。自分の顔は、流石に分からなかった。
迷いカーバンクル事件がひと段落ついてから、ワースは正式にソフィナの弟子となった。ワースは知らなかったが、ソフィナの弟子になるということは、禁書管理局内では幹部候補のひとりと見做されると同意義であったらしい。新人の権限では決して入れないような場所へ連れて行ってもらえるし、非常に勉強になる。お陰様で春の研究発表会に向けて随分と研究が進んだ。一方で、……なんというか、やっかみが凄い。なるほどこれは、ソフィナがすぐに弟子にしなかった訳である。
独力での「赤い石」の正体を見破り、図書館一般書庫と開架を守りつつ迷いカーバンクルの捕獲に成功した功績を以て、ワースの籍は禁書管理局局長補佐見習いとなった。ソフィナには「ちょっと早過ぎる気もしましたけどね、」と笑われもしたが。彼女の予定では、ワースが論文を発表した後のつもりだったらしい。けれど今回の一件でリトルデビルの価値が上がった。カルパッチョの言では音魔法ではないかとのことだったが、カーバンクルのような魔法生物とも会話が出来る可能性がある。禁書と意思疎通できるだけでも画期的であったが、その範囲がさらに広がるとなると、かなり「使い勝手の良い禁書」と認識されることになる。ただの新人局員の地位にして置けなかった、というのがソフィナの見解だ。禁書ごとワースをソフィナ直属の籍に置けば、任される仕事の範囲が広がる。結局のところ所有者がいる禁書は術者しか扱えないとは言え、ワースを亡き者にしてリトルデビルの所有権を狙う人間がいないとも限らない。後ろ盾をはっきりさせておくのは身を守る術でもある、とのことだ。実際、ワースは先輩にそこそこ嫌味を言われるようになった。「禁書が凄いだけじゃん、」と。無論、先輩たちからしたらホリデー休暇明けに突然禁書使いになった後輩なんてそりゃあそうだ。目障りだろう。ワースとしては本当に羨ましいと思うなら幼少の頃から「悪魔」の声でも聞き続けてみろ、と言ってやりたいが、……理解はされないだろう。嫉妬とはそういうものだ。大抵そういうことを言って来るのは魔法局近くにタウンハウスを持つ中央貴族の関係者だから、こちらも「アンタら差し置いて強い禁書に選ばれちゃってサーセン」くらいで取り合わないようにしている。向こうだって禁書管理局に勤めている以上、術者を殺害しても禁書が手に入る訳ではないことなど百も承知だろう。むしろ大抵の禁書は術者の死で暴走する可能性の方が高い。リトルデビルは人間社会というものをかなり良く理解しているから、事によると復讐くらいはするかもしれない。

「リトルデビル」
「んぅ?」

ぽてぽてと歩くその脇に手を差し入れ、抱き上げると歓声が上がった。その背中をポンポンと撫でてやると、リトルデビル自身もワースの首に細い腕を回す。
独身寮は、ワースの後見に立ってくれているウォーカー家のような、中央貴族にあまりコネを持たない地方貴族出身者や平民がメインだ。だからどちらかと言えば中央貴族よりも頭角を顕したワースが誇らしいらしく、なんくれとリトルデビルともども構われる。……物凄く、贅沢な悩みと言われるとその通りなのだが、実のところそういう扱いも、結構ウザかったりする。ワースは元々魔法局近くにタウンハウスを持つような中央貴族にもコネを持つ地方貴族の次男である。ぶっちゃけ、独身寮に入っているような人間よりも、やっかみを向けて来るような先輩相手の方が親近感が湧く。……ムカつくよなァ、俺みたいなヤツのこと。
「同じような立場」とみなした程度で親しげに振る舞われるの、結構嫌なんだよな、とお日様の匂いがするリトルデビルの頭に顎を乗せながら思った。変に期待や自己投影されても、ワースはそれに応える気はないし、応えられるとも思っていない。彼らの意味が分からない期待が裏切られる前に独身寮を出たいのだが、新人はただでさえ蔵書整理の手が遅いからタウンハウスでなければ独身寮で生活するのが通例であるし、ワースも魔法局近くに部屋を借りられるほどの給料を貰っていない。……こういう煩わしさを思う時、マドル家は本当に恵まれた環境であったと実感する。両親が使っているタウンハウスの他にもいくつか物件を所有していたはずだ。もしも勘当されていなければ、ワースは当然そのうちのどこかで一人暮らしをしていただろう。

「はぁ……」

研究も仕事も、客観的に見て順風満帆である。だから「独身寮を出たい」というのはワースのわがままに過ぎない。新人なんて下積みだから、と自分を納得させながら、リトルデビルの頭を撫で続けた。



***



ところで、ワースには悩みがあった。

仕事や職場の立ち位置に関する悩みからすれば取るに足らない些細な悩みかもしれない。しかしワースにとっては非常に重要な悩みであった。

「……はぁ」

結局行けていないのだ、二人で食事に。あんなに勇気を出して誘ったというのに!
まあでも、正直に言ってこれは別に誰が悪いということはないのだ。ワースもワースでソフィナ直属へ配置換えとなり忙しくなったし、弟子として稽古を付けて貰うことが増えた。オーターはオーターで、言わずもがな昼夜を問わず忙しい役職である。二人の予定の間を縫うようにして約束を取り付けても、これがもう、面白いくらいに予定通り行かない。主に、オーター宛に緊急の支援要請が飛んでくるからだ。会うのが流れても夜になって独身寮を訪ねて来てくれたり相変わらず一緒に過ごす昼食時に詫びの品を持ってきてくれたりするのでワースとしては返って申し訳ない。

(……まぁでも、「二人で行く」にこだわらなければ別に……)

実のところ、先日ソフィナとワースとオーターで夕食を共にしている。その日はソフィナの指導が少し伸びてしまって、「じゃあ夕食一緒に取りますか。二人だとアレなので、オーターでも呼びましょう」と言われたのだ。その時には既に1回食事の約束が流れていたのでオーターは無理なんじゃ、と思ったが、なんともタイミング良く「今夜ならなんとかします」との返事であった。ソフィナと食べ始めて1時間経ったか経たないかくらいでオーターが現れたのを見た時は、「こういう感じなら来れるんだ、」と言うことだった。数人で待ち合わせる、の柔軟性をワースは初めて知ったような気持ちになった。1時間もあれば一人ならワースは食事を終えているだろうし、オーターも待たれていると思いながら仕事をするのは嫌だろう。同じ神覚者のソフィナと穏やかに談笑しているオーターはなんだか新鮮であった。その顔を見れたのは、よかったと思う。ただやはりワースとは忙しさも退勤時間も全然違うから合わせようというのは少し無謀だったかも知れない。

(……まぁ、休みの日に一緒にメシ行くくらい仲良くなるのを目標にするってことで……)

はぁ、とワースは肩を落とした。完全に前途は多難である。ただでもオーターだって遊園地に来れていたくらいなのだから、休みの日もちゃんとあるはずなのだ。……そこをワースの為に割いてくれるかどうかは知らないが。

「ん?」

ワースの端末が震えてメッセージの着信を知らせる。噂をすれば、オーターからである。ワースは怪訝そうに液晶を睨みながら新着ボタンをタップした。

「……ん?」

オーターのメッセージはいつだって簡潔で明確だ。一読で、意味が取れないのは珍しい。
ワースは一応目を擦って自分の読み間違えではないことを確認して、今度は驚きの声をあげた。背後からひょっこりとその文面を除いたリトルデビルが首を傾げる。ワースは思わず、画面をリトルデビル側に傾けた。だいぶ学習が進んでいるので、この程度の文面なら意味がとれるはずだ。

「ううーんと……」
「今度、オーターが一緒に飯行こうって」

しかも、きっちり日時指定されている。3週間後の週末の夜だ。ワースのような新人局員は休日前の予定は立てやすいが、オーターほど忙しい人間がそんな簡単に時間が空くのだろうか。……いやこれは、「空けた」やつだろうか。一応予定を尋ねるメッセージではあるものの、そんな先の予定は当然空いている。妙にキラキラとした瞳でこちらを見たリトルデビルが、両手を挙げて飛び上がった。

「デートだ!」
「で!?デートじゃねェよ!」
「……デートじゃないの?」
「た…………たぶん……?」

勢いで言い返して、ワースは急に不安になった。デートの定義ってなんだ、ちょっと辞書引いても良いか。……いや違うそうじゃない。胸に手を当てて、すーはーすーはー、と大きく息を吸った。落ち着け自分。こんなところで狼狽してはリトルデビルの教育に悪い。

「こーゆーのは「食事会」とかって言うんだよ」
「でも、二人で会うんでしょう?」
「ふ、二人じゃねェかも知れねェじゃん……」

ど、どうなんだろう。ワースは他の人を誘うつもりはないから当たり前にオーターだけ来ると思っているが。ワースを見上げたリトルデビルが、困った様子で頬を軽く掻く。

「ぼく、このひ、おへやでまってるよ」
「はぁ!?」

なんだその、「良いこと言っちゃった」みたいな顔は。

「ちょ、ちょっと待てさすがに連れてくぞお前は」
「え、いやだ」
「いやだ!?」
「じゃましたくないし……」
「邪魔とかじゃねェから!……っそうだ、法令上禁書をそのまま放り出して外出とか出来ねェから俺」

禁書を所有する上で最も重要なのは、それを悪用されないことだ。禁書庫に入れるのは、禁書が暴れ出した際の対策であると同時に他者から禁書を守る為の盾の意味もある。個人であれ学校等の団体であれ所有者には責任が伴う。常に人間の形を取らせているからあまり意識の俎上に上がらないが、魔法管理局の独身寮とはいえ特に何の警備もない状況で禁書を部屋に置きっぱなしなどあり得ない。というか、オーターと完全な2人きりとか今からワースがどうしたらいいのか分からない。頼むから一緒に居て欲しい。
リトルデビルは少し考える素振りを見せた。そして何かを思いついたようにひとつ頷いて、にっこりとワースを見上げた。……もう既に嫌な予感がしている。

「えい」

気が抜ける掛け声と共に、リトルデビルの輪郭がブレる。あっと思う間もなく泥の身体は消えてなくなり、現れたのは魔導書だ。こてん、とそのまま床に横たわった。こ、こいつ……!

「ちょっと待てリトルデビル、人間の姿に戻れ!出来るだろ!」

腕の中の魔導書からは、さっき口にしたのと同様の「いやだ」の返事が返る。……嫌とかじゃないんだこっちは。何かあったらリトルデビルに話を振れば気詰まりにもならないかな、という甘えの元、オーターを誘っているのである。本気で2人きりとかどうしたら良い。肩を揺さぶる要領で魔導書を振ってみても、返事は変わらない。むしろ人間の形を取っていない分、魔導書が善意100%で言っていることが伝わってくる。

「なぁ本当に!マジで!頼むって!」

言い募っても魔導書の返事は変わらない。魔導書は、人間とは考え方が異なるとは言え、所有者を愛しているのではなかったのか。苦し紛れに浮かんだ疑問に、魔導書はあっさりと「大好きだけど?」と返してくる。まるで朝になると太陽が昇ってくるでしょう?と言いたげな、若干の呆れ混じりの返答だ。それからはもう、ワースがどれだけ宥めてもすかしても魔導書は人間の形を取ろうとはしない。なんならワースが泥人形で代用しようとすると平然と魔法を妨害してくる。そんなこと出来たのか。所有者でさえ初めて知る魔法なんだけどそれ……。若干茫然自失としながらも、無情な時計は止まることはない。諦めたワースが「わーった、わーったから!」と叫べば、勝利のダンスとばかりに魔導書が空中でくるくると回る。その様子を見て、ワースはがっくりと肩を落として、数週間後のその日の予約は2人にして欲しい、とメッセージを打った。

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◆◇◆◇◆



小さな箱の中に寝かされて、なんとも不思議な気持ちで天井を見る。

2人の食事を邪魔しないように荷物扱いされても良いと思ったのは「わたし」だけれど、これはなかなかどうして、奇妙な感じだ。お行儀良くしなきゃ、と、もっとカナリヤにくっ付きたいのに、が綯い交ぜになる。端的に言えば、「わたし」に向いていない。だってもう、「わたし」は荷物扱いではなくカナリヤに撫でられる頭を持っているから。魔法で作った手は、カナリヤと繋ぐためにあるから。

まぁ、そんなこといま言っても仕方ないんだけども。
珍しく少し酔っているらしいカナリヤに、ちらりと視線をやる。

虚無。
虚無である。
ただ、キラキラと光るシャンデリアを見上げる。

まぁ、必要であると「わたし」が判断したのだ、致し方ない。カナリヤがトイレに立つと、丸い眼鏡のあのひとが、「わたし」を覗き込む。彼の音は複雑だ。「わたし」なんか目障りだろうに、それでも「わたし」を慈しむ響きがある。カナリヤ程ではないけれど、心地よくて美しい音。「わたし」は結構、彼を好ましく感じている。

「……気を、遣わせましたか」

すっと伸びてくる手は、悪意なんか一欠片もない。
そうっと表紙を撫でる動きは不器用そのもの。変なヒトだなぁと「わたし」はおもう。

そんなところが、彼らはみんな可愛らしいのだ。

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◆◇◆◇◆



ワースのことが好きだ、と自覚してから念の為にと調べてみたが、オーター・マドルとワース・ウォーカーは婚姻関係を結ぶことが可能だ。
……突然何の話かと思われるかもしれないが、仕事柄、オーターにとってどの程度自分の財産を相手に遺していけるかは非常に重大な問題である。このような心配は、無論ない方が良いのだろうが、結局最後に相手を守るのは愛よりも制度だとオーターは常々考えている。最悪の状況になった時の相手の行く末を案じるのは、当然のことだ。
実のところ、貴族における同性結婚というのはそう珍しいことではないし、嫡男が兄弟と結婚する、というのもそう特筆する事態ではない。生まれた時から戸籍が同一であるから他とは違う手続きを要する、というくらいである。異性きょうだい間の結婚は倫理的な問題が付き纏うが、同性間となると社会的な問題の解決という側面があるからだ。
例えば後継者教育を受けていた嫡男の後に生まれた弟の方が魔法適性に優れていた、という例はよくある。この場合、後継者が弟にすげ変わる場合も勿論あるにはあるが、嫡男に跡を継がせ、より魔法適性に優れた弟を家から逃がさない為に兄と結婚させることもある。後継は兄弟どちらかの婚外子にする、特殊な魔法を用いて政務を行わない方に産ませる等の手段で得る。貴族において重要なのは「家」であるので、これもさして問題にはならない。
この場合の「魔法適性」は、単純に使える固有魔法を示すこともあるし、魔法陣を描く等の特殊技能の事もあれば、それこそ特定の魔導書や長命な魔法生物に愛される適性、という場合もある。「禁書」と呼ばれるような魔導書を所有する一族が存在するのも、より適性がある子供が外に出て新しい家門を作らないように出来る制度があるからだ。ワースのように「禁書」に憑かれたら、普通は血族との婚姻で外に出さないように囲うものである。マドル家はワースが「禁書」所有者と知らずに手放してしまったが、これはそれなりの歴史を誇る貴族の家としては、本当にあり得ない事態であるのだ。失策、或いは失態と言い換えても差し支えはない。特にワースの禁書「リトルデビル」は禁書としてはかなり聞き分けも良いし意思疎通ができる。他の一族相伝の禁書に比べれば扱い易さは上位に数えられるだろう。それこそ産まれたての後継者の遊び相手として共に生活させれば、強力な魔法生物と共存関係を持つ家のように良好な関係を築ける可能性さえあった。禁書が守護獣のような役割をするなどは前代未聞ではあるが、そもそも喋る禁書は前代未聞なので、誤差の範疇でしかない。ワースは目の前の研究に没頭してその辺りにあまり関心がないようであるが、禁書は、それだけでひと財産なのだ。この程度の話、年頃の子女がいる貴族の家ならどこでも考えるだろう。ウォーカー家には当主アベル宛の釣書の他にもワース宛の釣書が届いているに違いなかった。……とまぁ、それは今は良いとして。とにかく血の繋がりがあろうとも結婚は出来るし、特にワースは既に他家へ養子として出ているから体裁という意味でも問題はない。……本人の気持ちがこちらに向いてくれれば、であるが。

(……それが、1番の難関、なんですが……)

トン、とオーターは自分のこめかみを指で叩く。養父であるアベル・ウォーカーを言いくるめたり懐柔したり等は、そう難しいことではない。土地持ちの貴族であるから、彼には守るものが多いだろう。……この手の政治的な動きは不得手なオーターでさえそう思うのだ、つまり、希少な禁書使いと婚族になりたいと望む他の貴族にとっても、アベル・ウォーカーは十分付け入る隙のある若当主である、ということでもある。

「…………」

まったく、頭の痛い話である。
それもこれも、両親がワースを除籍しなければ。
或いは、禁書使いと判明した時点でワースの身分を守るような素振りを見せてくれていたら。
遅きに失しているとはいえ、アベル・ウォーカーの現在の状況を確認せねばならないだろう。それから、あと、フツーにワースに会いたい。いや毎日昼食を共にしているのだが、イーストン魔法学校の事件の際に言っていた2人で夜に出かけようという話はなんだかんだと流れてしまっているのだ。たいていは、オーターが悪い。ワースよりも勤務時間という概念がないから緊急の案件が入って来るとそれに対応せねばならない。しかしこれについては、最近少し目処が立った。
実は現在、魔法魔力管理局は体制編成の真っ最中なのだ。というのも先日、次席以下そこそこの役職を持つ部下たちが連名で嘆願書を出して来たのである。あえて単純化してまとめると、「神覚者に頼りっぱなしの体制はよくない」とのことだった。少し前のオーターであれば一笑に伏したかもしれないが、内容は墓地管理局や魔法警察隊のようなシフト制を敷いて緊急の案件でも特定の上位権限者、つまりオーターのみに仕事が集中しないようにする、という提案であった。結局のところ戦闘能力がずば抜けて高いオーターに回って来る可能性が高いが、案件そのものをランク付けして局員で対応できるものは手分けする。何度か魔法魔力管理局内でも上がった案ではあるが、これまでは部下に割り振る労力の方が面倒だと感じて却下して来た。ただ実際問題、連日連夜身体が空かないと碌にワースと約束も出来ない。昼休みには会えるが、それ以外でも会ってくれると言っているのにこちらの事情で会えないのは悲しい。状況が変わったオーターにとっても今回の提案はありがたく、受け入れたということである。
提案を受けて少しずつ会議を重ね整備していたが、この度ようやく目処が立った。どこからか聞きつけたカルドには「オーターってワーカーホリックだと思っていました」と意味ありげに笑われた。何なんだあいつは。

「…………」

オーターがじいっと見つめているのは自分の端末の、ワースとのチャット画面である。もうかれこれ30分近くもこれを眺めている。
実は既に、送るべき本文は綴っている。送るのに勇気が足らないだけだ。……ちなみにこれはオーターが知らないことであったが、オーターの席の近くの局員たちはみな固唾を飲んでオーターの次の動きを注視している。もちろんあからさまに視線をやる者などいないが、オーターが私用の端末で連絡を取る相手など、実弟しかいないと知っているからだ。局長また弟くんにメッセージ送ろうとして悩んでる。頑張っちゃえよもう、……などと思われていることはオーターは知る由もない。

「…………」

気持ち、大きく深呼吸して心を整え、オーターはようやく送信ボタンを押す。あっという間に送られたメッセージが画面にぴょんとポップアップされて、オーターの胸に小さく後悔めいた気持ちが浮かぶ。もう少し文章を考えた方が良かったか。そもそも今の時間送るべきだったのか。時間指定した方がワースも来やすいかと思ったが、押し付けがましくないか。……あれそういえばこのチャットは送信取り消しが出来るのではなかったか。メッセージの上で長押しをするとメニューが現れる。よし削除しよう。しかしまさしくそのタイミングで既読がついた。もうダメだ。

「…………」

オーターは無表情のまま静かに絶望していた。
突然のどんよりした空気に近くの局員たちはギョッとする。どれだけ戦況が悪くなっても砂の神覚者はこれほど悲壮な雰囲気を出すことはないのに。一応見知らぬふりをしているので、誰も彼も局長に声を掛けられない。しかし意を決して、見かねた次席が腰を浮かす。まさに丁度その時、オーターの端末がぴょこんと受信を告げた。

「…………!」

ワースからの返事はひと言「いいよ」であった。そっけないと言えばそっけないが、ワースの返事はいつも短文である。たぶん、そういう性格なんだろうと思う。ほわ、とつい一瞬前まで項垂れていたオーターの機嫌が上向く。現金なものである。次席は、静かにその場に腰を下ろした。どうやら局長に声掛けが必要なさそうなので。無表情ながらほこほこと背中に花を背負い始めた神覚者は、昼休み明けでは恒例の姿だ。返信をして、何か実弟へ想いを馳せていた砂の神覚者は端末を懐にしまって書類に向き直る。そこから怒涛のチェックが始まった。周囲の局員は、これで今日は早めに帰れるぞ、と密かに時計を見上げた。



***



定例の神覚者会議の終わりに、オーターは知の神杖ソフィナ・ブリビアに呼び止められた。これ自体はままある。ワースが禁書を手にした当初はソフィナからの気遣いによって、最近では専らソフィナの愛弟子に関する相談の為に。ほぼ兄弟らしい関わりはなかったとはいえ、マドル家の教育状況ならばオーターにも説明できる。今更そんな話が必要かどうかは大変怪しいが、ワースのことならなるべく知っておきたいから、ソフィナの相談役に選ばれているのはありがたいことでもあった。
実のところ、ワースの禁書「リトルデビル」の研究は他の禁書に比べて進んでいる方だ。しかし「禁書使いワース・ウォーカー」としては、その訓練が成果を出しているとは言い難い。なんせワースは、未だに禁書に記載された呪文を1文字と読めていないのだ。禁書に書かれた魔法がどのようなものかは概ね分かる。ただ、それを発動するべき呪文がさっぱり「読めない」。魔力のやり取りや「リトルデビル」が使用する泥魔法はあくまでも禁書自体が自らの意思で魔法を使っているに過ぎず、ワースの指示は特段の魔法を介したものではない。禁書が「ワースに従う」という意思でのみ発動させていると言い換えても良い。オーターとしてはそんな危険なモノは使えなくとも良いと思うが、ソフィナは師匠として真っ当な禁書使いに育てたいようだし、ワースにも禁書使いになる意思がある。

何故、ワースには未だ禁書の呪文が読めないのか。

禁書の証言によれば「まだ読めなくて良い」からだそうだ。ソフィナの見解では「禁書が使えるほどに魔法回路が育っていないのではないか」とのことである。一般に、魔法回路は成人するまで成長する。つまりワースにはまだ、1年と少し時間が残っていることになる。……もっともこれは、「一般的な見解」であるので、あまり「一般的な」禁書との関係を結んでいないワースにどこまで当てはまるのか、不確定であるけれども。とにかく、ワースが禁書を読める、読めないの主導権はあくまでも魔導書が握っている、という状況が、オーターはなんとなく気に食わなかった。

「ワースくんの自制心を侮っていたかもしれません」

ぽつりとソフィナが言った。オーターは視線だけで先を促す。

「……いえ。リトルデビルくんが、あの通り人当たりが良くて朗らかでしょう?うちの局員がワースくんを侮って言ったそうなんです。「お前は運良く禁書に選ばれただけだ」って」
「それは……」

比較的、温厚で「好き嫌いが激しくない」禁書は確かに存在する。大抵は読むと術者も死に至る自爆型の禁書である。そうでない場合は禁書ほどの魔力行使が出来ないので通常は「魔導書」として取り扱われる。ワースの「リトルデビル」は行使できる魔法の威力からして明らかに禁書の部類であった。あれだけの力を持つ魔導書が、温厚なはずはない。別に、魔力が高い方が性格が悪いのではない。考え方がより人間の常識から外れるというだけだ。単体でなんでも出来る生き物が謙虚である必要はないのである。

「あなたの局内統制が利いていないのではないですか」
「その点については弁明のしようもないです。新人事の軋轢を事前に納め切れませんでした」

ソフィナにしては意外にあっさりとした答えである。毒気を抜かれて「……まぁ、良いでしょう。それで?」とオーターは続きを促す。

「それを聞いた瞬間のリトルデビルくんの表情が、無かったそうです」
「無かった?」

ソフィナは肩をすくめる。
言われてみればオーターも複数回ワースとワースの禁書と顔を合わせているが、大抵あの禁書はにこにことしている。禁書に限らず「人間に取り憑く」魔導書の類いは術者を深く愛するから、単純にワースに手を引かれたり抱き上げられていることが嬉しいだけなのかもしれない。しかしワースは常に禁書のどこかに触れているので、表情を失くす、という状況が想像できない。

「無表情のまま、ワースくんの指示を待たずに魔法を使おうとしたらしくて。……ワースくんは、言われたままで終わらせるような子ではないのでリトルデビルくんを制止する形で撫でながら言い返したそうです。あそこで止めなければどうなっていたことかと、報告が」
「…………」
「恐らくワースくんは余り意識をしていないみたいでして。禁書への制止も無意識でしょう。イーストン魔法学校に出張に行った時も、随分と知り合いの後輩が多いようでしたし……、年下相手には世話を焼きたい性格だから今回のようなことがあってもリトルデビルくんを前に立たせたくないのではないかと。……恐らくリトルデビルくんは、それを読み取っている」
「……なるほど」

禁書「リトルデビル」が温厚に見えるのは、術者ワース・マドル自身の望みということか。逆に言えばワースの気が変われば、禁書は術者を侮辱した者を赦しはしない。まるきり爆弾である。起爆スイッチが、見えているだけマシであるが。よくもまぁ、そんなものを局内に抱えておける。ソフィナの胆力と、それをさほど理解していない軽率な禁書管理局員にオーターは少し呆れた。

「禁書に問題を起こされてワースくんの汚点になるのは困ります」
「それはワース自身には」
「まだ伝えていません。……彼に、その気になればリトルデビルくんに報復をさせられる、と学習されても困りますから」
「…………」

禁書が「おとなしく」見えるのは、ワースの倫理観のなせる技だ。そして倫理観は、意外にも簡単に崩壊する。ワースとて例外ではないだろう。今回の話で言えば、例えば「禁書は術者を侮辱した人間に対する報復として、他の魔導書がその人間の指示を聞かないように命じることがある、だからそのような振る舞いをしないよう注意するように」と告げたとする。ここで普通に「そういう事もあるのか」と納得してくれれば良い。しかし、「そういう手もあったのか」と認識される恐れがある。その認識を、間違いなく禁書は読み取る。周囲にバレないように「上手くやる」方に注力されるのは、かなり厄介だ。しかも、ワースの「リトルデビル」は実績から考えて、かなりの精度で隠蔽を行える。……ワース自身も、禁書に相応しい命令を下せる。きちんとした、「禁書使い」として。

「……正直に言って、少し迷っています。現段階のワースくんは、リトルデビルくんの手綱を握れている。無闇に注意すると無用な知識を与えることになりかねない」
「…………」
「地方貴族、平民出身者の若手がワースくんを担ぎ上げようとする動きもありますから、できればそれも抑えておきたい」
「……私に何か、やらせたい事でも?」

この段になって鈍いオーターにも話が見えてきた。ワースを気にかけるオーターに近況を伝えると共に助力を請おうとしていたのだろう。けれどそれは砂の神杖への明確な「貸し」だ。ソフィナ・ブリビアらしくない。訝しげな視線を的確に読み取ったからであろう。ソフィナは肩をすくめる。

「そう警戒しないで下さい。……ただちょっと、ワースくんに同居を申し出て欲しいなと思っているだけです」
「どうきょ……」
「ワースくんに派閥を作ろうという意思はなさそうなんですけど、なにぶん目立つ子ですし、独身寮に今のまま居られるのは少し心配です。急進的な考えをする若手から物理的に距離を取らせたい」
「……どうきょ」
「貴方と一緒に住んでいて貰えば砂の神杖の後ろ盾があると示すことにもなります。アベル・ウォーカーに先を越されたと前にも溢していましたし、オーター、貴方にとっても悪い話ではないかと。……オーター?」

オーターの頭はパンク寸前であった。どうきょ?同居と言ったか。……ちょっと色々と一足飛び過ぎやしないか。オーターは無意識に眼鏡の位置を直した。

「……それは、ワース次第では」
「まぁそれはそうですね。でも断らないんじゃあないですか?」
「何を根拠に」
「だってワースくん、オーターのことかなり好きでしょう?」
「…………は?」

オーターは自分の耳を疑った。ソフィナはぱちぱちと瞬きを繰り返して小首を傾げる。そして何か合点がいったように「ああ、」と小さく溢した。

「リトルデビルくんには独自の自我のようなものがあるようですけど、基本は魔導書ですので、術者の感情に引っ張られるようです。ワースくんが好感を持っている相手には好意を隠しません。リトルデビルくんの愛想が最も良いのはオーター、貴方と相対している時ですよ」
「……待って下さい、それと一緒に生活して良いと思っているかどうかは別問題では」
「まぁ、それはそうですね」

ソフィナはさらりと頷く。上げてから下げるのは本当に勘弁して欲しい。オーターは頭を抱えた。確かに、ワースの禁書は微妙にオーターに好意的である。食堂で会う時などはそれが顕著で、出会い頭に抱っこをせがまれる事もしばしばだ。こちらとしては子供の頃のワースの顔をして彼が呼び出すセコンズと同じ角を生やす禁書には胡散臭さしか感じていないが、よくアレはワースとオーターを見上げて妙に満足げな表情をしている。それがワースの感情を示していると……つまり、どういうことだ?
頭がパンクしそうなオーターを見て苦笑したソフィナが、ぽんと肩を叩く。

「まぁ、考えておいて下さい。これはお願いというよりは提案ですから」
「…………どうきょ、」
「じゃあまた、オーター」

同じ単語をぼんやりと繰り返すオーターを放り出して、知の神杖はヒールを高らかに鳴らして自らの執務棟へと歩き去っていった。

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***



高い天井の室内は、それに合致する形で縦長のガラス窓がはめ込まれている。少しばかり落とした照明の明かりばかりではなく、外の夜景がキラキラとテーブルの上にこぼれ落ちていく。白いテーブルクロスが張られた席のどこからでも見えるように設置されたグランドピアノからは、会話を邪魔しない程度の生演奏がゆったりと流れていた。話題になっている店を、と選んだ割には雰囲気が良い。ただ如何せん、ムードを演出するかのような音楽にむしろ緊張するばかりだ。メニューを見ながらオーターはばくばくと煩い胸を抱える。正面を見れば、じいっとどことなく真剣な顔つきでメニューを見ているワースのサングラスが影を作っていた。これだけ照明が絞られているのだから外せば良いのにな、とどうでも良いことが頭に浮かんでは消える。その視界にはワースしか入っていない。それが非常に新鮮な感覚がして、オーターは空いた席を見た。いつもならば幼少期の弟の顔をした禁書がにこにこと座っている筈だった。禁書が食事に参加しないことを告げられたのは、予約をとってすぐだったと思う。あの禁書は、魔力の含まれたものであれば問題なく食べることが出来る。本体は書籍であるから彼に消化器官はない。一体食品がどこに消えてしまったのか、若干気になりはするものの、ワースが気にしている様子がないからオーターも触れずに来た。ワースを誘うということは付属品として禁書がついてくる。席の予約も3人分であった。ワースに確認を取った上で人数を減らしているのだが、空白の席を見るにやはりこれで良いのかと疑問が湧く。

「………」

アレがいたとすれば、座席の高さを直してやったりテーブルナプキンを膝に乗せてやったり、ワースはなんくれと禁書の世話を焼いてやっていたことだろう。ワースの下に弟妹はいないものだから、人形遊びのように小さな見た目の禁書を構うワースはどことなく微笑ましい。ワースの姿を無遠慮に取る禁書を受け入れがたいとは思いつつも、世話を焼かれてにこにことしている幼い頃のワースと同じ顔を見ると、自分たちの幼少期も同じようにあったら良かったのにと思える程度には、禁書の顔付きを愛らしく感じていた。ああした「普通の」兄弟のような関わりは、自分たちの間には存在しない。それを自覚するのは少しばかり胸の奥が疼く。いつもそんな複雑な感情をオーターに抱かせる禁書は、ワースの鞄にすっぽりと収まって、素知らぬ顔で荷物入れに置かれていた。

「ワース」
「ん?」
「本当に、良いのですか?その、禁書は」
「………あー……」

ワースはぽりぽりと気まずそうに頬を掻いた。ちらりと鞄に収まる禁書を見るが、肩を竦めて見せる。

「本人……、いやヒトじゃないんだけど、……ともかく、コイツが今回は遠慮するって」
「エンリョ」

禁書に、「遠慮する」という概念があったのだろうか。オーターは寡聞にして知らないが。
禁書に限らず、単体で圧倒的な力を持つモノは基本的には我が儘で傲慢だ。集団を形成しない以上、謙虚にしておく理由がない。ワースの「リトルデビル」はその点かなり協調性がある方で、ワースの意向によく沿っている。これはもう、「リトルデビル」の愛し方がそうだから、としか考えようがない。……つまり、ここに現れない、というのはワースの意向なのだろうか。メニューの影からひっそりとワースの顔色を窺う。その意図するところは、分からない。

「おっ、オレも一応「一緒に食べたら?」とは言ったんだけど……、ま、まぁいいだろ。それよりメイン決まった?」

苦い顔をしたワースはやや強引に話題を変えようとしている。オーターとしても、禁書よりは目の前のワースの方が気になる。

「白身魚にしようかと」
「んんー、オレは肉かなぁ」
「食後の飲み物は決まってますか?」
「ん」

ウェイターを呼んで揃いのコース料理を選択し、ついでにシャンパンを1本入れておく。ワースの酒の好みは知らないが、ソフィナを含めて3人で食事した時など普通にエールを嗜んでいたのでアルコールが全くダメという訳でもあるまい。グラスにサーブされている間に前菜も届き、軽くグラスを合わせて唇を湿らせる。シュワシュワとした炭酸の刺激と、少し苦味のある喉越しに熱くなっていた頭が少しだけ冷えた心地がした。

「そういえば、……その、最近はどうですか。仕事の方は」
「……何それ。オーター、オレの父親かよ」
「…………」

確かに自分でも、何か聞き方がおかしいような気はした。これではまるで上京した子供に声を掛ける父親である。しかも、だいぶ疎遠な方の。からからと笑うワースは平然とした顔をしている。ちなみに両親が時より思い出したかのようにワースへ連絡を取ろうとするのを、微妙に阻止しているのはオーターである。向こうにも向こうの言い分はあるだろうが、変に掻き回されては堪らない。オーターは少し考えて、ひとつ頷いた。

「ソフィナから聞きました。寮生活でそれなりに苦労していると」
「あー……」

ワースは答えを探すようにグラスを揺らす。ソフィナの言葉を信じるのであれば、少しばかり毛色の合わない同輩に絡まれているというところだろう。気まずげに視線をあちらこちらへとやるワースの表情を堪能する。

「苦労っつー程じゃねぇけど。イーストンの出張で職員寮に泊まったじゃん?やっぱ職場と家がほぼ一緒ってのは面倒臭いなぁ、とは」

一般的で模範的な回答である。それ故、困り事の内実がよく分からない。
話づらいのか、相談するつもりはないのか、この反応では未だ読みにくい。オーターは少しばかり頷いた。

「禁書管理局は慣習で朝一番に一般書庫の整理でしたか」
「まぁ、アレはアレで楽しいんだけど」
「活躍していると、聞いてますよ」

すっとカトラリーを取ってお手本のように滑らかな動きで食材を切り、口元に運ぶ。ワースは何を食べるにしても上手い。不快な音のひとつも立てずに、さりとて会話は澱むことなく、するすると皿の上が片付いていく。

「やっぱ泥魔法の強みは分身を何体も作れるってことだからな。リトルデビルも泥魔法で手伝ってくれるんだぜ」

すっと荷物置きを見るワースの瞳は優しい。アレが人間の姿であれ、魔導書の姿であれ、ワースの中ではさしたる差はないのだろう。
何がどうしてそう彼をかき立てるのか、オーターには理解しがたいものがあった。直接会話できるとはいえ、所詮アレは書籍である。魔法生物ですらない。たとえば触れた手だって、泥魔法によって作られたまがい物である。オーターの感覚的に魔導書は、杖に近い。確かに最後の最後、土壇場で頼りになるし愛着を持っているが、所詮は道具である。……ただそれはそれとして、禁書に微笑みかけるワースは可愛らしかった。オーターの気持ちもふっとゆるむ。

「順調なようなら、よかった。実はちょっとウチも業務を整理しまして」
「へぇ?」
「試験的にですけどね、上手く回ればもう少し早く帰れるようになるかもしれません」
「魔法魔力管理局なのに?」
「魔法魔力管理局なのに」
「……ぷっ…」
「ふふ……っ」

二人して笑う。なんせ食事会の約束はオーターの仕事を理由に何度も流れてしまっているのだ。やけに真実味がある冗談である。口元がゆるむのを、オーターはグラスを傾けることで隠した。ワースと仲良くなろうとしていた頃、自分が目標に思い描いていたのはこうして笑いながら食事をする風景だった。あの頃は全くの妄想に過ぎなかったが、いまは目の前にある現実だ。なんだか胸に迫るものがある。じぃんと鳴る胸を不自然でない程度に抑え、オーターは前を向く。お陰様で、口に運ぶシャンパンも美味しい。メインディッシュの肉をつつきながら、肘を付かないまでも見苦しくない程度に体勢を崩したワースがはぁ、と小さく息を吐き出した。彼にしては珍しい。

「オーターと比べればオレは随分楽な方だよな」
「……?」
「ソフィナさんは残業嫌いだから」
「それでも業務後に指導を受けているのでしょ?聞いていますよ、正式に弟子になったと」
「…んんー、……まぁ、そうなんだけど」

ワースの言葉は微妙に歯切れが悪い。禁書管理局には、ワースやソフィナ同様に「禁書使い」と呼ばれる魔法使いが何人か在籍している。とはいえ「取り憑かれた」タイプはワースだけで、他はソフィナと同じく相性の良い禁書を自分の力として従えているタイプだ。禁書管理局において出世するのに禁書使いである必要はないが、禁書を支配下に置きその能力を引き出せる時点でだいぶ優秀であるから、自然と幹部や幹部候補となる。そういう意味でもワースは少し特異な存在であった。イーストン魔法学校を優秀な成績で卒業している以上、ワースの優秀さは折り紙付きである。けれど、禁書に選ばれて「禁書使い」となっている以上、他の「禁書使い」と違ってその名はワースの能力をなんら保証するものではない。なるほど確かに、これは少々面倒くさい立ち位置かもしれない。

「……なにか、困っていることでもありますか」
「いや?……あ、いや、強いて言えば、こんな好き勝手やらせて貰ってていいのかなー、とは」
「え?」

意外な答えにオーターは目を見張る。ワースはもぐもぐと肉を咀嚼して、「いやさ、」とグラスを揺らす。

「他の先輩はだいぶソフィナさんから業務割り振られているけど、オレは向こう2年くらい学会発表に専念して業績作れって言われてるし……」
「…………」

分かりやすい程にソフィナらしい采配だ。経験や人脈には見た者によって受け止めが変わるが、書類上の数字だけは絶対に裏切らないと思っている。彼女にはそういうところがある。……ただ、論文や学会発表で業績を積むとして、それが2年で終わるのだろうか。これだけ意思疎通が可能でデータが取れる禁書はワース所有の「リトルデビル」くらいしかオーターには思いつかないのだが。

「…………」

研究管理局に取られないように禁書管理局の業務に優先して2年だけ研究を優先させるとか、ツララと協定でも結んだのだろうか。それとも単に新卒のワースを幹部候補にねじ込む為の方弁だったのだろうか。まぁ、彼女にもなにか考えがあるのだろう。とりあえずは考えないことにする。

「研究は順調ですか?」
「まぁまぁだな。そういえば、リトルデビル、もう中等部並みの語彙力くらいはあるんだって」

まだ全然ガキなのになぁ、とワースは気の抜けるような笑顔で言う。オーターもその話は医師からの報告を受けている。相変わらずわざと数値が低く出るように回答している節があり、知能指数では恐らくもう少し高めの数値が出るだろうとも。元は何百、何千年と前に作成された魔導書だ。人間の語彙力が追い付けば自然、それだけの思考力が露わになる。成長スピードを思えばぞっとしない話ではあるが、純粋に喜ぶワースの顔は実に愛らしい。

「でも相っ変わらずあの子供の姿がいいんだって。マジで勘弁してほしいっつーの」
「……まぁ、それは少し分かりますね」
「え、オーターあの姿嫌だった?」
「嫌というか……あくまでもアレは禁書なので、貴方の姿を取るのは、どうにも」

瞳を丸くさせたワースに、慌ててオーターは弁明する。子供の頃のワースの姿が嫌だとか、妙な勘違いをされては困る。

「子供の頃の貴方の姿は、可愛らしいです。ただちょっと、その……落ち着かない」
「なんだそりゃ」

あの洞窟で禁書を手にしたワースを見た時から、そりゃあ共に遊園地へ行ったり昼食を共に取ったりして多少は受け入れる気持ちが生まれてきたような錯覚があるが、オーターの禁書に対する思いはあまり変わっていない。出来ることならあんな危険なもの、書庫に収めるなりなんなりして、ワースから引き剥がしたい。とはいえ魔法局内で禁書の手を引いて歩いている姿やこうして研究状況を話すワースの姿を見れば、どだい無理であるのは明白で、下手につつけば反発は必至であろう。オーターとしても生き生きと仕事に研究にと邁進している姿を見て思うところがない訳ではない。ワースに嫌われるのも度量が狭いと思われるのも嫌である。これはオーターのプライドの問題だ。

「……貴方が、納得をしているならあまりとやかくは言いたくありません」
「………………えっと、その、…………ありがとう」

ぱちぱちと瞬きを繰り返したワースは小さくそう言った。ふと、禁書が同席したがらなかったのは、ワースの意向ではなくて禁書本体がオーターのこの微妙な感情に気が付いていたからではないかと思った。ワースは、可愛い。そして多少拗くれた角が頭から生えていようとも、子供の姿のワースも大変可愛らしい。禁書がいなければ実現しなかっただろう大小のワースが揃った姿は、大変眼福である。だが、その片方がワースが大切にしている存在だと思うと、なんだか嫌だ。割り切れないものが胸に広がる。たぶんこれが、嫉妬、という奴なのだろう。

(…………業腹ではありますが)

あの禁書が危険である、という認識に違いはない。しかし、しかしである。大人げない感情を自分が持っていることに、目を向けない訳にはいかなかった。ソフィナやワースの立場を思えば今更禁書を手放させるのは合理的でもなんでもない。それでも感情的な部分が否定する。オーターの胸の中はもう、ぐちゃぐちゃである。ちぎったパンを口の中に入れる。恐らくハーブを練り込んだ生地なのだろうが、味わいを追うほどの元気はない。

「困り事があれば、禁書の件でも、それ以外でも、いくらでも力になります」
「……なんだそれ、マジっぽい」
「マジですから」
「オーターも「マジ」とかって使うんだな」

くつくつと笑ったワースがグラスを傾ける。ほんの少し頬が赤らんでいる。オーターはアルコールが全く顔に出ないタイプだから、新鮮な気持ちでその表情を見る。ソフィナと一緒に食事をした時は上司の目があるからか、グラス1杯程度しか口にしていなかった。2人で飲んでいるとはいえ入れたボトルはそろそろ空だ。彼の顔をまじまじと見る自分も相当に酔っているかもしれない。そういえば、とふと何かに思い当たったようにワースが顔を上げる。

「やっすい家を紹介してくれるような不動産屋とか知らねぇ?」
「家、ですか」
「うん」

来たか、ついに、とオーターの胸はドキドキと鳴った。事前に情報を得ているとはいえ、ソフィナの話は所詮伝聞である。真実ワースが寮を出たいと思っているかどうかは判らない。だから、ワースの口からはっきりと聞くまで、ないものとして勘定に入れないようにしていた。デザートが運ばれて来て、ワースの言葉が一旦止まる。そしてスプーンを持ち上げて、かすかにため息をついた。

「防犯とかはさ、こっちで改造すりゃいいし、まあなんとでもなると思うんだよな。ただ立地がさぁ……魔法局の近くって、高ぇ」
「…………なにか、困ってる事でも……?」
「困ってるっつーか、」

レモンソルベを口に運びながら、ワースはちょっぴり首を傾げる。なんだその動作、可愛い。禁書と行動を共にするようになって、ワースの動きは些か子供っぽくなった気がする。無意識だろうがあの禁書と同じ動きをするようになった。

「……なんつーか、面倒くせぇ。寮生活。これなら多少通勤に時間かかっても、一人暮らしした方が楽そう」
「…………なるほど」

イッ、と顔を顰めるワースは「面倒くさい」以外は語る気がなさそうだ。確かに集団生活であることは間違いないので面倒ではあろう。オーターはひとつ頷く。

「これは、提案なのですが」

フルーツをつついていたワースが顔を上げる。きょとん、と擬音語を付けたくなるほどの表情に胸がバクバクとした。本当に大丈夫なのか。これで物凄く拒絶されたらどうしよう。ほろほろと浮かぶ不安の中に、にっこりと食えない笑みを浮かべるソフィナが浮かんだ。……よし、ダメだったらアイツを恨むことにしよう。

「……良かったら、ウチに来ませんか?」
「……………、…………………もしかしてと思うけど、この後?」

一瞬、時が止まった気がした。
ワースも自分で言っていて、さすがにそれは違うだろうな、という微妙な表情をしている。オーターはなんと返して良いのか混乱して、思わず眼鏡の位置を直した。

「……いえあの、貴方の下宿先として、私の家などはどうかな、と」
「………………マジで言ってる?」
「……一応、マジ、ではあります」

ゆるりと湯気を上げるコーヒーをオーターはなんとか口にした。喉がカラカラに渇いているのに、熱いコーヒーでは飲み下せない。完全に酔いが覚めたらしく、ワースは瞬きを繰り返しながら熱いコーヒーを啜っていた。

「禁書管理局よりは魔法魔力管理局に近い位置ではありますが、それでも寮から通うのに大差ないでしょうし、部屋も余っています」
「オーターんちってアレだろ、あの魔法魔力管理局の隣のでっけー屋敷」
「広いだけで、だいぶ持て余していますので」

神覚者として魔法局に入った時についでに貰った屋敷だ。管理職である以上、局の近くに住む必要があった、という実務的な理由でもあるが、ライオのように家庭がある者は今も自宅から魔法局へ通っているから、別に入居は必須ではない。ただ根が面倒くさがりのオーターには、居住の手配を自分でやらなくて良い利便性を取ってずっとあそこで暮らしている。昔は寝に戻るために使っていたようなものだし、時よりハウスキーパーを頼む程度で他人を招くこともない。最近は少し人間的な生活をするようになったから、寝室や浴室だけではなく書斎扱いしている部屋にも足を運ぶようにはなったが、強いて言えばそれくらいで、入居後、掃除以外の理由で足を踏み入れたことがない部屋さえあった。今後もワースが禁書の研究をするとなると、参考文献の置き場や論文を書く静かな環境だって必要な筈だ。オーターの屋敷なら、それら全てを提供出来る。……と、言うのは外向きの勧誘文句である。

「貴方と、朝晩と顔を合わせられるのは、嬉しいので」
「…………そっ、それはさ、」
「…………?」
「んっ!いや、なんでもない!」

顔を赤くしたワースはぶるぶると左右に首を振った。何かおかしなことを言っただろうか。あの禁書を見る限り、ワースは比較的ストレートに情に訴えかけた方が心動かされるような気がしていたが。コーヒーを啜るワースは、うぐぐ、と少し唸った。

「……ちょっと考えても良いか」
「もちろん、すぐにとは言いません」

ただ、とオーターは少し迷うように言葉を探した。

「……その、何事も、困った時はお互い様ですので」

ソフィナに相談してくれないかな、とオーターは思った。彼女ならば確実に、熱烈にオーターの家に二人暮らしをするよう推すだろう。元は彼女から持って来た話なのだから。ふと、ワースが荷物入れの中の禁書を睨む。何かと思ってオーターもそちらへ視線をやれば、鞄の中に収まっていたはずの禁書が、その書籍の姿のまま、いつの間にやらひょっこりと顔を覗かせていた。



***



ワースと昼食を取る時は、いつも少し緊張する。もう今は「たまたま食堂で顔を合わせたから」食事をとっているのではなく、待ち合わせ場所を決めた上で落ち合っているのに、やっぱり今日は予定ができたとかの連絡が来ていないかいつも端末が気になる。今回は同居を申し出てすぐ顔を合わせる日なものだから、その緊張もひとしおだ。

「オーター」
「お疲れ様です、ワース」

壁に背中を預けていたワースが身を伸ばす。その様子だけでも、相変わらず絵になる。オーターは密かに禁書管理局が新卒のリクルート用にワースの写真を採用したらどうしようと怯えている。年齢が新卒に近い若手で希少な禁書使いでこれだけ顔が良いとさぞかし写真映えするだろう。世界がワースを見つけてしまう。どうしよう。ソフィナとカルドには交渉しなければならないかもしれない。そんなことを考えながら視線を下げると、いつも通り小さな弟の顔をした禁書が足元にいる。目があって、にこー、と晴れやかな笑みを浮かべてきた。禁書は、いつもそうだ。そしてワースとオーターの間に立ってワースに手を引かれ短い足をせっせと動かす。

「…………」

自分の太もも辺りにある捻れた角の描く曲線に、ふと触れてみたくなった。もちろんコレだって泥魔法で作ったのだから、さして感触など変わらないだろうけれども。小さな首には不釣り合いなのだろう、重そうに、左右に頭が揺れている。
結局手はうずうずとしたまま、オーターは禁書の角に伸ばすことはなく、いつも通り食堂の日替わりランチを選び、2人でまとめて席に着く。禁書の為には、ワースが余分に頼んだ惣菜と、ワースのランチの一部を取り分けた小皿と、子供用のカトラリーである。小さな手で不器用にカトラリーを握る姿は、中身が正体不明の禁書と思っていても愛らしい。

「……考えてみたんだけどよ、」

ぎくり、とオーターの肩が跳ねる。このタイミングでこの切り出し方では、何の話かなんて明らかである。パスタをくるくると巻くワースはどこ吹く風と、オーターに心の準備をさせない。

「オーターの家に居候させてもらうのはめちゃくちゃありがたい話なんだけど、どういう条件考えてる?」
「条件……?」
「家賃とか、家事分担とか」

考えてみたこともなかった。
とにかく一緒に住めるチャンスだと。
どう答えるのが正解か、少しばかり掴みあぐねてワースの顔色を伺いながら口を開く。

「あれは私の持ち家なので、家賃は必要ないです」
「いっ、いやいやいやいや、必要だろ、けじめとして」

そういう、ものなのだろうか。
オーターが首を傾げると、それを見ていた禁書もオーターと同じ方向へ首を傾げた。ワースが気になるならば、すこし家賃を貰っても良いかもしれない。どうせオーターは使いきれないほど金を持っているのだから、ワース用の積立貯金とか。金額が重なるたび共にいた年月を感じられて楽しいかもしれない。

「一括で購入していますし……もし気になるなら月額1万ロンドを」
「それはさすがに、……安すぎるだろ」
「トモダチ価格です」

しれっと言い切れば、絶句、というようにワースはポカンと口を開いた。その表情は、だいぶ可愛い。誤魔化すように、セットのスープを啜る。

「外観から見ての通り、部屋は余っていますので」
「んんー……、わかった、家賃その値段なら、掃除洗濯炊事は俺がやるし、その分の金額も俺が出す」

ぴしゃりと言い切るワースは思い切りが良く凛々しい。しかしながら、オーターは自分の家に掃除機や洗濯機があるかどうか、若干不安になった。そこまで出させるのは忍びない。なんせ掃除は定期的にハウスキーパーを入れているし、出勤に着ている服は全てクリーニング店に出している。食事は保存の利く栄養補給食品が中心で、たまに外食する程度だ。自炊はほぼしない。……あ、いや、コーヒーを淹れるくらいのことはする。2人分……いや、禁書を含めて2.5人分の食費を出すのは、月額1万ロンドよりずっと高くつくだろう。

「掃除や洗濯は業者を入れているから不要です。それに、食費全額持たれるのは……」
「……ちょっと待て、オーター」
「はい?」
「アンタ今まで……食事ってどうしてた」

ぱちぱちとオーターは瞬きを繰り返す。食事と言われても、栄養補給が出来れば良いから、こだわりがない。どちらかといえば時間を空費するような気がするので、なるべく早く食べられる物を好む。しかし禁書を子供のように甲斐甲斐しく世話をするワースはきっと食育にも関心があるだろう。それを思えばその、オーターの回答はあまり相応しくないかもしれない。

「えぇっと、魔法局近くの、飲食店を、その、転々と……」
「………………」

嘘とは言い切らないが、まったく本当のことでもない。じいっとこちらを見つめるワースの瞳に、居心地が悪くなってオーターは視線を皿に落とす。ダメだろうか。やっぱり、色々とすっ飛ばして一緒に住むなどということは。ふぅ、とワースの小さなため息に絶望を感じた。

「分かった。けど俺は結構自炊したい方だからその辺はおいおい折り合わせて行こう」
「えっ、と……?」
「家賃が破格なのはマジでありがたいし。もしアンタも家でメシ食うってんなら俺作るし、その辺はゆるっと行こうぜ」

パスタを口に運ぶワースを呆然と見て、その横の禁書を見る。不器用に巻いたパスタを口に運ぼうとしていた禁書は、オーターの視線に気付くなり、にこー、と破顔した。その隙にぱらぱらとパスタがフォークの隙間を縫って皿へ落ちていき、ワースが「あーこら、」と禁書を叱る。ひと通り世話をやってオーターに視線をやったワースは、にっと笑った。その笑い方は片方の口角だけ上げる粗野なものであったが、どんな表情より彼に似合って、ひどく鮮やかであった。

「とりあえず、ルームシェア、ってことで?」
「わ、分かりました。よろしく」

オーターは慌てて自分の食事を掻き込む。彼の顔をずっと見つめていたいのは山々だったが、動揺を悟られそうでならなかった。お手本のような仕草でパスタを食べるワースの姿に胸が高鳴ってならない。同棲、ルームシェア、言い方は何でも良い。おはようからおやすみまでワースと一緒に居ても良い理由があるのなら。
オーターは非常に分かりにくく浮かれていた。魔法魔力管理局の局員がいれば、「また無表情で花飛ばしてる……」とか囁かれていたことだろう。その日の仕事は頗る捗ったと言うことは、言うまでもない。

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