北都

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投稿日:2026年06月15日 20:26    文字数:30,649

カナリヤ 10

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ということで、お引越し編(同棲開始編)です⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝
……よく考えると「同棲」って言ってるの私だけで本人達はずっと「同居」って言ってるんすよね……。まぁ、まあまあまあまあまあ!

ここまで読み進めている方にはもう不要かもですが、今回とりわけツララさまの下りは全力で嘘です。私が「こうだったら面白いよね」って言いながら捏造しております。なので、決して、決して原作と付き合わせて確認いたしませんように(´-ω-`)
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登壇して、真っ先に目に付く位置に居るカルパッチョ・ローヤンの姿を認めてワース・マドルは「うげ、」と思わず口にした。丁度、登壇者の入れ替わりでがやがやとしているタイミングだったから、幸いなことに瞳を爛々とさせている生意気な後輩くらいしかワースの変化に気が付かなかったことだろう。珍しく楽しそうに口元を歪めるカルパッチョの隣には、魔法動物言語学の権威とも言える研究者がドンと座っている。魔法動物研究からは手を引いて久しいワースが顔を知っているのだから、まぁ、そういうことだ。カルパッチョの奴、まさか本当にそんな相手を連れてくるとは。
マイクの位置を直す振りをしながら、ゆっくりと大きめに深呼吸をする。研究会や学会で発表するなんてのは何度も経験して来たはずなのに、今日ほど緊張することはなかった。持ってきたブックスタンドに書籍の形を取っているリトルデビルをそうっと乗せ、表紙をひと撫でする。表紙が聴衆によく見えるよう位置を整えると、小さなどよめきが上がった。基本的にリトルデビルは人間の形を取らせているから、正直ワースも書籍のリトルデビルを見るとちょっとどよめく気持ちが分かる。禁書管理局の大半の局員もそうだろう。ふと顔を上げると、最も奥の席に座るソフィナがにっこりと微笑んで頷いた。事前に学会に提出するハンドアウトも発表内容も、だいぶソフィナから指導してもらった。ここまで手を尽くして貰っておいて、上手い発表が出来なかったらそれはワースの責任である。じんわりとリトルデビルの方から励ますような感情が流れ込んでくる。いつもの様子にふっと気が抜けて、ワースは赤字でいっぱいの自分のハンドアウトに視線を落とした。

(なんとかなる!……だろ)

読み合わせは何回もした。それで緊張がなくなる訳ではないが、少しは自信にもなる。司会進行役がワースを紹介するのを聞きながら、ゆっくりと視線を上げた。



***



気持ちの上ではもうぐったりと、自室のベッドの上で大の字になって転がっていたい。確かに登壇順番が一番最後であったので、何かおかしいなとワースも思っていたのだが、口頭発表25分、質疑応答5分の筈だったのが、ワースも質疑応答が一体何分合ったのか正確には分からない。なんか多分、発表してた時間と同じくらいは質問を受けていたような気がするのだが、実際の所どうだったのだろうか。タイムキープしていなかった疑惑が色濃い司会に感謝の弁を述べるのは余りにも釈然としなかったが、礼儀の一環としてワースは一応司会進行役にも頭を下げておいた。これがソフィナの口利きでねじ込んでもらった学会じゃなかったら暴れてる。時計を見ても計算する気も起きない。

「ワースくん、お疲れ様でした」
「………い、いえ……、…………ッ!」

にこにことしているソフィナ・ブリビアになんとかそう答えると、彼女の後ろに居た人物に気が付いてワースは慌てて背筋を伸ばす。禁書研究学会を主催する禁書研究の重鎮である。ワースは著者近影でしか顔を見たことがない。その近影よりも幾分か年を取っているようには見えるが、見間違える程ワースもほうけてはいない。

「先生がご紹介して欲しいとのことで、いま大丈夫かしら?」
「はい、もちろん!えっ、えっと、ワース、……あー、ワース・ウォーカーです。その、先生のご本は大変感銘を受け……その、勉強させて頂いています。本日はご指摘いただきありがとうございました」

教授は鷹揚に頷く。すっと伸びてきた手を、ワースは慌てて握る。にこにこと好々爺然としているが、お若い頃にはかなり強めな論争をしていたと評判の教授だ。ソフィナに促されるままなんとか名刺交換をする。

「今日の発表おもしろかったよ、実にね」
「あっ、ありがとうございます!」
「この後の懇親会には参加するかい?」
「え、えぇっと……」

ワースは思わずソフィナの方を見る。はっきり言って、ワースはもう帰りたい。だいぶ疲れた。けれどにっこりと笑顔を貼り付ける上司の顔を見れば、これはもう業務の内なのだろうなというのが分かる。ワースも笑顔を作って頷く。

「一応……その予定で」
「そうかそうか。キミを紹介したいひとが山ほどいるんだ。是非たのしんで行ってくれたまえ」
「は、はぁ……」

ワースはなんとか会釈で返し、他の研究者の元へと行くその背中を見守る。詰めていた息が思わず、はぁと口から落ちた。その肩をぽんとソフィナが優しく叩いた。

「いい発表でしたよワースくん」
「ありがとうございます」
「たぶんこの後の懇親会では色んなひとに話しかけられると思いますから、とりあえず名刺交換だけは忘れずに」
「は、はい……」
「リトルデビルくんは人間の形にしておいても大丈夫ですよ。……というか、人間の姿になって貰っていた方が周りから話しかけられると思います」
「うぉ……はい……」

今回の学会参加の目的は、今後書く予定の論文の弱点をあぶり出すことと、人脈作りである。前者に対してはかなり様々な角度からの質問を受けたので後は持ち帰って精査するのみだ。後者についてはワースが想像していたよりも禁書以外の研究者の姿があったお陰で、想定よりも達成できそうである。カルパッチョ辺りが変なところに声を掛けたのだろうな、と思うのでありがたいやら文句を言ってやりたいやら、少々複雑である。ブックスタンドに乗せられたまますまし顔をしているリトルデビルをそっと撫でてやる。それを合図にふわりとその場に浮かんだ魔導書は、一瞬にして泥に包まれる。ぴょんと着地した姿はもう、見慣れた子供の顔であった。

「今日はおわり?」
「終わりじゃねーよ。これから懇親会。さっきまでお前を見てた研究者の先生達とメシを食う」
「ごはんー!」
「と言っても立食パーティですからね、あまり食べられないと思っていて下さい。終わったらみんなでご飯に行きましょう」

ソフィナがゆっくりとリトルデビルの頭を撫でる。いつもの調子で「はーい!」とリトルデビルは返事をした。そこにふと、ひんやりとした空気が流れ込む。すうっと流れてくる冷風に、思わずワースはそちらへと視線をやった。そこには片眼を眼帯で隠した小柄な女性がぽつりと立っている。

(……はぁ!?)

トン、トン、トン、と階段を跳ねるようにしてこちらへ向かってくる女性の顔を、ワースは知っていた。というか、知らない奴は学生であれ社会人であれ、研究者としてはもぐりだろう。氷の神杖ツララ・ヘイルストーン。魔法研究管理局を束ねる神覚者にして、伝言うさぎの開発を始め、様々な技術革新を起こした高名な研究者だ。というか、ぶっちゃけ畑違いも良いところの、しかもこの規模の研究会に姿を現すなど、通常はあり得ない。思わずソフィナを見る。口元を上品に隠したソフィナは意味ありげにうふふと笑っている。

「ツララもワースくんとリトルデビルくんに関心があるとのことなので、声を掛けておきました」
「お招きどうも。……そして初めまして、ワースくん、禁書くん」
「はっ、……はじめまして」

ワースより背が低く、にっこりと笑ってみせるその顔は実年齢よりもずっと彼女を幼く見せた。差し出された手を握ると、氷に触れたかのような冷たさである。魔力が強すぎて、固有魔法が体外にあふれ出しているのだ。魔力制御不全症候群である。この手の疾患を持つ魔法使いは先天的であれ後天的であれ、それなりに存在する。そして魔力制御不全症候群研究において、ツララ・ヘイルストーンは第一人者であった。自身の症状を完全に封じ込めるには未だ至っていないが、この疾患を抑える魔法道具や薬の開発に彼女の名前は必ずと言って良いほど現れる。
手を差し伸べられたリトルデビルは、小首を傾げながらツララと握手を交わす。手を握られている間中、珍しく困惑しているような、非常に落ち着かない素振りだ。手を離した後も不思議そうにツララと握手をした方の手を見つめている程である。その仕草に引っ掛かるものを感じたものの、「あの」ツララ・ヘイルストーン相手に粗相は出来ない。ビッグネーム過ぎて怖い。
恐縮しきりのワースに対しても朗らかにツララは上目遣いににっこりと笑ってみせた。

「同じ魔法局内に勤めているのにちっとも会えなくて。こんな日にごめんねぇ」
「まぁ、禁書管理局と研究管理局は離れていますものね」
「あはははははははは」
「うふふふふふふふふ」

顔を見合わせて笑っているだけなのに、妙に怖い。

(な、なんだなんだ、ソフィナさんと氷の神杖って仲悪いのか?)

ぐりんとこちらを向いた隻眼が、悪戯っぽくぷうっと頬を膨らませる。

「ちょっとワースくん!そこはちゃんと、禁書管理局と研究管理局は隣の棟ですよ?ってキミの上司に言ってくれなきゃ」
「えっ、えぇっと……」
「油断しちゃダメですよワースくん。ツララったらまだ貴方を引き抜こうと狙っているかもしれませんからね」
「え!?」
「やだなソフィナ、もう狙ってないってば。ホント悪かったって~、許してよー」
「そう言って油断させる手かも」
「違うってばぁ。ねーぇ?」

言いながら、二人して顔を見合わせてクスクスと笑っている。ワースは毒気が抜かれた気がした。なによりも、いつも凜として品があるソフィナが少女のように笑っている姿を初めて見る。気の置けない同僚同士の小競り合いだったのだろう。……ちょっと巻き込まれた方は本気でビビったが。長い袖のまま、ツララがソフィナを指さす。

「ワースくん聞いてよソフィナったら、今までずっとキミをひた隠しにして会わせないようにしてきたんだよ?確かにちょっとキミの引き抜きを目論んだけど!」
「だって貴方、まだ諦めてはいないでしょう」
「それはそう」
「ほら」
「でもそれは、ワースくんと禁書くんが面白過ぎるのが悪くないかい?」
「えっ」

リトルデビルに強請られるまま抱き上げていたワースは、自分に向かって降ってきた突然の話題にびくりと身体を跳ねさせる。そしてリトルデビルを手で制す。後でな、と。聞き分けの良いリトルデビルはちょっぴり不服そうに、けれどぎゅっとワースの足にしがみ付いて応えた。話を振ったツララはといえば、悪戯っぽく笑う。

「魔法研究管理局なら、一日中研究してたって文句言わないし、禁書管理局に在籍しているよりもずっと成果が出せると思うけど、どう?」
「ど、どうって……」

ワースは弱りきってソフィナをチラリと見た。敏感にそれを察知したツララが頬を膨らませてその場にぴょんぴょんと飛ぶ。

「あー!ダメダメ、ワースくん!ソフィナに聞いたら「変な人に付いていっちゃいけません」って言うだけに決まっているんだから」
「あら、良く分かっているじゃない。自分が変なひとだって」
「そりゃあ一応、研究管理局局長だからね」

慣れた仕草で肩をすくめるツララを、ワースは不思議な気持ちで見つめた。ワースも勉強や研究は好きな方だから、自然と「そういうタイプ」が周りに多い。ツララ・ヘイルストーンは「そういうタイプ」の学生にとっては憧れの存在だ。魔力制御不全症候群というハンデを背負っておきながら、世の中を変える研究成果を出し続けている、所謂、生ける伝説である。研究書や雑誌で掲載される彼女の写真はいつもキリッとした真顔であるからこうしてクルクルと表情が変わるひとだとは思っていなかった。

「えぇっと、氷の神杖様」
「よそよそしいよワースくん。ツララで良いって」
「ツララ様、その、評価して頂けるのは大変恐縮ですが……」

自分よりも幾分低い位置の瞳が、じいっとワースを見つめてくる。深い色をした瞳は深遠で、手強い論客の教授やカルパッチョのような天才を思わせる凄みがあった。ワースは唾を飲み込み、舌を湿らせてからゆっくりと口を開く。

「禁書管理局でこそ、オレとリトルデビルの力は発揮出来ると信じております。ありがたい申し出ではありますが……」
「…………」
「申し訳ありません。」
「…………そっかぁ」

じっとこちらを見つめていたツララは肩を落としてため息をついた。そしてぐるりとソフィナを見上げると、ぷうっと頬を膨らませる。

「フラれた。切ない!」
「まぁまぁ」
「正攻法ならオーターも文句言えないと思ったんだけどなぁ」
「砂の神杖様が?」

ゆるんだ雰囲気に礼儀の必要はなくなったと思ったのか、足下のリトルデビルが抱っこをせがむ。神覚者たちの様子を見つつ抱き上げてやるとすぐに首に細い腕が回った。ぎゅーっとリトルデビルを抱き締めてやるワースへ瞳を細めて、ツララはふっと笑う。使い魔を思わせる大きな拗くれた角は妙な威圧感があったが、にこにこと術者にくっ付くその姿は、まるきり幼児のようである。本物のワースはどの角度から見てもイケメンであるが、リトルデビルが写し取った子供姿のワースもふくふくとした頬が愛らしい。片やイーストン魔法学校の成績優秀者で片や禁書だ。その辺の使い手にどうにかされるような二人組ではないが、大小の可愛らしい弟を見ればオーターが心配するのも無理はないかもしれない、とツララはひとり頷く。

「初めにキミたちを狙ってた時に言われたんだよ。研究室に籠もって出てこなくなったらどうしてくれるんですかって」
「はぁ……、その節は、とんだご迷惑を……」
「いやいや、あの鉄面皮のガチギレ顔ってあんまり見られないから楽しかったよ?」

きゃらきゃらと笑うツララを見ながら、ワースは若干引いた。オーターの「ガチギレ顔」というと余り想像は出来ないが、そりゃあまあ恐ろしい表情だろうと想像は付く。それを楽しかったと笑い飛ばしている時点で、やっぱり可憐に見えても神覚者のひとりであるのだろう。じりっと後退りするワースに気が付いてか、ソフィナが軽く手刀をツララに落とした。

「オーターの前に私の視線を気にして下さいね、ツララ」
「えー」

叩かれた額を抑えるツララの表情はいとけない。これ見よがしに擦った後、「そういえば、」とちっとも懲りていない様子で顔を上げる。

「オーターと一緒に暮らすんだって?あの偏屈、これでちょっとは穏やかになるといいけど」
「え、」

ワースは思わず目を見張る。何でそのことを。……いや、神覚者は週に1度は定例会議があって顔を合わせているのだから、知っていても不思議はないのだろうけれども。「鉄面皮」だの「偏屈」だの、オーターもオーターでだいぶ言われている。知らない一面を垣間見た気がして、ワースはちょっぴりだけ笑ってしまった。しかしその苦笑をワースの上司は良い意味では捉えなかったらしい。少しばかり堅い声で氷の神杖を呼ぶ。

「ツララ」
「はーい。ごめんて。別にオーターを嫌っている訳じゃないんだ。……さてワースくん、禁書くん、そろそろ懇親会が始まっちゃうや。いこいこ!」

言うなり背後に回って、ワースの背中を押す。ひんやりとした感触に、ワースは目を白黒させながら自分を誘う手に従った。
懇親会まで残っていた研究者のほぼ全員と名刺交換をしたワースは、数少ない貴重な名刺交換の必要がないカルパッチョに文句を言ういとまもなく、研究発表の延長戦かと思うような質問責めを受ける羽目になるとは、この時ちっとも思ってはいなかった。

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◆◇◆◇◆



ワースとリトルデビルの引っ越し荷物は、年齢相応に少ない。
なんせ、あの寮で1年と暮らしていないのだ。余計な荷物が溜まる余地がない。加えて研究に関する書物や論文の多くは禁書管理局所蔵であるし、なんなら研究費から新たな書籍も購入して貰っていたりする。となると自然、部屋にあるのは持ち出し可能な範囲の貸出し本やリトルデビルの教材と言語取得状況を記したノートくらいのものになる。禁書の実験に関する研究ノートは、内容が内容であるので、禁書管理局のソフィナが管理する禁書庫の中に一緒に収められている。毎回開けて貰うのは少々手間ではあるものの、術者を定めていない禁書との会話記録などもあるから致し方あるまい。寮室のセキュリティは、さほど信用に足るものではないので。家具類は既にオーターの部屋にあるから、と言われたので全て人に譲るか売り払った。なので二人の荷物はトランク1つと一抱えの段ボール1箱に納まってしまった。

「…………」

魔法魔力管理局の真横に聳え立つその建物を見上げて、ワースは微妙な緊張を感じた。研修で魔法局内の設備をひとつひとつ説明して貰った時、初めここが神覚者に与えられた居住とはちっとも気が付かず、魔法魔力管理局の施設の一部だとワースは思っていた。その割には柵で覆われているし一目で分かるほどの多重結界がされているから、よっぽど大事なものを収めているか特殊な施設なのかと考えたくらいだ。なんのことはない、柵は居住スペースと魔法局の境目を表していて、多重結界はオーターお手製の防犯魔法だ。そりゃあ、やばい気配がする訳である。大抵の人間は間違っても近付かない。うっかり入ってしまったが最後、一体どんな目に遭うか分からないからだ。そもそも目と鼻の先に魔法局がある神覚者の家に泥棒に入ろうという気概があるのならば、その蛮勇で以てもっと向いた職業に転職するべきだとワースは思う。

「リトルデビル」
「はーい!」

預かったオーターの家の鍵はリトルデビルに持たせている。ポシェットの中から出したそれを鍵穴に入れてくるりと回し、解錠した音がする。オーターは午後休を取っているはずだから、いまはまだこの家の中にはいない。なのにこう、なぜだかドキドキした。家主がいないのに家に入る背徳感と言うべきであろうか。単に同居に緊張しているのか、自分の心ながらワースには分からない。こちらへ振り向いたリトルデビルがにこっと笑い、ドアを引っ張る。

「とうちゃーく!」

部屋の中からぶわりと風が通り抜けた。薄暗い玄関からはオーターの香りのようなものがして、一瞬気がゆるむ。そしてすぐに、がっくりと肩を落とした。匂いを嗅いで色々と考えているだなんて、なんだかすごく変態くさい。

「ワース?」
「ん、いやなんでもない。ありがとなリトルデビル」

とりあえず段ボールを置いて、わしわしとリトルデビルの頭を撫でてやる。トランクの足を拭いてから、オーターに事前に渡された屋敷の見取り図を頼りに自分にあてがわれた部屋へえっちらおっちらと荷物を運ぶ。2階のその部屋はオーターの寝室とは隣で、窓からは魔法局の建物が見えた。

「うぉおお……」

恐らくワースが来る前に業者でも入れたのか、使っていない部屋という割に埃っぽさは皆無であった。しかしベッドに棚に机にと、どう見てもモデルルームをそのまま丸ごと買い取ってきたように揃っている。これ、新しく買いそろえていないか?しかも結構高級そうに見える。貴族の子弟として育ってきたワースの目から見ても、素材も手触りも良い。……良いのか?オーターはまだワースを弟のように感じている節があるが、ルームシェアと思うと、ちょっと良くないと思う。そもそも当初、この屋敷はオーターがそっくり買い上げてしまっているから、家賃は要らないと言われてしまったし、この時点でだいぶどうかと思っていた。なんとか家賃を受け取ってもらう形で話は付いたが、これだけの品を今のワースが支払えるかというと……出世払いでも良いだろうか。なんなら、分割払いとか。そう言って譲歩を迫るとお金を受け取ってくれないどころか、何かの折りに返そうと思っていたとか適当なことを言われて積立貯金化されかねない。……どうしよう、日頃のあの人を思うに、マジでやりそう。

「えーい」

ベッドの横に激突したリトルデビルがその弾力を確かめるように勢いを付けてベッドに飛び乗る。非常に可愛らしいが、そこはトランポリンではない。寮に置いていたベッドとは金額も使い心地も全く違うだろうが、早々に壊されては困る。

「こーら、リトルデビル。ぽよんぽよんしない」
「はーい」

良い返事である。むくりと起き上がったリトルデビルはベッドの上にちょこんと座った。ワースもそれに倣って一緒に座る。

「スゲーよなぁ……」

実家を勘当されて身ひとつになってから、お金のありがたみというのは嫌というほど知った。勿論ワースは個人口座にそれなりの金額が入っていたし、アベルからは「最悪の場合なんとでもしてやるからね」と豪語され、それを聞いたアビスに「わ、私も!力になれることならなんでも!」と励まされ、結局トントン拍子にインターンから就職まで出来てしまったから、直接的に金銭で困ったことはない。しかしこれまでさして考えてこなかった「物の値段」とやらを真面目に考えねばならない時、自分は貴族の坊ちゃんだったのだなと思った。しかしオーターもオーターで突然警察魔法学校をあっさり辞めて神覚者まで登り詰めてしまったひとである。どういう心境の変化があったのかは、詳らかには知らない。けれど他の神覚者を見るまでもなく、その試験は過酷だし、魔法局に入った後も激務だっただろう。そしてこんな大きな屋敷を買い取って、一人で暮らしている。

「…………」
「ワース、ぼく、本の形になっていた方がいい?」

見れば、瞳をキラキラとさせて胸の前でぐっと拳を握りしめる自分の魔導書がいる。この会話には覚えがあった。ワースは再び頭を抱える。

「…………一応聞くけど、どうしてそう思った?」
「んんーと、初日だし……?」
「初日から同居人がひとり足りなかったらびっくりされるだろーが」
「人間ではないし……?」
「なっまいき言う口はこれか!」

ふっくらとしたリトルデビルの頬をこれでもかと手で挟む。やられている側のリトルデビルは「ぷぇええ、」と微妙な悲鳴を上げた。主治医から指摘された通り、リトルデビルの語彙力はすくすくと育っている。それに伴い少々こまっしゃれたことを言うようになった。可愛いから許すけど。唇を潰すように頬を揉むのは、その際の定番のお仕置きである。もう彼の思考力に子供の姿は見合わないだろう。けれど頑なに子供の姿をとり続けたがるリトルデビルへの意趣返しでもある。ワースの姿なのだから、成長すれば子供っぽい丸みを帯びた頬だってすっと精悍になるだろうに。口を尖らせて抗議の意を示すリトルデビルの頭をポンポンと撫でてやる。

「人間じゃねぇけど、お前は俺の魔導書だろ」
「…………」
「いつも通りの格好でいられなかったら、どのみち同居なんか保たねーよ」

例えばあの完璧超人に見えるオーター・マドルの家事スキルが壊滅的であっても、楽しくやっていこうとワースは腹を決めている。であれば、ワースの魔導書のことも、大事な同居人の片割れとして認めて貰えなければ生活に支障も出よう。向こうに何も言われていないうちからリトルデビルを書籍の姿にしようとは思わないし、魔導書に好きな姿を取らせられないなら交渉しなければならない。妥協はし合うべきだ。相談もしないうちから相手の顔色を窺って引っ込めるのは、なんというか、ワースらしくない。

「そうかなぁ」
「そうなの。だいたい、オーターはそんなに心狭くねーよ」
「それは、……どうかなぁ」
「……おい、どういう意味だ」

リトルデビルはにこっと笑って黙秘した。ワースは眉を顰める。
リトルデビルは、かなり他人の感情に聡い節がある。最初はワースの魔導書であるからワースの感情をよく読んでいるのかと思っていたが、他の人間の機微にもよく反応する。オーターはあの通り無表情でいることの方が多いから、ワースには分からない瞬間はちょくちょくあるのだけれども。

(リトルデビルには、オーターがそんなに鷹揚としたタイプには見えてねぇってことか)

それは、単純にまだリトルデビルを「危険な魔導書」と見做しているだけではないだろうか。オーターは結構、かつてワースが認識していた時よりは、親切なタイプだと思うが。物凄く。
リトルデビルは頬杖をついてこれ見よがしにため息をついた。

「甘い、甘いよワース」
「おいそりゃ、どーゆー意味だ」
「ぼくの口からは言わなーい」
「んだとコラ」
「んひゅぅううう〜〜」

ぷにぷにの頬っぺたをむにむにと揉み、なんなら腹をくすぐる。リトルデビルはきゃらきゃらと楽しそうに笑い声を上げた。ちなみに、最初は擽ってやってもリトルデビルには「くすぐったい」という感覚が分からないらしく、首を傾げていた。しかしどこかで「親愛を込めたコミュニケーション」として学んだらしく、今は擽ると喜んで歓声を上げる。ひとは、……いや魔導書はここまで学習できるものかとワースは感慨深い。
ひとしきり戯れて、よっし、と身を起こす。荷物はさほどないから引越しは楽なものだが、台所や洗濯機などのワースが使いそうなものの確認くらいはしておきたい。

「リトルデビル」
「んぅ?」
「昼メシなにがいい」

リトルデビルは少し考えて、「ホットサンド!」と元気よく手を挙げた。ワースは小さく頷いて、頭の中で必要な材料と使いそうな調理道具を並べる。一般的な家庭にありそうなものであるが、これらの点検も必要か。

「よっし、さっさとお片付けして材料買いに行くぞ」
「はーい!」

その声はどこか、先ほどよりも弾んでいた。

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◆◇◆◇◆



アタシたちの中では「砂の神杖さま」と言えばなかなか良いお方である。
なんと言ってもイケメンだし。
それに毎回決まった数のシャツを決まった日に滞りなく出して依頼してくれるから。あ、そろそろかな?と思うと魔法局内の依頼に紛れてお名前がある。
脱ぎ散らかしてくしゃくしゃになったシャツを入れてくる貴族もいるところ、いつも几帳面にぴっしりと畳んでいる。いかにも秩序の番人らしい。パリッと糊の利いたシャツで歩いている姿を見ると、誰にともなく「アレはアタシがやったんだよ!」と自慢したくなる。

それが最近、クリーニングのご依頼をして下さらなくなった。なんでも、弟さまと暮らし始めたのだとか。
弟さまは家事がお得意でらっしゃるのだろう。ぴしっと背筋を伸ばした砂の神杖さまの姿は、アタシたちのとこに任せていた頃と同じくらいシワひとつない。

あーん、おばちゃんたちの憩いの依頼がなくなって悲しい!

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◆◇◆◇◆



その日のオーター・マドルは少し浮かれていた。

なんせ、待ちに待った引越しの日である。本当ならオーターも有給休暇を取りたいところであったが、神覚者の定例会議があったためワースに止められた。仕方がないので半休を取ることにしている。つまり、会議が解散になればそのまま帰れるという寸法だ。

「あ、オーター」

なので、この状況で呼び止められることは、正直なところ想定はしていなかった。オーターは眉を顰めた。
長い裾に顎さえ埋もれるほどのマフラーを巻いた少女と見紛うほど小柄な女性がそこにいた。とにかく目を引くのはここが極寒の地ではないかと勘違いするような服装ではなく、小ぶりな顔を覆い隠すような眼帯である。氷の神杖ツララ・ヘイルストーンは小さな身体に見合わないほどにはち切れそうな魔力が他人に悪影響を及ぼさないようにと、魔法的な意味でもガチガチにその身を固めている。

「……なんですか。こう見えて私はかなり急いでいるのですが」
「弟くんのお引越しでしょ。どうせ彼と禁書くんで事足りるのに、過保護だなぁ」

ひょこひょこと跳ねるように近付いてきたツララの方からひやりと冷風が舞い上がる。相変わらずの難儀な体質だ。もう慣れたといえば慣れたし、怯んでみせるのも同じ神覚者として彼女に気圧されているようで嫌だ。様々な感情を呑み込んでいつも通り、オーターは自分よりも低い位置の片方しか窺えないその瞳を見返す。

「ソフィナが呼んでくれた研究発表で初めて弟くんと会ったよ。大活躍だったね」
「………………」

禁書研究会の研究発表が先日行われたのは聞き及んでいる。なんせ、オーターは行けなかったのだから。仕事があったということもあるが、普通に知の神杖ソフィナ・ブリビアに止められた。「貴方が来ると目立ち過ぎますから」と。オーターがダメでツララが良い理由が分からない。
発表会のタイムスケジュールからしても、明らかにあの日の発表の目玉はワースであった。発表会と懇親会の間の時間が妙に空いていたのは質疑応答時間を繰り出す為であろう。まだなんの研究業績もないいち魔法局員相手にそんな扱いをするなんて異例中の異例だが、禁書「リトルデビル」のデータが公的に示されるのはあの日が初めてであるから仕方がない。ワースが聞かされていたかどうかは定かではないが、禁書研究に関わりのない学者も来る予定というから、発表から懇親会までそりゃあもうもみくちゃにされただろうことは想像に難くない。翌日ランチタイムで顔を合わせたワースの瞳がキラキラとしていたので、良い経験になったのだろう。

「……ということで、はいコレ、ワースくんに渡しておいてね」
「…………?」

少し厚みと重量のある包みにオーターは首を傾げる。ひょいと中を覗けば、綺麗に透明な袋で包装されたタイトルが同じ書籍が2冊入っている。……念のため、手に取ってみても魔力を感じないから、本当にただの書籍である。著者は、「ツララ・ヘイルストーン」。

「いやぁ、弟くんが、この氷の神杖ツララ・ヘイルストーンのサインが欲しいって言っててね!あの日は色紙とか持ってなさそうだったから、オーターに持たせるねって約束したんだ。後輩くんの分もね」
「…………」
「めちゃくちゃファンでって言われて、ちょっと照れちゃった」

うふふふふ、と身を縮めて笑うツララは、変に動いたせいで自分の冷気を浴びたのか、ぶるっと身を震わせる。……というか、知らないんだが、ワースがツララのファンだとか。確かにツララは自身の開発した魔法道具の利益を基金として研究者向けの支援を行っている。研究者としても、篤志家としてもそれなりに名のあるツララは学者や文化人の間で人気があるが、それにしたって。ファンて。どういうことだ。

「…………」

すっと視線を落とせば、『魔力回路とそのはたらき』というタイトルが目に入った。彼女の存在を魔法界に知らしめた学生時代の論文を含むツララ初の単著である。それなりに古い著作だが、この書籍は評価は高いし学術的にも価値があるからどこの図書館にもおいてある。なにもワースの手元にある必要もないだろう。これは、破棄しても、良いだろうか?
オーターが若干不埒なことを考えていると、目の前でぶるぶる震えているツララが端末を取り出し、ストトトトと何かを打った。そしてにんまりと笑顔をこちらへ向ける。

「弟くんにもオーターに渡したって連絡しておいたから」
「…………」

ホラこれ、とばかりにチャット画面をオーターへ向ける。ツララの事務連絡に踊るようなワースの返信がある。というか、いつの間に連絡先なんて交換していたんだ。なんとなくモヤモヤとしていると、背後からやってきたソフィナが腕を組んでため息をつく。

「はぁ。だから研究会に貴方は呼ばなかったんですよ、オーター」
「えー、すっごい楽しかったのに。ヤバかったよ、魔法動物学とか言語学は来るかなって思ってたけど、詠唱学とか魔法石の研究者まで来てた。謎に魔法陣技師も。みんな耳が早すぎる」
「…………………」
「それだけワースくんの研究は注目されていますからね」

ワースが所有する禁書「リトルデビル」が耳目を集めているのはオーターも認識していた。先日のイーストン魔法学校図書館の一件で禁書たちがコミュニケーションに使用しているのは音魔法ではないかと指摘したのはカルパッチョ・ローヤンだったか。その後のワースの実験で禁書達は音魔法「も」使用して相互のコミュニケーションを取っているらしいことは発覚したそうなのだが、音魔法だけで説明の付く事象ではないらしく、未だにその全貌は明らかではない。彼らにとっては生活魔法の一種のような位置付けであるから、人間側の興味に対していまいち反応が悪い、ということもある。ちなみに、魔法を使うことが出来る生物であればある程度まで「リトルデビル」の音によるコミュニケーションが可能であることが分かった。ただし音を受信する側の状態に依拠するらしく、禁書曰く「あんまりよわい子とやると、こわれちゃう」のだそうだ。禁書を手に入れた頃、「子供の頃から禁書の声らしきものを聞いていた」と証言していたワースを思うと、正直オーターとしては言ってやりたいことが山ほどあったが、今のところは置いておく。ともかく、出力を抑えた音魔法は禁書達が殆ど使わない方法らしく、「リトルデビル」も随分と習得に手こずっている。元より禁書は、扱える魔法が魔導書より威力が高いことで呼称される書籍の一分類だ。「出力を抑える」事自体、彼らの本分にはないのかもしれない。今のところ「リトルデビル」の実験中に死亡したり魔力酔いのような異常状態になったものは人間・動物含めて誰もいないが、オーターにしてみればぞっとしない話である。四六時中、ワースがそんな危険なモノと共にいるなんて。

「……ツララ、貴方のワースの研究の所感は」
「うん?……ううーん」

ツララは腕組みをして首を傾げる。

「とにかく驚異的。それ以上はまだなんとも。魔法研究管理局局長なんてやってなかったら、共同研究申入れてるね」

ちらりとツララはソフィナを見る。笑顔に微妙な威圧感があるから、禁書管理局的には共同研究はNGらしい。オーターもこれ以上ワースが忙しくなるのは勘弁して欲しいので全面的に同意である。自分に向けられている厳しい視線に気が付いてか、ツララは両手を挙げて降参のポーズをした。

「分かってるってば、もう。……研究者としてすっごく魅力的な分野ってこと。音と光はとにかく速度が速い魔法だけど、ここに情報を載せて外部から探知できないラインを構築するだなんて、今まで誰も確立したことがない技術の筈だ。現状の技術ではどうしたって痕跡が残る。現状そこまでの高精度は禁書間だけみたいだけど、再現出来ればそれだけで技術革新は約束されたようなものだ。コミュニケーションツールと考えたって、魔法動物研究者にとっては研究対象と会話できるだなんてロマンでしょ?カーバンクルなんて激レアで特殊な魔法動物とはいえ、間違いなく成功している。アレを現行の音魔法で応用できたら、って思うとワクワクするよね。それに対象が特殊な魔導書だって言っても、この短期間で言語取得させるだなんて、そのルポだけでも相当に面白い。証言レポートだけでもまとめてくれないかなぁ。もとより人間の言語で書かれた魔導書だからか?はたまた術者との繋がりが禁書の言語野発達を助けたのか?単にあの禁書がそういう性質を持つのか?考えるべき論点は尽きないもん」

物凄く長い。ひょっとすると、これだけのマシンガントークをかますツララは初めて見たかもしれない。……まぁ、ひとえにオーターが研究分野に関心がないのが原因であるが。ひと息に言い切ったツララは、「けど、」と言って肩をすくめる。

「最大の問題点は、あの禁書の魔法出力にワースくんの身体がまったく追い付いていないこと」
「…………」
「というか、あの禁書の最大出力だと、ソフィナほどの禁書使いでも扱えるかどうか微妙。三本目のアザが浮かんだってワースくんには無理かも知れない。……あ、これは実際に禁書くんに触ってみた所感ね」

ぶるっと身を震わせたツララは長い袖口で頬を擦る。その仕草を見ながらオーターは腕組みをした。
ツララの指摘は、正しい。オーターも禁書に膝の上に乗られたり抱っこをせがまれて胸に抱いたことがあるが、アレは先の見えない底なし沼のようだ。ワースのセコンズに干渉する力がある、というのもあれならば頷ける。
洞窟から禁書を取り出して以降、ワースには定期的に検診をさせている。目的は勿論、未知の禁書の影響を確認し、必要であれば引き剥がすためだ。墓所管理局の出向時に入院した際、ワースの魔法回路には負荷が掛かって出力する魔力量も上がったが、逆に言えばそれだけで、「禁書使い」になった前後でワースには大した変化は見られない。ソフィナと戦闘訓練をして魔導書を用いた戦い方を教え込まれてはいるが、言ってしまえば伸びたのはその技術のみだ。勿論禁書の活用という意味では重要なことではあるが、当初手に入れた禁書の影響で魔力出量も相当伸びると予想されていたにしては、余りにも伸びが少ない。考えられる原因は、ひとつだけである。
禁書「リトルデビル」自体が、あまりワースの魔力出量を伸ばすのに積極的ではない、ということだ。それは取りも直さず「読まれなくても良い」と禁書自身が考えているということにもなるだろう。その要因はいくつか考えられる。あれだけべったり生活していれば禁書の術者に自身を読んで欲しいという承認欲求染みたものも落ち着いているのかもしれないし、魔力の質なのか本人の魂とも呼べるモノなのかを気に入っているだけで自らを扱いきれない術者とワースを認識しているのかも知れない。禁書は術者を深く愛するものだから、単純に術者に負荷を掛けるのを嫌っているだけとも考えられる。いずれにせよ、ツララをして「ソフィナでも扱えないかも」と言わせる禁書を軽々にワースに使わせたいとは思わないので、オーターとしてはこのまま禁書を読めない状態が継続してくれた方がよほど良い。

「……なるほど」
「さすがはツララ、と言いたいところですが、少し分析が甘いですね」
「なんだって?」

口元に笑みを浮かべたソフィナとは対照的に、言われたツララは口をへの字に曲げて見せる。

「貴方が考えるよりも、禁書と術者の関係は複雑である、という話ですよ」
「そう?確かに禁書くんは今までにない魔導書だと思うけど、ワースくんは特別にこう、って程じゃなくない?そりゃあ器用な方だと思うけど、そんな2本線なんていっぱいいるし」
「そうかもしれませんねぇ」
「なにそれ、すっごく気になるんだけど」
「逆に、私がリトルデビルくんを使う方が難しいですよ。間違いなく、禁書が認めた正しい使い手はワースくんなんですから」
「………………」

ツララは、口に出していないまでも不満げにソフィナを見る。オーターは2人のやりとりを静かに見守っていた。ふっとため息のように息を吐き出したのはソフィナの方だった。軽く肩をすくめる。その姿は何かを確信しているようであった。

「心配しなくても、そのうちにワースくんはちゃんとリトルデビルくんを扱えるようになります。その為の戦闘訓練ですから。ね?」
「そう?……まぁ、いち研究者としては禁書くんの実力って奴を見てみたいところあるからね、楽しみにしてる」
「…………」

不敵に笑うソフィナには、そう言い切るだけの自信があるのだろう。オーターは俯いて眼鏡の位置を直した。きっと多分、「弟が実力を伸ばすのを喜べる兄」というのが、世の中的には正しい姿なのだろう。どうにもオーターには少し難しい。弱くあって欲しいとはとても考えていないし、実際ワースはそれなりの実力を持った魔法使いだ。それでも彼の危機にはいつだって一番に駆けつけてやりたいと思う。そして出来れば……、叶うことならば、オーターが展開する砂の外には、あまり飛び出さないで欲しい。これから禁書「リトルデビル」の研究を通じてツララ以外にも、それこそオーターが知らないような研究者とも親交を結んでいくと思うと、叫び出したくなるような焦燥感があった。彼の研究を手放しで応援できない自分に、聡いあの子はきっと気が付いている。
オーターはゆっくりと眼鏡の位置を直した。

「……確かに書籍は受け取りました。あまり、うちのワースにちょっかいをかけないように」
「オーターこそ、中途半端に兄貴ヅラしないように気をつけた方が良いんじゃないの?」

ぴしり、とオーターの動きが止まった。

「こら、ツララ」
「知ってるんだからね、オーターの家政能力が底辺だって。ワースくんの研究がオーターの世話で滞ったりなんかしたら、許さないから」

よくよく考えれば、ツララの顔は笑っていたと思う。恐らく、妙に浮かれているオーターを揶揄っただけのこと。この程度の軽口は、神覚者同士であれば日常茶飯事である。

「………………」

心当たりしかなかったオーターにとってその軽口はあまりにもクリティカルヒットであった。ただ、それだけの話なのである。



***



魔法魔力管理局の隣に、全く同じ様式、全く同じ建築の屋敷が聳え立っている。真っ黒い柵に覆われ、その周囲には、分かる人間には分かる程度にぐるぐると砂嵐のような結界が渦巻いていた。数年に一度程、うっかりした新人が魔法魔力管理局の建物と勘違いして周辺をウロウロして先輩に怒られる、なんてイベントが発生する、砂の神杖オーター・マドルの居住である。
結界の内側に2人分の魔力を感じる。ひとつはワースの、ひとつは禁書のものだ。彼らの魔力は既に何度も見ているから、事前に結界の排除攻撃外に設定してある。中からは物や人が動いている気配はない。朝から引越しをしている筈だから、もう概ね済んでいるのだろう。
緊張で身体が硬くなる。他人がいると分かっている家に帰るのは、ひどく久しぶりな気がした。
オーターは自分の鍵を取り出して、鍵穴に差し込む。ざわざわと周囲に展開していた防犯魔法が反応し、オーターの魔力を検知して解錠される。ゆっくりと、緊張しながらドアを開くと、ふわりと風が駆け抜けた。

「……も、どりました」

帰宅したら、なんと言うのだったか。昨晩までシミュレーションしていた筈なのに、ちっとも上手く声は出なかった。少し離れた遠くの方から「おー」とか「おかえりなさい」だとか、賑やかな声が聞こえる。声のした方へ足を向け、扉を開くと、なにやら食欲をそそる匂いがした。見ればオーターが普段荷物を置いたりすり抜けたりするだけに使っているダイニングテーブルの上には大きな皿にホットサンドが並べられ、子供用と大人用のマグカップが置かれていた。チーズを噛みちぎっていたワースは手を上げ、丁度1つ食べきっていた禁書はにこにこと、再度「おかえりなさい」と言ってくる。1人と1冊のくつろいだ様子にオーターは若干たじろぐ。しかし眼鏡の位置を直して、ゆっくりと言葉を返した。

「もどりました」
「ちがうよオーター」
「……?」
「おかえりって言われたら、ただいまってかえすの」
「おいおい待て待て、オーターの返事は間違っちゃいねぇぞ。「ただいま」は正式には「ただいま戻りました」とか「ただいま帰りました」だから」
「そうなの?」
「そうなの」

言いながら、ワースは手を拭く。
なるほど確かに、禁書がワースを出迎えることはないだろう。禁書庫ほどの設備があるならともかく、術者として放置しておくなどあり得ない。禁書が人の出入りでの挨拶を聞いたことがなくとも無理はなかった。しかし、家族間のこんな細かいやり取りも教えているのか。ワースが使用しているテキストはすべて目を通しているつもりだったが、まるきり大人と子供の会話に驚嘆する。

「おかえり。昼飯あるけど食う?」
「……ただいま、帰りました。折角なので頂きます」
「おー、手ぇ洗って来な」

言いながら、ワースは食器棚を漁る。全く見覚えがないマグカップが現れてオーターは少し驚いた。この数時間の間に、この屋敷にあまりにも馴染みすぎている。コーヒーメーカーからホットコーヒーを注ぎ、「ミルクと砂糖は?」と聞かれたのでどちらも辞退すると、ちょうどワースの正面の位置にカップは置かれた。それから、ホットサンドを取り分ける用の皿も。冷蔵庫を開けてボウルを取り出し、そこに入っていたサラダを小さな皿に盛り付けているワースの背中を不思議な気持ちで見つめていた。しかしハッとする。

「お金……」
「いやだから、いいっつーの。家賃ほぼ持って貰ってるようなもんじゃん」
「ワースとね、いっしょに作ったのよ」

にこにことした禁書が順にホットサンドの中身を説明する。半分に切られているから、断面図を見ればだいたい分かるが、一生懸命話している姿は素直に可愛らしい。……もちろん、危険な禁書であることは分かっているのだが、どうにも毒気が抜かれる。
オーターも席についてチーズとハムのホットサンドを選んだ。丁度帰宅した時にワースが食べていたものだろう。囓ると、想像よりもチーズが伸びる。絶妙な塩味、ハムのうま味、そしてカリカリに焼かれたパンの甘み。シンプルなホットサンドは、それだけで確かに美味しかった。オーターは目を丸くして、手元のコーヒーを啜る。こちらもまた、いつも飲んでいるよりも苦みと酸味が引き立っていて香りも良い気がする。

「あ、そういえば台所のもん勝手に使っちまった」
「ここはもう貴方の家なので、中にあるものは何でも勝手に使って下さい……」
「おー」

言いながら、もうひと口コーヒーを啜る。気のせいかと思ったが、やはり明らかにオーターが淹れるよりもこのコーヒーは美味しい。同じコーヒーメーカーを使っているはずなのに。密かにショックを受けた。目の前ではにこにことしている禁書が2つ目のホットサンドを頬張っている。そりゃあ、禁書だって笑顔になろう。これだけ美味しければ。コーヒーメーカーだって粉を入れて設定すれば起動するのに、何がどうして味に差が出るのだろう。ソフィナもツララも、ワースを「器用だ」と評していた。オーターもそう思う。その器用さが、食事ひとつにとっても発揮されるだなんて。ツララの言葉がずーんと肩にのしかかる。彼女の指摘の通りにオーターは家事全般がほぼ出来ない。出来なくても生きて行けたからだ。なんなら、野営の方が得意である。あの禁書を使いこなして欲しくもなければあまり忙しくして欲しくもないので、ワースの研究が滞るのは願ったり叶ったりではある。しかしそれが自分の生活能力のなさに起因するものとなると、少々頂けない。ワースにダメな奴と思われたくない。これはプライドの問題である。
……しかし、本当に美味しい。食べ終わってしまった手と皿を見て、オーターは顔を上げる。昼飯など抜いてもいつもは何も感じないはずなのに、目の前にずらりと並んだ別の具材を挟んだホットサンドが余りに魅力的過ぎる。

「……その、もうひとつ、良いでしょうか……?」
「あー?……良いも何も3種類あるから、あと2つは食べたら?」

こっちとかこっちとか食ってねぇだろ、とワースは中を覗き込まずに指さしてみせる。さすが作った本人である。オーターは有り難く2切れを自分の皿にキープしてゆっくりと味わう。薄く塗られたマスタードと厚焼きの卵の優しい味が、これまた絶品である。どうしよう、すごい。不意に、別れ際のツララの言葉が蘇った。確かに自分にはこんな料理は作れない。ワースに世話を焼かれすぎないには、どうしたら良いのだろう。

「……あ、そういえばツララからの預かり物です」

机にあったホットサンドを全て食べ切り、ワースがコーヒーを嗜んでいる隙を狙って、机の上に紙袋を置く。丁度コーヒーを啜っていたワースは声に出さないまでも瞳を大きくさせた。

「マッジか!」

瞳をキラキラさせながら書籍を引っ張り出して、1ページ捲る。そこには「ワースくんへ」或いは「カルパッチョくんへ」という定番の名付けとツララのサインがある。見事自分の名前の方を当てたのだろう、ワースが捧げ持ちながら「ふゎあああ……!」と歓声を上げている。それをどことなく嫌そうに禁書は見守っていた。

「本物の、氷の神杖の、サイン本……!」
「貴方がそれほどツララ贔屓とは知りませんでした」
「少年少女みんなツララ様のことは好きだろ……!」

それは、流石に、どうだろうか?
オーターは腕組みをする。まあ彼女は難病の治療開発にも力を入れていて、積極的に医学系の研究支援も行っているから、あれだけの研究バカぶりであっても敬意を向けられている人物ではあるが。ワースに敬愛を捧げられるほどの人物であるかと言われると、そこはだいぶ待ったをかけたい。……サイン本を抱き締めるワースを思えば、墓地管理局出向が決まった神覚者会議の際、強めに研究管理局への出向を妨害して良かった。何か罷り間違っていたら、ワースは禁書管理局よりも研究管理局を選んでいた可能性がある。本当に辞めてほしい、あの、変人の巣窟に可愛いワースが放り込まれるなどと。
ストトト、とワースは慌ててメッセージを書いている。おおかたカルパッチョにも連絡を取っているのだろう。少し妬ける。

「……そういえば、どうでしたか、研究発表は」
「んんー……めちゃくちゃ参考になった、けど、」
「けど?」
「超疲れた。なんか、一生分名刺交換した気がする……」
「そうですか」

あんまりな言いように笑ってしまう。残念ながらワースは今後も「一生分名刺交換した気がする」を更新し続けるだろうが、そこはあまり触れないでおこう。

「次は、私も行きますので」
「うげぇ」
「そう言わずに是非誘ってください」

ワースの招きと聞けばソフィナも妨害出来ないだろう。ワースは何やら唸っていたが、聞こえないふりをしておく。

「……ソフィナさんとツララさまはともかく、アンタまで来ると神覚者来すぎじゃねぇ?」
「入場制限はないので良いのではないですか?」
「そういう問題か……?」
「そういう問題でしょう」

確かに同僚たちが集まると周りの人間が少し引くところがあるが、正直言って、それなら毎週行っている会議はどうなるのかと言いたい。オーターにとっては、仰々しい呼び名こそ受けているが、ただの同僚である。同じく面倒な仕事を任されているだけの。
ワースはふと手を伸ばして禁書の頭を撫でる。飲み終わったのかマグカップの柄を辿っていた禁書は、若干体を揺らしながらその手を受け入れた。ふっくらとした頬がはにかむ。

「次の発表は全部コイツ次第だから」
「ぼく?」
「そ。実験がさくさく進まなきゃ基礎データ取れねぇからな。頼むぜリトルデビル」
「はーい」

元気よく手を挙げる禁書の動きは、本当にそこら辺にいる子供と大差ない。そのやりとりを見ながら、オーターは静かにコーヒーを啜った。



***



オーターが帰ってきた頃には、ワース向けに準備した部屋には荷物を運び込み、殆どの収納を終わらせていたらしい。1階に居たのは、昼食を作るためと、備品の確認の為だったそうだ。脱衣所の隣にあったらしい洗濯機とすぐ側の収納棚に掃除機について「アレ使っても良いか?」と聞いてきた。良いも何も、そもそもそんな道具があったなどオーターは知らなかった。家の備品なので、勿論問題ない。ついでに言えば一応使えそうらしい。よかった。
オーターのすかすかな食器棚に寮で使っていた食器を順に並べていたワースは「あ、そうだ、」と言った。オーターも皿を包んでいた紙を剥ぐ手を止める。時計を見れば、もうじき3時だ。

「退寮の書類、出しにいかねぇと。ついでに禁書管理局よって、住所変更の書類出してきて良いか?」
「構いませんけど、役所への提出終わっているんですか?」
「それは朝一でやってきた。寮の方は寮役員の仕事の関係で、3時以降5時まで、って言われてんだわ」

残りの食器類をさくさくと収めて、ワースは禁書を呼ぶ。昼食に使った食器を洗っていた禁書が、手を拭きながらひょっこりと現れる。ちらりと見れば、水切り籠に3人分の食器が綺麗に収められていた。瞬間、オーターはぎくりとする。いつも洗うとしたらマグカップ1つだけが多い自分は、あれだけ綺麗に洗って並べられるだろうか。ちょっと無理かも知れない。子供の姿の、実際に家事はワースと出会って数ヶ月しかやったことのない禁書でさえ、オーターよりも皿洗いが上手い。ワースの指導力を褒めるべきか、真剣に悩む。

「退寮の書類出しに寮行って、禁書管理局に顔出しに行くけど付いてくるか?」
「……?」
「オーターが居るから、留守番したいならここに居ても良いっちゃ良いんだけど」

ちらりとワースがこちらへ窺うような視線をくれる。ぱちぱち、と禁書は瞬きを繰り返した。オーターも思わず同じ動作をする。ワースと禁書は常に共に行動していた。それは禁書の術者として魔導書を手放さないという意味合いだけではなく、禁書の盗難防止の為である。禁書がそうやすやすと連れ去られることはないが、万が一に備えるのも術者の責務である。ただ、確かにこの屋敷の中に限れば、オーターの防犯魔法が掛かっているから、たとえ大泥棒であっても侵入を許さない自信があった。ただ、もとよりオーターは禁書へ良い感情を持っていない。そんなオーターに禁書を任せて良いのか。そんな気持ちでワースを見、禁書を見る。キョトンとした瞳で禁書に見つめ返されて、オーターは身じろぎした。やましい事はないはずなのに、なぜか後ろめたい。

「……連れて行きなさい。貴方の大切な魔導書でしょう。何かあった時に頼りになるでしょうし」

眼鏡の位置を直しながら、そう嘯いた。魔法局内部で危険な目に遭うことはまずない。ただ、幼い頃のワースと同じ顔をした無垢な瞳に晒されるのはオーターが耐えられそうになかった。

ワース所有の禁書を、自分はどう思っているのか。

これは、共に遊園地へ行って以来、考えてもなかなか答えが出ない問いかけである。
術者に従順な、良い魔導書だと思う。禁書としての能力も申し分ない。けれど、心のどこかで、上手に受け止めきれずにいる。それは幼少から禁書に取り憑かれていたことにも気が付かなかった不甲斐なさからか、ワースに1番近い席を独占されている嫉妬心からか、言語化は上手くいかなかった。
玄関まで見送りに出ると、小さなその足に見合うサイズの靴を魔法で作り出した禁書は、くるりとこちらへ振り向く。

「オーター、いってきます!」
「……?……はい」
「いや、そこは行ってらっしゃい、だろ」
「……あ」

なんだか、バツの悪い気持ちがして、オーターは肩を下げる。そうか、禁書の情操教育。ごっこ遊びの一環と思っても、慣れない。
しかし禁書はめげずにニコニコと微笑む。

「じゃあね、オーター、もっかいやるよ。……いってきます!」
「……行ってらっしゃい。2人とも、気をつけて」

言葉は、滑らかに出せただろうか?
取り敢えず納得はしたらしく、禁書が大きく手を振って、ワースと手を繋いで扉から出ていく。

「…………?」

その姿に、じんわりと胸の奥の熱が増した気がした。



***



「さて……」

オーターは一人きりになった屋敷で、静かに頷いた。
ワースと禁書が戻るのは17時頃だという。つまり、2時間ほど猶予がある。ぐるりとオーターは部屋の中を見渡した。ワースが来る前に業者を入れて掃除はしたし、使った食器は禁書が片付けた。つまり、オーターが何かするべき家事は今のところ、ない。……が、折角引っ越し初日なのだし、自分も何かをしたくなった。ワースと禁書が作った昼食が思いの外おいしかったということもある。何かしら、返したい。

「…………」

とはいえ、野営の運営はそこそこ覚えがあるが、こと市街地にある家の中で行う家事はちっとも行ったことがない。けれど、まぁだいたい野外と同じだろう。妙な自信と共に、とりあえずオーターは買い出しに出ることにした。出来そうなレパートリーと言えば魔獣の丸焼きや大人数で食べる煮込み料理だろうか。さすがのマーチェット通りでも魔獣1体丸ごとは売っていないだろうから、必然的に煮込み料理になる。ハッシュドビーフなど、どうだろうか。あの小さい禁書でも食べられるし、これまで共に取った昼食のメニューからして、ワースもデミグラスソースに苦手意識はなさそうであった。問題ないだろう。少しばかり浮ついた気持ちでオーターは屋敷を後にする。肉と、タマネギと、マッシュルームと。トマトがあったら尚良い。デミグラスソースを作るのは野営でもしないから、ルウで良いだろう。目に付いた商品をひょいひょいと購入していく。ハッシュドビーフに合わせるとしたら定番の丸パンだろうか。店で出てくるようなバターライスでも良い。ついでに気分が良いので、ワースと自分用にワインでも1本買おう。あの小さな禁書は、ぶどうジュースくらいなら飲めるのであろうか。魔力が籠もった食品であれば食べられるとの話だったが、実のところ、この魔法界で魔力が全く含まれない食品を探す方が難しい。魔力的にも発展途上の子供向けには成長促進目的で魔力の多い食品や補助食なども多いから、成分表示をじっくり見ずとも、禁書が口に出来る物は多いだろう。ふと、自然と禁書を気にして材料を選んでいる自分に気が付き、オーターは壁に頭でもぶつけたい気持ちになった。……いや、実際ぶつけたりしないが。
大きくため息をついて、眼鏡の位置を直す。
だって仕方がないだろう。アレがどうにも危険なものと分かっていても、見た目はまるきり小さな弟だ。もちろん頭にねじくれた角なんて余計な付属物は付いているが、それでも。顰めっ面ばかり取っているのは難しい。

「…………」

当初思い描いていたように、いつかあの禁書をワースから引き剥がして、禁書管理局に納めるようソフィナ・ブリビアに要請する日が訪れるのだろうか。そのような判断を下す自分の姿は、あまり想像したくはなかった。ただの禁書であるはずなのに、随分とまぁ、ほだされている。

「…………」

とりあえず目に付いたワイン専門店に入ったオーターは、ワースと飲むワインに当たりを付けると、手前の棚を陣取っているノンアルコールコーナーを睥睨する。その中にある子供向けのぶどうジュースのラベルをじっくりと見ながら、デミグラスソースのルウを選んだ時よりも遙かに時間を掛けて1本選び出した。



***



思ったよりも買い物に時間を掛けてしまったかも知れない、とオーターは思った。
一人で持つにしては少々多すぎる荷物は、例によって砂魔法で雑に抱える。紙袋は砂の粒子に支えられて、はたはたと風にその身を揺らした。砂の神杖が魔法局敷地内にある屋敷に住んでいることは、この辺の人間であれば誰でも知っている。それが抱えきれないほどの食材と共に歩いている姿は一種異様であった。

(………まぁ、まだなんとかなりますか)

ちらりと時計を見ると、ワースが戻ると言った5時になるまであと1時間あるかないかくらいか。自分がいざ野営をするとなったらどの程度食事の準備に当てていたかは定かではないが、簡易テントを張って周囲に魔獣避けの結界を作り、火を焚いて調理をするのに1時間程度だろうか。であれば、問題なかろう。
ほくほくと屋敷のドアを開いたオーターは、気が付いていなかった。
それはあくまでも、魔法を存分に振るい放題の野外だから出来ることであって、彼は家の中にある鍋の位置ひとつ、把握していない、ということを。屋内で風魔法による食材のカットは、実質的に不可能である、ということを。

4 / 6
5 / 6

◆◇◆◇◆



砂の神杖は、時々この店にやってくる。

本人が平然としているから、こちらがあまり注目するのも悪かろうと思って、そういう日はレジでカタログを読むことにしている。大抵はギフト用に包むように頼まれるから、梱包資材がきちんとあるのを横目で確かめながら。

ただその日は、いつもと少し毛色が違った。

いつも素通りするはずのノンアルコールコーナーに足を止め、いつもよく見るワインコーナーに足を運び、そこから一本も選ばずに再びノンアルコールコーナーへ戻って来た砂の神杖は、じっくりと時間をかけてぶどうのジュースの成分表示を見ている。見ないふり見ないふりとは思っていたものの、思わずダラダラと汗が流れる。なんの変哲もないジュースの筈だが、何か危険な品でも仕入れてしまったか。
結局いつものように無駄な話をしない砂の神杖はよく選ぶワインボトルとずっと手に持って考えていたぶどうジュースを購入した。珍しく、自宅用に。

……念のため1本空けてみたが、全然なんの変哲もない、ただの美味いぶどうジュースだった。
砂の神杖が何を思ってあそこまで熟考していたのか、庶民のオレにはさっぱりだった。
5 / 6
6 / 6

◆◇◆◇◆



いつものようにリトルデビルを抱え込むように乗せ、ワースは箒をかっ飛ばしていた。何のことはない、寮長はじめ寮役員に出寮を惜しまれ、それはもう物凄く惜しまれ、なんだか微妙にキナくさい派閥への勧誘を受け、「家で砂の神杖が待ってるんで!」と言い切って逃げて来たのである。そのままダッシュで住所変更の書類を禁書管理局へ提出して本日の受付に滑り込み間に合った。いや、別に出勤日に出せば良いと言えばいいが、一応ワースは特殊な許可を得てリトルデビルを帯同しているから、所在地が変わったのなら早めに出しておいた方が、その、各所からのイチャモンを付けられにくい。高々それだけの話ではある。引っ越し当日に間に合わせたかったのだ。

(び、びっくりした……)

「禁書に取り憑かれている禁書使いの方が禁書管理局の局長に正統だと思わないか」とか、間違っても人目があるところで話す話題ではない。寮役員室だって、あの警備っぷりでは人前とさして変わらないのだから本当にやめて欲しい。……というか、思わないからワースはソフィナの指導の下、今まさに禁書の扱いを学んでいるのだが?こっちを何だと思っているんだ。
もちろんワースは住所変更届を出してから速やかにソフィナへ報告をした。下手に時間を空けて有らぬ疑いを掛けられても困る。

(やべー奴っているんだな……)

そういえば禁書管理局と人材管理局は結構貴族間の縄張り争いが激しいと聞く。それで神覚者を引き摺り下ろそうとするのもどうかと思うが、ワースを巻き込まないで欲しい。
ソフィナは平然と「あらまあ」と言っていたから把握していた節がある。……そうすると、若干見えてくるものがあるような気がして来る。

(もしかしてソフィナさん、オーターに同居とか薦めたかな……)

今日話した不穏分子に巻き取られない為とかなんとか、そんな感じの大義名分を付けて。思い返してみれば、同居を提案した時のオーターは少しおかしかった。珍しく落ち着かなさげというか、話運びがやや強引というか……。家賃をどうするかとか家事分担をどうするかなんかは、同居を考える上での最低条件である。それもちっとも考えていなかった様子で、意外とのんびりしてるんだな、と思ったが、アレは元の提案がソフィナのものであったから、オーターにも考えが及んでいなかったのではないか。局内の危険な若手から物理的に距離を取らせ、砂の神杖の後ろ盾があることを分かりやすく示す。いかにもソフィナが考えそうな手である。

(……ま、なんにせよありがたいのには変わりないな)

もしも真実そうだとして、ソフィナの要請を受けて提案してくれたのはオーターだし、リトルデビルと相談して引っ越しを決めたのはワースだ。……ま、リトルデビルはあのレストランで、書籍の姿であるにも関わらず鞄から這い出て身を乗り出すほど乗り気で、家に戻って話し合った時も始終はしゃぎまくっていたのだが。つまり背後に一体どんなソフィナの意図があろうと、ワースとしてはまさに渡りに船、リトルデビルも喜ぶのであれば、特に拒否する理由もないのである。
とはいえ、始めからヤバそうな連中は教えておいてくれたら楽なのに、自分で嗅ぎ分けろということか、変な先入観を持たないように伏せているのか、知の神杖の考えることはワースには全く分からない。

「ただいまぁ……」

若干げんなりとしたワースの横で、リトルデビルが元気よく「オーター、ただいま!」と跳ねるように言う。オーターとの挨拶が余程楽しかったように見える。しかし残念ながら、オーターの声は返ってこない。2人で顔を見合わせて、首を傾げた。

「あれー?」

言いながら泥魔法で作った靴を消してトタトタとダイニングに続く扉へリトルデビルは走る。くっそ、便利な奴。
ワースも慌てて靴を脱いで追うが、そこに広がった情景に、ぴたりと足を止めた。

「……なんじゃこりゃ」

泥棒でも出たと言われた方がまだ納得できるほど、つい数時間前に昼食をとったダイニングテーブルには砂が溢れ返り、椅子はひっくり返り、どこから取り出したかも不明瞭な調理器具が散乱していた。
ぱちぱちと瞬きを繰り返すリトルデビルが台所を指差す。

そこには、呆然とその場に腰を下ろしているオーターがいた。

彼の周囲だけ綺麗に丸く砂がない。……あ、あと食器棚のところも。まるで咄嗟に盾でも作ったかのようだ。

「お、オーター……?」

びくり、とオーターの肩が大袈裟なくらいに跳ねた。ちょっぴり迷う。どう考えてもこの惨状はオーターの手によるものだろう。茶色い砂に混じって気が付かなかったが、よく見るとほんの少しだけ砂で切られたような玉ねぎも転がっていた。……いや待て待て待て、もしも魔法で玉ねぎを切ろうとして狭い室内で失敗したと仮定したとて、玉ねぎって皮のままいくか……?もしかして皮も魔法で剥く気だった……?そんなことあるか……?つーか、部屋の中でんな大掛かりな魔法を……?
実のところ、オーターの家事能力が壊滅的であろうことは想定していた。妙に生活感のない屋敷にハウスクリーニングを入れた痕跡のある部屋なんて見たら普通そう思うだろう。洗濯機や掃除機の使用許可を願い出れば不思議そうな顔をされたから、あれは絶対用具の位置も知らなかったと見た。洗濯機なんか脱衣所のごく近くにあったのに。コーヒーメーカーには使った跡があったがカトラリー含め食器はほとんどなかった。外食はしていると言っていたが、……固形の補助食をコーヒーで流し込む生活だったりしないだろうか。魔法魔力管理局は長期出張もあるし宿のある地域に出るとも限らないので野営はするし、テントを張ったり出先で食事を作ったりなどはするのだろうけども。
物凄く、バツが悪そうな表情でオーターは視線を床へ下げた。喉元まで「アンタ、イーストンの寮生活をどう乗り切ってきたんだ」と言葉がせり上がるが、思いの外しんなりと肩を下げている様子にワースの勢いも萎む。例えて言うなら、耳を下げて尻尾を丸めている犬。こちらがまだ何も言っていないうちから深く深く反省している。相手は神覚者への切符を怒濤の勢いで掴んで以来、魔法局でバリバリ働いていた天才である。日常生活のいくつかで出来ないことがあっても、それはまぁ……致し方ない、のかもしれない。正直この様子で食生活がどうなっていたのか質問したい気持ちに駆られたが、今ここで問う話でもなかろう。ワースとて「無邪気な淵源」の事件依頼、心をだいぶ入れ替えて様々なことに手を出してきたつもりだから、それを思えば家事のひとつやふたつやみっつやよっつ……。
そこまで考えて、ふっとワースの口から息が洩れた。口元には小さく笑みさえ浮かんでいる。

「……アンタにも、出来ないことってあったんだなぁ」
「その……不甲斐ない限りで……」
「いや全然、むしろ良かった」
「……?」

最高級の調度品に、物凄く職場に近い立地、そして考えられる限り最強の防犯。
これだけの住まいにつり合うような対価を、ワースはこれっぽっちも持っていない。この屋敷に居て良い程の「価値」は今の自分には全くない。それを思えば、早晩ワースは気鬱になっていただろう。対価として家事がつり合うかどうかはともかく、少なくともワースにもこなせる役割があるのはありがたいことだ。

「家事全般は俺の仕事な。家賃代わりってことで」
「いやでも……」
「俺の方が帰り早いし、丁度いいだろ?それに……」

服か雑巾か分からなくなった状態の布に視線を落として、ワースはふっと笑う。

「何事も助け合い、なんだろ?」

掃除洗濯その他諸々、確かにこの屋敷は広くて骨が折れるが、ワース3人くらい居れば家事は回る。そして、その「3人くらい」を簡単に捻出できるのがワースの泥魔法である。同じ事をしようとしても、砂魔法では大惨事になる、というのは今この屋敷が証明している。ワースは杖を取り出して、慣れた呪文を唱えた。

「マッドロス」

ぼや、と自分の影のように泥人形が顕現する。今回は掃除の用途で人数が必要なので、ざっと10体。ただこれでも、広い屋敷内に人数が多すぎるという事はない。それぞれに役割と指示を与えると、ワースの思い描いた通り泥人形達はテキパキと動き始める。大惨事の台所、どこから手を付けたら良いか分からない床、散らかった机の上も。ワースは呆然としているオーターの手をついと引いた。日々リトルデビルの小さな手ばかり引いているが、思えばオーターの手に触れるだなんて、これが初めてかも知れない。

「オーター、着替えて来いよ」
「え、えっとでも……」
「後は泥人形がやるからさ、外へ食べにいっちゃおうぜ。リトルデビルも!」
「ん!」
「え、あ、ちょっと、」

にぱ、と微笑んだリトルデビルがワースと反対側の手を握って同じく引っ張る。そしてオーターの部屋に押し込んで、「その服も洗濯しちゃうから一緒に出せよ。終わったら玄関集合な」と言い残して、自分もリトルデビルも外出の準備をする。玄関に座ってあくせくと働く泥人形達を見ながら、こんな日も悪くないな、と顔を見合わせて笑い合った。



***



オーターとワース、リトルデビルがその足で訪れたのは、魔法局に程近い位置にある大衆向けのダイナーである。以前ソフィナと、少し遅れてオーターと一緒に食事をした場所で、安くてボリュームがあって、酒も出す。上品なソフィナがワースをここに連れて来たのは非常に意外だったが、木造で内装もひと昔前の酒場っぽいし、リトルデビルくらい小さな子供がそこの椅子にちょこんと座る姿は普通に可愛い。ソフィナは結構、小さい子供に弱いところがある。上に兄がいるだけで弟妹が居ないからとりわけ可愛く見えてしまうらしい。夕食にしては早めな時間帯だったが、早く仕事を終えた魔法局員らしき人物もポツポツ見える。背の高い衝立が席を区切った半個室なので、周囲を気にしなくて良いのが楽だ。
しょんぼりとしたままのオーターを暫し放ったらかして、適当につまむ物を注文する。オーターと自分用にはエールを、リトルデビル用にはジンジャーエールを頼んでみた。思わずニヤニヤとしてしまう。

「はい、じゃあ、かんぱーい」
「かんぱーーい!」
「かん、ぱい……」

くぴ、とジョッキからジンジャーエールをひと口飲んだリトルデビルがカッと眼を開く。そしてジョッキをみて、ワースを見て、また再びジョッキを見る。

「お口のなかが、ぱしぱしする……!?」
「炭酸な、それ」
「たんさん……!?」
「あー……、ジュースの中に気体を混ぜ込んで、口の中で弾けるようにしてるの。……うまいか?」
「おいしい!すごい!たのしい!」

嬉しそうに飲んでいるのを確認してワースも自分のエールを飲む。うん美味しい。ちらりとオーターを見るが、向こうはまだ沈んでいる。来た料理を小皿に分けて配膳しながら、うーん、と話題を探す。

「……ところでオーターは、なに作ろうとしてくれてたの」
「その……ハッシュドビーフを……」
「ああ、だから玉ねぎ」

ワースも数えるほどしか参加したことはないが、野営を前提とする遠征は基本、大人数の胃袋を満たすために煮込み料理が基本だ。スープやカレー、ハッシュドビーフなんかは具材の栄養と共に水分も取れて腹も膨れるし体もあったまる。オーターが手料理を振る舞おうとするなら合理的な選択だ。
すっかり落ち込んだオーターは顔を隠してため息をつく。言っては悪いが、ここまで感情を表現しているオーターを初めて見る。すごく新鮮で、正直、結構面白い。

「……引っ越し祝いだからと、貴方と私の為にワイン、貴方の禁書の為にジュースを、準備していて……」

ははーんなるほど、小宴の準備をしていたが、メインディッシュの準備で早々に躓いた、と。全貌が見えて来て、笑っちゃダメだと思いつつも、押し殺しきれない笑いが口から漏れる。こちらの様子に気が付いたのだろう。顔を上げたオーターは少し恨めしげだ。気を悪くさせたかもしれない。けれど見られてしまった以上、ワースは我慢せずに笑う。

「……もう、頑張ったのに……」
「いや、悪ィ悪ィ、あははは!」
「ワース!」

その声は怒っているというよりは拗ねている。同僚の氷の神杖にさえ鉄面皮と言われる砂の神杖にも可愛いところがあったらしい。くふくふと笑いながら、ワースは取り分けたサラダをオーターの方に押しやった。まぁ、取り敢えずまずは食え、である。

「いや嬉しいよ?アンタ、料理とか出来ねーのにチャレンジしてくれたんだ」

しかもメニューはカレーではなくハッシュドビーフ。そう言えばオーターとの昼食の時に、リトルデビルにカレーを食べさせたことはない。見た目が子供だからきっと、魔導書も口にできる物を、と配慮してくれたのだろう。それはジュースを買っておいてくれたことからも窺える。ワースは、高鳴る胸とはまた別に、ふわふわと腹の奥が温まるような気がした。オーターはたぶん、リトルデビルに良い印象を持っていない。或いは、最初に示した拒絶反応を撤回出来ずにいる。それなのにワースが大切にしているから、気を遣おうとしてくれたのだ。その気持ちが何より嬉しい。

さて、どこから話したものか。

ワースはゆっくり思案する。隠していたつもりはないが、オーターの配慮を無碍にしてしまった気がして少し申し訳ない。

「帰ったら泥人形たちが掃除を終わらせてる筈だから、ハッシュドビーフとワインとジュースは、週末にしよう。その方がアンタだって時間が取れるだろ?」
「す、すみません……」
「いーっていーって。俺とリトルデビルを歓迎してくれて、その、……嬉しいし」

照れ隠しにリトルデビルの頭をぽすぽすと撫でる。フォークでサラダを刺していたリトルデビルは、ワースの手の動きにつられて首を上下させた。

「……あとその、一応伝えておくんだけど、」
「…………?」
「コイツ、手も口もちっちゃくて扱いが下手くそな以外は、大人扱いしてくれていいから」

ソフィナも度々リトルデビルの見た目に惑わされているな、と思う瞬間があるが、まさかオーターまで同じ轍を踏んでいるとは思わなかった、……と言うと少々刺々しいが、オーターは昼食の時間程度しかリトルデビルと関わりを持たないから、気が付いていなくても仕方ない。

「辛いのも苦いのも行けるし、なんなら俺らが飲んでるエールも飲める」
「……い、いやそれは」
「のめるよー!」

手を挙げて元気よくリトルデビルは言った。まぁ、ワースもワインやブランデーくらいしか飲ませたことがないので、エールの苦味と炭酸をどう判断するかは分からないが。びっくりと目を丸くさせているオーターに、ちょっと面白くなってワースは身を乗り出す。内緒話をするように。

「店先でガキに酒飲ませる訳には行かないだろ?」

魔導書に、見た目の年齢は関係ない。
そもそもリトルデビルの身体は泥魔法で作っている。魔力の宿る実を発酵させた酒なんかいくら飲んでも問題ないし、酔わない。アルコールは恐らく毒の一種として勝手に分解している。

「だいたい、昼に粒マスタード塗ったホットサンド食ってただろ?」
「…………あ」
「マスタード、つぶつぶしてて好き!」
「……アレは粒マスタードだけで、普通マスタードはつぶつぶしてねーから」
「そうなの……!?」

ががーん、とリトルデビルはショックを受けたように固まっている。なんだと思っていたんだか。「ちょっとピリピリする」と言ってたから味覚は正常に動いているようなのに。ワースは肩をすくめる。

「まぁ、ホラこの通り、趣味趣向は見た目通りじゃねぇからさ、」

汗をかいて来たジョッキの腹を、ワースは戯れに撫でる。口に出すのはなんだか恥ずかしい。けれどどう考えても盛大な失敗をやらかしたオーターを前にすると少し勇気が出た。意を決して、ワースは顔を上げる。

「教えてよ、アンタも。好きな物とか」

テーブルの上に並べ立てられた綺麗な料理を前に、少しだけ瞳を丸くしたオーターがかすかに微笑んだ気がした。

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    06月28日 12:00 〜 12月01日 23:00
カナリヤ 10
1 / 6

登壇して、真っ先に目に付く位置に居るカルパッチョ・ローヤンの姿を認めてワース・マドルは「うげ、」と思わず口にした。丁度、登壇者の入れ替わりでがやがやとしているタイミングだったから、幸いなことに瞳を爛々とさせている生意気な後輩くらいしかワースの変化に気が付かなかったことだろう。珍しく楽しそうに口元を歪めるカルパッチョの隣には、魔法動物言語学の権威とも言える研究者がドンと座っている。魔法動物研究からは手を引いて久しいワースが顔を知っているのだから、まぁ、そういうことだ。カルパッチョの奴、まさか本当にそんな相手を連れてくるとは。
マイクの位置を直す振りをしながら、ゆっくりと大きめに深呼吸をする。研究会や学会で発表するなんてのは何度も経験して来たはずなのに、今日ほど緊張することはなかった。持ってきたブックスタンドに書籍の形を取っているリトルデビルをそうっと乗せ、表紙をひと撫でする。表紙が聴衆によく見えるよう位置を整えると、小さなどよめきが上がった。基本的にリトルデビルは人間の形を取らせているから、正直ワースも書籍のリトルデビルを見るとちょっとどよめく気持ちが分かる。禁書管理局の大半の局員もそうだろう。ふと顔を上げると、最も奥の席に座るソフィナがにっこりと微笑んで頷いた。事前に学会に提出するハンドアウトも発表内容も、だいぶソフィナから指導してもらった。ここまで手を尽くして貰っておいて、上手い発表が出来なかったらそれはワースの責任である。じんわりとリトルデビルの方から励ますような感情が流れ込んでくる。いつもの様子にふっと気が抜けて、ワースは赤字でいっぱいの自分のハンドアウトに視線を落とした。

(なんとかなる!……だろ)

読み合わせは何回もした。それで緊張がなくなる訳ではないが、少しは自信にもなる。司会進行役がワースを紹介するのを聞きながら、ゆっくりと視線を上げた。



***



気持ちの上ではもうぐったりと、自室のベッドの上で大の字になって転がっていたい。確かに登壇順番が一番最後であったので、何かおかしいなとワースも思っていたのだが、口頭発表25分、質疑応答5分の筈だったのが、ワースも質疑応答が一体何分合ったのか正確には分からない。なんか多分、発表してた時間と同じくらいは質問を受けていたような気がするのだが、実際の所どうだったのだろうか。タイムキープしていなかった疑惑が色濃い司会に感謝の弁を述べるのは余りにも釈然としなかったが、礼儀の一環としてワースは一応司会進行役にも頭を下げておいた。これがソフィナの口利きでねじ込んでもらった学会じゃなかったら暴れてる。時計を見ても計算する気も起きない。

「ワースくん、お疲れ様でした」
「………い、いえ……、…………ッ!」

にこにことしているソフィナ・ブリビアになんとかそう答えると、彼女の後ろに居た人物に気が付いてワースは慌てて背筋を伸ばす。禁書研究学会を主催する禁書研究の重鎮である。ワースは著者近影でしか顔を見たことがない。その近影よりも幾分か年を取っているようには見えるが、見間違える程ワースもほうけてはいない。

「先生がご紹介して欲しいとのことで、いま大丈夫かしら?」
「はい、もちろん!えっ、えっと、ワース、……あー、ワース・ウォーカーです。その、先生のご本は大変感銘を受け……その、勉強させて頂いています。本日はご指摘いただきありがとうございました」

教授は鷹揚に頷く。すっと伸びてきた手を、ワースは慌てて握る。にこにこと好々爺然としているが、お若い頃にはかなり強めな論争をしていたと評判の教授だ。ソフィナに促されるままなんとか名刺交換をする。

「今日の発表おもしろかったよ、実にね」
「あっ、ありがとうございます!」
「この後の懇親会には参加するかい?」
「え、えぇっと……」

ワースは思わずソフィナの方を見る。はっきり言って、ワースはもう帰りたい。だいぶ疲れた。けれどにっこりと笑顔を貼り付ける上司の顔を見れば、これはもう業務の内なのだろうなというのが分かる。ワースも笑顔を作って頷く。

「一応……その予定で」
「そうかそうか。キミを紹介したいひとが山ほどいるんだ。是非たのしんで行ってくれたまえ」
「は、はぁ……」

ワースはなんとか会釈で返し、他の研究者の元へと行くその背中を見守る。詰めていた息が思わず、はぁと口から落ちた。その肩をぽんとソフィナが優しく叩いた。

「いい発表でしたよワースくん」
「ありがとうございます」
「たぶんこの後の懇親会では色んなひとに話しかけられると思いますから、とりあえず名刺交換だけは忘れずに」
「は、はい……」
「リトルデビルくんは人間の形にしておいても大丈夫ですよ。……というか、人間の姿になって貰っていた方が周りから話しかけられると思います」
「うぉ……はい……」

今回の学会参加の目的は、今後書く予定の論文の弱点をあぶり出すことと、人脈作りである。前者に対してはかなり様々な角度からの質問を受けたので後は持ち帰って精査するのみだ。後者についてはワースが想像していたよりも禁書以外の研究者の姿があったお陰で、想定よりも達成できそうである。カルパッチョ辺りが変なところに声を掛けたのだろうな、と思うのでありがたいやら文句を言ってやりたいやら、少々複雑である。ブックスタンドに乗せられたまますまし顔をしているリトルデビルをそっと撫でてやる。それを合図にふわりとその場に浮かんだ魔導書は、一瞬にして泥に包まれる。ぴょんと着地した姿はもう、見慣れた子供の顔であった。

「今日はおわり?」
「終わりじゃねーよ。これから懇親会。さっきまでお前を見てた研究者の先生達とメシを食う」
「ごはんー!」
「と言っても立食パーティですからね、あまり食べられないと思っていて下さい。終わったらみんなでご飯に行きましょう」

ソフィナがゆっくりとリトルデビルの頭を撫でる。いつもの調子で「はーい!」とリトルデビルは返事をした。そこにふと、ひんやりとした空気が流れ込む。すうっと流れてくる冷風に、思わずワースはそちらへと視線をやった。そこには片眼を眼帯で隠した小柄な女性がぽつりと立っている。

(……はぁ!?)

トン、トン、トン、と階段を跳ねるようにしてこちらへ向かってくる女性の顔を、ワースは知っていた。というか、知らない奴は学生であれ社会人であれ、研究者としてはもぐりだろう。氷の神杖ツララ・ヘイルストーン。魔法研究管理局を束ねる神覚者にして、伝言うさぎの開発を始め、様々な技術革新を起こした高名な研究者だ。というか、ぶっちゃけ畑違いも良いところの、しかもこの規模の研究会に姿を現すなど、通常はあり得ない。思わずソフィナを見る。口元を上品に隠したソフィナは意味ありげにうふふと笑っている。

「ツララもワースくんとリトルデビルくんに関心があるとのことなので、声を掛けておきました」
「お招きどうも。……そして初めまして、ワースくん、禁書くん」
「はっ、……はじめまして」

ワースより背が低く、にっこりと笑ってみせるその顔は実年齢よりもずっと彼女を幼く見せた。差し出された手を握ると、氷に触れたかのような冷たさである。魔力が強すぎて、固有魔法が体外にあふれ出しているのだ。魔力制御不全症候群である。この手の疾患を持つ魔法使いは先天的であれ後天的であれ、それなりに存在する。そして魔力制御不全症候群研究において、ツララ・ヘイルストーンは第一人者であった。自身の症状を完全に封じ込めるには未だ至っていないが、この疾患を抑える魔法道具や薬の開発に彼女の名前は必ずと言って良いほど現れる。
手を差し伸べられたリトルデビルは、小首を傾げながらツララと握手を交わす。手を握られている間中、珍しく困惑しているような、非常に落ち着かない素振りだ。手を離した後も不思議そうにツララと握手をした方の手を見つめている程である。その仕草に引っ掛かるものを感じたものの、「あの」ツララ・ヘイルストーン相手に粗相は出来ない。ビッグネーム過ぎて怖い。
恐縮しきりのワースに対しても朗らかにツララは上目遣いににっこりと笑ってみせた。

「同じ魔法局内に勤めているのにちっとも会えなくて。こんな日にごめんねぇ」
「まぁ、禁書管理局と研究管理局は離れていますものね」
「あはははははははは」
「うふふふふふふふふ」

顔を見合わせて笑っているだけなのに、妙に怖い。

(な、なんだなんだ、ソフィナさんと氷の神杖って仲悪いのか?)

ぐりんとこちらを向いた隻眼が、悪戯っぽくぷうっと頬を膨らませる。

「ちょっとワースくん!そこはちゃんと、禁書管理局と研究管理局は隣の棟ですよ?ってキミの上司に言ってくれなきゃ」
「えっ、えぇっと……」
「油断しちゃダメですよワースくん。ツララったらまだ貴方を引き抜こうと狙っているかもしれませんからね」
「え!?」
「やだなソフィナ、もう狙ってないってば。ホント悪かったって~、許してよー」
「そう言って油断させる手かも」
「違うってばぁ。ねーぇ?」

言いながら、二人して顔を見合わせてクスクスと笑っている。ワースは毒気が抜かれた気がした。なによりも、いつも凜として品があるソフィナが少女のように笑っている姿を初めて見る。気の置けない同僚同士の小競り合いだったのだろう。……ちょっと巻き込まれた方は本気でビビったが。長い袖のまま、ツララがソフィナを指さす。

「ワースくん聞いてよソフィナったら、今までずっとキミをひた隠しにして会わせないようにしてきたんだよ?確かにちょっとキミの引き抜きを目論んだけど!」
「だって貴方、まだ諦めてはいないでしょう」
「それはそう」
「ほら」
「でもそれは、ワースくんと禁書くんが面白過ぎるのが悪くないかい?」
「えっ」

リトルデビルに強請られるまま抱き上げていたワースは、自分に向かって降ってきた突然の話題にびくりと身体を跳ねさせる。そしてリトルデビルを手で制す。後でな、と。聞き分けの良いリトルデビルはちょっぴり不服そうに、けれどぎゅっとワースの足にしがみ付いて応えた。話を振ったツララはといえば、悪戯っぽく笑う。

「魔法研究管理局なら、一日中研究してたって文句言わないし、禁書管理局に在籍しているよりもずっと成果が出せると思うけど、どう?」
「ど、どうって……」

ワースは弱りきってソフィナをチラリと見た。敏感にそれを察知したツララが頬を膨らませてその場にぴょんぴょんと飛ぶ。

「あー!ダメダメ、ワースくん!ソフィナに聞いたら「変な人に付いていっちゃいけません」って言うだけに決まっているんだから」
「あら、良く分かっているじゃない。自分が変なひとだって」
「そりゃあ一応、研究管理局局長だからね」

慣れた仕草で肩をすくめるツララを、ワースは不思議な気持ちで見つめた。ワースも勉強や研究は好きな方だから、自然と「そういうタイプ」が周りに多い。ツララ・ヘイルストーンは「そういうタイプ」の学生にとっては憧れの存在だ。魔力制御不全症候群というハンデを背負っておきながら、世の中を変える研究成果を出し続けている、所謂、生ける伝説である。研究書や雑誌で掲載される彼女の写真はいつもキリッとした真顔であるからこうしてクルクルと表情が変わるひとだとは思っていなかった。

「えぇっと、氷の神杖様」
「よそよそしいよワースくん。ツララで良いって」
「ツララ様、その、評価して頂けるのは大変恐縮ですが……」

自分よりも幾分低い位置の瞳が、じいっとワースを見つめてくる。深い色をした瞳は深遠で、手強い論客の教授やカルパッチョのような天才を思わせる凄みがあった。ワースは唾を飲み込み、舌を湿らせてからゆっくりと口を開く。

「禁書管理局でこそ、オレとリトルデビルの力は発揮出来ると信じております。ありがたい申し出ではありますが……」
「…………」
「申し訳ありません。」
「…………そっかぁ」

じっとこちらを見つめていたツララは肩を落としてため息をついた。そしてぐるりとソフィナを見上げると、ぷうっと頬を膨らませる。

「フラれた。切ない!」
「まぁまぁ」
「正攻法ならオーターも文句言えないと思ったんだけどなぁ」
「砂の神杖様が?」

ゆるんだ雰囲気に礼儀の必要はなくなったと思ったのか、足下のリトルデビルが抱っこをせがむ。神覚者たちの様子を見つつ抱き上げてやるとすぐに首に細い腕が回った。ぎゅーっとリトルデビルを抱き締めてやるワースへ瞳を細めて、ツララはふっと笑う。使い魔を思わせる大きな拗くれた角は妙な威圧感があったが、にこにこと術者にくっ付くその姿は、まるきり幼児のようである。本物のワースはどの角度から見てもイケメンであるが、リトルデビルが写し取った子供姿のワースもふくふくとした頬が愛らしい。片やイーストン魔法学校の成績優秀者で片や禁書だ。その辺の使い手にどうにかされるような二人組ではないが、大小の可愛らしい弟を見ればオーターが心配するのも無理はないかもしれない、とツララはひとり頷く。

「初めにキミたちを狙ってた時に言われたんだよ。研究室に籠もって出てこなくなったらどうしてくれるんですかって」
「はぁ……、その節は、とんだご迷惑を……」
「いやいや、あの鉄面皮のガチギレ顔ってあんまり見られないから楽しかったよ?」

きゃらきゃらと笑うツララを見ながら、ワースは若干引いた。オーターの「ガチギレ顔」というと余り想像は出来ないが、そりゃあまあ恐ろしい表情だろうと想像は付く。それを楽しかったと笑い飛ばしている時点で、やっぱり可憐に見えても神覚者のひとりであるのだろう。じりっと後退りするワースに気が付いてか、ソフィナが軽く手刀をツララに落とした。

「オーターの前に私の視線を気にして下さいね、ツララ」
「えー」

叩かれた額を抑えるツララの表情はいとけない。これ見よがしに擦った後、「そういえば、」とちっとも懲りていない様子で顔を上げる。

「オーターと一緒に暮らすんだって?あの偏屈、これでちょっとは穏やかになるといいけど」
「え、」

ワースは思わず目を見張る。何でそのことを。……いや、神覚者は週に1度は定例会議があって顔を合わせているのだから、知っていても不思議はないのだろうけれども。「鉄面皮」だの「偏屈」だの、オーターもオーターでだいぶ言われている。知らない一面を垣間見た気がして、ワースはちょっぴりだけ笑ってしまった。しかしその苦笑をワースの上司は良い意味では捉えなかったらしい。少しばかり堅い声で氷の神杖を呼ぶ。

「ツララ」
「はーい。ごめんて。別にオーターを嫌っている訳じゃないんだ。……さてワースくん、禁書くん、そろそろ懇親会が始まっちゃうや。いこいこ!」

言うなり背後に回って、ワースの背中を押す。ひんやりとした感触に、ワースは目を白黒させながら自分を誘う手に従った。
懇親会まで残っていた研究者のほぼ全員と名刺交換をしたワースは、数少ない貴重な名刺交換の必要がないカルパッチョに文句を言ういとまもなく、研究発表の延長戦かと思うような質問責めを受ける羽目になるとは、この時ちっとも思ってはいなかった。

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◆◇◆◇◆



ワースとリトルデビルの引っ越し荷物は、年齢相応に少ない。
なんせ、あの寮で1年と暮らしていないのだ。余計な荷物が溜まる余地がない。加えて研究に関する書物や論文の多くは禁書管理局所蔵であるし、なんなら研究費から新たな書籍も購入して貰っていたりする。となると自然、部屋にあるのは持ち出し可能な範囲の貸出し本やリトルデビルの教材と言語取得状況を記したノートくらいのものになる。禁書の実験に関する研究ノートは、内容が内容であるので、禁書管理局のソフィナが管理する禁書庫の中に一緒に収められている。毎回開けて貰うのは少々手間ではあるものの、術者を定めていない禁書との会話記録などもあるから致し方あるまい。寮室のセキュリティは、さほど信用に足るものではないので。家具類は既にオーターの部屋にあるから、と言われたので全て人に譲るか売り払った。なので二人の荷物はトランク1つと一抱えの段ボール1箱に納まってしまった。

「…………」

魔法魔力管理局の真横に聳え立つその建物を見上げて、ワースは微妙な緊張を感じた。研修で魔法局内の設備をひとつひとつ説明して貰った時、初めここが神覚者に与えられた居住とはちっとも気が付かず、魔法魔力管理局の施設の一部だとワースは思っていた。その割には柵で覆われているし一目で分かるほどの多重結界がされているから、よっぽど大事なものを収めているか特殊な施設なのかと考えたくらいだ。なんのことはない、柵は居住スペースと魔法局の境目を表していて、多重結界はオーターお手製の防犯魔法だ。そりゃあ、やばい気配がする訳である。大抵の人間は間違っても近付かない。うっかり入ってしまったが最後、一体どんな目に遭うか分からないからだ。そもそも目と鼻の先に魔法局がある神覚者の家に泥棒に入ろうという気概があるのならば、その蛮勇で以てもっと向いた職業に転職するべきだとワースは思う。

「リトルデビル」
「はーい!」

預かったオーターの家の鍵はリトルデビルに持たせている。ポシェットの中から出したそれを鍵穴に入れてくるりと回し、解錠した音がする。オーターは午後休を取っているはずだから、いまはまだこの家の中にはいない。なのにこう、なぜだかドキドキした。家主がいないのに家に入る背徳感と言うべきであろうか。単に同居に緊張しているのか、自分の心ながらワースには分からない。こちらへ振り向いたリトルデビルがにこっと笑い、ドアを引っ張る。

「とうちゃーく!」

部屋の中からぶわりと風が通り抜けた。薄暗い玄関からはオーターの香りのようなものがして、一瞬気がゆるむ。そしてすぐに、がっくりと肩を落とした。匂いを嗅いで色々と考えているだなんて、なんだかすごく変態くさい。

「ワース?」
「ん、いやなんでもない。ありがとなリトルデビル」

とりあえず段ボールを置いて、わしわしとリトルデビルの頭を撫でてやる。トランクの足を拭いてから、オーターに事前に渡された屋敷の見取り図を頼りに自分にあてがわれた部屋へえっちらおっちらと荷物を運ぶ。2階のその部屋はオーターの寝室とは隣で、窓からは魔法局の建物が見えた。

「うぉおお……」

恐らくワースが来る前に業者でも入れたのか、使っていない部屋という割に埃っぽさは皆無であった。しかしベッドに棚に机にと、どう見てもモデルルームをそのまま丸ごと買い取ってきたように揃っている。これ、新しく買いそろえていないか?しかも結構高級そうに見える。貴族の子弟として育ってきたワースの目から見ても、素材も手触りも良い。……良いのか?オーターはまだワースを弟のように感じている節があるが、ルームシェアと思うと、ちょっと良くないと思う。そもそも当初、この屋敷はオーターがそっくり買い上げてしまっているから、家賃は要らないと言われてしまったし、この時点でだいぶどうかと思っていた。なんとか家賃を受け取ってもらう形で話は付いたが、これだけの品を今のワースが支払えるかというと……出世払いでも良いだろうか。なんなら、分割払いとか。そう言って譲歩を迫るとお金を受け取ってくれないどころか、何かの折りに返そうと思っていたとか適当なことを言われて積立貯金化されかねない。……どうしよう、日頃のあの人を思うに、マジでやりそう。

「えーい」

ベッドの横に激突したリトルデビルがその弾力を確かめるように勢いを付けてベッドに飛び乗る。非常に可愛らしいが、そこはトランポリンではない。寮に置いていたベッドとは金額も使い心地も全く違うだろうが、早々に壊されては困る。

「こーら、リトルデビル。ぽよんぽよんしない」
「はーい」

良い返事である。むくりと起き上がったリトルデビルはベッドの上にちょこんと座った。ワースもそれに倣って一緒に座る。

「スゲーよなぁ……」

実家を勘当されて身ひとつになってから、お金のありがたみというのは嫌というほど知った。勿論ワースは個人口座にそれなりの金額が入っていたし、アベルからは「最悪の場合なんとでもしてやるからね」と豪語され、それを聞いたアビスに「わ、私も!力になれることならなんでも!」と励まされ、結局トントン拍子にインターンから就職まで出来てしまったから、直接的に金銭で困ったことはない。しかしこれまでさして考えてこなかった「物の値段」とやらを真面目に考えねばならない時、自分は貴族の坊ちゃんだったのだなと思った。しかしオーターもオーターで突然警察魔法学校をあっさり辞めて神覚者まで登り詰めてしまったひとである。どういう心境の変化があったのかは、詳らかには知らない。けれど他の神覚者を見るまでもなく、その試験は過酷だし、魔法局に入った後も激務だっただろう。そしてこんな大きな屋敷を買い取って、一人で暮らしている。

「…………」
「ワース、ぼく、本の形になっていた方がいい?」

見れば、瞳をキラキラとさせて胸の前でぐっと拳を握りしめる自分の魔導書がいる。この会話には覚えがあった。ワースは再び頭を抱える。

「…………一応聞くけど、どうしてそう思った?」
「んんーと、初日だし……?」
「初日から同居人がひとり足りなかったらびっくりされるだろーが」
「人間ではないし……?」
「なっまいき言う口はこれか!」

ふっくらとしたリトルデビルの頬をこれでもかと手で挟む。やられている側のリトルデビルは「ぷぇええ、」と微妙な悲鳴を上げた。主治医から指摘された通り、リトルデビルの語彙力はすくすくと育っている。それに伴い少々こまっしゃれたことを言うようになった。可愛いから許すけど。唇を潰すように頬を揉むのは、その際の定番のお仕置きである。もう彼の思考力に子供の姿は見合わないだろう。けれど頑なに子供の姿をとり続けたがるリトルデビルへの意趣返しでもある。ワースの姿なのだから、成長すれば子供っぽい丸みを帯びた頬だってすっと精悍になるだろうに。口を尖らせて抗議の意を示すリトルデビルの頭をポンポンと撫でてやる。

「人間じゃねぇけど、お前は俺の魔導書だろ」
「…………」
「いつも通りの格好でいられなかったら、どのみち同居なんか保たねーよ」

例えばあの完璧超人に見えるオーター・マドルの家事スキルが壊滅的であっても、楽しくやっていこうとワースは腹を決めている。であれば、ワースの魔導書のことも、大事な同居人の片割れとして認めて貰えなければ生活に支障も出よう。向こうに何も言われていないうちからリトルデビルを書籍の姿にしようとは思わないし、魔導書に好きな姿を取らせられないなら交渉しなければならない。妥協はし合うべきだ。相談もしないうちから相手の顔色を窺って引っ込めるのは、なんというか、ワースらしくない。

「そうかなぁ」
「そうなの。だいたい、オーターはそんなに心狭くねーよ」
「それは、……どうかなぁ」
「……おい、どういう意味だ」

リトルデビルはにこっと笑って黙秘した。ワースは眉を顰める。
リトルデビルは、かなり他人の感情に聡い節がある。最初はワースの魔導書であるからワースの感情をよく読んでいるのかと思っていたが、他の人間の機微にもよく反応する。オーターはあの通り無表情でいることの方が多いから、ワースには分からない瞬間はちょくちょくあるのだけれども。

(リトルデビルには、オーターがそんなに鷹揚としたタイプには見えてねぇってことか)

それは、単純にまだリトルデビルを「危険な魔導書」と見做しているだけではないだろうか。オーターは結構、かつてワースが認識していた時よりは、親切なタイプだと思うが。物凄く。
リトルデビルは頬杖をついてこれ見よがしにため息をついた。

「甘い、甘いよワース」
「おいそりゃ、どーゆー意味だ」
「ぼくの口からは言わなーい」
「んだとコラ」
「んひゅぅううう〜〜」

ぷにぷにの頬っぺたをむにむにと揉み、なんなら腹をくすぐる。リトルデビルはきゃらきゃらと楽しそうに笑い声を上げた。ちなみに、最初は擽ってやってもリトルデビルには「くすぐったい」という感覚が分からないらしく、首を傾げていた。しかしどこかで「親愛を込めたコミュニケーション」として学んだらしく、今は擽ると喜んで歓声を上げる。ひとは、……いや魔導書はここまで学習できるものかとワースは感慨深い。
ひとしきり戯れて、よっし、と身を起こす。荷物はさほどないから引越しは楽なものだが、台所や洗濯機などのワースが使いそうなものの確認くらいはしておきたい。

「リトルデビル」
「んぅ?」
「昼メシなにがいい」

リトルデビルは少し考えて、「ホットサンド!」と元気よく手を挙げた。ワースは小さく頷いて、頭の中で必要な材料と使いそうな調理道具を並べる。一般的な家庭にありそうなものであるが、これらの点検も必要か。

「よっし、さっさとお片付けして材料買いに行くぞ」
「はーい!」

その声はどこか、先ほどよりも弾んでいた。

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◆◇◆◇◆



アタシたちの中では「砂の神杖さま」と言えばなかなか良いお方である。
なんと言ってもイケメンだし。
それに毎回決まった数のシャツを決まった日に滞りなく出して依頼してくれるから。あ、そろそろかな?と思うと魔法局内の依頼に紛れてお名前がある。
脱ぎ散らかしてくしゃくしゃになったシャツを入れてくる貴族もいるところ、いつも几帳面にぴっしりと畳んでいる。いかにも秩序の番人らしい。パリッと糊の利いたシャツで歩いている姿を見ると、誰にともなく「アレはアタシがやったんだよ!」と自慢したくなる。

それが最近、クリーニングのご依頼をして下さらなくなった。なんでも、弟さまと暮らし始めたのだとか。
弟さまは家事がお得意でらっしゃるのだろう。ぴしっと背筋を伸ばした砂の神杖さまの姿は、アタシたちのとこに任せていた頃と同じくらいシワひとつない。

あーん、おばちゃんたちの憩いの依頼がなくなって悲しい!

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◆◇◆◇◆



その日のオーター・マドルは少し浮かれていた。

なんせ、待ちに待った引越しの日である。本当ならオーターも有給休暇を取りたいところであったが、神覚者の定例会議があったためワースに止められた。仕方がないので半休を取ることにしている。つまり、会議が解散になればそのまま帰れるという寸法だ。

「あ、オーター」

なので、この状況で呼び止められることは、正直なところ想定はしていなかった。オーターは眉を顰めた。
長い裾に顎さえ埋もれるほどのマフラーを巻いた少女と見紛うほど小柄な女性がそこにいた。とにかく目を引くのはここが極寒の地ではないかと勘違いするような服装ではなく、小ぶりな顔を覆い隠すような眼帯である。氷の神杖ツララ・ヘイルストーンは小さな身体に見合わないほどにはち切れそうな魔力が他人に悪影響を及ぼさないようにと、魔法的な意味でもガチガチにその身を固めている。

「……なんですか。こう見えて私はかなり急いでいるのですが」
「弟くんのお引越しでしょ。どうせ彼と禁書くんで事足りるのに、過保護だなぁ」

ひょこひょこと跳ねるように近付いてきたツララの方からひやりと冷風が舞い上がる。相変わらずの難儀な体質だ。もう慣れたといえば慣れたし、怯んでみせるのも同じ神覚者として彼女に気圧されているようで嫌だ。様々な感情を呑み込んでいつも通り、オーターは自分よりも低い位置の片方しか窺えないその瞳を見返す。

「ソフィナが呼んでくれた研究発表で初めて弟くんと会ったよ。大活躍だったね」
「………………」

禁書研究会の研究発表が先日行われたのは聞き及んでいる。なんせ、オーターは行けなかったのだから。仕事があったということもあるが、普通に知の神杖ソフィナ・ブリビアに止められた。「貴方が来ると目立ち過ぎますから」と。オーターがダメでツララが良い理由が分からない。
発表会のタイムスケジュールからしても、明らかにあの日の発表の目玉はワースであった。発表会と懇親会の間の時間が妙に空いていたのは質疑応答時間を繰り出す為であろう。まだなんの研究業績もないいち魔法局員相手にそんな扱いをするなんて異例中の異例だが、禁書「リトルデビル」のデータが公的に示されるのはあの日が初めてであるから仕方がない。ワースが聞かされていたかどうかは定かではないが、禁書研究に関わりのない学者も来る予定というから、発表から懇親会までそりゃあもうもみくちゃにされただろうことは想像に難くない。翌日ランチタイムで顔を合わせたワースの瞳がキラキラとしていたので、良い経験になったのだろう。

「……ということで、はいコレ、ワースくんに渡しておいてね」
「…………?」

少し厚みと重量のある包みにオーターは首を傾げる。ひょいと中を覗けば、綺麗に透明な袋で包装されたタイトルが同じ書籍が2冊入っている。……念のため、手に取ってみても魔力を感じないから、本当にただの書籍である。著者は、「ツララ・ヘイルストーン」。

「いやぁ、弟くんが、この氷の神杖ツララ・ヘイルストーンのサインが欲しいって言っててね!あの日は色紙とか持ってなさそうだったから、オーターに持たせるねって約束したんだ。後輩くんの分もね」
「…………」
「めちゃくちゃファンでって言われて、ちょっと照れちゃった」

うふふふふ、と身を縮めて笑うツララは、変に動いたせいで自分の冷気を浴びたのか、ぶるっと身を震わせる。……というか、知らないんだが、ワースがツララのファンだとか。確かにツララは自身の開発した魔法道具の利益を基金として研究者向けの支援を行っている。研究者としても、篤志家としてもそれなりに名のあるツララは学者や文化人の間で人気があるが、それにしたって。ファンて。どういうことだ。

「…………」

すっと視線を落とせば、『魔力回路とそのはたらき』というタイトルが目に入った。彼女の存在を魔法界に知らしめた学生時代の論文を含むツララ初の単著である。それなりに古い著作だが、この書籍は評価は高いし学術的にも価値があるからどこの図書館にもおいてある。なにもワースの手元にある必要もないだろう。これは、破棄しても、良いだろうか?
オーターが若干不埒なことを考えていると、目の前でぶるぶる震えているツララが端末を取り出し、ストトトトと何かを打った。そしてにんまりと笑顔をこちらへ向ける。

「弟くんにもオーターに渡したって連絡しておいたから」
「…………」

ホラこれ、とばかりにチャット画面をオーターへ向ける。ツララの事務連絡に踊るようなワースの返信がある。というか、いつの間に連絡先なんて交換していたんだ。なんとなくモヤモヤとしていると、背後からやってきたソフィナが腕を組んでため息をつく。

「はぁ。だから研究会に貴方は呼ばなかったんですよ、オーター」
「えー、すっごい楽しかったのに。ヤバかったよ、魔法動物学とか言語学は来るかなって思ってたけど、詠唱学とか魔法石の研究者まで来てた。謎に魔法陣技師も。みんな耳が早すぎる」
「…………………」
「それだけワースくんの研究は注目されていますからね」

ワースが所有する禁書「リトルデビル」が耳目を集めているのはオーターも認識していた。先日のイーストン魔法学校図書館の一件で禁書たちがコミュニケーションに使用しているのは音魔法ではないかと指摘したのはカルパッチョ・ローヤンだったか。その後のワースの実験で禁書達は音魔法「も」使用して相互のコミュニケーションを取っているらしいことは発覚したそうなのだが、音魔法だけで説明の付く事象ではないらしく、未だにその全貌は明らかではない。彼らにとっては生活魔法の一種のような位置付けであるから、人間側の興味に対していまいち反応が悪い、ということもある。ちなみに、魔法を使うことが出来る生物であればある程度まで「リトルデビル」の音によるコミュニケーションが可能であることが分かった。ただし音を受信する側の状態に依拠するらしく、禁書曰く「あんまりよわい子とやると、こわれちゃう」のだそうだ。禁書を手に入れた頃、「子供の頃から禁書の声らしきものを聞いていた」と証言していたワースを思うと、正直オーターとしては言ってやりたいことが山ほどあったが、今のところは置いておく。ともかく、出力を抑えた音魔法は禁書達が殆ど使わない方法らしく、「リトルデビル」も随分と習得に手こずっている。元より禁書は、扱える魔法が魔導書より威力が高いことで呼称される書籍の一分類だ。「出力を抑える」事自体、彼らの本分にはないのかもしれない。今のところ「リトルデビル」の実験中に死亡したり魔力酔いのような異常状態になったものは人間・動物含めて誰もいないが、オーターにしてみればぞっとしない話である。四六時中、ワースがそんな危険なモノと共にいるなんて。

「……ツララ、貴方のワースの研究の所感は」
「うん?……ううーん」

ツララは腕組みをして首を傾げる。

「とにかく驚異的。それ以上はまだなんとも。魔法研究管理局局長なんてやってなかったら、共同研究申入れてるね」

ちらりとツララはソフィナを見る。笑顔に微妙な威圧感があるから、禁書管理局的には共同研究はNGらしい。オーターもこれ以上ワースが忙しくなるのは勘弁して欲しいので全面的に同意である。自分に向けられている厳しい視線に気が付いてか、ツララは両手を挙げて降参のポーズをした。

「分かってるってば、もう。……研究者としてすっごく魅力的な分野ってこと。音と光はとにかく速度が速い魔法だけど、ここに情報を載せて外部から探知できないラインを構築するだなんて、今まで誰も確立したことがない技術の筈だ。現状の技術ではどうしたって痕跡が残る。現状そこまでの高精度は禁書間だけみたいだけど、再現出来ればそれだけで技術革新は約束されたようなものだ。コミュニケーションツールと考えたって、魔法動物研究者にとっては研究対象と会話できるだなんてロマンでしょ?カーバンクルなんて激レアで特殊な魔法動物とはいえ、間違いなく成功している。アレを現行の音魔法で応用できたら、って思うとワクワクするよね。それに対象が特殊な魔導書だって言っても、この短期間で言語取得させるだなんて、そのルポだけでも相当に面白い。証言レポートだけでもまとめてくれないかなぁ。もとより人間の言語で書かれた魔導書だからか?はたまた術者との繋がりが禁書の言語野発達を助けたのか?単にあの禁書がそういう性質を持つのか?考えるべき論点は尽きないもん」

物凄く長い。ひょっとすると、これだけのマシンガントークをかますツララは初めて見たかもしれない。……まぁ、ひとえにオーターが研究分野に関心がないのが原因であるが。ひと息に言い切ったツララは、「けど、」と言って肩をすくめる。

「最大の問題点は、あの禁書の魔法出力にワースくんの身体がまったく追い付いていないこと」
「…………」
「というか、あの禁書の最大出力だと、ソフィナほどの禁書使いでも扱えるかどうか微妙。三本目のアザが浮かんだってワースくんには無理かも知れない。……あ、これは実際に禁書くんに触ってみた所感ね」

ぶるっと身を震わせたツララは長い袖口で頬を擦る。その仕草を見ながらオーターは腕組みをした。
ツララの指摘は、正しい。オーターも禁書に膝の上に乗られたり抱っこをせがまれて胸に抱いたことがあるが、アレは先の見えない底なし沼のようだ。ワースのセコンズに干渉する力がある、というのもあれならば頷ける。
洞窟から禁書を取り出して以降、ワースには定期的に検診をさせている。目的は勿論、未知の禁書の影響を確認し、必要であれば引き剥がすためだ。墓所管理局の出向時に入院した際、ワースの魔法回路には負荷が掛かって出力する魔力量も上がったが、逆に言えばそれだけで、「禁書使い」になった前後でワースには大した変化は見られない。ソフィナと戦闘訓練をして魔導書を用いた戦い方を教え込まれてはいるが、言ってしまえば伸びたのはその技術のみだ。勿論禁書の活用という意味では重要なことではあるが、当初手に入れた禁書の影響で魔力出量も相当伸びると予想されていたにしては、余りにも伸びが少ない。考えられる原因は、ひとつだけである。
禁書「リトルデビル」自体が、あまりワースの魔力出量を伸ばすのに積極的ではない、ということだ。それは取りも直さず「読まれなくても良い」と禁書自身が考えているということにもなるだろう。その要因はいくつか考えられる。あれだけべったり生活していれば禁書の術者に自身を読んで欲しいという承認欲求染みたものも落ち着いているのかもしれないし、魔力の質なのか本人の魂とも呼べるモノなのかを気に入っているだけで自らを扱いきれない術者とワースを認識しているのかも知れない。禁書は術者を深く愛するものだから、単純に術者に負荷を掛けるのを嫌っているだけとも考えられる。いずれにせよ、ツララをして「ソフィナでも扱えないかも」と言わせる禁書を軽々にワースに使わせたいとは思わないので、オーターとしてはこのまま禁書を読めない状態が継続してくれた方がよほど良い。

「……なるほど」
「さすがはツララ、と言いたいところですが、少し分析が甘いですね」
「なんだって?」

口元に笑みを浮かべたソフィナとは対照的に、言われたツララは口をへの字に曲げて見せる。

「貴方が考えるよりも、禁書と術者の関係は複雑である、という話ですよ」
「そう?確かに禁書くんは今までにない魔導書だと思うけど、ワースくんは特別にこう、って程じゃなくない?そりゃあ器用な方だと思うけど、そんな2本線なんていっぱいいるし」
「そうかもしれませんねぇ」
「なにそれ、すっごく気になるんだけど」
「逆に、私がリトルデビルくんを使う方が難しいですよ。間違いなく、禁書が認めた正しい使い手はワースくんなんですから」
「………………」

ツララは、口に出していないまでも不満げにソフィナを見る。オーターは2人のやりとりを静かに見守っていた。ふっとため息のように息を吐き出したのはソフィナの方だった。軽く肩をすくめる。その姿は何かを確信しているようであった。

「心配しなくても、そのうちにワースくんはちゃんとリトルデビルくんを扱えるようになります。その為の戦闘訓練ですから。ね?」
「そう?……まぁ、いち研究者としては禁書くんの実力って奴を見てみたいところあるからね、楽しみにしてる」
「…………」

不敵に笑うソフィナには、そう言い切るだけの自信があるのだろう。オーターは俯いて眼鏡の位置を直した。きっと多分、「弟が実力を伸ばすのを喜べる兄」というのが、世の中的には正しい姿なのだろう。どうにもオーターには少し難しい。弱くあって欲しいとはとても考えていないし、実際ワースはそれなりの実力を持った魔法使いだ。それでも彼の危機にはいつだって一番に駆けつけてやりたいと思う。そして出来れば……、叶うことならば、オーターが展開する砂の外には、あまり飛び出さないで欲しい。これから禁書「リトルデビル」の研究を通じてツララ以外にも、それこそオーターが知らないような研究者とも親交を結んでいくと思うと、叫び出したくなるような焦燥感があった。彼の研究を手放しで応援できない自分に、聡いあの子はきっと気が付いている。
オーターはゆっくりと眼鏡の位置を直した。

「……確かに書籍は受け取りました。あまり、うちのワースにちょっかいをかけないように」
「オーターこそ、中途半端に兄貴ヅラしないように気をつけた方が良いんじゃないの?」

ぴしり、とオーターの動きが止まった。

「こら、ツララ」
「知ってるんだからね、オーターの家政能力が底辺だって。ワースくんの研究がオーターの世話で滞ったりなんかしたら、許さないから」

よくよく考えれば、ツララの顔は笑っていたと思う。恐らく、妙に浮かれているオーターを揶揄っただけのこと。この程度の軽口は、神覚者同士であれば日常茶飯事である。

「………………」

心当たりしかなかったオーターにとってその軽口はあまりにもクリティカルヒットであった。ただ、それだけの話なのである。



***



魔法魔力管理局の隣に、全く同じ様式、全く同じ建築の屋敷が聳え立っている。真っ黒い柵に覆われ、その周囲には、分かる人間には分かる程度にぐるぐると砂嵐のような結界が渦巻いていた。数年に一度程、うっかりした新人が魔法魔力管理局の建物と勘違いして周辺をウロウロして先輩に怒られる、なんてイベントが発生する、砂の神杖オーター・マドルの居住である。
結界の内側に2人分の魔力を感じる。ひとつはワースの、ひとつは禁書のものだ。彼らの魔力は既に何度も見ているから、事前に結界の排除攻撃外に設定してある。中からは物や人が動いている気配はない。朝から引越しをしている筈だから、もう概ね済んでいるのだろう。
緊張で身体が硬くなる。他人がいると分かっている家に帰るのは、ひどく久しぶりな気がした。
オーターは自分の鍵を取り出して、鍵穴に差し込む。ざわざわと周囲に展開していた防犯魔法が反応し、オーターの魔力を検知して解錠される。ゆっくりと、緊張しながらドアを開くと、ふわりと風が駆け抜けた。

「……も、どりました」

帰宅したら、なんと言うのだったか。昨晩までシミュレーションしていた筈なのに、ちっとも上手く声は出なかった。少し離れた遠くの方から「おー」とか「おかえりなさい」だとか、賑やかな声が聞こえる。声のした方へ足を向け、扉を開くと、なにやら食欲をそそる匂いがした。見ればオーターが普段荷物を置いたりすり抜けたりするだけに使っているダイニングテーブルの上には大きな皿にホットサンドが並べられ、子供用と大人用のマグカップが置かれていた。チーズを噛みちぎっていたワースは手を上げ、丁度1つ食べきっていた禁書はにこにこと、再度「おかえりなさい」と言ってくる。1人と1冊のくつろいだ様子にオーターは若干たじろぐ。しかし眼鏡の位置を直して、ゆっくりと言葉を返した。

「もどりました」
「ちがうよオーター」
「……?」
「おかえりって言われたら、ただいまってかえすの」
「おいおい待て待て、オーターの返事は間違っちゃいねぇぞ。「ただいま」は正式には「ただいま戻りました」とか「ただいま帰りました」だから」
「そうなの?」
「そうなの」

言いながら、ワースは手を拭く。
なるほど確かに、禁書がワースを出迎えることはないだろう。禁書庫ほどの設備があるならともかく、術者として放置しておくなどあり得ない。禁書が人の出入りでの挨拶を聞いたことがなくとも無理はなかった。しかし、家族間のこんな細かいやり取りも教えているのか。ワースが使用しているテキストはすべて目を通しているつもりだったが、まるきり大人と子供の会話に驚嘆する。

「おかえり。昼飯あるけど食う?」
「……ただいま、帰りました。折角なので頂きます」
「おー、手ぇ洗って来な」

言いながら、ワースは食器棚を漁る。全く見覚えがないマグカップが現れてオーターは少し驚いた。この数時間の間に、この屋敷にあまりにも馴染みすぎている。コーヒーメーカーからホットコーヒーを注ぎ、「ミルクと砂糖は?」と聞かれたのでどちらも辞退すると、ちょうどワースの正面の位置にカップは置かれた。それから、ホットサンドを取り分ける用の皿も。冷蔵庫を開けてボウルを取り出し、そこに入っていたサラダを小さな皿に盛り付けているワースの背中を不思議な気持ちで見つめていた。しかしハッとする。

「お金……」
「いやだから、いいっつーの。家賃ほぼ持って貰ってるようなもんじゃん」
「ワースとね、いっしょに作ったのよ」

にこにことした禁書が順にホットサンドの中身を説明する。半分に切られているから、断面図を見ればだいたい分かるが、一生懸命話している姿は素直に可愛らしい。……もちろん、危険な禁書であることは分かっているのだが、どうにも毒気が抜かれる。
オーターも席についてチーズとハムのホットサンドを選んだ。丁度帰宅した時にワースが食べていたものだろう。囓ると、想像よりもチーズが伸びる。絶妙な塩味、ハムのうま味、そしてカリカリに焼かれたパンの甘み。シンプルなホットサンドは、それだけで確かに美味しかった。オーターは目を丸くして、手元のコーヒーを啜る。こちらもまた、いつも飲んでいるよりも苦みと酸味が引き立っていて香りも良い気がする。

「あ、そういえば台所のもん勝手に使っちまった」
「ここはもう貴方の家なので、中にあるものは何でも勝手に使って下さい……」
「おー」

言いながら、もうひと口コーヒーを啜る。気のせいかと思ったが、やはり明らかにオーターが淹れるよりもこのコーヒーは美味しい。同じコーヒーメーカーを使っているはずなのに。密かにショックを受けた。目の前ではにこにことしている禁書が2つ目のホットサンドを頬張っている。そりゃあ、禁書だって笑顔になろう。これだけ美味しければ。コーヒーメーカーだって粉を入れて設定すれば起動するのに、何がどうして味に差が出るのだろう。ソフィナもツララも、ワースを「器用だ」と評していた。オーターもそう思う。その器用さが、食事ひとつにとっても発揮されるだなんて。ツララの言葉がずーんと肩にのしかかる。彼女の指摘の通りにオーターは家事全般がほぼ出来ない。出来なくても生きて行けたからだ。なんなら、野営の方が得意である。あの禁書を使いこなして欲しくもなければあまり忙しくして欲しくもないので、ワースの研究が滞るのは願ったり叶ったりではある。しかしそれが自分の生活能力のなさに起因するものとなると、少々頂けない。ワースにダメな奴と思われたくない。これはプライドの問題である。
……しかし、本当に美味しい。食べ終わってしまった手と皿を見て、オーターは顔を上げる。昼飯など抜いてもいつもは何も感じないはずなのに、目の前にずらりと並んだ別の具材を挟んだホットサンドが余りに魅力的過ぎる。

「……その、もうひとつ、良いでしょうか……?」
「あー?……良いも何も3種類あるから、あと2つは食べたら?」

こっちとかこっちとか食ってねぇだろ、とワースは中を覗き込まずに指さしてみせる。さすが作った本人である。オーターは有り難く2切れを自分の皿にキープしてゆっくりと味わう。薄く塗られたマスタードと厚焼きの卵の優しい味が、これまた絶品である。どうしよう、すごい。不意に、別れ際のツララの言葉が蘇った。確かに自分にはこんな料理は作れない。ワースに世話を焼かれすぎないには、どうしたら良いのだろう。

「……あ、そういえばツララからの預かり物です」

机にあったホットサンドを全て食べ切り、ワースがコーヒーを嗜んでいる隙を狙って、机の上に紙袋を置く。丁度コーヒーを啜っていたワースは声に出さないまでも瞳を大きくさせた。

「マッジか!」

瞳をキラキラさせながら書籍を引っ張り出して、1ページ捲る。そこには「ワースくんへ」或いは「カルパッチョくんへ」という定番の名付けとツララのサインがある。見事自分の名前の方を当てたのだろう、ワースが捧げ持ちながら「ふゎあああ……!」と歓声を上げている。それをどことなく嫌そうに禁書は見守っていた。

「本物の、氷の神杖の、サイン本……!」
「貴方がそれほどツララ贔屓とは知りませんでした」
「少年少女みんなツララ様のことは好きだろ……!」

それは、流石に、どうだろうか?
オーターは腕組みをする。まあ彼女は難病の治療開発にも力を入れていて、積極的に医学系の研究支援も行っているから、あれだけの研究バカぶりであっても敬意を向けられている人物ではあるが。ワースに敬愛を捧げられるほどの人物であるかと言われると、そこはだいぶ待ったをかけたい。……サイン本を抱き締めるワースを思えば、墓地管理局出向が決まった神覚者会議の際、強めに研究管理局への出向を妨害して良かった。何か罷り間違っていたら、ワースは禁書管理局よりも研究管理局を選んでいた可能性がある。本当に辞めてほしい、あの、変人の巣窟に可愛いワースが放り込まれるなどと。
ストトト、とワースは慌ててメッセージを書いている。おおかたカルパッチョにも連絡を取っているのだろう。少し妬ける。

「……そういえば、どうでしたか、研究発表は」
「んんー……めちゃくちゃ参考になった、けど、」
「けど?」
「超疲れた。なんか、一生分名刺交換した気がする……」
「そうですか」

あんまりな言いように笑ってしまう。残念ながらワースは今後も「一生分名刺交換した気がする」を更新し続けるだろうが、そこはあまり触れないでおこう。

「次は、私も行きますので」
「うげぇ」
「そう言わずに是非誘ってください」

ワースの招きと聞けばソフィナも妨害出来ないだろう。ワースは何やら唸っていたが、聞こえないふりをしておく。

「……ソフィナさんとツララさまはともかく、アンタまで来ると神覚者来すぎじゃねぇ?」
「入場制限はないので良いのではないですか?」
「そういう問題か……?」
「そういう問題でしょう」

確かに同僚たちが集まると周りの人間が少し引くところがあるが、正直言って、それなら毎週行っている会議はどうなるのかと言いたい。オーターにとっては、仰々しい呼び名こそ受けているが、ただの同僚である。同じく面倒な仕事を任されているだけの。
ワースはふと手を伸ばして禁書の頭を撫でる。飲み終わったのかマグカップの柄を辿っていた禁書は、若干体を揺らしながらその手を受け入れた。ふっくらとした頬がはにかむ。

「次の発表は全部コイツ次第だから」
「ぼく?」
「そ。実験がさくさく進まなきゃ基礎データ取れねぇからな。頼むぜリトルデビル」
「はーい」

元気よく手を挙げる禁書の動きは、本当にそこら辺にいる子供と大差ない。そのやりとりを見ながら、オーターは静かにコーヒーを啜った。



***



オーターが帰ってきた頃には、ワース向けに準備した部屋には荷物を運び込み、殆どの収納を終わらせていたらしい。1階に居たのは、昼食を作るためと、備品の確認の為だったそうだ。脱衣所の隣にあったらしい洗濯機とすぐ側の収納棚に掃除機について「アレ使っても良いか?」と聞いてきた。良いも何も、そもそもそんな道具があったなどオーターは知らなかった。家の備品なので、勿論問題ない。ついでに言えば一応使えそうらしい。よかった。
オーターのすかすかな食器棚に寮で使っていた食器を順に並べていたワースは「あ、そうだ、」と言った。オーターも皿を包んでいた紙を剥ぐ手を止める。時計を見れば、もうじき3時だ。

「退寮の書類、出しにいかねぇと。ついでに禁書管理局よって、住所変更の書類出してきて良いか?」
「構いませんけど、役所への提出終わっているんですか?」
「それは朝一でやってきた。寮の方は寮役員の仕事の関係で、3時以降5時まで、って言われてんだわ」

残りの食器類をさくさくと収めて、ワースは禁書を呼ぶ。昼食に使った食器を洗っていた禁書が、手を拭きながらひょっこりと現れる。ちらりと見れば、水切り籠に3人分の食器が綺麗に収められていた。瞬間、オーターはぎくりとする。いつも洗うとしたらマグカップ1つだけが多い自分は、あれだけ綺麗に洗って並べられるだろうか。ちょっと無理かも知れない。子供の姿の、実際に家事はワースと出会って数ヶ月しかやったことのない禁書でさえ、オーターよりも皿洗いが上手い。ワースの指導力を褒めるべきか、真剣に悩む。

「退寮の書類出しに寮行って、禁書管理局に顔出しに行くけど付いてくるか?」
「……?」
「オーターが居るから、留守番したいならここに居ても良いっちゃ良いんだけど」

ちらりとワースがこちらへ窺うような視線をくれる。ぱちぱち、と禁書は瞬きを繰り返した。オーターも思わず同じ動作をする。ワースと禁書は常に共に行動していた。それは禁書の術者として魔導書を手放さないという意味合いだけではなく、禁書の盗難防止の為である。禁書がそうやすやすと連れ去られることはないが、万が一に備えるのも術者の責務である。ただ、確かにこの屋敷の中に限れば、オーターの防犯魔法が掛かっているから、たとえ大泥棒であっても侵入を許さない自信があった。ただ、もとよりオーターは禁書へ良い感情を持っていない。そんなオーターに禁書を任せて良いのか。そんな気持ちでワースを見、禁書を見る。キョトンとした瞳で禁書に見つめ返されて、オーターは身じろぎした。やましい事はないはずなのに、なぜか後ろめたい。

「……連れて行きなさい。貴方の大切な魔導書でしょう。何かあった時に頼りになるでしょうし」

眼鏡の位置を直しながら、そう嘯いた。魔法局内部で危険な目に遭うことはまずない。ただ、幼い頃のワースと同じ顔をした無垢な瞳に晒されるのはオーターが耐えられそうになかった。

ワース所有の禁書を、自分はどう思っているのか。

これは、共に遊園地へ行って以来、考えてもなかなか答えが出ない問いかけである。
術者に従順な、良い魔導書だと思う。禁書としての能力も申し分ない。けれど、心のどこかで、上手に受け止めきれずにいる。それは幼少から禁書に取り憑かれていたことにも気が付かなかった不甲斐なさからか、ワースに1番近い席を独占されている嫉妬心からか、言語化は上手くいかなかった。
玄関まで見送りに出ると、小さなその足に見合うサイズの靴を魔法で作り出した禁書は、くるりとこちらへ振り向く。

「オーター、いってきます!」
「……?……はい」
「いや、そこは行ってらっしゃい、だろ」
「……あ」

なんだか、バツの悪い気持ちがして、オーターは肩を下げる。そうか、禁書の情操教育。ごっこ遊びの一環と思っても、慣れない。
しかし禁書はめげずにニコニコと微笑む。

「じゃあね、オーター、もっかいやるよ。……いってきます!」
「……行ってらっしゃい。2人とも、気をつけて」

言葉は、滑らかに出せただろうか?
取り敢えず納得はしたらしく、禁書が大きく手を振って、ワースと手を繋いで扉から出ていく。

「…………?」

その姿に、じんわりと胸の奥の熱が増した気がした。



***



「さて……」

オーターは一人きりになった屋敷で、静かに頷いた。
ワースと禁書が戻るのは17時頃だという。つまり、2時間ほど猶予がある。ぐるりとオーターは部屋の中を見渡した。ワースが来る前に業者を入れて掃除はしたし、使った食器は禁書が片付けた。つまり、オーターが何かするべき家事は今のところ、ない。……が、折角引っ越し初日なのだし、自分も何かをしたくなった。ワースと禁書が作った昼食が思いの外おいしかったということもある。何かしら、返したい。

「…………」

とはいえ、野営の運営はそこそこ覚えがあるが、こと市街地にある家の中で行う家事はちっとも行ったことがない。けれど、まぁだいたい野外と同じだろう。妙な自信と共に、とりあえずオーターは買い出しに出ることにした。出来そうなレパートリーと言えば魔獣の丸焼きや大人数で食べる煮込み料理だろうか。さすがのマーチェット通りでも魔獣1体丸ごとは売っていないだろうから、必然的に煮込み料理になる。ハッシュドビーフなど、どうだろうか。あの小さい禁書でも食べられるし、これまで共に取った昼食のメニューからして、ワースもデミグラスソースに苦手意識はなさそうであった。問題ないだろう。少しばかり浮ついた気持ちでオーターは屋敷を後にする。肉と、タマネギと、マッシュルームと。トマトがあったら尚良い。デミグラスソースを作るのは野営でもしないから、ルウで良いだろう。目に付いた商品をひょいひょいと購入していく。ハッシュドビーフに合わせるとしたら定番の丸パンだろうか。店で出てくるようなバターライスでも良い。ついでに気分が良いので、ワースと自分用にワインでも1本買おう。あの小さな禁書は、ぶどうジュースくらいなら飲めるのであろうか。魔力が籠もった食品であれば食べられるとの話だったが、実のところ、この魔法界で魔力が全く含まれない食品を探す方が難しい。魔力的にも発展途上の子供向けには成長促進目的で魔力の多い食品や補助食なども多いから、成分表示をじっくり見ずとも、禁書が口に出来る物は多いだろう。ふと、自然と禁書を気にして材料を選んでいる自分に気が付き、オーターは壁に頭でもぶつけたい気持ちになった。……いや、実際ぶつけたりしないが。
大きくため息をついて、眼鏡の位置を直す。
だって仕方がないだろう。アレがどうにも危険なものと分かっていても、見た目はまるきり小さな弟だ。もちろん頭にねじくれた角なんて余計な付属物は付いているが、それでも。顰めっ面ばかり取っているのは難しい。

「…………」

当初思い描いていたように、いつかあの禁書をワースから引き剥がして、禁書管理局に納めるようソフィナ・ブリビアに要請する日が訪れるのだろうか。そのような判断を下す自分の姿は、あまり想像したくはなかった。ただの禁書であるはずなのに、随分とまぁ、ほだされている。

「…………」

とりあえず目に付いたワイン専門店に入ったオーターは、ワースと飲むワインに当たりを付けると、手前の棚を陣取っているノンアルコールコーナーを睥睨する。その中にある子供向けのぶどうジュースのラベルをじっくりと見ながら、デミグラスソースのルウを選んだ時よりも遙かに時間を掛けて1本選び出した。



***



思ったよりも買い物に時間を掛けてしまったかも知れない、とオーターは思った。
一人で持つにしては少々多すぎる荷物は、例によって砂魔法で雑に抱える。紙袋は砂の粒子に支えられて、はたはたと風にその身を揺らした。砂の神杖が魔法局敷地内にある屋敷に住んでいることは、この辺の人間であれば誰でも知っている。それが抱えきれないほどの食材と共に歩いている姿は一種異様であった。

(………まぁ、まだなんとかなりますか)

ちらりと時計を見ると、ワースが戻ると言った5時になるまであと1時間あるかないかくらいか。自分がいざ野営をするとなったらどの程度食事の準備に当てていたかは定かではないが、簡易テントを張って周囲に魔獣避けの結界を作り、火を焚いて調理をするのに1時間程度だろうか。であれば、問題なかろう。
ほくほくと屋敷のドアを開いたオーターは、気が付いていなかった。
それはあくまでも、魔法を存分に振るい放題の野外だから出来ることであって、彼は家の中にある鍋の位置ひとつ、把握していない、ということを。屋内で風魔法による食材のカットは、実質的に不可能である、ということを。

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◆◇◆◇◆



砂の神杖は、時々この店にやってくる。

本人が平然としているから、こちらがあまり注目するのも悪かろうと思って、そういう日はレジでカタログを読むことにしている。大抵はギフト用に包むように頼まれるから、梱包資材がきちんとあるのを横目で確かめながら。

ただその日は、いつもと少し毛色が違った。

いつも素通りするはずのノンアルコールコーナーに足を止め、いつもよく見るワインコーナーに足を運び、そこから一本も選ばずに再びノンアルコールコーナーへ戻って来た砂の神杖は、じっくりと時間をかけてぶどうのジュースの成分表示を見ている。見ないふり見ないふりとは思っていたものの、思わずダラダラと汗が流れる。なんの変哲もないジュースの筈だが、何か危険な品でも仕入れてしまったか。
結局いつものように無駄な話をしない砂の神杖はよく選ぶワインボトルとずっと手に持って考えていたぶどうジュースを購入した。珍しく、自宅用に。

……念のため1本空けてみたが、全然なんの変哲もない、ただの美味いぶどうジュースだった。
砂の神杖が何を思ってあそこまで熟考していたのか、庶民のオレにはさっぱりだった。
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◆◇◆◇◆



いつものようにリトルデビルを抱え込むように乗せ、ワースは箒をかっ飛ばしていた。何のことはない、寮長はじめ寮役員に出寮を惜しまれ、それはもう物凄く惜しまれ、なんだか微妙にキナくさい派閥への勧誘を受け、「家で砂の神杖が待ってるんで!」と言い切って逃げて来たのである。そのままダッシュで住所変更の書類を禁書管理局へ提出して本日の受付に滑り込み間に合った。いや、別に出勤日に出せば良いと言えばいいが、一応ワースは特殊な許可を得てリトルデビルを帯同しているから、所在地が変わったのなら早めに出しておいた方が、その、各所からのイチャモンを付けられにくい。高々それだけの話ではある。引っ越し当日に間に合わせたかったのだ。

(び、びっくりした……)

「禁書に取り憑かれている禁書使いの方が禁書管理局の局長に正統だと思わないか」とか、間違っても人目があるところで話す話題ではない。寮役員室だって、あの警備っぷりでは人前とさして変わらないのだから本当にやめて欲しい。……というか、思わないからワースはソフィナの指導の下、今まさに禁書の扱いを学んでいるのだが?こっちを何だと思っているんだ。
もちろんワースは住所変更届を出してから速やかにソフィナへ報告をした。下手に時間を空けて有らぬ疑いを掛けられても困る。

(やべー奴っているんだな……)

そういえば禁書管理局と人材管理局は結構貴族間の縄張り争いが激しいと聞く。それで神覚者を引き摺り下ろそうとするのもどうかと思うが、ワースを巻き込まないで欲しい。
ソフィナは平然と「あらまあ」と言っていたから把握していた節がある。……そうすると、若干見えてくるものがあるような気がして来る。

(もしかしてソフィナさん、オーターに同居とか薦めたかな……)

今日話した不穏分子に巻き取られない為とかなんとか、そんな感じの大義名分を付けて。思い返してみれば、同居を提案した時のオーターは少しおかしかった。珍しく落ち着かなさげというか、話運びがやや強引というか……。家賃をどうするかとか家事分担をどうするかなんかは、同居を考える上での最低条件である。それもちっとも考えていなかった様子で、意外とのんびりしてるんだな、と思ったが、アレは元の提案がソフィナのものであったから、オーターにも考えが及んでいなかったのではないか。局内の危険な若手から物理的に距離を取らせ、砂の神杖の後ろ盾があることを分かりやすく示す。いかにもソフィナが考えそうな手である。

(……ま、なんにせよありがたいのには変わりないな)

もしも真実そうだとして、ソフィナの要請を受けて提案してくれたのはオーターだし、リトルデビルと相談して引っ越しを決めたのはワースだ。……ま、リトルデビルはあのレストランで、書籍の姿であるにも関わらず鞄から這い出て身を乗り出すほど乗り気で、家に戻って話し合った時も始終はしゃぎまくっていたのだが。つまり背後に一体どんなソフィナの意図があろうと、ワースとしてはまさに渡りに船、リトルデビルも喜ぶのであれば、特に拒否する理由もないのである。
とはいえ、始めからヤバそうな連中は教えておいてくれたら楽なのに、自分で嗅ぎ分けろということか、変な先入観を持たないように伏せているのか、知の神杖の考えることはワースには全く分からない。

「ただいまぁ……」

若干げんなりとしたワースの横で、リトルデビルが元気よく「オーター、ただいま!」と跳ねるように言う。オーターとの挨拶が余程楽しかったように見える。しかし残念ながら、オーターの声は返ってこない。2人で顔を見合わせて、首を傾げた。

「あれー?」

言いながら泥魔法で作った靴を消してトタトタとダイニングに続く扉へリトルデビルは走る。くっそ、便利な奴。
ワースも慌てて靴を脱いで追うが、そこに広がった情景に、ぴたりと足を止めた。

「……なんじゃこりゃ」

泥棒でも出たと言われた方がまだ納得できるほど、つい数時間前に昼食をとったダイニングテーブルには砂が溢れ返り、椅子はひっくり返り、どこから取り出したかも不明瞭な調理器具が散乱していた。
ぱちぱちと瞬きを繰り返すリトルデビルが台所を指差す。

そこには、呆然とその場に腰を下ろしているオーターがいた。

彼の周囲だけ綺麗に丸く砂がない。……あ、あと食器棚のところも。まるで咄嗟に盾でも作ったかのようだ。

「お、オーター……?」

びくり、とオーターの肩が大袈裟なくらいに跳ねた。ちょっぴり迷う。どう考えてもこの惨状はオーターの手によるものだろう。茶色い砂に混じって気が付かなかったが、よく見るとほんの少しだけ砂で切られたような玉ねぎも転がっていた。……いや待て待て待て、もしも魔法で玉ねぎを切ろうとして狭い室内で失敗したと仮定したとて、玉ねぎって皮のままいくか……?もしかして皮も魔法で剥く気だった……?そんなことあるか……?つーか、部屋の中でんな大掛かりな魔法を……?
実のところ、オーターの家事能力が壊滅的であろうことは想定していた。妙に生活感のない屋敷にハウスクリーニングを入れた痕跡のある部屋なんて見たら普通そう思うだろう。洗濯機や掃除機の使用許可を願い出れば不思議そうな顔をされたから、あれは絶対用具の位置も知らなかったと見た。洗濯機なんか脱衣所のごく近くにあったのに。コーヒーメーカーには使った跡があったがカトラリー含め食器はほとんどなかった。外食はしていると言っていたが、……固形の補助食をコーヒーで流し込む生活だったりしないだろうか。魔法魔力管理局は長期出張もあるし宿のある地域に出るとも限らないので野営はするし、テントを張ったり出先で食事を作ったりなどはするのだろうけども。
物凄く、バツが悪そうな表情でオーターは視線を床へ下げた。喉元まで「アンタ、イーストンの寮生活をどう乗り切ってきたんだ」と言葉がせり上がるが、思いの外しんなりと肩を下げている様子にワースの勢いも萎む。例えて言うなら、耳を下げて尻尾を丸めている犬。こちらがまだ何も言っていないうちから深く深く反省している。相手は神覚者への切符を怒濤の勢いで掴んで以来、魔法局でバリバリ働いていた天才である。日常生活のいくつかで出来ないことがあっても、それはまぁ……致し方ない、のかもしれない。正直この様子で食生活がどうなっていたのか質問したい気持ちに駆られたが、今ここで問う話でもなかろう。ワースとて「無邪気な淵源」の事件依頼、心をだいぶ入れ替えて様々なことに手を出してきたつもりだから、それを思えば家事のひとつやふたつやみっつやよっつ……。
そこまで考えて、ふっとワースの口から息が洩れた。口元には小さく笑みさえ浮かんでいる。

「……アンタにも、出来ないことってあったんだなぁ」
「その……不甲斐ない限りで……」
「いや全然、むしろ良かった」
「……?」

最高級の調度品に、物凄く職場に近い立地、そして考えられる限り最強の防犯。
これだけの住まいにつり合うような対価を、ワースはこれっぽっちも持っていない。この屋敷に居て良い程の「価値」は今の自分には全くない。それを思えば、早晩ワースは気鬱になっていただろう。対価として家事がつり合うかどうかはともかく、少なくともワースにもこなせる役割があるのはありがたいことだ。

「家事全般は俺の仕事な。家賃代わりってことで」
「いやでも……」
「俺の方が帰り早いし、丁度いいだろ?それに……」

服か雑巾か分からなくなった状態の布に視線を落として、ワースはふっと笑う。

「何事も助け合い、なんだろ?」

掃除洗濯その他諸々、確かにこの屋敷は広くて骨が折れるが、ワース3人くらい居れば家事は回る。そして、その「3人くらい」を簡単に捻出できるのがワースの泥魔法である。同じ事をしようとしても、砂魔法では大惨事になる、というのは今この屋敷が証明している。ワースは杖を取り出して、慣れた呪文を唱えた。

「マッドロス」

ぼや、と自分の影のように泥人形が顕現する。今回は掃除の用途で人数が必要なので、ざっと10体。ただこれでも、広い屋敷内に人数が多すぎるという事はない。それぞれに役割と指示を与えると、ワースの思い描いた通り泥人形達はテキパキと動き始める。大惨事の台所、どこから手を付けたら良いか分からない床、散らかった机の上も。ワースは呆然としているオーターの手をついと引いた。日々リトルデビルの小さな手ばかり引いているが、思えばオーターの手に触れるだなんて、これが初めてかも知れない。

「オーター、着替えて来いよ」
「え、えっとでも……」
「後は泥人形がやるからさ、外へ食べにいっちゃおうぜ。リトルデビルも!」
「ん!」
「え、あ、ちょっと、」

にぱ、と微笑んだリトルデビルがワースと反対側の手を握って同じく引っ張る。そしてオーターの部屋に押し込んで、「その服も洗濯しちゃうから一緒に出せよ。終わったら玄関集合な」と言い残して、自分もリトルデビルも外出の準備をする。玄関に座ってあくせくと働く泥人形達を見ながら、こんな日も悪くないな、と顔を見合わせて笑い合った。



***



オーターとワース、リトルデビルがその足で訪れたのは、魔法局に程近い位置にある大衆向けのダイナーである。以前ソフィナと、少し遅れてオーターと一緒に食事をした場所で、安くてボリュームがあって、酒も出す。上品なソフィナがワースをここに連れて来たのは非常に意外だったが、木造で内装もひと昔前の酒場っぽいし、リトルデビルくらい小さな子供がそこの椅子にちょこんと座る姿は普通に可愛い。ソフィナは結構、小さい子供に弱いところがある。上に兄がいるだけで弟妹が居ないからとりわけ可愛く見えてしまうらしい。夕食にしては早めな時間帯だったが、早く仕事を終えた魔法局員らしき人物もポツポツ見える。背の高い衝立が席を区切った半個室なので、周囲を気にしなくて良いのが楽だ。
しょんぼりとしたままのオーターを暫し放ったらかして、適当につまむ物を注文する。オーターと自分用にはエールを、リトルデビル用にはジンジャーエールを頼んでみた。思わずニヤニヤとしてしまう。

「はい、じゃあ、かんぱーい」
「かんぱーーい!」
「かん、ぱい……」

くぴ、とジョッキからジンジャーエールをひと口飲んだリトルデビルがカッと眼を開く。そしてジョッキをみて、ワースを見て、また再びジョッキを見る。

「お口のなかが、ぱしぱしする……!?」
「炭酸な、それ」
「たんさん……!?」
「あー……、ジュースの中に気体を混ぜ込んで、口の中で弾けるようにしてるの。……うまいか?」
「おいしい!すごい!たのしい!」

嬉しそうに飲んでいるのを確認してワースも自分のエールを飲む。うん美味しい。ちらりとオーターを見るが、向こうはまだ沈んでいる。来た料理を小皿に分けて配膳しながら、うーん、と話題を探す。

「……ところでオーターは、なに作ろうとしてくれてたの」
「その……ハッシュドビーフを……」
「ああ、だから玉ねぎ」

ワースも数えるほどしか参加したことはないが、野営を前提とする遠征は基本、大人数の胃袋を満たすために煮込み料理が基本だ。スープやカレー、ハッシュドビーフなんかは具材の栄養と共に水分も取れて腹も膨れるし体もあったまる。オーターが手料理を振る舞おうとするなら合理的な選択だ。
すっかり落ち込んだオーターは顔を隠してため息をつく。言っては悪いが、ここまで感情を表現しているオーターを初めて見る。すごく新鮮で、正直、結構面白い。

「……引っ越し祝いだからと、貴方と私の為にワイン、貴方の禁書の為にジュースを、準備していて……」

ははーんなるほど、小宴の準備をしていたが、メインディッシュの準備で早々に躓いた、と。全貌が見えて来て、笑っちゃダメだと思いつつも、押し殺しきれない笑いが口から漏れる。こちらの様子に気が付いたのだろう。顔を上げたオーターは少し恨めしげだ。気を悪くさせたかもしれない。けれど見られてしまった以上、ワースは我慢せずに笑う。

「……もう、頑張ったのに……」
「いや、悪ィ悪ィ、あははは!」
「ワース!」

その声は怒っているというよりは拗ねている。同僚の氷の神杖にさえ鉄面皮と言われる砂の神杖にも可愛いところがあったらしい。くふくふと笑いながら、ワースは取り分けたサラダをオーターの方に押しやった。まぁ、取り敢えずまずは食え、である。

「いや嬉しいよ?アンタ、料理とか出来ねーのにチャレンジしてくれたんだ」

しかもメニューはカレーではなくハッシュドビーフ。そう言えばオーターとの昼食の時に、リトルデビルにカレーを食べさせたことはない。見た目が子供だからきっと、魔導書も口にできる物を、と配慮してくれたのだろう。それはジュースを買っておいてくれたことからも窺える。ワースは、高鳴る胸とはまた別に、ふわふわと腹の奥が温まるような気がした。オーターはたぶん、リトルデビルに良い印象を持っていない。或いは、最初に示した拒絶反応を撤回出来ずにいる。それなのにワースが大切にしているから、気を遣おうとしてくれたのだ。その気持ちが何より嬉しい。

さて、どこから話したものか。

ワースはゆっくり思案する。隠していたつもりはないが、オーターの配慮を無碍にしてしまった気がして少し申し訳ない。

「帰ったら泥人形たちが掃除を終わらせてる筈だから、ハッシュドビーフとワインとジュースは、週末にしよう。その方がアンタだって時間が取れるだろ?」
「す、すみません……」
「いーっていーって。俺とリトルデビルを歓迎してくれて、その、……嬉しいし」

照れ隠しにリトルデビルの頭をぽすぽすと撫でる。フォークでサラダを刺していたリトルデビルは、ワースの手の動きにつられて首を上下させた。

「……あとその、一応伝えておくんだけど、」
「…………?」
「コイツ、手も口もちっちゃくて扱いが下手くそな以外は、大人扱いしてくれていいから」

ソフィナも度々リトルデビルの見た目に惑わされているな、と思う瞬間があるが、まさかオーターまで同じ轍を踏んでいるとは思わなかった、……と言うと少々刺々しいが、オーターは昼食の時間程度しかリトルデビルと関わりを持たないから、気が付いていなくても仕方ない。

「辛いのも苦いのも行けるし、なんなら俺らが飲んでるエールも飲める」
「……い、いやそれは」
「のめるよー!」

手を挙げて元気よくリトルデビルは言った。まぁ、ワースもワインやブランデーくらいしか飲ませたことがないので、エールの苦味と炭酸をどう判断するかは分からないが。びっくりと目を丸くさせているオーターに、ちょっと面白くなってワースは身を乗り出す。内緒話をするように。

「店先でガキに酒飲ませる訳には行かないだろ?」

魔導書に、見た目の年齢は関係ない。
そもそもリトルデビルの身体は泥魔法で作っている。魔力の宿る実を発酵させた酒なんかいくら飲んでも問題ないし、酔わない。アルコールは恐らく毒の一種として勝手に分解している。

「だいたい、昼に粒マスタード塗ったホットサンド食ってただろ?」
「…………あ」
「マスタード、つぶつぶしてて好き!」
「……アレは粒マスタードだけで、普通マスタードはつぶつぶしてねーから」
「そうなの……!?」

ががーん、とリトルデビルはショックを受けたように固まっている。なんだと思っていたんだか。「ちょっとピリピリする」と言ってたから味覚は正常に動いているようなのに。ワースは肩をすくめる。

「まぁ、ホラこの通り、趣味趣向は見た目通りじゃねぇからさ、」

汗をかいて来たジョッキの腹を、ワースは戯れに撫でる。口に出すのはなんだか恥ずかしい。けれどどう考えても盛大な失敗をやらかしたオーターを前にすると少し勇気が出た。意を決して、ワースは顔を上げる。

「教えてよ、アンタも。好きな物とか」

テーブルの上に並べ立てられた綺麗な料理を前に、少しだけ瞳を丸くしたオーターがかすかに微笑んだ気がした。

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