投稿日:2026年06月26日 21:16 文字数:24,020
カナリヤ 12
マカ姐修行編です⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝
本当は1本でまとめたかったんですけど、話が長過ぎるので一旦ここで切ります。次回、告白解答編ということで。
やっぱりこう、ワースくんの(学生時代にしたあれやこれやの)努力は報われて欲しいんだよな、ということで、どうにかしました(犯行声明)
色々成立させるために大きいところだと3つくらい盛大な嘘をついておりますけれど、まぁ、このシリーズ読んでる方は今更ですよね⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝
北都さん的にはオーターさんの厄兄貴ネタ(プレゼントに追跡魔法を入れる)と魔法陣ネタ(これ自体は一応遊園地編が初出です)が今回回収できて大変満足です(ง ᵕωᵕ)ว♪
ということで、マカ姐の卒業後進路も嘘ならばワースくんとの学生時代の交流も嘘だし魔法陣周りも全部嘘です。私と同じ幻覚を共有してくださる方のみお進み下さい。
からん、とオレンジジュースに島のように浮かんだ氷が音を立てた。小さな手が汗を掻いたグラスを両手で握り、ちゅうっとストローで啜る。それを見ながら、ワースは自分のカップを傾けた。ホテルのロビーでは緩やかなピアノの生演奏が響いており、それを聴きながら頬杖をつく。
「わっけが分からん」
「そうかなぁ」
先日、オーター・マドルにプロポーズまがいの告白を受けた。魔力暴発から目覚めたばかりのワースは知恵熱を出して2日ほど寝込んだ。暴発よりも知恵熱の方が長く床についていたのは、一体全体どういうことだ。そんな経緯もあって、告白の返事は一旦棚上げにして、待って貰っている。
しかし、なにもワースが特別軟弱な訳ではない。あのオーター・マドルが、だ。驚かされたこちらの身にもなれ。冗談を言うようなひとではないことは十分承知しているが、アレは天才だから、ワースとは言葉も考え方も常識も違うのかも知れない。
「ぼくは、良いと思うけどな、オーター。いいひとだし」
「………」
魔導書がオーターとの交際を勧めてくる理由もまた、良く分からない。元々魔導書は好意的だったが、魔力暴発から目醒めてから随分と仲良くなっている気がする。ワースが寝ている間に何かあったのだろう。風呂上がりやトイレで離席している時に2人でコソコソ喋っている様子がある。まあ、仲良いに越したことはないけれど。それはともかく、血の繋がった兄弟だぞ、その辺り気にしないのか。……いやそうだ、コイツ魔導書だから人間的な感覚は分からないんだった。ついでにこの間の事件で捕まえた巨人族相手に拷問かましやがって。けろりとした顔で「ちょっと遠くから、話し掛けただけ」と嘯いていたが、リトルデビルの「声」はそんな可愛らしい性質のものではない。あの後は本当に大変だった。始末書やら入局試験で必ず出題されるようなコンプライアンス研修やらで。あんな初歩的な法令をまるで理解していないかのように扱われるのはかなり屈辱的であったが、実際やっちまったものは仕方ない。もう金輪際、「任せる」だなんて曖昧な指示は出さない。胡乱な瞳を向けるが、いつも通りリトルデビルはにこにこしてオレンジジュースを飲むばかりである。
ワースとオーターは貴族であるから、血の繋がりのある実の兄弟で婚姻関係を結ぶことについては、そういうこともあるかな、という程度で特になんとも思わない。というか、随分研究でその辺りの身の振り方を失念していたが、話としてはもっと早く持ち上がっても良かったのだ。それこそ、ワースが洞窟から魔導書を連れ出してから。禁書の所有者となったのはワースだが、あそこはそもそもマドル家の領地の洞窟内だ。マドル家が所有権を主張し、現実的な落とし所としてマドル家の血族の誰かと婚姻を結ぶ、というのはかなりあり得る選択肢だった。禁書とその所有者を傍流に譲るのはリスクが高いから、相手は嫡男のオーター。貴族的な道理は通っている。政略というか、契約結婚に近い。ワースとしては、魔導書と引き剥がされないのであれば、別に結婚相手がどうなろうと、どうでもいい。
……だが、「交際する」となるとちょっと違うだろう。オーターの必死な様子を疑うつもりはないが、どこまで本気でどこまで踏み込むつもりなのか。いや、この手の同性きょうだい間での婚姻の場合、それぞれ愛人を作ったり政務を行わない方に特殊な魔法で子供を産ませたりするのは、ワースも理解はしている。ワースとしてはどちらかが子供を産む方向でちょっとリアルな想像をしてしまうのだが、これが全然的外れだったら困る。兄弟としての好き?恋愛感情が伴う好き?ついでに言えばそれはプラトニックを望む方の好き?もう少しやましい方の好き?……もう、大混乱である。一回知恵熱を出しているのに再びぐるぐると瞳を回し始めたワースに、リトルデビルはため息をつく。
「ワースはね、考えすぎなの。もう少しシンプルに受け止めていいとおもう」
「……お前、どっちの味方なんだよ」
「ぼく?……ぼくはねー、ワースを大切にする方の、味方」
にっこり微笑んで見せる。つい先日背伸びして禁書を読んでぶっ倒れたワースへの嫌みだろうか。まったく、いつの間にか「皮肉」なんて高度な言語コミュニケーションが出来るようになりやがって。自分の中の余裕のなさを隠すように、再びワースはコーヒーを啜る。
あの後、事件の全貌はオーターから報告がされており、ワースはそこに補足する程度の報告書の提出と、所属する禁書管理局への報告を行った。上司にして師匠のソフィナ・ブリビアには、自らが読んだ禁書の内容を、事細かに。
ソフィナ曰く、「取り憑かれている」タイプの禁書使いには、このようなパターンがよくあるそうだ。今までちっとも呪文が読めなかったのに、ある日突然読めるようになる。禁書との信頼関係や、術者がその魔法をどれだけ切実に必要としているか、そして身の危険がどれだけ迫っているか。そうした禁書と術者間の複雑な感情が絡み合って、押しとどめていた扉が開くように文字が浮かび上がってくる。禁書が術者を使って自身の魔法を行使する、というのもソフィナたちのように魔導書を自分の支配下に置いているタイプの禁書使いには起こらない現象で、比較的安全に、術者の実力以上の魔法が使える。もちろん今回のワースのように魔力が体内で暴発する可能性はなくはないが、「取り憑かれる」タイプの禁書と術者はほぼ拒絶反応なく魔力を循環させられるから、これもさほど問題にはならない。さすがにワースが幼少期から暴発など起こしたことがないと聞くとソフィナも目を丸くしていたが、幼少期から禁書に取り憑かれていたことを思えば十分あり得ることと納得された。「貴方たちはこれからもっと強くなりますよ、」と太鼓判を押され、戦闘訓練で禁書に記述された音魔法を使うようになったのは退院してすぐのことだ。……これが、本当に、驚くほど上手くいかない。
そもそも泥魔法と音魔法は系統がまるで違う。ワースにとって音は速いし軽すぎる。力加減も、他の魔法との組み合わせ方も。ある程度は使えるようになったが、使いこなせているかと言われると、首を傾げざるをえない。
だからわざわざ、ここまでやって来たのだ。
ピアノの生演奏が終わったタイミングを見計らって、ワースはゆっくりと立ち上がる。勿論リトルデビルも一緒である。ピアノの隣で一礼し、去って行くピアニストをそっと追いかけた。一瞬なんと呼びかけたものかと思うが、まあなるようになるだろ、と弱気を飲み込む。
「素敵な演奏をどうも」
「アラ」
相変わらず隙なくたっぷりと塗られたルージュは、天井の高いホテルの照明の下でキラキラと光っていた。本人の性格を思えば、「ギラギラ」と言っても良いかもしれない。ワースはそんなことを考えながら笑顔を作る。
「折角だ、一杯奢らせて貰っても?」
「まぁ嬉しい」
すっと伸ばされた手を、ドレスアップした女性をエスコートする時と同じように握る。はっきり言って自分よりも20㎝近く上背のある人物に行うとまるで格好がつかないが、そういうノリで話しかけたのもまたこちらである。途中でウェイターを呼び止め、メニューも見ずにシャンパンを注文する。先ほどまでワースとリトルデビルがいた席に戻ると、注文をしたグラスのシャンパンが2人分、ことりと置かれた。さすが、それなりのランクのホテルである。ここまでワースがエスコートしてきた相手は、それをスパンコールのような目蓋で艶然と見遣る。
「折角だもの。乾杯でもしておく?」
「何に」
「私たちの再会に、とか?」
上機嫌にウフフと笑う顔に若干げんなりとする。しかし頼み事をするのは自分の方かと納得をして、ワースはグラスを持ち上げる。
孤高の天才マーガレット・マカロンは満足そうに微笑んだ。
「卒業以来かしら。……噂の禁書使いと、私の再会に」
僅かに触れ合ったグラスは、高らかな音を立てた。
***
卒業後マーガレット・マカロンは様々な地を転々としていた。
マカロンは一流の音魔法使いであると共に、一流のピアニストでもある。闘技もピアノも興行だ。挑戦者の実力がさほどなければ瞬殺してすぐにピアノリサイタルに、挑戦者に力量があれば魅せる闘技をして観客を沸かせ、各地を回りその名を轟かせていた。学生の頃から名を知られているから、ファンも多いし挑戦者も多い。興行数が80回を迎えた今でも、当然のように無敗。どれほど記憶と記録に残る試合をするのか注目されているファイターだ。マカロンの現在地を掴んだのは他でもない、カルパッチョ・ローヤンである。リトルデビルの実験見学とその論文の下読みを交渉材料に連絡を取って貰った。タイミングも良かった。丁度休養期間としてホテルでの生演奏を請け負っているところだったらしい。
「私、禁書使いなんてナマで初めて見たわ。禁書って、こんなに可愛いのねェ」
「……ふざけてんのか?」
自分の横に座らせたリトルデビルの頬をもちもちと揉んでいるマカロンを睨み付ける。頭に角が生えている事を除けば、リトルデビルの顔はワースと同じである。美意識の高いマカロンが気が付かない筈がない。頬を揉む手を止め、ふっとマカロンは笑った。
「やーね、昔から美形ねって言っているのよ、ワースちゃん。余裕のないオトコは嫌われるわよ?」
言いながらリトルデビルを撫でる手つきは優しい。
意外すぎる。
ワースとマカロンの関係は、正直に言えば、かなり薄い。なんせオルカ寮長でありながら、マカロンは研究分野にさして興味を持っていなかったし、ワースはレアン寮では第3席。つまり寮として寮長に関わるほどの立場にない。ただ、常にワースは座学主席であったし、他寮とはいえ寮長を知らないほど迂闊でもなかった。共通の友人も、恐らくレアン寮を中心に探せば見つかる。双方、名前と人となりは知っている程度の、よくいる同級生同士であった。
「それで、私にお願いがあるんですって?」
マカロンの手から離れたリトルデビルが、とてててて、とワースの隣に回り込んで座る。どうやら撫でられて気が済んだらしい。ワースも手元に戻ってきたリトルデビルを撫でてやる。とろけるようにリトルデビルはワースの膝の上に頭を乗せた。
「俺に、音魔法を教えて欲しい」
「……ちょっと待って、どういうこと?アナタ泥魔法使いでしょう」
「系統違いっつーんだろ」
全くそうだ。
だからワースも困っている。
「コイツ……禁書の魔法の中で今の俺に使える魔法が音魔法なんだ。ただ、うまく動かせないし、使い所が分からない。だから音魔法での効果的な闘い方を教えて欲しい」
「…………へぇ?」
マカロンの瞳がじろじろと無遠慮にリトルデビルを見る。その瞳に宿るのは、ストレートな興味、高揚である。闘いを極めている最中のマカロンには禁書と自分の使う魔法が同じものであるという話は、一定の興味を惹けたらしい。
しかしマカロンは小さく首を振る。
「でも私、まだ弟子を取るってほど枯れてないの。ごめんなさいね」
だろうな、とワースも思う。
マーガレット・マカロンはイーストン魔法学校にいた頃から随分と面倒見が良いタイプであったが、とはいえ献身的なタイプでもない。何より、弱い人間に興味がない。教えを乞うということは、結局のところ自分がマカロンよりも格下であると告白しているようなものだ。格下の人間に時間を使うメリットが、マカロンにはない。
「いいのかよ?」
だから、挑発をするのはここしかない。
「お前以外の奴が、知らない間に最強の音魔法使いになっても」
「……あら、言うじゃない」
「アンタがダメなら他に候補はいるからな。それに、俺はもう魔法局員だぜ?」
グラスを揺らしてひと口飲む。
しゅわしゅわとした炭酸と、少し遅れて甘味が口の中に広がる。そういえば引越しをしたあの日、リトルデビルに初めて炭酸飲料を飲ませたのだった。あの時の顔は実に良かった。世界に対する驚きに満ちていて。思い出してワースはふふっと笑う。不敵な笑みに、見えているだろうか。
「マカロン、アンタが犯罪者にでもならない限り、俺と真っ向から戦うチャンスはもうない」
「…………」
お、表情が動いた。
よしよしと思いながらグラスの細い足を弄ぶ。
「禁書使いは初めて見たって?そりゃそうだ、どこも囲い込んで出さねぇし、誰も彼もが戦闘向きの禁書使いって訳でもない」
「……アナタは違うっていうのかしら?」
「レアン寮の、元3席だぜ?」
一応雰囲気を読んで身を起こし、神妙な顔をしていたリトルデビルをひょいと持ち上げ、膝の上に乗せる。胸がばくばくとうるさい。間違いなく戦いの天才であるマーガレット・マカロン相手にこれだけ大風呂敷を広げて良いのか。……いや、最早良いとか悪いとかじゃなくて、やり切るべきだ。こちらへ興味を向けなければどうにもならないのだから。ギュッとリトルデビルの手を握る。
「禁書で魔力を底上げされていたら、どんな闘い方をすると思う?」
実際問題リトルデビルに底上げされているのは魔力よりも魔法を使う手数だったり他に割くべき思考リソースだったりする部分だし、なんなら音魔法……つまり泥魔法との異系統魔法の方だが、これを説明するのはややこしいしマカロンがそそられない気がしたので割愛する。
マカロンはまじまじとリトルデビルを見つめ、口角を上げた。強敵を前にした時よくする顔だ。ワースは肌がざわつくのを感じる。
「アナタたち2人のハーモニーは知らないけれど、そっちの小さなワースちゃんは凄そうね?」
「リトルデビル」
「うん?」
「俺の可愛い禁書の名前だ」
顎をリトルデビルの頭に乗せて、ワースはふっと笑う。そして小さな手をふにふにと揉みながら、マカロンの回答を待つ。顎に手をやるマカロンの表情はもう答えが書いてあるようなものだった。
「……分かったわ。けど、私はつまらないものに時間を割くつもりはないの。アナタたちがちゃんと私を楽しませてくれたら、弟子にでもなんでもしてアゲル」
くいっとグラスを煽って、残っていたシャンパンをマカロンは飲み干す。その瞳は唇と同じくらいギラギラとしていた。
「アナタたちの実力を教えてちょうだい。……ワースちゃん、デビルちゃん」
ワースは震えそうな身体を叱咤して、口角を上げて応えてみせた。
◆◇◆◇◆
マーガレット・マカロンが滞在するホテルには、その格式に見合わない程に巨大で本格的な闘技場がある。初代オーナーが格闘好きであったことに由来するというが、未だその伝統が続いているらしい。興行の会場とすることを条件に、マカロンには無償で宿を貸しているのだそうだ。物好きというか、なんというか……。ピアノを弾いているのは、彼なりのサービスだ。何度かマカロンの興行の会場となっているその闘技場は、マカロンの調整期間中は使い放題らしく、至れり尽くせりである。天才は、まぁ待遇が違う。……僻んだって仕方ねぇけど。
ホテルで浮かないようにと準備して来たスーツを脱いで、いつものローブ姿になったワースはリトルデビルに抱き付いてもらう形で彼を背負う。マーガレット・マカロンは禁書使いとしてのワースの闘い方を知らないはずだ。なるべく長く、彼の興味を引いておく必要がある。
ただのだだっ広い闘技場なんて捻りのないフィールドで戦えば、まあまず間違いなくワースの負けだ。リトルデビルを使ったところで音速で来られたら対応出来ない。致命的に、マーガレット・マカロンとは相性が悪い。
(……ま、負ける気でいたら勝てるもんも勝てねぇけどな)
ワースも杖を取り出して構える。一旦リトルデビルにはワースの魔力の底上げだけさせて、「禁書」としては使わない。一種の賭けだが、マカロンなら乗ってくるだろう。
「こうしてアナタと対峙するのは、中等部の頃以来かしら?」
「さぁな。忘れた」
嘘だ。覚えている。
授業の一環として模擬試合をしたが、めちゃくちゃに負けた。物凄く悔しかったのでその後、音魔法はかなり研究した。だが2人の魔力差程度では泥魔法が不利を跳ね返して勝つのは難しいと悟り、幼心に眠れない程むしゃくしゃしたものだ。マーガレット・マカロンは昔から天才だった。同学年にはレイン・エイムズだっていた。友愛を感じているが、アベル・ウォーカーも、アビス・レイザーも。下の学年を見ればカルパッチョ・ローヤンにランス・クラウン。フィジカルお化けのマッシュ・バーンデッドに戦闘能力は皆無だが特殊な治癒魔法を操るフィン・エイムズ。他人は「砂の神杖の実弟だから」とワースの自己肯定感の低さを言うが、はっきり言ってこの環境で自分に自信を持ち続けられる奴は頭がおかしいか、自分の能力を客観的に分析できていないだけだ。天才たちに揉まれて、必死で学んできた。努力だけで埋められるほど神が与えた祝福は易くない。
「マッドロス」
「……!」
マカロンの半径5mを泥の沼に変えた。巨人族たちに使った落とし穴である。速さが売りの音魔法だ、足下を狙われるのは分かっていただろう。ただし昔であれば、これだけのレベルの沼を出すなら半径60㎝がせいぜいだったはずだ。イーストン魔法学校にいた頃よりも、ずっと広範囲でずっと高粘度の泥の沼である。ワースの実力は認識されているはずだから、「禁書」の底上げ能力を示すならこれが一番分かりやすい。
放っておけば自重で泥の中に沈んでいく。それを読んで、マカロンが即座に空へ飛び上がる。さすがの判断だが、避けにくい空中は明らかな隙だ。ワースはにやりと口元を歪めた。
「リトルデビル!」
「んっ!」
いつも通りの声が上がって、背後からぶわりと魔力が膨らみ泥の礫が飛ぶ。リトルデビルの泥魔法だ。本人が膨大な魔力の塊のような存在だから、リトルデビルには呪文の詠唱は必要ない。無詠唱魔法はワースも出来なくはないがこれほどの威力は出ない。マカロンも十分承知だろう。盾で防がれたが、目を丸くしているようだ。
「……やるじゃない」
タッとマカロンが地面を蹴る。
接近戦狙いだ。
その体格と、身のこなしならそちらの方が有利だろう。
ワースの読み通りである。
ワースは禁書管理局の中ではかなり動ける方の赤魔導師だが、はっきり言ってマカロンほど肉弾戦に慣れてもいない。首を軽く傾けて避けるが、チッとマカロンの拳が頬を掠め、その速度で裂傷が走る。いつものワースの戦い方ならば距離を取った方が正しい。……が。
(ここで引くのは「正解」じゃねぇ!)
一歩前に出て回転しながらマカロンの追撃を躱す。遠心力で振り回されるリトルデビルが「わー、」と場違いなほどに楽しげな歓声を上げた。その気の抜けた様子に忍び笑いが洩れるが、ローブの影に隠れた杖を、しっかり握り直す。
「マッドロス」
「……!」
地面からマカロンの顎めがけて泥の柱が伸びる。顔を背けて避けたマカロンの死角から脇腹に回し蹴りを繰り出す。しかし、これも身を捻って避けられた。トン、トン、と軽いステップでマカロンは距離を取る。まったく、相変わらず。
「良い動きね、ワースちゃん……!」
嬉しそうに微笑むマカロンの手には、指揮棒のような杖がある。ただし、彼はまだ、攻撃魔法を一度も使っていない。
(ナメてるっつーよりは、)
様子を、見られている。
在学中から、明らかに体術はマカロンの方が上である。そしていま、闘技場で戦い続けてきたマカロンに比べ、禁書管理局に勤めているワースはそもそも実戦に出る機会が少ない。経験においても、昔より更に差が付いていると考えて良いだろう。まともに組み合うのは得策ではないが、向こうもそれを分かっているから意表は付ける。さて、どう攻めるか。
「『ラ』ね」
「あ?」
コイツ、相変わらず相手の強さを音階で示しているのか。もう魔法学校も卒業して成人の仲間入りを果たしたのだから、厨二病も程ほどの所にしておかないとイタい大人に見えるぞ。……と、思ったが、当然ワースは言わない。なんせ、実力が伴っているからだ。実力さえあれば「詩的で格好良い」と評されるのである。光の神杖と同じだ。……まぁ、興行として格闘技をやっているのだから、これくらいの詩的表現は格闘家としてのキャラクター性って奴かも知れない、一応ピアニストだし、とツッコミをしたくなる自分をなんとか抑える。ワースの気持ちを知ってか知らずか、マカロンは「ウフフ」と笑う。
「昔のアナタは『ソ』よ。動きも判断も、ずっと良くなった」
「そら、ドーモ」
言いながら、背中に張り付かせていたリトルデビルをぐるりと回して胸元に抱える。マカロンは酷く楽しそうな顔をしているが、雰囲気がそれを裏切っている。だいたいコイツ、笑っている時の方が凶悪なのだ。それなりに好奇心を刺激する応戦が出来たらしいことを喜ぶべきだろうが、びりびり肌を刺すほどの威圧感に、いつでも対応できるように腰を落とす。
「……いいわよ?ワースちゃん」
「…………」
「デビルちゃんは書籍の姿で戦うんでしょう?本の姿に戻るまで手出しはしないわ」
下からじいっとリトルデビルがこちらを見つめる。言外に「どうする?」と問われている。
(……どうするもこうするも)
ワースが禁書の姿に戻さなければ、即座に終わらせにかかるだろう。面白いから次のステージに進め、と。そういう意味だ。
ふう、と思わず息を吐き出した。とりあえずは、第一関門突破ということか。ある程度、ワースの実力を認めたのだろう。でなければ禁書を使って見せろとは要求しない。
こちらを見上げていたリトルデビルがにっこりと笑う。合図など送らずとも、こちらの考えを読んだ魔導書は勝手にその姿を崩し、書籍の姿を現す。ふわりと浮かび上がったその魔導書に、そっとワースは手を翳した。過不足なく、ワースと禁書間の回路が繋がった感覚があった。言葉通り待っていたマカロンが笑みを深める。
「……で?今の俺の音がなんだって?」
「いいわね、ワースちゃん、デビルちゃん、とても良いわ……!」
まったくイカれてんな、と思ったが、さすがに声に出したりはしない。不意に、マカロンが妙に慈愛の溢れる顔で笑った。
「私は覚えているわ。アナタと中等部の授業で戦った時のこと」
「…………」
「確かにそうね、ワースちゃんアナタは、天才ではないのかもしれない」
知ってるっつーの、とワースは心の中で毒付く。
現に今、魔導書の力を十全に発揮させてはやれないし、希少な治癒魔法が使える訳でも、すこし魔導書が「話す」様子を見ただけで本質を見抜く洞察力がある訳でもなく、まして神覚者にもなれなかった。価値のない落伍者だ。そんなこと、誰に言われるまでもなく知っている。ワースの視線に気が付いてだろう、マカロンはふっと笑った。
「カンチガイしないでちょうだいね。私、別に才能のあるなしに興味がある訳ではないの。大事なのは今、アナタがここにいること。……分かっているでしょう?」
静かに、マカロンは杖を構えた。ぴたりと止まった切先は、ワースの方を油断なく向いている。強敵と出会ったその瞬間のように、マカロンはニィっと口角を上げた。
「レアン寮でのアナタの立場は第3席。アベルとアビスなんて生まれながらの鬼札を前にしては仕方ないわね。私も、アナタをお勉強が出来るだけの優等生ちゃんと侮っていたみたい」
「…………」
「どうしてもっと早く教えてくれなかったの?」
ぶわりと、マカロンの身体が膨れ上がったような感覚さえした。これがマーガレット・マカロンという男だ。強烈な威圧感は、マカロン自身の迸る魔力だ。肌にビリビリと刺すようなその気配に耐えながらワースは前を見据える。マカロンの声は、甘やかだった。まるで恋をしているかのように。
「アナタがこんなに、……面白いヒトだったってこと!」
マカロンが杖を振るうその瞬間、ワースも魔導書に翳した手に力を込める。それだけの動作で理解した魔導書が魔法を放ってマカロンの魔法を相殺した。2人の間に散った火花に、マカロンは楽しげな笑い声すら上げている。流石の戦闘狂である。
「いいわ、最高よワースちゃん!」
「……ちっ」
音魔法の最大の特徴は、その発動スピードと伝導力だ。少年の身軽な姿へと変化したマカロンであれば、もっと高速で魔法を放つから、これでもまだ彼は余力を残している。向こうは神覚者になれた才能の塊だ。付け焼き刃のワースの音魔法では、張り合えっこない。どうする。どう戦う。一応ワースとて、神覚者を目指したことのある学生だ。同世代の天才とどう渡り合うかは頭の中で何度も何度もシュミレーションした。あの頃とは違う、いまある手札でどう動く?
「……っマッドロス!」
「あらあら、まあまあまあまあ!」
マカロンと自分との間に無数の泥の柱を作り出す。顎に手をやったマカロンは楽しげに魔法が編み上がるのを待っている。別にワースを侮っているのではない。受けてみたいのだろう、マカロンを倒すためにワースが練り上げた戦略を。その全てを。余すところなく。「つまらない」と断じれば即座に戦闘不能にしようとしてくるはずだから、それを思えば随分とワースは高く買われたものだ。
魔法を展開しながらワースは泥の柱を縫うように走る。音魔法も周波や振動を使用する分、魔力探査能力が高い。砂魔法のオーター・マドル並みと考えて動くべきであろう。そして砂魔法よりも音魔法は、数段発動速度が速い。この状況でひと所に留まって戦うのは、狙い撃ちしてくれと言うようなものだ。魔導書に手を翳せば、当たり前のようにバラバラとページが捲られ思い通りの場所で止まる。すうっとワースは息を吸って、「ソレ」を読み上げた。
「▓▇▇█████、っ」
走る膝が、一瞬がくりと落ちる。眩暈がするほどの情報の奔流がワースの中になだれ込む。
あの後ワースが習得した音魔法は2種類ある。
ひとつはあの日防御に使った音魔法だ。やり様によっては音速の攻撃魔法ともなる、半円状の波動。そしてもうひとつはコレである。魔導書間のコミュニケーションを可能にしている音魔法だ。情報を音の波に変えて、リトルデビルが見ている世界を直接ワースの頭に流し込む。これがなかなか曲者で、リトルデビルの知覚世界は、天才でもなんでもないワースには手に負えないほどの情報量だ。魔法回路が焼ける前に、一部を残してシャットダウンする。それだけでも、無数の泥の柱の中にぽつりと立つマカロンの正確な位置が「見え」る。
(……一気に片をつけるぞ)
瞳を閉じて自前の視覚情報を封じ、走りながらワースは杖を構える。マカロンはまだワースの様子を伺うように、口元の笑みを残したまま周囲を警戒している。
「マッドロス」
ワースは杖を振り上げた。
柱の影、特に足元は既に警戒されている。確かに姿が見えていない相手を襲うなら、今までのワースならば足から狙った。泥魔法からすれば最も合理的で効果的な攻撃だからだ。けれどリトルデビルの「目」を通じて攻撃を仕掛けるなら、そこではない。上だ。無数の泥の礫がマカロンへ降り注ぐ。
ぴくりと動いたマカロンが大きく飛び退く。しかし泥の柱に音波を流して、ワースは強引に泥の軌道を変える。放った泥の礫は3割ほど当たった。完全に不意を打った筈なのにこの程度しか当たらないか。……しかし想定内ではある。そこからセメント程に硬く重くして動きを奪う。
「リトルデビル……!」
マカロンが作る盾の音波は「見え」ている。逆位相の音波を流せば無効化が可能だ。しかしそこは流石マーガレット・マカロン。シールドが無効化される度に曲調を微妙に変えて位相をズラして来る。ズラされた位相を更に解析して逆位相をぶつけて消す。イタチごっこだ。しかし今できるうちでは最も効果的ではある。少しずつではあるが、マカロンは泥に塗れていく。
「イイわ、ゾクゾクしちゃう」
手数としてはワースが押しているはずなのに、マカロンは怯んだ様子すらない。一応、ワースの位置はマカロンにまだ掴まれていない、はずだが。足を止めることはできない。
「サウンズ」
「マッドロス!」
マカロンが放った音魔法を泥の柱が反射して弾き返す。柱はそもそもワースの身を隠すために作り上げたものだが、マカロンの音が「見えて」いる以上、表面を磨き上げて音波の干渉を受けないほど密度を上げれば本人へ向かって攻撃を跳ね返すことだって出来る。角度やタイミングの制限もあって何度も出来る方法ではないが、「そうする事もできる」と示すのはある種の牽制にはなる。自らの攻撃魔法を避けたマカロンは高笑いをした。
「歓喜の春ね、ワースちゃん……!」
「…………っ」
くらりと眩暈がした。そろそろリトルデビルの魔法を使い続けるのも限界が近い。足を止めたワースは、ゆっくりと瞳を開く。途端に増えた情報量が身体中の魔法回路に負荷を掛け、ぐらりと足元がゆらぐ。けれど、まだやれる。こちらの動きを見ている訳でもないだろうに、同じように杖を構えたマカロンが高らかに詠唱した。
「サウンズメタモルフォーゼ」
「マッドロデビル」
衝突した魔法の圧力で、一瞬カッと光が走る。ぐっと握り締めた杖を、ワースはマーガレット・マカロンに向けた。
***
戦術の組み立ても、行使した魔法も、現時点のワースが出来る最高の出来であった。けれどそれでも、……「天才」にはまだ届かない。
「ちっく、しょー……」
初手から泥の槍か鏃で攻撃するべきだっただろうか?……いやマカロンはかなり頑丈だから、下手に泥を尖らせると強度で負けて弾き飛ばされる。ある程度の塊でダメージを与えつつ動きを制限するのは間違った戦略ではなかったはずだ。うんうん唸って先ほどの闘いを反芻する。大の字に寝転がるワースの腹の上にちょこんと乗ったリトルデビルが、眉をはの字に下げてこちらを見ている。その頭をくしゃくしゃと混ぜてやった。やり方は、間違っていない筈だ。そしてリトルデビルはワースが知る限り最高の魔導書で、最強の相棒だ。ワースだけが、足りないのだ。
「あら、とっても良い時間を過ごさせて貰えて私は最高だったけど?」
いつもの坊主姿ではなく、幾分若い「変身」姿のままマーガレット・マカロンは微笑む。子供っぽい反応だと分かりつつも、ワースは頬を膨らませた。
「勝った奴になんて言われても嬉しかねーの。俺は勝つつもりだったのに」
マカロンの「変身」の肝は、とにかくその速度だ。アレを止められる程の力をワースは持たない。そして巨大な「悪魔」を呼ぶワースのセコンズとは相性が悪い。だから敢えて「悪魔」の大きさを小さくして複数呼び、それぞれに役割を持たせた。マカロンを動かすための囮、動きを封じる枷、そして攻撃をする本命。途中まで読み通りの動きを見せたマカロンであったが、枷役が止めきれなかった。あれだけ泥の礫を喰らって動きが制限されていた筈なのに。完全にワースの火力不足である。うふふ、と勝者は艶やかに微笑む。
「第二魔法とは言え、同じ音魔法の使い手にここまで苦しめられたのは初めてよ」
「……そら、どーも」
「私の音階をここまで読めるひとはいないもの」
「…………」
それはリトルデビルの力だ。ワースひとりではマカロンの盾の解析なんか、不可能に決まってる。けれど、消費魔力が高過ぎて短期決戦にならざるを得ない。しかしすると今度はワースの攻撃魔法では火力が足らない。堂々巡りである。本職の音魔法使い程のスピードも手数も出せない以上、ワースにはここが限界だ。……もちろん、独学であれば、だが。
「良いわ。ワースちゃん、修行をつけてアゲル。報酬は……そうね、もっと強くなって、私をワクワクさせること」
「言っとくけど、……俺は伸び代しかねーよ?」
「愉しみだわ」
へっ、とワースは不敵に笑う。
ふくふくとしたリトルデビルの頬を優しく撫でて、その身を起こす。素直に撫でられていたリトルデビルは、にっこりと笑って「よろしくおねがいします!」とマカロンへ向かって手を伸ばす。ふくふくとした幼児らしい手に少し戸惑いながら握手をして、マカロンは困ったように首を傾げた。
「……大変、私、母性に目覚めそう」
ワースは、「天才」ではないかもしれない。
けれどそれは、努力しない言い訳にはならないのだ。
◆◇◆◇◆
うつくしい。
展開される魔法を見て、純粋に私はそう思った。確かに火力不足は否めないけれど、器用さはピカイチだ。リアルタイムに魔法の軌道をここまで描き続けられる魔法使いは、私が記憶する限りでもそう多くはない。普通は、予め決めた軌道を何本か組み合わせて戦う。戦いが長引いても途切れない集中力は流石のひと言ね。
「……マッドロス!」
「……?」
杖を天に向けて翳すワースちゃんを見て首を傾げる。魔法が展開しない。魔力切れ?そんな筈はない。彼の魔力はまだ潤沢にあるし、必要であれば禁書から引き出せるはず。ニヤリとワースちゃんが不敵に笑う。その瞬間、背後からぶわりと魔法が溢れる気配がした。思わず盾を展開するけれど、全然間に合っていない。出遅れた。この私が?びりびりと身体が痺れる感覚に目を見張る。電撃?あの子の魔法適性にはないはず。
ぼろりと崩れる泥が空から降ってくる。目を凝らせば、それは役割を終えて崩れていく魔法陣だった。一定の法則と共に古代文字で書かれたそれは私が知っているものよりずっと複雑な論理式だ。咄嗟に描いたのだろう。発動にかかるタイムラグもたったあれだけで。しかもこの威力。ウソでしょ、と思わず声が漏れた。
「アナタ、魔法陣まで扱えるの……!」
「そりゃ、ひと通りはな」
ひと通りだなんてレベルじゃない。私の様子を見て、これが有効な攻撃だと認識したのだろう。ゆるくワースちゃんが杖を振ると、いくつもの魔法陣が何もない空間に現れる。その素材は、泥だ。確かに原理的には「魔法陣を描けば」適性のない魔法でも使用可能だろう。その場に魔法陣を留めて置けるなら、紙やインクじゃなく泥の紋様だって発動はする。けど、思い付いたって誰もやらないし、やれない。あんな精緻な魔法操作なんて。
雷、風、炎、読み取れるだけでも雑多な魔法陣は、主要な攻撃力の高い魔法属性を全て集めていた。火力不足、と分析されたのが相当堪えているらしい。なんてカワイイひとなのかしら。ぷすぷすと未だ火花が燻るローブの端を軽く叩いて収め、杖を構える。
イーストン魔法学校にいた頃のワース・マドルは、悪いけれど私がそそられるような魔法使いではなかった。成績の良い優等生ちゃん。魔力量は申し分ないけれど、真っ向から戦えば勝てそうな相手に興味なんてないもの。
それがどうだろう。
禁書の補助があるとはいえ、魔法の軌道を引くのも咄嗟に魔法陣を展開するのも、彼の器用さのなせる技だ。火力不足を手数の多さで補って余りある。
「ふふふっ」
思わず歓喜の声が漏れる。
あぁもう、こんなに私をワクワクさせるだなんて、罪なオトコね。
◆◇◆◇◆
ワースに避けられている、ような気がする。
……一応、こっそり聞いてみた禁書曰く、「べつにさけてるつもりじゃないと思う」とのことだが。それで安心できるということでもない。
まぁ、無理もないと言えばない。あの後ワースは寝込み、入院が2日も伸びた。その後、禁書による勾留巨人族拷問の疑いがあり、ワースもソフィナも旁々駆けずり回ってなんとかして、しかし全くお咎めなしと言う訳にはいかないから始末書と研修の受講ということでなんとか納めた。この辺りを統括するカルドなど「この系統はあんまり咎めたくはないんですけどねぇ」などと嘯いていたが、規律的にもそう言う訳にはいくまい。
オーターも事件の後処理に追われていたが、ワースは研修とほぼ同時並行して、ソフィナによる禁書の戦闘訓練再開、そして今は、禁書の魔法に相応しい師匠を獲るべく泊まり込みで家を空けている。2日で戻ると言っていたが、どうなることやら。ただ激務の最中でも家に戻ればワースがいた生活をしていたから、1人の屋敷は少し寂しかった。
「…………」
家を出て行く前に「べっ、別に逃げる訳じゃねぇから!返事はちゃんとするから!」と顔を赤くして怒鳴っていたワースの顔を思い浮かべる。あれは可愛らしかった。ワースの姿をくふくふと笑う禁書が「いってきまぁす」と小さく手を振るのも。ワースが退院してから、……いや魔力暴発から目醒めてから、随分と禁書に懐かれたような気がする。正直泣かせた側としてはかなり気まずかったが、よくよく考えずとも禁書は幼いワースの顔をしていて、その害意はワース以外に、主にワースに牙を剥くものに向けられている。ワース本人を苦しめたり困らせたりしないならば、可愛い顔で足元をちょこまかとされるのは非常に微笑ましい。そしてなにより、誰かに手をふり返す、というのは、オーター・マドルのさほど長いとは言い難い人生の中で初めてのことだった。ついでに、ワースにこちらへ手を振らせたのも。じいっと自分の手のひらを見る。「無邪気な淵源」事件が終結してワースに会うため足繁くイーストン魔法学校へ通っていた頃を思えば、随分と気を許されたものだと思う。最初の頃なんか、アベル・ウォーカーから門前払いを受けていたのだから。ちなみに卒業式の頃に受け取りを渋られた箒飾りはまだきちんとワースの箒についていて、オーターには彼の向かった先が手に取るように分かる。マーガレット・マカロンにはそれとなくワースの話をしておいたが、手応えはさっぱりであった。後はもう、ワース自身がマカロンに実力を示す他ないだろう。享楽的な彼がどんな判断を下すのかは分からない。ソフィナから新しく取得した音魔法の呪文はほぼモノにした、と聞いてはいるが、若干の不安は残る。随分と禁書が協力的なようだから、再び倒れるような事態にはならないだろうけれども。
「…………」
懸念、といえば、ワースの養父アベル・ウォーカーの件だ。領地から滅多に出ないと言われる若領主だが、なかなかどうして、領地での評判は良い。当初、付け入る隙の多い若領主とアベルを侮っていた評価は、変えねばならないだろう。表立っては、誰も言わないが、アベル自身と婚姻関係を持って外戚となろうとする貴族や、ハナから禁書使いのワースと縁付くことを狙う周辺貴族をそれなりの手腕で排除しているらしい。副官として共に領地にいるアビス・レイザーと揃って、珍しい使い手を配下や養子としているからと、中央貴族たちはこぞってアベルに奇妙なあだ名をつけている。それが的を射ているかいないかは置いておくとして、そのような挑発まがいの振る舞いで溜飲を下げるのはさほど良い手であるとは思わない。中央貴族は領地持ちの地方貴族を侮る傾向があるが、アベルは奴らにどう出るだろう。そも、彼はあまり権力闘争に関心がないらしく領地から出てこないから、オーターが得られる情報も限られて来る。ある種不気味な相手だ。……というか、オーターがプロポーズまがいの告白をしたと知られれば、さくっとオーターまで排除に掛かるかもしれない。イーストン魔法学校にいた頃のように。
「…………」
よし、触れないでおこう。
戸籍上の関係性は向こうの方が上である。告白を断られたくらいで諦める気は毛頭ないが、ワースの気持ちがついてきてくれなければ、どのような形で反発されるか分からない。なるべくなら正攻法で行きたいのだ。それが結局1番、ワースを納得させられる。今更アビスが魔法局から自分の領地へワースを引き戻すとはとても考えられないが、余計な情報は耳に入れないに限る。
久しぶりに自分1人だけで過ごす休日はひどく静かだ。けれど戸棚を開けばワースと禁書が手作りした焼き菓子が仕舞われている。型抜きクッキーなんて、一体彼はどこで覚えてきたのだろう。間違いなく、マドル家ではあり得ない。菓子ひとつとっても贔屓にしている店があり、茶菓子として供されるのも規定された量だけだ。自分で淹れたコーヒーと共に、2人が作ったクッキーをひとつ齧る。焼き色用にと溶いた卵はオーターが塗った。少し不恰好な、しかし優しい味がするクッキーの先から、2人の賑やかな笑い声が響くようだった。
ゆっくりとオーターは瞳を閉じる。
2人とも、早く帰ってこないだろうか。
何年も一人暮らしをしてきた筈なのに、あの賑やかさが今は恋しかった。
◆◇◆◇◆
「わたし」は困っちゃうなぁ、とソレを見上げる。
原初の切れ目、無と有の混在、すべてが混じり合った、混沌。
カナリヤが開閉を繰り返すものだから、神が這い出て来てしまう。まったく、「わたし」のカナリヤは難儀なモノにばかり好かれたものだ。勿論、「わたし」も含めて。
ふと、カナリヤの顔を見る。彼生来の頬に走る2つの線の端に、ぴりぴりといばらのように光る痕がじんわりと見える。……やれやれ、神は解っちゃいない。カナリヤの顔に光の道がひと筋増えたって、貴方は人間が支えるには重過ぎるのだ。
まぁ、どうせ出て来れやしない。
出て来たってカナリヤが振るえるとも思えない。
じゃあ、まぁ、いっか。
「わたし」は首を傾げて抱き上げようと手を伸ばすカナリヤに、にっこりと笑いかけた。
◆◇◆◇◆
物言わぬ快晴の空が眩しい。
勝ってねェ〜!意味わっかんねぇ、どういう理屈で音魔法を動かしてやがる。……いや、理屈が分かった所でマーガレット・マカロンを倒せるかどうかは別の問題なんだけど。リトルデビルは相変わらず、ワースが大の字でその辺に転がっていると嬉々として腹の上に乗ってくる。遊んでんじゃねぇんだぞこっちは。いや、分かってて乗ってきているのだろうけれども。虚無りながら空を見上げていると、ぬっと人影がこちらを覗く。
「ねぇ、アレってどうやってるの?」
「アレ?」
「んもぅ、嫌ね、魔法陣のことよォ」
むくりと身を起こし、腹から膝へ乗せたリトルデビルの頭を撫でながら、あぁ、とワースは頷く。
(そーいやさっきもいやに気にしてたか)
かといって、別に魔法陣でマカロンを攻略出来たわけではない。あっさりと弱点を見抜いて破ってきた。しかしあの攻撃方法は気に入ったらしく、楽しげに身をくねらせている。その元気そうな姿を見て、まったく、とワースは水で喉を潤した。
(……コレとカルパッチョをまとめてぶっ飛ばせるレインの異常さが知れるな)
元より戦闘向きの魔法をしているが、同じ歳の神覚者を思うと、自分が並び立てなかった理由がよく分かる。またネガティブな部分が頭をもたげてきたので、首を振って追い払い、ワースは杖を取り出す。
「マカロンの音魔法じゃ難しいかもしれねーけど、単純に魔力を混ぜながら使えそうな魔法陣の形をこう、そのまま……」
「……待ってちょうだい、私そらで魔法陣なんか描けないけど」
「………………、……そこは、その、暗記からちゃんとやれよ!なんでもかんでもショートカットすんな!」
「んもー!これだから優等生ちゃんは!融通が効かないわねぇ!」
叫んでみたら叫び返された。言葉の強さとは裏腹、双方が笑っている。まぁ、どちらも本気ではないし。そもそも魔法陣はそれほど暗記を要しない学問だ。まぁ、最低限必要なものはあるにせよ基本は使う魔法の規模と効果に対応した論理式の演算である。描いた論理が正しければ大抵は発動する。ワースは何もない空間に光魔法、拘束魔法、火炎魔法の魔法陣を順に浮かべ、最後になんとなく、治癒魔法の魔法陣を描いた。
「フツーは魔力の籠もった専用の紙とインクで描くんだけど、そこで使う分の魔法を泥に乗っけちまえば、全然行ける」
魔法陣はそもそも魔法の扱いが不得手な人間のために発達した技術だ。その趣旨ゆえ、最初から材料に魔力が籠っている。それが正しく発動するよう、なるべく均一になるように紋様を描きながら魔力を注ぐ。普通の魔法陣であればその紙を握って、発動を念じながら魔力を流せば良い。陣に描かれた紋様に見合う魔力が流れれば発動する。……尤も、相性が悪い属性だと要求される魔力も増して、正しい紋様でも不発だった、なんて事故もあるが。
泥魔法で直接魔法陣を描いてしまえば、魔力の均一性だの必要魔力量だのは考えなくて良い。杖を通して調整できる。とはいえ、普通は護符のように事前に準備して、有事の際に念じて使うのが魔法陣である。戦闘中に描いて打ってしては、魔力がどれだけあっても足りないし、通常の魔法よりも魔法陣を描いて魔力を通す分、時間のロスが痛い。実際ただの泥魔法よりひと呼吸分発動が遅れるので、マカロンにはそこを狙われた。距離をとって対応できるが、彼の速度相手ではお粗末すぎる対抗策だ。あまり良い戦略とは、ワースは思わない。禁書の膨大な魔力収集能力があるとはいえ、泥魔法として魔法陣を描くのはワースなのだ。身体を通り抜けていく魔力でそのうちに回路が熱暴走を起こすのがオチである。
作り上げた魔法陣の中から、単語の構成ごとに文字を引っ張り出す。
「古代の装飾文字で読みにくくはあるけど、全部いまの言語に対応する言葉だから、出したい魔法に合わせて文字を組み合わせて……」
「はー……」
名詞、助詞、動詞など、品詞によって分けてみる。ふよふよと浮く装飾文字を見ながらマカロンは頬杖をついた。その顔は、新しい玩具を見つけた子供のようになっている。思わずぶるりと、ワースは震えた。
「ワースちゃん、ソフィナちゃんに言っておいてくれるかしら?」
異様な雰囲気のままマカロンは微笑む。天才同級生に怯えてどうする、とワースは腹に力を込めた。ワースの気持ちは読み取りやすいだろう。マカロンは睥睨して、うふふ、と声まで漏らした。
「魔法陣は私が貰うわ。その場で描きながら戦う魔法陣技師なんて前代未聞よ。私が最強に仕上げてアゲル」
「いっ、いやちょっと待てマカロン。戦って分かっただろうけど、普通の魔法よか発動が遅いから隙ができるんだって!魔力も食うし、合理的じゃ……」
「やーねー、オーターちゃんみたいに合理性だけで判断するなんて」
うぐ、とワースは黙り込んだ。
「発動速度を上げて、魔法回路を強靭にすれば良いんでしょう?魔力はデビルちゃんが供給してくれるし」
「するよー!」
「良いお返事ね」
うふふふふ、と笑ったマカロンはリトルデビルの頭を撫でる。
「魔法回路なんて鍛えれば強くなるわ。筋トレみたいなものよ。発動速度も同じね。手で魔法陣を描くのと同じ。慣れよ、慣れ」
「……慣れっつってもな」
「できるわよ。アナタなら」
軽く言ってくれる、とワースが肩をすくめる。しかしマカロンは囁くように呟く。
「こーんな無茶な魔法陣の使い方なんて、アナタがダメなら他に出来る奴なんかいないわ」
「……んな無茶なモンかねぇ」
「はー、これだから優等生ちゃんは困るわァ」
マカロンは大業に首を振ってみせた。
確かに、作った魔法陣を留めておく形に魔法系統ごとの適性はあるだろう。泥魔法はその意味でかなり使い勝手が良いのは認めるけれども。例えば音魔法なら、地面に魔法陣を描いてそこに一気に魔力を流し込むとか。……何の力もない砂地に書く以上、要求される魔力量が高そうで辟易するが。
「そうね……私、しばらくココを拠点にしているから、週一でいらっしゃい。私の次に、最強の男にしてアゲル」
……その言葉は、既に矛盾を孕んでいるのではないか。ワースは思ったが、既にツッコミを入れる気概はない。ややぐったりとした気持ちでゆるく手を挙げた。
「……おー、」
「オーターちゃんにもよろしく伝えておいてちょうだい」
「…………おい待て、なんでアイツが出て来る」
いま最もワースの頭を悩ませている男の名前にギョッとして目を見張る。マカロンは瞬きをして小首を傾げていた。
「何って、……ワースちゃんの師匠になってくれないかって、先に連絡があったのよ」
「はぁ?」
「あらヤダ、相変わらずねぇ、オーターちゃんは」
「…………」
そう言えばイーストン魔法学校卒業前にオーターに追い回されていた頃、マカロンはワースやアベル達の様子をゲラゲラ笑いながら見ていた。チラリとこちらを見たマカロンはくすりと笑ってみせる。その思わせぶりな視線にムッと唇を曲げた。それを見てマカロンは更に笑みを深める。
「もしかしてついに告白でもしちゃったのかしら」
「…………っはぁ!?」
「……え、待って、まさか……もしかして、本当に?」
「…………」
くっそ、と舌打ちしたくなった。というか、ちょっと漏れた。こちらを見ての予想、というよりもいつもの揶揄いだったのだろう。過剰反応したワースが悪い。「うふふふふふ」と、これ以上もないほどの笑顔を浮かべたマカロンがにじり寄って来る。
「マジで勘弁しろ黙秘する」
「やーねー、私とワースちゃんの仲じゃない?」
「テメェとはどんな仲でもない」
「これから師匠と弟子でしょ?」
「っかー、早まった、マジでミス。今からでも音魔法の使い手探すわ」
つれないわぁと嘯くマカロンは、どう動いても追い回せるようにと腰を低く下げている。ここからマカロンを撒いて逃げるのも面倒である。というか、コイツと今更速さ勝負などする気は起きない。
「変だなぁと思っていたのよォ。ワースちゃんの箒飾りって、オーターちゃんからのプレゼントでしょう?」
「………………」
なんで分かった、と口を開きそうになるところをぐっと堪える。さっきの二の舞はごめんだ。砂魔法程でないが音魔法も魔力探知に優れているし、神覚者試験の時にマッシュ・バーンデッドの見張りとしてマカロンはオーターからの依頼を受けていたはずだ。その時に魔力の質を憶えていたとしても不思議はない。
「もう、すっごいえっぐい魔法道具持たされているじゃない?アレって愛だなァと思っていたのよォ」
「……はぁ?」
「アラ、気が付いていなかったのかしら」
うふ、とマカロンは自分の唇の横に人差し指を置く。いやマジで、可愛くねーからその仕草ホント勘弁しろ。
「防御魔法もろもろの他に、位置情報の追跡魔法を隠匿して入れてるわよねぇ?」
「はぁ!?」
「……え、本当に?デビルちゃんは気が付いていたわよね?」
「入ってるよー!」
リトルデビルが挙手をして元気よく答える。呑気な膝の上の魔導書を見ると、向こうもワースの胸に後頭部を当ててこちらを見上げて来る。目が合ったのが嬉しいのか、にっこりと笑った。……違う、そうじゃない。
「お、おいおい待て待て、それ大丈夫な奴なのかよ」
「大丈夫か大丈夫でないかと言われると……そうね、いまのワースちゃんを見る限り大丈夫ではないわね」
「場所が分かるってだけで危ないものじゃないよ?」
きょとん、とした瞳でリトルデビルは首を傾げた。……そうだ、コイツは「個人情報保護」とかっていう概念を知らないのだった。というか、気が付いていなかったのは俺だけか。チクショウ。
そういえばリトルデビルを手に入れたあの洞窟へ行った時、ワースの泥人形を見抜いたとはいえ、オーターの洞窟到着がいやに早いと思ってはいたのだ。砂魔法の探知能力とはいえ、あの集落周辺には多数の洞窟があったし入り口もたくさんあった。加えて、ワースも追われていることは分かっていたから、本格的な戦闘に入るまで気配を押し殺して動いていたのだ。いま思えば、洞窟入り口に立てかけていた箒を……正確にいえば箒飾りを追って来たに違いなかった。墓地管理局に出向していた時もそうだ。魔法発動時の光を追いかけて来たとはいえ、あの時ワースが展開する泥魔法全てが光っていたはずだ。あの広大な霊園で死者に殴られかけたワースの位置にピンポイントに現れるのは、普通に考えれば難しい。箒飾りでそもそもある程度まで位置が特定出来ていたとすれば、あとはより魔力が大量に溢れている場所に向かえばそこが戦闘地点である。闇雲に探すよりずっと、早く辿り着ける。
「それでそれで?ワースちゃん的にはどうなのよ、オーターちゃんのコト」
「……クソ楽しそうだな」
「あらァ、楽しいに決まってるじゃァない。恋バナなんて」
「………………」
なんらかの法律に抵触するだろう魔法道具を持たされていた、という話を今まさに知った状況で恋愛話が出来ると思っているマカロンの正気を、シンプルに疑う。ついでに瞳をキラキラとさせて下からこちらを見つめている魔導書の正気も。……あ、いや、リトルデビルはいつもこんな感じだった。
……となると、持ち主に気が付かれないレベルの隠匿魔法を掛けてまで位置情報を知ろうとしていたオーターに、全然ちっとも嫌悪感を憶えないワースも、それなりに正気ではないのかもしれない。だいたい、自分がピンチの時にそう都合よく現れる他者なんか存在しないのだ。その「都合よく」が人為的に作られたものの方が、ワースは安心できる。だってそれは、彼がワースの為に時間も労力も割いた証に他ならない。
「ぼくはいいと思う、オーター!」
「あらあらあらあら、お身内には好感触じゃない」
「おい待て、俺ら血ィ繋がってんだぞ」
咄嗟に最も大きな懸念事項を唇に乗せると、マカロンは分かりやすく眉を吊り上げた。そして仰々しく肩をすくめる。
「貴族じゃ結構前例があるでしょ?だいたいアンタ達、そんなに家族として生活していないでしょう」
「う…………、」
「マカロンちゃん、マカロンちゃん。……実はいま、ぼくたちとオーターは、なんと、一緒に暮らしています!」
「きゃー、なにそれェ!んもう、それもっと早く教えなさいよォ」
ひとり奇妙に盛り上がるマカロンと、なぜか胸を張るリトルデビルにワースはがっくりと肩を落とす。リトルデビルにはそのうちキチンと、個人情報はそうペラペラ喋るものではないと教え込まねばなるまい。
「オーターちゃんってあんな感じなんだから、屋敷にそう簡単に他人なんか入れないわよォ。これはもう、本当に本気じゃない?」
うふうふと頬杖を付くマカロンは本当に楽しそうだ。その顔に、ワースは少しむくれる。
(……知ってるわ、そんなこと)
ワースだって別に、オーターの気持ちを疑っている訳ではない。オーターは、あれで結構可愛らしいひとだ。壊滅的に家事が出来ないのに、共同作業が羨ましいのかちょくちょく手伝うことはないかと聞いて来るし、魔力さえ含まれていれば食べられると言っているのにリトルデビル用にいかにも子供が好みそうなお菓子を買って来たりする。それを大皿に開けてリトルデビルに構いながら食べていると、すごく優しい瞳でこっちを見ている。
じゃあ、自分は、一体何が不安なのだろう。
男同士であることは、貴族である以上さしたる問題ではない。禁書を巡る政略結婚じみた面は否定しきれないとはいえ、オーターはそういうつもりではないとはっきり言っているし、たとえその事情があるにせよ、むしろ「砂の神杖」に後見に立ってもらえるのはワースとしては得しかない。術者に深い仲の相手が出来ると反発する禁書もいる中、リトルデビルは反発どころか応援している。利害関係をみれば、考え得る状況の中で、障害になるものはひとつだって、ない。
胸に燻る何かを探して、ふぅ、とワースはため息を付く。
「……マカロンてさ」
「なァに?」
「………………男と付き合ったこと、ある?」
じいっと、頬に痛いほどの視線が突き刺さる。ぽふ、と胸に寄り掛かったリトルデビルが非難混じりのため息を吐いた。
「ワースはね、考え過ぎなの」
「え、そういうことなの?」
「……〜〜〜っあーもーあーもー、うるっせぇなぁ!」
だって、付き合うとなったら考えるだろう、普通!恋人としてどう向き合っていくかとか、どっちが上でどっちが下かとか!そもそもそーゆーの有りな関係なのか無しなのかとか!
異性と付き合うならその手のデートコースだの雑誌のセックス特集だのなんだの、自分や自分の周辺以外の人間の情報だって簡単に集められる。ワースだってそこまで奥手ではないから、だいぶリアルに想像出来ている。だが政略的なものを含む同性婚は貴族以外はまずやらないし、実体験やリアルな話は家門に関わることなのでそう簡単に表には出ない。当然、特集を組む雑誌なんかある訳がない。ワースが知っている情報だって、数百年前の貴族の日記だったりだとか、そういうところから得た知識である。結局なんだ、どういうことだ?男同士で付き合うって、どうするのが普通なんだ。オーターはどこまで想定してあんなこと言い始めたんだ。ある種感心したように、マカロンはひとつ頷いた。
「……ワースちゃんて、こんな所でも優等生ちゃんなのねェ」
「おいそりゃどーゆー意味だ」
「頭でっかち、ってこと。……でもまぁ、カワイイじゃない」
「勘弁してくれ……」
こっちは、一緒に住んでさえいるのだ。「失敗」したくないと思うのはむしろ当然だろう。
別にワースは、淡い感情を腹の中に抱いているだけでも良かった。そもそも神覚者なんか雲の上の存在だし、リトルデビルだっている。こっちが気にしなくても向こうが禁書の存在を嫌がるのならば、諦める以外に選択肢はない。
「それ、もう直接オーターちゃんに言ってみれば?」
「ズリいだろ、条件呑まなきゃ付き合わないみてーで」
「でも折れてくれなきゃワースちゃんが無理なんでしょう?」
リトルデビルの頭をそっと撫でる。杖と同じくらい、魔導書は自分の一部だ。自我を持って自立させている以上、なんとも思わないのは無理だとは思うが、こういう存在ということは理解を示してもらわねばならない。オーターは、ワースの魔導書に当たるような厄介なものを持っていないというのに。
「……なんか、一方的にして貰いすぎてる気がする」
「愛されてるってコトでしょ?」
「…………それだけの価値が俺にある気がしねぇ」
特殊な治癒魔法が使える訳でも神に愛された天才でもなく、手にした禁書の力を十全に引き出すこともできない。……かと言って、この頬に3本目の痣が浮かび上がって来たとして、それで自分の価値を信じられるとも思えなかった。だから忙しさを言い訳に屋敷を飛び出して来たのだって、一種の現実逃避である。戦っている最中は頭の中を空っぽに出来るけれど、目の前にいなくったって、ワースを悩ませるのはたった1人だけだ。
「困ったちゃんねぇ、もう」
「うるせーな……、天才のアンタにゃ分かんねーよ」
「人間関係に天才も凡才もないでしょう?……はー、やだやだ」
唇を尖らせたマカロンは大袈裟な身振りで首を振る。そうして、伸ばした人差し指でトンとワースの肩をつついた。
「よしんば、デビルちゃんに微妙な気持ちを持ってたとしても、我慢して受け止めるだけの「価値」があるかどうかを決めるのはオーターちゃんなのよ」
「…………」
「世界の誰がワースちゃんに「価値」が無いと言ったって、オーターちゃんが貴方がいいって言ったらそれはもうそういうことなの」
ふっとマカロンは肩の力を抜いて笑った。
「いっくら特別な魔法が使えたってね、好きな誰かの特別な相手になんかなれないの。恋って、そういうものじゃないもの」
瞳を伏せて語る姿は、どこか遠くを見るようであり、小さな何かに諭すようでもあった。ワースはその横顔をまじまじと見る。生まれながらにしての才能に恵まれた同級生。神覚者の枠に収まらない天才。マーガレット・マカロンを褒めそやす言葉は幾らでもある。しかしその顔は、どんな言葉よりもずっと人間味があった。
「それで、どうなのワースちゃん。もう心は決まったって顔に見えるけど?」
「……マジでお前、そういうとこ最悪だと思う」
「んまー、失礼しちゃうわ」
もうじき、週末は終わる。
一度ワースは家に戻らねばならない。
オーター・マドルが待つ、あの屋敷に。
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二次創作
マッシュル
サークル参加受付期間
5 / 24sp
06月28日 12:00 〜 12月01日 23:00
カナリヤ 12
からん、とオレンジジュースに島のように浮かんだ氷が音を立てた。小さな手が汗を掻いたグラスを両手で握り、ちゅうっとストローで啜る。それを見ながら、ワースは自分のカップを傾けた。ホテルのロビーでは緩やかなピアノの生演奏が響いており、それを聴きながら頬杖をつく。
「わっけが分からん」
「そうかなぁ」
先日、オーター・マドルにプロポーズまがいの告白を受けた。魔力暴発から目覚めたばかりのワースは知恵熱を出して2日ほど寝込んだ。暴発よりも知恵熱の方が長く床についていたのは、一体全体どういうことだ。そんな経緯もあって、告白の返事は一旦棚上げにして、待って貰っている。
しかし、なにもワースが特別軟弱な訳ではない。あのオーター・マドルが、だ。驚かされたこちらの身にもなれ。冗談を言うようなひとではないことは十分承知しているが、アレは天才だから、ワースとは言葉も考え方も常識も違うのかも知れない。
「ぼくは、良いと思うけどな、オーター。いいひとだし」
「………」
魔導書がオーターとの交際を勧めてくる理由もまた、良く分からない。元々魔導書は好意的だったが、魔力暴発から目醒めてから随分と仲良くなっている気がする。ワースが寝ている間に何かあったのだろう。風呂上がりやトイレで離席している時に2人でコソコソ喋っている様子がある。まあ、仲良いに越したことはないけれど。それはともかく、血の繋がった兄弟だぞ、その辺り気にしないのか。……いやそうだ、コイツ魔導書だから人間的な感覚は分からないんだった。ついでにこの間の事件で捕まえた巨人族相手に拷問かましやがって。けろりとした顔で「ちょっと遠くから、話し掛けただけ」と嘯いていたが、リトルデビルの「声」はそんな可愛らしい性質のものではない。あの後は本当に大変だった。始末書やら入局試験で必ず出題されるようなコンプライアンス研修やらで。あんな初歩的な法令をまるで理解していないかのように扱われるのはかなり屈辱的であったが、実際やっちまったものは仕方ない。もう金輪際、「任せる」だなんて曖昧な指示は出さない。胡乱な瞳を向けるが、いつも通りリトルデビルはにこにこしてオレンジジュースを飲むばかりである。
ワースとオーターは貴族であるから、血の繋がりのある実の兄弟で婚姻関係を結ぶことについては、そういうこともあるかな、という程度で特になんとも思わない。というか、随分研究でその辺りの身の振り方を失念していたが、話としてはもっと早く持ち上がっても良かったのだ。それこそ、ワースが洞窟から魔導書を連れ出してから。禁書の所有者となったのはワースだが、あそこはそもそもマドル家の領地の洞窟内だ。マドル家が所有権を主張し、現実的な落とし所としてマドル家の血族の誰かと婚姻を結ぶ、というのはかなりあり得る選択肢だった。禁書とその所有者を傍流に譲るのはリスクが高いから、相手は嫡男のオーター。貴族的な道理は通っている。政略というか、契約結婚に近い。ワースとしては、魔導書と引き剥がされないのであれば、別に結婚相手がどうなろうと、どうでもいい。
……だが、「交際する」となるとちょっと違うだろう。オーターの必死な様子を疑うつもりはないが、どこまで本気でどこまで踏み込むつもりなのか。いや、この手の同性きょうだい間での婚姻の場合、それぞれ愛人を作ったり政務を行わない方に特殊な魔法で子供を産ませたりするのは、ワースも理解はしている。ワースとしてはどちらかが子供を産む方向でちょっとリアルな想像をしてしまうのだが、これが全然的外れだったら困る。兄弟としての好き?恋愛感情が伴う好き?ついでに言えばそれはプラトニックを望む方の好き?もう少しやましい方の好き?……もう、大混乱である。一回知恵熱を出しているのに再びぐるぐると瞳を回し始めたワースに、リトルデビルはため息をつく。
「ワースはね、考えすぎなの。もう少しシンプルに受け止めていいとおもう」
「……お前、どっちの味方なんだよ」
「ぼく?……ぼくはねー、ワースを大切にする方の、味方」
にっこり微笑んで見せる。つい先日背伸びして禁書を読んでぶっ倒れたワースへの嫌みだろうか。まったく、いつの間にか「皮肉」なんて高度な言語コミュニケーションが出来るようになりやがって。自分の中の余裕のなさを隠すように、再びワースはコーヒーを啜る。
あの後、事件の全貌はオーターから報告がされており、ワースはそこに補足する程度の報告書の提出と、所属する禁書管理局への報告を行った。上司にして師匠のソフィナ・ブリビアには、自らが読んだ禁書の内容を、事細かに。
ソフィナ曰く、「取り憑かれている」タイプの禁書使いには、このようなパターンがよくあるそうだ。今までちっとも呪文が読めなかったのに、ある日突然読めるようになる。禁書との信頼関係や、術者がその魔法をどれだけ切実に必要としているか、そして身の危険がどれだけ迫っているか。そうした禁書と術者間の複雑な感情が絡み合って、押しとどめていた扉が開くように文字が浮かび上がってくる。禁書が術者を使って自身の魔法を行使する、というのもソフィナたちのように魔導書を自分の支配下に置いているタイプの禁書使いには起こらない現象で、比較的安全に、術者の実力以上の魔法が使える。もちろん今回のワースのように魔力が体内で暴発する可能性はなくはないが、「取り憑かれる」タイプの禁書と術者はほぼ拒絶反応なく魔力を循環させられるから、これもさほど問題にはならない。さすがにワースが幼少期から暴発など起こしたことがないと聞くとソフィナも目を丸くしていたが、幼少期から禁書に取り憑かれていたことを思えば十分あり得ることと納得された。「貴方たちはこれからもっと強くなりますよ、」と太鼓判を押され、戦闘訓練で禁書に記述された音魔法を使うようになったのは退院してすぐのことだ。……これが、本当に、驚くほど上手くいかない。
そもそも泥魔法と音魔法は系統がまるで違う。ワースにとって音は速いし軽すぎる。力加減も、他の魔法との組み合わせ方も。ある程度は使えるようになったが、使いこなせているかと言われると、首を傾げざるをえない。
だからわざわざ、ここまでやって来たのだ。
ピアノの生演奏が終わったタイミングを見計らって、ワースはゆっくりと立ち上がる。勿論リトルデビルも一緒である。ピアノの隣で一礼し、去って行くピアニストをそっと追いかけた。一瞬なんと呼びかけたものかと思うが、まあなるようになるだろ、と弱気を飲み込む。
「素敵な演奏をどうも」
「アラ」
相変わらず隙なくたっぷりと塗られたルージュは、天井の高いホテルの照明の下でキラキラと光っていた。本人の性格を思えば、「ギラギラ」と言っても良いかもしれない。ワースはそんなことを考えながら笑顔を作る。
「折角だ、一杯奢らせて貰っても?」
「まぁ嬉しい」
すっと伸ばされた手を、ドレスアップした女性をエスコートする時と同じように握る。はっきり言って自分よりも20㎝近く上背のある人物に行うとまるで格好がつかないが、そういうノリで話しかけたのもまたこちらである。途中でウェイターを呼び止め、メニューも見ずにシャンパンを注文する。先ほどまでワースとリトルデビルがいた席に戻ると、注文をしたグラスのシャンパンが2人分、ことりと置かれた。さすが、それなりのランクのホテルである。ここまでワースがエスコートしてきた相手は、それをスパンコールのような目蓋で艶然と見遣る。
「折角だもの。乾杯でもしておく?」
「何に」
「私たちの再会に、とか?」
上機嫌にウフフと笑う顔に若干げんなりとする。しかし頼み事をするのは自分の方かと納得をして、ワースはグラスを持ち上げる。
孤高の天才マーガレット・マカロンは満足そうに微笑んだ。
「卒業以来かしら。……噂の禁書使いと、私の再会に」
僅かに触れ合ったグラスは、高らかな音を立てた。
***
卒業後マーガレット・マカロンは様々な地を転々としていた。
マカロンは一流の音魔法使いであると共に、一流のピアニストでもある。闘技もピアノも興行だ。挑戦者の実力がさほどなければ瞬殺してすぐにピアノリサイタルに、挑戦者に力量があれば魅せる闘技をして観客を沸かせ、各地を回りその名を轟かせていた。学生の頃から名を知られているから、ファンも多いし挑戦者も多い。興行数が80回を迎えた今でも、当然のように無敗。どれほど記憶と記録に残る試合をするのか注目されているファイターだ。マカロンの現在地を掴んだのは他でもない、カルパッチョ・ローヤンである。リトルデビルの実験見学とその論文の下読みを交渉材料に連絡を取って貰った。タイミングも良かった。丁度休養期間としてホテルでの生演奏を請け負っているところだったらしい。
「私、禁書使いなんてナマで初めて見たわ。禁書って、こんなに可愛いのねェ」
「……ふざけてんのか?」
自分の横に座らせたリトルデビルの頬をもちもちと揉んでいるマカロンを睨み付ける。頭に角が生えている事を除けば、リトルデビルの顔はワースと同じである。美意識の高いマカロンが気が付かない筈がない。頬を揉む手を止め、ふっとマカロンは笑った。
「やーね、昔から美形ねって言っているのよ、ワースちゃん。余裕のないオトコは嫌われるわよ?」
言いながらリトルデビルを撫でる手つきは優しい。
意外すぎる。
ワースとマカロンの関係は、正直に言えば、かなり薄い。なんせオルカ寮長でありながら、マカロンは研究分野にさして興味を持っていなかったし、ワースはレアン寮では第3席。つまり寮として寮長に関わるほどの立場にない。ただ、常にワースは座学主席であったし、他寮とはいえ寮長を知らないほど迂闊でもなかった。共通の友人も、恐らくレアン寮を中心に探せば見つかる。双方、名前と人となりは知っている程度の、よくいる同級生同士であった。
「それで、私にお願いがあるんですって?」
マカロンの手から離れたリトルデビルが、とてててて、とワースの隣に回り込んで座る。どうやら撫でられて気が済んだらしい。ワースも手元に戻ってきたリトルデビルを撫でてやる。とろけるようにリトルデビルはワースの膝の上に頭を乗せた。
「俺に、音魔法を教えて欲しい」
「……ちょっと待って、どういうこと?アナタ泥魔法使いでしょう」
「系統違いっつーんだろ」
全くそうだ。
だからワースも困っている。
「コイツ……禁書の魔法の中で今の俺に使える魔法が音魔法なんだ。ただ、うまく動かせないし、使い所が分からない。だから音魔法での効果的な闘い方を教えて欲しい」
「…………へぇ?」
マカロンの瞳がじろじろと無遠慮にリトルデビルを見る。その瞳に宿るのは、ストレートな興味、高揚である。闘いを極めている最中のマカロンには禁書と自分の使う魔法が同じものであるという話は、一定の興味を惹けたらしい。
しかしマカロンは小さく首を振る。
「でも私、まだ弟子を取るってほど枯れてないの。ごめんなさいね」
だろうな、とワースも思う。
マーガレット・マカロンはイーストン魔法学校にいた頃から随分と面倒見が良いタイプであったが、とはいえ献身的なタイプでもない。何より、弱い人間に興味がない。教えを乞うということは、結局のところ自分がマカロンよりも格下であると告白しているようなものだ。格下の人間に時間を使うメリットが、マカロンにはない。
「いいのかよ?」
だから、挑発をするのはここしかない。
「お前以外の奴が、知らない間に最強の音魔法使いになっても」
「……あら、言うじゃない」
「アンタがダメなら他に候補はいるからな。それに、俺はもう魔法局員だぜ?」
グラスを揺らしてひと口飲む。
しゅわしゅわとした炭酸と、少し遅れて甘味が口の中に広がる。そういえば引越しをしたあの日、リトルデビルに初めて炭酸飲料を飲ませたのだった。あの時の顔は実に良かった。世界に対する驚きに満ちていて。思い出してワースはふふっと笑う。不敵な笑みに、見えているだろうか。
「マカロン、アンタが犯罪者にでもならない限り、俺と真っ向から戦うチャンスはもうない」
「…………」
お、表情が動いた。
よしよしと思いながらグラスの細い足を弄ぶ。
「禁書使いは初めて見たって?そりゃそうだ、どこも囲い込んで出さねぇし、誰も彼もが戦闘向きの禁書使いって訳でもない」
「……アナタは違うっていうのかしら?」
「レアン寮の、元3席だぜ?」
一応雰囲気を読んで身を起こし、神妙な顔をしていたリトルデビルをひょいと持ち上げ、膝の上に乗せる。胸がばくばくとうるさい。間違いなく戦いの天才であるマーガレット・マカロン相手にこれだけ大風呂敷を広げて良いのか。……いや、最早良いとか悪いとかじゃなくて、やり切るべきだ。こちらへ興味を向けなければどうにもならないのだから。ギュッとリトルデビルの手を握る。
「禁書で魔力を底上げされていたら、どんな闘い方をすると思う?」
実際問題リトルデビルに底上げされているのは魔力よりも魔法を使う手数だったり他に割くべき思考リソースだったりする部分だし、なんなら音魔法……つまり泥魔法との異系統魔法の方だが、これを説明するのはややこしいしマカロンがそそられない気がしたので割愛する。
マカロンはまじまじとリトルデビルを見つめ、口角を上げた。強敵を前にした時よくする顔だ。ワースは肌がざわつくのを感じる。
「アナタたち2人のハーモニーは知らないけれど、そっちの小さなワースちゃんは凄そうね?」
「リトルデビル」
「うん?」
「俺の可愛い禁書の名前だ」
顎をリトルデビルの頭に乗せて、ワースはふっと笑う。そして小さな手をふにふにと揉みながら、マカロンの回答を待つ。顎に手をやるマカロンの表情はもう答えが書いてあるようなものだった。
「……分かったわ。けど、私はつまらないものに時間を割くつもりはないの。アナタたちがちゃんと私を楽しませてくれたら、弟子にでもなんでもしてアゲル」
くいっとグラスを煽って、残っていたシャンパンをマカロンは飲み干す。その瞳は唇と同じくらいギラギラとしていた。
「アナタたちの実力を教えてちょうだい。……ワースちゃん、デビルちゃん」
ワースは震えそうな身体を叱咤して、口角を上げて応えてみせた。
◆◇◆◇◆
マーガレット・マカロンが滞在するホテルには、その格式に見合わない程に巨大で本格的な闘技場がある。初代オーナーが格闘好きであったことに由来するというが、未だその伝統が続いているらしい。興行の会場とすることを条件に、マカロンには無償で宿を貸しているのだそうだ。物好きというか、なんというか……。ピアノを弾いているのは、彼なりのサービスだ。何度かマカロンの興行の会場となっているその闘技場は、マカロンの調整期間中は使い放題らしく、至れり尽くせりである。天才は、まぁ待遇が違う。……僻んだって仕方ねぇけど。
ホテルで浮かないようにと準備して来たスーツを脱いで、いつものローブ姿になったワースはリトルデビルに抱き付いてもらう形で彼を背負う。マーガレット・マカロンは禁書使いとしてのワースの闘い方を知らないはずだ。なるべく長く、彼の興味を引いておく必要がある。
ただのだだっ広い闘技場なんて捻りのないフィールドで戦えば、まあまず間違いなくワースの負けだ。リトルデビルを使ったところで音速で来られたら対応出来ない。致命的に、マーガレット・マカロンとは相性が悪い。
(……ま、負ける気でいたら勝てるもんも勝てねぇけどな)
ワースも杖を取り出して構える。一旦リトルデビルにはワースの魔力の底上げだけさせて、「禁書」としては使わない。一種の賭けだが、マカロンなら乗ってくるだろう。
「こうしてアナタと対峙するのは、中等部の頃以来かしら?」
「さぁな。忘れた」
嘘だ。覚えている。
授業の一環として模擬試合をしたが、めちゃくちゃに負けた。物凄く悔しかったのでその後、音魔法はかなり研究した。だが2人の魔力差程度では泥魔法が不利を跳ね返して勝つのは難しいと悟り、幼心に眠れない程むしゃくしゃしたものだ。マーガレット・マカロンは昔から天才だった。同学年にはレイン・エイムズだっていた。友愛を感じているが、アベル・ウォーカーも、アビス・レイザーも。下の学年を見ればカルパッチョ・ローヤンにランス・クラウン。フィジカルお化けのマッシュ・バーンデッドに戦闘能力は皆無だが特殊な治癒魔法を操るフィン・エイムズ。他人は「砂の神杖の実弟だから」とワースの自己肯定感の低さを言うが、はっきり言ってこの環境で自分に自信を持ち続けられる奴は頭がおかしいか、自分の能力を客観的に分析できていないだけだ。天才たちに揉まれて、必死で学んできた。努力だけで埋められるほど神が与えた祝福は易くない。
「マッドロス」
「……!」
マカロンの半径5mを泥の沼に変えた。巨人族たちに使った落とし穴である。速さが売りの音魔法だ、足下を狙われるのは分かっていただろう。ただし昔であれば、これだけのレベルの沼を出すなら半径60㎝がせいぜいだったはずだ。イーストン魔法学校にいた頃よりも、ずっと広範囲でずっと高粘度の泥の沼である。ワースの実力は認識されているはずだから、「禁書」の底上げ能力を示すならこれが一番分かりやすい。
放っておけば自重で泥の中に沈んでいく。それを読んで、マカロンが即座に空へ飛び上がる。さすがの判断だが、避けにくい空中は明らかな隙だ。ワースはにやりと口元を歪めた。
「リトルデビル!」
「んっ!」
いつも通りの声が上がって、背後からぶわりと魔力が膨らみ泥の礫が飛ぶ。リトルデビルの泥魔法だ。本人が膨大な魔力の塊のような存在だから、リトルデビルには呪文の詠唱は必要ない。無詠唱魔法はワースも出来なくはないがこれほどの威力は出ない。マカロンも十分承知だろう。盾で防がれたが、目を丸くしているようだ。
「……やるじゃない」
タッとマカロンが地面を蹴る。
接近戦狙いだ。
その体格と、身のこなしならそちらの方が有利だろう。
ワースの読み通りである。
ワースは禁書管理局の中ではかなり動ける方の赤魔導師だが、はっきり言ってマカロンほど肉弾戦に慣れてもいない。首を軽く傾けて避けるが、チッとマカロンの拳が頬を掠め、その速度で裂傷が走る。いつものワースの戦い方ならば距離を取った方が正しい。……が。
(ここで引くのは「正解」じゃねぇ!)
一歩前に出て回転しながらマカロンの追撃を躱す。遠心力で振り回されるリトルデビルが「わー、」と場違いなほどに楽しげな歓声を上げた。その気の抜けた様子に忍び笑いが洩れるが、ローブの影に隠れた杖を、しっかり握り直す。
「マッドロス」
「……!」
地面からマカロンの顎めがけて泥の柱が伸びる。顔を背けて避けたマカロンの死角から脇腹に回し蹴りを繰り出す。しかし、これも身を捻って避けられた。トン、トン、と軽いステップでマカロンは距離を取る。まったく、相変わらず。
「良い動きね、ワースちゃん……!」
嬉しそうに微笑むマカロンの手には、指揮棒のような杖がある。ただし、彼はまだ、攻撃魔法を一度も使っていない。
(ナメてるっつーよりは、)
様子を、見られている。
在学中から、明らかに体術はマカロンの方が上である。そしていま、闘技場で戦い続けてきたマカロンに比べ、禁書管理局に勤めているワースはそもそも実戦に出る機会が少ない。経験においても、昔より更に差が付いていると考えて良いだろう。まともに組み合うのは得策ではないが、向こうもそれを分かっているから意表は付ける。さて、どう攻めるか。
「『ラ』ね」
「あ?」
コイツ、相変わらず相手の強さを音階で示しているのか。もう魔法学校も卒業して成人の仲間入りを果たしたのだから、厨二病も程ほどの所にしておかないとイタい大人に見えるぞ。……と、思ったが、当然ワースは言わない。なんせ、実力が伴っているからだ。実力さえあれば「詩的で格好良い」と評されるのである。光の神杖と同じだ。……まぁ、興行として格闘技をやっているのだから、これくらいの詩的表現は格闘家としてのキャラクター性って奴かも知れない、一応ピアニストだし、とツッコミをしたくなる自分をなんとか抑える。ワースの気持ちを知ってか知らずか、マカロンは「ウフフ」と笑う。
「昔のアナタは『ソ』よ。動きも判断も、ずっと良くなった」
「そら、ドーモ」
言いながら、背中に張り付かせていたリトルデビルをぐるりと回して胸元に抱える。マカロンは酷く楽しそうな顔をしているが、雰囲気がそれを裏切っている。だいたいコイツ、笑っている時の方が凶悪なのだ。それなりに好奇心を刺激する応戦が出来たらしいことを喜ぶべきだろうが、びりびり肌を刺すほどの威圧感に、いつでも対応できるように腰を落とす。
「……いいわよ?ワースちゃん」
「…………」
「デビルちゃんは書籍の姿で戦うんでしょう?本の姿に戻るまで手出しはしないわ」
下からじいっとリトルデビルがこちらを見つめる。言外に「どうする?」と問われている。
(……どうするもこうするも)
ワースが禁書の姿に戻さなければ、即座に終わらせにかかるだろう。面白いから次のステージに進め、と。そういう意味だ。
ふう、と思わず息を吐き出した。とりあえずは、第一関門突破ということか。ある程度、ワースの実力を認めたのだろう。でなければ禁書を使って見せろとは要求しない。
こちらを見上げていたリトルデビルがにっこりと笑う。合図など送らずとも、こちらの考えを読んだ魔導書は勝手にその姿を崩し、書籍の姿を現す。ふわりと浮かび上がったその魔導書に、そっとワースは手を翳した。過不足なく、ワースと禁書間の回路が繋がった感覚があった。言葉通り待っていたマカロンが笑みを深める。
「……で?今の俺の音がなんだって?」
「いいわね、ワースちゃん、デビルちゃん、とても良いわ……!」
まったくイカれてんな、と思ったが、さすがに声に出したりはしない。不意に、マカロンが妙に慈愛の溢れる顔で笑った。
「私は覚えているわ。アナタと中等部の授業で戦った時のこと」
「…………」
「確かにそうね、ワースちゃんアナタは、天才ではないのかもしれない」
知ってるっつーの、とワースは心の中で毒付く。
現に今、魔導書の力を十全に発揮させてはやれないし、希少な治癒魔法が使える訳でも、すこし魔導書が「話す」様子を見ただけで本質を見抜く洞察力がある訳でもなく、まして神覚者にもなれなかった。価値のない落伍者だ。そんなこと、誰に言われるまでもなく知っている。ワースの視線に気が付いてだろう、マカロンはふっと笑った。
「カンチガイしないでちょうだいね。私、別に才能のあるなしに興味がある訳ではないの。大事なのは今、アナタがここにいること。……分かっているでしょう?」
静かに、マカロンは杖を構えた。ぴたりと止まった切先は、ワースの方を油断なく向いている。強敵と出会ったその瞬間のように、マカロンはニィっと口角を上げた。
「レアン寮でのアナタの立場は第3席。アベルとアビスなんて生まれながらの鬼札を前にしては仕方ないわね。私も、アナタをお勉強が出来るだけの優等生ちゃんと侮っていたみたい」
「…………」
「どうしてもっと早く教えてくれなかったの?」
ぶわりと、マカロンの身体が膨れ上がったような感覚さえした。これがマーガレット・マカロンという男だ。強烈な威圧感は、マカロン自身の迸る魔力だ。肌にビリビリと刺すようなその気配に耐えながらワースは前を見据える。マカロンの声は、甘やかだった。まるで恋をしているかのように。
「アナタがこんなに、……面白いヒトだったってこと!」
マカロンが杖を振るうその瞬間、ワースも魔導書に翳した手に力を込める。それだけの動作で理解した魔導書が魔法を放ってマカロンの魔法を相殺した。2人の間に散った火花に、マカロンは楽しげな笑い声すら上げている。流石の戦闘狂である。
「いいわ、最高よワースちゃん!」
「……ちっ」
音魔法の最大の特徴は、その発動スピードと伝導力だ。少年の身軽な姿へと変化したマカロンであれば、もっと高速で魔法を放つから、これでもまだ彼は余力を残している。向こうは神覚者になれた才能の塊だ。付け焼き刃のワースの音魔法では、張り合えっこない。どうする。どう戦う。一応ワースとて、神覚者を目指したことのある学生だ。同世代の天才とどう渡り合うかは頭の中で何度も何度もシュミレーションした。あの頃とは違う、いまある手札でどう動く?
「……っマッドロス!」
「あらあら、まあまあまあまあ!」
マカロンと自分との間に無数の泥の柱を作り出す。顎に手をやったマカロンは楽しげに魔法が編み上がるのを待っている。別にワースを侮っているのではない。受けてみたいのだろう、マカロンを倒すためにワースが練り上げた戦略を。その全てを。余すところなく。「つまらない」と断じれば即座に戦闘不能にしようとしてくるはずだから、それを思えば随分とワースは高く買われたものだ。
魔法を展開しながらワースは泥の柱を縫うように走る。音魔法も周波や振動を使用する分、魔力探査能力が高い。砂魔法のオーター・マドル並みと考えて動くべきであろう。そして砂魔法よりも音魔法は、数段発動速度が速い。この状況でひと所に留まって戦うのは、狙い撃ちしてくれと言うようなものだ。魔導書に手を翳せば、当たり前のようにバラバラとページが捲られ思い通りの場所で止まる。すうっとワースは息を吸って、「ソレ」を読み上げた。
「▓▇▇█████、っ」
走る膝が、一瞬がくりと落ちる。眩暈がするほどの情報の奔流がワースの中になだれ込む。
あの後ワースが習得した音魔法は2種類ある。
ひとつはあの日防御に使った音魔法だ。やり様によっては音速の攻撃魔法ともなる、半円状の波動。そしてもうひとつはコレである。魔導書間のコミュニケーションを可能にしている音魔法だ。情報を音の波に変えて、リトルデビルが見ている世界を直接ワースの頭に流し込む。これがなかなか曲者で、リトルデビルの知覚世界は、天才でもなんでもないワースには手に負えないほどの情報量だ。魔法回路が焼ける前に、一部を残してシャットダウンする。それだけでも、無数の泥の柱の中にぽつりと立つマカロンの正確な位置が「見え」る。
(……一気に片をつけるぞ)
瞳を閉じて自前の視覚情報を封じ、走りながらワースは杖を構える。マカロンはまだワースの様子を伺うように、口元の笑みを残したまま周囲を警戒している。
「マッドロス」
ワースは杖を振り上げた。
柱の影、特に足元は既に警戒されている。確かに姿が見えていない相手を襲うなら、今までのワースならば足から狙った。泥魔法からすれば最も合理的で効果的な攻撃だからだ。けれどリトルデビルの「目」を通じて攻撃を仕掛けるなら、そこではない。上だ。無数の泥の礫がマカロンへ降り注ぐ。
ぴくりと動いたマカロンが大きく飛び退く。しかし泥の柱に音波を流して、ワースは強引に泥の軌道を変える。放った泥の礫は3割ほど当たった。完全に不意を打った筈なのにこの程度しか当たらないか。……しかし想定内ではある。そこからセメント程に硬く重くして動きを奪う。
「リトルデビル……!」
マカロンが作る盾の音波は「見え」ている。逆位相の音波を流せば無効化が可能だ。しかしそこは流石マーガレット・マカロン。シールドが無効化される度に曲調を微妙に変えて位相をズラして来る。ズラされた位相を更に解析して逆位相をぶつけて消す。イタチごっこだ。しかし今できるうちでは最も効果的ではある。少しずつではあるが、マカロンは泥に塗れていく。
「イイわ、ゾクゾクしちゃう」
手数としてはワースが押しているはずなのに、マカロンは怯んだ様子すらない。一応、ワースの位置はマカロンにまだ掴まれていない、はずだが。足を止めることはできない。
「サウンズ」
「マッドロス!」
マカロンが放った音魔法を泥の柱が反射して弾き返す。柱はそもそもワースの身を隠すために作り上げたものだが、マカロンの音が「見えて」いる以上、表面を磨き上げて音波の干渉を受けないほど密度を上げれば本人へ向かって攻撃を跳ね返すことだって出来る。角度やタイミングの制限もあって何度も出来る方法ではないが、「そうする事もできる」と示すのはある種の牽制にはなる。自らの攻撃魔法を避けたマカロンは高笑いをした。
「歓喜の春ね、ワースちゃん……!」
「…………っ」
くらりと眩暈がした。そろそろリトルデビルの魔法を使い続けるのも限界が近い。足を止めたワースは、ゆっくりと瞳を開く。途端に増えた情報量が身体中の魔法回路に負荷を掛け、ぐらりと足元がゆらぐ。けれど、まだやれる。こちらの動きを見ている訳でもないだろうに、同じように杖を構えたマカロンが高らかに詠唱した。
「サウンズメタモルフォーゼ」
「マッドロデビル」
衝突した魔法の圧力で、一瞬カッと光が走る。ぐっと握り締めた杖を、ワースはマーガレット・マカロンに向けた。
***
戦術の組み立ても、行使した魔法も、現時点のワースが出来る最高の出来であった。けれどそれでも、……「天才」にはまだ届かない。
「ちっく、しょー……」
初手から泥の槍か鏃で攻撃するべきだっただろうか?……いやマカロンはかなり頑丈だから、下手に泥を尖らせると強度で負けて弾き飛ばされる。ある程度の塊でダメージを与えつつ動きを制限するのは間違った戦略ではなかったはずだ。うんうん唸って先ほどの闘いを反芻する。大の字に寝転がるワースの腹の上にちょこんと乗ったリトルデビルが、眉をはの字に下げてこちらを見ている。その頭をくしゃくしゃと混ぜてやった。やり方は、間違っていない筈だ。そしてリトルデビルはワースが知る限り最高の魔導書で、最強の相棒だ。ワースだけが、足りないのだ。
「あら、とっても良い時間を過ごさせて貰えて私は最高だったけど?」
いつもの坊主姿ではなく、幾分若い「変身」姿のままマーガレット・マカロンは微笑む。子供っぽい反応だと分かりつつも、ワースは頬を膨らませた。
「勝った奴になんて言われても嬉しかねーの。俺は勝つつもりだったのに」
マカロンの「変身」の肝は、とにかくその速度だ。アレを止められる程の力をワースは持たない。そして巨大な「悪魔」を呼ぶワースのセコンズとは相性が悪い。だから敢えて「悪魔」の大きさを小さくして複数呼び、それぞれに役割を持たせた。マカロンを動かすための囮、動きを封じる枷、そして攻撃をする本命。途中まで読み通りの動きを見せたマカロンであったが、枷役が止めきれなかった。あれだけ泥の礫を喰らって動きが制限されていた筈なのに。完全にワースの火力不足である。うふふ、と勝者は艶やかに微笑む。
「第二魔法とは言え、同じ音魔法の使い手にここまで苦しめられたのは初めてよ」
「……そら、どーも」
「私の音階をここまで読めるひとはいないもの」
「…………」
それはリトルデビルの力だ。ワースひとりではマカロンの盾の解析なんか、不可能に決まってる。けれど、消費魔力が高過ぎて短期決戦にならざるを得ない。しかしすると今度はワースの攻撃魔法では火力が足らない。堂々巡りである。本職の音魔法使い程のスピードも手数も出せない以上、ワースにはここが限界だ。……もちろん、独学であれば、だが。
「良いわ。ワースちゃん、修行をつけてアゲル。報酬は……そうね、もっと強くなって、私をワクワクさせること」
「言っとくけど、……俺は伸び代しかねーよ?」
「愉しみだわ」
へっ、とワースは不敵に笑う。
ふくふくとしたリトルデビルの頬を優しく撫でて、その身を起こす。素直に撫でられていたリトルデビルは、にっこりと笑って「よろしくおねがいします!」とマカロンへ向かって手を伸ばす。ふくふくとした幼児らしい手に少し戸惑いながら握手をして、マカロンは困ったように首を傾げた。
「……大変、私、母性に目覚めそう」
ワースは、「天才」ではないかもしれない。
けれどそれは、努力しない言い訳にはならないのだ。
◆◇◆◇◆
うつくしい。
展開される魔法を見て、純粋に私はそう思った。確かに火力不足は否めないけれど、器用さはピカイチだ。リアルタイムに魔法の軌道をここまで描き続けられる魔法使いは、私が記憶する限りでもそう多くはない。普通は、予め決めた軌道を何本か組み合わせて戦う。戦いが長引いても途切れない集中力は流石のひと言ね。
「……マッドロス!」
「……?」
杖を天に向けて翳すワースちゃんを見て首を傾げる。魔法が展開しない。魔力切れ?そんな筈はない。彼の魔力はまだ潤沢にあるし、必要であれば禁書から引き出せるはず。ニヤリとワースちゃんが不敵に笑う。その瞬間、背後からぶわりと魔法が溢れる気配がした。思わず盾を展開するけれど、全然間に合っていない。出遅れた。この私が?びりびりと身体が痺れる感覚に目を見張る。電撃?あの子の魔法適性にはないはず。
ぼろりと崩れる泥が空から降ってくる。目を凝らせば、それは役割を終えて崩れていく魔法陣だった。一定の法則と共に古代文字で書かれたそれは私が知っているものよりずっと複雑な論理式だ。咄嗟に描いたのだろう。発動にかかるタイムラグもたったあれだけで。しかもこの威力。ウソでしょ、と思わず声が漏れた。
「アナタ、魔法陣まで扱えるの……!」
「そりゃ、ひと通りはな」
ひと通りだなんてレベルじゃない。私の様子を見て、これが有効な攻撃だと認識したのだろう。ゆるくワースちゃんが杖を振ると、いくつもの魔法陣が何もない空間に現れる。その素材は、泥だ。確かに原理的には「魔法陣を描けば」適性のない魔法でも使用可能だろう。その場に魔法陣を留めて置けるなら、紙やインクじゃなく泥の紋様だって発動はする。けど、思い付いたって誰もやらないし、やれない。あんな精緻な魔法操作なんて。
雷、風、炎、読み取れるだけでも雑多な魔法陣は、主要な攻撃力の高い魔法属性を全て集めていた。火力不足、と分析されたのが相当堪えているらしい。なんてカワイイひとなのかしら。ぷすぷすと未だ火花が燻るローブの端を軽く叩いて収め、杖を構える。
イーストン魔法学校にいた頃のワース・マドルは、悪いけれど私がそそられるような魔法使いではなかった。成績の良い優等生ちゃん。魔力量は申し分ないけれど、真っ向から戦えば勝てそうな相手に興味なんてないもの。
それがどうだろう。
禁書の補助があるとはいえ、魔法の軌道を引くのも咄嗟に魔法陣を展開するのも、彼の器用さのなせる技だ。火力不足を手数の多さで補って余りある。
「ふふふっ」
思わず歓喜の声が漏れる。
あぁもう、こんなに私をワクワクさせるだなんて、罪なオトコね。
◆◇◆◇◆
ワースに避けられている、ような気がする。
……一応、こっそり聞いてみた禁書曰く、「べつにさけてるつもりじゃないと思う」とのことだが。それで安心できるということでもない。
まぁ、無理もないと言えばない。あの後ワースは寝込み、入院が2日も伸びた。その後、禁書による勾留巨人族拷問の疑いがあり、ワースもソフィナも旁々駆けずり回ってなんとかして、しかし全くお咎めなしと言う訳にはいかないから始末書と研修の受講ということでなんとか納めた。この辺りを統括するカルドなど「この系統はあんまり咎めたくはないんですけどねぇ」などと嘯いていたが、規律的にもそう言う訳にはいくまい。
オーターも事件の後処理に追われていたが、ワースは研修とほぼ同時並行して、ソフィナによる禁書の戦闘訓練再開、そして今は、禁書の魔法に相応しい師匠を獲るべく泊まり込みで家を空けている。2日で戻ると言っていたが、どうなることやら。ただ激務の最中でも家に戻ればワースがいた生活をしていたから、1人の屋敷は少し寂しかった。
「…………」
家を出て行く前に「べっ、別に逃げる訳じゃねぇから!返事はちゃんとするから!」と顔を赤くして怒鳴っていたワースの顔を思い浮かべる。あれは可愛らしかった。ワースの姿をくふくふと笑う禁書が「いってきまぁす」と小さく手を振るのも。ワースが退院してから、……いや魔力暴発から目醒めてから、随分と禁書に懐かれたような気がする。正直泣かせた側としてはかなり気まずかったが、よくよく考えずとも禁書は幼いワースの顔をしていて、その害意はワース以外に、主にワースに牙を剥くものに向けられている。ワース本人を苦しめたり困らせたりしないならば、可愛い顔で足元をちょこまかとされるのは非常に微笑ましい。そしてなにより、誰かに手をふり返す、というのは、オーター・マドルのさほど長いとは言い難い人生の中で初めてのことだった。ついでに、ワースにこちらへ手を振らせたのも。じいっと自分の手のひらを見る。「無邪気な淵源」事件が終結してワースに会うため足繁くイーストン魔法学校へ通っていた頃を思えば、随分と気を許されたものだと思う。最初の頃なんか、アベル・ウォーカーから門前払いを受けていたのだから。ちなみに卒業式の頃に受け取りを渋られた箒飾りはまだきちんとワースの箒についていて、オーターには彼の向かった先が手に取るように分かる。マーガレット・マカロンにはそれとなくワースの話をしておいたが、手応えはさっぱりであった。後はもう、ワース自身がマカロンに実力を示す他ないだろう。享楽的な彼がどんな判断を下すのかは分からない。ソフィナから新しく取得した音魔法の呪文はほぼモノにした、と聞いてはいるが、若干の不安は残る。随分と禁書が協力的なようだから、再び倒れるような事態にはならないだろうけれども。
「…………」
懸念、といえば、ワースの養父アベル・ウォーカーの件だ。領地から滅多に出ないと言われる若領主だが、なかなかどうして、領地での評判は良い。当初、付け入る隙の多い若領主とアベルを侮っていた評価は、変えねばならないだろう。表立っては、誰も言わないが、アベル自身と婚姻関係を持って外戚となろうとする貴族や、ハナから禁書使いのワースと縁付くことを狙う周辺貴族をそれなりの手腕で排除しているらしい。副官として共に領地にいるアビス・レイザーと揃って、珍しい使い手を配下や養子としているからと、中央貴族たちはこぞってアベルに奇妙なあだ名をつけている。それが的を射ているかいないかは置いておくとして、そのような挑発まがいの振る舞いで溜飲を下げるのはさほど良い手であるとは思わない。中央貴族は領地持ちの地方貴族を侮る傾向があるが、アベルは奴らにどう出るだろう。そも、彼はあまり権力闘争に関心がないらしく領地から出てこないから、オーターが得られる情報も限られて来る。ある種不気味な相手だ。……というか、オーターがプロポーズまがいの告白をしたと知られれば、さくっとオーターまで排除に掛かるかもしれない。イーストン魔法学校にいた頃のように。
「…………」
よし、触れないでおこう。
戸籍上の関係性は向こうの方が上である。告白を断られたくらいで諦める気は毛頭ないが、ワースの気持ちがついてきてくれなければ、どのような形で反発されるか分からない。なるべくなら正攻法で行きたいのだ。それが結局1番、ワースを納得させられる。今更アビスが魔法局から自分の領地へワースを引き戻すとはとても考えられないが、余計な情報は耳に入れないに限る。
久しぶりに自分1人だけで過ごす休日はひどく静かだ。けれど戸棚を開けばワースと禁書が手作りした焼き菓子が仕舞われている。型抜きクッキーなんて、一体彼はどこで覚えてきたのだろう。間違いなく、マドル家ではあり得ない。菓子ひとつとっても贔屓にしている店があり、茶菓子として供されるのも規定された量だけだ。自分で淹れたコーヒーと共に、2人が作ったクッキーをひとつ齧る。焼き色用にと溶いた卵はオーターが塗った。少し不恰好な、しかし優しい味がするクッキーの先から、2人の賑やかな笑い声が響くようだった。
ゆっくりとオーターは瞳を閉じる。
2人とも、早く帰ってこないだろうか。
何年も一人暮らしをしてきた筈なのに、あの賑やかさが今は恋しかった。
◆◇◆◇◆
「わたし」は困っちゃうなぁ、とソレを見上げる。
原初の切れ目、無と有の混在、すべてが混じり合った、混沌。
カナリヤが開閉を繰り返すものだから、神が這い出て来てしまう。まったく、「わたし」のカナリヤは難儀なモノにばかり好かれたものだ。勿論、「わたし」も含めて。
ふと、カナリヤの顔を見る。彼生来の頬に走る2つの線の端に、ぴりぴりといばらのように光る痕がじんわりと見える。……やれやれ、神は解っちゃいない。カナリヤの顔に光の道がひと筋増えたって、貴方は人間が支えるには重過ぎるのだ。
まぁ、どうせ出て来れやしない。
出て来たってカナリヤが振るえるとも思えない。
じゃあ、まぁ、いっか。
「わたし」は首を傾げて抱き上げようと手を伸ばすカナリヤに、にっこりと笑いかけた。