らき

2024年でスガさん受けの二次創作を卒業することとしました。ここは倉庫として残しておきます。
pixivで読めるものもあれば、ここにしかないものもあります。

アルバムタイプは、SSメーカーさんで作成した画像テキスト。
ここにない過去作・新規作の短文はポイピク https://poipiku.com/465223/
└月菅短文ログスレ https://pictbland.net/threads/detail/9743
└【2023/06/10イベ用】 https://pictbland.net/blogs/detail/73113
└【2024/02/11イベ用】https://pictbland.net/blogs/detail/83640

下↓の「作品シリーズ」からお好きなCPへ直行できます。
だいぶ整理しました。

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投稿日:2024年12月14日 00:41    文字数:12,337

Dine At Home・1(2020/01/12~2022/02/20発行・月島蛍×菅原孝支)

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コミックシティ119とRTS‼34で発行した月菅本のWeb再録です。
高校卒業後の菅原/高校2年になった月島/両片想いからの気持ちが通じるまで。
えっちはほぼありません。「2」の後半にちょろっと。
この本をお手に取っていただいたみなさまありがとうございました。公開するにあたり、わたし自身気になった箇所を修正、言い換え、付け足しを行いましたが、大筋は変わりません。
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その人が笑う度に、僕の中で消えた筈の過去の蟠りが、蓋の隙間から陰気な顔を覗かせる。





「ただいま……」
「おかえりなさい」
「!? ……つ、月島ぁ~~~!!」

 自分が僕をこの家へ呼んだくせに、その人は帰って来るなり僕の顔を見て、玄関先で数秒固まった後、眉尻を下げ口唇をわなわなと震わせて、自分が脱いだ靴に躓きそうになりながら僕にタックルを噛ましてきた。
「ああちょっと肉厚になってる……でも月島だぁ~」
 胸板の辺りにぐりぐりと顔を擦り付け、両腕で抱き着いて、背中を摩られたり脇腹を摘まれたり、こそばゆさとその人が肩から下げてる鞄がさっきからばしばしと足に当たって痛い。
「別にそんなに久しぶりでもないでしょ、ちょっと落ち着いて。離れてください」
 彼の肩を掴んで引き剥がそうと追いやる。西谷さんと違って、飛びつかれると暫くは離れないこの人を引き剥がす作業は、今に始まったことではない。
 シャツ越しに掴んだ肩は骨の感触しかせず、ぎょっとして肉がついているのか確かめる為に、彼の二の腕まで手を滑らせる。メジャーで計るように親指を回して鷲掴みにすると、肉と筋と、その人が力を入れると筋肉が締まって数ヶ月前の名残を見せる。
「菅原さん、ちゃんと食べてますか? 運動してないのはバレバレですけど」
「なんか作ってくれたんだ? すげーいい匂いする」
 こそばいからやめろ、と言って、菅原さんは鼻の頭に皺を寄せて笑いながら、僕の指を一本一本引き剥がす。その代わり、自分と僕の手のひらを摺り合わせてぎゅっと握った。
 

 僕が高校一年の年の冬。飛べない鳥と冠された烏野高校排球部が一気に躍進した年。その年の春高が終わり、菅原さんは高校を卒業した。
 卒業前の、一月の春高。その後のセンター試験や入試。菅原さんは大学を私立と国公立両方受けると言っていたので、年越し前から部活と並行して受験勉強や準備を進めていた訳で、春高の二日目三日目と試合が進み、終わった後も気を抜く間も気落ちしている暇もなく、卒業式までノンストップだった筈だ。実際、東京から地元へ戻ってから、三年の先輩たちは体育館へは姿を見せなかった。
 たった一年にも満たない練習時間で、全国へ乗り込めるだけの強豪チームになれたとは、僕は思っていない。こつこつと地道にレベル上げをしてきた二年生と三年生。そこに少し器用なセッターが加わり、底抜け瞬発力のチビが飛び込んできて、あとは気力と体力だけで突破していった。体力バカが多かっただけ。なんて僕が言うと、山口や兄ちゃんなんかがああだこうだと傾いから、そうだねみんな凄かったねと言っておくのだが。
 祝・〇〇部全国出場! などという垂れ幕が校舎に掲げられているのなんて、別段珍しい光景でもない。春高出場まで5年のブランクがあったこのバレー部だって、今後も勝ち続けなければ誰々に憧れてだの、ここの監督に教わりたいだの、県内に白鳥沢や青葉城西、伊達工業など、バレーで名の知れた学校が他にある限り、影山のような天才が率先して入部してくるような境遇には恵まれない。
 菅原さんたち三年生が引退した後、僕たちは再び一からのスタートとなった。

「でもほんと、月島見違えた。体つきがこう、黒尾みたいになってきた」
「……そうですか」
「今度、こっそり練習見に行くな?」
 小さめのどんぶりに盛った煮物から里芋を選び、箸の先で器用に摘みながら、その人が微笑む。
(ああ、どうして)
 もう蟠りは消えた筈なのに、菅原さんの笑顔はある身近な人物の顔を思い起こさせる。元から雰囲気が似ているとは思っていたが、だからこそこの人のことは苦手で、なるべく遠ざけていた癖に、何故一緒に、目の前で、この人の部屋に自分は上がり込み、この人の為に食事の支度などをしているのか。そしてこの人が僕もよく知る他の人間の名前を出すと、むかむかと内臓から湧き上がってくる呑み下せない燻りは、嫉妬という感情に行き当たる。
「別に堂々と見に来ればいいけど、忙しいんじゃないの」
 僕がここに呼ばれたちゃんとした理由は、まだ聞いていなかった。

 
『俺より先に部屋にいて、おかえりって言って』
 昼休みに突然届いたメール。いたずらか? と思いつつ部活へ出たが、他の誰も騒いでいないところを見ると、自分だけに送られてきたようだった。
『鍵は番号で開くから』と、メールに書かれていた数字はたったの四桁。こんなに簡単に番号を教えていいのか。僕だけなのか他にも知る人はいるのか、いちいち気になる。
 高校のバレー部時代から菅原さんの言動は、ふざけてはいけない場面では非常に真面目なのだが、それ以外はゆるゆる。やたらボディタッチが多いのもチームメイトだけに留まらず、最初は人見知りか? と思う程様子を窺って近付いていくのに、そう時間をかけずコミュ力の高い人間から、僕のようになるべく人を遠ざけたい人間にまで、親戚かのような勢いで絡んでいく。だからといって本気で嫌がることはしないから、この人を嫌う人間は殆どいないだろう。
 だからこそ、その中でも自分は特別なのか? と期待値を上げながらも、自分が断れば誰か別の人に頼むのかもしれない、という不安が、僕にノーという選択肢を与えない。
 僕がその人の要望に素直に応えるのを、菅原さんが不信に思ったって仕方がない。僕自身が自分の行動を不信に思う。
 僕はまだ、菅原さんに対する自分の気持ちを測りかねていた。



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 この部屋の家主本人に教えられた暗証番号でキーを解除し、誰もいない部屋の扉を開く。玄関に靴が二足。傘立てに傘が二本。自分の靴を、菅原さんの靴の対面に揃えて置き、恐らく玄関脇の左右の扉はそれぞれトイレと風呂場であると見当を付けて、正面奥にある扉を開く。
 カウンターに仕切られたキッチンとダイニングが一緒になった部屋と、その奥にもう一間。意外と広い部屋に住んでいた。
 キッチンの流しに、水を張った鍋といくつかの食器が放置されている。カウンターには、そこしか置き場がなかったのだとでも言うようにテレビが一台。リモコンが二つ三つ。二人掛けのソファには、脱ぎっぱなしのジャージの上下が雑然と引っ掛けられ、書類らしきものが数枚。
 失礼してもう一つの部屋へ入ると、ベッド上の布団は半分に折り畳まれているが、その周りに積まれた本、机の上にも本やノートが、開きっぱなしになっているものもある。つい最近まで試験でもあったのかと推測される似たような資料が、付箋をびらびらとはみ出しながら積まれていた。
 この部屋の主が何時に帰ってくるのかは分からない。ひとまずキッチン周辺を何とかしてから、次を考えようと手を付け始めた。


 忙しいんじゃないの、と思った理由がこの部屋の、惨状とまではいかないが、余裕のない雰囲気にあった。
「忙しいと言えば忙しい……」
 現実を見てしまったのか、菅原さんはふと箸を止め、光を失くして一点を見詰めていた視線が徐々に下がり、目の前の椅子に座る自分からは、菅原さんの表情が見えなくなる。
 彼のトレードマークでもあるアホ毛が、無言で沈み込む本人と一緒になってしゅんと頭を下げ、どう声を掛けたものやら、じっとその後頭部を見詰めていると、
「でもさっ」
 急に顔を上げ、目力に気圧されてヒュッと顎を引いた僕の顔をまじまじと見ながら、
「月島の顔を見たら元気出たし、練習見に行ったらそのパワーで、試験もレポートも乗り切れる気がする!」
「……根性論」
「だからさ、しばらくこの部屋に住まねえ?」
「……は?」
 菅原さんが烏野の練習を見に来るのと、僕がこの部屋に住むのとが、卵が食べたいからニワトリを飼うみたいな、いや、カレーライスもカレーうどんも食べたいからご飯とうどんを一緒によそうみたいな?
(ああ、だいぶ混乱している)
 さも良い解決策だと自信満々に推してくる菅原さんの突然の提案に、僕の脳は無駄を断る理由を探しながら、どうしたらこの菅原さんのアパートから烏野高校まで支障なく登校出来るか、の計算を始めており、無理ですと即決するのが僕の特技でもある筈だったのに、もうほんとに……菅原さん以上に僕の方がどうかしている、と思わざるを得ない。
 この部屋からでは、普通に朝練のある日は最寄りのバス停から始発に乗っても烏野高校正門前まで間に合わない。日向のように自転車で山越えでもすれば可能なのだろうが、そんなの罰ゲーム以外の何物でもない。
 さすがに無理だ。さすがに、
「無理です……」
と試行錯誤の末に答えれば、
「だよな~」
と笑いながら即答されて、あまりにも軽い相槌にむかっ腹が立つ。
「でも今、すげー本気で考えてくれたよな。嬉しい。ありがとな」
「部活のない日なら、来れなくもないです」
「え……」
 ありがとな、と、すべて無かったことにしてしまう菅原さんの言い方にムキになった。無しにしたくなかった。
 最初に即座に断れなかったのは、自分でも可能であれば一緒に住みたいと、少しでも思ってしまったからだ。毎日ここから通うのは無理でも、時々来るくらいなら。衝動を理性で抑えた最善策。
「来ますから。他の人呼ばないでよ?」
 菅原さんは返事をする代わりに、テーブルの下からげしげしと僕の足を嬉しそうに蹴った。
 僕がこんなポンコツになったのは、烏野高校排球部に入ったのがそもそもの原因だ。



 ***
「ただいま……」
「おかえりなさい」
「!? ……つ、月島ぁ~~~!!」

 部活のない日は基本的にない。例えば体育館の点検日。土日は練習試合さえなければ日暮れ前に終わるが、予定が合えば知り合いの大学チームに呼ばれて、普段の練習では出来ないことを試みる。
 つまりあの日以来、僕は一度も菅原さんの部屋には来られなかった。今日来られたのは、試験前で部活が二週間ほど自由参加になったからで、自由参加だって言っているのに、いつもどおり放課後になると体育館へすっ飛んで行くバカは大体決まっているが、昨年同様、今度は縁下さんたち三年生が、部室で勉強会を開いてくれている。終われば自由にボールに触っていいという条件の元、補習を未然に防ぐ対策だ。
 今年入った一年生は割と優秀で、僕自身人の世話を焼かずに済むのはとても有難い。初めての春高を終えたくらいから、日向にも明確な目標が出来たようで、日向と影山の面倒を一任されていた僕から、まず日向が先に自立した。そうなると影山も、一人で僕に頼るのは癪なのか、部室での勉強会と自力でなんとか解決するようになった。おかげで僕の負担は昨年に比べて大分減った。

 約三週間ぶりに訪れた菅原さんの部屋は、前回来た時よりすっきりと片付いていた。
 もう精神的に安定したのかな、と、冷蔵庫の中を覗くとそこは前と同じく殆ど空で、ビールが一缶、六個入りの卵が一つ欠けた状態でパックごと奥に潜み、納豆のパックとドレッシングの瓶と、こんなのでは何も作れない。どうせ何もないだろうと踏んで、買い出しをして来て正解だった。
 いい感じにじゃがいもがスープに溶け込んできたところで、この部屋の主人が帰ってきた。そして、前と同じやり取りが繰り広げられる。
「まあ来れないよなって思ってたよ。ここ違いし。でも、毎日ちょっとは期待してたからさぁ~」
 キッチンで洗い物をする僕の腰に後ろから抱き着き、いつものボディチェックが始まる。
「ちょっと、水が跳ねるからやめて」
 ぐにぐにと脇腹を揉まれ、肩から二の腕をマッサージでもするように肉を掴みながら上下させて、
「もう木兎にも負けないんじゃね?」
と、ここでまた……。
「……あっちはあっちで、もっとゴリラになってるでしよ」
 先に卒業した人たちだから、春高が終わってからは会っていない。それとも菅原さんは、黒尾さんや木兎さんと今でも会っているとでも? 筋肉の状態を調べ合うような仲だとか?
 自分の身体を触られる度に誰かと比べられて、いつも以上に態度が辛辣になりかねない。自分だけが菅原さんの特別だと思い上がりかけた瞬間にこの仕打ちだから、この人は油断ならないのだ。
「月島、今日は泊まってけんの?」
 シチューを作っていた鍋を、玉杓子ごとダイニングテーブルの中央に置き、卵の消費期限が迫っていたので、三つほどゆで玉子にしてスライスしたのを、レタスときゅうり、トマトのサラダの上に乗せ、米も炊いてあるしパンもあるので、お好きな方をといった簡素なディナー。
 食器もそれ程数がある訳ではないので、深めのどんぶりと取り皿になりそうなものと、適当に好き好きにシチューをよそい、菅原さんは冷蔵庫のビールを取り出して、では食べようかと対面の椅子に腰掛けたところ。
 って、ちょっと待って。菅原さんもまだ未成年ですよね。ああ、ノンアルか。いや、そんなのはどうでもいい。
「え、あの、泊まり……?」
 月島も飲め、と言って、出してきたグラスにノンアルコールビールを注いでくる。
「明日土曜日だし、練習9時頃からじゃねぇの?」
「そうですけど」
 あっ、俺さ~キムチ買ってきたんだよね! と、菅原さんはソファに投げ出してあったスーパーの袋からガサガサとパックを取り出し、ついでに茶碗に炊飯器から白飯をよそって、サラダを取り分けた皿の上に買ってきたキムチを乗せて、レタスで包んだものを炊きたての白飯と一緒に頬張る。
「いやいやいや、着替えも何もないし、」
「お前いつも、部室のロッカーに着替え二、三枚入れてたじゃん」
「この格好で学校に行ける訳ないでしょ」
 ここに来る前に自分の家に寄り、私服に着替えている。変な時間に帰ることになるから、制服でバスに乗っていたら職質に捕まってしまう。
「この、かっこうでがっこうってお前っ……流行りのラップかよ」
 ノンアルで酔っ払われたら取り付く島もない。わははと笑いながら手振り身振りでラッパーの真似事をして、この芋の溶け具合最高だべ〜などとシチューを褒めてくれるのはいいのだが、菅原さんが旨そうに食べ進める姿を目で追いつつ、僕の脳は本人の預かり知らぬところでフル回転を始めている。
 一緒に住もうと言われた段階で、この部屋に泊まることになるのは当然の話で、僕の考えが浅かった。けどこの人は、それを踏まえて誘ったということになる。
「お前も早く食えよ。せっかくのシチューが冷めちゃうだろ」
 この考え無しのお手軽さんに、少し思い知らせるにはどうしたらいいのか。目の前のビール(ノンアル)を一気に呷り、そのあまりの不味さとその人の無神経さに、眉間の皺が今までになく深く刻まれた気がした。



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 人の家の風呂場を借りたのは人生で初かもしれない。山口とは小学生の頃からの付き合いで、お互いの家も何度か行き来しているが、泊まったことはない。
(せま……)
 一人暮らしのアパートだし、トイレは別だし、たぶんこれが普通サイズなのだろうが、如何せん実家のバスタプしか知らない人間としては、湯を張ってくれて有難いが肩も膝も潜り切れずに寒い。自分サイズになると家のバスタブでもはみ出すから、実家を出る時になったらその辺も考慮したいところ。
 夕飯も済ませて風呂も済ませて、着替えは明らかに僕では手足が短いであろう菅原さんのジャージが用意され、歯ブラシは買い置きの新しいのまで出してくれて、時間も時間だし、バスももうないから諦めるしかない。まだ引き返せるうちに決断出来なかった自分の責任。優柔不断な月島蛍は、小学校卒業と共にいなくなった筈なのに、僕はいったい何をしているのだろう。
「お先にいただきました」
「ははっ、手も足もやっぱすげー短けぇな。一周回ってかっこいいわ。腹は出てねぇ? 風呂も狭かっただろ」
「いえ、はい」
「どっちだよ。ドライヤーそこな」
 笑いながらベッドサイドのカラーボックスを示して、じゃあ俺も入ってくるわと言って、菅原さんはパソコン上の資料を閉じて立ち上がった。
(眼鏡……? 度は入ってないのか)
 パソコンを使う時だけなのか、先程香原さんが掛けていた眼鏡を手にして翳してみる。部活の時の姿しか知らない自分は、普段の菅原孝支という人を殆ど知らない。
 そういえば、今自分が着ているジャージには見覚えがある。部活の合宿で彼が着ていたものだ。胸に小さな刺繍があって、スポーツ用品のマークにしては変わっているなと、その時着ていた菅原さんの胸元を凝視した記憶。
 ドライヤーで適当に髪を乾かし、部屋の主が戻ってくるまでの手持ち無沙汰の時間、その辺にあった本をばらばらと捲っていた。

「お待っち。何か面白いのあった?」
 普段自分が買わない本だったから、気になった部分を真剣に読んでいると、菅原さんがタオルで髪を乾しながら寄って来た。
「菅原さん教育学部でしたよね。バレーの指導者にでもなるんだと思ってましたけど、これとかこれとか、範囲広すぎじゃないですか?」
 精神論的なものは分かるが、ピアノ教本だとか簡単に出来るマジック? いったい何者になろうとしているのか。
「まだ悩み中なとこもあってな~。教育論とか面白いベ?」
 僕が手にしていた本を覗き込んでくるのが近い。顔が近い。
「髪、早く乾かして」
 本を閉じて近付きすぎるその人を押し返す。風呂上がりのせいか、体温がいつもより高くて、手のひらから伝わってくる熱にドキリとする。
「月島は将来のこととか考えてんの?」
 菅原さんはベッドに腰掛け、素直にドライヤーを手にする。
「僕は……まだ、はっきりとは」
「そっか」
 ドライヤーのスイッチを入れると、その人の耳元で温風が静寂を破る。聞こえないだろうから、「バレーはもういいんですか」と呟いて、自分の中でも決めかねている未来を少しだけ想像する。悲観的になっても楽観的に考えても仕方がない。今は自分のことを頑張るだけで精一杯だ。
(頑張る、なんて、自分には必要ない言葉だと思ってたのに)
「この辺、片付けた方がいいですよね」
 絨毯の上に座っていた腰を上げ、手近な本から拾って集め、パソコンのある机の上に乗せる。
「ああ、別にいいって。どうせまた広げるし」
 髪を乾かし終えてパサパサになった頭を手で撫で付けながら、菅原さんはドライヤーのコードを片付ける。使っていた物をその場ですぐに仕舞う癖が付いているのなら、初めてこの部屋に来た時の乱雑さは相当だったのだな、と思う。っていうか、髪が酷い。
「そのまま寝るの? クリームとかオイルは?」
 自分も癖毛なので、なるべく髪は短めに保っているけど、毎度この状態で寝て、朝にはあの髪型に戻るとは到底思えない菅原さんの鳥の巣頭を、見るに見兼ねてもう一度ドライヤーをコンセントに差し直す。
「んなモン使ってねぇ」
 熱で死んだキューティクルを少しでも取り戻そうと、その人の髪全体に冷風を浴びせ、手櫛で軽く整える。温風の後に冷風をかけなさいと、美容室で教わったのだ。
 大人しく頭を撫でられていた菅原さんは、ふとまた笑って、
「お前オシャレとか、あんま興味なさそうな癖に、そういえば何気に着る物もカッコイイよな~」
「菅原さんは気を遣わなすぎでしょ。これとか、そのシャツも、どれだけエビが好きなんですか」
 借りたジャージも、本人が今着ている長袖のシャツも、似たようなエビのマークが付いている。
「エビ、可愛いべ?」
「はぁ。食べ物としてなら」
「食べても旨いけど、泳いでるの見てるのもさ~」
 え、まさかと思ったら、部屋の片隅に置かれた小さな水槽の中に、どうやらエビが住んでいるようだった。本で隠れて気付かなかった。
「サンキュー! 気持ちよかったぁ。お、ちょっとサラサラ?」
 ある程度菅原さんの髪が落ち着いたところで、ドライヤーを元どおりに直す。
「じゃあ僕は布団敷きますけど、」
「悪い、布団はねえんだわ」
「は?」
「合宿中だと思ってさ」
「……まさか」
「だいじょーぶ、寝れる寝れる」
「……菅原さん、僕の身長分かってます?」
「このベッド、2メートルあったと思うけど」
「無理です!」
 これは即答出来た。一人用のベッドに、まさか男二人で寝るつもりだなんて、本当にどうかしている。
「あ、やっぱりアイマスクないと寝れねぇ?」
 月島、合宿でもアイマスクして寝てたもんな。と言って、いやいやそうじゃなくって。
「大丈夫だって、俺蹴り落とされても、たぶん寝てるから」
 ほら、電気消すぞ~と、否応なしにベッドまで追いやられる。
「いや、ダイニングのあのソファーでいいですから」
「ダメ! 俺が一緒に寝て欲しいの!」
 その為に呼んだんだべ? と言われて、
「……はぁ?」
としか言葉が出てこなかった。
「一人寝が寂しいなら、抱き枕とか、買えばいいんじゃないですか」
「そういうのとは、違うんだよ」
「なんで、」
 なんで、僕なんですか。と、危うく訊いてしまうところだった。お前じゃなくてもいいんだけどという台詞だけは聞きたくない。たまたま捕まったのが僕だから――――と考えて、菅原さんが口にした黒尾さんと木兎さんの名前を思い出してしまう。その背中に、その胸に、この人が縋りついて眠っている図がちらついて、眼鏡の上から目元を手で覆って妄想を削除する。
「〜〜分かったよ、なるべくくっつかないから。風邪引かれても困るし、ここで我慢してよな?」
 布団、これしかないし。と言って、足の指で僕の脛をぐいぐいと押す。
「ほんとに……突き落とすかもしれないので、菅原さん壁際行ってください」
 とても眠れる気がしないが、家主の言うことは聞くしかない。次からはちゃんとバスの最終までには帰ろうと心に誓いつつ、次があるのを踏まえている自分の思考にも驚いた。



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 ***
「早いとこ、酒が遠慮なく飲める齢になりてぇ」
 それから試験期間中の毎週金曜日、僕は菅原さんの部屋に行くのが日課になった。元々予定を組んだら、計画どおりこなさないと気分が悪くなる性格。今日は行けるから行こうという突発的な行動は、僕好みじゃない。
「思ったんですけど、ノンアルとはいえ僕たち未成年者には、お店側は売ってくれませんよね。何でこの家にはあるんですか」
 毎回何かしら食材を買っていくついでに、菅原さんちの冷蔵庫にあったノンアルコールビールと、その時自分も飲んだがあまりにも不味かったので、少し甘そうな缶を一緒に購入しようとしたところ、レジで年齢確認に引っ掛かった。未成年者が飲んでも問題はないが、店側としては売れないとのことだった。
「まあそこは、先輩に……」
 へへへと笑いながら一缶空ける。将来この人は酒に溺れそうだ。
「今から癖になると怖いですよ」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」
 こういう輩が一番危険なのだ。そのうち本物のビールに手を出しかねない。
「今度、苦味の強いお茶買ってきます。苦いの好きなんでしょ、お茶でもいいですよね」
「月島ぁ、お前母ちゃんかよ」
 母というよりヘルパーじゃないかと、自分では感じている。大学生イコール暇人のイメージがあったが、この人はいつも忙しそうだし、来週から五日程研修旅行に行くと言っていた。その為、今日は大掃除から始めたのだ。
「それより、土日でまた部屋を荒らさないでくださいよ。もし洗濯するなら、外に干さないで。火曜辺りに雨が降るって言ってましたから。平日は、僕は来られないんですからね」
「まじサンキュな~。ほんとに、俺と暮らしてくんない?」
「お断りします」
 これ以上この人のヘルパーになりなくない気持ちと、自分以外を頼って欲しくない気持ちとが未だにせめぎ合っている。けれど、ここに住むのは物理的に無理だし、こういうことははっきり言った方がいいのだ。
「エビちゃん死んじゃう……」
「今までだって、殆ど餌あげてないでしょ。水草ちゃんと入れてるし、ライトもボンベも設置しておいてよく言う」
「この子ら、二代目だからね。って、月島も飼ったことあんの?」
「ありませんけど……水槽に唐辛子が入ってたから、心配になって調べたんです」
 辛いもの好きの菅原さんだから、冗談で唐辛子を食べさせようとでもしているのかと思ったが、水槽の水を綺麗に保つのに良いらしい。水草があれば、エビは勝手に藻を食べて生きる。藻の光合成に必要な明かりもライトが補っている。
「お前がどう思ってるのか知らんけど、俺も結構世話すんのよ」
「世話好きなのは知ってますよ」
 でなきゃ、たぶん僕もここにいないし、放っておくと誰かに取られるなんて心配はしない。この人が声を掛けて、断る人間がいるとは思えない。少なくとも、僕の知る範囲では。
(一番断りそうな僕が、断れないでいるんだから)
 「自分の世話も、ちゃんと焼いてくださいね。今日は僕が洗い物してあげますから」
 ごちそうさまでした、と席を立って、空いた皿を片付ける。今日は母親が持たせてくれた肉じゃがと、根菜を適当に切って蒸しただけの温野菜。メインがないなぁと思ったので、余ったベーコンと玉ねぎで炒飯を作った。大体卵はいつも冷蔵庫に入っているので、菅原さんに普段何を食べているのか訊いてみたら、卵かけご飯に納豆と即席の味噌汁。昼は大学の学食かファーストフード。夜はコンビニでおかずだけ買ってくるか、冷凍保存したご飯がなければ食べない。米を炊くのは保存分がなくなってから。
 実家から離れるとはこういうことか、の見本。まだ朝食を食べているだけマシだ。
「月島、家でもそんなん? 母ちゃんがみんなやってくれんじゃないの?」
 お前一番甘えてそうなのに。と言われ、少しムッとした。お互いに、お互いのことを殆ど知らない。
「僕も一人暮らしするかもしれないし、その時に備えてるんです」
 菅原さんが高校を卒業して一人暮らしをすると聞いて、受験と卒業を目の前で実感させられ、自分もあと二年後には家を出るのかもしれないと考えて、今から出来ることをしているだけ。当事者になってから慌てたくないだけ。
「月島ぁ~。ほんとに帰っちゃうの?」
 今日はやけに名前を呼ばれる。まるで猫みたいだ。呼ばれる自分が、ではなくて、呼びかけるその人の声が。
 靴を履く僕の後ろで、ジャージに素足のその人が、壁に寄りかかりながら足を擦り合わせている。
「そんなに寂しがりなくせに、よく一人暮らしなんてしましたね」
 誰かとルームシェアでもすればいいじゃないですか、と口にしてしまえば、だから一緒に住んでよと言われても困るし、本気で相手を見つけられても困るから、開きかけた口を噤む。
「何? 何か言おうとしたべ?」
「別に……」
「……」
 菅原さんも、目の前で僅かに口唇を開いて、でも言葉は出てこない。
「……何」
「い、や……、何でもねぇ……」
 無言でその人の顔をじっと見ていると、何かを伝えたそうに口を尖らせて斜め下を向く。言わなくても察して欲しいとでも言うように、自分の片足の甲で、立っている方の足のふくらはぎを擦りながら。
「……じゃあ、バスの時間があるので」
「あっあっ月島っ、」
「……なんですか」
 行こうとすると、上着の裾を掴まれて引き止めるから、
「そんなに泊まって欲しいの?」
 半分冗談、半分本気で口元を歪めて、その人と視線の高さを合わせ、顔を覗き込むように近付く。そうされるとムッとした表情を返し、僕の胸を押し返してくる。
「いいよ、別に……どうせ俺のワガママなんだし」
「僕じゃなくても、他にいるでしょ?」
 バレー部の後輩じゃなくてもこの人なら、同級生や大学の友人だっているだろう。墓穴を掘りそうだから踏み込むつもりはなかったけど、僕でなくてはダメなんだという、確信に近い思いが気を早らせた。
「早く答えないと――――」
 逃げてくれればいいと思いながら、先程よりも顔を近付けて様子を窺う。殆ど賭け。でも、負けるのが分かっていたらしない。
 どっちつかずだった不安定な気持ちは、ふとした瞬間、突然確信に変わる。たった数回、数時間、日常を一緒に過ごしただけで、部活で過ごした一年より遥かに濃くて。
 当たり前だ。ここにいる間僕は菅原さんだけを見て、菅原さんは僕だけを見ていたのだから、気持ちに気付かない筈がない。
 正面から瞳を覗くとその人も、視線を僕の口唇に移し、どちらからともなく吸い込まれるように重なる。高鳴る心音と甘い衝撃に軽く目眩を覚えて、菅原さんの後ろの壁に腕を着く。勢いでその人もよろりと後退り、壁に背中がぶつかった反動で唇が離れ、互いのずれたそこから吐息が漏れる。もう一度、もっと深く、と願うが、一瞬でも正気に戻った頭は体を硬直させる。
「す、」
 すみません、と続く筈の言葉が遮られる。もう一度、もっと深くしてきたのはその人だった。重ねるだけのキスは、それでもダメージは強烈で高揚感はそれ以上。
「眼鏡が……痛ぇ」
「……すみません、外す余裕なくて」
「一緒に寝ても、なんもしてこなかったくせに」
「あなたこそ、今……誘いましたよね」
「……ってねえ。だとしても、釣られるなよブロッカーが」
 熱い息と心拍数が治まるまで、額を合わせたままキスの余韻に浸る。そのくせ興奮で、二人とも饒舌になっている。
「あなたは敵ですか? 味方なら、今僕はトスを上げられたんでしょ」
「トスに……応えたのか? それだけ?」
 僕が確かな答えを欲しいように、この人も同じ。どちらかがその一言を言うだけでこの問答は終わり、先輩と後輩という僕たちの関係にも終わりが来る。
 この人は僕に言わせたいのだ。ずっと――――今に始まったことじゃない。遡れば、思い当たる節はいくつもあった。昨日今日の話ではなく、
「僕を……試してたの?」
 先に卒業した先輩と連絡を取るとしても、バレーを続けている人とだけ。続けているのか、もう離れてしまったのか、菅原さんは言わなかったし、筋肉の落ちかけた体つきを見ても、選手として関わっているとは思えない。
 僕たちは、バレー抜きでは関わりがない。部活以外でのこの人の姿を知らない。知らないのに――――いつの間にこんなに、この人が好きになっていたんだろう。
「僕の気持ちを、知ってたの?」
 誰かの手が真っ直ぐに僕の胸に伸び、指先が食い込んでめりめりと心臓の後ろまで、陰に隠れて厳重に蓋をされた瓶をこじ開ける。
 知ってたのなら、どうして言ってくれなかったの?
「月島、違う、試したんじゃなくて、俺は、」
「すみません、気にしないでください。研修、頑張ってくださいね」
 これ以上みっともない姿を晒さないよう、その人に背を向けて靴を履き直し、その人の声も耳に入れないようにして、後ろ手に部屋のドアを閉じた。
 想いが通じ合った筈なのに、壊したのはどっちだ?





→NEXT



 

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Dine At Home・1(2020/01/12~2022/02/20発行・月島蛍×菅原孝支)
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その人が笑う度に、僕の中で消えた筈の過去の蟠りが、蓋の隙間から陰気な顔を覗かせる。





「ただいま……」
「おかえりなさい」
「!? ……つ、月島ぁ~~~!!」

 自分が僕をこの家へ呼んだくせに、その人は帰って来るなり僕の顔を見て、玄関先で数秒固まった後、眉尻を下げ口唇をわなわなと震わせて、自分が脱いだ靴に躓きそうになりながら僕にタックルを噛ましてきた。
「ああちょっと肉厚になってる……でも月島だぁ~」
 胸板の辺りにぐりぐりと顔を擦り付け、両腕で抱き着いて、背中を摩られたり脇腹を摘まれたり、こそばゆさとその人が肩から下げてる鞄がさっきからばしばしと足に当たって痛い。
「別にそんなに久しぶりでもないでしょ、ちょっと落ち着いて。離れてください」
 彼の肩を掴んで引き剥がそうと追いやる。西谷さんと違って、飛びつかれると暫くは離れないこの人を引き剥がす作業は、今に始まったことではない。
 シャツ越しに掴んだ肩は骨の感触しかせず、ぎょっとして肉がついているのか確かめる為に、彼の二の腕まで手を滑らせる。メジャーで計るように親指を回して鷲掴みにすると、肉と筋と、その人が力を入れると筋肉が締まって数ヶ月前の名残を見せる。
「菅原さん、ちゃんと食べてますか? 運動してないのはバレバレですけど」
「なんか作ってくれたんだ? すげーいい匂いする」
 こそばいからやめろ、と言って、菅原さんは鼻の頭に皺を寄せて笑いながら、僕の指を一本一本引き剥がす。その代わり、自分と僕の手のひらを摺り合わせてぎゅっと握った。
 

 僕が高校一年の年の冬。飛べない鳥と冠された烏野高校排球部が一気に躍進した年。その年の春高が終わり、菅原さんは高校を卒業した。
 卒業前の、一月の春高。その後のセンター試験や入試。菅原さんは大学を私立と国公立両方受けると言っていたので、年越し前から部活と並行して受験勉強や準備を進めていた訳で、春高の二日目三日目と試合が進み、終わった後も気を抜く間も気落ちしている暇もなく、卒業式までノンストップだった筈だ。実際、東京から地元へ戻ってから、三年の先輩たちは体育館へは姿を見せなかった。
 たった一年にも満たない練習時間で、全国へ乗り込めるだけの強豪チームになれたとは、僕は思っていない。こつこつと地道にレベル上げをしてきた二年生と三年生。そこに少し器用なセッターが加わり、底抜け瞬発力のチビが飛び込んできて、あとは気力と体力だけで突破していった。体力バカが多かっただけ。なんて僕が言うと、山口や兄ちゃんなんかがああだこうだと傾いから、そうだねみんな凄かったねと言っておくのだが。
 祝・〇〇部全国出場! などという垂れ幕が校舎に掲げられているのなんて、別段珍しい光景でもない。春高出場まで5年のブランクがあったこのバレー部だって、今後も勝ち続けなければ誰々に憧れてだの、ここの監督に教わりたいだの、県内に白鳥沢や青葉城西、伊達工業など、バレーで名の知れた学校が他にある限り、影山のような天才が率先して入部してくるような境遇には恵まれない。
 菅原さんたち三年生が引退した後、僕たちは再び一からのスタートとなった。

「でもほんと、月島見違えた。体つきがこう、黒尾みたいになってきた」
「……そうですか」
「今度、こっそり練習見に行くな?」
 小さめのどんぶりに盛った煮物から里芋を選び、箸の先で器用に摘みながら、その人が微笑む。
(ああ、どうして)
 もう蟠りは消えた筈なのに、菅原さんの笑顔はある身近な人物の顔を思い起こさせる。元から雰囲気が似ているとは思っていたが、だからこそこの人のことは苦手で、なるべく遠ざけていた癖に、何故一緒に、目の前で、この人の部屋に自分は上がり込み、この人の為に食事の支度などをしているのか。そしてこの人が僕もよく知る他の人間の名前を出すと、むかむかと内臓から湧き上がってくる呑み下せない燻りは、嫉妬という感情に行き当たる。
「別に堂々と見に来ればいいけど、忙しいんじゃないの」
 僕がここに呼ばれたちゃんとした理由は、まだ聞いていなかった。

 
『俺より先に部屋にいて、おかえりって言って』
 昼休みに突然届いたメール。いたずらか? と思いつつ部活へ出たが、他の誰も騒いでいないところを見ると、自分だけに送られてきたようだった。
『鍵は番号で開くから』と、メールに書かれていた数字はたったの四桁。こんなに簡単に番号を教えていいのか。僕だけなのか他にも知る人はいるのか、いちいち気になる。
 高校のバレー部時代から菅原さんの言動は、ふざけてはいけない場面では非常に真面目なのだが、それ以外はゆるゆる。やたらボディタッチが多いのもチームメイトだけに留まらず、最初は人見知りか? と思う程様子を窺って近付いていくのに、そう時間をかけずコミュ力の高い人間から、僕のようになるべく人を遠ざけたい人間にまで、親戚かのような勢いで絡んでいく。だからといって本気で嫌がることはしないから、この人を嫌う人間は殆どいないだろう。
 だからこそ、その中でも自分は特別なのか? と期待値を上げながらも、自分が断れば誰か別の人に頼むのかもしれない、という不安が、僕にノーという選択肢を与えない。
 僕がその人の要望に素直に応えるのを、菅原さんが不信に思ったって仕方がない。僕自身が自分の行動を不信に思う。
 僕はまだ、菅原さんに対する自分の気持ちを測りかねていた。



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 この部屋の家主本人に教えられた暗証番号でキーを解除し、誰もいない部屋の扉を開く。玄関に靴が二足。傘立てに傘が二本。自分の靴を、菅原さんの靴の対面に揃えて置き、恐らく玄関脇の左右の扉はそれぞれトイレと風呂場であると見当を付けて、正面奥にある扉を開く。
 カウンターに仕切られたキッチンとダイニングが一緒になった部屋と、その奥にもう一間。意外と広い部屋に住んでいた。
 キッチンの流しに、水を張った鍋といくつかの食器が放置されている。カウンターには、そこしか置き場がなかったのだとでも言うようにテレビが一台。リモコンが二つ三つ。二人掛けのソファには、脱ぎっぱなしのジャージの上下が雑然と引っ掛けられ、書類らしきものが数枚。
 失礼してもう一つの部屋へ入ると、ベッド上の布団は半分に折り畳まれているが、その周りに積まれた本、机の上にも本やノートが、開きっぱなしになっているものもある。つい最近まで試験でもあったのかと推測される似たような資料が、付箋をびらびらとはみ出しながら積まれていた。
 この部屋の主が何時に帰ってくるのかは分からない。ひとまずキッチン周辺を何とかしてから、次を考えようと手を付け始めた。


 忙しいんじゃないの、と思った理由がこの部屋の、惨状とまではいかないが、余裕のない雰囲気にあった。
「忙しいと言えば忙しい……」
 現実を見てしまったのか、菅原さんはふと箸を止め、光を失くして一点を見詰めていた視線が徐々に下がり、目の前の椅子に座る自分からは、菅原さんの表情が見えなくなる。
 彼のトレードマークでもあるアホ毛が、無言で沈み込む本人と一緒になってしゅんと頭を下げ、どう声を掛けたものやら、じっとその後頭部を見詰めていると、
「でもさっ」
 急に顔を上げ、目力に気圧されてヒュッと顎を引いた僕の顔をまじまじと見ながら、
「月島の顔を見たら元気出たし、練習見に行ったらそのパワーで、試験もレポートも乗り切れる気がする!」
「……根性論」
「だからさ、しばらくこの部屋に住まねえ?」
「……は?」
 菅原さんが烏野の練習を見に来るのと、僕がこの部屋に住むのとが、卵が食べたいからニワトリを飼うみたいな、いや、カレーライスもカレーうどんも食べたいからご飯とうどんを一緒によそうみたいな?
(ああ、だいぶ混乱している)
 さも良い解決策だと自信満々に推してくる菅原さんの突然の提案に、僕の脳は無駄を断る理由を探しながら、どうしたらこの菅原さんのアパートから烏野高校まで支障なく登校出来るか、の計算を始めており、無理ですと即決するのが僕の特技でもある筈だったのに、もうほんとに……菅原さん以上に僕の方がどうかしている、と思わざるを得ない。
 この部屋からでは、普通に朝練のある日は最寄りのバス停から始発に乗っても烏野高校正門前まで間に合わない。日向のように自転車で山越えでもすれば可能なのだろうが、そんなの罰ゲーム以外の何物でもない。
 さすがに無理だ。さすがに、
「無理です……」
と試行錯誤の末に答えれば、
「だよな~」
と笑いながら即答されて、あまりにも軽い相槌にむかっ腹が立つ。
「でも今、すげー本気で考えてくれたよな。嬉しい。ありがとな」
「部活のない日なら、来れなくもないです」
「え……」
 ありがとな、と、すべて無かったことにしてしまう菅原さんの言い方にムキになった。無しにしたくなかった。
 最初に即座に断れなかったのは、自分でも可能であれば一緒に住みたいと、少しでも思ってしまったからだ。毎日ここから通うのは無理でも、時々来るくらいなら。衝動を理性で抑えた最善策。
「来ますから。他の人呼ばないでよ?」
 菅原さんは返事をする代わりに、テーブルの下からげしげしと僕の足を嬉しそうに蹴った。
 僕がこんなポンコツになったのは、烏野高校排球部に入ったのがそもそもの原因だ。



 ***
「ただいま……」
「おかえりなさい」
「!? ……つ、月島ぁ~~~!!」

 部活のない日は基本的にない。例えば体育館の点検日。土日は練習試合さえなければ日暮れ前に終わるが、予定が合えば知り合いの大学チームに呼ばれて、普段の練習では出来ないことを試みる。
 つまりあの日以来、僕は一度も菅原さんの部屋には来られなかった。今日来られたのは、試験前で部活が二週間ほど自由参加になったからで、自由参加だって言っているのに、いつもどおり放課後になると体育館へすっ飛んで行くバカは大体決まっているが、昨年同様、今度は縁下さんたち三年生が、部室で勉強会を開いてくれている。終われば自由にボールに触っていいという条件の元、補習を未然に防ぐ対策だ。
 今年入った一年生は割と優秀で、僕自身人の世話を焼かずに済むのはとても有難い。初めての春高を終えたくらいから、日向にも明確な目標が出来たようで、日向と影山の面倒を一任されていた僕から、まず日向が先に自立した。そうなると影山も、一人で僕に頼るのは癪なのか、部室での勉強会と自力でなんとか解決するようになった。おかげで僕の負担は昨年に比べて大分減った。

 約三週間ぶりに訪れた菅原さんの部屋は、前回来た時よりすっきりと片付いていた。
 もう精神的に安定したのかな、と、冷蔵庫の中を覗くとそこは前と同じく殆ど空で、ビールが一缶、六個入りの卵が一つ欠けた状態でパックごと奥に潜み、納豆のパックとドレッシングの瓶と、こんなのでは何も作れない。どうせ何もないだろうと踏んで、買い出しをして来て正解だった。
 いい感じにじゃがいもがスープに溶け込んできたところで、この部屋の主人が帰ってきた。そして、前と同じやり取りが繰り広げられる。
「まあ来れないよなって思ってたよ。ここ違いし。でも、毎日ちょっとは期待してたからさぁ~」
 キッチンで洗い物をする僕の腰に後ろから抱き着き、いつものボディチェックが始まる。
「ちょっと、水が跳ねるからやめて」
 ぐにぐにと脇腹を揉まれ、肩から二の腕をマッサージでもするように肉を掴みながら上下させて、
「もう木兎にも負けないんじゃね?」
と、ここでまた……。
「……あっちはあっちで、もっとゴリラになってるでしよ」
 先に卒業した人たちだから、春高が終わってからは会っていない。それとも菅原さんは、黒尾さんや木兎さんと今でも会っているとでも? 筋肉の状態を調べ合うような仲だとか?
 自分の身体を触られる度に誰かと比べられて、いつも以上に態度が辛辣になりかねない。自分だけが菅原さんの特別だと思い上がりかけた瞬間にこの仕打ちだから、この人は油断ならないのだ。
「月島、今日は泊まってけんの?」
 シチューを作っていた鍋を、玉杓子ごとダイニングテーブルの中央に置き、卵の消費期限が迫っていたので、三つほどゆで玉子にしてスライスしたのを、レタスときゅうり、トマトのサラダの上に乗せ、米も炊いてあるしパンもあるので、お好きな方をといった簡素なディナー。
 食器もそれ程数がある訳ではないので、深めのどんぶりと取り皿になりそうなものと、適当に好き好きにシチューをよそい、菅原さんは冷蔵庫のビールを取り出して、では食べようかと対面の椅子に腰掛けたところ。
 って、ちょっと待って。菅原さんもまだ未成年ですよね。ああ、ノンアルか。いや、そんなのはどうでもいい。
「え、あの、泊まり……?」
 月島も飲め、と言って、出してきたグラスにノンアルコールビールを注いでくる。
「明日土曜日だし、練習9時頃からじゃねぇの?」
「そうですけど」
 あっ、俺さ~キムチ買ってきたんだよね! と、菅原さんはソファに投げ出してあったスーパーの袋からガサガサとパックを取り出し、ついでに茶碗に炊飯器から白飯をよそって、サラダを取り分けた皿の上に買ってきたキムチを乗せて、レタスで包んだものを炊きたての白飯と一緒に頬張る。
「いやいやいや、着替えも何もないし、」
「お前いつも、部室のロッカーに着替え二、三枚入れてたじゃん」
「この格好で学校に行ける訳ないでしょ」
 ここに来る前に自分の家に寄り、私服に着替えている。変な時間に帰ることになるから、制服でバスに乗っていたら職質に捕まってしまう。
「この、かっこうでがっこうってお前っ……流行りのラップかよ」
 ノンアルで酔っ払われたら取り付く島もない。わははと笑いながら手振り身振りでラッパーの真似事をして、この芋の溶け具合最高だべ〜などとシチューを褒めてくれるのはいいのだが、菅原さんが旨そうに食べ進める姿を目で追いつつ、僕の脳は本人の預かり知らぬところでフル回転を始めている。
 一緒に住もうと言われた段階で、この部屋に泊まることになるのは当然の話で、僕の考えが浅かった。けどこの人は、それを踏まえて誘ったということになる。
「お前も早く食えよ。せっかくのシチューが冷めちゃうだろ」
 この考え無しのお手軽さんに、少し思い知らせるにはどうしたらいいのか。目の前のビール(ノンアル)を一気に呷り、そのあまりの不味さとその人の無神経さに、眉間の皺が今までになく深く刻まれた気がした。



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 人の家の風呂場を借りたのは人生で初かもしれない。山口とは小学生の頃からの付き合いで、お互いの家も何度か行き来しているが、泊まったことはない。
(せま……)
 一人暮らしのアパートだし、トイレは別だし、たぶんこれが普通サイズなのだろうが、如何せん実家のバスタプしか知らない人間としては、湯を張ってくれて有難いが肩も膝も潜り切れずに寒い。自分サイズになると家のバスタブでもはみ出すから、実家を出る時になったらその辺も考慮したいところ。
 夕飯も済ませて風呂も済ませて、着替えは明らかに僕では手足が短いであろう菅原さんのジャージが用意され、歯ブラシは買い置きの新しいのまで出してくれて、時間も時間だし、バスももうないから諦めるしかない。まだ引き返せるうちに決断出来なかった自分の責任。優柔不断な月島蛍は、小学校卒業と共にいなくなった筈なのに、僕はいったい何をしているのだろう。
「お先にいただきました」
「ははっ、手も足もやっぱすげー短けぇな。一周回ってかっこいいわ。腹は出てねぇ? 風呂も狭かっただろ」
「いえ、はい」
「どっちだよ。ドライヤーそこな」
 笑いながらベッドサイドのカラーボックスを示して、じゃあ俺も入ってくるわと言って、菅原さんはパソコン上の資料を閉じて立ち上がった。
(眼鏡……? 度は入ってないのか)
 パソコンを使う時だけなのか、先程香原さんが掛けていた眼鏡を手にして翳してみる。部活の時の姿しか知らない自分は、普段の菅原孝支という人を殆ど知らない。
 そういえば、今自分が着ているジャージには見覚えがある。部活の合宿で彼が着ていたものだ。胸に小さな刺繍があって、スポーツ用品のマークにしては変わっているなと、その時着ていた菅原さんの胸元を凝視した記憶。
 ドライヤーで適当に髪を乾かし、部屋の主が戻ってくるまでの手持ち無沙汰の時間、その辺にあった本をばらばらと捲っていた。

「お待っち。何か面白いのあった?」
 普段自分が買わない本だったから、気になった部分を真剣に読んでいると、菅原さんがタオルで髪を乾しながら寄って来た。
「菅原さん教育学部でしたよね。バレーの指導者にでもなるんだと思ってましたけど、これとかこれとか、範囲広すぎじゃないですか?」
 精神論的なものは分かるが、ピアノ教本だとか簡単に出来るマジック? いったい何者になろうとしているのか。
「まだ悩み中なとこもあってな~。教育論とか面白いベ?」
 僕が手にしていた本を覗き込んでくるのが近い。顔が近い。
「髪、早く乾かして」
 本を閉じて近付きすぎるその人を押し返す。風呂上がりのせいか、体温がいつもより高くて、手のひらから伝わってくる熱にドキリとする。
「月島は将来のこととか考えてんの?」
 菅原さんはベッドに腰掛け、素直にドライヤーを手にする。
「僕は……まだ、はっきりとは」
「そっか」
 ドライヤーのスイッチを入れると、その人の耳元で温風が静寂を破る。聞こえないだろうから、「バレーはもういいんですか」と呟いて、自分の中でも決めかねている未来を少しだけ想像する。悲観的になっても楽観的に考えても仕方がない。今は自分のことを頑張るだけで精一杯だ。
(頑張る、なんて、自分には必要ない言葉だと思ってたのに)
「この辺、片付けた方がいいですよね」
 絨毯の上に座っていた腰を上げ、手近な本から拾って集め、パソコンのある机の上に乗せる。
「ああ、別にいいって。どうせまた広げるし」
 髪を乾かし終えてパサパサになった頭を手で撫で付けながら、菅原さんはドライヤーのコードを片付ける。使っていた物をその場ですぐに仕舞う癖が付いているのなら、初めてこの部屋に来た時の乱雑さは相当だったのだな、と思う。っていうか、髪が酷い。
「そのまま寝るの? クリームとかオイルは?」
 自分も癖毛なので、なるべく髪は短めに保っているけど、毎度この状態で寝て、朝にはあの髪型に戻るとは到底思えない菅原さんの鳥の巣頭を、見るに見兼ねてもう一度ドライヤーをコンセントに差し直す。
「んなモン使ってねぇ」
 熱で死んだキューティクルを少しでも取り戻そうと、その人の髪全体に冷風を浴びせ、手櫛で軽く整える。温風の後に冷風をかけなさいと、美容室で教わったのだ。
 大人しく頭を撫でられていた菅原さんは、ふとまた笑って、
「お前オシャレとか、あんま興味なさそうな癖に、そういえば何気に着る物もカッコイイよな~」
「菅原さんは気を遣わなすぎでしょ。これとか、そのシャツも、どれだけエビが好きなんですか」
 借りたジャージも、本人が今着ている長袖のシャツも、似たようなエビのマークが付いている。
「エビ、可愛いべ?」
「はぁ。食べ物としてなら」
「食べても旨いけど、泳いでるの見てるのもさ~」
 え、まさかと思ったら、部屋の片隅に置かれた小さな水槽の中に、どうやらエビが住んでいるようだった。本で隠れて気付かなかった。
「サンキュー! 気持ちよかったぁ。お、ちょっとサラサラ?」
 ある程度菅原さんの髪が落ち着いたところで、ドライヤーを元どおりに直す。
「じゃあ僕は布団敷きますけど、」
「悪い、布団はねえんだわ」
「は?」
「合宿中だと思ってさ」
「……まさか」
「だいじょーぶ、寝れる寝れる」
「……菅原さん、僕の身長分かってます?」
「このベッド、2メートルあったと思うけど」
「無理です!」
 これは即答出来た。一人用のベッドに、まさか男二人で寝るつもりだなんて、本当にどうかしている。
「あ、やっぱりアイマスクないと寝れねぇ?」
 月島、合宿でもアイマスクして寝てたもんな。と言って、いやいやそうじゃなくって。
「大丈夫だって、俺蹴り落とされても、たぶん寝てるから」
 ほら、電気消すぞ~と、否応なしにベッドまで追いやられる。
「いや、ダイニングのあのソファーでいいですから」
「ダメ! 俺が一緒に寝て欲しいの!」
 その為に呼んだんだべ? と言われて、
「……はぁ?」
としか言葉が出てこなかった。
「一人寝が寂しいなら、抱き枕とか、買えばいいんじゃないですか」
「そういうのとは、違うんだよ」
「なんで、」
 なんで、僕なんですか。と、危うく訊いてしまうところだった。お前じゃなくてもいいんだけどという台詞だけは聞きたくない。たまたま捕まったのが僕だから――――と考えて、菅原さんが口にした黒尾さんと木兎さんの名前を思い出してしまう。その背中に、その胸に、この人が縋りついて眠っている図がちらついて、眼鏡の上から目元を手で覆って妄想を削除する。
「〜〜分かったよ、なるべくくっつかないから。風邪引かれても困るし、ここで我慢してよな?」
 布団、これしかないし。と言って、足の指で僕の脛をぐいぐいと押す。
「ほんとに……突き落とすかもしれないので、菅原さん壁際行ってください」
 とても眠れる気がしないが、家主の言うことは聞くしかない。次からはちゃんとバスの最終までには帰ろうと心に誓いつつ、次があるのを踏まえている自分の思考にも驚いた。



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 ***
「早いとこ、酒が遠慮なく飲める齢になりてぇ」
 それから試験期間中の毎週金曜日、僕は菅原さんの部屋に行くのが日課になった。元々予定を組んだら、計画どおりこなさないと気分が悪くなる性格。今日は行けるから行こうという突発的な行動は、僕好みじゃない。
「思ったんですけど、ノンアルとはいえ僕たち未成年者には、お店側は売ってくれませんよね。何でこの家にはあるんですか」
 毎回何かしら食材を買っていくついでに、菅原さんちの冷蔵庫にあったノンアルコールビールと、その時自分も飲んだがあまりにも不味かったので、少し甘そうな缶を一緒に購入しようとしたところ、レジで年齢確認に引っ掛かった。未成年者が飲んでも問題はないが、店側としては売れないとのことだった。
「まあそこは、先輩に……」
 へへへと笑いながら一缶空ける。将来この人は酒に溺れそうだ。
「今から癖になると怖いですよ」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」
 こういう輩が一番危険なのだ。そのうち本物のビールに手を出しかねない。
「今度、苦味の強いお茶買ってきます。苦いの好きなんでしょ、お茶でもいいですよね」
「月島ぁ、お前母ちゃんかよ」
 母というよりヘルパーじゃないかと、自分では感じている。大学生イコール暇人のイメージがあったが、この人はいつも忙しそうだし、来週から五日程研修旅行に行くと言っていた。その為、今日は大掃除から始めたのだ。
「それより、土日でまた部屋を荒らさないでくださいよ。もし洗濯するなら、外に干さないで。火曜辺りに雨が降るって言ってましたから。平日は、僕は来られないんですからね」
「まじサンキュな~。ほんとに、俺と暮らしてくんない?」
「お断りします」
 これ以上この人のヘルパーになりなくない気持ちと、自分以外を頼って欲しくない気持ちとが未だにせめぎ合っている。けれど、ここに住むのは物理的に無理だし、こういうことははっきり言った方がいいのだ。
「エビちゃん死んじゃう……」
「今までだって、殆ど餌あげてないでしょ。水草ちゃんと入れてるし、ライトもボンベも設置しておいてよく言う」
「この子ら、二代目だからね。って、月島も飼ったことあんの?」
「ありませんけど……水槽に唐辛子が入ってたから、心配になって調べたんです」
 辛いもの好きの菅原さんだから、冗談で唐辛子を食べさせようとでもしているのかと思ったが、水槽の水を綺麗に保つのに良いらしい。水草があれば、エビは勝手に藻を食べて生きる。藻の光合成に必要な明かりもライトが補っている。
「お前がどう思ってるのか知らんけど、俺も結構世話すんのよ」
「世話好きなのは知ってますよ」
 でなきゃ、たぶん僕もここにいないし、放っておくと誰かに取られるなんて心配はしない。この人が声を掛けて、断る人間がいるとは思えない。少なくとも、僕の知る範囲では。
(一番断りそうな僕が、断れないでいるんだから)
 「自分の世話も、ちゃんと焼いてくださいね。今日は僕が洗い物してあげますから」
 ごちそうさまでした、と席を立って、空いた皿を片付ける。今日は母親が持たせてくれた肉じゃがと、根菜を適当に切って蒸しただけの温野菜。メインがないなぁと思ったので、余ったベーコンと玉ねぎで炒飯を作った。大体卵はいつも冷蔵庫に入っているので、菅原さんに普段何を食べているのか訊いてみたら、卵かけご飯に納豆と即席の味噌汁。昼は大学の学食かファーストフード。夜はコンビニでおかずだけ買ってくるか、冷凍保存したご飯がなければ食べない。米を炊くのは保存分がなくなってから。
 実家から離れるとはこういうことか、の見本。まだ朝食を食べているだけマシだ。
「月島、家でもそんなん? 母ちゃんがみんなやってくれんじゃないの?」
 お前一番甘えてそうなのに。と言われ、少しムッとした。お互いに、お互いのことを殆ど知らない。
「僕も一人暮らしするかもしれないし、その時に備えてるんです」
 菅原さんが高校を卒業して一人暮らしをすると聞いて、受験と卒業を目の前で実感させられ、自分もあと二年後には家を出るのかもしれないと考えて、今から出来ることをしているだけ。当事者になってから慌てたくないだけ。
「月島ぁ~。ほんとに帰っちゃうの?」
 今日はやけに名前を呼ばれる。まるで猫みたいだ。呼ばれる自分が、ではなくて、呼びかけるその人の声が。
 靴を履く僕の後ろで、ジャージに素足のその人が、壁に寄りかかりながら足を擦り合わせている。
「そんなに寂しがりなくせに、よく一人暮らしなんてしましたね」
 誰かとルームシェアでもすればいいじゃないですか、と口にしてしまえば、だから一緒に住んでよと言われても困るし、本気で相手を見つけられても困るから、開きかけた口を噤む。
「何? 何か言おうとしたべ?」
「別に……」
「……」
 菅原さんも、目の前で僅かに口唇を開いて、でも言葉は出てこない。
「……何」
「い、や……、何でもねぇ……」
 無言でその人の顔をじっと見ていると、何かを伝えたそうに口を尖らせて斜め下を向く。言わなくても察して欲しいとでも言うように、自分の片足の甲で、立っている方の足のふくらはぎを擦りながら。
「……じゃあ、バスの時間があるので」
「あっあっ月島っ、」
「……なんですか」
 行こうとすると、上着の裾を掴まれて引き止めるから、
「そんなに泊まって欲しいの?」
 半分冗談、半分本気で口元を歪めて、その人と視線の高さを合わせ、顔を覗き込むように近付く。そうされるとムッとした表情を返し、僕の胸を押し返してくる。
「いいよ、別に……どうせ俺のワガママなんだし」
「僕じゃなくても、他にいるでしょ?」
 バレー部の後輩じゃなくてもこの人なら、同級生や大学の友人だっているだろう。墓穴を掘りそうだから踏み込むつもりはなかったけど、僕でなくてはダメなんだという、確信に近い思いが気を早らせた。
「早く答えないと――――」
 逃げてくれればいいと思いながら、先程よりも顔を近付けて様子を窺う。殆ど賭け。でも、負けるのが分かっていたらしない。
 どっちつかずだった不安定な気持ちは、ふとした瞬間、突然確信に変わる。たった数回、数時間、日常を一緒に過ごしただけで、部活で過ごした一年より遥かに濃くて。
 当たり前だ。ここにいる間僕は菅原さんだけを見て、菅原さんは僕だけを見ていたのだから、気持ちに気付かない筈がない。
 正面から瞳を覗くとその人も、視線を僕の口唇に移し、どちらからともなく吸い込まれるように重なる。高鳴る心音と甘い衝撃に軽く目眩を覚えて、菅原さんの後ろの壁に腕を着く。勢いでその人もよろりと後退り、壁に背中がぶつかった反動で唇が離れ、互いのずれたそこから吐息が漏れる。もう一度、もっと深く、と願うが、一瞬でも正気に戻った頭は体を硬直させる。
「す、」
 すみません、と続く筈の言葉が遮られる。もう一度、もっと深くしてきたのはその人だった。重ねるだけのキスは、それでもダメージは強烈で高揚感はそれ以上。
「眼鏡が……痛ぇ」
「……すみません、外す余裕なくて」
「一緒に寝ても、なんもしてこなかったくせに」
「あなたこそ、今……誘いましたよね」
「……ってねえ。だとしても、釣られるなよブロッカーが」
 熱い息と心拍数が治まるまで、額を合わせたままキスの余韻に浸る。そのくせ興奮で、二人とも饒舌になっている。
「あなたは敵ですか? 味方なら、今僕はトスを上げられたんでしょ」
「トスに……応えたのか? それだけ?」
 僕が確かな答えを欲しいように、この人も同じ。どちらかがその一言を言うだけでこの問答は終わり、先輩と後輩という僕たちの関係にも終わりが来る。
 この人は僕に言わせたいのだ。ずっと――――今に始まったことじゃない。遡れば、思い当たる節はいくつもあった。昨日今日の話ではなく、
「僕を……試してたの?」
 先に卒業した先輩と連絡を取るとしても、バレーを続けている人とだけ。続けているのか、もう離れてしまったのか、菅原さんは言わなかったし、筋肉の落ちかけた体つきを見ても、選手として関わっているとは思えない。
 僕たちは、バレー抜きでは関わりがない。部活以外でのこの人の姿を知らない。知らないのに――――いつの間にこんなに、この人が好きになっていたんだろう。
「僕の気持ちを、知ってたの?」
 誰かの手が真っ直ぐに僕の胸に伸び、指先が食い込んでめりめりと心臓の後ろまで、陰に隠れて厳重に蓋をされた瓶をこじ開ける。
 知ってたのなら、どうして言ってくれなかったの?
「月島、違う、試したんじゃなくて、俺は、」
「すみません、気にしないでください。研修、頑張ってくださいね」
 これ以上みっともない姿を晒さないよう、その人に背を向けて靴を履き直し、その人の声も耳に入れないようにして、後ろ手に部屋のドアを閉じた。
 想いが通じ合った筈なのに、壊したのはどっちだ?





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