Dine At Home・2(2020/01/12~2022/02/20発行・月島蛍×菅原孝支)
スガさん高校時代~現在/明光くんや、赤井沢さん出演/告白と微エッチ
本として頒布した内容はここで終わりです。読み直して、自分でも意味がわからなかったところなど修正しました。
最後の方に、ちょっとだけエッチ描写があるため、R18にしてます。
コミックスネタバレが各所にあります。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
| 1 / 12 |
とどのつまり、俺たちには圧倒的に時間が足りない。
時間を巻き戻すすべはないから、
またひとつ、またひとつと積み重ねていくしかないんだ。
***
学校の先生になりたいな、と考え始めたのは、武田先生と出会ってからだ。ただ、先生のように情熱的に自分の想いを言葉で伝えるのには難があり、受験のある中学高校は厳しいかも……となると小学校だろうかと、薄っすら自分の目指すその道筋が照らされてきたところ。
(武ちゃんって、今年三十とか言ってたっけ)
ああ見えて自分より十個以上年上なんだよな、と失礼なことを思ってしまう。あの人の言動の“動”の部分は真似できても“言”の部分はどんなに書物を読み漁っても追いつける気がしない。時には意味不明でありながら、年を重ねれば理解を得られそうな、ふと思い出してはもう一度、数年置きに手に取って読み返したくなる書物のように、伝えてくれた言葉はすべて心に、脳に沁み込んで、前へと進む力を与えてくれる。
自分は決して無口ではないし、感情もそのまま声に出して伝えている方だと思う。けれど、あまりにも感情が先走ってしまうと、うまく言葉として表現出来ないのも実際よくあることで、日向がコートを退場せざるを得ない状況に陥った時だって、もし自分が武田先生の立場でいたら、ただただダメだ、無理だ、くらいしか言えず、日向を納得させて病院へ向かわせるだなんて芸当、だってあの日向だぞ? 出来る訳がない。あんな風になれたら。
(武ちゃんに、相談してぇなぁ)
月島が帰ってしまった後、のろのろと部屋へ引き返してベッドにぼすんと顔から突っ込む。
月島は俺の事好きだったってことでいいんだよな? せっかく想いが通じ合ったのに、何か俺変なこと言った? なんであいつは帰ってしまった? どう言えば良かった?
どこで何を間違ったのか分からない。自分が武田先生だったらどう言ったかな? なんて考えても、先生は俺と同じ気持ちで月島のことを好きな訳じゃないから、答えだって出ない。
「あ~……失敗した」
失敗した。それだけはよく分かってる。
烏養監督が率いていた頃の烏野バレー部は、強豪校とあって部員も多く、スターティングメンバー6人という競争率の中、ポジションを自ら奪い取るくらいの気概がない部員はすぐに辞めていったと聞く。その後、監督が一時引退して、バレー部が徐々に衰退の一途を辿っても、全国出場に憧れて入った新入部員は期待とやる気に満ちていた。
俺たちもそう。ただ、一年目、二年目と過ごしていくうちに、県内のバレー部から相手にされなくなっていくのにも慣れてくる。そしてとうとう、烏養監督完全復帰の日を迎えないまま、高校生活最後の年がやってくる。
一つ上の先輩たちが卒業して自分たちが一番上の学年になり、一個下の後輩は既にいた訳だけど、先頭に立ってその背中で自分たちを守ってくれる人たちはもういない。
「アイドル総選挙でセンターに選ばれるのって、こんな感じなんだろか」
「アイドルって柄かよ」
「なんかさ~」
否応なく季節は巡り学年も上がり、俺は誰ともポジションを争うことなく正セッター兼副主将に任命された。
「ダンスの振り付けを、今までは目の前に誰かしらいたからちょっと間違えても何気に直せたのにさ。一番前で鏡もなくて、振りも自分が間違えたら後ろのヤツも釣られそうじゃん?」
「……別に今までどおりでいいべや」
予想どおり、というか新三年生三人しかいない中で主将といったら、もう俺らが一年の時から決まっていたようなもので、澤村大地は俺が変な例えを交えて言わんとしていたことを、更に先回りしてズバリ正解を示してくれる。
「サキガケシンガリ、俺らが崩れたら終わり。そんなふうに気負うのもいいけど、もしかしたらスゲェ一年が入ってくるかもしんねえし」
気楽に行こうや。と、大地は武将のようににっかりと爽やかに笑った。校庭の桜が、まだ満開の頃。
「大地い、俺アイツだけは駄目かもぉ」
新入部員で入ってきた一年生は四人。多くもなく少なくもなく、目の届く範囲で丁度いいくらい。人数的には、だ。一人を除く残りは問題児ばかりで、面倒見もよくて気も長いあの大地が初日からキレてしまったくらいだから、俺なんかがどう足掻いたって場を取持てる筈もなく。
「え? めっちゃ上手くやってるように見えるけど? あいつら相手にスガが一番楽しんでない?」
「一見ね。一見だよ」
○○先輩以来だね。と、一年前に卒業した先輩の中で、どうしても最後まで強ばった笑顔でしか対応出来なかったその人の名前を上げる。当時ですら、あの人とは上手く付き合えないと俺から告白するまで大地も気付かなかったくらい、一見上手くやっていた。
「あ~……ハハ。スガ、あの先輩とだけは目も合わせなかったもんな」
顔は笑ってたけど。と、大地は俺とそのかつての先輩とのやり取りを思い出し、今回の新入部員のことも「そうかぁ」と納得される。
一個下の部員たちからは、俺は優しくて面倒見がよくて、どんな相手でも上手くあしらえる先輩だと思われているようだが、その実、人と関わるのは本当は得意じゃない。二年間同じ部活に一緒にいれば大地と旭は俺のそんな性格をおおよそ分かってくれるようになり、俺が口に出して訴えてくる時はまだそれ程でもないと踏んでいる。
「あっちはお前をちゃんと先輩として認識してるし、ほどほどにケツ叩いてやればいいんじゃね?」
俺がう〜んでもさ~と唸って己の膝裏を反対側の足の甲で擦って、いつまでももじもじしていると、
「それより影山はいいのか? 俺はアイツの方がどうにかなんねぇのかなって思ってるよ」
「良くねぇよ。俺は影山が一番大事」
大事だし、俺が一番構いたいのは影山だ。
「それならしばらく俺が月島のケツ叩いとくから。お前は影山と日向担当な」
「あざっす!」
大地は俺の肩を解すようにパンパンと二度程叩いて、次の練習の指示を出しに後輩の元へ走る。それで俺も多少肩の荷が下りた。彼の腕にはお祓いの力でも宿っているのか。大地は偉大な男だ。
気持ち的に楽になったとはいえ、問題の後輩ともまるっきり関わらない訳にもいかない。
影山には、俺が知る限りの味方の情報を提供する。エースは今は訳あって不在だが、大地をはじめ田中や縁下なんかの癖、好むトスの高さ、だが実際に一度本人と合わせてしまえば、次からは俺の出番はなかった。そして今はそれよりも、日向との速攻を数多く練習すべきだ。
影山と日向は最初こそどうなることかと思ったが、練習を始めてみれば素直で良い子で可愛い後輩。バレーが好きで好きで堪らないといった様子。山口も手が掛からない。彼はバレーが好きなのか、大好きな友人と一緒にいたいだけなのか分からないところはある。そしてその友人は。
「次、月島ぁ!」
投げ込まれたボールをレシーブし、俺の上げたトスでスパイクを打つ。
「ナイスキー!」
月島は人に合わせるのが上手い。あれだけ人嫌いのようでいて、対影山や日向でなければ口も悪くないし、先輩には楯突いたりしないし、上がったボールに自分を合わせる動きをする。
時折「ここに持ってこいよ」と言わんばかりのスパイカーも見掛けるが、月島は最初こそそのタイプかと思いきや、自分が打つべきボールであればそれなりに上手いところへ返す。悪目立ちせず、かといって飛び抜けようともせず。
(器用なんだよな)
器用でもあり、無難。それが妙に鼻につく。
離れたところで観察していれば、俺が面倒見ずとも熱量の高い田中辺りがキレながらもうまいこと構ってやっているし、やる気なさげだけど、練習は必要以上にやらないだけで、サボることはない。日向と時々張り合っているところも、結局はバレーで負けたくないのだろうと窺える。
彼を嫌いになる理由がない。でも嫌い。苦手。
俺が高校にきて唯一合わなかった先輩は、俺と同じセッターだった。その人はあまり器用ではなく、部員一人一人に合わせたトスを上げられなかった。それでも、上げられたトスに合わせられる優秀なスパイカーが揃っていたから正セッターとして構えていたけれど、「お前の方が上手いんだから、お前がコートに入れよ。菅原」と、何かにつけ卑屈になる人だった。決して悪い人ではないのだが、俺も人を押し退けてまで前に出るような胆も持っておらず、一見うまくやっていたが、お互いに不完全燃焼のまま時を過ごした。
(それでも田代さんの代の最後のインターハイは、いい感じだったんだよな)
もっと早くに、あんな風にチームとして団結出来ていたらと思う。
月島は他の一年と比べて手が掛かる訳じゃない。逆に彼こそ一番の優等生で、放っておいてもコツコツ練習しているし、そのやり方を見ていれば、大分長い間バレーと向き合ってきたのも分かる。
けれどその、人生の傍観者みたいな生き方をしている彼の背景には、何か燻ったものの存在を感じる。そこに苦手だった先輩の姿がなんとなく重なって、俺はつい遠巻きにしてしまうのだ。
それではいかんと思い、接触を試みるが、おちゃらけて絡んでも反応薄いし、一体どうコミュニケーションを取ったものやら。基本的に俺は、やる気のないヤツをやる気にさせられるような力はない。月島は、こちらが質問すれば答えは返ってくるが、必要最低限。エコ。エコ島。ポジションが違うからペアを組まされることも少ないので、月島と関わる時間は限られる。
って、俺が大地に、月島が苦手だって言ったんだった。そうだよ、俺が突っ撥ねたんじゃん。って吹っ切るのに、またしばらくすると月島を目で迫っている。
彼は何でわざわざ強制でもない部活に、しかも運動部に入ったんだ? 何の為にバレーを続けてる?
中学の部活動は何もかも初めてだから、楽しいというだけで続ける連中も多いが、高校になってまで部活に入るのは、余程そのスポーツなり趣味の活動が好きなヤツか、あとは将来推薦入学を狙うための点数稼ぎとか。月島は進学クラスだし、考えなしに部活に入るヤツでもないだろう。
嫌々ながら円陣を組まされる彼の顔を見るに、チーム一丸となって、とか、祭りだうぇーいといったノリが好きじゃないのは一目瞭然。ならなんでここにいる? 個人技を競いたいなら、陸上部や水泳部の方が個人種目もある。
(俺もそんなにがむしゃらにやるタイプでもないけど)
何かの答えを探しているような、答えを見つける為に自分の身体にバレーを体感させているような……
「もしかして月島、今までの記憶を失ってる……!?」
「……何ですか、それ」
本人に冷たくあしらわれるが、それなら何でそんな、どこか幻影を迫っているような、夢遊病者のような具合なんだ? お前の意識はどこにあるんだよ?
月島の実体が、俺には見えない。
| 1 / 12 |
| 2 / 12 |
***
全国大会出場を目指しているバレー部の季節の巡りは早い。五月のミニ合宿も終え、六月に入ればインターハイ県予選が待っている。気の早い連中は、旅行に行くつもりで遠征先の情報を検索し始め、それでなくとも夏休みに向けてソワソワし出す頃。
「僕の代わりに、菅原さんをスタメンにした方がいいんじゃないですか」
とんでもない場面に出くわした。
旭と月島とあと山口か? 珍しいメンツで休憩を取っているなと、ちらちらとそちらを気にしていた。近寄ると体育館の扉の外で、旭の穏やかな声と月島の静かだけど神経質な声が交互に聞こえてきて、その二人じゃ喧嘩になる筈もないから長閑に談笑している風でもある。何話してるんだ~? と乗り込もうとしたそこへ、コーチが俺より先に扉の外を覗き込み、そこへ月島が突っかかってきたのだ。
「んん!? 何だいきなり」
扉の内側のすぐそこに俺がいることをコーチだけが知っていて、気付いていないだろう月島が、コーチに向かって突然そこにいない俺の名前を出す。
「ピンチの場面で菅原さんを起用するのなら、最初からあの人にして、菅原さんが前衛になったところで僕がピンチブロッカーとして交代すればいいと思うんですけど」
「お前な……。お前が影山嫌いなのは知ってるし、菅原がセッターとして戦力になるのも分かってるし、その上で決めたスタメンなんだからよ。まさか試合に出たくない訳じゃないよな?」
鳥養さんもきっぱりと、俺より月島を出したい理由を言いきれないのは、俺がここでこっそり話を聞いているからだろう。
どうしよう。ここから去るのも話の続きが気になるところだし、前衛の守りも後衛からの戦闘力も、俺よりお前の方が戦力になるに決まってる! お前があとちょっとやる気を出せば……なんて、月島本人に面と向かって熱弁するなんてしたくない。そして本人も、俺が出るより自分が出た方がチームとしてのバランスがいいのを分かっている筈。
この頃には俺も、月島の実力については認めていたし成長を見守るのが楽しくなっていて、だが俺の本音を彼に伝えたところで、本人は眉のひとつも動かさず自分の意見も曲げないだろう。
『お前の方が上手いんだから、お前がコートに入れよ。菅原』
過去に先輩から言われた言葉が甦ってくる。何でそんなに投げやりなんだ。試合に出たくたって、出られない部員だっているのに。今いる場所を、必死で守れよ。
しばらく体育館の冷たい鉄扉に背中を預けていた俺は、その後に続く鳥養さんと月島の会話を耳に入れないうちにそっとその場を離れた。
インターハイでは全国行きを逃すも、落ち込んでる暇はない。七月頭の期末テスト後には東京での初めての合同練習。ゴールデンウィークの練習試合で会ったばかりの音駒のメンバーがやけに懐かしく、いてくれることの安心感。これまで練習試合も市内の高校相手ばかりだったし、あまり相手にもされなくなっていた矢先に、いきなり東京の強豪校と手合わせ願えるだなんて、武田先生には本当に感謝しかない。
そして夏休み。埼玉での長期合宿開始。この僅か一週間の間に、今まで息を潜めていた月島のやる気スイッチはどこにあったのか、押してくれたのは俺と同じく三年の他校の主将たちだったのには、してやられた感がある。日向によると山口も関わっているとかなんとか? 詳しくは本人たちしか知らない。
「月島、スゲーな。ブロックめちゃくちゃ上手くなってんじゃん」
いつものようにその背中をパシンと叩いて激励。月島もいつもなら、「はぁ」とか「ありがとうございます」とか返事は素直で腰も低く、だけどその時は何かが違った。
「――――ありがとうございます」
その言葉を口にする前の、一瞬こちらに流された視線。俺に向けられた眼光の中に、昏い影を見る。
「え……」
ドキリと心臓が一度大きく跳ね、冷水を浴びせられたようなショックを受ける。今の視線は軽蔑? 敬遠?
(……なんで?)
俺、何か変なこと言った?
関東と宮城とを忙しなく行き来していたこの頃。合宿のおかげもあり、烏野高校排球部は春高一次予選を通過。宮城県代表決定戦までは、まだしばらく日にちがある。そんな、合宿と次の試合までの合間のある日。
「菅原さん、弟とかいないですよね」
「えっなんで? 一人っ子だけど?」
やっぱ影山上手いなぁなんて、無駄な動きのない彼の洗練されたセットアップをコートの外から目にしながら、毎度のように惚れ惚れといった溜息をついてしまう。
そうやって気を抜いている時に限って、後ろから昏い声を掛けられるのにも慣れてしまった。
「ていうか、お前ほんと気配消すのうますぎ」
慣れはしても、それでも毎度心臓がびっくりして飛び上がる。さっきまで目の前のコートで、他の連中と同じようにネット際でブロックに飛んでいた月島が、そういやどこ行ったと気付く前に、はっとすると俺の後ろの壁に潜んで休憩を取っている。
「アナタが誰かさんばかり見てるからでしょ」
「なにそれ~。嫉妬~?」
俺には五つ下の弟がいる。が、そのことを知っているのはバレー部の中では大地と旭だけ。別に他の誰にも隠すつもりはないのだが、月島に訊かれてつい「一人っ子」と口走ってしまった理由は、おそらく月島は俺に弟がいると知れば「やっぱりね」と皮肉ってきそうだったから。そんな安直に俺のことを理解されたくない。
「日向や僕や、影山に構うのは、こんな弟が欲しかった。みたいな感情なんですか?」
「いや~……?」
一週間の長期合宿後、突如使命感が降って沸いたかのように、月島は常に体の奥に闘争心を静かに燃え立たせて――――といっても、田中や日向のような熱血系になった訳ではなく、一見代わり映えしない無表情だが、俺にも何かと突っかかってくるようになった。実体のない幽霊のようだった月島は、もうどこにもいない。
「弟とか思ったことはないけど、何? こうされんのが嫌なの?」
試合中でもないから、コートの外で一ヶ所に固まっている必要もない。なのに俺がいるその隣に月島が自然と寄ってくるのは、俺と話したいから。とか、俺に構って欲しいのか? と、最初は野生動物に懐かれたようで悪い気はしなかった。
わざと彼のお櫛をぐちゃぐちゃにするように、手のひらで頭をわしわしと掻き混ぜてやれば、やめてください、と、それでも俺の手を払う力はそんなに強くはない。触れられた部分から彼の、俺より高めの体温が伝わってくる。
「弟でも何でもないのなら、なんでそんな目で影山を見るんですか?」
「……ええっ?」
そんな目ってどんな目だ? 弟を見るような目で影山のプレーを見守っていたと?
俺が影山への想いを溢れさせるのを待っているかのように、月島がじっと俺を見詰めて一瞬たりとも目を逸らさないから、俺は口をあの字に開けたまま息が詰まる。
「アナタの実力は僕も分かってます。コートに立つの諦めてないことも。でも、影山に対するアナタの態度は……すみません、うまく言えないですけど、やっぱり諦めてるように見える、っていうか」
と、最後の方は月島らしくもなく尻すぼみに小声になり、発言に自信が伴わなくなったのか俺への追及も弱まる。
その時の俺は、アハハと刺々しい空笑いを零して「それはないだろ~?」と、他人事のように軽く受け流してみせるしかなく。
実際には、彼が指摘してきた己の根底にある昏い穴から目を逸らすのに必死だった。
| 2 / 12 |
| 3 / 12 |
あっという間に十月になり、十一月になり……。奇跡のように、いや、決して奇跡じゃない。青葉城西も、白鳥沢も倒して春高出場を決めた俺たちは新年早々に上京。この一年、というか足掛け二年で東京の地にも慣れたもんだ。
「何かに夢中になると、ほんっとそれだけになっちゃうんだよなぁ分かる」
慣れたもんだが、すったもんだあった春高第一試合。椿原との試合を終え、時間まで弁当食ったり他の試合を見たりしている中、日向が鴎台の小さな巨人の姿に釘付けになっていた、その後ろ姿がいつかの自分の姿と重なり、ぼそっと零す。
一つの事だけに夢中になるのは悪いことじゃない。日向の場合、すげぇなぁだけでは終わらない。それが出来るようになるには、どう動けばいいのか。最初から自分には出来ない、とは、考えない。どんな思考回路してんだ。図太いというか、決してめげない。
入部当初から群を抜いていた影山だって、そこから更に練習して練習して、あの最高到達点で止まるボールの変人速攻を完成させた。
『影山に対するアナタの態度は……やっぱり諦めているように見える』
数か月も前に月島から言われた一言が、未だに引っ掛かっている。
俺はどうがんばったって、影山のようにはなれない。それは他の多くのセッターも感じていることだろうが、どれだけ練習しようが、影山のようになるには脳に最新技術のAIでも埋め込んでもらうか、身体の作り方を幼少時代から学び直すか、技術やセンス、才能、どう足掻いても努力だけでは手に入らないものはある。俺だってこの三年間、影山が正セッターになってからも、何もやってなかった訳じゃない。最初から諦めてはいない。躍起になって、自分が出来る戦法を探してきた。そしてそれは、実際の試合でも通用した。
そんなことは、試合中俺と交代する場面が一番多かったのは月島なんだから、俺の努力が無駄じゃないのをベンチから見て分かっている筈なのに。
適材適所ってのは存在する。でもその適所に適材が二人いたら? 相手の方が優れていたら? 追いつけないと分かっていても、日向なら諦めない?
鴎台の、自分と同じくらいの身長の、しかも抜群に飛び抜けたプレーを披露する選手を見つめる日向の顔は、憧れ以上に躍動に満ちているのだろう。俺は影山に憧れても、伸ばしたその指先は彼の背には届かず、空振って力なく空を切るそこにはどうしても諦めも混じる。
(月島の目に俺は、かつてのお前みたいに映ってんのかな)
出会った当初の月島は、何でバレーを続けているのかよくわからなかった。最近ではすっかり、月島も日向寄りだ。白鳥沢戦での、牛若を止めた時の魂の咆哮。執念、というべきか。鳥肌が立った。
月島は“勝ちたい”とか“負けてたまるか”とは口に出さないから、最終目標が何なのか、どこにあるのか分かりづらい。負けたくはないだろうが、烏野が優勝する! とまでは思ってなさそうだし、負けたくないのは、日向や影山に、なのかもしれない。
(俺は一つでも多く試合に勝って、なるべくたくさん試合に出たい)
試合に出たい。ずっとそう思ってる。いつでも出られる準備はしてる。けど、スターティングメンバー頼みなところは絶対ある。影山が行き詰まったら俺が出る。俺が影山に勝つ必要はない。影山のプレーには何の文句もない。賞賛だけだ。張り合う必要も、蹴落とす必要もない。俺と影山の“得意”は違うんだから。これまでのいくつかの試合で、それを実証してきた。
諦めてないよ。俺も、食らいついてるよ。
(あの時も、月島にそう言えばよかったんだ)
直接月島にそれを伝えたら、彼はどう返してくれただろうか。
「……」
フーン、そうですか。とでも返されそうだ。結局は負け惜しみでしょ? 鬱陶しそうに日向を見る目付き。その顔が自分にも向けられるのを想像して、一気に落ち込む。
烏野に月島に代わるブロッカーはいない。最初こそその身長だけだった時もあろうが、その席は月島が自ら勝ち取った。それを言ったら、山口もそうだ。ピンチサーバーは、現在山口の右に出る者はいない。
月島自身は、今でも自分の代わりはいると思っていたとしても、今や、自分よりも菅原さんを出した方がいいなんて、思ってないよな?
あれ? もしかして俺、月島に同情されてる? かつての先輩が俺に試合を譲ろうとしたのとは違う。自分が逃げる為じゃない。俺が影山の後ろで燻っているのが、月島は我慢ならない?
(同情……じゃないな。じゃあ、月島の俺に対するその感情は何?)
「どうしました、忘れ物? 菅原さん、大丈夫ですか?」
かけす荘に向かう途中の帰り道。物思いに耽りつつ歩いている俺のすぐ横にいた縁下が、急に愕然として立ち止まってしまった俺を気遣ってくれる。
「ああ、悪い悪い、なんでもない。ちょっといろいろ思考が行き詰まってんだわ」
「思考が? ひとりで考えて行き詰まってるなら、吐き出してみたらどうですか?」
「はぁ……そうね。なんつーか、……いや、いい。だいじょーぶ」
なんだろう。もう少しですべてが解決するような気がするのに、そのあと一歩手前で迷走してしまう。
「あのさ……俺って影山のことばっかり見てる?」
「影山、ですか?」
大丈夫と言いつつ、答えを掴めそうな感覚を逃したくない。縁下に、これまでずっと引っ掛かっていた疑間をぽろっと零してしまってから、試合中なんて誰もが真剣にコート内しか見ていないのだから、俺の視線の先に誰がいるのかなんて分かる筈もねーよ! 分かられたら分かられたで、逆に恥ずかしいわ! と焦ってギャー! となる。
「そ、そんなん分かんねーよな! 自分でもそんなつもりねーし」
あははと笑い飛ばしながら縁下の肩を叩いて誤魔化すが、
「バランスよく全体を見てると思いますけど」
敵も含めて。と、縁下は冷静に答えてくれる。ほっと胸を撫で下ろす自分がいて、そんな自分を真っ直ぐな心で評価してくれる縁下に、ちょっとだけ罪悪感。本人に言われたんですか? と訊いてくるから、違う、とだけかろうじて返す。
「菅原さんはセッターだから、そりゃどうしても影山に目がいっちゃいますよね。俺から見ても、アイツのプレーには見惚れる時あるし」
「だよなっ、仕方ないよな」
って、俺は一体誰に言い訳したいのだろう。
(言い訳……)
そこで俺は、言い訳をずっと考えていたんだとようやく気付いた。誤解を解きたいんだ。何故って、決まってる。月島が、俺を影山信者だと思っているからだ。それは月島が影山を毛嫌いする理由にはならないけど、俺に対する態度は納得できる。それに、俺がいつも目で追ってるのは――――
そのくせ月島は、俺が影山ばっかり見てるとか言うから。妬いてんの~? だとか、嫉妬してんだろ~とか、俺はよく月島に冗談で言い返してた。俺が影山に夢中だから嫉妬してんの~?
月島を揶揄ってヘラヘラしてる俺。それを見る月島の顔。――――おいおい! アイツ、自分のことは俺の眼中にないと思ってない? もしかしてお前は、俺に影山を認めて欲しくない? 俺の代わりに、影山と戦ってくれてんの?
「……やべぇ」
辿り着いた解釈に、体中がぞわぞわと高揚する。それに対して、俺の月島に対するこれまでの態度は冗談になってない。自分に向けられる月島の感情が分かりかけて最高に気持ちが昂った瞬間、自ら奈落に転がり落ちる。最悪。最悪だ。
決定打は春高が終わった時。
影山の、「このチームでもっと上へ行きたかった」そんな台詞を聞かされたら、泣かずにいられるかっての。誰かの言葉で泣くって、物凄く特別な事。その言葉の主に心を動かされたってことだから。
俺が影山の言葉で大泣きして、それを目の当たりにした月島はどう思っただろうか。
それから、月島とは何を話したっけ。俺からは伝えたいことがたくさんあったのに、アイツの態度はいつもどおりで素っ気なくて、俺ら三年の烏野最後の日、手を振ってみんなに見送られた後、こっそり後ろを振り返っても、月島は背を向けて校舎の方へ歩いて行き、こちらを気にする様子は微塵もなかった。俺の方を振り向くことは、一度もなかった。
日向と影山の存在は大きすぎた。月島だって山口だって、讃えられる場面は同じくらいあって、それでも霞んでしまうくらいに大きすぎた。
俺はもっと月島に、その存在の大きさを自覚させなければならない。というか、自覚して欲しい。俺の思考の殆どが、月島に持っていかれてることを。
| 3 / 12 |
| 4 / 12 |
***
「ただいま……」
菅原さんのアパートからバスに揺られて駅まで30分。電車を乗り継いで、最寄り駅から月島宅まで徒歩20分。頭を冷やすにはちょうどいい距離。
自分の部屋に上がる前に居間に顔を出すと、テレビの前に今あまり顔を合わせたくなかった人物がいた。
「おー、おかえり。こんな時間まで珍しいな。友だちんちでも行ってたのか?」
「兄ちゃんこそ……珍しいじゃん」
おっきな仕事が片付いたから有給取った、と言って、僕が私服なのを見て、友人と遊んできたとでも思ったのだろう。にこにこと、こちらが居辛くなるような笑顔で出迎えてくれる。
「母さんは?」
「ん? 同窓会があるとかで、俺が留守番に呼ばれたんだけど。知らなかった?」
聞いてたような、聞いてなかったような。別にもう高二だし、一人でも留守番出来たけれども。
飯は? 風呂は? と繰り出される質問に、食べてきた、風呂は入ると律儀に答えながら、兄との会話がそれ程苦痛ではないのに気付く。少し前なら面倒くさくて、返事はしても溜息も一緒に吐いてた筈。
「兄ちゃんはいつまでいんの」
「明日、母さんが帰ってきたら帰るけど。なぁ、風呂上がったらさ、一緒にこれ観ねぇ?」
ちょいちょいとテレビ画面を指して、目に入った時から気になっていたけど、そこには全日本のユニフォームが映っている。
「全日本女子。ロンドンオリンピック」
「女子か」
「あっ、馬鹿にした? 女子ナメてんな?」
「別に馬鹿にはしてないけど、男子のはないの?」
「男子はビーチバレーならある」
「じゃあそれ」
オッケ~という返事を貰い、一旦部屋に戻る。今日僕は、何をしていたんだっけ。ああ、そうだ。
『僕を、試してたの?』
そう訊いた瞬間の、菅原さんの顔を思い出し、逆に今日兄がいてくれて良かったと思った。一人だったらいろいろ考えて、思いもよらない方向へ突っ走ってしまったかもしれない。
「蛍とも、早く一緒に酒が飲めたらな〜」
ついさっき聞いたような台詞に、やはり人種が同じなのだな、と一人納得する。兄が飲むのは本物のビールだが、きっとあの人が飲んでいるものと味は同じなのだろう。
「そんな不味いものよく飲むよね」
「ンン!? まさか、飲んだことあるとか言わないよな」
「本物じゃないから、別にいいでしょ」
ダメだダメだぁ! と喚き始める酔っぱらいは放っておいて、兄が持ってきたDVDを漁る。
「……これ、誰から借りたの」
日本代表選手の試合の他に、烏野の試合も混じっている。ラベルには“稲荷崎”と“鳴台”とあり、何度も見た内容だが、それでも鳩尾の辺りがそわつく。
「これは俺が知り合いに頼んだやつ。蛍が見たことない角度から見れるかもよ」
でもまずビーチ観ようよ! と勧めてくる方も確かに心惹かれたが、タイトルを見てしまった今となっては、気分はもう自分たちの試合だ。鳴台のケースを僕が掴むと、兄がフフフと小さく笑い、ビールの缶に口を付ける。はっとして、一度掴んだそこからビーチバレーのケースに指を移動し、兄を横目にパカリとケースを開けた。
「……そっちにすんの?」
「やっぱり……。僕を誘導したよね」
「なんでだぁ~! いいじゃん、蛍の試合一緒に観て、解説してよ」
「冗談でしょ、恥ずかしい。ビーチ観るよ」
取り出した円盤をデッキに挿入し、音量を調節する。諦めきれない兄は、横でまだごちゃごちゃ言っていたが頑なに断る。
もし最初に、素直に自分たちの試合の方を推されていたら、渋々付き合ったかもしれない。トランプのババ抜きのように、相手が変に心理戦を持ち込んできた時点で、ジョーカーがどんなに魅力的でも自分得でない限り、対戦者の思惑にハマって、もしくはハマった振りをしてそちらを選ぶのは、僕にとっての“負け”だから。自分の意地やプライドに賭けて、感情が揺れても理性で阻止しなければならなかった。
(こっそり焼き増し出来ないかな)
それでも諦めきれず、ここは頭を下げるしかないのだろうか、と、動き辛そうな砂浜での試合をテレビ観戦しながら、兄の解説を理解するのと、DVDを上手く借りる方法とを同時進行で考えていた。
しばらくして、隣が静かになったな、と思ったら、兄は缶ビール二本でソファーにくたりと体を沈めていた。軽くその肩を叩いて起きないのを確認し、チャンスとばかりに自分たちの試合のディスクと入れ替え、ヘッドフォンを繋ぐ。烏養コーチが見せてくれたそれとは撮っている場所が違った。自分たちの真後ろからと、コートチェンジで鳴台の真後ろから。ズームでピントを合わせてくれているから、ネット際の動きがよく見える。
これはいいなと夢中で観ていたら、気付いた時には夜中の三時になる頃だった。
「兄ちゃん、母さんの部屋のベッドで寝なよ。僕ももう寝るよ」
その体をゆさゆさと揺すり、んんーと伸びをしながら兄が意識を取り戻したところへ、キッチンから水を汲んできて渡してやる。
「サンキュ……って、蛍じゃん! 感動」
「誰と飲んでるつもりだったの……ベッドまで運ぶなんて無理だからね。自分で行ってよ?」
兄は「ふぉあ〜い」と欠伸がてら返事をして重い腰を上げる。自分も適当にその辺を片付けて部屋へ上がった。
目覚ましを七時にセットし、眼鏡をスマートフォンの横に置く。ふと、菅原さんの顔が浮かび、メールをしようかとスマートフォンを手に取るが、あんな風に逃げてきた後だというのに何を伝えるのか。
(ちゃんと、ベッドで寝てるかな)
あの人も雰囲気だけで酔いそうだから、ノンアルの缶片手にキッチンで寝落ちしかねない。
決して、人の面倒をみるのは好きではない。兄に始まり日向や影山、極めつけはあの人。僕がどうこうしなくたって、みんな一人でやっていけるし巣立って行くのに、頭の隅で、自分が面倒みなければ、などと考えてしまう。自分だけがまだ烏野の巣にしがみついているようで情けない。
面倒をみるのは好きじゃないけど、菅原さんの世話が焼けるのは、僕は、
(楽しかった)
楽しかったんだ。
スマートフォンの光の中に浮かび上がる“菅原孝支”の名前をじっと見つめながら。
あの人は器用だから、あえて僕が面倒をみずにはいられないよう仕向けてくれたのかもしれない。普段は何でも一人でやるし、人の面倒までみる人なのだから。あえて、
(僕の為に?)
SNS画面をクローズして眼鏡の横に置き直し、ベッドサイドの灯りを消す。
兄がバレーボールを捨てたあの日に、僕の感情の一部もその場に取り残されてしまった。夢遊病のように、意識のない体だけが何かを探し求めてフラフラと烏野高校に入学し、バレーを通じて僕の知らない本当の兄の姿を再現、確認しようとした。いつから兄は、僕に嘘をついていたのか。僕の何が、どんな発言が、兄に嘘をつかせたのか。
そこにたまたま菅原さんという人がいて、その人も後輩のせいで試合に出られない羽目になってしまい、影山はもともといけ好かなかったが、菅原さんに出会って兄の姿をそこに重ねてしまったせいで、影山を、そして日向を逆恨みするところから始まった。
菅原さんが兄のようにならないために、僕は何をすべきなのか。何ができるのか。どうやったらその人は、本当の笑顔で烏野高校バレー部を卒業してくれるのか。
(どうにもできずに、菅原さんは卒業してしまった)
どうにかできていたとしたら、菅原さんは、救われたんだろうか。
(菅原さんが、じゃない)
兄が、でもない。僕だ。
自分が救われたいから。人の面倒をみて、その人が少しでも「助かった」と笑顔を見せてくれれば自分も少しは救われるから。
すべて、自分が楽になりたいが為なのだ。そんな我欲のために、僕はまた大事な人を傷つけてしまった。
| 4 / 12 |
| 5 / 12 |
***
翌朝、適当に朝食を済ませ、玄関で靴を履いていた時に兄が二階から降りてきた。
「練習か? がんばってな」
「別に起きてこなくても良かったのに」
起き抜けで眠そうな顔の兄に、「冷蔵庫に、弁当用に作った残りがあるから。良かったら食べて」と言うと、「マジか~~!」と歓喜の声をあげるところまで誰かさんを彷彿とさせる。
「てか蛍、料理するんだ。すげー。俺の弁当も作って欲しい」
「早く彼女でも作りなよ。ああ、あとさ、昨日の……えーっと、」
昨日のDVDを貸して欲しい、と言おうとして言い淀む。
「あれ置いてってやるよ。俺は何度も観たから」
また観たくなったら返して。と、こちらが言いたかったことを、当然分かってましたとばかりに返してくれる。ほっと、体の力が抜ける。
「じゃあ、行ってきます」
「おー。気をつけてな」
今度一緒に旅行でも行こうな~と、それには後ろ手を挙げるだけの返事をし、僕が門を閉めるまで見送ってくれるのは少々ウザイ。
本当に、早いとこ彼女でもお嫁さんでも貰って、幸せになって欲しいと思う。兄は笑顔の上手い人で、今でも僕は、彼が笑っていればそれに騙される。大丈夫なのだと気を逸らせる。そして現在は、本当に「大丈夫」な方の笑顔。当時の燻りなんて、兄はとっくに吹っ切っている。
強豪校のチームには強いヤツが集まってくるし、中学でエースだったとしてもスタメンに選ばれないこともある。自分より強くて上手いヤツがコートに立つのを、選ばれなかった人間は納得するしかない。
するしかないけど、自チームが試合で負けた時に、お前らはよくやった、負けたけど最高の力を出し切った、そうやって一緒に涙を流せるだろうか。全勝して優勝でもしない限り、きっと手放しで喜べるものではないだろう。
涙にもいろいろな種類がある。兄が、一度はバレーの全てを捨てようとしていたのを、僕は目にしている。
菅原さんが一人で暮らすその部屋には、今もバレーボールに関わっていると思わせる痕跡は何も見当たらなかった。練習を見に行くと言われてからも、未だに姿は現さない。
捨てた筈はないと思いたい。まだバレーボールが好きだと信じたい。僕たち、特に影山がチームに加わり正セッターの座を奪われて、それがなければもっとずっとコートの中にいる筈だった菅原さんは、一つ一つの試合の結果を、すべて納得して受け入れて、烏野を卒業していったのだろうか。
烏野時代の兄が、大好きで大切にしていた誇れるものをメチャクチャにして、自分の過去から今までのすべてを否定して崩折れていた姿が忘れられない。
烏野バレー部を去る時の菅原さんの笑顔。あまりにも屈託なく、人を安心させてくれる笑顔。その満面の笑顔が、一人になった瞬間頽れていたとしたら。
バレー、もう続けてないんですか。どうして僕たちの練習を見に来てくれないんですか。
高校を卒業しても一見何も変わらない菅原さんの姿がそこにあり、ただバレーボールの影形だけが一欠けらも見受けられないから、僕は未だ菅原さんの前では、笑顔を作ることが出来ない。
***
「あれ? ちょっとあれ、菅原さんじゃね?」
いつものレンタカーで練習試合相手の高校へ向かう途中。通路側の席に座っていた日向が、その隣の窓側にいる影山よりも目敏く、通りすがりのバス停で一人立っているその人の姿を見つける。
「先生、停めて停めて!」
「いや、ちょっとバス停ですから、すぐには停められないよ~」
と、それでもうまいこと駐車スペースを見つけて、武田先生は路肩にレンタカーを寄せる。
声のデカい日向と西谷さんが、窓から顔を出してその人の名前を呼び、大きく身を乗り出して手を振る。距離もあるし、さすがに聞こえないでしょ、と思って静観していたら、日向がバスを降りて、駆け寄ってきた(と思われる)菅原さんと対面したのか、歩道側のドア越しにキャッキャとはしゃぐ声がバスの中まで聞こえてきた。
「え~俺の乗るスペースある?」
「大丈夫、大丈夫っス」
という声と共に、マイクロバスの中央の扉から日向に背を押されて菅原さんが姿を見せる。
「おお〜みんな、懐かしーなぁ! つってもたかが半年くらいか」
「何言ってんスか、まだ七月っスよ!」「うっす」「菅原さ~ん!」とあちこちから上がる声と、それに応える元先輩と、「菅原さん、図書館行くみたいなんですけど、通りますよね」とかいう日向の確認する声と、「菅原さん、ここどうぞ!」と、縁下さんが自分が座っていた鳥養コーチの後ろの席へ導く声と。
「いやいや、悪いべよ。俺、補助席でいいから。ていうか、すみません、図書館はいつでも行けるし、どうせならこのまま応援行ってもいいですか、先生?」
「え、いいの? ぜひ来てよ!」
「ンだ菅原、身体鈍ってたら承知しねえぞ? お?」
「俺、観る専ですよ? 使おうとか思わないでよ、コーチ」
軽やかな笑い声と、彼を知らない一年生がごしょごしょと噂する声を耳にしながら、後ろ寄りの席に座っていた僕はなるべく座高を低くして、その人と目が合わないように気配を消していた。
「ツッキーどうしたの? 菅原さんがいるから、緊張してんの?」
「……そうじゃない」
「月島クン、緊張してんですかぁ!? えーっめずらし! 後輩君たちに、先輩にデレてるとこ見られたくないんだ~」
「煩いパーカ」
日向には頭頂部のツボ強打をお見舞いして追っ払うも、山口に突っ込まれた言葉が、悪気がないだけに地味に痛い。緊張というか、なるべくその人の視線を感じたくないし、声が聞こえようものなら集中が切れそうで困る。
「菅原さんの視線は、たぶん影山に一点集中だろうから、月島も緊張することないぞ」
すれ違いざま縁下さんが、綺麗な笑顔を向けて僕の背中をばしんと叩き、その足で相手コートに咆哮を放っている田中さんと西谷さんを捕まえに行く。
「……」
ハァ? 今の、王様にも聞こえるように言ったよね。ムカつく顔で影山がニヤリとこちらに上目線を送ってくる。
日向・影山じゃあるまいし、僕は煽りにホイホイ引っ掛かるようなバカじゃないけど意識は変わる。確実に澤村さんからの血を受け継いでる縁下主将は、なかなかに侮れない。
「集合~!」
両チームともアップを終え、練習試合が開始される。
「ありがとうございました!」
試合結果は3ー0。その後も2試合程して、相手チームに1セット取られる場面もあったけど、総じて圧勝。春高に出場した強豪烏野の面子は保たれた。
「あ~、もっと菅原さんとしゃべりたかったぁ」
菅原さんは、途中で二階のギャラリーから降りて来て武田先生と鳥養コーチに挨拶している姿をちらりと見かけたけれど、ハーフタイムになると僕たちには満面笑顔で両手を振って、「今度はちゃんと応援しに来るな!!」と叫んでさっさと消えてしまった。
去り際、一瞬だけ目が合った気がしたが、気のせいだったかもしれない。気のせいだと思って菅原さんの残像を断ち切らないと、僕はその後の試合を続けられそうになかった。
「そういや菅原さん、インターハイの結果知ってたんかな?」
「知ってるだろそりゃ。だから、なんも言わずに帰っちゃったんじゃないの」
「だよな~。コメントしづれぇよな」
帰りのバスの中、まだ余力のある面々が話している内容を、アイマスクと音の出ていないヘッドフォン越しに耳にする。
今年のインターハイは、県内準優勝に留まった。全国行きの切符を手に入れたのは伊達工業。及川徹と牛島若利卒業後の青葉城西、白鳥沢も健在で強敵だが、彼らとも渡り合えた自分たちは、総体開催地の福岡達征に行く気満々だった。
勝敗は時の運もあれど、昨年の三年生が抜けた穴はやはり大きかった。たった三人しかいなかったにも拘らず、澤村さんの広範囲で剛健な守備力、東峰さんの牛島にも匹敵する重量級な攻撃力、菅原さんの機知に富んだ情報戦と鼓舞力に敵う者はまだいない。
『俺より先に部屋にいて、おかえりって言って』
菅原さんからメールを貰ったのは、インターハイの宮城県予選が終わった後だった。結果については何も触れてこなかったが、あの人だって高校の三年間バレーボール部に所属していたのだから、おおよその日程は知っていた筈。
(もしかして、僕の様子を窺う為?)
自分はどんな態度を取っていただろう。負けたその日くらいは、僅かに気落ちした瞬間もあっただろうが、僕にとって勝敗はあまり関係ない。関係なくはないけど、勝った試合にだって反省点はあるし、負けたら負けたで余計に原因はある筈だから、次の試合で一つでも克服できるよう、自分たちの試合の録画を何度も観直し、原因究明に努めるのみ。
結局は、木兎さんに言われたとおり。止められなかったスパイカーを、ブロックで打ち落とした瞬間の心地良さ。その瞬間の為にバレーを続けているところはある。
菅原さんがインターハイの試合結果を知っていたとして、それなら尚更、逆に僕に慰めを求めるようなメールをするのもおかしくないか?
あの人の意図は、未だに分からない。
| 5 / 12 |
| 6 / 12 |
(あのやろ、最後まで俺のこと無視しやがったな)
昨日の今日で、まさか顔を合わせるとは思っていなかった。出会い頭に唇と唇が接触したアクシデントのようなキスを、月島と交わしたのはつい昨日のこと。
月島も、今はまだ俺に会いたくなかったに違いない。内心ヒヤヒヤもので日向に背中を押されながらバスに乗り込み、それでも早く月島と向き合って話したい気持ちもあったから、どこかで捕まえてやろうと思っていた。
気持ちが変わったのは、2セット目の途中。体育館の二階にあるギャラリーから戦う後輩たちを観ていて、他にも結構観客はいたけど、応援しようにも声が出なかった。なんでだ。俺らしくもない。と、自分でも思いながら、なんとなく理由は想像できた。自分はもう、チームの一員ではない。
当然だけどそこに大地もいないし、旭も清水もいない。今の烏野メンバーだって知ってるメンツが殆どなのに、卒業した俺はもう外部の人間。
卒業後も、自分は先輩としてしゃしゃり出て行けるタイプの人間だと思っていたが、そうでもなかったようだ。声を上げて応援できないのは何でだ? 自分が中途半端なところにいるからだ。バレーと全力で向き合っていたあの頃とは違う。彼らと本気で関われないなら、俺が掛けられる言葉はない。
(ちゃんとしねーと)
顔を出すのを避けていた訳ではなかったけれど、まだ試合を応援しに来られる状態ではなかったのだ。自分が。
(にしても、月島やっぱでけーな)
自分はまず、自分のことをきちんとしなければならない。俺のことを分かってくれる後輩に、甘えている場合ではないし、好きだの嫌いだのでクレバーブロッカーを混乱させる訳にはいかない。
なるべく彼らの邪魔をしないように、武田先生と鳥養コーチに挨拶をして、それでも最後に月島の顔だけ目に映し、感情が溢れ出さないうちに視線を切った。
明後日月曜日からは、5日間の研修旅行だ。そっちが今の俺の試合会場と言える。
大学の近くにも図書館はあるのだが、学生でいつも混み合っているので、時間のある時は実家近くの慣れ親しんだ図書館へ赴く。今日は寄り道したこともあり、閉館時間も迫っていたので適当に参考書を物色するだけに止め、夕食は面倒くさいので烏野食堂にでも寄るか、と、商店街方面へ足先を向けた。
店の扉を開けるといらっしゃいませ~と言って出迎えてくれたのは、よく見知った顔だった。
「あれっ、冴子ちゃんまだ働いてたんだ」
「おー、スガちゃんじゃん! 久しぶりぃ」
田中龍之介の姉、冴子姐さんだ。確か、今年大学を卒業した筈だけど。
「就職決まったんじゃなかった? バイトしてていいの?」
「土日だけな〜。就職ったって、そんな堅苦しいとこじゃないから、家の手伝いってことで見ないフリしてくれてんの」
冴子ちゃんがうちにお嫁に来てくれればいいんだけどね~、と店の奥から食堂のおっちゃんの声がする。大将の息子もう四十過ぎてんじゃん~なんて笑い飛ばして、彼女の底抜けの明るさは相変わらずだ。
何にする? ビールはまだ飲めないんだっけ? 冷やし中華始まってるよ、と矢継ぎ早に続けられて、お冷とじゃあ冷やし中華で。と注文する。食べられれば何でもいい。自分の中でそんなに重要じゃないことは、人に決めてもらった方がありがたい。まだ夕飯の時間にも早いくらいなので、お客も俺しかいない。
「さっき、烏野バレー部のやつらに会ってさ。練習試合、ちょっとだけ観てきたよ。今年のエースはやっぱ田中か?」
「あったりまえじゃん! そもそも翔陽はエースって柄じゃないっしょ」
メンタル最強の田中にはみんなを引っ張ってってもらわないとな、なんて受け答えながら、頭の中では現烏野の布陣を思い描いて、俺ならどう動かすかななんて考え始めてる。メンタル最強とはいえ、田中も一人では背負いきれないだろうから、縁下がいてくれてよかった。現三年生も結構バランスが良い。……なんて、駄目だな。地元に戻るとどうしても頭の中までバレー一色だった日々に戻ってしまう。
「スガちゃんは、大学でバレーやってないの?」
そのうち誰かに訊かれると思っていた。やりたいのは山々だけど自分はスポーツ推薦枠に入れる程の選手でもなかったし、高校最後の春高の、あのメンバーだったから、自分の最大値を引き出せたと思っている。
セッターとして影山がいて、彼を引き上げる日向がいて、日向に負けじとする月島がいて、そんな月島と一緒に戦いたいと思う山口がいて、そんな一年生のパワーに圧倒され、足りない部分を補える二年、三年がいて、マネージャーも含め誰一人欠けてもあそこまで勝ち上がれなかった。毎試合が夢のような時間だった。
それはそれとして、バレーボールに触れていたいというのはある。
「どっかで身体動かしたいとは思うんだけど。商店街チームにでも入れてもらおうかな」
「あそこは練習の後の飲みがメインだから、飲むの苦手だったら入んない方がいいよ」
「そうなんだ」
優しい助言をもらってしまう。って、まだ未成年ですしね。冴子ちゃんが言うくらいだから、相当なんだろうなと想像される。
「あとは社会人チームに入ってる奴なら知ってるけど。今こっちに戻ってきてるっていうから、呼ぼうか?」
はい、お待ちどぉ~と冷やし中華を出されて、冴子ちゃんはどこかに電話を掛け始めた。
「こんばんわ〜」
「えっ」
程なくして現れたのは、
「明光~。久しぶり、元気にしてたか!?」
「なんつータイミングで呼び出すんだよ。俺、これから仙台に帰るんだけど」
「呼ばなくても、戻ってたんなら寄ってけよ~。友達だろ?」
「……まぁそうね。俺、一応キミの先輩だけどね」
応援席にいる姿は何度か見たことがあって、一度挨拶されたことがあるくらいだろうか。
「こんばんわ」
「こんばんわ、菅原くん……だよね? いつも蛍がお世話になってます」
って、もう卒業したんだっけか。と、改めて右手を差し出されて握手を交わす。普段から作り慣れてる感じの自然な笑顔に、兄弟なのにこうも違うものかと苦笑する。弟の方も、営業スマイルは上手そうだけど。
「菅原クンがさぁ、どっかバレー出来る場所を探してるみたいなんだけど、アンタんとこのチームはどうなのかって思ってさ」
「いや、ちゃんとしたチームに入れる程ではなくて……知り合いのところで遊ばせてもらえるくらいがちょうどいいかなって」
明光くんは俺の正面の椅子を引いて座り、食べかけの他の皿を見て同じように冷やし中華と、餃子とビールを注文した。
「全然、遊びにくればいいよ。蛍も時々顔を出すし」
「えっ、月島が?」
俺が驚いて声を上げると、意外か~そうだよね~と明光くんは笑って、
「今年の春高の、……あ~時期としては昨年ね。菅原くんもいた頃の。宮城県大会の前くらいかな? 俺も、あんなに熱い蛍の姿見たの初めてで驚いたよ。その頃から、ちょいちょい顔を出すようになって」
と、当時の月島の様子を明かしてくれた。居残りもしないで帰るヤツだったのに、俺の知らないところで練習してたなんて。
(合宿中もそうだ。知らない間に、音駒の黒尾や梟谷の赤葦にいろいろ教わってたっていうし)
本人からは決して口にしない。確かに、当時の烏野のメンバーには月島に手本を見せられるようなブロッカーはいなかった。梟谷の木兎や、社会人チームの兄のような練習相手が、月島をあそこまで引っ張り上げたのか。
「月島は――蛍くんは、俺たちとはレベルが違うとこにいたんですね」
「いやいや、菅原くんたちがいたから、あそこまで躍起になったんでしょ。俺は危うく、蛍を潰すとこだったしね」
明光くんは、お待ち~と運ばれてきたビールをグラスに注ぎ、あ、俺だけゴメンねと謝りつつグラスを傾ける。
「潰す……? って、何かあったんですか?」
思わず訊き返してしまったけど、はっとして空笑いで濁す明光くんの表情からして、突っ込んではいけない話だったかもしれない。
「いや~なんていうか……。アイツは、俺の影響でバレー始めたとこあって」
その兄が、烏野ではレギュラー入り出来なくて、ギャラリーからの応援組だってバレた時は相当ショックだったみたいでさ。と、運ばれてきた餃子を、良かったらキミもどうぞと言って、醤油皿を自分と俺の前に置く。
「あの時はしばらく口も聞いてくれなくなっちゃってさ。俺も顔合わせづらかったんだけど。てっきり俺が原因で、バレーも嫌いになったと思ってたんだよね。だから、まさか蛍も烏野バレー部に入るとは思ってなかったんだよ」
あんなに兄ちゃん兄ちゃんって慕ってくれてたのにさぁ〜。相談の一つもないなんて……と、追想に耽る顔つきで零す明光くんのグラスに、ビールを注いでやり。兄ちゃん兄ちゃんって慕う月島とは。
「あ! まったく想像できないって顔してる! 小学校くらいまでは俺の後追っかけまわして可愛かったんだぞ~!」
「想像できないっすね」
「今度、昔の写真見せてあげるから、うちに遊びにおいでよ」
ちゃんと話したのは今日が初めてだけど、こりゃ相当なブラコンだ。
「菅原くんは兄弟とかいないの?」
と訊かれるが、うちの弟は俺よりしっかり者だし、あんまり甘えるとかない。
「そんじゃ今度、兄弟四人でご飯でも食べようよ!」
って言いだす明光くん。自分の弟に構って欲しさが溢れてる。
店も賑わってきて、冴子ちゃんが忙しそうにお客の相手をして、お会計の際には烏野バレー部への支援金を募るのも忘れない。食事も終わり、電車の時間があるからそろそろ出ようかということになり、俺たちも各々千円ばかり寄付をした。もっと置いてけ~! とどやされつつ、烏野食堂を後にする。
「菅原くんはバス? こっから近いの?」
「バスで三十分くらいですかね」
「じゃあ、気が向いたら俺のチームにも遊びに来てよ。もっと蛍の話もしたいし」
そう言って連絡先を交換し、それぞれの帰路についた。
遊びに来てよと言われたものの、月島が寄る可能性もあるのだったら、俺は行かないだろうな。と、その時は思っていた。
夏休みには、今年も梟谷グループでの合宿に参加するのだろう。そうなると、年を越して春高が終わるまで、月島とは会えないかもしれない。今日の試合の様子を見た限りでは、今回もそこそこいいとこまで行きそうだ。
(ああでも、インハイは全国逃したんだっけな)
今の烏野には、ずっしり感が足りねぇんだよな。大地とかみたいな。と考え始めたところでバスが来る。
(バレーしてぇなぁ)
したいけれども、今はそっちにかまけている場合ではない。ちゃんと大手を振って彼らを応援できるように、今は自分の足元を固めるのが先決だった。
| 6 / 12 |
| 7 / 12 |
***
夏休み前半。八月の春高代表一次予選前の長期合宿が始まる。
「そろそろバレー部専用のバスとか、買ってくんないっすかねぇ」
「まだ無理だろ~。せめて2、3年連続で春高出場とかしねーと」
他の部活動の遠征と重ならなければ1台は学校専用のマイクロバスがあるのだが、バレー部はまだまだ力関係で弱いところにある。今回も御用達のレンタカーで、烏野OBが交代で運転手を務めてくれるが、近場の練習試合なら武田先生が専ら運転手という、このまま勝ち進まなければジリ貧チームをいつまでも脱しきれない。
結局、五日間の研修を終えて帰ってきたであろう菅原さんとは会う時間も作れないまま、僕の方が今度は東京遠征と相成ってしまい、ヘタしたら春高が終わって落ち着くまで彼の部屋にも行くことなく、この間の事件もなかったことに、時間だけが過ぎてしまうのではないかと思っていた。
(まぁ、余計なことは考えないで済んだ方が、僕にとっても都合がいい)
余計なこと。菅原さんは、その辺どう思っているのだろうか。
僕はこれまで、誰かに特別な感情を抱いた経験がない。菅原孝支という人は、ああいう誰にでも好かれるタイプの人間だから、これまでもこの先も、誰かのものになってしまうというのは充分あり得る。
普通だったら焦るのだろう。誰かのものになってしまう前に、自分のものに、と。焦る気持ちは確かにあった。でもそれも、あの人の気持ちを知ってからは逆に冷静になる。
お互いに接触したい。交わりたい意味での好きなのだと、弾みだけでは済まなかったキスで実証された。きっと今は、あの人が僕の手の触れる距離に入った瞬間、自分を止められなくなる。それは避けたい。ボールが上がった場所へがむしゃらに飛びつくようなものだ。そんな疲弊するだけの無様な試合になるのは勘弁。
他人と数日一緒に過ごす合宿なんて考えただけでも憂鬱だが、今の自分が強制的、物理的に菅原さんと距離を取れるのはありがたかった。
「フフフ、今年もこの時期がやって来たか、月島弟!」
梟谷グループ練は、持久力限界まで対戦を繰り返すので体力の増強には繋がるが、木兎さんのパワーと黒尾さんのブロックに匹敵する練習相手はそうそういない。となると、彼らが卒業してしまった今、やはりここに来るのが手っ取り早かった。
「赤井沢さんの癖は既に見切ってますので物足りなさはありますけど、今年もお世話になります」
「ンだとぉ!? パワーではまだまだ高校生には負けねえから!!」
嫌味を含めつつ、それでもぺこりと礼儀正しくお辞儀をすれば豪快に胸を貸してくれる。悪い人ではない。加持ワイルド・ドッグスの選手層はそこそこ厚い。パワー型の赤井沢さんを始め、兄のスパイクはブロッカーの隙間を縫うのも上手く、サーブも嫌なところを狙ってくる。中学高校時代からバレーを続けている選手も多かった。大手商社の社会人チームには敵わずとも、烏野町内会チーム相手なら圧勝するのではないか。どちらも、趣味の域を超えて熱くなりすぎるきらいはある。
セッターは、影山や孤爪さん、赤葦さんのような頭脳派選手と関わってしまうと平均よりちょい上としか評価は下せないが、もちろん下手な人材はここにはいない。って――――
「……?」
今一瞬、僕もよく見知ったセッターがそこにいたような気がする。
決して細身ではないが、人が一人隠れるには幅が足りない兄の後ろからひょこっと顔を半分覗かせて、一度は幻覚かと己の視力を疑ったが、こちらが近寄ると兄を盾に視線を躱して逃げるので、その二の腕を捕まえて目の前に引き摺り出した。
「……菅原さん!?」
「へへ……お邪魔してます」
「何でここにいるんですか」
兄の方へ視線を飛ばすと、「いやっ、俺はお前に連絡しようとしたんだよ!? でも菅原くんに止められて……」とか慌てて言い訳をしだす。
「……」
「俺がさっ、明光くんに頼んだの! 夏休みの間だけ、時々寄らせてって!」
菅原さんの顔を凝視したまま、僕は言葉が見つからなかった。別に僕に断ることではないけど、あまりにも突然で、神出鬼没すぎて、思考が追い付かない。僕の頭のネジが、一本どこかへ飛んでいく。
「け、蛍はどっちに入る!? 時間もねーし、練習しようぜ!」
兄の言葉で、はっと意識を取り戻して菅原さんの腕を離し、
「赤井沢さんのいない方に決まってんでしょ」
と断って、頭のネジを締め直す代わりにスポーツグラスを調整し直した。
この手に掴んだ菅原さんの二の腕は、前の筋力を取り戻していたように感じた。そんなところばかり、僕の脳はきちんと機能している。
| 7 / 12 |
| 8 / 12 |
部外者が二人。元々菅原さんは、赤井沢さんのいるコートで身体を慣らしていたようだが、せっかくだから一緒の方がいいだろうと、余計な配慮で僕と同じチームに回される。力配分で兄もこっち側の6対6。総勢二十名足らずの選手、残りは面白がって見物に回っている。
ピーッと試合開始の笛が鳴らされる。敵チームからのサーブで始まる。合わせる時間も与えられず、最初から上手くいく筈がない。ところが、
「明光くん!」
菅原さんのトスでスパイクを決める兄。
「ナイスキー!」
ああ既に、何度か合わせたことがあるのか。大学も夏休みはまだ始まったばかりだろうに、いつからここに来ているのか。
こちらのサーブ。赤井沢さんがトスを呼ぶ。僕は後衛からのスタートで、ブロックには飛べない。ブロックの練習に来ているというのに、あえて避けて来たな? 高校生・大学生相手に本気で点を取りに来るなよ。ありがたいことにリベロはうちのチーム。赤井沢さんのスパイクも難なく拾い、菅原さんが再びトスを上げる。
「月島!」
え、僕? ってか、月島は二人いるんですけど。
トスを呼んでもいないが、遊んでもいないので攻撃に出て来ていた僕は、多少態勢を崩しながらもジャンプする。数か月のブランクがあるにも拘らず、菅原さんが上げたトスは僕の手のひらにしっくりと吸い寄せられ、打ち下ろす方向を自由にコントロール出来る時間さえ与えられた。
「ナイスキー! 月島ぁ!」
「……ありがとうございます」
苦手なバックアタックにも拘らず決められた。ハイタッチを強いられ、僕も無意識に手を合わせてしまう。菅原さんのトスを打つのは初めてじゃない。影山のトスの方が圧倒的に数を打っているが、いつもの倍、滞空時間が伸びたように感じた。影山よりも上手いんじゃないの? それとも、僕が心を許している分、感じる感覚なのだろうか。
試合は進み、赤井沢さんのスパイクを受けた時に若千指先を痛め、タイムとなる。
「貸してみ。先輩がテーピングしちゃる」
「……もう先輩じゃないでしょ」
「先輩は、いつまでも先輩だっ」
いつもなら兄が駆け寄ってくるのだが、今日は変に気を遣われている気がする。菅原さんと兄も、一体いつから仲良くなったのか。僕の知らないところで、話はいろいろ進んでいる。
「ていうか、月島こんなところで練習してたんだな。びっくりしたわ」
「わざわざ言うことでもないし」
「言っとけよ~。そしたら鳥養さんも、また別の練習メニュー考えてくれるかもしんねーじゃん」
まぁお前のことだし、コソ練してるのバレるのが嫌なんだろ! と笑い飛ばされる。
思ったよりも、普通に話せていて驚いた。どう接したらいいのか戸惑うものかと思っていたのに、この人が何も変わらないからか。
「指も大分太くなったな。お前、一見スポーツマンって感じじゃないから、何も知らない人がこの指見たら驚くだろうな」
中指と薬指を一緒にテープで固定されて、菅原さんが、痛めていない指も関節の太さを確認するように指先で何度もなぞる。僕の目の前には菅原さんの伏せられた睫毛。僕の指をなぞるその仕草が愛しげで、僕もその人の髪に手を伸ばしたくなる。いつまでもその空気に浸っていたかったけれど、菅原さんの指ごと自分の手のひらを握り込み、それを合図に立ち上がった。
手を離した後も、指先から流れてくる感情の残り香に気持ちが逸る。
加持ワイルド・ドッグスは毎週木曜日の夜間3時間(不定休)、烏野高校からも程近い町内体育館で練習をしている。何か試したいことがある時にここか、知り合いに紹介された大学チームのどちらかに寄らせてもらうのだが、僕がこっちに顔を出す日には菅原さんも大体来ていた。夏休みの間だけと言っていたし、その間は毎週来ているのかもしれない。
「明光くん、コース狙うの上手いよなぁ〜。高校の時からこんな上手かったの?」
そんな話題を耳にして、僕の方がギクリと身を疎ませてしまう。けれど兄は、何でもない事のように楽しそうに話しを続けている。
「まじか~。その頃は明光くんレベルの選手がごろごろいたんだな。もったいねぇ〜」なんて、僕だったら「やめてくれ!」となりそうな会話も、別に平気なようだ。
今となっては、兄がもし作り笑いで会話していようものなら僕も見破れる自信はある。兄のすべてを信じて、隠された嘘にも気付かずに、すげぇな、かっこいいなとはしゃいでいた無垢な月島蛍はもういない。早いうちに僕にバレて、良かったんだろうなと思う。僕が知らなければ、あの頃の話題はいつまでも濁され続けていたかもしれない。
「俺の
「え! そんな熱い展開、いつあったの?? 詳しく~!」
兄ちゃんもニヤニヤしちゃって……ピース! じゃないよ。
「僕は、そんなつもりでやったんじゃないから」
「だよな。蛍は蛍の仕事しただけだよな」
そう、本当に――――山口も僕に“
きっと僕は、部活に青春賭けてるような奴らが、勝ち負けで大泣きしている姿を遠巻きに見て、自分の感情が動かされるものか試したかったのだ。そんな奴らもいくら感動したところで、卒業する頃には結局は部活。たかが部活と、あっけらかんとした気持ちで去るのに決まってる。
「月島はさぁ~、ネットの向こう側にばっかり笑顔向けるんだよな」
クールダウンの為の柔軟を終え、両膝に手を置いて足の裏を伸ばしながら、菅原さんがよっこいせー! と掛け声付きで立ち上がる。
「は?」
「月島の笑顔、味方連中は誰も見たことないんじゃね? 俺もない」
菅原さんが僕の目の前に両手を差し伸べ、僕は何の気なしにそれを掴んで身体を引き上げるが、その会話を聞きながら兄が、「偏屈になっちゃって兄ちゃん悲しいよ」と茶々を入れてくる。
「味方とハグする喜びも、お前に知って欲しい! 影山と、結構気が合ってるのも知ってるんだぞ?」
「……」
それこそ「は?」と全力で否定したい。けれど、その煽りには乗らないことにする。
「あっそうだ、代表入り、おめでと」
菅原さんは思い出したようにそれを口にして、「はぁ、どうも」と受け取りながら帰り支度を整える。
「僕と影山が今どうかなんて、練習も見に来ていないアナタに分かるんですか? 僕の笑顔が見たいんだったら、試合の一つでも見に来ればいいでしょ」
「あれ、やっぱ菅原先輩の応援が欲しい? ちょっとは気合い入る?」
「……僕はともかく、あいつらは喜ぶんじゃないですか」
そう言うと少し悩んだようだが、散々焦らしておいて、それでも菅原さんは「ごめんな。今はまだ、観に行けねーんだわ」とあっさり断った。
(夏休みに入る前の練習試合だって、何ですぐに帰ったんですか?)
他に用事があったにしても、あんな帰り方するなんてこの人らしくなかった。その理由もまだ聞いていない。
練習を見に来る、来ると言っておいて来ない。たまたま後輩たちに見つかってしまったから観に来たけど、1試合も終わらないうちに帰る。そんなだから、菅原さんにとってバレーボールなんてもうただのスポーツに格下げされたんだ、と僕は思った。
それならそれで、菅原さんがもしバレーボールをやめた人ならば、どうして僕と再び接点を持つようなことを自分からしてきたのか? どうしてここで、一緒にバレーボールを楽しんでいるのか? まるでまた一から、先輩と後輩として僕との時間を重ねているような、伝え忘れたことを伝える為に、時間が巻き戻ったかのような時を過ごしている。
「菅原さんもしかして、もう死んでます?」
「なんでっ!?」
いつだったかこの人と、同じようなやり取りをした記憶がある。あの時僕はこの人に、何を言われたんだった? 何か突飛もないことを言われて、適当に流したのは覚えている。
あの時流さずに問い直していたら、菅原さんが何を考えているのか少しは分かったのかも。
(兄ちゃんの嘘にも、気付けたのかも)
表面ばかり見ていて、本当の意味で兄にも興味がなかったのだ。菅原さんのことだって、興味がある筈もない。誰に対しても、興味なんてない。
「まぁ、俺が行っても行かなくても、お前のパフォーマンスに影響がないのは分かってるし。年明け、楽しみにしてるぞ」
勝手にそんなことを言って、じゃあな~と笑顔で去ろうとするから、後ろからその二の腕を掴んで引き留める。
「明日、部活休みなんですけど、菅原さんちに泊まってもいいですか?」
| 8 / 12 |
| 9 / 12 |
***
嫌だとは言わなかったが、「ほんとに、ほんとに泊まるの?」と、往生際悪く、部屋に着いてからも何度も確認される。
「別に取って食いませんから、そんなに距離取らないでくれます?」
菅原さんは、自分の部屋に着いた途端一番奥の部屋へ一目散に駆け込み、ドアを盾に半分顔を覗かせて僕の出方を窺う。数か月前はそっちがしつこく同居を迫っていたくせに、それと同一人物だとはとても思えない。
勝手知ったる冷蔵庫を開け、何か作れるものはないかと物色する。
「また卵と納豆しかない……。野菜は食べてるんですか? 僕に栄養指導されたら終わりですよ」
時計は夜の九時を回っている。買い物に行くにしてもコンビニしか開いてなさそうだし、今日だけはそこに頼るしかないか。
「何かマシなもの買って来ますから、お財布貸してください」
菅原さんが頭を整理するのと諦めてもらう時間を作る為にも、一度僕が外へ出るのは有効だ。顔だけ覗かせる彼の目の前にほら、と手を差し出して、そこへ財布が乗せられるのを待った。
栄養がすべて洗い流されていそうなサラダのパックと、保存料の沁み込んでいそうなおにぎりを数個買って僕がコンビニから戻ってくると、菅原さんは出しっぱなしだった参考書のいくつかを片付け、僕の為の着替えを物色しながら待っていた。
「おかえりっ! 何買ってきた? あれ~キムチがない。アイスは?」
僕が下げていたコンビニの袋を受け取り、中身をテーブルに一つ一つ並べていく。
「ご飯の常備は冷凍庫に見つけましたが、おかずが見当たらなかったんで。キムチにまで気が回らなくてすみません」
無気力、無感情で謝って財布を返すと、その言い方、やっぱ月島だよな~と苦笑される。
「ま、いいや。食おーぜ」
こちらも勝手知ったる洗面所を借りて、その間に菅原さんがコンビニのサラダを自分ちの皿に盛り付け、付属のドレッシングは僕用の対面のサラダに、自分の分には冷蔵庫にある残り物のドレッシングをかけた。瓶に“激辛”と書かれたやつだ。
「わざわざお皿に替えなくても良かったのに」
「うそ、俺、お前に怒られそうだからわざわざ皿に盛ったのに」
「コンビニのはコンビニのパックのまま食べますよ」
「そうなの? お前がコンビニのサラダ食ってるの、想像つかねーな」
シシシと歯を見せて笑い、“辛子明太子”と書かれた方のおにぎりの封を切る。これはたまたま見付けたから買ってきた。菅原さんの辛い物好きを奨励している訳ではない。
「そういえば、シチューとかチャーハン以外の料理、何か覚えたか?」
煮物にしても肉じゃがにしても、母親が作ったものを提供しただけだから、僕が作ったのは菅原さんが挙げたその二品と、野菜を炒めるとか卵を茹でるくらいしかない。季節感がないと言われれば、この時期ならそうめんを茹でるくらいなら出来るが、それは料理とは呼べない。
「……カレーも作れますけど、市販のルーに頼るのはちょっと」
「おいおい、ルーから仕込むつもりかよ。そしたら麻婆豆腐もダメ?」
「豆腐加えるだけのやつなら、自分でも作れるでしょ」
アナタももっと、自分を大事にしてください。と言うと、お前は俺を大事にしてくれるんだ~とニヤニヤされる。眼鏡越しにちらりと睨んでやれば、おっと、といった表情で目線を逸らす。
自分にしては突発的な行動だった。
けれど自分から“泊まらせてくれ”と頼んだ割に、自分が何をしたいのか分からない。ただ、何回かここでこの人と一緒に過ごすうちに、言葉にしなくても相手の感情が伝わってきたように、今回もそれに期待している。
(アナタは僕に、何を伝えようとしているんですか? 僕はこの人と、どうなりたいのか?)
菅原さんは、僕に自分の存在をアピールしたいのだ。けどそんなのは、一年足らずではあったけれど同じチームでバレーに打ち込んでいた時間だけでも充分だ。
この人が、スタメンに選ばれなくても充分満足した結果で卒業したことくらい、本当は僕だって分かってる。影山に『この烏野チームでもっと上に行きたかった』と言わせたのは、菅原さんたち三年生だ。
影山に宛てた、『お前からそれを聞けただけで、ここに来た意味がある』という言葉。三年生たちは、インターハイが終わった段階で部活を去ることも出来た。当時の一、二年だけでも試合に出る人数は足りていたし、自分の将来のことを考えるなら、あそこで辞めたってよかった。
たかが部活。将来履歴書に、部活を頑張りましたって書けるだけ。そう思っていたのは僕だけど、そんなの菅原さんたちも分かっていただろう。それでも春高目指してギリギリまで部活を辞めずにいたからこそ、影山のあの言葉で、“交代要員・菅原”ではなく、“二人目の正セッター・菅原”として、何の未練もなく卒業できたのだ。影山にすべてを持っていかれて、何も出来なかったと諦めていたのは僕の方だ。菅原さんたちがいた頃の烏野に、未練が残っていたのは僕の方。
『だから俺は、今ここにいるんだろ?』
と、菅原さんが言う。だからって何? 何のために卒業した後まで、僕と関わるの?
菅原さんの姿に、兄を重ねていた。今思えば、似ても似つかない。自分のチームをギャラリーから応援していたのが兄ではなく菅原さんだったら、「俺と一緒に俺のチームを応援してくれ!」なんて、小さい頃の僕に言ったかもしれない。僕の前でも、平気で泣いたかもしれない。
兄のことは大好きだったし、幼かった当時と違って今では面と向かって慕っているなんて言えないけど、弟に虚勢を張る姿だってかっこいいと思える。兄の話を聞かなかったのは僕なんだから、あんな風に絶望させてしまったのも僕の責任だ。
いや、それだって僕の願望に過ぎない。僕が原因で兄が絶望した訳ではない。兄がバレーを捨て、そして今は「あの時できなかったから」と言ってバレーをやり直していることに、僕は関係ない。兄自身バレーが好きだから傷ついたり藻掻いているだけで、そんな兄を見て僕が愕然としようが喜ぼうが、それが決め手で兄は進路を変えたりはしない。
あの時の兄に、今なら伝えられる言葉がある。あの時の僕にだって、兄が好きなら本当は伝えられていた筈なんだ。影山の言葉で菅原さんが涙を流したように、その一言で土台が覆されたりはしないけれど、拓けた未来へ後押しされることだってあると知ったから。
兄のルーツを辿って烏野バレー部に入ったものの、結局自分は何もできない。何も変われない。最初から諦めてだらだらと部活を続けていた。そのうち、山肌にピッケルがざくりと突き刺さり、ひとつの足がかりを見つけて自分の体が一気に上へと引き上げられる感覚を得る。これだ、という手応え。
『月島、スゲーな。ブロックめちゃくちゃ上手くなってんじゃん』
ああ、僕は、何を一人で楽しくなっているんだ。僕がここにいる理由。僕は別に、バレーがしたくて烏野に入った訳じゃない。そうじゃないのに、いつの間にかもっと上手くなりたいと思っている自分がいる。
そして何故この人は、僕や影山、日向がスタメンに入っているから自分がベンチ組なのにも拘らず、挫けもせず練習を続けているんだろう。影山がいる限り、いつコートに立てるかも分からないのに。
どんな気持ちで影山を見ているのか。何故悔し涙のひとつも見せないのか。思う存分自分の力を発揮できずにいるのは、あとから入ってきた後輩のせいなのに、何故チームを鼓舞し続けられるのか。最後まで試合に出られなくても、その笑顔を崩さずにいられるのか。
自分がコートにいるから、誰かがコートに入れない。でも自分は試合に出たい。いつの間にか自分がそっち側になり、そして当時の兄側にいる菅原さんの、変わらぬ笑顔と努力する姿に、僕は腹を立てていたのだ。
『もしかして月島、今までの記憶を失ってる……!?』
思い出した。バレーに無気力だったあの頃、菅原さんに突然そう言われたのだ。まるで最初から、僕がバレーボールを好きだと知っていたかのように。
もし僕が本当に記憶を失くして烏野バレー部に入部したというのなら、菅原さんに偏見を持つこともなく、もっと最初から今のように関われていた筈だ。あなたのトスをもっと打ちたい、あなたともっと練習したいと、後輩が先輩を慕う素直な感情のまま、正面から言えていたかもしれない。
ああ、だからこそ菅原さんは、僕に自分の存在をアピールしたいのだ。
菅原さん、ほんとに死んでないですよね? やり残した時間を主人公と過ごす為に、間違った方向へ主人公を進ませない為に、ひと時だけ生き返った親友。家族。そんな映画を何本も観たことがある。
『じゃあね』
そして、主人公がもうひとりで大丈夫だと気付くと、最上級の笑顔を残してその人は光の向こうへ消えて行く。これがハッピーエンド? そんな訳ない――――
ふつり、と、不意に目を覚ます。
ああ、夢を見ていたんだ。気温のせいだけではない、嫌な汗をかいている。ここは――――菅原さんの部屋だ。
| 9 / 12 |
| 10 / 12 |
部屋の主の姿を探すと、ベッドの脇からひょこりと跳ねた毛が飛び出ているのを発見する。
「あ、起こしちゃった? ごめんな、ライト消すわ」
半身起こして覗き込むと、その人はベッドを背凭れにして、机から引っ張ってきたらしいデスクライトで本を読んでいた。
「眠れなくってさ。お前は、学校と俺の相手とで疲れちゃったみたいだし?」
俺が風呂から上がった時には、もう寝てたぞ~と笑われて、すみませんと頭を下げる。家主の布団を奪ってしまった。
「今、何時ですか? アナタも寝てください」
暑いし、僕は雑魚寝でも構いません、とベッドを開けようとすると、「一緒に寝る」と、頑として譲らない。
「意識のない時に忍び込むのはフェアじゃないから、お前が目ぇ覚ますの待ってたんだぞ」
「……僕が朝まで起きなかったら、どうしてたんですか」
「お前の上にダイブしてた」
とう! と叫んで、本当に飛び込んでくる。その身体を、一度は正面で受け止めたもののすぐにごろりとベッドの上に転がして、前と同じように壁側にその人を寝かせ、僕は背中を向けてその横におとなしく寝転がった。
無言でいなしたことに文句を言われるかと思ったが、後ろにいる菅原さんはしん、と静まり返ったまま。
しばらくして後ろから「寝れそう?」と声を掛けられる。
「疲れてるから、すぐ寝ます」と答えると、「俺は眠れそうにない」と拗ねたような、掠れた声で返される。
手を伸ばしてくる気配を感じ、「駄目ですよ」と、少し強めに拒めば、菅原さんが寝返りを打って、僕に背を向けるのを感じた。
「つきしま」
壁がクッションとなり、反射して僕の耳に届けられた声は、いつもより柔らかく響く。もう一度間を空けて「つきしま?」と呼び掛けられても返事はしない。しばらくすると諦めたのか、それでも「おれの独り言聞いて?」と前置いて話し出す。
「おれ、小学校の先生になるって決めた」
――――この間、研修の時、一日目に学校訪問が組まれててさ。地元の小学校に行ったの。俺の通ってたとこじゃなかったけど。
僕が聞いてなくてもいいような、小さな声でぽつぽつと語る。先生って呼ばれるのはこそばゆい、だとか、日向と影山が何人いるんだって感じでさ、とか、菅原さんは僕たちを小学生として見てたのか?
「つきしまが兄ちゃん子だったって明光くんから聞いてさ。お前もこんなんだったのかな~って。お前みたいに、全然笑わない子もいてさ。でも小学生だから、何かに夢中になると目の輝きを隠せないんだよ。あ、小学生なめてるわけじゃないよ?」
独り言として紡がれる声は、いつもより優しく響いて心地がいい。頭を撫でられながら、絵本を読まれているようだった。
「夢中になるのって、楽しいよな。何にも関心のない子にも、何か見つけてやりたい。そう思う。俺がバレーに出会ったみたいに」
――――だから、お前たちとの時間は、一旦お預けな?
俺が夢中になっちゃうから。と言って、そこで話はお仕舞いのようだった。
寝返りを打ち、菅原さんの方を向く。
「……月島、起きてた?」
「こっち向かないで」
先に、その人の動きを封じる。顔を突き合わせて本音を言える程、まだ僕には覚悟が出来ていない。
「菅原さんが好きです」
はっと息を吞む音が聞こえる。
「触ってもいいですか?」
その人が僕に触れる時、言葉ではいい加減なことを言ったり、面白おかしくちゃらけていても、髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜたり、肩に回された手からは、僕が口にした“好き”の一言よりも、もっとたくさんのことを伝えてきた。それが僕だけに与えられていたものではなかったとしても、僕からは菅原さんだけにそれを伝えたい。
応諾の言葉はなくても、拒否もしないからそっとその人の肩に触れる。僕のものか、その人のものか、緊張がそこから伝わる。近付いて、引き寄せるように腕を菅原さんの前に回して、背中から抱き締める。心臓の鼓動は、二人とも同じように早鐘を打つ。
はぁ、と一つ溜息をつくと、「俺もつきしまが好き」と、その人も零した。
逸る気持ちを抑え込もうと手を引こうとした時、その人はすかさず僕の手を掴み、
「もっと、触って……つきしまの指を、覚えたい」と切実に訴えかける。
その後は、導かれるままTシャツの中に手を潜り込ませ、直にその人の肌に触れる。指を伸ばすと胸の突起にぶつかり、菅原さんはびくりと躰を竦ませて、背中を丸めて両膝を抱えるように縮こまる。
心臓がますます早鐘を打ちだし、体温も上昇する。もういいだろうと思っても、菅原さんは僕の手を放してくれない。
「菅原さん、これ以上は」
「ダメ、無理、我慢できない。男なら、分かんだろ?」
息が上がるのを悟られたくない。なるべくか細く息を吐き出し、これ以上は触れないと、彼のシャツの中で握り込んだ指先を、その人は容赦なく己の下肢へと導く。
「イヤだったら言えよ? こんなこと……」
――――俺だって、初めてなんだから。
理性のメーターが一気に減るのを、ギリギリのところで踏み止める。
いつだって、この人に触れたかった。一線を越えるその先は想像だにしていなかったが、僕の言動で、この人の理性を壊したいと思っていた。感情を迸らせる姿を見たいと思っていた。
その人の肌を傷つけないように指を伸ばし、期待して震えている性器の縁に触れる。ひくっ、と一瞬喉をしゃくり上げて、菅原さんも僕と同じように口唇の隙間から、か細く息を吐き出す。湿った感触の輪郭をそっと指先でなぞり、やわく握り込む。その人がひくひくとしゃくり上げる箇所を探して責めて、息が短く速くなるのに合わせ、優しく擦り上げる。ゆるゆると上下に動かすとすぐに硬く勃ち上がり、その人の口唇から甘くくぐもった声が漏れ始める。
「……っ! 、つ、きしまぁ、」
もうダメとばかりに菅原さんは僕の方に首を仰け反らせ、悦に歪む瞳が合わさり、苦しい体勢の中で口唇を重ねる。意図してか知らずか舌が潜り込み、「ンン……ッ」と鼻に抜ける声を上げると同時にその人の躰がビクリと跳ねた。
「はぁ…――ぁ……ふ」
吐精した後、満足げな溜息をつき、菅原さんはごろりと体を捻って僕の首に正面から縋り付く。弛緩している体を抱き締め直すと、その人の吐き出したもので濡れた指を彼の双丘の間まで伸ばす。自分のことはどうでもよかったが、触れたい欲求だけは増して、一瞬の躊躇と共にその柔らかな臀部をぎゅっと握ると、その人もうわ言のように「いいよ」と口にする。
「触るだけだから」
その宣言どおり指先を割れ目に忍ばせ、穴の淵をなぞり、湿ってひくつく内臓に少しだけ触れた。熱く吸い付くそこにも、僕の指を覚えさせる為。
| 10 / 12 |
| 11 / 12 |
しばらく眠ったのか、重たい目蓋を持ち上げると、自然光で部屋の中も明るくなっていた。
僕に縋り付いて寝息を立てる菅原さんの姿にぎょっとして、彼の身体に回していた腕を引っ込める。
「ん……? あー寝落ちてた。おはよ」
と、菅原さんはもぞもぞと動いて起き上がり、ベッドの上にぺたんとあぐらをかいて欠伸をする。その時ふと、下着の中に違和感を覚えたのか視線を下げる。
「うわー、ハハ……。すげ~」
ハーフパンツと下着のゴムを一緒に手前に引っ張って、中の惨状を眺めて笑い飛ばすが、自分は居たたまれず慌てて洗面所に駆け込んだ。
「お~い、眼鏡なくてだいじょうぶか?」という声を耳にしながら、何度か部屋の角に足の指と頭をぶつけながらトイレと手洗いを済ませ、顔をばしゃばしゃと洗う。
信じられない。何ということを……。あの状態から、よく眠れたものだ。
「お前のは触った記憶ないけど、処理したの?」
はっと気付くと、びしょ濡れの顔で鏡を覗き込む僕の後ろに菅原さんが立っている。そして意地の悪い笑顔で、とんでもないことを訊いてくる。
「……いたいけな高校生を、からかわないでください」
そう答えるとぶはっ! と噴き出して、一頻りけらけらと笑いながら、「ほら」と眼鏡を手渡してくれた。
その人もトイレと洗面を済ませると、
「今日休みなんだろ? デートでもする?」と、嬉々として腕を絡めてくる。自分も初めてだと言ってなかったか? この余裕綽々な感じはなんなのだろう。
「家に帰って、寝直します」
え~残念~とブツブツ言いながら僕の後を追いかけて、僕が着替える姿を立ったまま眺め、帰り際に「行ってきますのチューは?」と両手を広げてみせる。
それに乗った訳ではないけれど、正面からそっと受け入れて僕の方から抱き締めると、ようやくその人のおふざけも止まった。
「――――課題もあるから、もう明光くんのところにも行かないし、練習も試合も観に行けねーけど、お前拗ねんなよ?」
そうですね、僕はずっと拗ねてました。
肯定の意味で、菅原さんの襟足に項垂れて溜息をつく。僕のことを最後まで諦めないでいてくれたこの人に、僕は一生勝てないんだろうなと思う。
「菅原さんも、僕のこと思い出すの程々にしてくださいね」
最後にそう言って菅原さんの髪を撫で、視線を交わしてその人の口唇に指先で触れる。その意味が分かったのか、一瞬にして真っ赤になって、知らない! 帰れ帰れ! と追い出される。
その時僕は、思わず破顔したのだが、その人は気付いたかな。気付かれなかったとしても、次に会う時は思わず笑顔になりそうな自分がいた。
2015年、最後の春高。センターコート。背番号“3”というのは、僕と菅原さんの関係をよく表している。観客席から、「つきしま~!」と、良く通る声が響き渡る。
――――了
→NEXT おまけページ
| 11 / 12 |
| 12 / 12 |
【後日談】
~菅原弟との遭遇~
「やっぱり弟いたんじゃないですか!」
「いたよ。いたけど、それ言ったらお前拗ねるじゃん」
「拗ねませんよ」
「あの頃から、薄々お前の気持ちに気付いてたんだなぁ。俺もなかなか勘がスルドイ」
「言っときますけど、アナタのことはずっと嫌いでしたから」
「は!? 俺だって嫌いだったね!! 俺がお前の担任だったら、ぜってーその鼻っ柱へし折ってやってたね!!」
「勉強で僕に勝てると思ってるんですか? 勝負します?」
「では問題です。“?”に入る言葉はなんでしょう」
「出た、フリップ問題。うちの松丸〇吾。月島、がんばれ」
「えっ?? 僕を置き去りですか!?」
「残り十秒」
「いやちょっと、菅原弟くん、ちょっと待って」
~2015年卒業式~
「わ~月島、ボタン全部取られてんじゃん。先輩はモテモテですねぇ」
「あんなもの貰ったって、どうせ誰のだか分からなくなって、弟とかの替えボタンにされちゃうんですよ」
「俺は、先輩のボタン自分の制服に着けてもらった! 母ちゃんに!」
「……」
「あ、今『菅原さん、好きな先輩いたんですか?』とか思った!? 僕というものがありながら!?」
「違います……! その先輩のボタン、今頃誰が持ってるんでしょうねって心配です」
「あ」
「ほら……そういうとこですよ」
「ところでどうよ。ちょっとは寂しいとか思った?」
「……うーん。まぁ、まだまだ後輩に言いたいことはたくさんあるんですけど。ブロックのことで」
「お前、完璧主義だもんな。精密機械。精密っつったら、影山もだな」
「同じ扱いにしないで。教え方は僕の方が上手いから」
「知ってる知ってる。みんな分からないとこお前に訊きに行くから、いつかツッキーの血管が切れちゃうんじゃないかって、前に山口が言ってた」
「ちょっと……笑い事じゃないんですけど。卒業して清々しましたよ」
「大丈夫だよ。ちゃんと、お前が伝えたかったことは伝わってるから。心配ないって」
「心配なんか、してません」
「(すっかり世話焼きになっちゃったなぁ。後輩に嫉妬するわ)」
おわり
→エッチは続きで
| 12 / 12 |
この作品を運営事務局に報告する
コメント
ログインするとコメントを投稿できます
コメントの文字制限は140文字までとなり、長いコメントを考える必要はございません。
「萌えた」「上手!」「次作品も楽しみ」などひとこと投稿でも大丈夫です。
コメントから交流が生まれ、pictBLandが更に楽しい場所になって頂ければ嬉しいです!
この作品に関連のあるpictSQUAREのイベント
-
2026年05月22日 20:00〜翌19:50あなたのセカイの物語2一次創作 オリジナル 小説 漫画 イラスト 作品形態・ジャンル不問 R18可 展示のみOK 既刊のみOK 当日不在OKサークル参加受付期間74 / 100sp
01月03日 00:00 〜 01月24日 23:50
2026年06月19日 21:10〜翌21:00受付中青空に香り立つ6 FGOぐだお受WEBオンリーぐだ男受 R18OK 当日不在OK ネップリ等頒布サークル参加受付期間14 / 50sp
01月28日 00:00 〜 06月10日 23:50閲覧制限が掛かった作品です
この作品は投稿者から閲覧制限が掛けられています。性的な描写やグロテスクな表現などがある可能性がありますが閲覧しますか?
閲覧する際は、キーワードタグや作品の説明をよくご確認頂き、閲覧して下さい。
Dine At Home・2(2020/01/12~2022/02/20発行・月島蛍×菅原孝支)
腐向けHQ 月島蛍×菅原孝支 R18https://pictbland.net/items/detail/2345330の続きです。
スガさん高校時代~現在/明光くんや、赤井沢さん出演/告白と微エッチ
本として頒布した内容はここで終わりです。読み直して、自分でも意味がわからなかったところなど修正しました。
最後の方に、ちょっとだけエッチ描写があるため、R18にしてます。
コミックスネタバレが各所にあります。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
| 1 / 12 |
とどのつまり、俺たちには圧倒的に時間が足りない。
時間を巻き戻すすべはないから、
またひとつ、またひとつと積み重ねていくしかないんだ。
***
学校の先生になりたいな、と考え始めたのは、武田先生と出会ってからだ。ただ、先生のように情熱的に自分の想いを言葉で伝えるのには難があり、受験のある中学高校は厳しいかも……となると小学校だろうかと、薄っすら自分の目指すその道筋が照らされてきたところ。
(武ちゃんって、今年三十とか言ってたっけ)
ああ見えて自分より十個以上年上なんだよな、と失礼なことを思ってしまう。あの人の言動の“動”の部分は真似できても“言”の部分はどんなに書物を読み漁っても追いつける気がしない。時には意味不明でありながら、年を重ねれば理解を得られそうな、ふと思い出してはもう一度、数年置きに手に取って読み返したくなる書物のように、伝えてくれた言葉はすべて心に、脳に沁み込んで、前へと進む力を与えてくれる。
自分は決して無口ではないし、感情もそのまま声に出して伝えている方だと思う。けれど、あまりにも感情が先走ってしまうと、うまく言葉として表現出来ないのも実際よくあることで、日向がコートを退場せざるを得ない状況に陥った時だって、もし自分が武田先生の立場でいたら、ただただダメだ、無理だ、くらいしか言えず、日向を納得させて病院へ向かわせるだなんて芸当、だってあの日向だぞ? 出来る訳がない。あんな風になれたら。
(武ちゃんに、相談してぇなぁ)
月島が帰ってしまった後、のろのろと部屋へ引き返してベッドにぼすんと顔から突っ込む。
月島は俺の事好きだったってことでいいんだよな? せっかく想いが通じ合ったのに、何か俺変なこと言った? なんであいつは帰ってしまった? どう言えば良かった?
どこで何を間違ったのか分からない。自分が武田先生だったらどう言ったかな? なんて考えても、先生は俺と同じ気持ちで月島のことを好きな訳じゃないから、答えだって出ない。
「あ~……失敗した」
失敗した。それだけはよく分かってる。
烏養監督が率いていた頃の烏野バレー部は、強豪校とあって部員も多く、スターティングメンバー6人という競争率の中、ポジションを自ら奪い取るくらいの気概がない部員はすぐに辞めていったと聞く。その後、監督が一時引退して、バレー部が徐々に衰退の一途を辿っても、全国出場に憧れて入った新入部員は期待とやる気に満ちていた。
俺たちもそう。ただ、一年目、二年目と過ごしていくうちに、県内のバレー部から相手にされなくなっていくのにも慣れてくる。そしてとうとう、烏養監督完全復帰の日を迎えないまま、高校生活最後の年がやってくる。
一つ上の先輩たちが卒業して自分たちが一番上の学年になり、一個下の後輩は既にいた訳だけど、先頭に立ってその背中で自分たちを守ってくれる人たちはもういない。
「アイドル総選挙でセンターに選ばれるのって、こんな感じなんだろか」
「アイドルって柄かよ」
「なんかさ~」
否応なく季節は巡り学年も上がり、俺は誰ともポジションを争うことなく正セッター兼副主将に任命された。
「ダンスの振り付けを、今までは目の前に誰かしらいたからちょっと間違えても何気に直せたのにさ。一番前で鏡もなくて、振りも自分が間違えたら後ろのヤツも釣られそうじゃん?」
「……別に今までどおりでいいべや」
予想どおり、というか新三年生三人しかいない中で主将といったら、もう俺らが一年の時から決まっていたようなもので、澤村大地は俺が変な例えを交えて言わんとしていたことを、更に先回りしてズバリ正解を示してくれる。
「サキガケシンガリ、俺らが崩れたら終わり。そんなふうに気負うのもいいけど、もしかしたらスゲェ一年が入ってくるかもしんねえし」
気楽に行こうや。と、大地は武将のようににっかりと爽やかに笑った。校庭の桜が、まだ満開の頃。
「大地い、俺アイツだけは駄目かもぉ」
新入部員で入ってきた一年生は四人。多くもなく少なくもなく、目の届く範囲で丁度いいくらい。人数的には、だ。一人を除く残りは問題児ばかりで、面倒見もよくて気も長いあの大地が初日からキレてしまったくらいだから、俺なんかがどう足掻いたって場を取持てる筈もなく。
「え? めっちゃ上手くやってるように見えるけど? あいつら相手にスガが一番楽しんでない?」
「一見ね。一見だよ」
○○先輩以来だね。と、一年前に卒業した先輩の中で、どうしても最後まで強ばった笑顔でしか対応出来なかったその人の名前を上げる。当時ですら、あの人とは上手く付き合えないと俺から告白するまで大地も気付かなかったくらい、一見上手くやっていた。
「あ~……ハハ。スガ、あの先輩とだけは目も合わせなかったもんな」
顔は笑ってたけど。と、大地は俺とそのかつての先輩とのやり取りを思い出し、今回の新入部員のことも「そうかぁ」と納得される。
一個下の部員たちからは、俺は優しくて面倒見がよくて、どんな相手でも上手くあしらえる先輩だと思われているようだが、その実、人と関わるのは本当は得意じゃない。二年間同じ部活に一緒にいれば大地と旭は俺のそんな性格をおおよそ分かってくれるようになり、俺が口に出して訴えてくる時はまだそれ程でもないと踏んでいる。
「あっちはお前をちゃんと先輩として認識してるし、ほどほどにケツ叩いてやればいいんじゃね?」
俺がう〜んでもさ~と唸って己の膝裏を反対側の足の甲で擦って、いつまでももじもじしていると、
「それより影山はいいのか? 俺はアイツの方がどうにかなんねぇのかなって思ってるよ」
「良くねぇよ。俺は影山が一番大事」
大事だし、俺が一番構いたいのは影山だ。
「それならしばらく俺が月島のケツ叩いとくから。お前は影山と日向担当な」
「あざっす!」
大地は俺の肩を解すようにパンパンと二度程叩いて、次の練習の指示を出しに後輩の元へ走る。それで俺も多少肩の荷が下りた。彼の腕にはお祓いの力でも宿っているのか。大地は偉大な男だ。
気持ち的に楽になったとはいえ、問題の後輩ともまるっきり関わらない訳にもいかない。
影山には、俺が知る限りの味方の情報を提供する。エースは今は訳あって不在だが、大地をはじめ田中や縁下なんかの癖、好むトスの高さ、だが実際に一度本人と合わせてしまえば、次からは俺の出番はなかった。そして今はそれよりも、日向との速攻を数多く練習すべきだ。
影山と日向は最初こそどうなることかと思ったが、練習を始めてみれば素直で良い子で可愛い後輩。バレーが好きで好きで堪らないといった様子。山口も手が掛からない。彼はバレーが好きなのか、大好きな友人と一緒にいたいだけなのか分からないところはある。そしてその友人は。
「次、月島ぁ!」
投げ込まれたボールをレシーブし、俺の上げたトスでスパイクを打つ。
「ナイスキー!」
月島は人に合わせるのが上手い。あれだけ人嫌いのようでいて、対影山や日向でなければ口も悪くないし、先輩には楯突いたりしないし、上がったボールに自分を合わせる動きをする。
時折「ここに持ってこいよ」と言わんばかりのスパイカーも見掛けるが、月島は最初こそそのタイプかと思いきや、自分が打つべきボールであればそれなりに上手いところへ返す。悪目立ちせず、かといって飛び抜けようともせず。
(器用なんだよな)
器用でもあり、無難。それが妙に鼻につく。
離れたところで観察していれば、俺が面倒見ずとも熱量の高い田中辺りがキレながらもうまいこと構ってやっているし、やる気なさげだけど、練習は必要以上にやらないだけで、サボることはない。日向と時々張り合っているところも、結局はバレーで負けたくないのだろうと窺える。
彼を嫌いになる理由がない。でも嫌い。苦手。
俺が高校にきて唯一合わなかった先輩は、俺と同じセッターだった。その人はあまり器用ではなく、部員一人一人に合わせたトスを上げられなかった。それでも、上げられたトスに合わせられる優秀なスパイカーが揃っていたから正セッターとして構えていたけれど、「お前の方が上手いんだから、お前がコートに入れよ。菅原」と、何かにつけ卑屈になる人だった。決して悪い人ではないのだが、俺も人を押し退けてまで前に出るような胆も持っておらず、一見うまくやっていたが、お互いに不完全燃焼のまま時を過ごした。
(それでも田代さんの代の最後のインターハイは、いい感じだったんだよな)
もっと早くに、あんな風にチームとして団結出来ていたらと思う。
月島は他の一年と比べて手が掛かる訳じゃない。逆に彼こそ一番の優等生で、放っておいてもコツコツ練習しているし、そのやり方を見ていれば、大分長い間バレーと向き合ってきたのも分かる。
けれどその、人生の傍観者みたいな生き方をしている彼の背景には、何か燻ったものの存在を感じる。そこに苦手だった先輩の姿がなんとなく重なって、俺はつい遠巻きにしてしまうのだ。
それではいかんと思い、接触を試みるが、おちゃらけて絡んでも反応薄いし、一体どうコミュニケーションを取ったものやら。基本的に俺は、やる気のないヤツをやる気にさせられるような力はない。月島は、こちらが質問すれば答えは返ってくるが、必要最低限。エコ。エコ島。ポジションが違うからペアを組まされることも少ないので、月島と関わる時間は限られる。
って、俺が大地に、月島が苦手だって言ったんだった。そうだよ、俺が突っ撥ねたんじゃん。って吹っ切るのに、またしばらくすると月島を目で迫っている。
彼は何でわざわざ強制でもない部活に、しかも運動部に入ったんだ? 何の為にバレーを続けてる?
中学の部活動は何もかも初めてだから、楽しいというだけで続ける連中も多いが、高校になってまで部活に入るのは、余程そのスポーツなり趣味の活動が好きなヤツか、あとは将来推薦入学を狙うための点数稼ぎとか。月島は進学クラスだし、考えなしに部活に入るヤツでもないだろう。
嫌々ながら円陣を組まされる彼の顔を見るに、チーム一丸となって、とか、祭りだうぇーいといったノリが好きじゃないのは一目瞭然。ならなんでここにいる? 個人技を競いたいなら、陸上部や水泳部の方が個人種目もある。
(俺もそんなにがむしゃらにやるタイプでもないけど)
何かの答えを探しているような、答えを見つける為に自分の身体にバレーを体感させているような……
「もしかして月島、今までの記憶を失ってる……!?」
「……何ですか、それ」
本人に冷たくあしらわれるが、それなら何でそんな、どこか幻影を迫っているような、夢遊病者のような具合なんだ? お前の意識はどこにあるんだよ?
月島の実体が、俺には見えない。
| 1 / 12 |
| 2 / 12 |
***
全国大会出場を目指しているバレー部の季節の巡りは早い。五月のミニ合宿も終え、六月に入ればインターハイ県予選が待っている。気の早い連中は、旅行に行くつもりで遠征先の情報を検索し始め、それでなくとも夏休みに向けてソワソワし出す頃。
「僕の代わりに、菅原さんをスタメンにした方がいいんじゃないですか」
とんでもない場面に出くわした。
旭と月島とあと山口か? 珍しいメンツで休憩を取っているなと、ちらちらとそちらを気にしていた。近寄ると体育館の扉の外で、旭の穏やかな声と月島の静かだけど神経質な声が交互に聞こえてきて、その二人じゃ喧嘩になる筈もないから長閑に談笑している風でもある。何話してるんだ~? と乗り込もうとしたそこへ、コーチが俺より先に扉の外を覗き込み、そこへ月島が突っかかってきたのだ。
「んん!? 何だいきなり」
扉の内側のすぐそこに俺がいることをコーチだけが知っていて、気付いていないだろう月島が、コーチに向かって突然そこにいない俺の名前を出す。
「ピンチの場面で菅原さんを起用するのなら、最初からあの人にして、菅原さんが前衛になったところで僕がピンチブロッカーとして交代すればいいと思うんですけど」
「お前な……。お前が影山嫌いなのは知ってるし、菅原がセッターとして戦力になるのも分かってるし、その上で決めたスタメンなんだからよ。まさか試合に出たくない訳じゃないよな?」
鳥養さんもきっぱりと、俺より月島を出したい理由を言いきれないのは、俺がここでこっそり話を聞いているからだろう。
どうしよう。ここから去るのも話の続きが気になるところだし、前衛の守りも後衛からの戦闘力も、俺よりお前の方が戦力になるに決まってる! お前があとちょっとやる気を出せば……なんて、月島本人に面と向かって熱弁するなんてしたくない。そして本人も、俺が出るより自分が出た方がチームとしてのバランスがいいのを分かっている筈。
この頃には俺も、月島の実力については認めていたし成長を見守るのが楽しくなっていて、だが俺の本音を彼に伝えたところで、本人は眉のひとつも動かさず自分の意見も曲げないだろう。
『お前の方が上手いんだから、お前がコートに入れよ。菅原』
過去に先輩から言われた言葉が甦ってくる。何でそんなに投げやりなんだ。試合に出たくたって、出られない部員だっているのに。今いる場所を、必死で守れよ。
しばらく体育館の冷たい鉄扉に背中を預けていた俺は、その後に続く鳥養さんと月島の会話を耳に入れないうちにそっとその場を離れた。
インターハイでは全国行きを逃すも、落ち込んでる暇はない。七月頭の期末テスト後には東京での初めての合同練習。ゴールデンウィークの練習試合で会ったばかりの音駒のメンバーがやけに懐かしく、いてくれることの安心感。これまで練習試合も市内の高校相手ばかりだったし、あまり相手にもされなくなっていた矢先に、いきなり東京の強豪校と手合わせ願えるだなんて、武田先生には本当に感謝しかない。
そして夏休み。埼玉での長期合宿開始。この僅か一週間の間に、今まで息を潜めていた月島のやる気スイッチはどこにあったのか、押してくれたのは俺と同じく三年の他校の主将たちだったのには、してやられた感がある。日向によると山口も関わっているとかなんとか? 詳しくは本人たちしか知らない。
「月島、スゲーな。ブロックめちゃくちゃ上手くなってんじゃん」
いつものようにその背中をパシンと叩いて激励。月島もいつもなら、「はぁ」とか「ありがとうございます」とか返事は素直で腰も低く、だけどその時は何かが違った。
「――――ありがとうございます」
その言葉を口にする前の、一瞬こちらに流された視線。俺に向けられた眼光の中に、昏い影を見る。
「え……」
ドキリと心臓が一度大きく跳ね、冷水を浴びせられたようなショックを受ける。今の視線は軽蔑? 敬遠?
(……なんで?)
俺、何か変なこと言った?
関東と宮城とを忙しなく行き来していたこの頃。合宿のおかげもあり、烏野高校排球部は春高一次予選を通過。宮城県代表決定戦までは、まだしばらく日にちがある。そんな、合宿と次の試合までの合間のある日。
「菅原さん、弟とかいないですよね」
「えっなんで? 一人っ子だけど?」
やっぱ影山上手いなぁなんて、無駄な動きのない彼の洗練されたセットアップをコートの外から目にしながら、毎度のように惚れ惚れといった溜息をついてしまう。
そうやって気を抜いている時に限って、後ろから昏い声を掛けられるのにも慣れてしまった。
「ていうか、お前ほんと気配消すのうますぎ」
慣れはしても、それでも毎度心臓がびっくりして飛び上がる。さっきまで目の前のコートで、他の連中と同じようにネット際でブロックに飛んでいた月島が、そういやどこ行ったと気付く前に、はっとすると俺の後ろの壁に潜んで休憩を取っている。
「アナタが誰かさんばかり見てるからでしょ」
「なにそれ~。嫉妬~?」
俺には五つ下の弟がいる。が、そのことを知っているのはバレー部の中では大地と旭だけ。別に他の誰にも隠すつもりはないのだが、月島に訊かれてつい「一人っ子」と口走ってしまった理由は、おそらく月島は俺に弟がいると知れば「やっぱりね」と皮肉ってきそうだったから。そんな安直に俺のことを理解されたくない。
「日向や僕や、影山に構うのは、こんな弟が欲しかった。みたいな感情なんですか?」
「いや~……?」
一週間の長期合宿後、突如使命感が降って沸いたかのように、月島は常に体の奥に闘争心を静かに燃え立たせて――――といっても、田中や日向のような熱血系になった訳ではなく、一見代わり映えしない無表情だが、俺にも何かと突っかかってくるようになった。実体のない幽霊のようだった月島は、もうどこにもいない。
「弟とか思ったことはないけど、何? こうされんのが嫌なの?」
試合中でもないから、コートの外で一ヶ所に固まっている必要もない。なのに俺がいるその隣に月島が自然と寄ってくるのは、俺と話したいから。とか、俺に構って欲しいのか? と、最初は野生動物に懐かれたようで悪い気はしなかった。
わざと彼のお櫛をぐちゃぐちゃにするように、手のひらで頭をわしわしと掻き混ぜてやれば、やめてください、と、それでも俺の手を払う力はそんなに強くはない。触れられた部分から彼の、俺より高めの体温が伝わってくる。
「弟でも何でもないのなら、なんでそんな目で影山を見るんですか?」
「……ええっ?」
そんな目ってどんな目だ? 弟を見るような目で影山のプレーを見守っていたと?
俺が影山への想いを溢れさせるのを待っているかのように、月島がじっと俺を見詰めて一瞬たりとも目を逸らさないから、俺は口をあの字に開けたまま息が詰まる。
「アナタの実力は僕も分かってます。コートに立つの諦めてないことも。でも、影山に対するアナタの態度は……すみません、うまく言えないですけど、やっぱり諦めてるように見える、っていうか」
と、最後の方は月島らしくもなく尻すぼみに小声になり、発言に自信が伴わなくなったのか俺への追及も弱まる。
その時の俺は、アハハと刺々しい空笑いを零して「それはないだろ~?」と、他人事のように軽く受け流してみせるしかなく。
実際には、彼が指摘してきた己の根底にある昏い穴から目を逸らすのに必死だった。
| 2 / 12 |
| 3 / 12 |
あっという間に十月になり、十一月になり……。奇跡のように、いや、決して奇跡じゃない。青葉城西も、白鳥沢も倒して春高出場を決めた俺たちは新年早々に上京。この一年、というか足掛け二年で東京の地にも慣れたもんだ。
「何かに夢中になると、ほんっとそれだけになっちゃうんだよなぁ分かる」
慣れたもんだが、すったもんだあった春高第一試合。椿原との試合を終え、時間まで弁当食ったり他の試合を見たりしている中、日向が鴎台の小さな巨人の姿に釘付けになっていた、その後ろ姿がいつかの自分の姿と重なり、ぼそっと零す。
一つの事だけに夢中になるのは悪いことじゃない。日向の場合、すげぇなぁだけでは終わらない。それが出来るようになるには、どう動けばいいのか。最初から自分には出来ない、とは、考えない。どんな思考回路してんだ。図太いというか、決してめげない。
入部当初から群を抜いていた影山だって、そこから更に練習して練習して、あの最高到達点で止まるボールの変人速攻を完成させた。
『影山に対するアナタの態度は……やっぱり諦めているように見える』
数か月も前に月島から言われた一言が、未だに引っ掛かっている。
俺はどうがんばったって、影山のようにはなれない。それは他の多くのセッターも感じていることだろうが、どれだけ練習しようが、影山のようになるには脳に最新技術のAIでも埋め込んでもらうか、身体の作り方を幼少時代から学び直すか、技術やセンス、才能、どう足掻いても努力だけでは手に入らないものはある。俺だってこの三年間、影山が正セッターになってからも、何もやってなかった訳じゃない。最初から諦めてはいない。躍起になって、自分が出来る戦法を探してきた。そしてそれは、実際の試合でも通用した。
そんなことは、試合中俺と交代する場面が一番多かったのは月島なんだから、俺の努力が無駄じゃないのをベンチから見て分かっている筈なのに。
適材適所ってのは存在する。でもその適所に適材が二人いたら? 相手の方が優れていたら? 追いつけないと分かっていても、日向なら諦めない?
鴎台の、自分と同じくらいの身長の、しかも抜群に飛び抜けたプレーを披露する選手を見つめる日向の顔は、憧れ以上に躍動に満ちているのだろう。俺は影山に憧れても、伸ばしたその指先は彼の背には届かず、空振って力なく空を切るそこにはどうしても諦めも混じる。
(月島の目に俺は、かつてのお前みたいに映ってんのかな)
出会った当初の月島は、何でバレーを続けているのかよくわからなかった。最近ではすっかり、月島も日向寄りだ。白鳥沢戦での、牛若を止めた時の魂の咆哮。執念、というべきか。鳥肌が立った。
月島は“勝ちたい”とか“負けてたまるか”とは口に出さないから、最終目標が何なのか、どこにあるのか分かりづらい。負けたくはないだろうが、烏野が優勝する! とまでは思ってなさそうだし、負けたくないのは、日向や影山に、なのかもしれない。
(俺は一つでも多く試合に勝って、なるべくたくさん試合に出たい)
試合に出たい。ずっとそう思ってる。いつでも出られる準備はしてる。けど、スターティングメンバー頼みなところは絶対ある。影山が行き詰まったら俺が出る。俺が影山に勝つ必要はない。影山のプレーには何の文句もない。賞賛だけだ。張り合う必要も、蹴落とす必要もない。俺と影山の“得意”は違うんだから。これまでのいくつかの試合で、それを実証してきた。
諦めてないよ。俺も、食らいついてるよ。
(あの時も、月島にそう言えばよかったんだ)
直接月島にそれを伝えたら、彼はどう返してくれただろうか。
「……」
フーン、そうですか。とでも返されそうだ。結局は負け惜しみでしょ? 鬱陶しそうに日向を見る目付き。その顔が自分にも向けられるのを想像して、一気に落ち込む。
烏野に月島に代わるブロッカーはいない。最初こそその身長だけだった時もあろうが、その席は月島が自ら勝ち取った。それを言ったら、山口もそうだ。ピンチサーバーは、現在山口の右に出る者はいない。
月島自身は、今でも自分の代わりはいると思っていたとしても、今や、自分よりも菅原さんを出した方がいいなんて、思ってないよな?
あれ? もしかして俺、月島に同情されてる? かつての先輩が俺に試合を譲ろうとしたのとは違う。自分が逃げる為じゃない。俺が影山の後ろで燻っているのが、月島は我慢ならない?
(同情……じゃないな。じゃあ、月島の俺に対するその感情は何?)
「どうしました、忘れ物? 菅原さん、大丈夫ですか?」
かけす荘に向かう途中の帰り道。物思いに耽りつつ歩いている俺のすぐ横にいた縁下が、急に愕然として立ち止まってしまった俺を気遣ってくれる。
「ああ、悪い悪い、なんでもない。ちょっといろいろ思考が行き詰まってんだわ」
「思考が? ひとりで考えて行き詰まってるなら、吐き出してみたらどうですか?」
「はぁ……そうね。なんつーか、……いや、いい。だいじょーぶ」
なんだろう。もう少しですべてが解決するような気がするのに、そのあと一歩手前で迷走してしまう。
「あのさ……俺って影山のことばっかり見てる?」
「影山、ですか?」
大丈夫と言いつつ、答えを掴めそうな感覚を逃したくない。縁下に、これまでずっと引っ掛かっていた疑間をぽろっと零してしまってから、試合中なんて誰もが真剣にコート内しか見ていないのだから、俺の視線の先に誰がいるのかなんて分かる筈もねーよ! 分かられたら分かられたで、逆に恥ずかしいわ! と焦ってギャー! となる。
「そ、そんなん分かんねーよな! 自分でもそんなつもりねーし」
あははと笑い飛ばしながら縁下の肩を叩いて誤魔化すが、
「バランスよく全体を見てると思いますけど」
敵も含めて。と、縁下は冷静に答えてくれる。ほっと胸を撫で下ろす自分がいて、そんな自分を真っ直ぐな心で評価してくれる縁下に、ちょっとだけ罪悪感。本人に言われたんですか? と訊いてくるから、違う、とだけかろうじて返す。
「菅原さんはセッターだから、そりゃどうしても影山に目がいっちゃいますよね。俺から見ても、アイツのプレーには見惚れる時あるし」
「だよなっ、仕方ないよな」
って、俺は一体誰に言い訳したいのだろう。
(言い訳……)
そこで俺は、言い訳をずっと考えていたんだとようやく気付いた。誤解を解きたいんだ。何故って、決まってる。月島が、俺を影山信者だと思っているからだ。それは月島が影山を毛嫌いする理由にはならないけど、俺に対する態度は納得できる。それに、俺がいつも目で追ってるのは――――
そのくせ月島は、俺が影山ばっかり見てるとか言うから。妬いてんの~? だとか、嫉妬してんだろ~とか、俺はよく月島に冗談で言い返してた。俺が影山に夢中だから嫉妬してんの~?
月島を揶揄ってヘラヘラしてる俺。それを見る月島の顔。――――おいおい! アイツ、自分のことは俺の眼中にないと思ってない? もしかしてお前は、俺に影山を認めて欲しくない? 俺の代わりに、影山と戦ってくれてんの?
「……やべぇ」
辿り着いた解釈に、体中がぞわぞわと高揚する。それに対して、俺の月島に対するこれまでの態度は冗談になってない。自分に向けられる月島の感情が分かりかけて最高に気持ちが昂った瞬間、自ら奈落に転がり落ちる。最悪。最悪だ。
決定打は春高が終わった時。
影山の、「このチームでもっと上へ行きたかった」そんな台詞を聞かされたら、泣かずにいられるかっての。誰かの言葉で泣くって、物凄く特別な事。その言葉の主に心を動かされたってことだから。
俺が影山の言葉で大泣きして、それを目の当たりにした月島はどう思っただろうか。
それから、月島とは何を話したっけ。俺からは伝えたいことがたくさんあったのに、アイツの態度はいつもどおりで素っ気なくて、俺ら三年の烏野最後の日、手を振ってみんなに見送られた後、こっそり後ろを振り返っても、月島は背を向けて校舎の方へ歩いて行き、こちらを気にする様子は微塵もなかった。俺の方を振り向くことは、一度もなかった。
日向と影山の存在は大きすぎた。月島だって山口だって、讃えられる場面は同じくらいあって、それでも霞んでしまうくらいに大きすぎた。
俺はもっと月島に、その存在の大きさを自覚させなければならない。というか、自覚して欲しい。俺の思考の殆どが、月島に持っていかれてることを。
| 3 / 12 |
| 4 / 12 |
***
「ただいま……」
菅原さんのアパートからバスに揺られて駅まで30分。電車を乗り継いで、最寄り駅から月島宅まで徒歩20分。頭を冷やすにはちょうどいい距離。
自分の部屋に上がる前に居間に顔を出すと、テレビの前に今あまり顔を合わせたくなかった人物がいた。
「おー、おかえり。こんな時間まで珍しいな。友だちんちでも行ってたのか?」
「兄ちゃんこそ……珍しいじゃん」
おっきな仕事が片付いたから有給取った、と言って、僕が私服なのを見て、友人と遊んできたとでも思ったのだろう。にこにこと、こちらが居辛くなるような笑顔で出迎えてくれる。
「母さんは?」
「ん? 同窓会があるとかで、俺が留守番に呼ばれたんだけど。知らなかった?」
聞いてたような、聞いてなかったような。別にもう高二だし、一人でも留守番出来たけれども。
飯は? 風呂は? と繰り出される質問に、食べてきた、風呂は入ると律儀に答えながら、兄との会話がそれ程苦痛ではないのに気付く。少し前なら面倒くさくて、返事はしても溜息も一緒に吐いてた筈。
「兄ちゃんはいつまでいんの」
「明日、母さんが帰ってきたら帰るけど。なぁ、風呂上がったらさ、一緒にこれ観ねぇ?」
ちょいちょいとテレビ画面を指して、目に入った時から気になっていたけど、そこには全日本のユニフォームが映っている。
「全日本女子。ロンドンオリンピック」
「女子か」
「あっ、馬鹿にした? 女子ナメてんな?」
「別に馬鹿にはしてないけど、男子のはないの?」
「男子はビーチバレーならある」
「じゃあそれ」
オッケ~という返事を貰い、一旦部屋に戻る。今日僕は、何をしていたんだっけ。ああ、そうだ。
『僕を、試してたの?』
そう訊いた瞬間の、菅原さんの顔を思い出し、逆に今日兄がいてくれて良かったと思った。一人だったらいろいろ考えて、思いもよらない方向へ突っ走ってしまったかもしれない。
「蛍とも、早く一緒に酒が飲めたらな〜」
ついさっき聞いたような台詞に、やはり人種が同じなのだな、と一人納得する。兄が飲むのは本物のビールだが、きっとあの人が飲んでいるものと味は同じなのだろう。
「そんな不味いものよく飲むよね」
「ンン!? まさか、飲んだことあるとか言わないよな」
「本物じゃないから、別にいいでしょ」
ダメだダメだぁ! と喚き始める酔っぱらいは放っておいて、兄が持ってきたDVDを漁る。
「……これ、誰から借りたの」
日本代表選手の試合の他に、烏野の試合も混じっている。ラベルには“稲荷崎”と“鳴台”とあり、何度も見た内容だが、それでも鳩尾の辺りがそわつく。
「これは俺が知り合いに頼んだやつ。蛍が見たことない角度から見れるかもよ」
でもまずビーチ観ようよ! と勧めてくる方も確かに心惹かれたが、タイトルを見てしまった今となっては、気分はもう自分たちの試合だ。鳴台のケースを僕が掴むと、兄がフフフと小さく笑い、ビールの缶に口を付ける。はっとして、一度掴んだそこからビーチバレーのケースに指を移動し、兄を横目にパカリとケースを開けた。
「……そっちにすんの?」
「やっぱり……。僕を誘導したよね」
「なんでだぁ~! いいじゃん、蛍の試合一緒に観て、解説してよ」
「冗談でしょ、恥ずかしい。ビーチ観るよ」
取り出した円盤をデッキに挿入し、音量を調節する。諦めきれない兄は、横でまだごちゃごちゃ言っていたが頑なに断る。
もし最初に、素直に自分たちの試合の方を推されていたら、渋々付き合ったかもしれない。トランプのババ抜きのように、相手が変に心理戦を持ち込んできた時点で、ジョーカーがどんなに魅力的でも自分得でない限り、対戦者の思惑にハマって、もしくはハマった振りをしてそちらを選ぶのは、僕にとっての“負け”だから。自分の意地やプライドに賭けて、感情が揺れても理性で阻止しなければならなかった。
(こっそり焼き増し出来ないかな)
それでも諦めきれず、ここは頭を下げるしかないのだろうか、と、動き辛そうな砂浜での試合をテレビ観戦しながら、兄の解説を理解するのと、DVDを上手く借りる方法とを同時進行で考えていた。
しばらくして、隣が静かになったな、と思ったら、兄は缶ビール二本でソファーにくたりと体を沈めていた。軽くその肩を叩いて起きないのを確認し、チャンスとばかりに自分たちの試合のディスクと入れ替え、ヘッドフォンを繋ぐ。烏養コーチが見せてくれたそれとは撮っている場所が違った。自分たちの真後ろからと、コートチェンジで鳴台の真後ろから。ズームでピントを合わせてくれているから、ネット際の動きがよく見える。
これはいいなと夢中で観ていたら、気付いた時には夜中の三時になる頃だった。
「兄ちゃん、母さんの部屋のベッドで寝なよ。僕ももう寝るよ」
その体をゆさゆさと揺すり、んんーと伸びをしながら兄が意識を取り戻したところへ、キッチンから水を汲んできて渡してやる。
「サンキュ……って、蛍じゃん! 感動」
「誰と飲んでるつもりだったの……ベッドまで運ぶなんて無理だからね。自分で行ってよ?」
兄は「ふぉあ〜い」と欠伸がてら返事をして重い腰を上げる。自分も適当にその辺を片付けて部屋へ上がった。
目覚ましを七時にセットし、眼鏡をスマートフォンの横に置く。ふと、菅原さんの顔が浮かび、メールをしようかとスマートフォンを手に取るが、あんな風に逃げてきた後だというのに何を伝えるのか。
(ちゃんと、ベッドで寝てるかな)
あの人も雰囲気だけで酔いそうだから、ノンアルの缶片手にキッチンで寝落ちしかねない。
決して、人の面倒をみるのは好きではない。兄に始まり日向や影山、極めつけはあの人。僕がどうこうしなくたって、みんな一人でやっていけるし巣立って行くのに、頭の隅で、自分が面倒みなければ、などと考えてしまう。自分だけがまだ烏野の巣にしがみついているようで情けない。
面倒をみるのは好きじゃないけど、菅原さんの世話が焼けるのは、僕は、
(楽しかった)
楽しかったんだ。
スマートフォンの光の中に浮かび上がる“菅原孝支”の名前をじっと見つめながら。
あの人は器用だから、あえて僕が面倒をみずにはいられないよう仕向けてくれたのかもしれない。普段は何でも一人でやるし、人の面倒までみる人なのだから。あえて、
(僕の為に?)
SNS画面をクローズして眼鏡の横に置き直し、ベッドサイドの灯りを消す。
兄がバレーボールを捨てたあの日に、僕の感情の一部もその場に取り残されてしまった。夢遊病のように、意識のない体だけが何かを探し求めてフラフラと烏野高校に入学し、バレーを通じて僕の知らない本当の兄の姿を再現、確認しようとした。いつから兄は、僕に嘘をついていたのか。僕の何が、どんな発言が、兄に嘘をつかせたのか。
そこにたまたま菅原さんという人がいて、その人も後輩のせいで試合に出られない羽目になってしまい、影山はもともといけ好かなかったが、菅原さんに出会って兄の姿をそこに重ねてしまったせいで、影山を、そして日向を逆恨みするところから始まった。
菅原さんが兄のようにならないために、僕は何をすべきなのか。何ができるのか。どうやったらその人は、本当の笑顔で烏野高校バレー部を卒業してくれるのか。
(どうにもできずに、菅原さんは卒業してしまった)
どうにかできていたとしたら、菅原さんは、救われたんだろうか。
(菅原さんが、じゃない)
兄が、でもない。僕だ。
自分が救われたいから。人の面倒をみて、その人が少しでも「助かった」と笑顔を見せてくれれば自分も少しは救われるから。
すべて、自分が楽になりたいが為なのだ。そんな我欲のために、僕はまた大事な人を傷つけてしまった。
| 4 / 12 |
| 5 / 12 |
***
翌朝、適当に朝食を済ませ、玄関で靴を履いていた時に兄が二階から降りてきた。
「練習か? がんばってな」
「別に起きてこなくても良かったのに」
起き抜けで眠そうな顔の兄に、「冷蔵庫に、弁当用に作った残りがあるから。良かったら食べて」と言うと、「マジか~~!」と歓喜の声をあげるところまで誰かさんを彷彿とさせる。
「てか蛍、料理するんだ。すげー。俺の弁当も作って欲しい」
「早く彼女でも作りなよ。ああ、あとさ、昨日の……えーっと、」
昨日のDVDを貸して欲しい、と言おうとして言い淀む。
「あれ置いてってやるよ。俺は何度も観たから」
また観たくなったら返して。と、こちらが言いたかったことを、当然分かってましたとばかりに返してくれる。ほっと、体の力が抜ける。
「じゃあ、行ってきます」
「おー。気をつけてな」
今度一緒に旅行でも行こうな~と、それには後ろ手を挙げるだけの返事をし、僕が門を閉めるまで見送ってくれるのは少々ウザイ。
本当に、早いとこ彼女でもお嫁さんでも貰って、幸せになって欲しいと思う。兄は笑顔の上手い人で、今でも僕は、彼が笑っていればそれに騙される。大丈夫なのだと気を逸らせる。そして現在は、本当に「大丈夫」な方の笑顔。当時の燻りなんて、兄はとっくに吹っ切っている。
強豪校のチームには強いヤツが集まってくるし、中学でエースだったとしてもスタメンに選ばれないこともある。自分より強くて上手いヤツがコートに立つのを、選ばれなかった人間は納得するしかない。
するしかないけど、自チームが試合で負けた時に、お前らはよくやった、負けたけど最高の力を出し切った、そうやって一緒に涙を流せるだろうか。全勝して優勝でもしない限り、きっと手放しで喜べるものではないだろう。
涙にもいろいろな種類がある。兄が、一度はバレーの全てを捨てようとしていたのを、僕は目にしている。
菅原さんが一人で暮らすその部屋には、今もバレーボールに関わっていると思わせる痕跡は何も見当たらなかった。練習を見に行くと言われてからも、未だに姿は現さない。
捨てた筈はないと思いたい。まだバレーボールが好きだと信じたい。僕たち、特に影山がチームに加わり正セッターの座を奪われて、それがなければもっとずっとコートの中にいる筈だった菅原さんは、一つ一つの試合の結果を、すべて納得して受け入れて、烏野を卒業していったのだろうか。
烏野時代の兄が、大好きで大切にしていた誇れるものをメチャクチャにして、自分の過去から今までのすべてを否定して崩折れていた姿が忘れられない。
烏野バレー部を去る時の菅原さんの笑顔。あまりにも屈託なく、人を安心させてくれる笑顔。その満面の笑顔が、一人になった瞬間頽れていたとしたら。
バレー、もう続けてないんですか。どうして僕たちの練習を見に来てくれないんですか。
高校を卒業しても一見何も変わらない菅原さんの姿がそこにあり、ただバレーボールの影形だけが一欠けらも見受けられないから、僕は未だ菅原さんの前では、笑顔を作ることが出来ない。
***
「あれ? ちょっとあれ、菅原さんじゃね?」
いつものレンタカーで練習試合相手の高校へ向かう途中。通路側の席に座っていた日向が、その隣の窓側にいる影山よりも目敏く、通りすがりのバス停で一人立っているその人の姿を見つける。
「先生、停めて停めて!」
「いや、ちょっとバス停ですから、すぐには停められないよ~」
と、それでもうまいこと駐車スペースを見つけて、武田先生は路肩にレンタカーを寄せる。
声のデカい日向と西谷さんが、窓から顔を出してその人の名前を呼び、大きく身を乗り出して手を振る。距離もあるし、さすがに聞こえないでしょ、と思って静観していたら、日向がバスを降りて、駆け寄ってきた(と思われる)菅原さんと対面したのか、歩道側のドア越しにキャッキャとはしゃぐ声がバスの中まで聞こえてきた。
「え~俺の乗るスペースある?」
「大丈夫、大丈夫っス」
という声と共に、マイクロバスの中央の扉から日向に背を押されて菅原さんが姿を見せる。
「おお〜みんな、懐かしーなぁ! つってもたかが半年くらいか」
「何言ってんスか、まだ七月っスよ!」「うっす」「菅原さ~ん!」とあちこちから上がる声と、それに応える元先輩と、「菅原さん、図書館行くみたいなんですけど、通りますよね」とかいう日向の確認する声と、「菅原さん、ここどうぞ!」と、縁下さんが自分が座っていた鳥養コーチの後ろの席へ導く声と。
「いやいや、悪いべよ。俺、補助席でいいから。ていうか、すみません、図書館はいつでも行けるし、どうせならこのまま応援行ってもいいですか、先生?」
「え、いいの? ぜひ来てよ!」
「ンだ菅原、身体鈍ってたら承知しねえぞ? お?」
「俺、観る専ですよ? 使おうとか思わないでよ、コーチ」
軽やかな笑い声と、彼を知らない一年生がごしょごしょと噂する声を耳にしながら、後ろ寄りの席に座っていた僕はなるべく座高を低くして、その人と目が合わないように気配を消していた。
「ツッキーどうしたの? 菅原さんがいるから、緊張してんの?」
「……そうじゃない」
「月島クン、緊張してんですかぁ!? えーっめずらし! 後輩君たちに、先輩にデレてるとこ見られたくないんだ~」
「煩いパーカ」
日向には頭頂部のツボ強打をお見舞いして追っ払うも、山口に突っ込まれた言葉が、悪気がないだけに地味に痛い。緊張というか、なるべくその人の視線を感じたくないし、声が聞こえようものなら集中が切れそうで困る。
「菅原さんの視線は、たぶん影山に一点集中だろうから、月島も緊張することないぞ」
すれ違いざま縁下さんが、綺麗な笑顔を向けて僕の背中をばしんと叩き、その足で相手コートに咆哮を放っている田中さんと西谷さんを捕まえに行く。
「……」
ハァ? 今の、王様にも聞こえるように言ったよね。ムカつく顔で影山がニヤリとこちらに上目線を送ってくる。
日向・影山じゃあるまいし、僕は煽りにホイホイ引っ掛かるようなバカじゃないけど意識は変わる。確実に澤村さんからの血を受け継いでる縁下主将は、なかなかに侮れない。
「集合~!」
両チームともアップを終え、練習試合が開始される。
「ありがとうございました!」
試合結果は3ー0。その後も2試合程して、相手チームに1セット取られる場面もあったけど、総じて圧勝。春高に出場した強豪烏野の面子は保たれた。
「あ~、もっと菅原さんとしゃべりたかったぁ」
菅原さんは、途中で二階のギャラリーから降りて来て武田先生と鳥養コーチに挨拶している姿をちらりと見かけたけれど、ハーフタイムになると僕たちには満面笑顔で両手を振って、「今度はちゃんと応援しに来るな!!」と叫んでさっさと消えてしまった。
去り際、一瞬だけ目が合った気がしたが、気のせいだったかもしれない。気のせいだと思って菅原さんの残像を断ち切らないと、僕はその後の試合を続けられそうになかった。
「そういや菅原さん、インターハイの結果知ってたんかな?」
「知ってるだろそりゃ。だから、なんも言わずに帰っちゃったんじゃないの」
「だよな~。コメントしづれぇよな」
帰りのバスの中、まだ余力のある面々が話している内容を、アイマスクと音の出ていないヘッドフォン越しに耳にする。
今年のインターハイは、県内準優勝に留まった。全国行きの切符を手に入れたのは伊達工業。及川徹と牛島若利卒業後の青葉城西、白鳥沢も健在で強敵だが、彼らとも渡り合えた自分たちは、総体開催地の福岡達征に行く気満々だった。
勝敗は時の運もあれど、昨年の三年生が抜けた穴はやはり大きかった。たった三人しかいなかったにも拘らず、澤村さんの広範囲で剛健な守備力、東峰さんの牛島にも匹敵する重量級な攻撃力、菅原さんの機知に富んだ情報戦と鼓舞力に敵う者はまだいない。
『俺より先に部屋にいて、おかえりって言って』
菅原さんからメールを貰ったのは、インターハイの宮城県予選が終わった後だった。結果については何も触れてこなかったが、あの人だって高校の三年間バレーボール部に所属していたのだから、おおよその日程は知っていた筈。
(もしかして、僕の様子を窺う為?)
自分はどんな態度を取っていただろう。負けたその日くらいは、僅かに気落ちした瞬間もあっただろうが、僕にとって勝敗はあまり関係ない。関係なくはないけど、勝った試合にだって反省点はあるし、負けたら負けたで余計に原因はある筈だから、次の試合で一つでも克服できるよう、自分たちの試合の録画を何度も観直し、原因究明に努めるのみ。
結局は、木兎さんに言われたとおり。止められなかったスパイカーを、ブロックで打ち落とした瞬間の心地良さ。その瞬間の為にバレーを続けているところはある。
菅原さんがインターハイの試合結果を知っていたとして、それなら尚更、逆に僕に慰めを求めるようなメールをするのもおかしくないか?
あの人の意図は、未だに分からない。
| 5 / 12 |

